とらんあんぐる組曲 作:レトロ騎士
◇
那美が泣いていた。
何が悲しいというのではなく、おそらく酷い混乱から来るものが強かったのだろう。
考えれば考えるほど、最悪のケースしか思いつかず、不安と恐怖が思考をとめていた。
TVのニュースによって伝えられた凶報。
久遠が消えた数時間後、突如聞こえた雷鳴は、海鳴市内の某所の神社にて起きた「落雷事故」のものだった。
被害者は二名。どちらも、神社の関係者のものだ。
「那美、少し休むか?」
耕介が言うと、彼女はただ首を横に振り提案を拒否する。
コチコチと刻む時計の針が、妙にわずらわしく感じられる。時刻は午後十時。事件発生から四時間後の事である。
さざなみ寮のリビングルームに、耕介、那美、リスティ、真雪、恭也、美由希、そして霊剣の十六夜という、おそらく高町家、さざなみ両グループの戦闘要員がそろい、顔をつき合わせている。
他の主だった寮生は、師走の忙しさに追われそれぞれの用で外に出ていた。また残った連中も、耕介に言われて部屋にいる。
高町家といえば、蓮飛と晶も参戦しようと訴えていたが、恭也の、
「足手まといだ」
という一言に、黙ってしまった。
あいかわらず歯に衣着せぬ、きつい恭也の物言いだが、その直後、
「二人とも、家を守ってくれ」
と続けたあたり、彼の独特のやさしさが見える。
問題は――なのはだった。
まだ事件の事を知らされてはいないが、久遠と毎日のように遊んでいる彼女をごまかし続けるのは困難を極める。TVのニュースを見てしまったら、子供とはいえ賢いあの子のことである。気付かれるのも時間の問題だった。とりあえずフィアッセや母の桃子に言いくるめを頼み、恭也たちはここに抜け出すようにやってきていた。
「…それで、どうするんだい?」
口火を切ったのは、銀髪の女性、リスティである。ヘビースモーカーの彼女だが、さすがに今の空気に押されて、タバコに火を付けず咥えているだけだった。
言い方が薫と同じだった事に苦笑しつつ、
「どうもこうもないさ。真犯人を捕らえるだけだ」
きわめて簡素に、耕介は答えた。
「……久遠を信用するってことかい?」
真雪が口で器用に煙草を動かしながら、少しにらむように言った。
「あたしゃ、神咲の家のことは知らんし、久遠を助けたいのは当然だ。はっきり言っちまえば、どこぞの顔も知らん被害者なんぞよりは、久遠のほうが大事だよ。だが――いいのかい?」
彼女は、あえて最後を濁すように聞く。しかし、それはこの場にいるものの総意であるに違いない。
結局――全員が久遠を助けたいという事、同時に、久遠が犯人である可能性が拭えないという危惧。そして犯人であるのなら、久遠はもうここに入られなくなる事も――。
「いや、久遠は犯人じゃない」
発言者は、意外にも恭也だった。
彼にしては珍しく、対面した人ではなくどこか遠くをぼんやりと見つめるように思案しながら、言葉を続けた。
「物的証拠はないが――状況証拠なら、山ほどある」
それに対して、真雪はというと意地が悪そうに――揶揄ではなく、彼女の癖である――笑うと、
「へぇ……堅物青年。あたしはむしろ、状況証拠から久遠が犯人である可能性を捨てきれないということだと思ってたんだが、どういうことだい?」
「……まず、動機がない」
「あん? そんなのは例のボウヤを神仏関係者に殺された恨みとやらじゃないんか?実際、過去にそういう行動をとってたんだろ?」
過去に起きた悲しい事件。久遠の恋人といってもいい少年が、人間たちにより、殺された。
そして、そのとき少年を殺すために動いたのが、とある神社の神主だった。
その復讐の念にとらわれた当時の久遠は、その神主の着ていた服を見ると逆上、復讐するという狂気にとらわれていたのである。
その事件のことを、真雪は言っているのだろう。
「恨みはあるかもしれない。たしかに、一度生まれた憎しみがゼロになることなんて決してないと思う。だが、記憶の封印がとかれて、事実を受け止めつつも暴走をやめたのは、久遠自身だ。復讐する気なら、なんでいままで行動を起こさなかったんだ?」
「……ふむ」
なるほど。それは確かに、と思う。
前回の「暴走」は、久遠の封印されていた記憶が蘇り、忘れていた憎悪を思い出したからだ。
だが、今は?
