久遠は叫んでいた。
叫び声は相手に届いたのか――判らない。
いつの間にか降り出した雨は強くなり、その五つの尾の熱を奪っている。
雪であれば、まだ暖が取れたかもしれない。激しく吹き連ねていく水滴が、いやおう無しに彼女の体力を蝕んでいた。
季節外れの雷鳴が鳴る。
深夜に、閃光が暗闇を割った。
それは、廊下にかけられた鳩時計が十二回鳴らすうちの、一番始めの鐘が鳴った時だった。
ざぁざぁと降り続けている豪雨が周囲の騒音を消す中で、高らかに響いた雷の音。ごろごろという余韻が、鳩の声と重なっていた。
その瞬間、今まで眠っていたかのように椅子に寄りかかっていた彼が、はじき出されたように飛び起きて、傍らの黒鞘の剣をつかんだ。
「十六夜!」
「はい!」
十六夜は彼の一言で全てを理解したように、迷いなく応じる。
己の体を刀身に移し、耕介の手に委ねる。
その瞬間、耕介の雰囲気が包み込むような柔和さから、戦う者の――猛者のそれへと変わった。ガラス戸の横に引っ掛けられていたコートを纏う。
その一連の彼の動作を驚愕の眼差しで見ていたのは、さざなみ寮に泊り込む予定でリビングにいた、恭也である。
何度か修練の一環として彼と剣を合わせたことはあるが、そのときの耕介とは動きが明らかに違う。動作に無駄がないとか、力強いとか、そういうことではなく、根本的な『質』というべき違いだ。
なにしろ、今彼が羽織った外套が、鎧の趣すら思わせるのだ。
そのくせ、この男に侍の気配など微塵も感じない。
彼の身に着けるありとあらゆるものが彼を守るような――そういう感覚を感じさせる。極めて純粋に、『戦う人』なのだと思う。
――ああ、やっとわかった。この人と戦うとき、俺が感じていた恐怖感が。
恭也は思う。
まだ見ぬ耕介の実力。きっと、本気の耕介と本気の自分が戦ったら、十中八、九…いや、それ以上の確率で、自分は彼を「殺す」事ができる。
でも、多分それだけだ。『殺す』ことはできても、『倒す』ことはできない。
殺すというのは、ただ彼の存在をこの世から無くすということだ。
彼の目的、彼の意思を止めることは出来ない。
たとえ、実力で勝る自分が、もしくは他の誰かが、彼を追い詰めても、いざ彼自身の、もしくは彼の家族――愛するもの全て――を奪おうとすれば、耕介が死んだとしても、その加害者の命はなくなるだろう。
いってみれば、彼は存在そのものが爆弾のような物だ。
使えば身の破滅。だが、大切なもののためにそれを行使する決意。そうしたものを、耕介という青年は持ち合わせている。
そこまでの思考は、時間にすれば一瞬だった。はっ、と恭也が考察から観察へと脳を切り替えたとき、耕介は、玄関からではなくリビングのガラス戸から直接外に躍り出ていた。
大粒の水が、開かれたドアから寮内へと吹き込み、風が机の上に置かれた新聞やかけられたカレンダーを、狂乱の舞踏へと誘う。
「耕介!?」
「必ず戻る!」
一言、真雪に答える。
寺子たちは、みなそれぞれの場所で床に就き始めただろう。リスティは、気になることがある、と署に戻った。そこにいたのは、真雪、愛といった数名の寮生だけ。
あまりの唐突さに、彼女達はあっけに取られ、誰一人として事態を飲み込めず、ただ去りゆく彼の背を目で追うだけだった。
庭を横切る過程で、耕介は一度だけ顔を頭上に向ける。
おそらくは、今のこの事態に気付かず、もくもくと文献を調べているであろう那美の部屋をみた。
そして、前を見据える。駆け出した足が、いつになく速い速度で回転し、宵闇の海鳴の街を駆け抜けていた。
ぱしゃぱしゃとはねる水音が――いつしか重なる。
「あの方角――茅場町ですね」
いつの間にか耕介の横を並んで走る青年、恭也と、
「サポートします、耕介さん」
もうひとつの水音、恭也の義妹、美由希。
耕介は僅かに困った顔を見せたが、彼らがこの件に関わった時点で、こうなることは八割ほど覚悟はしていた。
たしかに、特異な霊力は持たない二人である。
だが、今回は『霊』ではなく、『妖』だ。彼らの卓越した殺人剣術は、決して邪魔にはならない。
そしてなにより、彼らは自らの「弱さ」を把握できるほど、「強い」。
己に対処できないと判断すれば、無意味な特攻はせず、その時できる最善の策をとってくれるだろう。
足手まといにならない、最も重要な事。それは単純に戦力になる、という事ではない。自分の身を自分で守る、逃げられる、ということだ。
それさえできれば、どんな矮小な戦力といえど、プラスになる。
