入学式の朝。クリスとケイリは、葉桜へと装いを変えつつある桜並木を歩いていた。
朝早いこともあり人数は少ないが、周りには新入生と思われる少女たちが緊張した面持ちで歩いている。
そして、それを眺めて頬を緩める在校生たちも。
どこか清新な雰囲気を感じるのは、やはり入学式を控えているからだろうか。
クリスが隣へと目を移せば、楽しげなケイリの姿が目に入る。
そんなケイリが見れるのは兄として嬉しかったが、しかしクリスの心はあまり晴れやかではなかった
「姉さん。せっかくの学校だというのに、あまり沈んだ顔をしてはいけないよ」
いつの間にか、クリスの方を見ていたケイリがそう言う。
そうは言ってもやはり慣れない。
女装については生まれの因果として受け止めているが、しかし女子校に通うことには抵抗を覚える。
どうしても、居てはいけない場所に居るという居心地の悪さを感じてしまうのだ。
「そうですが……いえ、そうですね」
しかし、せっかくケイリが楽しんでいるのに私が水を差すこともないだろう、と思ったクリスは、考えを前向きにしようとする。
女装していて、周りが女性だけであっても、憧れた生活ではある。
昨日も薫子という素敵な人と知り合えたことであるし、これから親しい友人も出来ていくだろう。
そこにはきっと、男性であるとか、女性であるといったことは、関係無いに違いない――。
と考えても、やはりクリスの心は騙されてくれなかった。
どう言い訳しても、女装して女子校に通うというのは問題だ。
例え親しい友人が出来ても、明らかに許されない大嘘を最初から付いているのでは、本当に親しいとも言えないのではないだろうか。
前向きに考えようとしたはずなのに、いつの間にか後ろ向きになり始めた考えが表情に出ていたのか、ケイリは溜息をつく。
「仕方がないね、姉さんは」
「……明るくなれないのは私のせいではなく、この状況のせいなのですが……」
「そうだとしても、姉さんは考えすぎだと思うよ」
ケイリはクリスの前に出て、迎え入れるように軽く手を広げる。
「私たちは、人生を豊かにするためにここに来た。そうじゃない?」
「……ええ」
「なら、楽しまないと。時には、問題を先送りすることも必要ですよ」
からかうような響き。
結局は先送りですか、と言うのも、クリスが心配し過ぎなのかもしれない。
茂みを恐れる者は巣から鳥を得ることが出来ないように、心配し過ぎてここに来た意味を忘れれば、何も得られない。
友を失うのを恐れるのは、友を得てからでいい。
「行こうか、姉さん」
「そうですね。じきに、入学式も始まる」
クリスとケイリは桜並木を抜けて校舎へと入って行った。
入学式はつつがなく終了した。
初めての学校行事ということ、そして未だかつて経験したことのないほどの人――それも女性のみ――に囲まれたこともあり、新入生にも勝るほどに緊張していたが、式自体は楽しんでいた。
なにせ全てが初めての体験で、来賓の大した内容の無い挨拶でさえも楽しかったのだ。
そして式が終わり、昂っていた気持ちも今では落ち着いて、クリスはケイリの教室を訪ねていた。
扉を開けて教室の中を覗けば、すぐにケイリは見つかった。窓際の席で光を受けながら独り本を読む姿は、絵画のように美しい光景だったが、しかしクリスにとってあまり好ましい光景とは言えなかった。
近づいて声をかけようとしたところで、こちらを緊張した面持ちで窺う少女が目に入り、ふと今朝薫子と交わした会話の中で出て来た言葉を思い出す。
受付嬢――聖應の仕来たりの一つで、入口に近い席に座る生徒が、他のクラスの生徒からの取り次ぎをする、という変わった制度。
座っていた席から考えて、きっと彼女が受付嬢なのだろう、と考えて声をかける。
「失礼。ケイリ・グランセリウスに取り次いでもらえますか?」
「は、はいっ! 少々お待ちください!」
クリスに声をかけられた受付嬢の少女は、勢い良く返事をすると、ケイリを呼びに行った。
もしかすると、受付嬢としての初仕事だったのかもしれない。
受付嬢の少女に声をかけられたケイリは、こちらに視線を向けると、二言三言、言葉を交わしてからこちらへ歩いてきた。
「姉さん。昨日言っていた案内ですか? それにしては姉さんしかいないようだけれど」