久遠は、自分の中の憎悪をしり、そのうえで大切な人たちとの絆によって、「人間」を恨むこと、危害を加えることをやめたのだ。
それが今になってまた再燃したというのは、さすがに不自然すぎる。
「二つ目、久遠が犯人であるなら、何故ここまでわかりやすい行動をしておきながら、自分は犯人ではないといったのか。雷を使わず、単に爪やそこいらの石とかで殺してしまえば疑いは自分以外にも向かう。だがどの事件も、私がやりましたといわんばかりに、雷を落としてる。初めから俺達と戦おうとしているのならともかく、あれだけ派手に行動を起こして偽証する意味がない」
「……」
久遠は狐だ。だが、きわめて賢い「妖狐」だ。
もし耕介たちを騙そうとするのであれば、拙いながらももっと行動を取り繕うはずである。
「そして三つ目――。なんで、事件の発生場所がどんどん海鳴に近づいてくるのか、ということだ」
そこで、耕介と十六夜を除くほぼ全員が、同時にめんを食らったように息に詰まる。耕介がテレビの横の本棚から、一冊の地図を出し、机において恭也を促した。
「いいですか?耕介さんから聞いた話によれば、最初の発生はここ――耕介さんたちが帰郷していた時とほぼ同時期――鹿児島です。そして、次がここ。その次がーー」
たしかに――恭也の言うとおり、謎の落雷事故の発生箇所は件数が増すにつれ北上し、台風のようにコースを造った。
「5日前おきた事件が二つ隣の町。そして今日――あきらかに、意図を持って動いていると考えられませんか?」
静まり返るリビング。理路整然と語る彼の横で、惚れ直したといわんばかりに、美由希が青年を見つめていた。
隣に座するリスティが、ちらりとそんな彼女を見たあと、少しだけさめた表情で、
「恭也。だがそれは犯人が久遠でない証明にはならないと思うけど――言っておくが、久遠はその気になれば数時間もあれば大阪辺りまで行けるはず。鹿児島での滞在期間を考えれば、犯行時間との時間的アリバイは成り立たない」
問う。
もちろんリスティも、久遠が犯人であって欲しいわけではない。だが、リスティは、特殊警察とはいえ公僕である以上、私的感情を交えてしまうわけには行かない。
早い話――彼女も、確証が欲しいのだ。曖昧な、身内感情的な馴れ合いでの保留措置ではなく、明確に久遠の無実を立証する何かを。
まるで裁判所のような問答に、恭也はそれなりに様になった様子で――大きく頷く。そして、答えた。
「ええ、ですが、久遠が犯人だとすれば、普通は逆――つまり、犯行現場が海鳴から遠ざかっていくものではありませんか?」
「確かに。……だけどまて、それは単なるフェイクと考えられないか?疑われないためにそうしてる、ってわけで……。あとは、初めはばれないように遠くで犯行に及んでいたのが、慣れてきて手近になってきたとか――」
「リスティさん、俺が言った疑問の二つ目――忘れましたか?久遠が犯人なら、別にそんな回りくどいことしなくても、偽装は可能なんです。それに、最初の鹿児島の事件だけ久遠がいた場所と重なっている、つまり、久遠にとっては一番疑われる位置での犯行です。帰ってきた後も続けたとすれば、当然犯行現場は、海鳴の町から広がらなくてはおかしいんです」
「……なるほど。整理してみれば、動機も犯行方法も繋がっているようで、お互いの意味が矛盾しあってるんだな。そして片方で久遠が犯人であることをアピールしているのに、もう片方ではそれを否定するかのようなアピールになっている。しかし、それでも久遠の無実が証明されたわけじゃないよ?」
「はい。久遠の無実を証明する事はできません。ですが、この条件で『久遠が犯人である』という説より、もっと簡単に考えられることがあります」
「?」
恭也は、これから自分が言う事をもう一度確かめるように、頭の中で台詞を反芻した。
そして、それが間違い出ないことを確信したようすで、
「別の『誰か』が、久遠を追ってきている。久遠に自分の存在をアピールしながら、ね。そして久遠はその『誰か』と何らかの関わりを持っている。そう考えれば、全て納得がいきます」
「そうか…だから、物的証拠はなくとも状況証拠があるって言ったのか」
今まで黙ってリスティと恭也のやり取りを見ていた真雪が、大きく紫煙を吐き出して――(いつの間にか点けていたらしい)頷いた。
「そう、これはあくまで推論です。しかし、久遠が犯人だというのも推論でしかない」
「となれば、どちらがより可能性が高いか、か。あたしらの久遠に対する甘さを差っ引いても、恭也の方が正しい……とは言わないまでも、有力な気がするね。多少の無理はあるけど、久遠が犯人だ、というよりは自然に思える。だけど、それが他の連中に通用するか?」
