レミリア提督   作:さいふぁ

1 / 55
レミリア提督 Notice

 鮮血のような夜だった。

 

 

 

 地上は紅蓮に燃え盛る炎が瓦礫も死体も一緒くたにして燃やし、その明かりが夜空を照らして星の光を隠してしまっている。

 けれども、ピジョンブラッドの如き紅く、深く、そして暗い満月は、彼女だけが煌々と輝きながら冷酷な王のように静かに地上を見下ろし、頭上から降り注ぐ赤黒い深海機の残骸に追われる者たちを嘲笑っていた。建物はことごとく打ち崩されて無残な残骸に成り果て、港を囲んでいたガントリークレーンはまるで飴細工のようにねじ切られてドックに沈んでいる。周囲のふ頭は墜落した機体が機械的な部品ではなく生物のような肉片をまき散らしてさながら絨毯のように地上を覆っているのだ。

 特別に宗教を信じていなくとも、この光景を見て地獄を思わない者はおるまい。血の臭いと重油の臭い、焦げるような臭いに潮の臭いも交じって、鼻がひん曲がりそうな悪臭が漂っている。口の中は鉄臭くなったくせに水分が蒸発して干からび、気持ちの悪い生暖かい風が肌を撫でて身が震えた。その上おぞましいのはこれだけでなく、潰された虫の大群が中身をぶちまけて辺りを埋め尽くしているような景色の中に、赤い槍の針葉樹林が乱立している。

 

 いや、槍が立っているというだけでも相当な不条理だが、さらに不条理なのはその槍の一つ一つに先程港に上陸して侵攻して来たはずの深海棲艦の躯が串刺しになっていることだ。

 

 

 このような光景は聞いたことがあった。

 そう、決して見たのではない。だが確かに過去、十五世紀の半ばごろにルーマニアで見られた光景である。その時代に生きていたわけではないから実際に目の当たりにしたのではないが、きっとそれを目にした当時の人々はあまりの異様さに言葉を失ったに違いない。

 

 

 今の「赤城」と同じように。

 

 何もかもが現実感を喪失していた。けれど、網膜に映る映像は鮮明過ぎるほどのリアリティと圧倒的な説得力を持って脳に認識を強迫する。だから、否が応でも目の前で起こっていることが、夢でも幻でも何でもなく、真実であること、事実であることを気が狂いそうなくらい思い知らされる。この悪夢が始まって、「赤城」は何度も抗えない暴力を振るわれていたが、現在なお進行し続ける異常な事態それ自体さえもが、一つの暴力となってさらに「赤城」を蹂躙し、意思を座屈させていた。

 守るべき場所が地獄の底のように変化し、自分が全くそれを止められなかった。というよりたった今、一切合切の力を奪われて完全に無力であることを思い知らされるという絶望を味わい、「赤城」は秘所を不躾な手で侵されたかのような恥辱と屈辱にまみれていた。

 だが、泣こうにも眼孔からは何もこぼれず、喉からは干上がった声が漏れ出るばかりで、まるで意志を持たぬ人形のようにその場にへたり込んで見上げるしかない。

 

 

 

 山のように――まさに山のように積み上がった深海機の残骸の上で、悠然と足を組んで見下ろす彼女を。

 

 

 

 「串刺し公」の末裔を。

 

 

 

 次は自分だという確信に近い予感がある。つい数分前まで鎮守府の空を覆っていた深海機の軍勢の内の何割かは「赤城」の子供たちだった。しかしそれが今はすべて彼女の尻の下にあり、かくて空母としての能力のすべてを奪われた「赤城」は、本当に赤子同然に無力な存在に成り下がっている。彼女にとって今の「赤城」は――否、万全の状態であってもそうだっただろう――きっと容易い存在に違いなかった。

 

 では何をする?

 命乞いか? この期に及んでの悪あがきか?