「ええ。薫子は友人の手伝いで、式典の片づけをしています。ですから、案内してもらうのは少し遅れる、ということを伝えに」
最初、薫子は案内の方を優先しようとしてくれていたのだが、クリスがそれを遠慮したのだ。
特別な用事があるわけでもない。さほど時間はかからないと言っていたので、ケイリと少し話していればあっという間だろう。
「なるほど。それなら教会へ行ってみない?」
「教会? 桜並木の横にあった建物ですか?」
「ええ。先生が言うには、生徒の出入りは自由だそうだよ」
ケイリは、特別信心深いわけではないのだが、教会といった場所や、祈るという行為を好んでいる。
それはケイリが基督教そのものではなく、神秘的なもの自体を信仰しているからなのだろう。
「そうですね。それなら一度行ってみるのも良いでしょう」
断る理由もない。クリスはケイリの提案に頷き、受付嬢に薫子への言伝を頼んで教室を出た。
「ところで、知り合いはできましたか?」
「ああ……それが、ね」
道すがら、そう尋ねたクリスに、ケイリは少し困ったように笑う。
「視線は感じるのだけれど、話しかけてくる人がいなくて。やはり外国人は日本語がしゃべれないと思われているのかな?」
「そんなことは無い……とも言い切れませんが、どちらかといえば、どう話しかけたら良いのか悩んでいるのでは?」
「そうかな?」
「私はそう思いますが……ケイリからは話しかけなかったのですか?」
クリスが思うに、外国人という以上に、ケイリの持つ雰囲気が、話しかけ辛くさせているのではないだろうか。
同年代の少女たちと比べて、ケイリは貫禄のようなものがある。自分から馴染もうとしなければ、仲良くなる、というのは難しいかもしれない。
「ええ。そうしようか、とは思ったのだけれど……私が見ると、皆視線をそらすものだから。ここの女の子たちは皆、照れ屋みたいだね。なかなか話すきっかけを掴ませてくれない」
「そうですか……まあケイリなら大丈夫でしょう」
きっかけなどというものは、存外いくらでも転がっている。それに気付けるかどうかは本人次第だが、ケイリの場合は気付いていて、あえて見逃してるのではないかと思う。
それが何故かは解らない。案外、ケイリ自身も友人という距離を測りかねているのかもしれない。
とはいえケイリのことだから、上手く馴染むだろう。
「そうだね。私としては、姉さんの方が心配なぐらいですよ」
「ふふ、否定できませんね。……と、ここですか」
クリスたちは、教会の前についた。
やや古さを感じる教会だが、しかしそれは見た目が古いということではなく、重ねられた年月を思わせる雰囲気によるものだ。
扉は閉められていたが、鍵自体はかかっていないようだった。
「入って良いのでしょうか?」
「良いのではないかな? 自由に出入りできるとは言っていたのだから」
「そうですね。では」
ぎい、と蝶番の軋む音を教会内に響かせながら扉は開いた。
ステンドグラスから差し込む日の光が、教会の中を控えめに照らしている。
丁寧に掃除がされているのだろう。差し込む光をほこりが反射することは無い。
「小さいけれど、素敵な教会だね」
そんなケイリの言葉に、クリスも頷く。
華美な装飾は無いが、品が良い、とでも言うのだろうか。そんな印象を受けた。
こつ、こつ、と、教会の中に足音を響かせながら歩く。
周りを興味深く眺めながら進み、クリスたちは講壇の前に立った。
正面には石造りのマリア像があり、クリスたちを見ている。
ケイリは無言で膝をついた。
指を組んで頭を垂れ、祈りをささげる。
それを見て、ケイリは何を祈っているのだろうか、とクリスは思った。
クリスも、祈りたいことは多い。
けれどクリスは神に祈るほど信心深くは無かった。
そもそも祈って何かが起こるわけではない。信仰を否定するつもりはないが、肯定するには、あまりに神は冷たい。
「姉さんは、祈らないの?」
閉じていた瞼を開き、エメラルドグリーンの瞳だけクリスの方に向け、ケイリはそう言う。
「柄ではない、と思いませんか?」
「たまには良いのではないかな、とも思いますよ」
「……まあ、そうですね。では、無事卒業まで過ごせるよう、祈りましょうか」
