Dies irae -Seltsam Gesetzwidrig- 作:ととごん
ドイツ、バイエルンにて。
二十世紀初頭に、一人の男が富裕層の一家で誕生した。彼の名を■■■■・■■■■という。
彼は人並みはずれた才能の片鱗を、幼い頃から覗かせていた。端的言えば、彼は非常に頭が良かったのだ。
そのことに気づいた彼の両親は、その才能を十全に引き出すことを考えた。優秀な教師を雇い、ありとあらゆる分野の知識を彼へと叩き込んだのだ。
彼は特に数理に関して尋常ならざる才能を発揮した。全ての教育機関においてトップを走り続けた彼は、両親の望み通りに非常に高名な研究機関へと所属することになる。
客観的に見れば、彼は恵まれていたといえるだろう。ドイツ全土において一パーセントにも満たない富裕層に生を受け、衣食住に困ることなく、あまつさえ最上級の環境で教育を受けることができたのだから。
ああだが、それは客観的に見たらの話である。彼はそんなものを望んではいなかった。
そして1942年。彼の人生は転機を迎えた。
第二次世界大戦中期。不利な戦いを強いられていたドイツは、勝利を手にするためにある方針を取り入れることとなった。
すなわち、超人部隊の編成。その過程の一つ――超人作成。非人道的な人体実験を行い、後天的に超人を作る。極めて優秀な頭脳を持っていた彼は、その研究へと強制的に参加させられることとなった。
壊して直して壊して直して。常人の精神ではとても耐えられないだろうその研究を、彼はどうにか正気を保ちつつ行っていた。
ここでまた、一つの転機が彼を迎える。
ある一団からの勧誘。これもまた拒否権が存在しないようなものだったが、彼はそれを喜んで受け入れた。よもやここより地獄は存在しないだろうと考えて。
そこを、聖槍十三騎士団といった。時のゲシュタポ長官ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒを長とする、真の超人部隊。彼はそこで超魔術――エイヴィヒカイトの手ほどきを受け、ついに人をも超越した。超人を作る研究をしていた彼が、真の超人となったのは運命の皮肉とでも称するべきだろうか。
身に余るほどの力を得た彼は、しかしそこでようやく気づいた。
何も変わっていない。
そう、彼の人生は一貫して何かに束縛を強いられ続けている。
幼少期は両親に。青年期は国に。そしてついに人を超えた今――しかして彼以上の化け物に、永久の従属を誓わされたことを彼はようやくここで気づいたのだ。
そしてそれは決して逃れえることができない。例えば両親相手ならば家出をすれば解放される可能性はある。国が相手だろうと、亡命してしまえば解放される。だが黒円卓双首領相手では、例え地球の果てまで逃げようとも逃れきることはできない。加えて恐ろしいことに、彼らは死なない。だからこその、超人なのだから。
それでも、彼は受け入れることができなかった。
己の望みを叶えるために、彼はありとあらゆる手段を講じた。
探して探して探して――彼はようやく、一条の光を見出すことができたのだ。
ゆえに、今度こそ――
「……やれやれ、まるで走馬灯ですね。私はまだ死ぬつもりなどないのですが」
不意に脳裏を掠めた己の過去を、シュピーネは首を振って振り払った。
既に公園の一件から三日が経過している。その間、シャンバラの情勢はいささか変化を見せていた。
例えばベイとレオンハルトがツァラトゥストラを襲撃したこと。といっても目的は彼の殺害ではなく、連行だったようだが。どうやら首領が聖餐杯に、一目見てみようと提案したらしい。
創造位階二人と形成位階一人の戦い。いかに前者二人が形成すらも制限したとはいえ、それでも趨勢は明らかだった。だがそこで、ある『人間』が乱入した。
その人間はツァラトゥストラの友人――遊佐司狼と名乗った。彼はツァラトゥストラにレオンハルトを任せると、自身はベイと相対したのだ。
その闘いは覗き見ていたシュピーネをして、異常だと断ずるほどの光景だった。司狼の身体能力は、精々がちょっと人間の限界を超えた程度。全ての能力値がベイとは比較にならないほど低い。加えてエイヴィヒカイトを会得していないため以上、有効な攻撃手段すら存在していなかった。
だというのに、彼はベイの攻撃を凌ぎ続けた。予知能力を疑うほどに、彼は正確に攻撃に対応し続けたのだ。
そして最終的に液体窒素でベイを凍らせた司狼は、ベイに体当たりをかましてそのまま逃走した。無論その程度ではベイにダメージはない。だが常人では如何に策を張り巡らせたところで、ベイを相手に十秒と凌ぐことはできないだろう。そういう意味では、間違いなく司狼は超人だった。非常に興味深いと、シュピーネは彼のことを頭に刻んだ。
