弱体モモンガさん   作:のぶ八

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前回のあらすじ

世界各地で天空城VSナザリック開幕!
ただシャルティアだけ露骨に多勢に無勢!


プレイヤー

 天空城の奥底。

 

 何枚もの壁を突き破り、吹き飛ばされた先。

 さらにその奥の小部屋の壁の中。

 誰もいないこの場所で何者かがひっそりと息を潜めていた。

 天空城のモンスター達が動き出し、辺りから完全にいなくなるまで。

 

「………」

 

 <完全不可視化(パーフェクトインヴィジビリティ)>の魔法を使用し完全に姿を消し、同時に<完全静寂(パーフェクトサイレンス)>により自身の出す音も完全に消している。

 さらに気配隠蔽の効果のあるアイテムの使用により彼の存在は誰にも認識されずにいた。

 そして常時発動している探知系から完全に身を隠す指輪。

 これにより彼の存在は魔法やスキルを使用しても探知出来ない状態にあった。

 もし<完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)>が使用できればより簡単で確実なのだが今の彼には使用出来ない位階の魔法である。

 

 次に彼はスキルや魔法、アイテムを駆使して周囲の様子を探る。

 近くに何者の気配も存在しない事を確認するとようやく彼は慎重に動き始めた。

 

「くそっ…、指輪を消費してしまった…。超レアな課金アイテムだったのに…! いや、そんなこと言ってる場合じゃないな…。もう死ねないぞ…」

 

 彼はかつてその指輪がはめられていた己の指を名残惜しそうに見る。

 課金ガチャでしか当たらない超レアアイテム、殆どデメリット無く復活できる指輪だ。

 

 そう、彼は一度死んだ。

 

 レベル100にもなる都市守護者の一撃によって確実に。

 しかしこの指輪の効果により彼は即座に復活する事が出来たのだ。

 とはいえ復活した事が露見すれば再び戦闘を仕掛けられるのは目に見えていた。

 だからこそ吹き飛ばされた先で魔法やアイテムを駆使し、死を偽装した。

 その存在を完璧に隠蔽していたのだ。

 

「城の内部にはほとんど気配が残っていない…。まさかその全てが外へと向かったというのか…、しかしなぜ…? ユグドラシルならばギルド武器を破壊されれば再び野良のダンジョンとして再生する…。ギルドに所属しているNPCも消滅する筈なのに…」

 

 だがここで彼はかつて聞いた魔神達の話を思い出す。

 

「いや…、六大神の従属神と言われていた魔神達…。彼等がNPCであるならば…、そうか、これはその時と同じ状況…! この異世界に転移し、ユグドラシルの影響化から離れたギルドは…、ダンジョンに戻る事などなく崩壊する…! だからこそこの天空城も崩れ落ちているんだ…! 異世界といえどここは仮想世界ではなく現実…! ゲームの世界のようにリセットされる事などない…! 存在したものが急に消え去る事などないんだ…! そしてギルドという楔から解き放たれたNPC達は…、ただのモンスターになるという事か…! あの暴走は、自己を失ったようなあの姿はまさにユグドラシルでのエネミーそのもの…! 習性や法則はあるものの、彼等は探知範囲内に入ったプレイヤー達を無作為に襲う存在…! まさかっ!」

 

 一つの仮説に思い当たった彼はその部屋を飛び出し、外が見えるバルコニーまで走る。

 その先で眼下に見える景色は彼の想像通りのものだった。

 

「街が…、人々が襲われている…! そうか…! だから奴等は天空城から離れたのか…! プレイヤーだろうが、この世界の人々だろうがユグドラシルのエネミーからすれば同じだという事かっ!」

 

 まさに地獄絵図。

 まるで空高く鎮座するこの天空城にまで人々の悲鳴が聞こえるかのように錯覚する程。

 人間に対し何の情も湧かない筈の彼だが、この景色を齎した原因に自分が関わっているかと思うと冷静ではいられなかった。

 人間の頃の記憶が、常識が、残滓が彼を苦しめる。

 

「はっ! そ、そうだ! イ、イビルアイさんは無事に逃げれただろうか…。確かイビルアイさんは単独なら遠くまで転移出来る魔法を使えた筈だ…。いや、馬鹿な…! 気配を感じるぞ…。まさか…!」

 

 そうして彼、いやモモンガは走り出す。

 逃げている筈のイビルアイの気配が残っている事に僅かばかりの焦りを感じて。

 

「まさか逃げる前にやられたのかっ! くっ! どうか無事でいてくれ、イビルアイさん…!」

 

 

 

 

 天空城の片隅でイビルアイもモモンガ同様じっと隠れていた。

 モモンガ程ではないにしろ、低位の魔法で姿や音を消す事が出来るからだ。

 とはいえ、イビルアイ程度の魔法なら天空城のモンスターであれば看破できる者も多くいただろう。しかし低レベルとはいえ隠密系の魔法を使用している関係上ヘイトは多少だが下がる。

 すぐ下にエリュエンティウという大量のエサがある状況だったからこそ、イビルアイは生き残れたと言ってもいい。

 

「な、なんなんだ、あいつらは…。あの強さ、それに数…。あんな奴等がずっとこの世界に存在していたというのか…。誰にも気づかれずに…。無理だ…、誰も敵う者なんていない…」

 

 子供のように身を小さくし恐怖に怯えるイビルアイ。

 その身体はガタガタと震えている。

 

 その時、イビルアイの肩を何者かが叩いた。

 次の瞬間「ひあっ」っと悲鳴を上げ、身を強張らせるイビルアイ。

 もはや反撃しよう等という気力は無く、頭を両手で押さえる。

 

「あ、ご、ごめんなさい。俺ですよイビルアイさん。姿を消しててもある程度までは感知できるんです。おかげですぐに見つける事が出来ました。どうやら無事なようで本当に安心しましたよ」

 

 その聞き覚えのある声にイビルアイははっと顔を上げる。

 しかしそこには誰もおらず、困惑し絶望する。もしかして自分の妄想が作り上げた幻聴だったのかと思案するがすぐにそうではない事が証明された。

 

「ああ、魔法をかけたままでしたね。もう近くにはいないみたいだから大丈夫かな」

 

 そう声がした後に何も無い空間から徐々にその姿が浮かび上がる。

 そこにいたのはモモンガ。

 己の身を犠牲にしてイビルアイを救ってくれたその人だった。

 

「モモンガッ!」

 

 反射的にモモンガへと勢いよく抱きつくイビルアイ。

 

「わっ、ど、どうしたんですか急に…!?」

 

「良かった…! 良かった…! わ、私はてっきりお前は死んだものだと…! 無事だったんだな…! どうやってあの猛攻を凌いだかは分からんが本当に良かった…! あの状況でもお前なら生きてるんじゃないかと希望に縋っていたが、まさか本当に生きてるなんて…! 夢じゃないんだな…! 本当に…、モモンガだ…。うわぁぁあぁん!」

 