クリスは、ふふふ、と笑うケイリを横目に、同じように膝をついた。
胸の前で指を組んで、目を閉じる。
そして、静寂に包まれた。
しん、とした世界。
風の音、小鳥のさえずり――そんなものすら遠く、どこか現実感が無い。
時間さえも消えてしまうような感覚の中で、しかし心地良いと感じるのは、隣に温もりがあるからだろうか。
そんなことを考えて、クリスが口元を緩めたとき、ぎい、と扉の動く音がした。
「あ……」
同時に聞こえた声に振り返れば、教会の扉のところに、薫子と、クリスと同じようにポニーテイルにした少女が立っていた。
どちらも何故か、ばつの悪そうな顔をしている。
「ああ、薫子。来ていたのですか」
「あ、えーっと……うん」
立ち上がり、スカートについた微かな埃を払ってクリスが笑いかければ、薫子ともう1人の少女は教会に入ってくる。
隣で同じく振り返っていたケイリに手を貸して、立ち上がらせた。
「薫子、紹介します。私の妹の、ケイリです」
「初めまして。私の名はケイリ・グランセリウス。夜に在り、数多星々を司る星の女王だ」
立ち上がったケイリは、穏やかな微笑みを薫子たちに向けてそう言った。
「へっ? え、と、あたしは七々原薫子。初めまして、よろしくね」
「わ、私は皆瀬初音と言います。よろしくね、ケイリちゃん」
「ええ、よろしく。薫子、初音」
戸惑ったような薫子たちに、思わずクリスは苦笑する。
ケイリの自己紹介は、少々個性的すぎる。クリスはそう思いつつも、今更止めるつもりもない。
昔、母がケイリを占って言ったのがその言葉だった。
幼いケイリは、その言葉を聞いて喜び、好んで使っていたが、自身も占星術を知るようになってからは、また別の意味もあって気に入っているようだ。
「私も初めましてになりますが、クリス・グランセリウスです。よろしく、初音さん」
「よろしくね、クリスさん。あの、呼び捨ての方が慣れているんですよね? 私も呼び捨てにしてもらって良いですよ」
「では初音と。私も、呼びやすいように呼んでいただけると嬉しいです」
「えっと、じゃあクリスちゃんって呼ばせてもらいますね」
「……というかさ、さらりとケイリがあたしたちを呼び捨てにしてなかった?」
朗らかに笑う初音とクリスが握手を交わしたところで、薫子がそう言う。
「おや、何か拙いかな?」
「別に拙いことはないんだけど……いやでも拙いのかな?」
「私たちは別に気にしないですけど……一応仕来たりでもありますから、他に人が居るときはきちんと『お姉さま』と呼んでくれると嬉しいかしら」
きょとん、としたケイリに、初音がそう注意する。
「なるほど。気を付けることにするよ」
「そうですね。ケイリはもう少し、形式の大事さを知るべきです」
どんな国や文化であっても、形式というものはある。
Do in Rome as the Roman do. ――ローマにおいてはローマ人のようにせよ、という諺があるように、その場に馴染むつもりなら、その場のやり方に馴染むことも大切だ。
もちろん全てにおいて、というわけではないし、ケイリはその辺りの線引きを良く理解しているとは思う。
それでもそんな小言を言ってしまうのは、やはり家族だからだろうか。
「解っていますよ。姉さんは心配症ですね」
「大切な妹ですから。姉として心配するのは当然のことです」
クリスはきっぱりとそう言う。
そんなやりとりを見て、初音はくすりと笑った。
「仲が良いんですね」
「そう言われると面映ゆいものがあるのだけど、否定はできないね。家族は大切にするものだから」
照れくさそうに頭を掻く仕草をしながらそう言うケイリに、初音は「そうですね」と柔らかく笑いかける。
けれどもその横で、薫子が微妙な顔をしていた。暗い、というわけではないが、何か納得のいかないような、そんな顔だ。
「どうかしましたか? 薫子」
「え? あ、うん。なんでもない! それより学校の案内! ちょっと遅れちゃったし、そろそろ行かない?」
「あ、そうでしたね。余り遅いと回れなくなっちゃいますし、行きましょうか」
少し気になって声をかけたが、何でもないというなら、それでいいのだろう。
それ以上聞かず、クリスたちは薫子と初音に付いて教会を後にした。