再起の章
「しばらくはこれを使うといい」
柏木にそう言って渡されたのは車椅子だった。
「その足では動きにくいだろう」
新品の病院でよく見るパイプが露骨に見えているものではなく、樹脂で覆われていて、白を基調とした柔らかな見た目をしている。特注品にも見えたが、こんなもの短期間で用意できるものではない。それに、色合いは島風の好みにされているかといえばそんなことはなかった。
「ありがとう、提督」
島風は力なく、だがその時出せる全力で、何とか笑顔を作り上げて柏木に笑いかけた。その笑顔を見た柏木もぎこちない笑みを浮かべて「気に入ってくれて何よりだ」とどこか模範的で機械的な返事をした。
「これは、誰のなの?」
「君のだよ、島風」
「前の所有者は」
柏木は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに目を伏せると低く唸るような声で答えた。
「雪風だ。彼女が艦娘化の手術を受けた後、使っていたものだ」
島風が退院できたのは、意識を回復してから五時間後、手術の終了から二十時間後、搬送されてから二十四時間後。戦闘から二十五時間後の事だった。
はじめは全て夢だと思いたかった。
到着前に無残に下半身を引きちぎられていた加賀。
退路を作り散った金剛。
身を呈して島風の未来を作ってくれた雪風。
体を貫かれながらもクラゲ型を倒した龍田。
仲間を見捨てず共に脱出の道を選んだが、追撃されて命を落とした那珂。
目を覚ませば皆いなくなっていた。
そして、己の足も。
今回も執刀医だった岡田は島風が生きていたことに対する嬉しさと、陸上をやっていた子から足を奪ってしまった罪悪感が合わさり、腐った豆腐でも口に入れられたような微妙な顔をしていた。
「その、島風ちゃん。君の右足はもう再生不能だったんだ。骨はぐちゃぐちゃで筋組織もドロドロになっていて再生できるようなものではない。他の臓器の負担や体の修復を考慮すればこうするしかなかったんだ」
最後に、泣きそうになりながら神に祈るように跪き、岡田は首を垂れた。
「許してくれ、島風ちゃん」
「そんな風にされたら困っちゃいますよ。岡田先生は命の恩人です」
その時、島風は今できる全力の笑顔を作っていたつもりだった。しかし実際はどこかぎこちなく、引きつったような笑顔になっていた事を島風は知らない。
命だけは助かったが、島風の失ったものは多かった。
長い時とは言えなかったが、同じ境遇で同じ改造を施した仲間を全員失ってしまった。その上、 島風が一番頼りにしていて、唯一無二とも言えた武器まで失っていた。
右足だ。
体内にバイオセル生成炉を入れる手術を経て艦娘になった島風が、唯一強化されていて常人との差別化ができたのは強靭な脚力があったからだ。それにより空からの攻撃ができ、巨人型を倒す事に成功し、蹴りと魚雷だけでクジラ型を一方的に蹂躙することができていた。
加えて、生きる目的も失っていた。
元々足を治すために艦娘になった島風だが、その足を失い呆然としていた。動く死人のように、慣れない手つきで車椅子を操りながら色々なところへ行った。
みんなでお茶会をした金剛の部屋。
よく一緒にご飯を食べた食堂。
最初に足の強さを実感し、走れる喜びを再度味わったグラウンド。
ドローンを壊した研究施設。
何度出撃したかわからない強襲艇を修繕しているドッグ。金剛たちの乗っていた強襲邸には大きく穴が空いていて、作業員があくせくと補修作業を行なっていた。
そして、海。
あれほど爆煙が上がり、残骸が転がり、深海棲艦の黒い体液で地獄のような景色を出していた場所とは思えないほど、陸から見る海は綺麗だった。漂白剤で洗ったシーツのような白い雲と、絶望するほど吸い込まれそうな青い空。それを映す鏡のような水面はどこまでも続いている、
「この海で、みんな死んじゃった」
時折、思い出した言葉を老人が吐くように海から船の残骸が流れ着く。それが深海棲艦のものなのか。もしくは沈められた自衛艦のものなのか。はたまた艦娘の艤装なのか。島風には判断できない。
「残骸しか帰ってこない」
波打ち際に車椅子を進める。
膝にかけていた毛布が風で飛び、無い右足が露わになる。残った足首に海水が触れる。気温の割に冷たい海水は、そのまま入れば死ねるのでは無いかと希望を抱かせるほど冷めきっている。
「みんな……なんで私だけ生き残ったの」
さらに進める。
「前を向いて歩いてね、ってなんなの。雪風」
ゆっくりと沈んでいき車椅子も半分ほど海水に沈んだ。
「教えてよ雪風。なぜあなたは私を生かしたの。前が見えないよ」
波が涙を洗い流し、体温を徐々に奪っていくのを感じながら、島風は雪風が歌っていた歌を思い出していた。鼻歌交じりに聞こえてくるちょっと下手くそな歌声は、もう聞こうと思っても聞けるものではない。
「雪風ちゃん。ごめんね。前を向いて歩けないよ。涙がこぼれても、一歩を踏み出す足が無いよ」
「島風ぇ!」
柏木の叫び声がかすかに島風の耳に入った。
「待て、島風」
振り返ると白い提督服を砂だらけにしながら革靴のまま走ってくる柏木の姿がそこにはあった。右手には先ほど飛ばされた毛布を持っている。
「提督?」
「島風。今出してやるからな」
自分の服が濡れることも、革靴が水没することも厭わず提督は海に足を踏み入れ、車椅子ごと島風を引き上げた。エレベーターに乗せられたかのように、垂直に無駄な振動なく、島風はゆっくりと引き上げられる。
「提督、なんで」
「頼むから、自ら死のうなんて思わないでくれ」
島風を砂浜におろした時、柏木は静かに泣いていた。