 

 答えは出ない。

 思考は動くが、答えをはじき出せるような状況では既になかった。もう「赤城」にはどうしようもないのだ。

 命乞いをしても聞き入れられる確率は皆無に等しい。抵抗をしてみても虚しく捻り潰されるのは目に見えている。

 ならばいっそ、ここは武人らしく潔く死ぬべきなのかもしれない。

 もっと言えば、本当は「赤城」という女は当の昔に死んでいるのだ。今ここにいるのは、かつて「赤城」と名乗っていただけの亡霊であり、あるいは海軍の付けた仮称を借りて言えば「――」とも呼ぶべき存在で、それは「赤城」とは違う生き物のはずだ。

 どうしたことか、今の「――」には「赤城」としての自我と意識があるけれど、きっとこれは身体に残っていた彼女の残滓に過ぎない。

 

 だから、やはり“私”はここで死ぬべきなのだ。

 

 彼女の愛した「赤城」ではない。「赤城」の身体を借りただけの”私”は。

 

 

 

 

 

 

 

「いい夜ね」

 

 

 

 満月の化身は酷く上機嫌だった。

 まるで上質なワインに舌鼓を打っている時のように、彼女は穏やかな微笑みを浮かべて、さらにそれを”私”に向けている。

 

「今夜は血が滾るわ。だけどあんまり時間がないのが残念」

 

 彼女はゆるりと首を振り、話を続ける。

 “私”はと言えば、ただ黙って震えているだけでしかなかった。死んでなお、こんなにも恐ろしい思いをするなんて想像だにしなかった。死はすべての終わりだと思っていた。あるいは、靖国に導かれるのだろうと甘い見通しを立てていた。

 

 

 

 

 ――現実は、何もかもが違っていた。

 

 幻想が侵入し、介入し、介在し、世界の解釈を変えていく。運命が歯車の軋む音を立てて動いていく。

 目の前にいる彼女がそうだ。

 

「手短に終わらせましょう」

 

 そう言って彼女はそれまで腰掛けていた死骸の山から立ち上がる。同時に、不規則で幾何学的な形をした影のように暗い翼が背中からまっすぐ伸ばされた。

 

 

 

 ふわりと、彼女の小さな体躯は空中に浮き上がる。

 

 

 

 それが序章の終わり。

 

 

 

 それが終幕の始まり。

 

 

 

「こんなにも月が紅いから!」

 

 

 

 彼女は叫んだ。

 悪魔の背後の空間が、その身から放出される禍々しい魔力によって歪み、月はいよいよあり得ないほど煌々と紅く、悍ましく輝き出す。

 

 

 世界が震えた。

 

 

 幻想の侵食への拒絶反応。最後の抵抗として、あるいは逆にその力の支配が確立した印として、激震が走ったのかもしれない。

 何人たりとも彼女に逆らうことは許されない。彼女が作り出す幻惑の世界の中で、”私”は支配者の名を思い浮かべる。

 

 

 

 

 

 

 

「楽しい夜になりそうねッ‼」

 

 

 

 

 

 

 

 忘れもしない。

 

 

 

 彼女の名前は……。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

「レミリア・スカーレット少将?」

 

 

 人事局から電子メールで送られてきた通達のPDFファイルを開いた赤城は一度顔をパソコンの画面に近づけ、引き戻してから無意識に声を出した。

 

 司令室の隣、秘書艦に与えられた六畳ほどの狭い個室の中、摩天楼のように積み上げられた資料ファイルの塔に埋もれているデスクに一人腰を掛けて、今日の昼のカツ丼定食はうまかったなあ、などと膨らんだ胃袋に満足しつつスリープ状態のパソコンを叩き起こした直後である。メールチェックをしたところ、受信ボックスには何件かのメールが入っており、それらに目を通していた時、件の通達を見つけたのだった。

 

 それは、当鎮守府に新しい長官が着任することを知らせる通達であった。

 

