弱体モモンガさん   作:のぶ八

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前回のあらすじ

モモンガさんデイバーノック愉快な二骨旅!
王国は滅びました



幕間:周辺諸国

 スレイン法国の特殊部隊である六色聖典の一つ、陽光聖典。

 入隊には最低でも信仰系の第3位階魔法を使える必要があるなどエリート中のエリート集団である。その部隊の隊長であるニグン・グリッド・ルーインは帰国後早々、新たな任務の為にすぐ国を離れる事となった。

 

「ニグン隊長、任務を中断してまで帰還させられたというのに我々は例のアンデッド絡みではないのですね」

 

「全くです。これなら急いで帰還する必要は無かったのでは?」

 

 ニグンの部下達が口々に言葉をかける。それにはニグンも多少なりとも思う所があった。

 法国において、総戦力という意味では最大の力を持つ陽光聖典。殲滅戦を得意とする彼等は六色聖典の中でも最も戦闘行為が多い。

 隊員数は予備兵を合わせても百名に届かない程しかいないがその層の厚さは他の追随を許さない。同数での勝負ならば亜人種や異形種にさえ後れを取らないだろう。間違いなく、世界でも有数の戦力を有する集団である。

 そんな隊員達を率いるニグンもまた当然の如く優秀。リーダーとしての資質はもちろん、個としての能力は人類の中でも上位と言える。

 

「言うな。王国が滅びた以上、ガゼフ抹殺もまた意味を成さなくなった。しかし国として腐り落ちる前にアンデッドに滅ぼされる事になるとはな…。いや、これも度重なる腐敗を重ねてしまった王国ゆえか…。まぁ帝国が併合に乗り出したようだし人類的には良かったのかもしれんな…」

 

 部下達を窘めながらニグンは足を進める。

 スレイン法国の掲げる理念は人類の救済だ。この世界において人類は圧倒的弱者である。

 しかし、かつて絶滅の危機に瀕していた人類を救済し、スレイン法国の基礎を築いたとされる六大神と呼ばれる者達がいた。スレイン法国は彼等を神と崇め、信仰し、600年もの間その意思を継いできた。

 六大神の血を引く者達を筆頭に、国を挙げて強者を作る事に全力を注いだ。特に信仰系魔法の育成は他国よりも非常に進んでいる。

 ニグンは法国有数の実力者であり、法国を支えているという自負もあるが今回はあまりの事の大きさから漆黒聖典が動く事が決定された。

 陽光聖典同様、六色聖典の内の一つである漆黒聖典。しかしその存在は秘匿されており国内でも彼等を知る者は多くない。ニグンは地位も高く、漆黒聖典の事情を知り得ている。しかしだからこそ納得せざるを得ない。

 人類でも上位に位置するニグンでさえ漆黒聖典の隊員達を格が違うと評するレベルなのだ。

 漆黒聖典の構成員はわずか11人と言われているがその実態はハッキリしていない。しかし彼等の多くは六大神の子孫であり、中にはその血を覚醒させた神人と呼ばれている者も在籍している。

 今回、国の最重要任務に携わることが出来ないのは素直に悔しいが、彼らが動くとなればニグンの出る幕は無い。

 

「我々は命じられた任務を忠実にこなそう。今回も今までと同じく竜王国への出兵だが、今回ばかりは少々事情が違うようだ。竜王国を襲うビーストマン達の勢いは例年よりも激しい上、例のアンデッド騒ぎで上層部はそちらに戦力の多くを割く事を考えているようだ。恐らく援軍は期待できない」

 

 ニグンの言葉に部下達の顔に焦りの色が見える。

 

「なっ…! わ、我々だけで例年よりも激しいビーストマンの群れを退けろと上層部は仰るのですか!?」

 

「馬鹿な! ま、毎年何人の仲間の命があそこで失われていると…!」

 

 いくら陽光聖典が世界でも有数の戦力を持つとはいえ、圧倒的数で勝るビーストマンを相手に戦うのはかなり厳しいと言わざるを得ない。竜王国自体はすでに疲弊しきっており、法国の助けがなければすでに滅んでいてもおかしくない程なのだ。

 陽光聖典も竜王国には何度も出兵しているがいずれも容易い戦いではなく、何人もの隊員をその度に失ってきた。にも拘らず、例年よりも激しい侵攻に加え援軍も無いとなれば部下達の焦燥も当然だろう。

 

「みなまで言うな、私とて分かっているさ。だが仕方あるまい、竜王国が落ちれば一気に人類の勢力圏内へ亜人種共の侵入を許す事になってしまう。人類の為にも竜王国に滅んでもらう訳にはいかないのだ」

 

「し、しかし隊長…!」

 

「これでは我々に死ねと言っているのと変わりません…!」

 

 部下達の言葉がニグンの胸に突き刺さる。

 なぜなら部下の懸念は正しい。それを誰よりもニグンが理解していた。上層部は彼等に死ねと言っているのだ。

 謎のアンデッドが王国を蹂躙し、次はどこで騒ぎが起きるか分からない。最悪の場合、法国を挙げての戦争になるだろう。そんな時に竜王国が落ち、南からの侵攻にも脅かされるなどあってはならないのだ。

 その為、謎のアンデッドへの対処が終わるまで竜王国を死守するのがニグン達の役目なのだ。部下達はそこまで把握していないし、ニグンも上層部に直接そこまで言われたわけではない。しかし状況から考え、無事に生還できると思うのは楽観的すぎる。援軍が無い時点で国には何も期待できないのだ。

 

「皆の不安は承知している…。だが我々はなんだ? 我々は、我々こそが人類の守り手だ…! 各員の利益ではなく、全体の利益の為に協調して動く存在だ…! 人類を滅びから救い、人類を導く誇り高き集団だ…! 最後まで貫こうじゃないか…。我々こそが六大神の代行者なのだと世界に示す為に…!」

 

「た、隊長…」

 

「ニグン隊長…」

 

「さぁ行こう…、人類を救済する為に…!」

 

 気高く誇り高いニグンの姿に部下達の不安が次第に消えていく。そして自分達の役目を思い出し誰もが奮起する。

 しかし言葉とは裏腹にニグンの手は震えていた。

 ニグンは確かに強い。だがやはり彼はただの一人の人間なのだ。死が恐ろしく、不安は頭から拭えない。しかし部隊の隊長としてそれを表に出す訳にはいかない。必死に自分を殺し、恐怖を忘れようとしている。

 もしかすると命の危機に直面したら情けなく命乞いをしてしまうかもしれない。命惜しさに全てを投げ出してしまうかもしれない。

 だが彼はそうありたいとは思っていないし、そうなりたいとも思っていない。

 人類至上主義で他種族を見下しはするものの、悪意によって他者を貶めようなどと考えた事は無いし、本当に強く気高い存在でありたいと願っている。

 良くも悪くもニグンは人間なのだ。

 強くもあり、弱くもある。だが彼は間違いなく必死に努力し、己の人生を捧げ人類の為にずっと働いてきたのだ。

 一体誰が彼を責められるというのだろう。

 仮に死を目前に取り乱す事があったとしても、それこそが人間なのだから。

 

