「双子の駆逐水鬼」
メインターゲット 報奨金 38400z
駆逐水鬼二頭の狩猟
サブターゲット 報奨金 4800z
両方の帽子破壊
目的地:コロネハイカラ島沖
制限時間:50分
契約金:3900z
特別夜間挺身隊。大層な名前を付けられているもんだと江風は笑った。
なるほど、確かに自分たちがやろうとしているのは「挺身」であろう。未曾有の強敵に、たった六人の選りすぐりの精鋭で挑むのだ。これほどふさわしいネーミングもあるまい。
旗艦は「矢矧」。
彼の大戦艦「大和」「武蔵」の直衛を務める最新鋭軽巡で、その右腕として最前線で強敵たちと渡り合ってきた猛者。エリート街道まっしぐらの彼女の武勇は江風もよく耳にしている。それが大戦艦様の護衛を外れてこんな辺境までやって来たのだから、軍上層部は今回の事態を余程のことと捉えているのだ。
続いて二番艦には雷巡「木曾」。
最強と名高い一航戦と同じ鎮守府に所属するベテラン艦娘で、自身も比類なき雷撃火力をもって敵を粉砕してきた。北方海域出身とのことで、そちらでの戦果も有名。彼女の所属する鎮守府自体、精鋭中の精鋭である艦娘しかたどり着けない場所であり、肩書がその実力の高さを雄弁に物語っている。
三番艦と四番艦には「時雨」と「江風」。
今でこそ所属が違うものの、かつては同じ部隊に所属した姉妹艦同士。勝手知ったる仲で、この作戦において再会出来たことを純粋に喜び合った。もっとも、時雨にはもう一人会わせたい人がいたのだが、それは時雨が断ってしまった。
最後尾の五番艦と六番艦は「舞風」と「野分」だ。
混成部隊が中心の今作戦の中で、ほぼ唯一と言っていい部隊ごと参加した艦娘である。木曾と同じ鎮守府に所属し、その実力の高さは折り紙つき。加えて、今回の敵にとても強い因縁を持っている。
何せ、敵と目される「双子の駆逐水鬼」は元は駆逐艦「萩風」と「嵐」と言われているのだ。彼女たちは五年前のある夜、海戦で轟沈した。その時同僚だったのが舞風と野分なのである。
事実は小説より奇なりとは言うが、何ともまあ運命的ではないかと思う。かつての海戦で生き残った者と沈んでしまった者、それが時を超えて立場を違え、敵同士として再会することになる。何とも言い難いドラマがそこにはあった。
そして、そうした因縁を自分たちがまた目にすることになるであろうということにも、奇妙な巡り合わせを感じずにはいられない。かつて江風と時雨は、軽巡川内率いる夜戦部隊に所属していたのだ。もちろん、第四駆逐隊が危機に陥ったその現場に駆け付けたし、「嵐」の最期を“看取った”時に起こったことも鮮明に記憶に残っている。あの、誘い出すような駆逐水鬼の写真を見て、江風は時雨と共にこの作戦に参加すると名乗りを上げた。
するとどうだろう。あの、川内さえも参加しているではないか。夜戦が出来なくなったはずの彼女も、きっと自分とそう違わない考えで手を挙げたのだろう。むしろ、あの時のことが切欠で夜の海に出れなくなってしまったのだから、川内の方がよりたくさんのものを抱えてやって来ているに違いない。
この奇妙な偶然――「萩風」と「嵐」に因縁のある艦娘たちが集まったという状況に、江風は何か作為的な気配を感じていた。まるで、どこかに脚本家が居て、そいつが登場人物を物語の都合のいい様に選出したような、そんな気がしてならない。
単縦陣で夕闇の海をつき進む中、江風はちらりと背後を窺う。
もう既に日は沈み、星と月の明かりだけに照らされるので、江風は頭に装着した暗視装置を目元まで下す。
モノトーンの視界の中では、二人の顔はまぶしくてちっとも見えない。画面はコントラストだけで描かれるので、赤外線を発するすべてが白っぽく見えるのだ。
けれど、今もむっつりと黙ったままでいるのだろう。暗視装置を通して、ちらちらと揺れる二人の赤外線チップが目に映る。もちろん、無機質なチップは表情を教えてはくれない。