その後ラインハルト・ハイドリヒ――黒円卓首領が、一時的に影だけではあるもののシャンバラへと降臨。ツァラトゥストラと相対する。まだたった一つしかスワスチカが開いていなかったというのに、その重圧たるや現存団員の誰とも比較にすらならない。だがツァラトゥストラは折れず、それどころかハイドリヒの魂に呼応するように飛躍的な成長を遂げた、のは良かったのだが。直後にハイドリヒが彼の聖遺物を砕いたときはさしものシュピーネも血の気が引いた。
もっともハイドリヒが砕いたのは器だけであったらしい。最終的に聖遺物は再びツァラトゥストラの元へと戻ったようだ。
そして今日。ついにシュピーネが動かねばならない事態が発生する。
ベイがスワスチカを獲るために動き始めたのだ。とはいえそれ自体は問題ない。問題は、その目的であった。
ベイが向かった場所はボトムレス・ピット。そこには今遊佐司狼と、彼の大事な大事な『彼女』がいる。
しかし現在、ツァラトゥストラはゾーネンキントとマレウスに縛られて動けない。如何に先日その猛攻を凌いだ司狼といえど、ベイを相手に二度目はありえないだろう。
つまり、彼らの死は確定した――シュピーネが、動かなければ。
シュピーネにとって今彼らに死なれるのは非常に都合が悪い。逆に彼らを生かすことができれば、今後の立ち回りが非常にやりやすくなる。
だがそれは現存団員最強と名高いベイに喧嘩を売るに等しい。
それでも、シュピーネは動いた。
ベイに遅れること数分。シュピーネは隠形を駆使してダンスホールへ突入した。彼は、即座に状況を把握した。観客席に死にかけの人間が多数。『彼』や『彼女』は見当たらない。
ならば、とシュピーネは聖遺物を形成。
「――あ?」
ここでベイがシュピーネの存在に気づく。だが遅い。
既に縦横無尽に走ったワルシャワ・ゲットーは、観客席で生存していた人間全てを鏖殺した。
直後に満ちる独特な気配に、シュピーネは己の狙いが成功をしたことを把握する。
すなわち、スワスチカの開放が成されたのだ。
残る問題は一つ。
「てめえ、シュピーネ……!」
この明らかに激昂しているベイをどうにかするのみ。
「お久しぶりです――というには些か日が浅いですかね、ベイ」
「んなこたあどうでもいい。生きてやがったのか、てめえ」
凝縮された殺意が、ベイの全身から放たれている。
当然と言えるだろう。何せお楽しみのところを邪魔したのだ、シュピーネは。
「見ての通り、私は健在ですよ。そう易々と私が死ぬはずないでしょう」
だがシュピーネはそれを気にした様子も見せずに慇懃な態度を見せる。
それがさらにベイを苛立たせたのか、彼は舌打ちを一つ。しかし少しだけ殺意を緩めると、彼は表面上穏やかに語り始めた。
「……俺ァよ。黒円卓の連中は仲間で、家族だと思ってる。まあレオンハルトは除くがよ。てめえとはそりが合わねえが、それでもてめえが生きてたことを素直に歓迎してやってもいいんだ」
そこに感情の色は見せない。
だがそれは嘘を語っているという意味ではなく、おそらくは――そうでもしないと、ある感情が爆発してしまうからだろう。
つまり。
「だがな。――俺の狩場に割り込んで! 横から掻っ攫うなんざ随分ナメたマネしてくれるじゃねえか、あァ!?」
再び、そして先程以上に濃密な殺意がベイの咆哮とともに開放された。
物理的な衝撃となって発せられたそれは、彼のサングラスを砕いてダンスホールを震撼させる。
「別に、私はスワスチカ解放の功を横取りするつもりがあったわけではありませんよ」
それでもシュピーネは動じない。淡々と、己が何をしたかったのかを語る。
「何?」
「そもそも我らが首領殿が、そんなハイエナ風情にかの栄華栄達を与えると思いますか? もし私がこの第二、その名誉を主張しようものなら即座に聖痕がこの身を焼くでしょう。ですからベイ、この第二の名誉は紛れもなく貴方のものですよ」
「ほざけ。『結果的に横取りされちまったけど、第二を開いたのは私です』なんて、俺が主張するとでも思ってんのか」
ベイの失笑に、シュピーネは頷いた。彼の気性から考えればそれは確かにありえない。
「確かに、そうですね。では第二の獲得者はいないということで」
「ああ、そういうことでいいんじゃねえか。……それで? 結局てめえは何が目的なんだ」
さっさと答えろと、不愉快そうに歪むベイの表情がそう告げている。
それにシュピーネは薄く笑って口を開いた。
「いえね、ベイ。貴方、これから『彼』と楽しむつもりだったのでしょう?」
「ああ、そうだ。けどよ随分詳しいじゃねえか、なあシュピーネ。俺ァてっきりツァラトゥストラに殺されかけたダメージが、ようやく回復したんだと思っていたんだがよ」
探るように、ベイの目が細められる。
相変わらずこのテの勘は大したものだと、シュピーネは内心で賞賛した。
「いえいえ、貴方の仰るとおりですよ。私もてっきり、貴方は即座に襲い掛かってくると思っていたんですがね」
