「いやー、美味かったすねー」
目の前で彼がニコニコと笑う。
どうやら先ほど行ったチーズフォンデュの店が相当にお気に召したようだった。
「マリアさん今日は付き合ってくれてありがとうございました! このご恩は忘れません!」
「もう、いちいち大袈裟よ」
「いやいや世界的アーティストのマリアさんに飯付いてきて貰えるなんてよく考えたら物凄いことっすよ」
「随分今更か気もするけれどね」
「まあ確かにそうっすね」
彼がわははと上機嫌そうに笑った。ご飯が美味しかったことがかなり満足だったようで、今日の彼は一段とよく笑っていた。
二人で夜の道を他愛もない会話をしながら歩いて行く。
「そういやマリアさんって歌って自分で作ってるんでしたっけ?」
「ある程度までだけど、どうして?」
「いや、前から思ってたんすけど『下からパンしたくなる女』ってどんな女なんすか」
「……パンしたくなる女よ」
「いや、それがどういうのか」
「パンしたくなるのっ!」
「…………」
「…………」
「そーら、下からパンー」
「やめなさいッ!」
大抵は彼が私に話しかけて、それに私が答える。
「貴方って結構なんでも食べているけれど、苦手なものとかあるのかしら?」
「んー、大抵なんでも食える……あー、でもシュークリームだけは食えないっすね」
「それはまた珍しいわね。甘いもの嫌いじゃなかったわよね?」
「いやー、その昔兄貴におやつにとっておいたシュークリームにしこたまワサビ入れられてたことあって。それでトラウマになっちまったんすよねー、シュークリーム」
「お兄さん凄いわね……」
「いやいや、男兄弟なんてどっこもそんなもんっすよ」
「ふふ、私には一生わからなさそう」
時たま私からも話しかけて、それに彼がにこにこと笑って答えて。
そんな何気ない時間がとても楽しいと感じる。
しばらく歩いて、駅前で彼が足を止めた。
「今日も楽しかったっす! また今度飯行きましょう!」
「ええ、私もよ。次の事はまた連絡取り合いましょう」
「了解っす」
びしり、と彼が戯けたように敬礼してみせる。その様子がおかしくて私も思わず笑ってしまう。
やはり美味しいものを食べた日の彼はいつもより3割り増しでテンションが高い。
くすくすと私が笑っていると、彼も嬉しそうに笑みを浮かべた。
「なんか不思議っす、同僚と言えどマリアさんと俺が一緒に飯に行ってるの」
「あら、私じゃご不満かしら?」
「まさか、身に余る光栄ですよ」
私が彼の額に軽く指を当てて押すと、彼は肩をすくめてみせる。そしてまた二人でくすくと笑う。
(でも、あの日貴方の行動がなければ、その不思議はなかったのよ?)
彼と笑い合いながら頭の中では、魔法少女事変、オペレーターの一人を『彼』と認識するようになった日のことを思い出していた。
力なく二課内の据付のソファに腰を下ろした。
思い起こされるのは先程、ガングニールを纏った時のこと。
自分が手放したシンフォギア、ガングニール。それは信じて立花響に託された。
しかし、それは果たして正しかったのだろうか。あれは、マムから託されたあの槍は、自分一人で背負うべきものではなかったのだろうか。
彼女の強さに、優しさに、私は甘えてしまっただけだったのではないだろうか。現に彼女は今シンフォギアを起動できずに苦しんでいる。
唯の、女の子のように。
あの槍が、私の手放してしまった槍があの子を戦場に縛り付けてしまってあるのではないだろうか。
ぎり、と無意識に歯を強く噛み締めた。
(そんな事、今さらね……)
今さら後悔したところでもう遅い。私はかの槍を手放した。今残っているのは『元』ガングニール適合者というお荷物奏者。
「私にはどうすることもできない……」
拳を強く握って壁に叩きつけ用とした時、その声は私にかけられた。
「およ、マリアさん? こんなとこでなにしてんすか」
底抜けに明るい、のんびりとした調子の声だった。
思わず顔を上げた。
(えと、誰…………?)
