私は前世での名前が「水橋速雄」と言う名のしが無い活動家で有ったのだ、だが私自身は所謂「交通事故」で23の時に死亡をする事に成ったのだ
それにしてもやはり此の真っ白な空間に居る事により此処が此の世とあの世の狭間に居ると言う事が改めて理解する事に成る
さて私以外にも此の空間に居る人は居ない物かね、そう私は北に向かい20分位歩いたのだ、そして見た感じ翁が二人と軍隊の見たいな人達そして半袖短パンの男が居たのだ
さて私は自分以外の人達の個人情報を聞く事にした・・まあ此の場所でいがみ合いをした所で意味も無いのと暇を潰せるものが存在しないからと言う事に成ってしまうからである
さて先ず最初に翁1に対して名前を聞くと「三河三郎さん」と言う名前で1918年11月21日生まれの兵庫県の神戸市の生まれだそうだ
そう兵庫県神戸市の生まれだ・・そう私の出身地は岐阜県であるのだが前世で一度も神戸に行った事が残念ながら無いのだ
其れで三郎さんは「そう言えば御前さんは何処の生まれなのか」と言う風に訪ねて来たからこそ「中部地方の岐阜県の生まれで基本的には岐阜市周辺で暮らして居た
其れで三郎さん、貴方は神戸市の生まれと述べたが具体的に何年位其の土地で暮らして居たんだ」と言う風に私は述べたのだ・・まあ羨ましいから聞いたのだ
そして三郎さんは少しだけ考える素振りをして「そうだな・・私はあの大東亜戦争でシンガポールそしてインドネシアで戦って居た、まあ其の期間を引いた期間の間全てを地元の神戸で過ごして居た」そう述べたのだ
そして翁2である「大西剛史さん」は先程の話を聞いて居て「三郎さんアンタは本当に運が良いな俺の場合はビルマ戦線だったからなあ・・まあ其の後に俺自身は捕虜生活を過ごす破目に成ったからなあ
だからこそ俺は正直イギリスと言う国が好きでは無いし好きに成りたいとは思わないな、さて俺の名前は大西剛史と言う名前で名目上は1922年4月21日生まれと成って居る
まあ端的に言えば俺は所謂孤児と言う奴だ、だからこそ本当の親とか本当の兄弟そして本当の出身地と言うのも知らない
さて俺自身の名目上の出身地は愛知県の岡崎市だ・・まあ岡崎と言う名前は速雄君君なら理解出来て居るだろう」と言う事を述べて来たので「あれだ徳川家康の居城が有った場所でしょ、其れと八丁味噌と言う岡崎城から八丁離れて居るから其の名が付いた・・まあ其れ位しか正直な所解らないですけどね」そう述べたのだ
そして剛史さんは「まあ岡﨑の地名を聞いて八丁味噌の名前を出すとは有る程度岡崎と言う場所を知って居るな・・まあ確かに地名を聞いて何の県の何処に有るかと言う事を知らない日本人が増えて来たのも又事実だけど
まあ其れこそ大阪や名古屋や横浜や神戸と言う様な大きい都市なら何処に有るかと言う事しか基本的に学校では教えないからなあ
まあ仕方が無いと言えば仕方が無いのかも知れない」と言う風に述べたのである
そして見た感じ軍属みたいな恰好をしている人達二人が「やはりあの大戦後の皇国はやはり文化的に見て劣化をしているのか」と言う風に尋ねて来たのだ
まあ此の会話の内容から察するに二人とも戦時中に無く成ってしまった人達なのかもしれないなあ、だからこそ私は彼等に対して「まあ個人的な意見と言う事で話しますが、まあ確かに日本と言う国はあの戦争後にアメリカやイギリスやソ連に対して負けたと言えば負けたんです
だが空くまでも後世では太平洋戦争と呼ばれるアノ戦争で日本は所謂イギリスやアメリカとの戦争を起こす理由で有色人種の国家の実現所謂大東亜共栄圏の樹立を望んで居たんです
だが1945年の8月15日に大日本帝国は先程述べた様に連合国軍に負けてしまったんですが一部の戦場で戦って居た日本兵は現地の独立の為に戦って最終的には東南アジア諸国は独立する事が出来たんです
まあ話は戻しますが日本の戦後はアメリカ文化の賛美そして自由民主主義と言う物が以下に素晴らしいか・・そして所謂日本の文化と言う物を否定的に教え込ませようとする教育をして来ました
まあだからこそ今の日本は有る意味では連合国が齎した教育を70年経った今でもその様な教育を教え込ませている」と言う事を私は述べたのだ」
さて取り敢えず軍属の二人の名前を聞く事が出来た「山野徹さん」と「本郷実さん」で有ったのだ・・そして私が思って居た通りに終戦間際に死亡をする事に成ったそうだ
そして最後に半袖短パンの男の人は声を掛ける前に「まあ此の格好で察して居る通りに私自身も戦後生まれで有る事には変わりが無い
さて私の名前は北山晴信と言う名の長野県の木曽郡の生まれだ、其れで私が死亡をした理由は端的に言えば多分だが心臓発作によってぽっくりと死んだんだと思う・・其れで私自身の享年は24歳であるのだ
なあだからこそ其処の軍属で有った「山野徹さん」と「本郷実さん」よりかは生きて居たんだ・・まあ或る意味惰性的な人生を歩んでしまったんだがね
まあだからこそ此の来世と言う物が存在して居るので有れば人生と言う物に出来るだけ後悔の無い様に行きたいと私は思って居る」と或る意味では所信演説を咬ましてくれたんだ
そして遠くの方に又新しい人物が此方の方に歩いて来て居るのである・・まあ彼も何故死亡をしてしまったのかを聞いて見る必要が有るから私達は其の彼を待って居たのだ