もっとも――(この場合、肉体的、物理的な面で言えば、彼らのほうが圧倒的に高いんだけど。)と、耕介はいくぶん皮肉めいた事を考えていた。
「俺も無理はしない。だから、君達も無理をするな」
それは、言葉どおりの意味ではない。
いうなれば、それは契約。
自分が無理をすれば、この二人も無理をする。
また、その逆も然り。
お互いがお互いの存在を人質にするという、奇妙な約束をここで取り付けていた。
兄妹が頷く。普通ならありえないほどの実戦を経験してきた二人には、その真意は痛いほどわかるはずだ。
傘もささず走る三人。
雨粒は激しく彼らを叩くが、行われることが明らかな戦闘を前に高揚した体に、直に蒸気に変わる。
二人の一歩前で走り続けていた耕介が、その歩みをいっそう速めた。
彼らが駆ける道路の直線状に、大きな雑木林が見える。
林、といっても、その姿は昼間であっても光を完全に通さないほど深い。森というには大げさであるが、林というほど軽くない。そういう場所だ。
落雷が、もう一度。
轟音と共に光が、その林の一角へと吸い込まれていく。
「あそこだ――」
走り出してから、わずか20分足らず。
たったそれだけの距離の場所に、真実は待っている。その真実が、彼らにとってよいものかどうかは……まだわからない。
◇
焦げるような匂いがあった。
林の中のその場所は、何かに抉られたように無残に木々が朽ちている。
だが、問題のモノはそれではない。その中に立つ者である。久遠――ではない。
「なんで、こんなとこに男の子が……」
美由希の呟き通り、そこには一人の少年が立っている。少年と言っても、蓮飛や晶より大人びてはいたが、どことなく素朴な情緒感のある雰囲気を感じたのだ。少年は目の焦点が合っておらず、ショックで放心しているように思えた。
「耕介さん、あの子を早くここから逃がさないと……耕介さん?」
恭也ではなく彼に声をかけたのは、今のこの三人で彼になんとなくリーダー的なものを感じていたからだが、頼るべき彼は、「ありえない」といったように驚愕の表情を見せていた。カタカタと震えている手にした十六夜は、宿る十六夜ではなく彼の動揺からきているらしく、肩から流れるように振動が伝わっている。
「……恭ちゃ…」
どうするべきか、師である恭也のほうにも指示を仰ぐが――
「…ばかな」
耕介と同じように、彼もまた目を見開いていた。
『なぜ、あの子がここにいる?』
二人がほぼ同時に、そういった内容の言葉を発する。
それは、先ほどの美由希の疑問に近い言葉だが、その意味がまるで違う事は、彼らの顔が物語っていた。
何が違う?と、美由希は考える。
自分は先ほど、「ここに男の子がいる違和感」を宣した。
だが彼らは今――「『彼』がここにいる違和感」を宣したのだ。
「……知ってるの?あの男の子」
美由希が問うと義兄は少年から目を放さないまま頷く。
「弥太……だ」
「やた?」
義兄の言葉に、オウム返す。
「ああ……耕介さんも知ってるんですね?」
「俺が神咲の名に移った頃ね。久遠と知り合って一年目くらいに――見せられたよ。君は――そうか、久遠の例のときか…」
久遠と、弥太におきた、悲しいあの「事件」。それを、二人は久遠の記憶として、見せられたことがあった。
「ええ……」
頷きあう。のけ者にされた美由希だけが不満げであるが、今それを問い詰めるほど愚かではない。
「――!」
ずいっと…少年が耕介たちのほうを向く。そして、ゆっくりと歩き出した。彼らのほうへ。
敵であるとは思えない、思いたくないが――
「耕介様……」
「ああ、判っている十六夜。どうやら、久遠が関連している事だけは、間違いなさそうだ…二人とも、気をつけろ」
釈迦に説法かもしれないが、いちばん事情を知る耕介が警戒をするという事実を、二人に知ってもらうという意味合いも兼ねる。
三人が構える。
「ねえ……」
弥太が、声をかけた。
「あなたたちも、久遠を僕から引き離すんですか?」
ぞっとするほど、冷たい声で。
「な、に?」
耕介がどもった拍子に――
るぉう、と雄たけびのような発声。その瞬間――
「あはははははははははははははは!」
狂ったような――いや、間違いなく狂気の笑い声。
少年の体に雷光が宿る。収束した雷は、ばちばちという俗な音ではなく、ちいいいい、といういう振動音に近い。
ふっと彼の姿がかすみ、微かに空気が揺れる。耕介達は、彼が視界から逃した事に驚愕する間もなく、
「――消えてください」