 

 

 

 一人の青年が黒色の長髪を靡かせながらため息を吐く。

 彼の背後の会議室では今もまだ同じ議題が続いているだろう。しかしあの部屋での彼の役目は終わりだ。だからこそ退室したのだから。

 彼は王都で起きた事件に関しての意見を求められ呼び出された。

 問われた事は多くない。

 彼の所属する漆黒聖典の中で、王国最強の冒険者チームである蒼の薔薇を単独で撃破できる者はいるのかという問いだ。答えはイエス。ただ人類最強の存在であり、人類の守り手である番外席次を除けばそれが可能なのは漆黒聖典隊長たる彼しか存在しないが。

 

 王都での事件は彼も聞いている。

 謎のアンデッドが突如として出現し、王都を血の海に沈め多くの命を奪ったという。その際に蒼の薔薇と交戦し単独で撃退しているらしい。しかもその後に伝説のアンデッドたる死の騎士(デスナイト)を10体以上も召喚したとか。

 とてもではないが考えられない。

 ゆえに法国が信奉する六大神の一人であるスルシャーナの再臨、あるいはそれに類する神の降臨だと騒ぐ者達も多い。

 しかし、漆黒聖典が誇る占星千里が破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)の復活を予言していた時期とも一致しているのだ。無関係とは簡単に判断できない。

 だからこそ会議は荒れているのだ。何日も不毛な討論が繰り広げられている。

 

 何より神の降臨支持派は、風花聖典が王都から持ち帰ったという赤いポーションなるものを引き合いに出している。それはかつて六大神も使用していたと伝えられている神の血と呼ばれるポーションに類似しているらしい。

 その為か、神であるという意見はほとんど間違いないと目されているがそれが人類の味方かどうかはまだ判断が付かない。

 伝説に謳われる八欲王の如く、世界に災厄を齎す悪神の可能性すらあるのだ。

 

「しかし、いつになったら結論が出るのだろうね」

 

 神官長会議――スレイン法国における最高会議からの解放感から彼は少し肩を回した。その際にかちゃかちゃという音に引っ張られるように視線が動く。

 その先には壁に持たれかかるように一人の少女が立っていた。左右で色の違う髪、同様に瞳の色も左右で違う。まだ少女とも言える幼い外見だが、実年齢とは大きく異なっている。

 血と血の混じり合いとあり得ない確率で生まれた彼女こそ漆黒聖典最強の番外席次、絶死絶命。法国の聖域である、五柱の神の装備が眠るこの場所の守護役を務める存在である。

 音の発生源は彼女がその手元で弄んでいるルビクキューと呼ばれる六大神が広めたとされる玩具だ。

 

「一面なら簡単なんだけど二面を揃えるのって難しいよね」

 

 彼からすれば大して難しくないがもちろん口にはしない。苦笑で答える。

 

「一体、何があったの? 毎日毎日、神官長達が集まって」

 

「報告書は既に届いていると思いますが?」

 

「読んでない」

 

 すっぱりと彼女は答える。

 

「それより事情を知っている人に聞いた方が楽だからね。占星千里の占いはどうなったの? 復活するかもしれない破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)を支配下に置く為に貴方達が出撃するって聞いていたけど…」

 

 話す最中、彼女と目が合う事は一度も無い。その視線はずっと玩具に向けられたままだ。

 

「それは一旦見送りです。先日、謎のアンデッドによって王国が一夜にして滅びました。その際に蒼の薔薇と交戦し、単独で退けたという情報についての見解を求める為に私は呼ばれたのです」

 

「へぇ…。蒼の薔薇って一応王国最強の冒険者でしょ? それを単独で…。貴方の見立てはどうなの?」

 

「漆黒聖典の中でも彼女達を単独で撃破が可能なのは貴方と私ぐらいです。他の者ではとても…。神官長達の間ではそのアンデッドが神かそうでないかで意見が対立しています」

 

 その言葉で初めて彼女の顔が上がり、彼の顔を見つめる。

 

「神…! そのぐらい強いってこと…!?」

 

 その口元が喜悦に歪んでいる。

 

「分かりません…。ただ私とカイレ様はそのアンデッドこそが破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)だと睨んでいますが…」

 

「ふふ、ふふふ…。破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)…! ならばやはり予言は正しかったという事…!? もし本当に世界を滅ぼせる存在だとしたら…、その強さはどのくらいなんだろう…!?」

 

 彼女の悪い癖が始まった。彼は窘めようと言葉を紡ぐ。

 

「もしそうであれば我々はカイレ様と共に支配下に置く為に即座に動きますよ、貴方の出番はありません」

 

「相変わらずつまらない事を言うんだね…。残念だよ、敗北を知れると思ったのに…。せっかくだし一度くらい戦わせてくれてもいいと思うんだけど…」

 

「もしあなたが敗北したら人類の終わりです。何より評議国との盟約がある以上、上層部が出撃を許してくれる事はありませんよ」

 

「別に知ったこっちゃないよ。どっちにしろ攻め込まれたら戦わないわけにはいかないでしょ? 私はね、それが神でも破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)でも何でもいいの…。私に勝てる存在であれば何でも構わない…! どれだけ不細工で性格が捻じ曲がっていても…! どんな種族だって…! だって私に勝てる存在なんですもの…。そんな存在がいたら…!」

 

 下腹部に手を当てた彼女が今日初めて満面の笑みを見せた。

 

「アンデッドが子を生せるとは思いませんが…」

 

「あら、神かもしれないんでしょ? そうであれば子の一つぐらい作れると思うけど」

 

「不敬ですよ。聞かなかった事にしておきます」

 

「固いなぁ…。本当につまらない」

 

 ムスっとした彼女をみながら彼は思う。

 もし破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)を支配下に置けなかった場合、人類はどうなるのだろう。そして彼女はどう動くのだろう。最悪の場合…。

 一抹の不安が頭をよぎったが彼はそれ以上考えない事にした。

 

 

 

 

「行くのか、イビルアイ…」

 

 都市を出ようとするイビルアイを呼び止めるようにガガーランが声をかける。

 

「すまんな。だが私には奴を見過ごす事など出来ないよ…」

 

 そんなイビルアイの言葉にティアとティナが涙ぐむ。

 

「孤影…」

 

「悄然…」

 

 ラキュースは全てを悟っていたように悲しげな表情を見せていた。

 

「正直言うと、私はイビルアイに行って欲しくない…。でも、分かるわ…。私達も貴方と同じくらい強かったらきっとあのアンデッドを追っていたでしょう…」

 