「頼むから」
「提督。でも、もう理由が無くなっちゃったんだよ。求めた足は無くなった。一緒に生活していたみんなはいなくなった。私には、もう何も無いの」
「そんなことはないだろう! 何もないなんて言うな。お前はまだ生きている。それこそが最大の成果だ!」
「友達が犠牲になった上に立つ命なんて、成果でもなんでもないよ!」
「だったらそれは雪風の成果だろう! 人の成果を自分の勝手で捨てるんじゃない!」
提督は心の底から怒鳴った。だがそれ以上に、怒鳴っている提督が泣きそうな目をしていた。
「生きろ、島風。生きるんだよ。お前はまだ生きているからできる事がある。泣いても、涙で前が見えなくても、歩かないといけないんだよ。死んだ仲間のために」
雪風の歌声が耳に聞こえてくる。あのスキヤキソングの陽気なメロディに乗せて歌う下手くそな歌声が、脳の奥から離れない。
「提督の言う事はわかるよ。わかる。でも、足が無いよ提督。歩くための、私の足が無いんだよ」
「足が無くて歩けないなんて言うなら俺が肩を貸してやる。それでもダメなら負ぶって俺が代わりに歩いてやる。いいか島風、残された人間はな、残した奴らのために全力で人生を楽しんで生きなきゃいけなんだよ!」
なぜ、雪風がいつもあんなに楽しそうなのか、幸せそうなのか。幸福を唄い、人生を謳歌していたのか理由がようやく今わかった気がした。
島風が落ち着きを取り戻した頃を見計らって、柏木はゆっくり口を開いた。
「来月、新しい艦娘が入って来る。五人だ」
「私は、用無しになっちゃったの?」
「いや、違うんだ。そういう意味じゃ無くて、島風に何か気晴らしになるような、また別のベクトルで生きる希望を見つけてもらえればいいなと思って話しただけであって……」
島風はふと顔をあげた。そこにはいつもの厳格な提督ではなくて、自分の娘程度の少女に手間取る等身大の中年がいた。
それがなんともおかしくて、島風は吹き出した。
「ありがとう。提督。時間がかかるかもしれないけど、何か見つけてみるよ」
「……ならよかった。足の事だが神尾さんからも許可が降りて義足の製作に入っている。来週中には技術開発局から届くだろう」
神尾。
その男の名を聞いて島風の脳内回路がカチリと音を立てて動き出した。
皆を送り出し、警戒心いっぱいだった柏木とは違い、のんきに構えていた神尾。
今後が危ないからという理由だけで全滅覚悟で戦えと命じた神尾。
そのせいで雪風は死んでいる。
島崎風香に殺意が芽生えた瞬間だった。
仇を取るという殊勝な気持ちなどない。みんなのためにという免罪符もない。
手をさしのばして新たな居場所を与えてもらい、頑強な身体を与えてもらい。文字に起こすと不満など見つかるはずもない。だが、無理な戦いを強いて島風から再度足を奪ったという強い絶望だけは消えていない。足を奪った憎しみは、深海棲艦と神尾に向いていた。
存在が憎かった。あの笑顔の柔らかい老人の生存を許したくなかった。あの顔を思い出すだけで胃からマグマが湧き出てきそうになる程、強い感情を島風は持っていた。持ってしまった。初恋の前に初殺意を覚えた島風は顔に出さないよう努力して、柏木に「ありがとう」と優しく告げた。
「これからどうするつもりだ?」
ゆっくりと柏木に車椅子を押してもらい、潮風を感じながら島風はのけぞりながら柏木を見上げた。
「艦娘を続けるよ。まだ『島風』は沈んでいないしね」
「ありがとう、島風。……だが海に出たくなかったら言ってくれ。こちらから神尾さんを説得してみるから」
「神尾さんを説得できるなら、なんであの時も説得できなかったの?」
無邪気に、普通に、平坦に。感情を込めず『どうしておやつを買ってくれないの?』と尋ねる子供のように、柏木の魂に、心に、鋭い刃を突き刺した。
「説得できる保証なんて、無いんだ。ただ、意向を伝える事しかできない。歯向かってもどうしてもダメなんだよ。許してくれとは言わない。ただ、俺もまた、君たち艦娘と同じく無力な飼い犬だという事を理解してほしい」
柏木の車椅子を押す力が弱くなり、車椅子はゆっくり進む。
「今から十年前、俺は海上自衛隊に所属していた。まあ、今でも所属はしていて出向という形で鎮守府にいるんだが、それは置いておこう。
船に乗って緊急事態の時に出動する。家族にも居場所を伝えることは出来なくて、同僚の多くは離婚していた。でも、俺の場合は違って時折家に帰ると娘と嫁が笑顔で迎えてくれたんだ。
そんな生活を送っていた時だ。年に数回、実家に帰るためにフェリーに乗っていた。俺がいない時は嫁と娘だけで。その年も同じようにフェリーに乗って移動していたんだろう。そのフェリーが深海棲艦に襲われて、沈んだんだ。全部を知ったのは陸に帰ってから。船が沈んでから二ヶ月以上経過していた」
「待ってください! 提督、前は子供に会いに行かなきゃ、って……」
今にも泣きそうになっている島風の頭を撫でながら、提督は笑いかけた。
「墓参りの事だよ。明言は避けているだけさ」
つまらない話かも知れないけれど、もう少しだけ聞いてほしい。提督は島風にそう囁いて、頭を撫でていた手を車椅子の取っ手に戻して歩み始めた。
「当時は『フェリーは火事で炎上し沈没しました』と報道されてしまったからな。叩くべき相手もいない。憎むべき敵も見えない。ただ、何であの時家族と一緒にいてやらなかったのかという後悔だけが付きまとっていたんだよ。
沈んだ船が一番近くに見える海岸で海を眺めることが日課になっていた。