その背後から、少年の声。
三人は振り向かない。その行為が、間違いなく己の死に繋がると直感して。
全員が、転がるように前に飛びのくと、彼らのいた場所を紫電の波がよぎった。
「あれ?はずれた…」
不思議そうに、自分の手を見る。あどけない仕草のそれには、殺意も何も感じられない。ただ、なんとなく…そんな無責任な感情だけだった。
「…冗談じゃないぞ」
つう…っと、耕介のほほを冷や汗が流れた。
先の少年の動きに、目が完全に追いついていない。目だけに頼った戦い方はしていないが、そも、目で追えない相手を別の感覚で同じように捉えるというのは、基本的に不可能である。視覚を誤魔化す戦いには、別感覚で戦う事も重要だが、純粋なスピードの速さということでは、どの感覚器に頼ろうと同じ事である。感覚器は、そのそれぞれが収集した情報を電気信号で脳へ送る。つまり、感知後の処理は全て同じだ。そして外部からの情報収集が最も早いのは視覚――つまり光の速度で伝わってくる情報を処理する器官なのだから。
「それじゃあ、もう一度…」
弥太が再び腕を振り上げて――
「ダメー!!」
甲高い声と共に、白い何かが弥太を弾き飛ばす。
ごろごろともみ合う様に転がり、弥太とそれは、折れた大木にぶつかる。
「逃げて、はやく!」
いち早くそこから飛び出てきたのは――
『久遠!?』
三人の剣士の声が重なった。
金髪をくゆらせる、20歳前後の女性の姿――完全戦闘態勢の久遠。
◇
「……これって…」
そのころ、さざなみの自室で黙々と資料を整理していた那美は、一つの文献の前でその手を止めた。
家から持ってきた神咲の恩書。そのなかで、一際目立つところなくあったそれに、那美は何度も目を凝らす。
『妖魔退討忌憚』
神咲だけでなく、他の一派たちの体験記を含む、過去から連なる退魔の歴史をつづったものだ。記されているのは、各流派の退魔の技の数々である。技の会得法、使用法などは当然記載されていないが、その効用や威力などが、簡潔に記され、どのような妖魔、霊障に対して使われたかが伝奇物語風に語られているものだ。
もちろん、一般には出回るものではないが、部外秘にするほどたいそうなものでもない。だからこそ、那美がさざなみに来るときに、小説代わりにと蔵から持ち出せたのであるが――
『邪法、妖魔降受体』
今から七百年前、沖美流妖鬼使役術の三代目当主が創り出した、己の命を代償に、超絶な妖力を得る法。強靭な肉体を得る事ができるが、その反動に本来の体、精神が耐え切れず、過去記録に残る使用者三人中、一人が半年以内に生きる屍となり(実際は植物人間になったと思われる)のち衰弱死。一人が発狂、自殺した。なお、衰弱死したものが、術の製作者の三代目。人間嫌いの哲学者としても有名だった三代目は、なぜか、満足の笑みで死亡していたという。
残る一名は、沖美流八代目師範の娘で、少女ながら天才的な妖術使いとして名をはせた人物。己の村を救うため、禁忌を承知で使用。その後死を覚悟し旅に出、そのまま行方不明。以後、後継者に術引き継がれること無し。
話しに聞いた事はある。元々は陰陽道より流れる式神―つまりは「使鬼」の技であるそれは、神咲のような霊力を極めんとするものではなく、もっと即物的な力に変わる妖力を扱った流派だ。
決して「悪」ではないが、物質も霊体も関係無しに「破壊」するその力は、当時ですら異端扱いされていたらしい。また、開発直後に禁術に指定(邪法ですら、術そのものは公開されている)にされた、魂を食らうような術すらあったと記される。
先ほど、出てきた行方不明の天才少女は、邪法ではなくこちらの禁術を使ったのではないか?とも書かれていた。
だが――問題はそこではない。
『禁術、その方法記すことなし。
ただ、伝え聞くその力は、雷の業。紫電を放ち、全てを虚に戻す。
その命、永続なり。そして、その命を蝕まん。』
「雷……永遠の命?」
もしや、久遠のそれなのか。
今は何も分からない。那美は、さらに書を進めていく。
『禁術、方法記すことなし。されど、その真意を語り告ぐものなり……』
◇
舞台は、再び戦場へ――。
逃げるよう示唆する久遠。
それを目の前にして、耕介は考える。引くべきか否かを。
先ほどのやり取りで、すでにいくつかの手段は嵩じられた。たしかに弥太には恐ろしいスピードと破壊力があるが、戦略というものはまるでない。いうなれば、子供が乗った戦車だ。ならば、撹乱を目的にしたヒットアンドウェイによる、ゲリラ戦に持ち込むのが定石だろう。