黒髪黒目。顔は整っているわけでもないが、かといって酷く不細工なわけでもない。強いていうならば少し目が細いくらい。
服装からS.O.N.Gの職員という事はわかるが、特に記憶にはない。
「確かマリアさん戦闘したからメディカルチェック後、すぐ帰れって言われてませんでしたっけ? 司令に」
「ああ、そ、そうね」
「ダメっすよ〜、マリアさん達奏者は命かけてんすからしっかり休まなきゃ。俺らオペレーター組とは違うんすよ」
そこまで言われて、ようやく目の前の人物がオペレーターの一人だということを思い出した。そう言えば藤堯や緒川などと話しているのを見た事がある気がする。
「で、マリアさん何してるんすか?」
「別に、大した事じゃないわ。貴方には、関係ない」
「いやいや、俺も一応同僚ですし」
そう言って彼は私の方へと歩いてこようとする。
「関係ないって言ってるでしょうッ!」
思わず声を荒げて、しまったと思った。これでは完璧に八つ当たりだ。彼には何も非はなかったのに。
彼が叫んだ私を、丸い目で見つめている。その表情は明らかに驚いていて、私との距離を測りかねていた。
その表情を見て、少しばかりの罪悪感が胸を占拠した。
「ごめん、なさい……。でも、一人にして。お願い……」
私が顔を覆って俯いて暫く、目の前の人の気配が小さな足音ともに離れて行った。どうやら私の願いを聞いて一人にしてくれたらしかった。
(私は、本当に弱い)
これで奏者達の中で最年長とは笑わせる。甘く、脆く、独り善がりで、ただただ弱い。
自分が、本当に嫌いになりそうだった。
力もないくせに、口だけは一端とは、本当に、本当に度し難い────
「いやー、本当に運が良かったっす。ナイス俺」
「きゃっ?!」
突然どさりと真横に男性が腰をかけた。そのせいで変な声を上げてしまったが、隣の男性はそれに頓着した様子もなく言葉を続ける。
「突然すんませんね、マリアさん。お節介、焼きに来ました」
隣の『彼』が、目を細めてにひひと笑うと、私の目の前に白い箱を差し出した。
「あの私一人にしてって──」
「あー、はいわかってますわかってます」
彼が私の目の前で手をパタパタと振って、私の言葉を遮った。そして何処からともなく包丁を取り出すと手の中で一回転させる。
「マリアさん甘い物は?」
「え、好き、だけれど……」
「そりゃ重畳」
彼がまたにひひと笑って、白い箱の中を私に見せた。
「これは、ケーキ?」
「まあ、概ね正解っすね。正確にはシフォンケーキって奴ですな」
箱の中から現れたのは、真ん中に穴が空いたタイプのケーキ、のようなもの。
バターを使って焼いてあるのか、そこにあるだけでふわふわと嗅覚を刺激するような美味しそうな匂いが辺りに香った。
口の中で、唾液が少し分泌されるのを感じた。
「俺美味いもの食うことが趣味でして。昨日美味そうな店見つけたので、今日藤堯さんとか友里さんとかと食おうかなー、と思ってたんすよね」
彼が慣れた手つきでケーキを八等分にしていく。
「でも、まあいいでしょう。二人で食っちまいましょう」
包丁がシフォンケーキに当たるたびに、そのスポンジはその柔らかさを示すかのように、少し沈み込んでから、すぱりときれていく。
「じゃあ、食いましょうマリアさん」
「え、えと、いいの……?」
「もちろんっすよ! あ、でも皿とかないんでワイルドに、手掴みで頼みます」
「て、手掴み…………」
うす、と彼がにこにこと笑って八等分されたケーキの一つを手に取って私を見た。その目は「マリアさんも早く」とでも言ってるかのように爛々と光っていた。
流石にここまでされて無下にすることはできない。私も腹を決めて、ケーキに手を伸ばして、その柔らかさに驚いた。
「これ、ケーキ…………?」
そして、ゆっくりと口に運んで一口かじった。
「────っ」
思わず言葉にならない息だけが吸い込まれた。
まず感じたのは、柔らかさ。今までに食べたような甘味とは一線を画す柔らかいスポンジ。
次にバターの濃厚な味と、香り。そして砂糖などの味だけではない、じっくりと焼き上げた事による深みのある甘さ。
「美味、しい……」
思わず、呟いて夢中で残りのケーキを口に運んだ。
今までの甘い物のイメージと言ったら、市販のチョコレートやプリンといった砂糖のような甘さが強いものだった。しかし、これはそう言った甘い物とは毛色が違った。
甘くはあるのだが、砂糖などの甘さとはまた違う。