神尾源一郎という、当時衆議院議員で文科省の大臣を務めていた男が俺を訪ねて来たのはちょうどそんな時だった。大型船船長としての実績もあり、外国との合同演習も複数回こなしていて海戦に強いと判断されたらしい。他にも数人、海上自衛隊から引き抜かれて神尾の組織、鎮守府に着任した。
目的は皆同じだった。
家族を殺した敵を知り、殲滅する事だ。
島風や他のみんなが着任する前に、俺たちはそうやってかき集められて来たんだ。逆らう事は出来て、意見を言うこともできるが、それが飼い主の神尾の意見と合致しなかったらあの人は『はい』とは言わないんだよ」
島風の部屋の前まで来ると、柏木は島風の前に回り込み、深々と頭を下げた。
「あの時も、撤退させろと言ったが神尾さんは敵を取り逃がす方が問題だと言っていた。すまない、島風。君たち現場の人間をあんな目に合わせてしまった」
「謝っても、死んだみんなは帰ってこないよ」
「その通りだ。だが、次に奴らが出て来た時に、また新たな新型が出て来た時に、犠牲者を出すような事はさせたくない。島風。力を、貸してほしい」
島風は柏木を見上げた。
彼の目は、まな板の上に乗せられた魚の目をしていた。生きているが死ぬ事がわかっている。だが絶望はしていない。そんな目だ。
「いいよ。だから、提督も力を貸してね」
「もちろん」
「じゃあ今すぐ技術開発局へ連れてって。義足すごいの作ってもらう」
そこからの行動は早かった。
技術開発局所属の藤宮と話し、強化義足を作成してもらうように依頼をした。
「雪風のよりもすごいやつか」
「具体的には元の足並みに動くやつ」
藤宮も少しやつれた様子で研究室に佇んでいた。棚の上に置かれた加賀とのツーショット写真の前には小さい瓶に入れられた霞草が生けてある。
「そっち方向か……時間はかかるかもしれないが明石さんと話してみるよ。強い人工筋肉は以前作成しているからそれをベースで、軽量化を図れるなら最低まで軽くするよ。……島風ちゃん、一つだけいいかな」
「なんですか?」
「加賀さんは最期に、何か言っていたかい?」
間髪入れずに、島風は流れるようにスムーズな嘘をついた。
「最期まで藤宮さんの事を話していましたよ。抹茶ケーキ作ってあげたいって」
島風の言葉を聞いて、泣くのを必死に堪えながら藤宮は笑顔を作って見せた。
「ありがとう。……また何かあったら連絡をするよ」
深海棲艦に負けない体を作るためにバイオセルの量をどうにかして上半身も強化出来ないか医師の岡田に訪ねたところ、腕立て伏せ等の正しい筋トレを行えば強化できる可能性があると言う話が出て来た。
「金剛たち……島風ちゃんもそうだけど、ここでリハビリを行なって初めてバイオセルが定着して機能を修復しているんだ。同じ原理でしっかり使ってあげれば、無理やり動かしてあげれば強化される事はあるかもしれない。あくまで推測の域を出ないけどね」
「可能性があるなら十分!」
誰の目から見ても島風の行動の変貌は明らかだった。退院直後は動く死体のようだったのが、今では魂が入って活力が感じられる。
次の全滅を防ぐ、という目的を持ってくれたのだと柏木は思っていた。思い込んでいた。故に彼女の本質的な部分を見逃していた。何が彼女に生きる力を、強さを与えているのか。
決定的なものを見逃してしまっていた。
一ヶ月はあっという間に過ぎた。
配属される艦娘たちは病院で最後のバイオセルの調整を行い、体に問題なく定着している事と強化部分を確認されて、それぞれの適性を測り艦級と対応する艤装、そしてシップネームを与えられた。
島風は義足の調整も、上半身の強化も上手くいった。見た目こそ細腕のままだがバイオセルによる強化補正が掛かった事で腕力は当初の戦艦級にまで到達していた。
「このまま艦級の変更もできるがどうする?」「艤装も重いの付けても大丈夫だけど、どうする?」と藤宮や明石に尋ねられたが、そのままで良いと島風は首を縦に振らなかった。
「仮に艤装を付けるなら、大砲見たいに火力の出る奴で、数は多くなくていいから単装砲かな。金剛さんみたいに数が多くても操りきれないし」
なんとなく言った一言が、すぐに反映されたのは言うまでもない。
全ての装備が完成する頃に、漸く新たな艦娘達と島風を合わせる事になった。これからは経験豊富な島風が皆を率いて戦う、という事を神尾は想定していると柏木は島風に説明した。
「なるほどね。いいよ、その案乗ってあげる。提督、今回の新入り艦娘はどんな子なの?」
会議室に入る前に提督の横に並んだ島風は真正面を向いて扉を見つめたまま聞いた。前は隣に神尾がいたが、今は提督と一緒だ。加えて、びっくりおどおどしているあの頃の少女はいない。
目には殺意の火を灯して未来を見据える戦士が。一度は回復した右足を奪われて尚、歩く事を諦めずに無機質な銀色の希望を右足にぶら下げた復讐者がそこにはいた。
「まずは戦艦級榛名。おっちょこちょいですごくビビりだ。あんまり脅かしてやるなよ。続いて軽巡級天龍。なんというか、ヤンキーで中二病だ。剣道の経歴もあって強い分変に突っかかって来るかもしれない。めんどくさかったら放っておけ。同じく軽巡級で川内。元々不眠症で頭がイかれいてるが、暗いところでの戦闘能力は何故か知らないが突飛してる。めんどくさかったら放っておけ」
「なんで軽巡級がそんな問題児しかいないの? まずバイオセルの適合手術を行う前に面接とか行ったら?」
「それは神尾さんに言っておくよ。続いて空母級赤城。過食症と吐きグセがあると聞いているが他は問題ないそうだ」
「存在そのものが大問題だよ。食卓は離して」
「最後に駆逐級、天津風だ。お前に似て足が速い。が、協調性はあまりない」
「わけのわからない行動を取ったらみんな容赦無く殴り飛ばすけど、いい?」