まず霊力を溜め、自分の周りにそれを広げ簡単な結界を作る。それは防御や攻撃といった大きなものではなく、単純に自分の周囲に感覚を広げるような、それだけの機能でいい。
その後は回避に集中しつつ、横槍の攻撃を加えて久遠のサポートをする。
きわめて消極的な方法だ。
だが、どちらにしろ自分は決定打になりえないのだ。あのスピードの弥太を捕らえきれるとは思えないし、捕らえられたとしても、理由もなく切ることはできない。
まだ、「弥太」が犯人であると決まったわけではない。それを知りえるのは、現時点で久遠だけだろう。事件はまだ何もわかってはいないのだ。
だが一つ、問題がある。
後ろで構える二人の剣士だ。
例え、肉体的に遅れをとっても、自分は、霊力という第二の武器がある。また、人外のモノとの戦いの経験値もある。いかに二人が常識はずれの猛者とはいえ、この戦いに組み入れる事は――
「美由希…今の、『見え』たな?」
恭也の言葉。その意味を、耕介は、一瞬、理解できなかった。
「うん、『見る』だけならこのままで大丈夫。恭ちゃんの神速無しの本気の『薙旋』より、ちょっと早いくらい。……神速でなら、断続的だけど、やりあえる」
「いい答えだ」
彼の表情が見えたわけではないが、耕介は恭也が不適に笑っているのだろうと思う。
背筋が凍る。
(霊力も術もなく、小ざかしい道具も無しに生身だけで『やりあえる』だって?薫が聞いたら、どんな顔するだろうな)
過去に剣技で引き分けたという恭也と薫。
だが、その実力差は、その当時から歴然としたものだったということだ。
剣術において、その薫にすら遅れをとる自分。
決して自分の剣士としての力を過信しているわけではないが…剣を取ってからの年数で、ココまでやれれば上等だ、という微細な慢心が、なかったと言えばウソになる。
だが…今、そんなものは綺麗にすっ飛んでしまった。
(足手まとい…俺がならない様にしないとな)。
十六夜の柄に、耕介は霊力と共に自戒を込めた。
◇
那美は書を読みつづける。
古めかしい文節に苦戦しながらも、その意味を一つ一つ確かめながら。
沖美流妖鬼使役術は、その名の通り、妖魔を「使役」する術である。
型や式と言った、自ら作り出すものではなく、現存する人とも獣ともならざるモノ達との繋がりを意味する。
ならばその究極型は――人の力――妖怪すらをはるかに超えた、善きも悪きも神といえる者「ども」の存在。
それは、決して無限ではありえない、無限に近い力。
太陽エネルギーは、太陽という有限の存在でありながら、さらに限定された有限の人間にとっては、ある種の無尽蔵エネルギー。
そういった次元の存在の力を分けもらう――それを究極と言わずなんと言おう。
そして、そのための方法が、魂を代償にしたこの術だ。
最大のデメリットは、力を得た――発動した時点で、ヨリシロとなった魂が「食われる」こと。
そして、咀嚼され続けれ、崩壊は徐々に魂全体に浸透していく。
つまり、禁術は魂を媒介とし成立する。
諸刃の剣。
安直な言葉かもしれないが、本当にそのとおりだと那美は思う。
この術は確実な死が待つとはいえ、使ったからと言ってすぐ死ぬわけではないし、身体に損傷が出るわけでもない。
自らが危険な術は、神咲の中にも確かに存在はしているが、この術の危険はそんなものとはレベルが違う。
霊の浄化といったものとは全く違う、根源たる「魂」への干渉。魂を媒介にするというのは、魂を道具として使うと言うこと。――それはもう、神の業だ。
十六夜、御加月の術にしても、「魂」そのものには変化を加えているわけではない。
十六夜という魂が、霊力を糧に剣と言う肉に留まっているだけ。
霊力というエネルギーは失うことがあっても、魂という存在そのものは決して磨耗しないのだ。
「その魂が食われる。それは成仏でもない、自分という存在を虚無へと落とすことに他ならない」
そしてその生贄を経て成すものは。
「魂を変えて生み出すのは、魔神・魔獣クラスの『何か』。そしてその材料は自身の肉体……」
那美は一度呟いて。
その意味を理解した。
「これ…人という生き物をまったく別の生物……妖魔に変える術だ…」
データが発掘されたので今後も最後までアップ予定。
読み返すとこのころの文章はだいぶひどいなあ・・・ちょくちょく修正はいれていきます
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