 正確には無事などでは無いし一度死んでいるのだがこの状況でそれを説明しても意味はない。

 故にモモンガは子供のように泣きじゃくるイビルアイを宥めるように頭を優しく撫でた。

 それにより少しだけ安心したのか落ち着きを取り戻したイビルアイが再び口を開く。

 

「す、すまない…。取り乱してしまったな…」

 

 そうしてイビルアイは気恥ずかしそうに抱きついたモモンガから体を離す。

 

「しかし、どうするモモンガ…? この天空城にはもう姿は無いとはいえエリュエンティウは奴等で埋め尽くされてる…。ここにいたらいつまた奴等が戻ってくるか分からないし、留まる訳にはいかないぞ…。今なら<飛行(フライ)>で高度を維持したまま距離を取れば無事に逃げられるかもしれない…!」

 

 しかしイビルアイのその言葉にモモンガは返事をしなかった。

 

「ど、どうしたモモンガ…? 危険なのは分かるが逃げるにはそれしかないだろう…?」

 

「いつかイビルアイさんは言っていましたよね。自分一人だけなら過去に行った場所へと転移できる魔法を使えるって…。今回は無事に済んだからいいですがなぜすぐにその魔法で逃げなかったんですか!? 隠密魔法が使えるとはいえ天空城内に隠れているなんて危険すぎる!」

 

 少し怒気を孕んだようにモモンガが声を上げる。

 それは怒っているというよりもイビルアイの身を案じての事なのだが。

 

「そ、それは…。ここから魔法で逃げてしまったら二度とモモンガに会えなくなるような気がして…。い、いやそれよりも私だけ逃げたらお前を置いていく事になるじゃないか…! 確かに死んだとは思ったがそれでも自分一人だけ逃げるなんて…」

 

「逃げてくれて良かったんです。逃げれる手段があるなら俺に構わず迷わず逃げて下さい。いや、そうするべきだ、今からでも!」

 

 冷静に、しかしイビルアイと距離を置くかのような物言いに僅かばかりイビルアイは動揺する。

 

「ど、どうしたんだモモンガ…。な、仲間を置いていける訳ないだろう…? それとも私にわが身可愛さの為に仲間を見捨てろと言うつもりか…? そんな事出来る筈がない…。私達は仲間なんだ…。逃げる時は一緒だ、そうだろう…?」

 

「仲間、か…。そうですね。確かに仲間を置いていく事なんて出来ませんよね…」

 

 どこか遠くを見るようにイビルアイに賛同するモモンガ。

 

「そ、そうだろう!? だから逃げよう、一緒に…。私達なら大丈夫さ、きっと逃げ切れる…!」

 

「いいや、逃げるのはイビルアイさん、いや、イビルアイ。お前だけだ」

 

 急にモモンガの口調が変わる。

 堅苦しい敬語ながらも親し気な感じの言葉遣いから一変し、突き放すような口調へと。

 それはきっと決別の証だ。

 もう一緒の道を歩まぬのだと、他人なのだと言い表す為の。

 

「モ、モモンガ…?」

 

「今から俺達はもう仲間じゃない。だから俺に気を遣う必要なんて無いんだ。さっさとお前だけで逃げろ」

 

「きゅ、急にどうしたんだ…? まさか私に遠慮してるのか? 気にする必要なんてない、私は…」

 

 喋りかけのイビルアイに被せるようにモモンガが口を開く。

 

「俺はあいつらを止めに行く。だからお前とは逃げる事は出来ないんだ」

 

「なっ! 何を言ってるんだモモンガ!? 正気か!? や、奴等を止めるだと!? そんな事出来る訳が…! いくらお前が強かろうと奴等はそれ以上だ…! そんな奴等が無数にいるんだぞ!」

 

 モモンガの体を強く揺すり説得しようとするイビルアイ。

 しかしモモンガの決意は固い。

 

「もう決めた事だ。俺の、いや俺がズーラーノーンの口車に乗ってしまったからこんな事になってしまったんだ…。そのおかげでデイバーノックも失った…。その責任を少しでも果たす為に俺は逃げる訳にはいかない…」

 

 モモンガの瞳、いや眼窩に固い決意と共に炎のような揺らめきが感じられた。

 

「な、何を言ってるモモンガ…! 悪いのは全部ズーラーノーンだ! お前が気に病む必要なんてどこにもないんだ! お前が無駄にその命を散らす必要なんてない! 考え直せ! なぁ!?」

 

 もはやそんな言葉でモモンガの決意が揺らいだりなどしない。

 そうとは知らなかったとはいえ、この事態の片棒を担いだという事実が彼を縛り付ける。

 彼の心に残った僅かな良心が、逃げるという選択肢を許さなかった。

 すでにモモンガは覚悟を決めているのだ。

 

 何よりかつて現実(リアル)では苦しい事や嫌な事から逃げ続けた。

 その逃避先としてユグドラシルがあったからだ。

 そこで手に入れた大事な仲間達との掛け替えのない絆と輝かしい思い出、栄光の日々。

 それだけがモモンガの全てで、何より大事なもの。

 今やこの体は、モモンガというアバターはこの世界にただ一つ残ったその欠片だ。

 ここで逃げてしまえば、モモンガは、いや鈴木悟はアインズ・ウール・ゴウンの全てを失う。

 

 モモンガでありながら逃げるという事はそんな過去に泥を塗る事になるのだ。

 もちろん戦略的な手段での逃亡ならばどんな惨めな事になろうとも厭わず行うだろう。

 しかし己に責任がある事から逃げるのは違う。

 自分のした事から目を背け、ただ命惜しさに逃げ惑うのはモモンガの過去を否定する。

 あの輝かしい思い出も、栄光の日々も偽りだったと自ら証明する事になるのだ。

 モモンガのアバターを纏う以上、それだけは出来ない。

 

 そうなのだ。

 今ここにいるのは鈴木悟ではない。

 この体が、仲間達と共に手に入れた装備の数々がそれを思い起こさせる。

 ナザリック地下大墳墓の主にして、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長であり皆のまとめ役。

 

 『モモンガ』なのだという事を。

 

 

「ま、待てっ!」

 

 背を向け歩き始めるモモンガを呼び止めるイビルアイ。

 しかしモモンガは振り向かず返事のみをする。

 

「なんだ?」

 

「どうしてそこまで奴等に拘るんだ…。行ったって何にもならないじゃないか…。行ったら死ぬんだぞ…!」

 

「分かってる、だがそれでも行くと決めたんだ」

 

「な、なら私も行く…! 着いて行くぞ…! お前が戦って死ぬというなら…、仲間である私だって…」

 

 弱々しく、しかし嘘ではない覚悟を口にするイビルアイ。

 だがモモンガはそれを一蹴する。

 

「駄目だ、もう仲間ではないと言っただろ? 俺一人で行く」

 

「しかしモモンガ…!」

 

「……。お前じゃ役に立たない、戦力にならないんだ。着いてこられると迷惑なんだよ」

 