柏木は疲れたような笑みを浮かべると「まあ、任せるよ」と呟き扉を引いた。続いて島風ももう片方の扉を引いて中に入る。
丁度中から眼帯の少女が出てこようとしていた。
「おっ? なんだチビ。お前も新入りで……」
眼帯の少女、天龍の言葉は最後まで続かなかった。島風の華麗な右フックが決まり、部屋の端まで飛ばされた上に窓ガラスを突き破り外に放り出された。
唖然としている提督と、会議室にいた残り四人の艦娘を前に島風は「ごきげんよう」と挨拶をした。
だが一番唖然としていたのは提督だった。一瞬息をするのを忘れて、吹っ飛んで窓の外に天龍が落ちきるまで脳がフリーズしてしまっていた。
「なんで吹っ飛ばした?」
「ナメた態度を取ったから。任せるよ、ってたった今言っていたじゃない」
「任せるとは言ったが窓を割っていいとは言っていないぞ島風」
「それについては謝るよ。ところで提督。救急医療班を呼んであげて。艦娘だからあの程度じゃ死なないけれど、多分動けないと思うから」
「あ、ああ。だが今後は控えてくれよ?」
「まあ、時と場合によるよ」
言葉のベクトルを提督から他の艦娘に向ける。金剛と同じ型の制服を着ている榛名は目を丸くして完全にフリーズしていた。加賀と同じ型の制服を着ていた赤城はチョコ菓子をその場に置き、突っ伏していた川内はパッと起きて寸秒で背筋を正して座った。天津風は連装砲ちゃんに類似したドローンを盾にして影に隠れて物理的に島風と目を合わせないようにしている。
「挨拶は?」
全員がバラバラに、こんにちは、と死にそうになりながら声を振り絞った。
「初めまして。私は島風。艦娘であなたたちの先代の艦娘になります。言いたいことはいっぱいあるけどまずは一つ。ナメた態度を取った奴は、ああなる事を覚えていて」
天龍を殴り飛ばした際に窓に空いた大穴を指差しながら島風はニッコリと笑って見せた。外からは救急車の音が聞こえてくる。
「今後の訓練や実戦についての話は天龍が帰ってきてからにします。提督から何かありますか?」
「……この鎮守府で提督をやっている柏木だ。俺から言うことはあまりないが、まあなんだ」
兄弟を殺されて怯えている野良猫のようになってしまった新入りの艦娘を前に、柏木はため息をついた。
「そんなに怯えないでくれ。我々は君たちを歓迎している」
「今のが歓迎の挨拶だよ。吹っ飛ばされたい奴は前に出てきていいから。いつでもね」
提督からはすぐに解散の合図が出されて島風だけ残された。
「島風。どうして脅かそうとしているんだ」
「どうもこうも。これからはこうしようと思うんだ。もう二度と全滅を防ぐために必要なのは何か、提督は考えたことはある?」
全滅、という単語を聞いて柏木は苦い顔をしながら答えた。
「先の戦闘から得られたことはいくつかある。通信が無くても大丈夫なように索敵能力を上げる。出撃時には全員で出す。間違っても二人だけで長時間戦わせる、アンノウンとの戦闘は避けるようにさせる。巨人型と呼ばれている深海棲艦の表皮を貫く砲台も開発中だ」
「私の思ってる全滅を防ぐ手段とはちょっと違うみたいだね。私は肉体強化こそが鍵だと思っている。先の戦いで敵に致命傷を与えるのに至った一撃は二つある。一つは私の蹴り。もう一つは龍田の薙刀だよ。そして金剛も艤装を使いつつも素手で巨人型の拳を受け止めて生き延びていた。逆に即死したのは武器に頼り切って戦っていた加賀と那珂だと聞いている。それと、私を守って散った雪風も」
柏木は小さな生還者を誤解していた。
ただの少女だと。センチメンタルに駆られて暴力を振るう艦娘の皮を被ったヒステリックな深海棲艦だと思っていた。
しかし、違った。
結果から状況を判断して次につなげる冷静な判断力を持っていた。
「だから、今後は提督と医療スタッフにもお願いして肉体強化訓練もやっていきたいな、って思ってる」
「わかった。最初の質問に戻るけが、どうしてそこまで脅かした?」
「脅かしたつもりはないよ。『君たちにはこれくらいの力があるんだよ』って見せたまでさ。私は所詮は駆逐級だけど他の子達は違うでしょ。腕になんの強化も無かった私でさえあれくらいの力が出せるんだ。腕がそこそこ強化されていても駆逐級に配属された天津風も、軽巡級の二人や空母級も当然だけど戦艦級なんてどうしようもないくらい強くなれるはずだよ」
「わかった。俺も協力しよう」
「それとね」
ポッと火山から噴煙が噴出したように、島風は付け加えた。
「今日の事で恐怖を味わって欲しかったんだ。未知のものに負ける恐怖を。恐怖は怒りに変わり、その怒りは殺意となって私に向く。それは真実を知る事で私から深海棲艦へと対象が移り変わる。ねえ、提督。知ってた?」
くるりとその場で一回転すると、柏木を一瞥して島風は呟いた。
「怒りと殺意で人間は強くなれるんだよ」
聖母のような柔和な笑みを前に、柏木は背筋に悪寒を感じた気がした。
「おうチビ助! この間は良くもこの天龍様を殴り飛ばしたな?」
一週間の治療期間を経てようやく復帰した天龍は、ミーティング前に早速島風に突っかかっていた。目立った外傷はなく、怒りに燃えているように見えた。
「ああ。そうだね。君がナメた態度を取るからだよ、天龍」
天龍の方が身長が高いのにもかかわらず、島風の殺意のこもった目を見て天龍は半歩引いた。
「もう一度窓の外から海を見たくなったのかな? なかなかのアトラクションだっただろう」
「くっ……お前、いつか痛い目見せてやるから覚えておけよ」
「いい目をするね、天龍。私に痛い目を見せてくれる日を心待ちにしているよ」