 前任者が急病を理由に軍から去った後、しばらく後任が見つからなかったのだが、ようやく新しい人が来るようである。鎮守府長官不在の間、その代理として秘書艦に職務を兼務しつつ、鎮守府の顔として、最高意思決定者として、膨大な量の仕事を毎日早朝から深夜までこなしていた赤城としては、この通達はまさに心待ちにしていたものだった。酷い時、睡眠時間はたった一時間しかなく、寮で同室の加賀には日に日に顔色が悪くなっていると心配される始末である。普段はしない厚化粧で目の隈を隠し、トップが居ない中で周囲に不安が広まらないよう必死で取り繕っていたのだが、それももうそろそろ限界を迎えようとしていたのだ。何者であれ、後任者の着任に赤城は深く安堵したのだった。

 

 そうは言うものの、やはり「誰が来るのか」ということは赤城にとって(もちろん鎮守府の他の艦娘にとっても)大いに気になるところである。特に、その者の名前が横文字で表記されるようなら。

 

 

 赤城は鎮守府の最古参の一人であり、秘書艦である。

 

 それ故、赤城は軍の中の情報についてはかなり詳しかった。秘書艦という職務上、艦娘として戦場に出るよりも事務仕事の方が割合を多く占め、他の鎮守府や本部と電話・電子メール等で連絡を取り合うことを毎日している。だから、自ずと軍の中の様々な情報が入って来るのだ。そうして知り得た情報の中には現在軍に所属する現役の将官の名前とそれぞれの得意分野や立ち位置等も含まれており、そこから赤城は次にこの鎮守府に着任しそうな人物を何名かピックアップしていた。兵学校の卒業年次、席次、経歴、現在の役職等を総合的に検証した結果、自分でもかなり信頼出来る予想を立てるに至った。

 

 ……のだが、実際に通達に書いてあったことはまったく思いも寄らない名前だったのであるから、思わず声に出してしまったのだ。

 

 赤城はしばし固まり、パソコンの画面を食い入るように見つめた。が、どれほど眺めようと、液晶に書かれている奇妙な横文字の名前は変わることがなかった。

 

 はて、こんな名前の将官が居ただろうか? 

 

 赤城は頭を捻るが知っている中で少将の階級を持つ者はすべて漢字の名前である。誰がどう見てもこの人物は日本人ではない。いや、別に外国人であることがおかしいのではないのだ。

 

 現在の海軍は、母体こそ日本海軍であるものの、諸般の事情により国際共同で運用される軍隊となっており、つまりは「国連軍」と呼ばれる存在なのである。もっとも、その来歴や拠点の多さ、所属軍人の国籍から、実質的に日本がほとんどの権限を握っているのだが。

 

 とはいえ、そこは腐っても国連軍であり、当然ながら日本人以外の軍人も所属する。公的には軍内公用語は英語であり、事実赤城も英語でメールを打つことがしばしばある。要は、深海棲艦――人類から海の道と資源を奪い去った上、さらに海岸線を侵食しつつある敵――に各国が力を合わせて対抗しましょう、ということなのだから、ある日突然知らない名前の外国人が提督としてやって来ても不思議ではない。

 

 ただそうは言っても、広い人脈と豊富な知識に自信のある自分がこれまで聞いたこともない名前なのだから、それは驚くものである。ついでに、赤城の知る限りかつて鎮守府長官に外国人が着任した例はない。

 

 しかも、だ。あまり他国の人名には詳しくないが、どうやらこの「レミリア」という名前は女性のもののようである。男性形は何というのか知らないので確信は持てないものの、後任提督は世にも珍しい、というより我が軍初の女性外国人提督ということになるだろう。まあ、このあたりのことは後で詳しい“彼女”に聞くことにする。

 

 取り敢えず、赤城は取り合えずPDFファイルをプリントアウトした。紙媒体として三次元に現れた通達を手に取り、内容を今一度確認する。着任の日付は三日後の七月一日になっていた。

 

 えらく急なものである。恐らくぎりぎりまで外国人女性を提督にしていいのか揉めたのだろう。頭の固い保守的な日本人が権限を握る人事局にしては思い切ったことをしたものだから、それ故相当のすったもんだもあったに違いない。