 歯を食いしばり、強く拳を握るラキュース。

 

「でも…、悔しいけれど…! 私達は何の役にも立てなかった…! あのアンデッドが召喚した騎士にさえ…! イビルアイ一人だったら倒せたかもしれない…! でも、私達がいたから…!」

 

 アダマンタイト級の冒険者。その蒼の薔薇のリーダーでありながらラキュースは自分の無力さを嘆くしか出来なかった。

 自分達は強いと思っていた。このチームならば倒せない敵などいないのではないかと思った時さえあった。

 でも違った。

 真の強者の前には自分達がどれだけ無力で、か弱いのか知ってしまった。

 

「イビルアイは反対するかもしれねぇが本当言うとよ、俺はお前に着いていきたいんだ。でもよ、誰よりも自分が分かってる。どう足掻いてもイビルアイの足手まといにしかならねぇって…」

 

 ガガーランのいつもの大きな態度はどこかへと消え去っておりすっかりしおらしくなっていた。

 

「私はお前達の事を足手まといだと思った事など…!」

 

「言うなよ。イビルアイの気持ちは分かってる。でもよ、これはれっきとした事実だ。アダマンタイトの任務に(ゴールド)白金(プラチナ)を連れていく事は出来ねぇだろ。そんなん援護だって迷惑なレベルだ」

 

 その例えは的を得ていた。イビルアイと他のメンバーではそのくらい強さに開きがあるのだ。

 

「ガガーラン…」

 

「お前が気にする事じゃねぇよ。俺達が悪いんだ、お前の強さに着いていけない俺達がな…」

 

 ここにいる誰もがガガーランと同意見だった。誰もイビルアイを責めてはいない。イビルアイに着いていけない自分達を責めているのだ。

 

「でも…、ここで奴を見逃すのは蒼の薔薇じゃない…!」

 

「悪人は絶対退治するべき…!」

 

 ティアとティナが声を絞り出す。

 悪を見過ごせない彼女達だからこそこの結論に至ったのだ。自分達より敵が強いからと言って尻尾を巻くような彼女達では無いのだ。

 とはいえ現実問題としてイビルアイに着いていけば足を引っ張る事しか出来ない。誰もが悔しさを滲ませながら耐えているのだ。

 

「イビルアイ、困った事があったらいつでも言ってね。助けが必要ならすぐに飛んでいくわ」

 

「おうともよ! 俺達だって逃げる訳じゃねぇ! 例のアンデッドに有効な手が無いか探してみるぜ!」

 

「他国とも交渉する」

 

「対抗できそうな手段考える」

 

 仲間の応援を受け、イビルアイは一歩前へ足を進める。

 

「絶対帰って来いよ、お前は蒼の薔薇の一員なんだからよ。勝手に死んだら許さねぇぞ」

 

「国の事は任せて。帝国に併合されたとはいえ、細かい問題も多いの。まだまだ問題は山積みよ」

 

「ガゼフも大変そうにしてた」

 

「クライムも」

 

 手を振る仲間達へイビルアイも手を振り返す。

 

「ああ、分かってるよ。必ず帰ってくるさ。あのアンデッドを仕留めてな!」

 

 イビルアイはあの時の屈辱を忘れてはいない。

 あのアンデッドのたった一撃の魔法で沈んでしまったことを。

 自分より明らかに強い存在など竜王達のように数える程しかいなかった。だからこそ驕っていたのかもしれない。もう一度、自分よりも強い存在に挑むという気持ちを持って戦いに臨まねばならないだろう。

 確かにあのアンデッドは強かった。

 しかしイビルアイからすれば絶対に手の届かない強者という訳では無い。

 地の力では勝てなくとも有利不利の関係を取れればそれも覆せる。作戦を練り、弱点を突けば可能性は十分にある筈だ。自分もかつて格下と呼んでも差し支えない人間に負けた事がある。絶対などないのだ。

 とはいえ自分一人で事を為そうと思う程うぬぼれてはいない。必要に応じて助けを求める必要も出てくるだろう。例えば、かつての仲間である竜王や死者使いなど。

 そう心に刻み込みイビルアイは歩み始める。

 一時的とはいえ仲間との離別は悲しいし寂しい。

 だがあのアンデッドの無法を放っておく事も出来ない。

 

「お前の凶行、必ず私が止めて見せるぞ…。待ってろ…」

 

 確固たる意志とアダマンタイトの矜持を胸に、イビルアイは王国を滅ぼしたアンデッドを単身追いかける。

 

 

 

 

 絢爛豪華という言葉を体現する部屋があった。

 窓や扉はこれ以上ないという程に細かな装飾が施され、置かれている調度品の数々も全てが逸品だと思わせる。

 床に敷き詰められた真紅の絨毯は柔らかく、その毛並みから最上の物であると容易く判断できる。

 そんな室内に置かれた上質の天然木で作られた長椅子に一人の男性がすらりと伸びた長い脚を放り出し深々とかけていた。

 その容姿は目にする者の心を引き付ける程に美しい。

 眉目秀麗という言葉に相応しい輝きを持つ男性だが、それ以上に容姿とは無関係にその身に纏う雰囲気、生まれながらに絶対的上位に立つ者だけが漂わせるオーラを感じさせる。

 その様はまさに、支配者。

 

 彼こそジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。

 齢22にしてバハルス帝国現皇帝であり、歴代最高と称される皇帝である。そしてまた多くの貴族達を粛清したことから鮮血帝の異名で畏れられる人物だ。

 周囲には従者たる男達の姿があるがいずれも直立不動のまま彫刻と見紛う程に動かない。

 ジルクニフはしばらくの間眺めていた数枚の用紙から目を離し、視線を宙に向ける。

 

「全く…。王国の貴族共はどこまで使えないんだ…。現状で統治を任せられる者などほとんどいない上、ろくな支配をして来なかったと見える…。王国を一から作り直すのは結構な骨だぞ…。やれやれ…、粛清をする前の帝国でさえ王国に比べればマトモだったな…」

 

 ただでさえ多忙な日々に、突如多くの仕事が舞い込んできて死にそうであった。

 

「王国を支配できるのは良いが…、これでは本末転倒だ…。雷光と激風を送り出したのは失敗だったか…? しかし奴等を派遣しなければ色々と面倒が…。くそ、とはいえ帝都の戦力を減らしてしまったのは純粋に痛いな…」

 

 ブツブツと文句を口にするジルクニフ。

 その時、ノックもしないで無遠慮にドアが開かれる。

 あまりに無礼な態度に従者たちが剣に手を伸ばし、敵意ある目を一斉にドアへと向ける。だが入室者を確認した従者たちは警戒の構えを解いた。

 入ってきたのは自らの身長の半分程の白髭をたたえた老人だ。髪も雪のように白いが薄くはない。

 顔には生きてきた年齢が皺となって現れ、鋭い瞳には歴然たる叡智の輝きが宿る。

 この老人こそ帝国史上最高位の魔法詠唱者(マジックキャスター)にして主席宮廷魔法使いである大賢者三重魔法詠唱者(トライアッド)フールーダ・パラダインだ。

 