天龍がおとなしく席に着くのを見届けると、島風は会議室に集まった全員に声を投げた。
「さて、今日から君たちの艦娘としての初生活が始まるわけだ。艤装ももらっただろう。扱い方も学んだだろう。ドローンを充てがわれた者もいるみたいだね。早速だけど深海棲艦を狩に行こうと思う」
島風は柏木に事前に話していた。まずは深海棲艦を見せて、戦い方を学ばせると。
彼女らは皆、ウサギも殺したことの無い少女達だ。島風のように脳髄から溢れるアドレナリンに任せて足で切り裂き魚雷を口に突っ込むという方法で、初めから深海棲艦を仕留められる奴はいないと踏んでいた。だから最初に素手で深海棲艦を殺させるという事から始めようというのだ。
「それは俺も賛成だ。最初の頃、島風が来る前の雪風や金剛は躊躇っていたからな。相手がいくら人間を襲う怪物だと言っても、彼女達の優しさが邪魔をしていた」
「逆に龍田さんは喜んで刻んでいそうですよね」
「……その通りだっだよ」
「あと、この訓練にはもう一つ重要な意味があるんです。先日行ったように最後は近接戦になる事もあります。その時にやり方がわからなかったら彼女達を殺すだけです。もしもの時に、経験者である私が居なくても戦えるようにしたいので」
「島風、お前、死ぬ気なのか?」
どこか遠いところを見ている島風に、柏木は不安を覚えた。
「まるで、お前が死んでも他の艦娘がいるから戦えるよ、っていう風に聞こえたんだ。違うんだったら申し訳ない」
「違うよ。文字通り。私が風邪でも引いた時に緊急出動がかかったら大変でしょ。だからだよ」
普段は無人操舵の強襲艇に柏木も乗り込み、現地で指示を出すことを条件に島風のスパルタトレーニングは始まった。
艦娘が全滅して鎮守府から艦娘が消えていた一ヶ月とちょっとの間、深海棲艦が出現しなかったわけでは無い。だが、深海棲艦による被害は皆無だった。通常では深海棲艦が出現した段階で被害が起きる前に叩く、ということが鎮守府には求められていたが、その間は無理だと神尾は判断して海自や海保に連絡していた。
そして今日、鎮守府は再起動する。
強張った表情で強襲艇に乗せられた艦娘は、手に持った唯一の武器を見ていた。
ナイフ。
刃渡り十五センチほどの黒い刃のナイフだ。巨人型の表面も斬りつける事ができる強化セラミックで作られている。だが、本当に必要なのは皮膚を切り裂いた後にある肉の圧力に負けず、臓器に致命的なダメージを負わせる事だ。前回の戦いの時に得た深海棲艦の体から、通常の生物と同様の臓器も見つかっていて本格的に『生物』と認定された。未知の海洋兵器ではなく生物。所詮は生物なので殴れば死ぬというのが島風と神尾、そして技術開発局局長の明石の判断だった。
「いい? 敵をそれで弱らせてトドメを刺すの。無理だと思う人」
全員が手を挙げた。後ろの角で柏木も手を挙げている。
「私は最初の戦闘の時、蹴りだけで深海棲艦を叩き潰した」
その後に魚雷でトドメを刺したことは作為的に伏せて話を進める。
「あなた方の先輩、龍田さんは薙刀だけで敵を翻弄していた。だから、あなた達にできないわけじゃ無い。私が居るから大丈夫。ダメそうなら逃げればいい。ここはまだ逃げが許される場所だから」
「なあ」
天龍が恐る恐る手を挙げた。
「なあに? 天龍」
「なんで俺だけ刀なんだ?」
天龍は一人だけ与えられた刃の長い黒い刀を訝しげに見ていた。
「あなたが剣道をやっていた、って聞いたから。それとチャンバラは好き?」
少し照れるように間を置いて「ああ」と小さく答えた。
「いい事だと思うよ。型に囚われないのは生き残る術に繋がるから」
強襲艇は徐々に速度を落とし、作戦海域に近づいたことを自然に知らせる。
「今回の敵はクジラ型五匹。神尾さんから一匹は生け捕りにしろ、って言われているけど気にする事は無いよ。殺し損ねたのを生け捕りにするから、相手を全力で殺しに行こうね。有象無象のクジラ型。怖がるほどでもないよ」
ハッチが開き、島風がいの一番で海に飛び出す。それに天龍、天津風が続き、眠たそうな川内をサポートするように榛名も出る。赤城は一番最後に出ていった。
まずは一匹目を島風がお手本として殺した。一発土手っ腹に蹴りを入れてひっくり返ったところで首に刃を突き立てる。黒い体液が噴出しながらクジラ型の緑色に発光する目は徐々に光を失っていった。
「ざっとこんな感じかな。こいつらは初戦は生物。首の血管を切るだけで失血死するんだ。途中暴れられないように気をつけてね。じゃあみんなもやってみようか」
全員がぽかんとしている中、実地訓練は始まった。プロの料理人が魚を素早く絞めた後に、綺麗に解体してお造りを皿に並べるような芸術性と早さを持った島風の技を前に、全員どうすればいいかわからず固まって居た。
だが相手は待ってくれない。
仲間を殺されたことを皮切りに、付近に散らばって居たクジラ型は集まって来た。口の中に格納された砲台が陽の光を浴びて黒光りする。
「ほら、ぼさっとしてると当たって怪我するよ」
銃口をみた瞬間、人間だった烏合の衆は動き出した。
『それ』は危険だと本能が叫び、棒になっていた足に生気が戻る。足の艤装を上手く使いこなして距離を取る者。距離を詰める者。死角に回る者。それぞれが戦闘に向けて動き出した。
砲撃音が響く。しかし命中はせずに海上へ弾は着弾して水柱を上げる。水柱に隠れながら最初に攻撃を仕掛けたのは川内だった。
「うぉおおおらあああああああ」
急速接近してクジラ型の右顎に刃を突き立て、思いっきり前進する。肉の硬さに負けないくらい力を入れて体の側面を一刀両断にした。