 

 だが、問題はなかった。赤城は後任者を心待ちにしていたのだ。いつ着任してもいいように万全の態勢を整えてある。新任提督用の当鎮守府のガイダンスは冊子とデータの両方で作成済み。詳細な戦闘記録もあるし、口頭で戦況を簡潔に説明することも可能。長らく空室となっていた司令長官室には塵一つ落ちていないし、大型艦を自由に運用できるだけの十分な資源の備蓄もある。加えて、当鎮守府には帰国子女で英語に堪能な艦娘――金剛がいるし、赤城自身もある程度のレベルまでなら英語でのコミュニケーションが可能だ。例え新任提督が英語しか解せなくてもまったく問題はない。いかなる提督も、着任後速やかに当鎮守府における職務を理解し、直ちにその遂行を開始出来るようになっている。

 

 赤城は通達の紙をデスクの端に置いて上に文鎮を乗せる。こうしておけば後で忘れることもないだろう。この通達は寮の食堂横の掲示板に張り出すつもりだった。昼前にこれを見ていたら、昼食に向かう時に一緒に持って行けたのだが、今の時間では先にやらなければならないことも多いし、わざわざこれを張り出すためだけに秘書室のある鎮守府第一庁舎から数百メートルも離れた寮に向かうのはしんどい。何よりも、屋外に出る気がしない。

 

 それから赤城は一つ喉の渇きを覚えて、午前中に買い入れパソコンの横に置きっ放しになっていたペットボトルのお茶に手を伸ばす。昼のカツ丼はたいへん美味しく、また精の出る食べ物であったのだが、いくらか脂っこくてすぐに喉が渇いてしまったのだ。しかし、生憎なことにペットボトルは空。どうやらいつの間にか飲み干してしまっていたらしい。

 

 飲み物を買いに行くのは面倒だが我慢するのはもっと面倒だ。赤城は渋々デスクから立ち上がり部屋の外に出た。狭く圧迫感の強いもののクーラーが効いていて涼しい秘書室とは対照的に、外の廊下はねっとりとした熱い空気に満たされていてたいそう不快だった。その分圧迫感などはないが、どちらが過ごしやすいかと言われればもちろん部屋の中である。

 

 だが、赤城は汗一つかかず涼しい顔で廊下を進む。すべての艦娘の模範となるべき秘書艦はちょっとの熱さで顔を顰めるべきではない。きびきびとした歩調で目指すは休憩所の自動販売機。この鎮守府第一庁舎の一階裏にある。

 

 廊下には誰もいない。午後の一時を過ぎたところだ。艦娘たちはこれから海に出て訓練に励むであろうし、鎮守府の職員たちも各々の仕事に没頭し始めている頃だろう。忙しい赤城はさっささっさと足を動かし、三階にある秘書室から一階にまで下りて来る。目指す先には自販機が冷たい飲み物を抱えて赤城を待っているはずだ。

 

 

 

 体にまとわりついてくる空気を切り裂くように歩き、休憩所にやって来ると、数台並んだ自販機の内、一台が開けられているのが目に入った。がこん、がこんと缶飲料が補充される音がする。

 

「あ、こんにちは!」

 

 赤城がジュースを買うために別の自販機に近寄ると、飲料会社の制服を着た女が挨拶をしてきた。目を引く赤い髪を一房に絞った背の高い女だ。額に汗を浮かべながらも、彼女は暑さを感じさせない爽やかな笑顔を見せた。

 

「こんにちは」

 

 見ない顔だ。つい先日まで、ここの自販機の補充とメンテナンスに来ていたのは中年の男だった気がしたが、代わったのだろうか? 軍事施設である鎮守府に出入りする業者は、担当者が変更になる場合届け出を出さなければならない決まりになっているが、そんなものがあっただろうか。赤城は頭を巡らすが、それもほんのわずかな間だけだった。

 

 鬱陶しいまでの暑さの中、悠長に思考する気など起きなかったからだ。一日に処理する書類の数が膨大すぎて忘れているだけだろう。赤城はそう断じて緑茶のペットボトルを買った。