母艦の「硫黄島」の中で初めて見た時、二人を見て江風は「暗い奴らだなあ」なんて感想を抱いた。何せ、舞風と野分はいつ見ても二人一緒で他人を寄せ付けない雰囲気をこれでもかと放出していたし、誰に話し掛けられても表情を変えず、事務的に短く応答するだけなのだ。排他的で根暗な性格をしていると思っても仕方がない。実は舞風は明るい人柄で、野分はとても真面目で丁寧な艦娘だと木曾から聞いたが、果たして本当だろうかと疑ってしまう。
そんな二人を木曾はやたらと気に掛けていた。何かあればすぐに声を掛けていたし、いろいろと気に揉んでいる様子だった。聞けば、二人が駆逐水鬼に引き摺り込まれないか心配なのだという。
それは流石に気にし過ぎだ、とは言わなかった。まさか、二人がそんなつもりで作戦に参加したわけではないだろうと思う。が、木曾の本気の心配顔を見ているとあながちそうとも言い切れないんじゃないかと、江風も心配になってきたのだ。だから、四番艦という位置を貰ったのである。ここならすぐに二人に手を出せるからだ。
「昼間は」
不意に木曾の声が鼓膜を振るわせる。静かだった無線の中で、彼女は唐突に喋り始めた。
「川内の奴が駆逐水鬼に降伏勧告を出したらしい」
「聞いたわ」
返答したのは、驚いたことに矢矧であった。頭の堅そうなエリートだから私語を注意するかと思ったのだが、江風の予想に反して彼女は木曾の雑談に答えた。
「馬鹿げたことだと思うか?」
木曾は答えた矢矧に問い掛ける。
「さあ? 結局逃げられたみたいだし、徒労ではあったかもね」
「違うよ」
三人目が無線に割り入る。あまり聞き慣れない声。確かこれは舞風のはずだ。
「川内さんの言葉は『はぎっち』と『あらっち』にちゃんと通じたんだよ。うん、通じたんだ」
通じたよ、ほんとに。
続け様に呟いた舞風に、しばらく沈黙が隊を覆う。
全員息を潜めるようにこっそりと動いていた。
もう夜だ。どこから敵が襲ってきてもおかしくない。
呼吸を殺し、気配を消し、波の音に紛れるように忍べ。夜闇を見据え、静寂の中に殺気がないかを警戒しろ。
すべて、川内の教えである。江風は今も、それを忠実に守っていた。
かつての彼女は、その恐るべき戦闘能力の高さと活躍ぶりから敬意と畏怖を持って「夜戦の鬼」と呼ばれていた。数いる軽巡や駆逐艦は皆夜戦の能力が高く、中には平然と戦艦や空母を沈めてしまう猛者も居る中で、川内の実力とそれに伴う戦果というのは一際目立っていた。
それ故か、彼女を中心に作られた部隊は夜間戦闘専門で、昼間に戦艦や空母が撃ち漏らした敵を追撃し、夜戦で沈めるのが主な任務であった。「残飯処理」とさえ嘲られるような仕事ではあったが、危険度で言えば昼戦の比ではない。何せ、直接的に敵の状態を探ることは叶わず、電探や昼に戦った艦娘からの断片的な情報のみで敵の様子を想像し、それに備え、懐に飛び込むのだ。昼間にしこたま撃たれてボロボロになっていたはずの敵艦隊が、予想以上に早い戦力補充を受けて待ち構えていたことも一度や二度ではない。
何度も返り討ちに遭い、轟沈の危機に瀕しながらも敵に勝利し、ただ一度も僚艦を失うことなく連れ帰った川内の凄まじさ。それは間近で見ていた江風たち以外には理解されないことだろう。
恐るべきはその目の良さで、艦娘の研究者によれば原因不明であるが、彼女の目にはスターライトスコープと同じような機能が備わっているらしく、月明かりがなくとも星の光だけで夜目が効くようだという。それ故、彼女は江風の知る限り、今自分が装着しているような赤外線暗視装置を必要としたことがなかった。川内は、夜間における戦闘経験の総てを、自らの網膜のみで捉え、数多の戦果を残してきたのである。
正真正銘、化け物じみた能力だ。
だが、川内の本当の凄さというのは、そこではないと思っている。
自分も所属し、川内に率いられた夜間戦闘専門部隊。それには「残飯処理」部隊としての他に、もう一つ別の側面があった。