しかし、所詮はナイフの刃以下の切り傷。残心を忘れてニンマリを笑みを浮かべていた川内の背後で再度クジラ型の砲塔が牙を向いている事など気付きもしなかった。
「まだまだね、川内」
その頭部を島風がかかと落としで蹴り潰し、クジラ型は完全に沈黙した。
「真っ先に攻撃に出た事は評価対象だね。でも、相手が死んだ事を確認しないでカッコつけるのはかっこ悪い事だと思わない?」
振り返り、自分の尻拭いをしてくれた島風と目を合わせると川内は顔を真っ赤にしてたじろいだ。
「あ、ありがとうございます」
「お礼は後で。この死体を強襲艇に突っ込んで置いて。神尾さんから死体は極力集めるように言われているの」
「はい!」
次は天龍だった。砲撃を刀で受け流した結果、受け流す事には成功したが刀をポッキリ折ってしまい、武器を失う羽目になっていた。
「……技術開発局に謝って。直接行って、土下座ね」
「ずびばぜん」
特別に刀を貰っただけあって相当ショックなのか。天龍が涙目になっていたのは言うまでもない。
赤城はクジラ型のヒレを削いで航行能力を失わせて芋虫のようにした挙句、失血死を待っているようだった。海の上でピクピクと悶えながら砲口を赤城に必死で合わせようとするクジラ型を見て、赤城は微笑んだ。
「えっと、生け捕りにするのが必要なんですよね?」
「ちゃっかりしてるんだね。すごいよ。じゃあ砲台も切り取って強襲艇に運んで置いて」
「はい」
榛名に至っては素手で殴り殺していた。
「死ね! 死ね! 死ね!」
「榛名。もうそういつ、死んでるよ」
「でも、原型留めてるから、いつ動き出すかわからないし……」
返り血を浴びて真っ黒になった榛名は島風の方を見て不安げにそう言った。目には狂気も無ければ喜びも無く、ただ恐怖一色しかなかった。
「榛名。君の実力はよくわかったけどそこまでやる必要はないんだよ」
「榛名は、大丈夫です……」
明らかに様子が大丈夫ではないが、呆然としている島風に対して榛名はもう一度言った。
「榛名は大丈夫です。だから、見捨てないでください。素手でクジラ型くらい殺せるようになります。解体もできるようになります。どんな敵にも負けないようになります。だから、榛名は大丈夫だから見捨てないで」
「大丈夫なんだね、榛名は」
島風は心の中でほくそ笑んだ。そっと近付き、自分より一回り背の高い榛名をそっと抱きしめる。
「大丈夫。私は榛名を見捨てないよ」
これは凄い逸材を見つけた。島風は確信した。手をそっと触れれば傷だらけで、骨もぐちゃぐちゃに骨折している。事が素人にもわかる。
この感情の強さが、榛名自身を強くするきっかけになる。
「島風……さん……」
「さあ、帰るよ」
涙で黒い返り血を洗い流す榛名の背を押して、島風は最後に残った天津風の所へ向かった。
天津風は素早かった。島風より、と言うほどでもないがクジラ型の砲撃を避け、攻撃を加える事には成功している。しかしそれで傷が付くのは表皮だけ。中までは傷がつかない。島風のように一撃で蹴り上げてひっくり返す事にも挑戦しているが失敗続きだ。天津風の集中力が切れてクジラ型の射線上を通り抜けようとした時だった。
島風はクジラ型の頭を蹴り砕いて機能を停止させた。
「天津風。なぜあなたは一人で戦ったの」
「え、え、えっと」
言葉に詰まる天津風に近付き、島風はそっと口を開いた。
「別に他の人に頼っても良かったんだよ。別に一人で一体殺せって言ってないしね。川内が先行したせいで誤解させちゃったかな。他の人に頼っても良いんだよ」
棒立ちしていた天津風は顔を赤らめながらとんでもない事を口走った。
「あんな、粗暴でバカそうで凶暴で精神不安定そうな人達には頼れません!」
言いたい事だけ吐き捨てると天津風は強襲艇へと走り去ってしまった。
「本格的に面接試験の必要性を訴える必要があるみたい」
一人で海上に取り残された島風は、沈みかけのクジラ型深海棲艦を蹴り上げて引きずりながら強襲艇へと向った。
フィードバックは上手くできそうにない、という判断の元、提督に丸投げする形にして島風は陸に帰ってからは深海棲艦の死体を研究棟の地下へと運ぶ手伝いをやっていた。
研究棟地下五階。
そこはドローンを壊したフロアよりも更に下。存在すら知らなかった場所だ。資材搬入用の大きなエレベーターに乗り込み、借りた鍵でボタンの下のパネルを開き、通常では押せない地下五階のボタンを押す。
クジラ型の死体、五体分と一緒に同じエレベーターに乗るのは気分のいい事ではなかったが、わがままを言っていい立場でもないので島風は従っていた。扉が閉まり、完全な密閉空間になった時に島風は榛名が語った恐怖を思い出した。
『原型留めていると、いつ動き出すかわからないし』
黒い死体袋に入れられているからわからないが、もしかしたら袋の中でこいつらは生きていて、開けた人間を殺す準備をしているのかもしれない。島風は神尾が砲口を向けられて怯える様子を思い浮かべながらほくそ笑んだ。
「でも、なんで深海棲艦は人間をピンポイントで襲うのかな。貨物船が襲われたって話は聞かないんだけどね」
『ニクい』
「え?」
死体袋から、声が聞こえた気がした。
『ニンゲンが、ニクい』
死体袋の一つから声が聞こえる。恐る恐る開いてみると、クジラ型の目がまだ淡い緑の光を放っていた。しかし、光は点滅していて今にも消えそうだった。
喋り出したのはよりにもよって、榛名がボコボコにしていた機体で、表層はミンチのようになっていたが、中身は即死級のダメージとまではいかなかったらしい。
眼球だけが島風を見て、クジラ型は声を絞り上げる。
『きみは、カミオがニクい?』