「そういう狂犬染みたマネはシュライバーの担当だろうが。俺はあそこまで見境なくねえよ。それに俺はてめえの頭は中々大したモンだと思ってんだ。こういうふざけたマネかましたのにも、てめえならちゃんとした理由があるんじゃねえかって聞いてやってんだよ」
「キ、ヒヒ。ハハハハ」
「……何がおかしい」
突如笑い始めたシュピーネに、ベイは眉間に皺を寄せて詰問する。
それにシュピーネはどうにか笑い声だけは抑えて、問いに答えた。
「いえ、まさかそんなことを貴方が考えているなんて思いもしなかったものですから。ですがそれは無用な気遣いというものですよ、ベイ。何故なら私は――貴方の、邪魔をしにきただけなのですから」
その言葉にベイは一瞬、呆けたように口を開ける。
だがすぐにその表情は笑みへと変わった。その色は――愉悦と嘲笑。
「おうおうおうおう。随分と生意気なセリフが聞こえた気がしたんだけどよ。シュピーネ、一回だけなら撤回を許してやってもいいんだぜ?」
言葉とは裏腹に、ベイが撤回を望んでいないのは明らかだった。
だからシュピーネも肩をすくめて苦笑する。
「心にもないことを言うモノではありませんよ、ベイ。どの道、撤回するつもりはありませんしね」
「カハッ! ってこたァあれか? 今ここで、俺と殺し合うっつー意味で捉えていいんだよな? 創造も使えねえ分際で! この俺に楯突くとは随分ほざくじゃねえか! 面白ェ、てめえはそそらねえと思ってたんだけどな。随分美味しそうな匂いを出すじゃねえか。いいぜ、やろうじゃねえか」
「クククク、ハハハハハハ! 何を寝ぼけた事を仰っているのですか」
充足感に笑みを深くするベイに対し、シュピーネは顔を左手で覆うと哄笑した。
何を、勘違いしているのかと。
「ああ?」
「何故私がスワスチカを開いたと思っているのですか? 確かに今貴方と闘えばまず間違いなく私が敗北するでしょう。ですが私とて黒円卓が一席を担う身。スワスチカを開くに値する魂を持つ私を、ここで無駄に散らすおつもりですか?」
現在の黒円卓にとって、スワスチカの開放は至上目的に等しい。
無論ここでシュピーネが死のうとも、スワスチカを開ききる手段などいくらでもある。だがより上質な魂を、私情で無駄に散らすことは果たして是といえるだろうか。
それだけではない。
「そしてこの第二の開放は、間違いなくツァラトゥストラも気づいたでしょう。ならば友人がいるこの場所へ駆けつけてくるのは至極道理。そうなれば我らの闘いに水を差されることになるでしょう。そして最悪二つ、あるいは三つの上質な魂がここで無駄に散るやもしれません。ベイ、貴方はそれでもよいのですか? そもそも我らは聖餐杯猊下にスワスチカ開放後の即時撤退を命令されているのではありませんでしたかねえ。それでも今この場で、貴方は私と闘うと仰るのですか?」
「てめえ……ハナからそのつもりか……!」
憎々しげに、ベイはシュピーネを強く睨んだ。
気分良しと、シュピーネはそんな彼を見下ろした。
「当然でしょう。私は貴方に戦力として劣っていることを自覚していますが――」
そこで言葉を切ったシュピーネは、こめかみの上を人差し指で二回叩いて言葉を繋ぐ。
「――頭脳(ここ)ならば、決して負けはしませんよ」
沈黙が、広いホールに充満した。
しかし徐々に空気が悲鳴を上げていく。その原因はベイの殺意に他ならない。徐々に徐々に臨界点へと迫っていき、破裂するその寸前。彼はその殺意を解いた。
不機嫌そうに、ベイが口を開く。
「……いいぜ、今日は退いてやる。だがな、てめえは俺をコケにした。このツケは絶対に払ってもらう。よおく、覚えておくことだな」
その言葉を最後に、ベイはボトムレス・ピットから姿を消した。
完全に知覚外へと消えたことを確認したシュピーネは、安堵のため息を零す。
「やれやれ、心臓に悪い」
実のところ、ベイが素直に退くかどうかは完全な賭けであった。
無論その場合の対処も用意してはいたものの、都合が悪いことは確か。ひとまず思惑通りに事が運んだ事を喜ぶべきだろう。
さてこれからどう動きましょうかと、シュピーネが思案し始めたその時だった。
蝶番が軋みながら、ステージ脇の扉が開く。その奥から、二人の男女が姿を見せた。
「よう、中尉殿。待たせたな――って、ああん?」
「どうしたのさ司狼。気の抜けたような声出しちゃって……って、あれ?」
男の方はシュピーネも知っている。遊佐司狼――常人とは思えない、ツァラトゥストラの友人だ。女の方は見覚えがないが、特に奇妙な気配は感じない。
ともあれこれはこれで悪くない展開だと、シュピーネは笑みを浮かべた。恭しく、頭を下げる。
「初めまして、ツァラトゥストラの友人方。私は聖槍十三騎士団黒円卓第十位、ロート・シュピーネと申します。以後お見知りおきを」
Der L∴D∴O in shamballa ―― 9/13
Swastika ―― 2/8
【ChapterⅠ Neue Verbindung ―― END ――】