それが、督戦任務。
敵前逃亡や脱走をする不届きな兵を追撃し、軍の手の届かないところに逃げられる前に捕縛ないし撃沈する仕事だ。特に艦娘の脱走というのは深刻な事態で、高度な機密情報の塊でなおかつ実艦と同じ威力の兵器を人間大の存在が扱える艦娘というのは、これが例えば脱走を許して訳の分からないテロリストや過激派と合流してしまった場合、甚大な脅威になる。何せ艦娘というのは、見てくれだけで言えば人間の少女と変わりない。それがテロリストの指示に従ってどこかの都会の真ん中で暴れ始めたとしよう。街中に突然軍艦が現れて四方八方に乱射し出したのと同じ暴力が民間人を襲うことになる。一発一発の威力が銃弾や爆弾と比べて桁違いに大きいので、目も当てられないことになる。
また、艦娘自体が機密だらけの存在で、その情報を明かせば人類のテクノロジーが五十年分は進むとさえ言われているくらいだから、漏えいすればどこでどのように悪用されるか分かったものではない。
故に、艦娘の逃亡や脱走というのは必ず防がれなければならない事態で、そうならないように艦娘の教育をしたり細かく点呼を行うなど対策は採られている。しかし、それでもごく少数、怖じ気づいて逃げ出す者がいるのだ。
ほぼすべての逃亡者は追われやすい陸地ではなく、海上で、それも夜間に逃げ出す。そうした艦娘を追い掛け、捕縛し、時には撃沈するのが江風たちの仕事であった。
敵を撃つのとは訳が違う。相手は同じ艦娘なのだ。
捕縛出来るなら捕縛すればいいが、撃沈しなければならなくなった時など、気の重さは尋常ではない。任務を成功させれば尚のこと、後味の悪さはずっと後まで尾を引く。
必然、江風を始めとした当時の僚艦全員が嫌がる仕事だった。逃亡者とはいえ「仲間殺し」を強要されるのだから。
それで精神を崩すような者は居なかったが、当然誰もやりたいとは思わなかった。それは、川内も一緒だろう。
けれど、江風が川内を尊敬するのは、そのような任務であっても嫌な顔をせず、忠実に取り組み、確実に成功させることだった。時には現場で逃亡者を捕縛するか撃沈するか判断しなければならなかったが、川内は冷徹に判断を下し、絶対に失敗をしなかった。
並みの精神力で出来ることではない。血も涙もない、というのは少し違う。
心を痛めずに出来る仕事ではなかった。苦しまずに完遂することなど不可能だった。
川内とて葛藤しないはずがない。しかし彼女はそれをおくびにも出さず、ほんの少しの甘さや妥協も見せはしなかった。
だから、「夜戦の鬼」なのだ。
だから、江風は今も川内を慕うのだ。
彼女ほどの艦娘はいない。今後も現れることもない。
――その彼女が、倒すべき深海棲艦に降伏勧告を行った。
「あり得ねえだろ、そンなこと」
あの川内が、夜戦にトラウマを植え付けられて引退してしまったとしても、あれだけ苛烈で冷徹だった彼女が降伏勧告などという甘ったれたことをするはずがない。元がどんな艦娘であったとしても、敵ならば絶対に撃つはずだ。
「あの川内さんが、ンな甘ちゃんなことするわけがねえよ」
だが、どんなに言葉で否定しようと、川内が降伏勧告を行ったのは事実だ。木曾だけではなく、ここに居る艦娘全員がすでに知っている話で、それどころか出撃前は「硫黄島」全体がその話題で持ちきりだった。作戦になかった降伏勧告を強行するという川内の独断専行も、それをあっさり認めた指揮官も、怒り心頭で艦橋に怒鳴り込んだ妙高や他の昼戦のメンバーのことも。
妙高たちが帰還した時にはすでに江風の艦隊は出撃していたのだが、途中でオペレーターが「硫黄島」内での騒ぎのことをぽろりと漏らしたのである。
それを聞いた艦隊のメンバーの反応はそれぞれだったが、中でも舞風は特に感情を昂ぶらせているようだった。頭ごなしに否定する江風に、彼女はむきになって怒鳴り返す。