 冷たく突き放すようなモモンガの言葉。

 だがそれは悪意ではなく、優しさからの事だとイビルアイには痛い程分かる。

 そしてその言葉が事実なのだという事も。

 

「そうだな…、その通りだ…。知らなかったんだ…、私は…。自分がこんなに無力で弱いなんて…。二百年以上も自惚れてた…。仲間達と、魔神を倒した時からずっと、自分は強いんだと…、そう思ってた…。世界の危機を救ったんだと、そう信じてた…。もちろん真なる竜王達のような強者は知ってるがあんなのは例外中の例外だろう…? それがどうだ、竜王達は例外なんかじゃなかった…。同等かそれ以上の化け物が世界にはこんなに溢れている…、ただ知らなかっただけなんだ私は…。望んだ事じゃないが、これでも伝説に謳われたりもしたんだぞ…? でも、そんな私でも、もはやいてもいなくても同じだ…」

 

 いつもの態度が嘘のように弱音を吐くイビルアイ。

 悲鳴のようにも聞こえる声で続ける。

 

「私に出来る事なんてもう何も無い…。それは分かってる…。でもそれはお前だって同じだろう、モモンガ…。だから、逃げよう…。逃げたって誰も責めやしないさ…、奴等が相手で誰が何を出来るっていうんだ…。もう世界は終わりだ…、誰かを救うなんて考える事すらおこがましい…。奴等はそれだけ逸脱してる…。お前さえ良ければだが…、誰の目も届かない所で静かに暮らそう…。世界が滅ぶまでの僅かな時間だとしても今ここで死ぬよりはマシな筈だ…。なあ、奴等の前に立ちふさがっても一瞬で消し飛ばされるだけだ…、何にもならない…。それは分かってるだろう…?」

 

 冒険者として、蒼の薔薇としての矜持などとっくに折れていた。

 それだけの力の差、数。

 それらを前にして理想を言葉に出来る程、夢見がちじゃない。

 正義感も何も無い。

 ただ弱者の一人として、イビルアイは嘆くだけだ。

 

「すまないイビルアイ。それでも俺は行く」

 

「なんでだっ! なんでっ…! 行ったって何にもならないじゃないか…! 皆殺される…! 私達に出来るのは逃げる事だけだ…! 無駄に死にに行く必要なんて無いじゃないかっ…!」

 

 背を向けるモモンガのマントの裾を強く握りイビルアイが懇願する。

 だがモモンガの決意は揺らがない。

 

「イビルアイ…、お前達との旅は楽しかったなぁ…。当初は変な奴だと思ってたけど、今思えばそれも忘れられない思い出だな…。でももうデイバーノックはいない…、全て俺のせいだ…」

 

「モモンガ…」

 

「お前はすぐにここから逃げてくれ、俺は」

 

「なんでだよっ! なんでお前がそこまでしなくちゃいけないんだっ…!」

 

 イビルアイの言葉に僅かばかり逡巡し、モモンガが言葉を紡ぐ。

 

「あれらは…、天空城の者達は俺と同じ世界から来た者だ…。だからこそ、弱点も対処方法も見当がつく…。俺なら止められるかもしれない…! いやもしかすると俺だけが…。それが叶わないとしても責任の一端がある者として最善を尽くすのが義務だとは思わないか…?」

 

「同じ世界…? そうか、ずっと不思議に思っていたが…、お前はぷれいやーか…!」

 

「プレイヤーを知っているのか。ああ、そうだ。少しは期待する気になったか?」

 

「そ、そんな訳ないだろう! 私の知る十三英雄のリーダーだってお前程は強くなかった…! 確かに不思議な力は持っていたが、それでも私や他の仲間達と力を合わせて魔神達を討伐したんだぞ…! お前一人でなんて無理だ!」

 

「それでもあれらを止められるかもしれない」

 

「そんなの無理だ…。出来る訳がない…。どうやってあんな奴等を止めるというんだ…?」

 

 弱々しく呟くイビルアイに対してモモンガは少しだけ誇らしげに答える。

 

「根拠が無いわけじゃない。俺は、これでも同じ奴に二度負けた事は無い」

 

 自信に満ち溢れた顔のモモンガ。

 語尾に小さく「仲間以外には…」と続けたがイビルアイには聞こえていない。

 

「だから信じろ。少なくとも俺を殺し…ゴホン! 倒した奴にはもう負けない」

 

「駄目だ! 行くな!」

 

 後ろからモモンガの身体をイビルアイが強く抱きしめる。

 その小さい体では前まで腕は回り切らないが離れぬようにと必死に抱きしめる。

 

「行かないでくれモモンガ…! お願いだ…! 私を置いて…、行くなよ…」

 

 大粒の涙を流しながら必死に請うイビルアイ。

 それに応えるように振り返るとその場にしゃがみイビルアイと視線を合わせるモモンガ。

 そして優しくイビルアイの頭を撫でながらモモンガが言う。

 

「もう着いてくるなんて言うなよ、子供を危険な所に連れていく訳にはいかないからな」

 

「お前はっ…、最後まで私を子供扱いするんだなっ…」

 

「??」

 

「なぁ、帰ってくるのか…?」

 

「いや、無理だろう」

 

 そうモモンガが口にすると同時にイビルアイが強く睨む。

 

「ど、努力するよ…」

 

 思わず言いなおすモモンガだが、咎めるようにボスッとモモンガの胸をイビルアイの拳が弱く叩く。

 

「努力じゃ駄目だ…。絶対に帰ってくると約束しないと、行かせない…!」

 

「ははは、かなわないな…。分かったよ、約束する。それでいいんだろ?」

 

 そう言って突き出したイビルアイの拳を握るモモンガ。

 

「絶対だからな…? 嘘だったら許さないからな…?」

 

 くしゃくしゃの顔のイビルアイの頭を再度、モモンガが撫でる。

 

「ああ、だからイビルアイもいい子で待っていてくれ」

 

 イビルアイは無言で頷く。

 本当は分かっているのだ。

 あれらと戦って生きて帰ってくるなど不可能だと。

 駄々をこねるイビルアイを説得する為にそう口にしただけに過ぎないのだ。

 モモンガ本人でさえ本気で戻って来れると考えていない事くらいイビルアイにだって分かる。

 ただ一つ残った事実は、イビルアイではモモンガを止められなかったという事だ。

 それが酷く悲しく、また己の無力が恨めしかった。

 でも、それでも、もしかしたら無事に戻ってきてくれるんじゃないかとイビルアイは夢見てしまった。

 子供の頃に読んだ数々の英雄譚や御伽噺、あるいは吟遊詩人(バード)の歌のように。

 いつだって勇者は魔王を倒して帰ってくるし、騎士は姫君を必ず救う。

 だからモモンガだって戻ってきてくれるんじゃないかと。

 

「じゃあ俺は行く。いいか、イビルアイはさっさと逃げろよ。じゃないと全てが終わった後に会いに行けないだろ?」

 

 モモンガが立ち上がり、再びイビルアイへと背を向ける。

 