「さあね。私は仲間を殺した君たちが憎いよ」
島風は蚊でも握りつぶすように、クジラ型の半分露出した脳みそを握りつぶした。深海棲艦の体液で黒くなってしまった手袋を、嫌な顔をしながら外すと死体袋に突っ込んで何事も無かったかのように袋の口を閉じた。
「あいつら、喋れたんだ」
思い出したようにそう呟く頃にはエレベーターは地下五階へとたどり着いていた。一番手前の台車を後ろ向きになりながら引いて、白い廊下をひたすら目的の部屋まで進む。電車ごっこでもするかのように台車を五台鎖で繋げて持ってきているので非常に邪魔になる運び方だが、島風以外の職員が見当たらないので問題にはなっていない。
神尾の特別研究室の前に来ると、中から怒声が聞こえてきた。
「なんでこの事をあいつらに話さないんですか、ボス!」
明石の声だった。
何をやっているんだと溜息をつきたくなるのを我慢して、島風は扉を背中で押して中に入ろうとした時だった。
「必要がない。何故彼女達に話す必要がある?」
明石と会話していたのは神尾だった。冷静な、淡々とした声を前に島風は立ち止まり、事の顛末を聞届ける事にした。
別に話を聞いてからでも届けるのは遅くは無いと。
「もう事実が判明してから一ヶ月ですよ。確証をとる実験も行い、深海棲艦はバイオセルに侵食された生物の成れの果てだってわかった。それを当事者である艦娘に隠蔽するのは……言いたくないですが悪意が見えますよボス」
「教えてどうなる。当事者である君のように、取り乱すだけでは無いか。そもそも、君が話を打ち明けたいのだってただ単に仲間を増やして不安を紛らわせたいだけでは無いのかね? 不老を求めて子宮改造手術を行なった結果はどうだね? 不老の美女に、化け物じみた力を持った吸血鬼のような存在になれた感想は」
「感想も、何も。最悪の気分です。……それと、私が情報の公開の必要性を訴えているのは不意に情報が漏れた時に事態が収束できない恐れがあるからです。ボス、考え直してバイオセルの危険性を先に公開しておけば」
「危険性を先に伝えておけば、艦娘に志願する人間はいなくなるだろう」
「しかし……」
「少なくとも今の彼女達に伝えることでは無い。バイオセル生成炉を持った生物が死んだらバイオセルに体を乗っ取らるなんていう事実を知ってどうする? 君のように狼狽えるだけでは無いのかね」
声が出そうになるのを、手で口を塞いで無理やり黙らせた。
驚いて脳が追いつかない。
島風はなんとか耳だけでも声に集中させた。
「死んだら制御対象である脳を乗っ取り、そして身体そのものを生存と戦闘に特化した形に変化させる。外皮を黒く硬く。深海には豊富にある鉱物資源を取り込んで、砲台も弾薬も自由自在。そして、子宮を改造してバイオセル生成炉にしているため子を成す事は不可能だったが、死んでリミッターが外れて子宮や卵巣を『無い臓器』と判断して新たに臓器を『バイオセルで生成』 して、そこで繁殖を行う。産まれてきた子はバイオセル生成炉なんて無くても自然にバイオセルを産み出す。これが深海棲艦の正体で、君たちも将来死んだら敵だった深海棲艦を産み出す母胎になるんだよ、とは言えないだろう?」
「……どこまで隠すか、ですか」
「全てだ。こんな事が国にバレたらバイオセルはおしまいだ。バイオセルが破棄され、艦娘も鎮守府も廃棄される。そうなれば日本の海は新たな戦力を得る事なく、今まで以上の苦戦を強いられることになる。オープンにする事で誰も幸せになれないんだよ。わかるかい? 現政権には僕のことを疎く思っている連中もいるから損得関係無しに確実に潰しにくるのが政治屋の嫌なところだよまったく」
「でも柏木さんにも知られているじゃないですか」
「柏木は言わぬよ。仮に国に知れたら被験者である艦娘がどんな扱いを受けるかよく知っていると思うからね。艦娘の将来を第一に考えているような奴は国に密告するような事はしないさ」
塞いだ口から息が漏れる。酸素を求めるがそれ以上に、島風は今ここにいる事を知られたくは無かった。
死んだら深海棲艦になるとはなんだ。
死体の上がっていない金剛さん達は深海棲艦になってしまったのか。では遭遇した人型の深海棲艦はなんだったんだ。
先ほど持ってきた深海棲艦が喋れたのも、元は人間だったからなのか。
足元にある台車に乗せられた死体袋に自然と目がいく。先ほど握り潰した物体は、ただの深海棲艦の臓器なのか。それとも人の脳髄なのか。
『カミオがニクい?』
握りつぶした脳の感覚がまだ手に残っている。アレは、ここで実験台にされた名も顔も知らぬ艦娘の先輩の姿なのでは無いか。
疑問が湧いては脳の中で渦巻き、口から言葉と胃液が溢れ出しそうになる。
「今の僕たちに、今の鎮守府に必要なのは真実じゃなくて勝てる戦力だよ、明石くん。まずは勝てるようにする事。島風くんのようにバイオセルの生成量を上げる事で肉体の強化が図れる、という事実が判明したのはいい事だ。彼女は生きたまま経過観察をする必要があるだろうけどね」
疑問が怒りに変わるのに、そう時間はかからなかった。
真っ白になっていた島風の脳内は黒い憎悪のインクでとても単純な方程式を書き上げていく。
深海棲艦を産んだのは神尾源一郎だ。
なんでそんな奴がのうのうと生きているんだ。なんでそんな奴の命令で雪風は命を落とす羽目になったんだ。何故みんなこいつを慕っていたんだ。扉一つ挟んで向こう側にいるのは恩人では無い。
ただの、敵だ。
「バイオセルの暴走を止める手段は後々考えよう。今すぐできる事では無いからね。長い目で見ていこう」
「……わかりました」
神尾源一郎は深海棲艦を止める手段を持っていない。
