とらんあんぐる組曲 ~もう一度、あの歌を~   作:レトロ騎士

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Chapter5 『The blade kisses their souls.』


第五章 「剣士の想いは、刃で語れ」①

         ◇

 夕暮れに染まる海鳴の街は、そこにある全ての存在の影を長くして、その美しさを誇示していた。

 青年は、その光景に夢のようなまどろみを感じながら、同時にこれは全て夢なのではないだろうか、とアスファルトに靴音を鳴らしながら思っていた。

 確かに全てのものがリアルで、自分の感覚も普段と何も変わらない。だが、それすらも夢の中の自分だからこそ、そう思うのであり、目覚めてしまえばなんてことの無いことかもしれない。

 だが、それを確認するすべは、その夢が覚めない限りは不可能だ。

 そして、もしこれが全て現実だとすれば――

 

「父さん……」

 

 腰につけた巾着を握る。

 うっすらと光っているであろうそれも、赤い太陽に晒されて、その光は見えなかった。

 

 

『君が言ったように、君のお父さんと会わせるためにその石が力を使っているのだとしたら――もとの世界に戻る方法は二つ。今の君をこの世界に繋ぎ止めている石の力が尽きるのをまつか、石の目的である父君と君が会うか。

 たださっきも言うたとおり、この事象が終わるときは、次の2パターンであることは覚えておいてほしい。①過去を改変せず石の力が尽きて何事もなく元の世界に戻る、②過去を変え世界が再構成されることで『今の君がなかったことになる』、そのどちらかじゃ。

 ……すまんが、正直なところウチもはっきりとはいえん。曽祖父様に聞いたことからの推測にしかすぎんから』

 

 

 薫はそう言っていた。

 今、自分が歩いているこの世界。もし、これが本当に過去の世界なら――恭也の進むべき場所は一つだった。

 商店街から住宅街へ繋がる坂道を登る疲労感は、その一歩一歩が時を遡る重さを彼に与えているようだった。

 そして、それは見えてくる。

 

「俺の……家」

 

 大きな木造の建物と、広い庭。塀の向こうに道場が見える。薄らいだ記憶を思い出せば、この日は身重の桃子が二三日病院で検査を受け、それに合わせて、この時代の自分は知り合いの合気道の師範に、泊り込みで指導を受けていたはずである。確か美由希は――自分について来ていた。だから、家にいるのは――士郎だけのはずだ。

 この門をくぐれば、父はいるのだろうか。

 期待と共に、不安も増大する。恭也は戸惑い、門の前でただじっとそれを見つめていた。

 

「なあ、君」

 

 真後ろから、声がかけられる。

 

 気配は感じなかった。恭也は――声を聞いた瞬間、死角を取られているにもかかわらず動けなかった。

 体が鉛のように重い。回そうとする首が、錆付いた歯車のようにぎしぎしと鳴った。

 なぜなら――

 

「俺ん家に、何か用かい」

 

 振り向いた先にいた人物――その声の主は、間違い無く恭也の父、士郎のものだった。

 

 声が、でなかった。

 頭が何もかも真っ白になった。

 恭也はこらえようとしたが、涙が一筋だけ流れ、それ以上を許さないために唇を噛んだ。

 その胸に飛び込みたかった。全てを語りたかった。でも、今何かをしようとすれば、きっと涙が止まらなくなる。だから――

 

「お、おい。どうした!」

 

 恭也は父に背を向けて、全力でその場から駆け出した。

 

 

 

 

         ◇

 

(俺は、いったい何をしている……)

 

 数百メートル走ったところで、今ではもう無くなってしまったはずの無人駐車場に入り、止まらない涙を拭う事も無く呼吸を整えていた。

 頭の混乱が、少しづつでがあるがおさまっていく。

 士郎の声、顔、雰囲気。全てが恭也の思い出に残されたものと同じだった。

 間違い無く、士郎はこの『時』を生きていた。

 

「じゃあ、あの悪夢を、変えられるのか?」

 

 家族全員が悲しみにくれる事となる士郎の死。

 一週間後には、最後の仕事となる、父の親友アルバートの護衛に旅立つ士郎。護衛を止めろという説得は不可能でも、病院にいるであろう身重の桃子や、子供の自分や美由希をさらって脅迫すれば、士郎どころかあのやさしいアルバートが予定を変更するかもしれない。そうなれば、フィアッセが狙われることも無くなり、全員が無事に済む可能性が生まれる。

 

「そうだ、そうすれば父さんの死ななかったその世界が継続される!……されて――されて、俺と、俺のいた世界が消える?」

 

 薫の言った推測が正しければ――そういうことになる。

 そうなれば確かに、士郎のいる未来が生まれるのだろう。だが同時に、士郎がいないことで生まれた出会い、感情、思い出を全て失うことになる。

 

「美由希……」

 

 愛しい人の名前。

 一年前までは、想像だにしなかった想い。

 いなくなった父の変わりになろうと、それこそ自分の全てを注いで、だからこそ生まれたこの感情。そして、彼女を見つめてきたのが恭也自身だったからこそ、美由希はその思いに答えてくれたのだと、彼は思う。