「これはなんというか、優しい甘さね……」
私がそう言うと、隣の彼はそれを聞いて興味深そうに、へえというとまたにこりと笑った。
「マリアさん、いい例えしますね。優しい甘さ、うん、俺なんか好きな響きっす」
そう言って彼は手の中のシフォンケーキをがぶりと大きな口でかじって、幸せそうに頰を緩めた。
頰をわずかに赤くして、目を細めながらゆっくりと口を動かす。そして、まるで宝物のように、また一口口の中に入れて行く。
(なんか、笑い方が、違うのね……)
なんと言えばいいのか。
楽しそう、嬉しそう、幸せそう、いやどれも的を射ていない気がする。
思わず眉を顰めて頭を悩ませたが、彼が「美味いなぁ」と呟いた時、なんと表すべきか腑に落ちた。
(美味しい、『美味しい』ね。美味しい顔、とでも言うべきね)
彼がもむもむと口を動かすのに、思わず笑いがこぼれた。
「──? どうかしましたマリアさん?」
「い、いえ何もないわ。それよりも、貴方はこれを私に食べさせて何をしたかったの?」
「……何を、すか」
彼が前髪をいじりながら、すこし言いづらそうに言葉を濁した。
「『暗い気持ちは一人だと
「──え?」
「俺の、爺さんの言葉です。俺結構この言葉好きで」
彼はまだ少し気まずそうに、前髪を触りながら言葉を続けた。
「気持ち、軽くなりました?」
「ーーーー」
なんだ、これは。
何で、少し胸が弾んでいる。
「俺、何があったかは知ってますけど、出来ることはあんまりないかもしれません」
オペレーターっすからね、と彼が笑う。
「まあでも美味いものくらいなら一緒に食えます。…………迷惑でしたかね」
胸を張って自慢するように途中まで言葉を発して、最後に少し心配そうにこちらを伺うように言葉を付け加えた。
「──ふふ」
その仕草が、なんだか怒られるのを心配するような子どもみたいで、思わず少し笑ってしまった。
彼が少し顔を赤くして、拗ねたように唇を尖らせた。
「笑うこと無いじゃないっすかぁ……」
「ごめんなさい。でも、なんだかおかしくなってしまって、ふふふ」
「もーいいです。実はまだシフォンケーキ用に、ベリーソースとかジャムとかあったんすけどもうマリアさんにはあげません」
「ちょ、ごめんなさいって。怒らないで」
「もー、知りません〜〜」
彼は懐からベリーソースを取り出して自分のものにかける。紫のとろみのあるソースがケーキの小麦の金色を覆うように隠し、辺りを甘酸っぱい匂いで満たして行く。
「かー、美味い。ホントにマリアさんに共有できないのが残念っすわー」
「はむっ、あら美味しいわね」
「ちょ、俺の横取りしないでくださいよ」
「だって美味しそうだったんだもの」
「……口の端にソース、ついてるっすよ」
「嘘?!」
私が唇の端についたソースを指で拭っていると、隣の彼が何かに呆れたような、安心したような、そんなふにゃりとした笑顔浮かべた。
「ま、今回はそのマリアさんの笑顔で手打ちにしときます」
彼は机の上の物を片付けてしまうと、立ち上がってぽんぽんと私の頭を軽く撫でた。
「今日はちゃんと帰って休む事。食べて寝る、これが一番大事っすよ」
そして最後に悪戯っぽい笑顔で「ケーキのこと藤堯さんたちにはナイショっすよ」と言ってオペレータールームの方へと歩いて行った。
その姿をぼんやりと見ながら、彼に撫でられた頭を触る。そこには、柔らかで、優しいぬくもりが残っているような気がしていた。
(なんだか、不思議な体験をした気がするわね)
思わず笑いがこぼれた。
いつのまにか、心は少し前を向いていた。
マリア・カデンツァヴナ・イヴの日記
「美味しいものを食べる、って今だからこそできる心に栄養を与える方法なのかもしれません。F.I.S.で出来なかったけれど、それができるのはとても幸せなことなんじゃないのかな、となんとなく思います。
今度切歌や調と一緒に少しお高いお店にご飯を食べに行ってもいいのかな、と思います」
風鳴弦十郎から一言
「よしッ! これでなんか美味いもん食ってこいッ!」(渡される万札)
『彼』の日記
「俺は今年で25になります。こうみえてもういっぱしの大人なので司令みたいな渋さを出していきたいと思います」
藤堯から一言
「お前は根本的なところがアホだから無理だな」
緒川から一言
「翼さんが僕のお世話から抜け出せるくらいの可能性はあると思いますよ」
このお話はあと1話でおしまいです。