「魔術の残滓を探し、調査しましたが発見は不可能でした」

 

 だがその言葉とは裏腹に今にも零れそうな笑みを浮かべている。

 

「つまり?」

 

「王都を襲ったという謎のアンデッドはかなりのマジック・アイテムを保有している、もしくは己の力で防いだのだとすれば私と同等…、あるいはそれ以上の魔法を行使する者かと」

 

 ジルクニフとフールーダを除き、室内に緊張が走る。かのフールーダ・パラダインに匹敵するという言葉に耳を疑っているのだ。

 

「なるほどな、だから嬉しそうなのか。爺」

 

「当然です。私と同等、もしくはそれ以上の力を保有する魔法詠唱者(マジックキャスター)とは二百年以上会った事がありませぬ」

 

「二百年前は会ったのか?」

 

「そうですな、御伽噺の十三英雄。そのうちの一人、死者使いのリグリット・ベルスー・カウラウ。かの御仁一人ですな」

 

 その言葉に再び室内に緊張が走る。この場に居合わせた従者達はその言葉をとてもではないが信じることが出来ない。例の王都を襲ったというアンデッドが御伽噺に出てくる英雄に匹敵する存在などと。

 

「しかし例のアンデッドはそれ以上かもしれませんな…。私はもちろん、かの御仁でさえ死の騎士(デスナイト)を使役したという記録はございませぬ。もしかすると死者使いの名に相応しく使役出来ていた可能性も否定はできませんが十体以上となると流石に…」

 

 その言葉だけで王国を襲ったというアンデッドがいかに規格外かという事が理解できる。

 何より帝国史上最高位の魔法詠唱者(マジックキャスター)であるフールーダでさえ、一体の死の騎士(デスナイト)を使役する事すら出来ないのだ。十体以上ともなると規模が違う。

 

「これは是非とも会って魔術について討論したい御仁ですな。死の騎士(デスナイト)の使役も何かコツがあるのか、それとも私のやり方が間違っているのか…。もしかすると術者がアンデッドであれば使役できるという可能性も…。いや、それよりやはり単純に魔術の腕が…」

 

 自分の世界に入り考え込むフールーダだが、すぐにジルクニフが声をかけ戻って来させる。

 

「しかし爺よ、そんな単純な問題ではあるまい。相手はアンデッドだぞ? しかも王都を襲った所から見て人間に敵意を持っている可能性が高い。帝都が襲われたらどうする」

 

「確かにその可能性は否めませんな…。そうであればそれ程悲しい事はございませぬ…。ですがかのアンデッドが襲ったのは腐り切った王国…。永い時を生きたアンデッドは高い知性を持つ事があります。これほどの力を持つならば尚更でしょう。単純な人間への憎しみだけで動くとは思えませぬ。何か理由があるのやも…。ここは万が一の可能性に賭け友好的に接するべきだと考えますが…」

 

 フールーダの言葉には明らかな下心が見えていたがジルクニフは否定しない。

 どう足掻いても敵対するような者であればどこかで必ずぶつかるしかないのだ。ならばそれこそ万が一の可能性に賭け友好的に接するというのは悪い手ではない。

 これ程の力を持つアンデッドだ。少なくともバカではないだろうし、流石にいくら強いとしても無闇に帝国を敵に回すことは無いだろうと判断できる。

 アンデッドであるという事に目を瞑り接すればフールーダの言う通り友好的な関係を築ける可能性も0ではない。

 仮に友好的ではなくとも敵対しなければそれでいいのだ。

 

「悪くはないな…。もし制御が利くようなら帝国に迎え入れてもいい。いざとなればアンデッドである事などどうとでもなる。それ以上の価値がありそうだしな」

 

「おぉ…! 非情に素晴らしいと思いますぞ! 魔術の深淵を覗こうとするには様々な智者が必要。種族が違う事によって得られる事もあるかもしれませぬ! かの御仁が私よりも先の道を切り開いた者であればこれ程喜ばしい事は無いのですが…」

 

 声には渇望があった。

 ジルクニフは知っている、フールーダの夢を。

 フールーダは魔術の深淵を覗きたいのだ。その為に自分の先に立つ者に師事を請いたいのだ。

 常に魔導の先頭を歩んできたフールーダは、暗中模索する為に無駄の多い道を辿ってきた。もし無駄なく生きてこれればより強大な魔法詠唱者(マジックキャスター)になれたという自負があった。

 才能にも限界はある。

 フールーダはそれを解するからこそ、自分を導いてくれる者を求めていた。これ以上無駄な時間など過ごしたくないのだ。

 自分を超える人物、あるいは匹敵する人物でもいい。それを望み、後進の育成にも力を注いだ。願いが叶ったためしはないが。

 それだけ焦がれた人物がついに現れたかもしれないのだ。フールーダの気持ちは察して余りある。

 年甲斐も無くはしゃぐフールーダを見てジルクニフは可能であればそのアンデッドを手中に収めたいと思う。もちろんそうすれば戦力的に心強いというのはある。他国に渡らせるのを阻止したいとも。

 だがもっと単純に、フールーダの願いを叶えてやりたいと素直に思うのだ。それはどれだけ権力があっても、金があっても叶わぬ願いなのだ。

 この多忙の中、兵士を使う余裕は無いがワーカーでも雇って例のアンデッドを探させようかと考える。フールーダの魔法で探せないものをただのワーカーが探せるとは思えないがやらないよりはマシだろうとジルクニフは思う。

 

 だが奇しくもすぐにその必要は無くなる。

 それは彼等の願う形とは違ったものになるかもしれないが。

 

 

 

 

 深い闇の中から意識が覚醒する。

 目覚めと共に彼は己の存在を再び認識する。偽りの生とは言え、長い時を生きる事に倦み始めた彼は定期的に意識を閉ざし多くの時を過ごしていた。

 本格的に目覚めるのは何十年振りだろうか。

 組織を運営する為に定期的に目覚めるだけの作業が彼の日常だった。しかし少し前にそれが変わった。

 王国を滅ぼしたというアンデッドの存在はすぐに部下を通して彼の耳に入った。すぐに各地に散った部下達を招集し、それに合わせ自分を完全に覚醒させる準備に入った。

 そして今、意識を完全に取り戻す。次に自分が寝ている間の情報を部下から仕入れる。どうやら招集した十二高弟達はすでに集まっているようだ。

 やがて彼は椅子からゆっくりと立ち上がり、杖を手に取る。

 かつて失われた力は未だに戻らない。恐らく完全に戻る事はもうないだろう。しかしそこは重要な事ではない。問題は自分の目的を叶えられるか否かという点だけだからだ。

 自分に力が無ければ、力を束ねれば良い。

 

