戦女神×魔導巧殻 外伝 ~ディアンのリア充生活~ 作:Hermes_0724
「峠の宿」の三階は二人部屋専用であった。行商隊を率いる商人は、こうした個室を取るのが一般的だ。それなりの大金を持っているため、相部屋など論外である。シャルミラは妹のアウラと共に、二人部屋に入った。部屋は想像以上に広い。寝台が二つ並び、外套を掛ける衣装棚や書き物をする机も置かれている。驚いたことに、厠まで部屋にあった。水洗式になっているようで花の香りがする。アウラは興奮して部屋中をくまなく見ている。寝台に腰かけると木綿を詰めた敷布団と羽毛の掛布団であった。
『驚いたね。こんな宿は初めてだよ。少し高いと思っていたけど、これなら納得だね』
『お姉ちゃん。食事しに行こうよ!こんなに凄い宿なら、きっと食事も凄いよ!』
護衛役である男四人とも合流し、シャルミラは一階から渡り廊下を通って隣の建物へと入った。二階建ての黒い建物である。
『…「魔神亭」?』
入り口に掲げられた看板には店の名前とともに注意書きが扉に吊るされていた。
…・・・当店は、魔神が営む「大人の社交場」です。未成年者のご入店は、固くお断りを致します。なお店内での乱暴狼藉には、魔神の使徒による「怖いお仕置き」があるのでお気をつけを・・・
姉妹は思わず顔を見合わせた。冗談を通り越して「いかがわしさ」まで感じてしまう。
『お、お姉ちゃん。大丈夫だよね?娼館とかじゃないよね?この店…』
焼いた
『こりゃ驚いたぜ。こんな飯屋は初めてですよ』
席につくと男たちが店内を見回した。店内は三十席ほどで栗色の髪をした女の子が可愛らしい服を着て立っている。どこからか心地よい音色の曲が聞こえてくる。店の奥にある何かの機械が奏でているようだ。他の行商隊の護衛と思われる男たちが、既に食事をしていた。
『いらっしゃいませ。シャルミラ様御一行ですね?ようこそ「魔神亭」へ。こちらが本日のメニューです』
羊皮紙数枚が革製の冊子に差し込まれている。そこには綺麗な色の絵が描かれていた。それぞれの料理らしい。「
『これは無料の「付き出し」です。本日の付き出しは「鯉のエスカベッシュ」です』
『あ、あぁ… ありがとう。料理はあとで注文するよ』
シャルミラは何とか返答した。皆で杯を持ち、乾杯する。口に入れるとよく冷えた麦酒の芳醇な味が広がった。山道を歩いて疲れた身体にとって、この一口は犯罪であった。全員が一気に飲み干してしまった。
『かぁぁっ!美味ぇっ!こんな美味い酒は初めてだぜ!姉さん、もう一杯頼んでいいですかい?』
言われるまでもなく、シャルミラは注文した。杯が取り替えられ、また冷えた麦酒が出てくる。付き出しを食べると、これも美味かった。泥抜きした鯉の切り身を油で揚げ、人参や玉葱などの野菜類とオリーブ油、葡萄酢で味付けたものだが、
『お待たせしました。「ピッツア・エディカーナ」でございます』
全員が空腹であることを伝え、店主のお任せで料理を注文すると、まるで図ったかのように料理が出されてくる。ザリガニの冷製スープ、茹でたホウレン草と半熟卵のサラダの後に、目当ての料理が運ばれてきた。小麦の薄生地の上に
『三品をお出ししましたが、まだお腹に余裕がおありでしたら、あとはメニューからお好みの料理をご注文ください。「
男たちはまだ腹に余裕があるため、そのお勧め料理を頼んだ。芋を揚げただけの料理だと思っていたが、出てきた細切り揚げ芋を一口食べて全員が顔を見合わせる。外はカリッと芳ばしく揚がり、中はホクホクと芋の味がする。程よい塩味に我先にと手を伸ばす。何杯目かのエールを飲み干し、満足感に忘我となった。
『いかがでしたか?』