特にコイツ等だ、と彼女は銀髪の女性に煙を吹きかける。
リスティはとりたて怒った様子もなく、ふん、とそれをやり過ごした。
「真雪、確かにうち(特殊警察関連)が、久遠が犯人だという説を取りやめるとは思わないけど、今の話をまったく聞かないほど愚かじゃないよ。……まあそれでも久遠を有力視するだろうけど。現時点で想像でしかない犯人像を操作するより、浮かび上がっている容疑者を取り調べたほうが効率いいだろうし」
「まあな、それに根本的に久遠がこの件に関わっている事は間違いないんだ。じゃなきゃ、久遠はそもそも逃げる必要なんてないんだから」
そこで、耕介が立ち上がった。
その動作はおそらく無意識の事なのだろうが、全員の注目を集めるという効果は十分にある。
「よし、とりあえず俺は事件の詳しい調査をしてみる。妖怪がらみであることは間違いなさそうだしな。リスティは、警察のほうに今の見解を伝えてくれ。真雪さんは……」
「いいさ。どうせあたしは役に立てんしね。ま、ここの警護くらいはするよ」
耕介が頷く。そして恭也たちを見て――
「ほんとは、君達を巻き込みたくはないんだが――言っても無駄だろ?」
苦笑交じりに言った。
彼らはあえて答えず、脇の愛刀をかちゃりと鳴らし、唇を曲げた。
危ないからという理由で引き下がる二人ではない。それに、下手に勝手に動かれるより、行動を把握できたほうが安全ですらあると判断して、耕介は彼らに協力を仰ぐ。
他のメンバーもそれは理解しているのか、誰も口を挟まなかった。
「君達はこの辺りで久遠を探してほしい。そして――那美」
びくん、と、不意に名を呼ばれた少女が顔を上げる。初めは泣いていた彼女だったが、半ば放心していたように今までのやり取りを見ていたのだ。
「わ、私も久遠を探します!」
「いや――君はここに残れ」
がた、と大仰に立ち上がった。
「何故ですか?私は久遠の親友なのに――」
「調べてもらいたい事がある。過去の神咲の歴史での妖狐の記述で関連性があるものを全て」
「……はい」
かなり不満そうではあったが――静かに答えて再び椅子に沈んだ。
耕介は自分に仕事を命じたが、それはただの理由付けであり言外に足手まといは付いてくるなと言っていると思えたからだ。
だが、そんな那美を耕介は少し見据えた後、静かに言葉を継げる。
「……那美、久遠が犯人だと思うか?」
唐突に言われて、少女は義兄の顔を仰ぐ。
たしかに、さっきの部屋での一件のときは、そうかもしれないと思った。だから、思考をとめて泣きじゃくったのだから。
だけど、今は――
横に、首を振った。
耕介が微笑む。
「なら、信じてまっててやれ。久遠は、帰ってくると言ったんだ。そのときおまえがいなきゃ、久遠が寂しがる」
大きな手で、ぽすん、と那美の頭をなでる。
にか、と、誰もが安心するような笑顔で。
那美は、この人が兄になった事を、心から誇らしく思った。
周りの一同も、義妹に慈しみの目を送り、頭を撫でている耕介を、優しく見守った。
この大柄の青年が、他人の心を繊細に思えるすばらしい人間であると、改めて自覚する。
そして、そのとき一同は、十六夜を除く全員が一つの事を考えたのだ。
『これで、アレさえなければ……』
と。
何故なら――
彼の着ているセーターの上にかけられているエプロン。
そこには大きく、
『十六夜 LOVE』
と、刺繍がしてあったからである。
◇
「ちょっとまった堅物青年」
それぞれの行うべき仕事に移りかけたそのとき、周りに人が少なくなった事を確認し、恭也に声をかけたのは、あいかわらず眠い目をした真雪である。
なんですか、と一人反応すると手をとられ、さらに人気のない風呂場の前まで連れて行かれる。そして、ニタリと笑った。
「さっきしゃべった君の推理な――あれ、耕介の描いたシナリオだろ」
「な――!」
驚く恭也に、くっくっくと下卑た笑いをする。
「どうせ、神咲の当代の意見だとムリヤリかばっているように見られるから、第三者の意見としてリスティに伝えさせたわけだ。ま、実際は心が読めるあいつを騙せるわけじゃないから、あくまで『神咲に関係のない人物の意見があった』という、既成事実を作るために。――違う?」
答えない。ただ無言で固まっていた。
なんだってこの人は、こう嘘を見破るのが得意なんだろう、と、恭也はそら恐ろしくなる。
「違うよ。耕介も恭也も嘘が下手なだけだ」
聞いてもいない心の発言に答えられ、それは絶対に嘘だ、と思った。
シリーズ完結まであと3、4章くらい?