「……川内さんだからだよ! 『はぎっち』と『あらっち』の心に呼び掛けて、艦娘に戻るように説得しようとしたんだよ」
「ハッ! それこそ臍で茶が沸く妄言だな。ンなわけねーだろ! あいつらは立派な深海棲艦なンだ。例え天地がひっくり返っても、通じ合うなンざ起こらねえよ」
「あんたに何が分かるのさ!」
「そっちこそ! 川内さんの意図が分かってねえだろ! 撹乱だよ。言葉で揺さぶりを掛けて戦意を削ろうってわけさ!」
「はい、そこまで」
怒鳴り合う舞風と江風の間に、露骨な苛立ちを含んだ矢矧の冷たい声が差し込まれる。「戦闘前に言い合うのはやめて」
「わりぃ」
「すみません……」
有無を言わせぬ矢矧に、江風と舞風は素直に矛を収めた。旗艦の言うとおり、今は戦闘前であり、仲間割れに近い口論を繰り広げている場合ではない。
「正直、私も川内さんの意図は撹乱だと思うわ。でなきゃ、あの提督の指示でしょうね」
「……ッ」
矢矧にも諭されて、舞風はいよいよ言葉を飲み込んだ。口元まで出掛けていたそれを、無理やり飲み下したような、その時にわずかに響いた彼女の息遣いは無線越しに微かに江風の耳まで届いた。
「そんなことより、作戦に集中しましょう。もうすぐバニラ湾に進入するわ」
矢矧の合図で部隊の空気が切り替わる。各艦戦闘態勢へ。
この辺りの切り替えの早さというのは、さすがベテランだ。現状に対して一番物が言いたそうな舞風だって、もう沈黙して主砲を構えている。
気が合う相手だとは思わないが、肩を並べて戦うには十分信頼出来るだろう。
眼前にはバニラ湾への南側の入り口となる、コロネハイカラ島とニュージア島から飛び出した半島にはさまれた狭い水道が黒々と横たわっている。左右の陸地は敵の勢力下にあり、いつ挟撃を受けてもおかしくない。
本当なら、この辺りの陸地を確保した上で水道から湾内へ突入するべきなのだろうが、そのような時間的・戦力的余裕もない以上、危険を冒して強行突破しなければならない。昼間の陽動が、紆余曲折があったとはいえ一応の成功を収めているわけだが、しかし安心出来る状況ではなかった。
極力見つからないように、隠密性を最大限に発揮して、艦隊は滑るように水道に入った。
空気がピリピリと張り詰める。ほんの少し余計な物音を立てただけで前後の味方から砲口を向けられそうな緊張感が身を包んだ。常人ならとうに参ってしまうくらいの雰囲気の中で、しかし江風はそれを心地良いとすら感じていた。ああ、またこの懐かしい戦場に帰って来たんだという、懐古の気持ちすら湧き上がってくる。
かつて所属していた夜間戦闘専門部隊の中で、現在本土の拠点に所属していないのは江風だけである。当時の上官や同僚たちが皆本土へ転属した中、江風だけが南方の拠点に配属されたままだった。それが、江風のお世辞にも上官受けの良いとは言えない態度のせいだと姉妹艦たちは口を揃えるが、実際には違う。
もちろん、江風にも本土転属への話は来た。しかし、それを蹴ってまで南方に居残り続けたのだ。
ただ偏に、この戦場の空気をもう一度吸うため。
場所を選ばず、時を選ばず、敵味方入り乱れる海で戦うため。
最前線こそが己の生きる場所であり、そして死に場所であると定めて。
故に、江風はこの状況を満喫(そう、まさに満喫だ)していた。血は騒ぎ、心は躍り、頭は冴え渡っている。頼もしい仲間と、倒すべき強敵。そして南方戦線の命運は自分たちの双肩に掛かっているという状況は、江風をどこまでも“滾らせた”。
ただ一つ不満を打ち明けるとするなら、この部隊に敬愛する川内がいないことだけだった。
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江風の予想に反し、意外にも進軍はスムーズにいった。