「うん、待ってるから…! ずっと待ってるから…!」

 

 そうしてモモンガは歩き出し、次第にその背は小さくなっていく。

 もうモモンガとイビルアイは仲間ではない。

 両者の道はここで別たれ、再び交わる事はない。

 それがきっと現実なのだ。

 

 モモンガはいなくなりイビルアイだけがこの場に残される。

 それはまるで両者の絆が断ち切られたようにも感じられた。

 だからなのか、零れ出るイビルアイの嗚咽だけが周囲に鳴り響いていた。

 

 いつまでも、いつまでも。

 

 

 

 

 イビルアイと別れ、<飛行(フライ)>を使用し天空城からエリュエンティウへと向かうモモンガ。

 その姿は再び魔法とアイテムにより完全に隠蔽されていた。

 

「会いに行くと約束してしまったな…、はは、絶対に帰れないと知っているのに…」

 

 自嘲気味に笑うモモンガはふとかつての仲間達を思い出す。

 

『もう今後はインできなくなります。今までありがとうございました。でも時間が出来たらまた戻ってきますよ!』

 

『引退することにはなりますがそれでもまた機会があれば…』

 

『仕事が落ち着けば復帰します!』

 

『是非いつかまた皆で遊びましょう! それでは』

 

『またねー』

 

 誰も帰って来なかった。

 

 帰ってくると口にして去った仲間達は誰一人として帰って来なかったのだ。

 モモンガはその寂しさを抱えながらも一人でユグドラシルにログインし続けた。

 何日も、何日も、そして最後まで。

 いつかは帰って来てくれると愚直に信じ続けながらただ一人で。

 

 結局サービス終了日になってやっとごく一部の者だけが顔を出しに戻って来てくれたが、それでも顔を出すという言葉通りほんのわずかな時間だけだった。

 ゲームをプレイする事はなく、ただ円卓の間で少しばかりお喋りしただけだった。

 

(あぁ、俺は彼等と同じ事をしてしまったんだな…)

 

 帰って来れる筈が無いと知っていながら、それでもバツが悪いから、あるいは切り出しにくいから。

 きっとそんな程度の理由で。

 

(皆もこんな気持ちだったのかもな…。確かに言える訳ないよな、もう絶対に戻って来ませんなんて…。引退までしたんだ…。機会があれば戻ってきますなんていうのはただの社交辞令なのに…)

 

 皆に帰ってきてほしかった。

 いつかまた冒険に出られると夢見ていた。

 だからこそ、そんな社交辞令かもしれない言葉に縋って生きてきたのだ。

 いや、縋らなければ生きられなかったと言うべきか。

 

 ずっと孤独だった。

 それでもモモンガにとって居場所と呼べるのはあそこだけだったのだ。

 仮想世界の中にある仮初の世界。

 データにより構成された、どこにも存在しない幻の場所。

 仲間達と共に作り上げたナザリック地下大墳墓だけが。

 皆が去った後も、決して失わぬようにと一人で維持し続けた。

 

 今となってはその全てが泡のように消え去ってしまったが。

 

(イビルアイには恨まれるだろうな…。でも俺と違ってお前には仲間がいただろ…? 蒼の薔薇か…、本当の仲間の所へ帰れば俺の事なんてすぐに忘れるだろう…。そうだ、俺やデイバーノックとの付き合いなんてたかが数十日…。あんなのはきっとただの気の迷いだ…。ただ一時でも仲間となった者を見捨てられない感傷によるもの…)

 

 心の中でそう自分に言い聞かせる。

 ズーラーノーンに裏切られ、デイバーノックは死に、イビルアイとの縁も切った。

 再びモモンガは一人ぼっちになってしまった。

 でもそれでいい。

 この地獄に向かうのは自分だけでいいのだから。

 

(ああ、不思議と少しだけ晴れやかだ…。胸の奥底にあった何かが消えた、そんな気がする…。そうか、これは俺の仲間達への身勝手な恨みか…。ナザリックに帰ってきてくれなかった彼等への勝手な期待と失望…。ふふ、いくらそれが間違いだと、仲間達は悪くないと理解していた所で感情だけはどうにもならなかった…。そうだ、俺は我が儘だからな…)

 

 もちろん仲間達の事は何よりも大切だし大好きだ。

 だからこそ一緒に居てほしいというモモンガの願望が、帰って来てくれない彼等に対して少しばかりの負の感情を抱かせていた。

 恨みと呼ぶには大仰で、しかし無視できぬ程度には胸を燻らせる感情。

 それが今、消えた。 

 

 叶う筈が無いのに帰ると口にした事で、少しだけ仲間達の事を思い出し、また理解できた気がしたからだ。

 

(イビルアイには感謝しなければいけないかもな…。彼女のおかげで、仲間達へのほんの僅かであるが俺を苦しめていた蟠りが消えた…。はは、イビルアイは俺の事を怒るだろうが…、それは許してもらうしかないな…。どんな出会いにも意味はある、無駄な事など無いと言っていたのは誰だったか…。ぶくぶく茶釜さん、いや、教師であるやまいこさんだったか…? まぁいい。願わくば俺やデイバーノックとの出会いが、イビルアイにとっても良い思い出となればいいが…)

 

 そうこうしている内に都市の真上程まで来たモモンガ。

 

(そろそろか、エリュエンティウに近づいてきたな…。クッ、間近で見るとさらに酷いな…。死体があんなにも…! 彼等は八本指とは違う…、何の罪もない人々だったのに…! 俺の、俺のせいで…)

 

 都市に近づくとその惨状がより目に入る。

 アンデッドの身ゆえ、生理的な嫌悪は無い。あるとすれば精神的なものだけだろう。

 

(都市守護者とその配下達…。真っ向から戦っては万に一つも勝ち目が無いな…。だが今やあれはユグドラシルに存在する野良モンスターとそう違わない筈…。考えろ…、何か、何か出来る筈だ…。俺の持ちうる全ての手段と可能性を模索しろ…!)

 

 必死で攻略法を考えるモモンガ。

 曲がりなりにもイビルアイに同じ相手には二度負けないと啖呵を切ってしまった以上、モモンガを殺した奴だけでも倒さないと恰好が付かない。

 

(戦闘は始まる前に終わっている、か。ぷにっと萌えさんの言う通りだな…。より情報を収集した者が勝つ…。本当に野良モンスターとそう変わらないならばこちらが一方的に情報を収集するのも難しくない筈だ…。問題はどうやって情報を入手するかだか…)

 

 一般的なモンスターとしてユグドラシルに存在していた者達はいい。

 そういった基本データは頭に入っている。

 問題は都市守護者達である。

 外見からおおよその種族は予想できるが、どのようにビルドを組んでいるかまでは読み切れない。

 何より彼等はズーラーノーンの言葉通りならば30人全てがレベル100なのだ。

 不用意に近づけば今のモモンガでは存在を看破されるかもしれない。

 

(今の俺の状態でレベル100の者から情報を引き抜く手段は…、ある訳ないな…。正攻法じゃ絶対に無理だ…。課金アイテムを駆使して…、いやだがどうやって…。せめてその戦闘データだけでも取れればいいがあれらと戦いになる者なんているのか…? というより…、都市守護者らしき者達…。30人いなくないか…? ここから見えない場所にいるだけ? いや、しかしそんな…)

 

 必死でモモンガが思案している中、エリュエンティウにまた新たな動きがあった。

 

(ん?)