 自分の眠っていた部屋を出て、長い廊下を歩いていく。

 暗く冷たい空気と石壁に囲われたそこは墳墓を思わせる。あるいは牢獄へ至る道だろうか。

 しばらくすると廊下の先に重々しい扉が見える。

 彼が姿を見せると待機していた部下が扉を開けた。

 静かに入室し、彼は部屋の中を一瞥する。

 

 暗い部屋の中。

 そこには円卓の机を囲むように13の席が並んでいる。

 すでに12の席は埋まっており、最も豪華な席だけが空いていた。

 彼はそこへと歩みより、着席する。

 

「待たせたな…」

 

 それは死者に相応しき生者を引き摺り込むような悍ましき声。

 

「いえいえ、とんでもありません」

 

「そうですとも。こうして盟主様に拝謁できるとは感激の極み」

 

「そうじゃのう、久しぶりじゃ盟主よ…」

 

 各々が盟主と呼ばれた男へ向かって声をかける。それはアンデッドのものであったり、老人のものであったり様々だ。そのいずれもが盟主同様に負のオーラを撒き散らしている。

 しかしその中で一人だけ異彩を放っている人物がいた。

 それはネクロマンサーやアンデッドを利用する魔法詠唱者(マジックキャスター)が中心に構成されている組織の中で戦士職という珍しい存在。

 だが異彩を放っている理由はそれではない。

 盟主を前に誰もが歓喜の色を浮かべる中、一人だけ下を向き子犬のように怯えていたからだ。

 

「どうした…? クレマンティーヌ、だったか? このタイミングだ、お前には法国の動きを教えて貰いたいのだが…」

 

「ひっ…」

 

 盟主の言葉と共にクレマンティーヌの身体が強張る。

 それと同時に円卓を囲む他の者達から笑いが漏れる。

 

「盟主様、それは叶わぬ願いです。クレマンティーヌは愚かにもこのタイミングで法国を裏切ったのです」

 

「そうじゃ。法国の情報を持ち帰るどころか追っ手から逃げ惑う始末」

 

「下手をすれば組織にも影響が出かねませんね。漆黒聖典等が出張ってきたらこちらとしても相応の対応をせざるを得ませんから」

 

「全く、厄介な時に厄介な事を引き起こす女よ」

 

 誰もが口々にクレマンティーヌを非難する。だが本心から怒っている者など誰もいない。元々、組織に所属していながら勝手きままに動くクレマンティーヌを疎んでいた者は多い。しかしその実力は高く、クレマンティーヌと戦って勝てるといえる存在は組織内に3名程しかいない。故に誰もが憎々しく思いながらも黙認していたのだ。

 だが最悪とも言えるタイミングで失態を犯したクレマンティーヌは彼等からすれば良い見世物のようだった。表立って非難しても本人に反論する余裕などある筈が無く、いつも顔に張り付いていた人を馬鹿にしたような笑みは剥がれ落ちている。

 誰もがクレマンティーヌを嘲笑い、馬鹿にしていた。

 

「ふん…」

 

 だがその中でカジットだけは呆れたようにそれを見ていた。クレマンティーヌに情が湧いたとか、正義感とかでは決してない。ただ単にそれが不毛で時間の無駄に過ぎないからだ。

 

「ほう…。それはまだ聞いていなかったな。誰か詳しく教えてくれないか…?」

 

 盟主の問いに何人かが率先して事情を説明する。笑いと侮蔑を込めながら。その間クレマンティーヌは文句も言わず震えながら聞いていた。

 事情を聞き終えた後、再び盟主が口を開く。

 

「なるほど…。クレマンティーヌの存在価値は漆黒聖典に所属している事だと思っていたが致し方あるまい…」

 

 その言葉にクレマンティーヌの身体がビクッと跳ねる。

 自分はその実力を買われていたと判断していたが、盟主の言葉から自分の価値はそこではなかった事を思い知らされたからだ。

 

「さて、で例のアンデッドだがまだ消息は掴めていないのか…?」

 

「残念ながら…」

 

「現場に居合わせた者はおらず、魔力の痕跡を辿ろうとしましたがそれも…」

 

 誰もが申し訳なさそうに首を振る。

 

「なるほど…。まぁ情報通りの実力者であるならば簡単には追えまい…。別の手を考えよう…」

 

「別の手とは? 盟主様には何かお考えが…?」

 

「そうだな…」

 

 考え込むように盟主が空を仰ぐ。

 しばらくして視線を戻し、再び口を開いた。

 

「例のアンデッドへ向けてこちらもその存在をアピールすることにしよう。運が良ければ向こうから接触してきてくれるかもしれん…」

 

「しかしどうやって?」

 

「確か帝国に邪神を崇める邪教組織を作っていただろう? それを使う事にしよう。帝国は今王国を併合する為に人材を派遣しているようだがそのおかげで帝国内の統治が甘くなってしまっており戦力も分散している…、そうだな?」

 

「はい、その通りです」

 

「良い機会だ…。我々の力を以てして帝都アーウィンタールを血の海に沈めよう…。王国を滅ぼすような存在だ、きっと我々の行動に共感してくれるだろう…。例のアンデッドが血を望むなら血を…。死を望むなら死を…。求めるものが同じであるならばきっと同志となってくれるだろう…」

 

「おぉ…!」

 

「確かに…!」

 

 周囲から驚きと感嘆の声が上がる。

 

「その為には帝国に犠牲になってもらおうじゃないか…。私を含め、十二高弟全員で乗り込む。とはいえ、何の準備も無しという訳にはいかない。終わった後に全ての責任をその邪教組織に所属する貴族共に擦り付けねばいけないからな…。まずはその邪教集団の教義に従って生贄に出来る子供でも集めておけ。従来の十倍程度集めればいいだろう。それに伴う儀式の規模もそのくらいで考えておけ。派手に事を起こしたいが何より奴らが何らかの儀式をしたという建前が必要だ。最初からいきなり我々全員で乗り込むわけにもいくまい。我々は儀式の後、帝都の混乱に便乗し乗り込もう。まずは誰かにその下準備を行ってもらいたいのだが…」

 

 盟主の視線が他の者達へと向けられる。

 

「それならばクレマンティーヌが適任では?」

 

「そうですな、魔法は使えないのだし儀式の準備くらいはしてもらわないと…」

 

 そうして場の全員の視線がクレマンティーヌへと向けられる。

 

「へっ、わ、私…、ですか…?」

 

「ふむ…。悪くないかもしれないな…。統治が甘くなったとはいえ鮮血帝の支配する帝都は未だ盤石だ…。だからこそ血の海に沈める価値があるのだがな…。とりあえずだ、私を含めアンデッドの者が忍び込むのは流石にリスクが高い。その点で言えばクレマンティーヌは適任だな…。よし、下準備はお前に一任しよう」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい、わ、私だけですか…?」