駆逐水鬼が手ぐすねを引いて待ち構えているかと思えば、会敵は一度だけで、それもたまたまバニラ湾を横断していた敵の輸送部隊であった。恐らくはニュージア島からコロネハイカラ島の深海陸上部隊への支援物資を輸送していたと思われるが、何しろ輸送部隊であり完全武装の江風たちの敵ではない。まるで道に生えている雑草を踏み潰すように圧倒して全滅させると、夜の海はまた元の静けさを取り戻した。
目標の駆逐水鬼が撤退していて、敵部隊がこれで終わりなら拍子抜けもいいところである。
完全状態の駆逐水鬼を相手にするのは、ベテランぞろいのこの部隊と言えど流石に分は悪いだろうということで――実際江風も同感である――昼間に戦力を削る作戦になったのだが、ひょっとしたらそれが裏目に出てしまったのかもしれない。そんな不安が部隊を覆い始めていた。
考え得る限り、実はそれが最悪の可能性なのかもしれない。意気揚々と夜間突撃したはいいものの肝心の駆逐水鬼はどこかへ逃げてしまって、「夜のピクニックで終わりました」はさすがに格好悪過ぎる。
現在地はコロネハイカラ島の北東。島から見て北を十二時とするならおおよそ一時の位置にあたる。既にバニラ湾はほとんど抜けてしまって、会敵予想ポイントも通過済み。ひょっとしたら、本当に敵はいないのかもしれない。島をもう少し北側へ回り込めば、そこは今日の昼間に駆逐水鬼との戦闘があった場所になる。
「そこまで行って判断しましょう」
と矢矧は言った。
若干厭戦気分が広がってきてしまっていて、皆渋々という感じで頷いた。このまま敵が見つからなければ戦果ほぼなしで帰投することになるだろう。
肩すかしはいつしか苛立ちに変わっていた。
皆、ここに戦いに来たのだ。それが出来ず、倒すべき敵を見失ってすごすごと戻るなど、プライドが許さない。それで、誰もがむっつりと黙りこんでしまっている。
されど海は静かであり、深海棲艦が現れる前兆の、あの不吉な予感のようなものもしない。これから何か出て来るんじゃないかと危機感より、早く出て来てくれという懇願にも似た欲求が頭を占める。
油断も慢心もなく、最大限の警戒と張り詰める空気。眼光は鋭く夜の波間に敵を探し、耳はさざ波の間に深海からの声を待っている。
今なら、例え潜水艦が相手でも奇襲は受けないという自信があった。
「もうすぐ、昼間の海戦ポイントよ」
矢矧の声だけが無線を寂しく喋らせる。答える者はおらず、江風は無言で顎を沈めた。
沈黙を了解の意と捉えたのだろう。矢矧の方もそれ以上何も言わなかった。
昼間の海戦ポイントは島の真北。十二時の方向にあたる。
その時、随伴を全滅させられた双子の駆逐水鬼は川内の降伏勧告に砲撃で応じ、その後海中へ姿を消したのだという。この時点で、駆逐水鬼の被害は共に小破だったから、敵はさほど弱っていない状態だということだ。随伴を排除出来ただけでも上出来となのだから贅沢は言わない。
「そう言えばさ」
重苦しい沈黙を破り、江風はしばらくぶりに口を開いた。話し掛けた相手は、木曾だ。
「木曾さんは以前、海中から“フラヲ改”の奇襲を受けたことがあンだよね」
「んあ? 俺か? まあ、そうだが」
急に話し掛けられて、木曾の反応は少し遅れた。江風の意図が分からず戸惑っているように揺れる声で彼女は答える。
「うん。そン時さ、どういう感じだったの?」
「どういう感じって言ってもな……。それこそ、本当に奇襲だったぜ。突然海の中から敵の艦載機が飛び出して来たんだ。被弾しなかったのは、単に運良く狙われなかったからだ」
「突然、ねぇ」
「直前に提督が警告してくれてたからな。赤城さんがギリギリで攻撃を躱せられたから俺たちの首は皮一枚で繋がったんだよ。あの時、赤城さんも被弾して艦載機飛ばせなくなってたら、今ここに俺は居なかっただろう」
木曾はそう言って、小さな失敗談を語るように微かな自嘲を込めて鼻を鳴らした。下手をしたら沈んでいたかもしれない状況をそんな風に笑って言える辺り、木曾も相当な数の修羅場を抜けてきているのであろう。ただ、江風が気になったのは彼女の言い方ではなかった。