 

 いつの間にか都市の外に無数のアンデッド兵が並んでいた。

 先ほどまでは影も形も無かった筈のその場所に。

 それらの後ろに見える暗闇から今もアンデッド達が次々と這い出てきていた。

 モモンガには一目でその暗闇が何なのか理解できた。

 

(あれは…<転移門(ゲート)>! 都市守護者の仲間…? いやそれにしては様子がおかしい…。エリュエンティウへ向け、攻め入るような陣形を取っている…。もしや仲間割れ…、ああ、そういう可能性もあるか…。しかしそうであるならばなぜ天空城内で戦いにならなかっ……。あ…、え……? そ、そんな…、嘘だろ…?)

 

 五千ものアンデッドの兵士達。

 その後ろにも様々な種類のアンデッド達が陣形を組み並んでいる。

 

(見間違い…か…? いや、でもあれは…。馬鹿な…!)

 

 その様々なアンデッド達。

 特にモモンガの目を引いたのが最前列にいる五千のアンデッド兵だ。

 一見するとただのアンデッドの兵士なのだが野良のモンスターとは少しだけ違う特徴を持つ。

 強さそのものが優れているとかそう言う事ではなく外見上の差異しかないが、あれは一部のダンジョン、あるいはそこを攻略したギルドにしか配置できぬ固有モンスター。

 モモンガにも見覚えが、いや見間違える筈など無いのだ。

 もちろん遠目ではハッキリとは分からないので、魔法で視界を飛ばす。

 本体が近づくよりは安全とはいえあまり近づくと感知されるかもしれないのでほどほどの距離を維持しながら。

 

(そ、そんな筈は…! も、もしかして似たようなアンデッドが俺の知らない所でサービス終了前に実装されていた? いやいや何を言ってるんだ俺は! ここはユグドラシルじゃない! 異世界だぞ! そ、そうか…。この異世界特有のアンデッド、それとたまたま似通ってい……うぇええ!?)

 

 それら無数のアンデッドを率いるように上空へと飛んだ一つの影。

 真紅の鎧を身に纏ったその女性を見てモモンガの疑惑は確信へと変わる。

 あれだけは絶対に見紛う筈が無い。

 大事な仲間が外見から細かく作り上げたこの世に一体しか存在せぬ唯一無二の存在。

 

(ば、馬鹿な馬鹿な馬鹿な! シャ、シャルティア!? な、なぜここにいる!? い、一体どういう事だ!? 自律して動いている!? いや、そうか異世界に来た影響…。天空城のNPC達もそうだったじゃないか! ま、待て待て待て! シャ、シャルティアがいるという事は…、ナ、ナザリックが来ているのか!? ま、待てよ…、アースガルズの天空城が存在し…、六大神たる者達の拠点も存在していたと聞く…。そう考えればナザリックが来ていてもおかしくない!? ほ、本当にアインズ・ウール・ゴウンのギルド拠点が存在するのか!? も、もしかして俺と同時に転移していたと!?)

 

 突然の事に頭が混乱し、正常な思考を保てない。

 

 困惑したまま飛ばした視界を見ているとシャルティアは鬼気迫る表情で何かを叫んでいる。いや、咆哮を上げているのだろうか。飛ばしているのは視界のみで音声は聞き取れない為、詳細は分からない。

 

(な、なんだあれ、なんだあれ!? シャ、シャルティアに表情が…。って顔怖ぁ…! い、いやそんな事はどうでもいい…。ていうか…、滅茶苦茶怒ってないか…? いや違う、まるであれは…)

 

 その後、モモンガはとある事に気付きハッとする。

 

(あ、あれは暴走してるんじゃないのか…!? そ、そうだ…。何よりNPCはギルド拠点から外に出られない筈だ…。それが出られているという事は…)

 

 数少ないデータを元にモモンガは一つの仮説に辿り着く。

 

(天空城と同じ…! そうか、そういうことか…! 天空城もそのNPC達は最初外には出ていなかった…。その多くは八欲王が隔離していたとはいえ、そうでない者達もその全てが城内にいた…。外を飛んでる自動POPモンスター等もいたがあれはまた別だろう…。つまり、ナザリックのNPCであるシャルティアがここにいるという事は…)

 

 モモンガの見てきた物事と基準から考えるとそれは認めたくない最悪の結果に結びつく。

 

(あ……、そ、そんな……。いや、でもそれしか…、しかし、そうだとするなら…、全てが腑に落ちる…。あのシャルティアの鬼のような形相も含め全て…。う、嘘だ、認めたくない…! お、俺は! 俺は仲間達になんと詫びればいいんだっ……!)

 

 深い絶望と共にモモンガは頭を抱える。

 モモンガの辿り着いた結論、それは。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…! だからシャルティアもあんな表情に…! もはやナザリックとは無関係に暴走しているんだ…!)

 

 NPCの動かぬ表情に見慣れてしまっているがゆえにモモンガにとって今のシャルティアの姿は暴走している天空城のNPC達と何ら変わりなく見える。

 それも致し方ない事だろう。

 久しぶりに見たNPCの表情が全く知らぬものへと変わっていれば天空城の二の舞を疑いたくなる。

 

(お、俺が節約の為と拠点の防衛機能のほとんどを切ってしまっていたから…! だから何者かに容易く侵入されギルド武器を破壊されてしまったんだ…! そ、そうに違いない…! あぁ、仲間達との思い出の結晶が…! 皆の帰る場所だけは絶対に守ると誓ったのに…! 大事な宝物がそこにあったのに! 失っていなかったのに! 残っていたのに! 俺は守る事ができなかった…! ナザリックが何者かに攻め入られている時に俺は何を…! お、俺は…俺は俺は、うわぁぁぁああぁぁあ!)