 

「何か不満なのか…? せっかくお前の新たなる価値を皆に示せる機会だと言うのに何か文句でも…?」

 

「うっ…、あ、い、いや…、な、ないです…」

 

 盟主の迫力に気圧され、了承してしまうクレマンティーヌ。

 いくらクレマンティーヌとはいえ警備の厳しい帝都で動き回るのは簡単ではない。もちろん、今まで邪教組織がやってきたように細々と動くならば何の問題も無い。

 だが要求されたのは少なくとも十倍の規模だ。鮮血帝も馬鹿ではない。それだけ派手に動けば流石に隠し通せないだろう。

 クレマンティーヌは薄々ながらも察していた。

 これは帝国の軍をおびき出す為の罠だ。だからクレマンティーヌの立てる細かい事前計画などどうでもいいのだ。ただ派手に動けばそれでいい。核となるのは、動いた軍を叩き潰す盟主達のほうだ。だが囮になるクレマンティーヌはどうなるのだろう。危機一髪のタイミングで彼らが助けに来てくれるとは思えない。

 組織にとってクレマンティーヌの生き死には計画に入っていないのだと理解した。

 だからといってここで反論など出来よう筈もない。すでに法国から命を狙われているクレマンティーヌがここで組織の反感を買う訳にはいかないのだから。

 

「しかし盟主様、帝都を血の海に沈めれば法国が動くのではないでしょうか?」

 

「うむ、間違いなく動くだろう…。恐らく漆黒聖典も例のアンデッドに接触したいと思っている筈だろうし、釣られてやってくるかもな…」

 

 断言する盟主の言葉に誰もが緊張感を抱く。

 

「もしもの時はそのまま漆黒聖典と一戦交えてもいい…。儀式を行い、大量のアンデッドを召喚している状態ならば漆黒聖典が全員揃っていたとしても負けはしないだろう…。ふふふ、ここで目障りな奴等を駆逐しておくのも手かもな…」

 

 漆黒聖典と一戦交える。その言葉に十二高弟の誰もが瞬時に真剣味を帯びる。それだけの相手なのだ。一歩間違えれば盟主共々全滅する。

 それを聞いていたクレマンティーヌはそうなった場合、どちらに勝利が転ぶのか結論が出せなかった。

 十二高弟達は強いとはいえ、個々の能力で言えば漆黒聖典に軍配が上がるような気がする。しかしアンデッド召喚や、それぞれ弟子達もいる事を考えれば総戦力では組織の方が上だろう。

 さらに盟主は恐ろしい程に強大だが、クレマンティーヌの見立てでは神人たる漆黒聖典隊長には敵わないと見ている。

 一対一で戦えば間違いなく隊長が勝つだろう。

 だがなぜだろうか。

 実際に二人が戦ったと仮定した場合、クレマンティーヌにはどうしても盟主が負けるという姿が想像出来ないのだ。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)としての底知れなさを盟主は持っている。まるでこの世の何もかもを知り尽くしているかのような全能感。

 その未知なる部分こそが恐ろしくもあり、また不気味なのだ。

 

 ただ、どちらにせよクレマンティーヌの先には闇しか広がっていない。

 肩を震わせたまま、その場で嗚咽をかみ殺す。

 

「では動こうじゃないか…。新たなる同志の為に…、そして世界に死を齎す為に…!」

 

 高らかに宣言する盟主が破顔したように他の者達には見えた。

 アンデッドであり、骨だけの顔に表情などある筈が無いのに。 

 

 ここで一つ補足するなら、占星千里の占いは正しい。

 ただモモンガという異分子が入り込んだ影響は世界中に及んだ。

 その影響を受け、長年の沈黙を破り動き出した盟主。

 彼女が予言したという破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)は一体誰を指しているのか。

 誰か気付くべきだったのかもしれない。

 占星千里は出現ではなく、復活を予言したのだ。

 だが直に分かる時が来るだろう。 

 

 その名の通り、世界を破滅に導く者こそが破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)なのだから。 

 

 

 

 

 鼻先で突如生じた、ふわりとした空気の流れの変化に気付いたツアーを支配したのは驚きという感情。

 ドラゴンの鋭敏な知覚能力は人間を遥かに凌ぐ。相手が不可視化を使っていようと、幻術で騙していようと、驚くほど遠距離の気配すら即座に感じ取る。

 だが竜王たる彼の知覚はそんな一般的なドラゴンとは比較にならない。それだけで彼の側まで迫れる者の能力の高さを証明していると言えるだろう。

 長い時を生きてきた彼でさえ、それほどの能力を持つ者は数える程しか知らない。

 同格の竜王か、すでにこの世にいないが十三英雄の一人で暗殺者。次に思い描いた人物の気配を感じ、ツアーは口元を歪める。

 感じた気配の先に立っていたのは人間の老婆だ。ドラゴンの鋭敏な知覚に気付かれずここまで来たという無邪気な笑みが皺だらけの顔に広がっていた。

 

「久方ぶりじゃな」

 

 返事をせずにツアーは老婆を眺める。

 白一色に染まった髪は生きてきた時間の長さを表している。老いは彼女を細く、弱くしたが心までは変えられなかった。

 

「なんじゃ? わしの友は挨拶すら忘れてしまったのか?」

 

「すまないねリグリット。かつての友に会えて感動に身を震わせていたんだ。そのため、言葉にできなくてね」

 

 ドラゴンである巨体から想像も出来ない朗らかな声を上げるツアー。

 それに対してリグリットと呼ばれた老婆は皮肉で返そうとするが今はそれどころではない事を思い出す。

 

「いきなりじゃが、お主は聞いたか?」

 

「何の話だい?」

 

「その様子じゃまだ耳に入っていないようじゃな…。ま、評議国の連中からすれば大した事だと思っていないのかもしれんが…」

 

 深刻な様子のリグリットにツアーが目を細める。

 

「何か問題が?」

 

「ああ、大問題じゃ。わしの読みが間違っていなければ、な」

 

 言葉を切り、一呼吸ついて再びリグリットが口を開く。

 

「世界を汚す力が再び動き出したかもしれん」

 

「なんだって! やはり百年の揺り返しが…! その様子だと今回はリーダーのように世界に協力する者では無かったようだね…」

 

「確証は無いがな…。とはいえ姿を現した早々、王都を血の海に沈めるような奴じゃ。楽観視はできまい。その影響で王国は滅んだのだしの」

 

 リグリットの言葉にツアーは驚愕する。

 

「な、なんてことだ…。確か君は冒険者をやっていたよね? もしかしてここに来たのは仕事か何かかい? ただ挨拶に来てくれたという事じゃないんだろう?」

 

「冒険者なんてとっくに引退しておる。わしの役目は泣き虫に譲ったよ」

 