 

「暑いですねー!」

 

 やたら元気のいい女が話し掛けて来る。「そうですね。堪らないわ」と赤城も返す。

 

 それから互いに会釈して、赤城は休憩所を離れる。行儀が悪いと思いつつも、水分を失った体が勝手に動いて、お茶を飲みながら秘書室に戻ったのだった。

 

 

 

 

****

 

 

 

 十九時。夕食のために集まった艦娘で食堂は賑わっていた。一台しかないクーラーは唸りを上げて冷たい風を吐き出し、その下に何人かの駆逐艦娘が居座って、少しでも風が当たる面積を広くしようとクーラーの口に向かって手を伸ばしていた。

 

 夕方に思わぬ仕事が入り、ついさっきまでそれと格闘してようやく終わらせた赤城は時間ぎりぎりに食堂に飛び込んだ。兵士でもある艦娘のタイムスケジュールはきっちりと決められている。十九時から二十時までの間は夕食の時間となっており、例外を除いてこの間に仕事をしてはならないのである。

 

 秘書艦が時間に遅れるわけにもいかず、赤城は秘書室から食堂まで走って来た。お陰で体の表面がじっとりと汗ばんだ。汗臭いのは嫌なのだが、どの道夕食時の食堂というのは訓練を終えたばかりの汗むさい艦娘が集まっているのだから、自分の臭いに過敏になる必要はないと断じる。

 

 赤城が食堂に入ると自分以外は全員集まっていた。軽巡の川内がクーラー下の駆逐艦たちに席につくように言い、食堂は静かになる。

 

 全員の目が赤城を見ていた。赤城は用意されている自分の席にはつかず、ゆっくりと壁伝いに食堂を半周する。ちょうど厨房を背にしながら艦娘たちと向き合い、忘れずに持って来た通達の紙を掲げてみせた。丁寧に一礼してから事務連絡を始める。

 

「えー、皆さん。お疲れ様です。一つ、大事な連絡があります」

 

 全員が静かに傾聴する。赤城の声と、厨房で調理器具を片付ける音だけが響く。

 

「先日から提督が長い間不在でしたが、この度新しい方が着任されることとなりました。『レミリア・スカーレット少将』という方です」

 

 ざっと食堂がどよめく。赤城の口から飛び出した横文字の名前に、赤城と同様他の艦娘たちも驚いたようだ。各々が各々、隣にいる者同士で顔を見合わせ囁き合う。

 

 赤城は手を挙げた。まだ話は終わっていない。

 

「お静かに。新しい提督は明々後日の七月一日にご着任される予定です。詳しくは食堂前の掲示板に紙を張り出しておくのでそちらを見てください。お名前の通り、海外から来られるので日本の様式や慣習などご存知ではないかもしれません。皆さん、新しい提督が少しでも早く慣れられるようにしっかりとサポート出来るようにお願いします 」

 

「はい」

 

 艦娘たちが返事をすると、赤城が座る前にすっと手が挙がった。鎮守府内で唯一の軽巡洋艦娘の川内である。

 

「何でしょうか、川内さん」

 

「日本人じゃないのはなんでですか?」

 

「それは、分かりません。ただ、どなたが来られても一緒ですよ。私たちは私たちのやるべきことをしっかりとやるだけです」

 

 川内の訊いたことはこの場にいる全員が知りたいことである。もちろん、赤城も含めて。

 

「連絡は以上です」

 

 そう言ってまた頭を下げてから赤城は先に座っている同僚の加賀の隣に移動する。テーブルには既に赤城の分の夕食を加賀が用意してくれていた。

 

 赤城は赤城で通達を見てから少し「レミリア・スカーレット」なる軍人について調べてみたのだが、その情報はまったく出て来なかった。日本人以外の人間について調べるのは初めてなので、単にスカーレット将軍が謎に包まれた人物なのか、海外の人間の情報は出てきづらいのかは分からない。