 

 半ば発狂したように見悶えるモモンガ。

 しかしアンデッドの身体ゆえだろう。

 激しい感情は即座に抑制され、元の穏やかな状態へと戻る。

 しかし胸を焦がすようなチリチリとした感情は残っているし、何よりこの後悔は決して消えない。

 

 複雑な感情の後、一度冷静さを取り戻した後に来たのは怒り。

 憤怒という言葉ですら足りぬ程の、モモンガが人生で一度も味わった事の無い程の、アンデッドの身でなければ耐えきれない程に、怒り憤り激昂し、荒れ狂った。

 

「こ、この俺がぁ! 俺と仲間達が、共にいぃぃぃ! 共にぃい作り上げた俺達の、俺達のナザリックに土足で踏み入りぃぃい!」

 

 激しい怒りを抑えきれずに言葉に詰まる。

 モモンガはまるで深呼吸をするように肩を動かし、激しく言葉を続ける。

 

「さらにわぁぁあ! と、友のっ! お、俺のもっ、最も大切な仲間達との絆であるぅぅぅう! ギ、ギルド武器をぉぉお破壊した奴がいるだとぉおおお!? く、糞がぁぁああ! 許せるものかぁぁああああ!!!」

 

 モモンガが激しい口調で叫ぶ。

 この場にいて大声で叫び声を上げたのにも拘らず、モモンガの存在が気付かれる事はなかった。

 なぜならばモモンガの眼下では天空城の軍勢とナザリックの軍勢が正面からぶつかり合い、さらなる騒音を轟かせていたからだ。

 冷静に考えればナザリックが攻略されているなら守護者が無事で済んでいる筈はないのだが今のモモンガはそこまで頭が回らなかった。

 

 そして、モモンガの永遠とも思われた怒りは先程と同様に急激に静まった。

 冷静さを取り戻したとはいえ、臓腑を燃やすような暗く深い怒りは決して消えない。

 

「はぁ、はぁ、今だけはアンデッドの体に感謝だな…。人の身であったら怒りで憤死していたかもしれない…」

 

 そうしてモモンガは再び思案する。

 都市守護者達との闘いの構想は白紙に戻った。

 もう一度最初から考え直さねばならない。

 

「くっ…、シャルティア…、すまない。俺のせいで…。しかしギルド拠点が破壊され…、暴走した今となっては絶対に接触する訳にはいかないな…。他のNPC達もいるとするなら…。ま、まずい…、守護者達と会ったら殺されてしまうぞ…」

 

 都市守護者達以上に警戒すべき相手が出来てしまった事にモモンガは頭を悩ます。

 都市守護者と違ってナザリックのNPCを殺す事などモモンガにはきっと出来ない。

 だからこそ出会ったら間違いなく一方的に殺されてしまうのだ。

 

「だが俺だって天空城を攻略し…、さらにはズーラーノーンに誑かされて天空城のギルド武器を破壊するきっかけまでも与えてしまった…。そんな俺にナザリックのギルド武器を破壊した奴を責める権利などあるのか…」

 

 ふと空を見上げる。

 さっきまで自分がいた天空城を見ながら。

 

「八欲王…、すまなかったな…。もうここはユグドラシルじゃない…、現実だ…。それなのに俺はどこかまだユグドラシルと同じように考えてしまっていた…。ギルド拠点は攻略されてこそだと…。俺だってサービス終了前は誰かがナザリックに攻め入らないかと期待もしていたが…。でも現実になれば話は違うよな…。壊れればもう元には戻らない…。ああ、どうしてお前達がNPCを隔離したか本当の意味で理解したよ…。失いたくなかったんだよな…。自分達の作ったもの、あるいは仲間達と共に築いたものを…!」

 

 顔を落とし、うなだれるモモンガ。

 

「俺はそれを壊してしまった…。たとえ八欲王本人達はいないとはいえ…、尊重するべきだったのかもしれない…。ユグドラシルと同じような冒険心と期待感で足を踏み入れていい場所では無かった…。だから、俺だって同じ事をされて文句を言うなんてのは、そう、おかしな話だ…」

 

 しかしモモンガは。

 

「だがそうだとしても…! どれだけ身勝手で我儘だとしても…! 絶対に殺す…! 俺達のナザリックを破壊した奴は必ず…! 地の果てまでも追い詰めてやる…! レベルダウンだ? ナメるなよ…。俺はアインズ・ウール・ゴウン…! そのギルド長だ…! 相手が何者だろうと殺してやる…。どんな手を使ってでも…!」

 

 元々モモンガは戦いとなれば手段を選ばない質だった。

 何よりギルド内ではPVPにおける戦闘経験は群を抜いており、状況対応能力に至ってはギルド一とぷにっと萌えから評価を受けている。

 それだけの存在が、常識も良心も何もかもを捨て去り、目的の為だけに行動する。

 

「見てて下さい、ぷにっと萌えさん…。それに皆…。見せてやりますよ、アインズ・ウール・ゴウンの戦い方ってやつを…!」

 

 その決意と共に、モモンガの眼窩に激しく炎が揺らめいた。

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第八階層『桜花聖域』。

 

 

 桜花聖域の領域守護者であるオーレオール・オメガ。

 彼女は突然の、いや何よりも最悪なタイミングで事が起こった事に戦慄していた。

 

「し、侵入者っ!? こ、こんな時に! ほとんどの者達が出払っている時になんて事…! も、もしこのタイミングでナザリックを落とされるなんて事になれば至高の御方々になんと申し開きをしたらいいのか…! い、いいえ、今はそんな事を考えている場合ではないわ…! 残っている領域守護者達へすぐに通達しなければ…!」

 

 慌てながらも冷静に対処しようと努めるオーレオール。

 今となってはナザリックの防衛は彼女の采配に全てがかかっていると言ってもいい。

 

「まずは蠱毒の大穴へと誘導し餓食狐蟲王に対処してもらい、その間にグラントと紅蓮に迎撃の態勢を整えてもらうしかない…!」

 

 全階層守護者はヴィクティムを除き、その全てが配下と共に出撃している。

 残っているのは己の領域において力を発揮する僅かな領域守護者とその配下のみ。

 他にもいるにはいるが戦闘に特化していると言える者は数少ない。

 

「グラントと紅蓮…、あぁ、この両者が協力可能ならばこんなに困らないのに…」

 

 オーレオールが歯噛みする。

 グラントと紅蓮。

 この両者はナザリックにおいて階層守護者に次いでレベルの高い存在なのだ。

 マーレのペットである課金ドラゴンを除けば、ナザリックの中でも最上位に位置する数少ない戦闘特化の者達である。

 己の領域に限定するならばその強さは一部の階層守護者を凌駕する程。

 

 聖母グラント。

 女郎蜘蛛(アラクネ)の一種であり、上半身は身目麗しい女性の姿だがその下半身は見るも悍ましい蜘蛛の姿をしている。

 守護領域が複数階層にまたがっているというナザリックでも特殊な存在である。

 己の張った蜘蛛の巣の上では自在に動くことが出来、また敵の行動を阻害する為に彼女の守護領域においては無類の強さを発揮する。

 

 紅蓮。

 第七階層の溶岩の川を守護領域とする超巨大奈落(アビサル)スライム。

 溶岩の中へと敵を引き摺り込み、その中で戦う事を得意とする。一度飲み込まれてしまえば溶岩に耐性の無い相手ならば確実に死。耐性のある相手でも溶岩により動きが制限されるので紅蓮を倒すのは至難を極める。

 

 このように両者はナザリックでも最上位の強さを持つが、その守護領域においてこそ本領を発揮する者達なので持ち場を離れるなど出来る訳がない。

 強いが故に、単独で戦わなければならないのが彼等の弱点と言ってもいいかもしれない。

 