「泣き虫? もしかして彼女のことかい?」

 

「そうさ、インベルンの嬢ちゃんさ」

 

「あー、彼女を嬢ちゃんと言えるのは君くらいだね。でも、よくあの娘が冒険者をやることに納得したね? どんなトリックを使ったのかな?」

 

「はん。あの泣き虫がぐちぐち言っておるから、わしが勝ったら言う事聞けと言ってぼこってやったわ!」

 

 カカカとリグリットは心底楽しそうな笑い声を上げる。

 

「あの娘に勝てる人間は君くらいだよ…」

 

「まぁ、仲間達も協力してくれたしの。地の力では勝てんとしても有利不利の関係もあればそれを覆せるわい。泣き虫が強いと言ってもより強き者はおる。例えばお主のようにの…」

 

 その視線に妙なものが含まれているのを察してツアーは問う。

 

「しかし君の代わりに冒険者をやっているということは彼女は王国にいるのかい? 事件の時、彼女はどうしていたんだい? もしかして王都を離れていたとか?」

 

 その言葉にリグリットの表情が曇る。

 

「いいや、戦闘になったらしい。相手は単独のアンデッド。対して泣き虫は他の仲間達がいたにも拘らず手も足も出なかったとか…」

 

 再びツアーの顔に驚愕の色が広がる。

 

「単独で彼女を…? それほどの強者がその辺に転がっていたとは思えないね…」

 

「そうじゃろ? 間違いなくぷれいやーじゃ。強さの程度は分からんが泣き虫を一蹴出来るような奴じゃ。雑魚ではあるまい」

 

 黙り込んだツアーを前にリグリットが続ける。

 

「わしは最悪を想定して動くよ。あの忌まわしき八欲王の再来となるかもしれんしの。これから海上都市へ向かい最下層で眠る彼女の助けを借りるつもりじゃ」

 

 リグリットの言葉にツアーは同意する。彼女の力を借りるという手段はツアーも考えてはいた。世界を汚す力が動き出した可能性が高い以上、躊躇している暇などない。

 

「一人で向かうのかい?」

 

「ああ。今日はお主にそれを伝えに来たんじゃ」

 

「そうか、でも少し心配だね」

 

「まぁの。わしとて不安はあるわい。でも今はリーダーの残した言葉に縋るしかあるまい。少なくとも邪悪な存在ではなかろうよ」

 

 そうしてリグリットはツアーに背を向け歩き出す。

 

「無事に帰って来てよ、君にはまだお願いしたい事があるんだ」

 

「カカカ、年寄り使いが荒いのう! 全く、こんな婆を働かせるのは勘弁して欲しいものじゃ!」

 

 そう言いながらもその言葉には友人に頼られて悪い気はしていないリグリットの心情が透けて見えた。

 

「じゃあ、またの」

 

「うん、また」

 

 そうして彼等は別れの挨拶を交わす。

 いつかまた会えると信じて。

 

 

 

 

 大陸の東に位置する海上都市。

 文字通り海の上に存在する都市でかつてのプレイヤーが残したものだ。

 その最下層に位置する場所では一人の女性が眠っている。

 巨大な水槽のようなものの中で、赤子のように体を丸め揺蕩っている。

 どれだけ永い間そうしているのだろう。

 彼女はただ静かに水に揺られ眠り続けている。

 

 夢見るままに待ちいたり。

 

 いつか目覚める日を夢見ながらずっと待っているのだ。

 何百年も前に友と交わした約束を守る為に。

 もしかすると彼女はもう叶わないと悟っているのかもしれない。

 だからこそ眠りにつき、都合の良い夢を見ようと願った。

 その真実を知るのは今や彼女のみだ。

 そんな彼女の手元には大事そうに抱えられた一つのアイテムがあった。

 それこそが彼女の希望で、彼女の全て。

 

 ユグドラシル時代、二十と呼ばれ恐れられたものの一つだ。

 

 

 

 

 トブの大森林。

 バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国に挟まれるように存在するアゼルリシア山脈の南端の麓を取り囲むように広がる森林である。

 探検する者は少なく詳しい地形はあまり判明していない。国家による本格的な調査などは歴史上一度たりともなされていないという謎の多い場所でもある。

 元々、東側の森は帝国側の領土であり、帝国魔法学院の昇級試験などに使われた事もあったが王国が併合された今となってはその全てが帝国の領土と言っても過言ではない。

 深くまで足を踏み入れなければ危険度の少ない森なのだが、最近は事情が違った。

 帝国は王国を併合する為に多くの兵士を派遣する事になった。その為、森周辺の警備をしていた兵士達は内地へと招集された。

 それがしばらく続いた頃だろうか、森にいる魔物達が警備が薄いのを理解したのか森を出て近くの村を襲うという事件が起きるようになった。帝国としてもそれは理解していたが満足に動かせる兵の余裕は無かった。

 故にワーカーへと依頼が出されたのだ。

 トブの大森林にいる魔物達の討伐。

 報酬は破格だった。おおよそ平時の三倍以上の討伐報酬が付けられた。森は広くその被害も多岐に渡り範囲を絞れない為、多くのワーカー達の力が必要とされたのだ。

 トブの大森林だけではない。帝国では突如の人材不足に合わせ、冒険者やワーカー達の仕事が爆発的に増えた。しかも単価は以前よりも良いのだ。特にワーカー達にとってはこれ以上ないという働き時だった。

 

 それを喜び依頼に飛びついたワーカーチームがここに一つある。

 名をフォーサイト。

 いつもより稼げるというだけで誰もが乗り気であったが最も乗り気であったのは魔法詠唱者(マジックキャスター)である彼女だろう。

 アルシェ・イーブ・リイル・フルト。

 元は貴族であったが鮮血帝によって取り潰され、家族ともども路頭に迷う事になった。

 魔法の才能があったアルシェは唯一の稼ぎ頭として夢を捨てワーカーとなった。

 しかし両親は貴族で無くなったという現実を直視できず、以前のような放蕩生活を続け借金を作るばかりであった。ワーカーとしての稼ぎのほとんどは両親の借金返済に充てられていたが借金は無くならない。

 そこに渡りに船と言わんばかりに今回の依頼があった。

 喉から手が出る程、金が欲しいアルシェは依頼へと飛びついた。仲間達も金を稼げるならと同意してくれた。

 これはアルシェの所属するフォーサイトだけでなく、多くのワーカーへの同時依頼だった。

 つまりは早い者勝ちで沢山魔物を狩れば狩る程稼げるという美味しい話だったのだ。しかも難度は高くなく、その多くがゴブリン、いてオーガ程度なのだ。受けない理由など無かった。いつもと同様に魔物を狩るだけで三倍以上の報酬が彼等を待っているのだから。

 その筈だったのだ。

 

「ハァッ、ハァッ…!」

 