 

 それからいただきますと言って食事を始めたのだが、今度は赤城の目の前に座る戦艦の金剛が話し掛けて来た。彼女はこの鎮守府で最年長であり、最も武勲に優れた艦娘の一人である。

 

「何者かも分からないのデスか?」

 

「はい。全然ですよ。情報が出て来ないんです」

 

「経歴も、出自も不明? Where from? どこの国の出身かも?」

 

「はい。恐らくは英語圏の方だと思うのですが。名前からして」

 

「そうネー。Scarletっていうsecond nameは珍しいケド」

 

「ファーストネームならありますね。スカーレット・オハラとか。ところで、金剛さんにお願いがあるんですが」

 

「通訳ネー」

 

「はい」

 

 分かっているなら話が早い。英国出身の金剛は英語が堪能だ。日本語は発音がどこか怪しいが、英語の方は流暢に喋る。赤城も彼女に英語を教わったのだった。

 

「それはいいケド……」

 

「何でしょうか?」

 

「んー。別に、何でもないワ」

 

 金剛は何か言いかけていたが、結局口を噤んでしまった。まあ、彼女がいいと思ったのならいいのだろう。赤城は別段気に留めなかった。必要なことなら金剛は必ず話してくれるからだ。

 

 と、隣に座って黙々と食事をしていた加賀がポツリと呟いた。

 

「私も、英語を勉強しなければいけないかしら」

 

「え? まあ、直ぐに必要になるわけではないと思うけど。私も金剛さんもいるし。でも、話せるようになって損はしないと思うわ」

 

 加賀が心配しているのは、仕事が言葉の壁で阻まれないかだった。

 

 提督不在の間、鎮守府長官業務を一部代理していて仕事机を離れられない赤城に代わり、加賀が現在当鎮守府所属の艦隊旗艦を務めていた。通常は秘書艦が旗艦の任に就くのだが、赤城があまりにも忙し過ぎる故の処置であった。後任提督が来たら、赤城は旗艦に戻る予定であるが、元より不在の時などに赤城は加賀に旗艦の代理をお願いすることがよくある。必然、加賀も提督と接する機会も多くなるわけで、外国人が着任するなら英語力も求められてくるのだろう、ということである。国際化の世の中なのだ。

 

「加賀はどれくらいEnglishを喋れるのデスか?」

 

 金剛の問いに、加賀はしばらく逡巡したように沈黙し、それから口を開いた。

 

「はろー。ないすとみてぃゆー。まい、ねーむ、いず、“カーガ”」

 

 赤城と金剛は堪え切れず同時に噴出した。

 

「アハハハハハ!」

 

「クッ。加賀さん、何で名前だけ片言で言ったんですか……」

 

「オー! しゃらっぷ!」

 

 すっかりへそを曲げた加賀はそれっきり何も言わなくなってしまった。顔は羞恥で紅潮していて、これは機嫌が直るのに相当時間が掛かるだろう。それは分かっていたのだが、あまりにも加賀の発言が可笑しかったので思わず笑ってしまったのだ。

 

 本人は至って真面目なのである。加賀はほとんど冗談を言わないし、面白い言動で場を賑やかすひょうきん者でもない。英語の発音が下手なのは素なので、加賀としては真剣にかろうじて知っている英語のフレーズを口にしただけなのだ。それを笑われれば誰しも怒りはする。

 

 が、何度も言うように赤城にとっては面白かったのである。ついでに言えば、この後の加賀の行動も予想出来た。

 

 プライドが高く負けず嫌いな彼女だ。英語の単語帳を買ってきて、こっそり勉強を始めるに違いない。そして、いつの間にか英語を喋れるようになって赤城たちを見返そうとするだろう。もう、隠す前から隠しことがばればれなのだが、それが加賀の“らしい”ところである。

 

 

 そんなこんなで、その後は加賀の機嫌を直すのに赤城は苦労しなければならなかった。ただ、後から思えばこんな風に笑っていられたのも、この時までだったのだ。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。