「あの、外人提督でしょ? どうやって分かったのさ」
「……そういやそうだな。提督は何であの奇襲を見抜けたんだろうな」
木曾が呑気にそう呟いた時、唐突にもう一つ別の声が割り込んできた。
「未来予知よ。未来予知」
楽しげな少女の声。江風の背中は無意識に跳ねた。
何のことはない。この作戦の直接の指揮を執っている件の提督である。微かに笑いを含んだ、冗談めかした口調で彼女は木曾の疑問に答えた。
「おお。寝てなかったのかよ。それとも今起きたか?」
あっけらかんと木曾は提督をからかう。どうやら、彼女はこれくらいのことを言っても許されるくらい提督とは打ち解けているらしい。返って来た言葉も冗談の応酬だった。
「朝からずっと起きてるから眠くて仕方がないわ。早く片付けて帰って来てちょうだい」
「そいつはいいな。だが、どうやら敵さんは見当たらないようだ。もう寝ちまってもいいかもな」
木曾は笑う。レミリア・スカーレットという外人提督もつられて笑った。
「あらあら。貴女は少し早とちりが多いわね。敵ならもう居るわよ」
提督は笑ったまま言い、空気が凍りつく。
瞬間、江風は隊列が乱れるのも構わず大きく転舵する。同時に、駆逐艦や軽巡に標準装備されている小型爆雷を艤装から全弾投下した。
「やっぱりか!」
「貴女の読みは正しいわ、江風。双子の駆逐水鬼は海中に潜んでいる。貴女たちの丁度真下よ!」
江風のすぐ後をついて来ていた五番艦の舞風が驚いて、その小さな体躯を跳ねさせていた。「読み」じゃないんだけど! と頭の中だけで反駁しながら、遠心力に逆らって歯を食いしばる。
本来夜戦においては隊列維持の大原則があるのだが、江風はあえてそれを破った。理由の一つは、暗視装置と敵味方判別用の赤外線チップによって同士討ちが避けられること。他の一つは、不規則な動きをしなければ海中からの奇襲を受けるかもしれないからだった。
「全艦!! 爆雷攻撃! 今よ!」
矢矧が怒鳴る。隊列はいよいよばらばらになり、各々勝手に爆雷をぼとぼとと海面に落としていく。
辺りが静まりかえる。喧騒と喧騒の間に差し込まれた、無音で緊張が高まっていくほんの数秒の時間。その場で誰もが武器を構え、唾を飲み込み、次に来る敵の姿を探す。
一秒。
二秒。
江風は心の中でカウントする。
三秒。海中でくぐもった爆音が響き、水面が大きく盛り上がった。
「上がって来るよ!」
時雨も叫び、その声は無線越しではなく直接江風の耳に届いた。しかし、ワンテンポ遅れて無線が時雨の叫び声を伝える前に、爆雷攻撃とは違う派手な水柱が立ち上がる。
海は赤外線を放たず、暗視装置の視界の中では黒々としている。それは、今暗視装置を外して裸眼で見ても同じだろう。
ただ、黒い水柱のシルエットの中に、確かに熱量を放ち白く映る姿があった。
「撃てッ!!」
矢矧の号令と共に主砲を構えていた全艦が一斉に発射する。
ほぼ水平に放たれた鉄の弾は、数発が海上に姿を現した駆逐水鬼の身体に命中し、残りは白線を曳いて夜闇の向こうへと消えていった。
絶叫。人間のものでも、艦娘のものでもない、ただおぞましい声。
濃淡の視界の中でも、相手の姿形ははっきりと見て取れた。人のような影。腰部から左右に延びる艤装の基部は灰色で、そこからさらに木枝のように生えた腕は白い。紛れもなく、写真に写っていた方の駆逐水鬼だ。
艤装云々を除けば、暗視装置を通してでもはっきりそうと分かるくらいそっくりな人の形。なるほど、これなら四駆の二人が騒ぐのも頷ける。
だが、敵は一隻ではないはずだ。
「提督! もう一体はどこだ!?」
「矢矧の後ろよ!! 舞風! 野分! 援護しなさい!」
「りょ、了解!」
状況はめまぐるしい。江風は先に現れた駆逐水鬼の背後に回り込みながら、矢矧の後方を見る。旗艦の敵味方識別用の赤外線チップには黒抜きで「F」と書いてあるから分かりやすい。