男の声に、シャルミラは自分を取り戻した。いつの間にか、黒髪の男がテーブルの前に立っていた。レミの街でゴーレムに荷車を牽かせていた男である。目は涼しく、口元に笑みが浮かんでいる。背をもたれさせダラしのない格好をしていたシャルミラは、慌てて居住まいを正した。アウラが瞳をキラキラさせて男に返答する。
『凄かったです!こんな美味しい料理、生まれて初めて食べました!』
『有難うございます。明日の朝食もこちらで取っていただきます。ご入用でしたら、昼のお弁当をご用意いたしますが?』
全員がシャルミラを見る。何を期待しているかはすぐにわかった。
『お願いするよ。それと、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、隣の「峠の宿」の主人…レイナさんが、この店も取り仕切ってるのかい?』
『お姉ちゃん?』
アウラが不思議そうに見つめてくる。何を聞こうとしているのか、疑問に思ったからだ。男は表情を替えずに、シャルミラの質問に答えた。
『彼女は宿の「支配人」です。当店は、私が営んでおります。大抵の行商隊は宿に泊まりますので、当店も潤っています』
『支配人… でも、あんな美人が宿にいたら、色々と問題がおきるんじゃないかい?護衛の男たちにチョッカイを出されたりとか… それに、これだけ大きな宿と酒場を建てるなんて、かなりの資金が必要なはずだ。一体誰が…』
『さぁ… 私はこの店を切り盛りするだけで精一杯ですので、そこまでは… 本日はご来店、有難うございました。失礼致します』
男は一礼して、テーブルから離れていった。その背をシャルミラはじっと見つめた。
『そう言われましても… 支配人は私なのですが?』
峠の宿の女支配人である絶世の美女、レイナは少し困った表情を浮かべた。男に口説かれている訳ではない。支配人の部屋までシャルミラが押しかけ、この宿の「本当の主人」に会いたいと申し出たのだ。ちなみにレイナを口説こうとする行商人も護衛も「皆無」らしい。以前、レイナに手を出そうとした行商人は、馬の世話をしていた獣人ゴンドに殴り飛ばされ、以来この山道への立ち入りを禁止されているそうだ。この山道の利便性を考えれば大損害である。
『アタイの眼は節穴じゃないよ。これでも女行商人として苦労してきたんだ。レイナさんからはね。商いをやる人間が放つ「悲壮感」が無いんだよ。「使用人たちを路頭に迷わせないためなら、この身を売ってでも…」っていう覚悟が見えない。アンタは確かに支配人なんだろうけど、雇われだろ?』
『………』
レイナは微笑みのまま、茶を啜った。陶製の茶器を受け皿に置くと嫋やかに質問を返す。
『ではシャルミラ様は、誰がこの宿の主人だとお考えなのですか?』
『解らない。アタイは女だからね。ただ、同性のアンタが雇われだっことは解る。アタイの予感だけど魔神亭の黒髪の男… あの人なんじゃないかって気がするね』
『仮にそうだったとして、シャルミラ様は宿の主人と会って、何を話すのですか?ご商売の話ですか?』
『…十年前、両親が死んで路頭に迷ったアタイと妹は、小さな行商を始めたんだ。幼馴染の友達も手伝ってくれて、少しずつ大きくなった。さらに商売を大きくしたいと思って、タミル地方を出てエディカーヌ王国を目指した。そんなとき、レミの街で女商人に出会った。アタイと同い年くらいなのに、大きな商売をしている雰囲気だったよ。その人に言われたんだ。何のために商売をしているのか。何のためにカネを得るのか。アタイは戸惑った。これまで、妹や仲間たちを食わせるだけで精一杯だったからね。その人に、ここの主人と話してみろって言われたんだ。アタイの生きる道、アタイの進む道を見定めたい。だから会いたいんだ』