 言葉でそれを確かめ合い、数えることを止めてしまうくらい肌を重ねてきた。何があっても、守ろうとしていた存在。

 それが――無くなる。

 

「……できない……できない、できない!それが俺の我侭なんだとしても、そんなことはできない!」

 

 彼女が死ぬわけではない。ただ、今の関係が失われ――無かったことになる。

 彼女も自分も別の誰かを好きになっているかもしれないし、そうだとしても、それはそれで幸せを感じているだろう。

 その世界の恭也も、それを不思議がることなく当然のように受け入れているのだろう。

 

「でも……俺はもう知ってしまった。美由希が俺だけにくれる言葉も、あいつの唇の柔らかさも、肌の暖かさも!」

 

 ガッ、とはっきりとした音が聞こえるほどに、拳をブロック壁に叩きつける。 

 

「どんなに罵倒され、さげすまれたって、俺はあいつと居たいと願ったんだ……」

 

 

 ガッ!

 

「何で悩むんだよ、俺は……父さんを見捨てることになるのに……。あんなにも、何もできなかった自分を罵ったっていうのに!」

 

 拳は、血に塗れていた。その痛みが、これがあくまでも現実だという証のようで、どうしようもなくやるせなかった。

 

「どうしたらいい……。俺は、どうすれば……いいんだ……」

 

 力が抜けて、崩れるようにひざまずき、壁に爪を立てる。

 

「誰でもいい…何でもいいから……俺を助けてくれ……」

 

 恭也は、生まれて始めて、見えない何かにすがって嗚咽を漏らした。

 

 

 

 

         ◇

 

 朝は、ただの夢かも知れないこの世界にもやってきた。

 結局、恭也はその無人駐車場の軒先で一夜を過ごし、太陽が昇る前の暗いうちに目を覚ました。

 涙の後は薄く塩が付いていたが、負傷したはずの手は、思いのほか早くその傷跡を消しかかっていた。軽い空腹感は合ったが、一日飲まず食わずにいた割には感じなかった。本来あるべき排便の気配も、たいしたことはない。

 まあ、霊玉にこんな非常識なことを起こす力があるんだから、そのぐらいは大した事ではないのだろうと、なんとなく納得する。

 工事用に付けたと思われる水道で顔を洗い、タオルが無いので獣のように顔を振って水気を取る。

 濡れた皮膚にあたる空気が、冷たくて気持ちがよかった。

 

「よし……行くか」

 

 恭也は、その眼差しを高町家の方向に向ける。

 彼の決意は、哀しくも固かった。

 

 

         ◇

 高町家に着く。まだ薄暗い早朝のためか、ここに来るまで誰一人としてすれ違うことが無かった。時刻は、自分の経験から、四時を少し回った頃だろうと判断する。

 人の気配の薄いこの時間にも、士郎はいつも通り庭か道場で剣の鍛錬をしているだろう。

 

「あれ……」

 

 恭也は、ふと自分の家の前でうろつく三十歳前後の女性の姿を見つける。ウェーブのかかった黒髪と、少し釣りあがった目が印象的だった。

 その女性は、少しだけ奇抜なファッションをしていたが、元々そのようなことを気にしない恭也は、ただ彼女の行動だけを奇異の目で見た。

 門の前で何かを考えるように行ったり来たりしながらも、中の様子が気になるらしく背伸びをして壁の中を覗こうとしていた。

 

「あの……どうしました?」

「!……あ、えーと……ここのうちの人?」

 

 その人物は、不意の声に一瞬体を震わせた。

 思わず声をかけたのはいいが、青年はそう返されて返答に困る。まさか、ここに住んでいる人物の未来の姿です、と言うわけにもいかないだろう。

 

「あ……いや、違いますが、俺もこの家の人に会いに来たので」

「そう……ごめんなさい。あたしはなんでもないの。ただちょっと、この家の木々が綺麗だな、と思って――」

 

 そう言うと――彼女はきびすを返して走っていった。

 恭也はその姿を呆然と見送り、

 

「誰だろう……見たこと無い人なのに、なぜか懐かしい気がする……」

 

 不思議な感覚に、少し戸惑っていた。

 だが、今はやるべきことがある。そう言うことを気にしている暇は無かった。

 恭也は、大きく深呼吸をして、呼び鈴を押した。

 

 

 

 

         ◇

「で、俺に何の用かな」

 

 案内されたリビングで――といっても案内される必要は何も無かったのだが――その男、士郎は恭也の正面に座った。

 あれだけ心の準備をしたにもかかわらず涙を流しそうになるが、彼はなんとかそれを押しやる事に成功し、昨日の決意を告げる。それは、少し震えた声だった。だが、その意思は確かに士郎に届いた。

 

「いいだろう……君が何者かは知らんが、生半可な思いではなさそうだ」

 

 士郎は頷いた。そして、立ちあがる。恭也が昨日、苦悩の末に選んだ結論に答えるために。

 それは――

 

「君の挑戦を受けよう」

 

 生涯最後となる、父との仕合。それを、別れの儀とする事だった。

 

 

 




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