その矢矧といえば反転して、レミリアの警告通りにもう一体が出現するのに備えていた。同時に、四駆の二人が前へ飛び出し、
「来た!」
矢矧の叫びと重なるようにもう一つの水柱が立つ。雄叫びが轟き、水柱の中から敵は砲撃を開始した。パッと明るい炎が水柱の向こうで輝く。
「回避! 回避!」
艦隊はさらに散り散りになる。狙いも何もつけられずに放たれた敵弾が空しく暗い海に着弾するが、先に現れた方もただ黙って見ているわけではなかった。
後に出現した駆逐水鬼の攻撃を避けた矢矧に向けて、先の駆逐水鬼が主砲を発射する。
「矢矧さん! 避けろ!!」
江風の警告は、しかし間に合わなかった。一瞬の隙を突かれて矢矧の周囲に水柱と爆炎が立つ。水柱は至近弾が作ったものだが、爆炎は直撃弾が生じた証拠だ。案の定、視界が晴れると矢矧の姿はそこになく、恐らく被弾の衝撃で夜闇のどこかに弾き飛ばされてしまったのだろう。
轟沈はしていないようだ。なら、まだ大丈夫なはず。
「時雨姉貴! 照明弾上げて!」
「もう撃った!」
普段落ち着いた時雨の声もだいぶ緊迫している。彼女らしくない怒声。その言葉通り、間もなく上空からテルミットの閃光がゆっくりと降って来た。
可視光によって視界が効くようになった。江風は暗視装置を上げ、裸眼で戦場を見る。
はっきりと夜の海に浮かぶ双子の駆逐水鬼。
髪が長い方が「萩風」で、短い方が「嵐」だそうだ。
「はぎっち!! あらっち!!」
「野分と舞風よ! 分かる!?」
明瞭になったその姿は、まず何よりも四駆の二人に改めて衝撃を与えたのだろう。今が激戦の最中だというにもかかわらず、二人はありったけの声量で敵艦に呼び掛ける。
「……キ、……ゼ」
一瞬、駆逐水鬼の動きが止まる。「嵐」の方が呆けたように呟いたのを江風は聞き逃さなかった。
明確な隙を見せた敵。そこで立ち止る臆病者は居ない。真っ先に飛び込んだのは、腰に差した対艦軍刀を抜いた木曾だった。
「オイオイ! 覚えてんのかよッ!」
軍刀が輝くテルミットの光を鋭く反射し、振り下ろされて残像を引く。直前に気付いた「嵐」は腰元の艤装から延びる巨大な両腕を交差させて木曾の一刀を受け止めた。
派手に鳴り響く金属の音。
「木曾さん、やめて! その子はあらっちだよ!」
舞風が悲鳴を上げる。
「お前ら、そんなこと言いに来たのかぁ!? 違うだろ! はしゃいでるクソガキしばいて連れ戻しに来たんだろうがッ!」
木曾は鍔迫り合いの状態から飛び上がって「嵐」の足を蹴って距離を置き、着水して一旦離れようとする。すかさず、艤装の主砲を木曾に向ける「嵐」。その目はさらに憎しみを燃やし、顔は悪感情のあまりおどろおどろしく歪んでいた。
腹に響く轟音。木曾のマントの端が砲撃で弾き飛ばされる。
翻る黒い布。くるりと「嵐」に振り向いた木曾。
「甘いな」
彼女の最大の武器が一斉に海へ飛び込んだ。放たれた魚雷は、わずか一秒も掛けることなく至近距離にいた「嵐」に命中する。
今までで一番大きい水柱が立ち上がる。
「アラシッ!!」
「萩風」が名前を呼んだ。そう、片割れの名前を。
ひょっとしたら、と思わないでもない。先程からの様子を見るに、駆逐水鬼にはかなりの“記憶”が残っているようで、明らかに舞風や野分の声に反応しているし、極めつけは今の「嵐」の被弾に対する「萩風」のリアクションだ。
理性はないにしろ、認識はある。
だとするなら、彼女たちを連れ戻すということは万に一つの可能性として起こり得るかもしれない。そう、例えば撃沈するのではなく、鹵獲するなどして。
「ハッ! ンなわけねーだろが!」
だが、江風はそれを一蹴する。
今まで、追い詰められて命乞いする艦娘を沈めてきた。懇願する仲間を容赦なく撃ってきた。そんな自分が今更敵の救出をするなど、それこそ笑止千万だ。笑い話にもならない。
これは敵だ。一度敵と見定めたなら、躊躇なく撃滅するのが駆逐艦江風だ。