生き方は人それぞれであり、本人が自分で決めるべきものだろう。それはシャルミラも解っていた。だが時に迷い、進む道が見えなくなるのが人間である。シャルミラはこれからを決めるための「きっかけ」を求めていた。レイナは沈黙し、しばらくシャルミラを見つめた。そして…
『…だ、そうよ?ディアン。シャルミラさんに、何か助言をしてあげたら?』
部屋に隣接した扉が静かに開いた。黒髪の男がそこに立っていた。
魔神亭の二階は四部屋がある。行商人同士が話し合いをしたり、王国の重要な人物を接待するための「個室」が二部屋、店の売上金や仕入れ台帳などを管理する「事務室」、そして主人であるディアン・ケヒトの部屋である。壁一面が書棚となっており、小さな机の他に、ゆったりと座れる革張りの椅子が二脚、中央に置かれている。魔神亭、そして峠の宿の
『お待たせしました。どうぞ、お掛けください』
『遅い時間に申し訳ありません。ケヒト殿』
『ディアンで構いませんよ。それに言葉遣いも改める必要はありません。友人に、一人称を「アタイ」と呼ぶ人がいました』
シャルミラは息を吐くと椅子に腰を下ろした。
『助かったわ。堅苦しい言葉遣いは苦手でね。接客はもっぱら、妹や護衛役に任せてるんだよ。アタイは仕入先との交渉役さ。普通に話させてもらう。だからアンタも普通に話してちょうだい』
『解った。で、オレと話をしろと言われたそうだな。まぁ大して面白い話はできないと思うが…』
『そうかな。今日一日だけでも、アタイが得るものは多かったよ。たとえば店で出していた「辛くて酸味のあるソース」、アレを瓶詰めしてアヴァタール地方あたりまで持っていけば、かなり売れるんじゃないかい?麦酒を冷やす方法も気になるし、店にあった音を鳴らす妙な機械も知りたいね。アレは魔法道具?』
『いや、あれは「
『まぁ要するに、売れる商品なんだろ?』
ディアンは苦笑した。オルゴール程度なら他国に売っても構わないだろうが、量産するのであれば工場が必要になるだろう。
『職人の手作業だから量産はできない。受注生産がせいぜいだろうな。次にレミに行ったら、ドワーフ族に聞いてみると良い。簡単なものなら作ってくれるだろう』
シャルミラは頷いて、教えてもらった職人の名前を懐から取り出した紙束に書いた。ディアンはその様子を見て、「あの女商人」がまだ人間だった頃を思い出していた。ディアンは話題を変えるように、シャルミラに質問した。
『それで… 先程、少し耳に入ったんだが「進む道」に迷っているそうだな?』
『リタって女商人に言われたんだ。「アンタはなんで商人やってるの?」ってね。アタイは妹と一緒に、生きるために行商人になった。それじゃダメなのかい?』
ディアンは何も言わず、葡萄酒を一口飲み、酢漬けにしたオリーブの実を口に入れた。しばらく沈黙してから、口を開いた。
『ダメというわけじゃないが、それでは長続きはしないな。シャルミラ、お前が好きなのは「商売」か?それとも「カネ」か?』
『え?』
『行商人は様々な地方を巡って特産品を見出し、それを別のところまで運んで売る。「安く仕入れて高く売る」のが商売の基本だ。だがそれは、商売という仕事の流れを簡単に説明したものであって、仕事の「価値」を説明したものではない』
『どういうこと?商売っていう仕事の価値?』
『そうだ。簡単に言えば「お客に喜んでもらう」ってことだ。商人は、その商品を必要としている人に売る。売ってもらった人は、それで自分の「欲求」が満たされる、あるいは「不満」が解消されるので喜ぶ。お客を喜ばせた対価として、商人は利益を得る。カネが欲しいから「騙してでも売る」というのは商人ではない。ただの詐欺師だ。商人は、自分が売る商品がお客の為になる、と心底信じていなければならない。そして「客の喜びが自分の喜び」とならなければならない。さて、お前はこれからエディカーヌ王国の首都に向かうが、首都の人たちを喜ばせる商品は何だ?』