 アルシェは一人、森の中を疾走する。

 その身体は傷だらけでとても楽な依頼をこなしに来た姿に見えなかった。それもその筈。アルシェ達フォーサイトは出会ってはいけない者に出会ってしまったのだ。

 東の巨人。

 トブの大森林を支配するとされる強大な三体の魔物の内の一体だ。

 アルシェ達フォーサイトは獲物を求めて森に深く入り過ぎてしまったのだ。森の浅い場所には他のワーカー達も多くいた為、警戒心が緩んでしまったのも原因かもしれない。

 深く入り過ぎたと気づいた時には遅かった。すぐにイミーナが危険を察知したが東の巨人の配下であろうゴブリンやオーガに退路を断たれてしまったのだ。

 交戦状態になるも東の巨人は強く、フォーサイトの手には負えなかった。その強さはアダマンタイト級を思わせるレベル。勝ち目など欠片も無かった。

 なんとか逃げようとしたものの東の巨人の配下が逃がすまいと彼等を追い立て逃げる事は叶わなかった。ならばなぜアルシェだけがここにいるのか。

 アルシェは仲間の言葉を思い出し涙する。

 

『アルシェ逃げなさい!』

 

『そうです! 近くにはきっと他のワーカー達がいる筈です! 助けを呼んで来て下さい!』

 

『早くしろ! 俺らだって無限には戦えない!』 

 

 最初は抵抗したものの、仲間達の言葉を受け逃亡を決意するアルシェ。仲間達の言う通りここには他のワーカー達もいるのだ。すぐに助けを呼べるだろう、そう考えていた。

 だが森の深い場所で方向感覚は狂い、また《フライ/飛行》を使用しても入り組んだ枝や葉がアルシェの道を塞ぐ。もたついているとゴブリン達の攻撃で撃ち落とされてしまう為、開けた場所に出るまで安易に《フライ/飛行》も使えない。

 絶望的な状況で必死に走るアルシェだが希望とは裏腹に他のワーカー達は見つからない。多数のゴブリン達に追い付かれ、殺されるのも時間の問題だと思えたその瞬間。

 目の前に人影が見た。

 色の濃いローブを身に纏い、仮面で顔を隠している奇妙な二人組。ワーカーかとも思ったがその姿に見覚えは無い。

 だがすぐにアルシェは驚愕する事になる。

 

 自身の持つ生まれながらの異能(タレント)で見てしまったのだ。

 看破の魔眼とも言うべきアルシェの生まれながらの異能(タレント)は、相手の魔力をオーラのように見ることによって使う位階を知ることが出来るというものだ。

 だからこそ信じられなかった。なぜ、こんな所にこれ程の使い手がいるのかと。

 アルシェの前に見えた二人組。その内の一人は全くオーラが見えないものの、もう一人の魔力量が尋常ではなかったのだ。

 その魔力量は第五位階の使い手だとアルシェに示していた。

 第三位階を使えれば一流と言われる世界だ。第四位階であれば希代の天才、第五位階などこの世界において数える程しか到達している者はいない。

 アルシェの師であったかのフールーダ・パラダインは第六位階まで習得しているとはいえあれは例外と言える。むしろフールーダを抜かせば帝国で最高の魔法詠唱者(マジックキャスター)は第四位階を習得している者が数名いる程度なのだ。

 はっきり言えば第五位階の使い手など英雄中の英雄だ。

 世界中にその名が轟いていなければおかしい。それほどの存在がなぜこんな所にいるのか。

 いや、今はそんな事は問題ではない。

 アルシェは涙を流しながら、その足元に跪き慈悲を請う。何も返せないと理解していてもひたすら懇願しかできない。頭を地面に擦り付け何度も何度も慈悲を願う。

 それだけが仲間を救うただ一つの方法だと思ったからだ。

 これだけの大英雄がちっぽけな少女の願いを叶えてくれるのだろうか。

 だがアルシェの不安は一瞬で吹き飛ぶ事になる。

 驚く程あっけなく、また信じられない程優しい言葉が返ってきた。

 アルシェはこの時の事を忘れないだろう。

 彼女は初めて出会ったのだ。

 強さだけでなく、御伽噺に聞くような誰もが望む弱き者を見捨てない高潔な英雄に。

 

「もちろん。困っている人を助けるのは当たり前ですから」

 

 墓穴の底から聞こえてくるほど虚ろな声がなぜか今のアルシェには心地よく響いた。

 

 

 

 

 ほんの少し前。

 色の濃いローブを身に纏い、仮面で顔を隠している奇妙な二人組は途方に暮れていた。

 

「おかしいなぁ…」

 

 一人が小さく呟く。

 

「あの、もしかしてですが…、迷ったんですか…?」

 

「えっ!?」

 

 その問いに素っ頓狂な声を上げる。

 

「べ、別に迷ってないですって! い、言ったでしょ! この先に何があるのかと期待しながら自由きままに行くって…」

 

「でもずっと森の中ですよね? 王都から逃げる為に森に逃げ込んだはいいですがそれから何十日もずっと森の中です。迷ったのであれば何か魔法を使用して抜け出した方がいいと思うのですが…」

 

「だ、だから迷ってないですって! もう安心して全て任せておいて下さいよ!」

 

「なるほど…、わかりました」

 

 変に見栄を張る者と、疑う事もせずその言葉を受け入れる者。

 このままいけば誰も得をしない悲惨な状態になってしまうだろう。

 しかし不意に遠くから助けを求め走ってくる少女の姿が見えた。

 その時、彼は全てを理解したのだ。

 

「な、なんという…! ま、まさか最初からここまで見通して…!?」

 

 彼は再度認識する。

 自分の目の前にいる御方は遥か先まで見通す聡明さを持つ。

 まさに端倪すべからざるという言葉が相応しい御方なのだと。

 

「流石です! モモンガさ―ん」

 

「…何が?」

 




ニグン「竜王国行きなう」
番外席次「敗北を知りたい」
漆黒隊長「もうダメかもわからん」
イビルアイ「チャオズは置いてきた。この戦いについてこれそうにないからな」
フールーダ「わくわくなんだ!」
ジルクニフ「爺の願い叶えてやりてぇ」
盟主「帝都を血祭り」
クレマン「死ぬ未来しか見えない」
ツアー「世界を汚す力が動き出してつれーわ」
リグリット「彼女に助けを求めに行くか」
海上都市の女性「ZZZ」
アルシェ「助かりそう」

ちょっと登場人物が多くなり過ぎましたね…。
最後に少し出てきちゃいましたがあくまで幕間なのでモモンガさんたちの冒険は次話にご期待下さい。
それと本文で説明できる箇所が無かったのでここに明記しますがプチ王さんはモモンガさんの教えや魔法を目にした事により新しい力に目覚めてます。
詳しい説明は次話でする予定なので「ふーん第五位階使えるようになったんか」程度に思ってて貰えると幸いです。

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