「ウカノミタマ、オオトシ。準備をしておきなさい…! 最悪の場合、私が出なければいけないかもしれません…。ヴィクティムと共にこの第八階層で必ず侵入者を止めます…」

 

 だがヴィクティムは足止め要員。

 オーレオールはレベル100とはいえ支援を得意とする為、この二人では配下を率いても防衛には不十分と言える。

 

「せめて階層守護者の御一人が、私以外の100レベル級の者が一人でもこのナザリックに残って頂いていたなら…! いえ、今は無いものねだりをしている場合ではありませんね…。外に出た階層守護者達が戦闘に入ったという情報は入ってきていますしすぐに呼び戻すのは不可能…。今ある戦力だけでどうにかしなければ…」

 

 ナザリックの防衛が不十分な状況においての侵入者にオーレオールは考えうる限りの手を打たんと奔走する。

 

 だが悲しいかな、事態は彼女の予想を遥かに超えていた。

 

 

 

 

 第五階層、氷結牢獄内『真実の部屋』。

 

 

「いらっしゃいますかニューロニスト様」

 

 様々な拷問器具が置かれたこの部屋へと何者かが訪問していた。

 

「いるわよん、あらプルチネッラじゃない、どうしたのん?」

 

 返事をしたのはこの拷問室でせっせと器具の手入れをしている、まるで膨れ上がった死体がボンテージを着ているような醜悪な姿。その頭部はタコのような触手がいくつも付いているかのような形をしている。

 話すと同時にくねくねと体をしならせるがその見た目と相まって破壊力は抜群である。

 

「侵入者の話をお聞きになりましたか!? 不敬にもこのナザリックに侵入してきた愚か者がいるとか」

 

「もちろん聞いているわん、だからこそこうしてせっせと器具の手入れと調整をしているのよん。間違いなく侵入者はここに送られてくるからねん」

 

「おお、流石わニューロニスト様! 素晴らしい! 願わくばその際に私を助手として付けて頂けませんか!? 少しでもナザリックの者達の幸せの為に働きたいのです! 侵入者の様子を後々に私がナザリックの者達に語って聞かせましょう! 侵入者が苦しめば苦しむ程ナザリックの者達わ幸せになるに違いない! ああ! 私は皆を幸せに出来る! この喜びわ至高なる御方にお仕えできる事の次に幸福です!」

 

 そうしてプルチネッラと呼ばれた道化師は高らかに両手を天に掲げる。

 それを満足そうに眺めるニューロニストだが彼等の予想は外れる。

 

 その侵入者がここに送られてくる事は決して無いからだ。

 

 

 

 

 第九階層、ロイヤルスイート『バー』。

 

 

「ピッキー、あれを」

 

「畏まりました」

 

 男性使用人によりカウンターチェアーに座らされたイワトビペンギンが気取ったように注文をする。

 常連である客の注文にいつものように茸生物(マイコニド)の副料理長が注文に合わせてカクテルを作る。

 あれと言われるものはただ一つ、リキュール十種を使った十色のカクテル『ナザリック』だ。

 外見は非常に美しいがその味は決して他人に勧められるようなものではない。

 目の前のイワトビペンギン以外に注文する者などいないだろう。

 

「それよりもエクレア様、よろしいので?」

 

 カクテル『ナザリック』を差し出しながら副料理長が尋ねる。

 

「何がだねピッキー」

 

 執事助手であるエクレアが優雅に料理長へと質問を返す。

 

「いえ、一般メイド達には退避命令が出ています。侵入者の排除が完了するまでは全ての業務を中止、安全な場所に隠れるようにと」

 

「し、侵入者!?」

 

 驚くエクレア。

 次に聞こえたのはバン、バシャン、―――カンという音だった。

 

「貴方は相変わらずですね、自分の手で持つのは遠慮してちゃんと使用人に持ってもらって下さい」

 

「……本当に申し訳ありません」

 

 深々と頭を下げ真摯に謝罪するエクレア。

 しかし謝罪が終わると同時に再び口を開く。

 

「そ、それよりも侵入者とはどういう事だねピッキー!」

 

「文字通り侵入者ですよ。不敬なる者がこのナザリックへと侵入したそうです。一般メイド達に教えてもらわなかったのですか? ここに来るまでに何人かと顔を合わせたでしょう」

 

「た、確かに何人ものメイド達とすれ違ったのに誰も教えてくれなかった…。な、なぜだ! 私はやがてこのナザリック地下大墳墓を支配する主となるというのに! 一体何が気に入らないと…!」

 

「そういう所じゃないですか?」

 

 心底疑問だというエクレアに副料理長は辛らつな言葉をかける。

 だがエクレアの耳には届いていない。

 

「使用人! 私を運べ! この私を差し置いて侵入者など…! 王位の簒奪など許さん! ナザリックを支配するのはこの私エクレア・エクレール・エイクレアーなのだ! 侵入者に目にもの見せてくれる!」

 

「イー!」

 

 そうしてエクレアは男性使用人に抱えられバーを飛び出していく。

 

「あれは死んだかもしれませんね…」

 

 バーの中で副料理長が小さく呟く。

 

 

 

 

 ナザリックに侵入者が入り込む少し前。

 

 

「こ、これは一体何が起こっているというのじゃ! なぜこんなことが…!」

 

「少し静かにしててもらえませんか?」

 

 狼狽するリグリットに対して海上都市の彼女は何でもないという風に淡々と言う。

 

「な、何を言っておる…! 何が起きているか分かるじゃろう!? これだけの異常な魔力の数! これだけ離れていても感じる程の強さ…! 近い場所などここからでもその光や爆発が肉眼で確認できる程じゃぞ!? 国が…、いや世界が滅ぼされてしまう!」

 

 だがそんなリグリットの叫びなど気にしていないように彼女は受け流す。

 

「聞いておるのか! た、頼む…! もしお主がどうにか出来るなら我らを…、いや世界を救う事に協力してくれ…! リーダーも認めたお主とツアー達竜王が協力すればもしや…」

 

「静かにして下さいと言ったでしょう? ()()()()()()()()()()()()()

 

「な、なんじゃと…?」

 

 そう言って彼女はリグリットなどそっちのけでただ一点を見つめ続ける。

 遠く、眼前に映る建物へと向かって。

 

 それはナザリック地下大墳墓。

 距離があってもその特徴的な外見を見紛う筈などない。

 ユグドラシルのプレイヤーであればそのほとんどが知っていると言っても過言ではないのだ。

 かつて1500人からなる討伐隊をも退けたユグドラシル一とも謳われる難攻不落の要塞。

 特に第八階層での攻防はネットにも出回り、あらゆるプレイヤーを震撼させる事態となった。あまりの光景に運営には「チートだ!」という苦情が大量に寄せられたのだがその苦情が受理される事はなかった。

 それ以来、ナザリックを攻略しよう等というプレイヤーは誰一人として存在しなくなったのだ。

 