シャルミラはハッとした表情を浮かべた。懐から折りたたんだ布を取り出す。机の上で、丁寧にそれを広げた。
『エディカーヌ王国を喜ばせる商品、それはコレさ』
布の中は、何かの種であった。
『アヴァタール地方南部からニース地方は、ずっと人口希薄地帯で国ができなかった。それには理由があるんだよ。小麦が栽培できないからさ。この地方は暑いから、麦の栽培に不向きなんだよ。エディカーヌ王国だってきっと、麦栽培で苦労しているはずさ。だからこの種を売るんだ。これはね。暑い地方でも実る穀物なんだよ!』
『ほう…』
ディアンは種を手に取った。小麦よりも小さく丸みがある。穫れる量次第だが、もしこの実が小麦の代用になるのなら、エディカーヌ王国にとっては画期的なことだろう。シャルミラはタミル地方南部の話をし始めた。
『アタイらはタミル地方のある村で生まれた。山賊に襲われて全滅しちゃったけど、それまではそれなりに豊かだったんだ。その理由がこの種さ。これを粉末にすれば
(これは…ひょっとしたら「フォニオ」か?それにしては粒が少し大きい。ディル=リフィーナ世界独自の穀物だろうか?)
ディアンは丁寧に種を布に戻した。
『もしその話が事実なら、エディカーヌ王国は国を挙げて導入を図るだろう。まずは王立研究所のイルビット族に研究させ、一定の耕作地を用意して試験的に作付ける。収穫物を様々に加工し、用途の可能性を探るだろうな。王都の人々、いやエディカーヌ王国全体を喜ばせる話だろう』
シャルミラは胸を張った。そして気づいた。いま自分は、確かに「喜び」を感じている。それはカネが儲かるからではなく、そこに必要としている人がいるという「読み」が当たったからだ。ディアンは頷いた。
『最初はそれで良いと思う。成功したら、お前は皆から感謝されるだろう。そして解るはずだ。商売の「本当の喜び」をな』
『必要としている人を喜ばせる、か…』
ディアンの話は、商売の原点である。だが、改めてそれを自分の中に位置づけたとき、モヤモヤとした迷いは消えていた。
朝食もまた、期待以上のものであった。麺麭と
『こちらがお弁当です。お昼時に召し上がってください』
ディアンから、木の皮で出来た箱を渡される。麺麭の香りがするが、それ以外に食欲をそそる未知の香りがした。
『「カツサンド」という料理です。豆から作った「赤味噌」に砂糖、黄酒を合わせ、獣骨のスープで溶いて少し煮詰めたタレに、豚肉に衣をつけて揚げた「カツ」を浸します。それを千切りにした葉野菜とともに、麺麭で挟みました』
男どもが後ろで涎を啜る。十分に食事をしたはずなのに、すでに空腹感を覚えた。ここにいたら、また一泊してしまうかもしれない。シャルミラは出立を急がせた。
『ディアン。アンタに会えて良かったよ。王都で店を出したら、ぜひ遊びに来てちょうだい』
『あぁ、頑張ってな』
互いに握手をする。シャルミラは思い出したように、ディアンに最後の質問をした。
『そういえば、リタって商人はディアンのことをよく知っているようだったけど、有名な人なの?』
『…リタは名乗らなかったようだな。まあシャルミラなら、教えても良いだろう。ただ、本人はあまり知られたくないそうだから内緒にしてくれよ』
首を傾げながらも頷くシャルミラの耳元で、ディアンは小さな声で教えた。
『彼女の名前は「リタ・ラギール」、ラギール商会の会頭だ』
目を剥いて驚くシャルミラに、ディアンは笑みを浮かべながら頷いた。