つまり、今ここで殺してしまっても問題ないという事だ。
島風の脳ははっきりとした答えを出した。相手はただの人間。島風の蹴りを食らっても、一発顔面に拳を入れても、義足の仕込みを展開しても、即死するのは間違いない。島風の枷は無くなった。善意など無い。好意など無い。良心も恩も忠義も全てに勝る熱い怒りだけが島風を突き動かしていた。扉を押し開けようとした瞬間、彼女の声に止められた。
『ダメだよ、島風ちゃん』
それは袋の中から聞こえた声ではなかった。廊下のどこか、曲がり角の影の向こうに雪風がいるかのような錯覚を覚えるほどの幻聴だった。
「ゆ、雪風?」
『ダメだよ、島風ちゃん。今、じゃないよ』
ただの幻聴だということはわかっている。だが、それを追わずにはいられなかった。
右の角にその影が見えればそちらに行き、左の角に足音が聞こえればそこを曲がる。どんなに加速して追っても雪風には追いつけない。
「待って、雪風ちゃん。どうして私を、置いていくの!」
そして、このフロア唯一の出口であるエレベーター前に着いてしまった。
「雪風ちゃん……なんで私を生かしてくれたの。なんで、止めたの?」
その問いに誰も答えるはずもなく。答えがわかるはずもなく。開いた扉に吸い込まれるように島風はエレベーターへ乗り込んだ。
「遅かったな、島風」
どんなルートで提督室にたどり着いたか、島風はよく覚えていなかった。机に積み上がっている書類を確認し、パソコンとにらめっこをしていた柏木は島風がノックもせずに入って来たのにも関わらず嫌な顔をしなかった。
「どうした。そんなに慌てて」
「提督。聞いていないよ。艦娘が死んだら深海棲艦になるなんて」
柏木は顔色を曇らせると声のトーンを落とした。
「……神尾さんから言われたのか」
「ううん。盗み聞きしちゃった」
「俺が知っていたのは先日戦っていた人型深海棲艦のDNA鑑定の結果が過去にここで実験台にされていた人間のものと完全に一致した、っていうところまでだ」
「実際は、死んだら深海棲艦になる、って」
「バイオセルの暴走か。知っているか知らなかったか、で言うと知っていた。島風は『なんでその事を話さなかったか』って言う理由を聞きたいのか?」
「う、うん」
「理由は、こんな事を言ったらお前に怒られるかもしれないが。君たちを守るためだ。戦場に出る人間に、君は死んだら敵に体をいじくりまわされた挙句敵兵として我々と戦う、なんて言った日にはその日から全員精神病棟送りになる危険性もあった。神尾さんがその辺の事情に詳しいのか疎いのか無知なのかは知らないけれど、実際、戦場に出て戦いの極限状態に陥った人間は『そういった』妄想に取り憑かれて発狂するケースが多い。PTSDという障害だ。……精神を病むと、通常の生活を送ることは難しい」
「私は、なんともないよ。それなのに提督や神尾さんの一存で情報を秘匿するのは……」
「島風、お前気付いているか」
提督は普段見せていた哀しい目をしていた。椅子から立ち上がり、島風に歩み寄りながら囁いた。
「なんでなんともない奴が、目から涙を流しているんだよ」
そしてそのまま大きな体で小さな島風を包み込むように抱きしめた。
「怖い時や悲しい時は泣いても良いんだよ。島風、お前この連続した忙しさの中でろくに感傷に浸る暇すら無かったんじゃないか? 良いんだよ。そのくらいの時間はあるし、今はどうしようもない後輩はいない。時には年上のおっさんを手ぬぐい代わりに使ってもいいんだよ」
「うぇっ……ひぐっ……提督……雪風ちゃんがね、……」
深海棲艦が語りかけて来たことも、神尾と明石の秘密の会話も、雪風の幻聴も。全部全部島風は柏木へ涙と鼻水と一緒にぶちまけた。島風は柏木の胸の中でようやくただの少女に戻ることができた。
「雪風か。きっとお前に自暴自棄になって欲しく無かったんだろうな。自暴自棄になって繋いだ未来を消して欲しく無かったんだよ。ほら、前にも俺は言っただろ。艦娘をやめた後のことも考えろよ、って。島風、艦娘をやめたら何をやるか考えたか?」
永らく忘れていた。
復讐に脳髄を支配され、そのためだけに魂を燃やし、力を磨き続けていて復讐の後、艦娘を辞めた後どうするかなんて考えていなかった。
ふと、脚に目を落とす。そこには島風が誇った右足は存在しない代わりに、雪風が遺してくれた命があった。
「旅」
雪風は言っていた。旅行がしたいと。足一本でもできる事はあると。一本も残っているなら歩けると、雪風が語っていた事を思い出した。
「旅行がしたい。見聞を広めて色んなものに触れたい。歩きたい。足は一本無いけど、一本でも残っているならその足で各地を歩きたい」
「いいじゃないか。行ってみろ、いろんなところに」
「うん……提督、歌ってよ。前を向いて歩こう、ってやつ。私、あれ好きだよ」
駄々をこねる娘を前にした父親のような優しい笑みを浮かべた。
「そう言えば、まだ歌ってあげていなかったな。アレは雪風が初めて来た日だよ。夜泣きがひどくてな。寝付くまで歌ってあげたのが最初だ」
柏木は椅子を後ろに下げて、座るか、と無言で問いかけた。島風はブラックホールに吸い込まれるように開いた膝の上にずっしりと腰掛けた。
「うっ……思いの外重いな」
「てーとく。女の子に重いなんて言っちゃダメなんだよ」
「ははは。ごめんごめん」
島風が膝の上にいい感じに収まるのを確認すると、柏木は澄んだ音色の口笛を吹いて前奏を奏でた。
「前をむーいて、あーるこーよ。涙が、溢れーてもいいじゃーなぁい」
本来ならば章と章の間に神尾の手記が入りますが、そこは購入者特典という事にしています。