 攻略に参加した者達はもちろん、動画を見た者達の全てがナザリックに足を踏み入れまいと誓っただろう。

 それだけあの第八階層での出来事は衝撃的であり、また受け入れがたいものだったからだ。

 間違いなくユグドラシル史に残る大事件であり、またアインズ・ウール・ゴウンの名を不動にしたものでもあった。

 

「まさか…、信じられない…。本当にこんな事が…」

 

 それは夢にまで見た彼女の希望への一筋。

 ほんの一欠片だが希望へと繋がり得る可能性のある存在。

 彼女が己が全てを投げ出すに足る価値のあるもの。

 

「後はこれが応えてくれるかどうか、か…。怖いな…、あれだけ望んだのに…、もう何にも動じないと思っていたのに…。いざその時になってこんなに震えるなんて…」

 

 そう一人ごちる彼女の手元は震えていた。

 だがそれでもなお必死に手に力を込める。 

 世界級(ワールド)アイテムである『永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)』がその手から零れ落ちぬようにと。

 

「ど、どうしたと言うのじゃ!? お主はさっきから何を言っておる!?」

 

 リグリットの呼びかけがようやく彼女に届いたのだろう。

 彼女がリグリットの方へと向き直る。

 

「ひっ…」

 

 思わずリグリットは悲鳴を上げた。

 なぜならそこにあった彼女の顔は先程までとは全く別の物だったからだ。

 顔の造形が変わった訳ではもちろんない。ただ目の輝きが、表情が、何もかもが変わっていた。

 全てに諦念していたような顔はどこにもなく、口は裂けたように引き攣り、その瞳は野心に満ち溢れる貴族のように血走りギラついている。

 本当に同一人物かと疑いたくなる程の変貌。

 

「はっ…、はっはっははっは! ここは、ここは()の知る限りユグドラシルで最も堅牢な拠点! 何者にも攻略された事は無く! あらゆる猛威を跳ねのけた脅威のギルド! 1500人からなる討伐隊すらも退けた伝説の場所! 無事に残っていたのか…!」

 

 リグリットはこの時初めて彼女の一人称を聞いた気がした。

 まるで男のようなその口調は僅かに違和感を覚えさせる。

 そんなリグリットの困惑を余所に彼女は騎乗していたモンスターから飛び降り、ナザリック地下大墳墓の前に立つ。

 そんな彼女を慌ててリグリットが追いかける、が。

 

「死にたくなければここから先には入らない方がいい」

 

 彼女が静かにリグリットへと忠告する。

 きっとそれが彼女にとってリグリットへの最大級の配慮だったろう。

 今は目の前の光景に夢中でもう他の事などどうでもいいとすら思い始めている。彼女は自分の事でいっぱいいっぱいなのだ。

 

「な、なんなのじゃここは…。この辺りの地理には詳しくないが…、このような巨大な墳墓が王国にあったなど聞いた事がない! 天空城同様、ユグドラシルという世界から流れ着いたものなのか!?」

 

「そう…。ここはナザリック地下大墳墓…。ヘルヘイムの奥地、猛毒の沼地が点在する大湿地帯であるグレンデラ沼地の先に存在する墳墓…。周囲には毒耐性型ツヴェーク達の巨大な住処があり踏破するだけでも困難。プレイヤーならば誰でも知っている。かつてその沼地を越え、1500人の討伐隊はナザリック地下大墳墓へと攻め入った事があった。その広大さと迷宮のような複雑さに討伐隊はその道中で墳墓内にNPUという文字をいたる所に書き記した事は多くの者の間でも語り草となっている…」

 

「え、えぬぴーゆー? な、なんじゃそれは?」

 

Nec Plus Ultra(ネクプルスウルトラ)。『この先には何も存在しない』という警句だ。多くの者がその身を犠牲に、しかし情報を残し共有し正解となる道をひたすらに模索し続けた。その甲斐あってやがて彼等はその深奥まで辿り着いたんだ…。まあそこで何も出来ずに全ての者が屠られたんだけどね」

 

 まるで心底愉快という風に彼女が笑う。

 第八階層による蹂躙とも言うべき歴史的大虐殺。

 チートと騒がれた原因、元凶。

 その名に相応しい超暴力(アルトラ)で討伐隊の生き残りはその全てが粉砕され息絶えたのだ。

 いつしか多くのプレイヤー達から畏怖と侮蔑を込められ、こう囁かれる事になった。

 

 ‐ヘルヘイムの地下大墳墓には『冥王』が住む‐

 

 

「ああ、最高だ…」

 

 そうして彼女はナザリック地下大墳墓へと足を踏み入れる。

 即座に近くにいた自動POPのアンデッド達が反応し攻撃を仕掛けようとする。

 この地へとナザリック以外の者が足を踏み入れて無事に脱出できた事は無い。

 これまでは。

 

「叶えろ永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)ッ! 俺の願いは――」

 

 やがて彼女はその手に持つ世界級(ワールド)アイテムを空高く掲げ、発動させる。

 願いを口にしたと同時に永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)は砕け、完全に消え去る。その残滓すら残らぬほど完璧に。

 

 何百年も待ち続けた海上都市の彼女の願い。

 それは古き約束を叶える為の一縷の望み。

 

(こ、これは…! こやつは…! かつてリーダーはこの海上都市の女性に危険は無いと言っておった…! だが本当にそうなのか…? ほ、本当にこの者には危険が無いと言えるのか…!)

 

 心の中でリグリットは何度も叫び問いかける。

 だが答えてくれる者などいない。

 

 激しい光が周囲を包む。

 

 聞こえるのは狂ったような甲高い声だけ。

 まるで悲鳴を思わせるような狂乱。

 

 

 そうして光が収まると同時に、彼女の願いは完璧に聞き届けられた。

 

 決して叶わぬ筈の、この世界において無から有を生み出すかの所業。

 

 本来、世界級(ワールド)アイテムの影響を受けぬ筈のナザリックでありながら、その影響からは逃れられなかった。

 かつて八欲王が『五行相克』を使用し魔法の存在を書き換えたように、法則や前提が変わるような事態になってしまえば世界級(ワールド)アイテムを所持していてもその影響は受けてしまうからだ。

 『永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)』により、ナザリックは―――

 

 だが、彼女はまだ何かを成し遂げた訳ではない。

 

 古き約束を叶えるのはこれからなのだから。

 

 

 

 止まっていた彼女の物語が再び動き出す。

 

 

 




【悲報】モモンガさん、キレる

今回は戦いまで描写出来ませんでしたが基本的にはほとんど登場人物が出揃ったと思います
それとモモンガさんの復活できる指輪は何度でも使用可能かは分からないのですが今作では話の都合上使い切りとしました

現在ナザリックに残っている防衛勢は出撃勢に比べて極少数しかいませんが今後はこちらも大騒動となると思います
あと前にも告知してますがこの作品ではオリキャラは出ません(名前のみのキャラや存在が示唆された者は出ますが)
最後まで原作から大きく逸脱しないように纏められればと思っております


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