「沈め!」
姿勢を低く、海面を這うように突撃する。
狙いは動揺して隙を見せまくっている「萩風」。背後から急襲して、致命傷を与えるのだ。
しかし、そこは腐っても強敵駆逐水鬼だった。
ギリギリで江風の接近に気付いた「萩風」が、あらんかぎりの力を込めて艤装の腕を振る。ただただひたすらに暴力的な裏拳の一撃。目の前に振るわれた腕へ飛び込む形となった江風は、その暴力をまともに受けてしまう。
艦娘の防御機構として展開される装甲シールドがバチリと火花を上げる。シールドは被弾個所への圧力を軽減してくれるが、伝播する衝撃そのものがなくなるわけではない。特に、深海棲艦の剛腕をまともに食らったような場合、即死しない程度の、しかし強烈な衝撃を食らうことになってしまう。
「グッ」
肺が押し潰されて、呻き声と共に空気がすべて吐き出された。江風の軽い身体は真逆のベクトルへ放り出され、放物線を描いて勢いよく海面に叩きつけられる。
視界が黒く染まる。全身が海中に沈む。
水の中で江風は左手にわずかな痺れを確認し、次に水を通してくぐもって聞こえる爆発音を認識した。確かな手応えを感じながら、直ぐに作動する浮上装置に身を任せると江風の体は波を割って飛び出す。実に便利なもので、浮上装置は艦娘が海中に沈んだことを感知すると自動的に浮力を確保して勝手に水面まで体を押し上げてくれるのだ。
再び夜空の下に戻った江風の目の前では「萩風」が派手に火を噴いていた。彼女の腕の一撃を食らう直前、発射管から抜いた魚雷の一本を艤装と身体の間に差し込んだのである。
「江風!」
「小破だ! 心配すンな、時雨姉貴!」
衝撃は身体から抜けきらず、芯から響くような鈍い痛みが全身を支配する。立ち上がる時に足が震えたが、江風は歯を食いしばって堪えた。
艤装の破損もなければ、骨折も脱臼もしていない。ならば、痛み程度で江風は止まらない。止まるはずがない。
「ったく。あったま来たわ!!」
そこでようやく復活したのか、先程被弾した旗艦の怒りがたっぷり込められた呟きがヘッドセットのイヤフォンから流れて来た。どうやら恨み言を喋れるくらいには元気らしい。
「木曾と第四駆逐隊は短髪の方を。私と時雨と江風で長髪の方を相手にするわ!」
テルミットが燃え尽きて、煤が海に落ちる。昼間のように明るく照らし出されていた海上は再び星と月と爆炎の光しかない暗闇へと戻った。その闇に紛れて、どこからか矢矧が砲撃し、「萩風」の周囲にどかどかと水柱を立てていた。
直撃弾はなし。だが、夜戦に関しては他者に対して一日の長があると自負する江風から見てもなかなかの射撃精度で、恐らく中破しているだろうにもかかわらずこれだけの至近弾が出せるなら、矢矧は相当夜戦慣れした艦娘と言える。
江風は外していた暗視装置を再び装着する。先程の被弾の衝撃で壊れなかったのは幸いだ。無論、海で使う物だから完全防水性である。
「ドコカラ……ドコカラウッテルノヨッ!?」
駆逐水鬼はいよいよ苛立ちをぶちまけるように怒鳴り散らし、主砲を乱射する。その仕草はまさに艦娘のようで、ますます“撃ち辛く”なった。
矢矧の狙いは双子の分断だ。六対二で相手の連携攻撃を許すより、三対一で各個撃破を狙った方がいいと判断したのだろう。妥当なところである。問題は、戦力の分配なのだが。
「沈めるつもりで行け。でないとこっちが食われるぞ!」
「嵐」と相対する木曾が四駆に怒鳴っている。あの二人が今のところ使い物になるとは言い難いが、「嵐」の方の気を引き付けてくれるだけでいいのだ。戦力的には江風たちの比重が大きくなっている。だから、先に「萩風」を無力化してしまえばいい。
「敵の装甲システム、艤装を破壊して! 今ならさっきの江風の攻撃が効いてるからチャンスよ」
無線で矢矧が手早く指示をする。本人はやはり夜闇に隠れたままだが、状況をきちんと把握してこちらを動かせるなら問題はない。矢矧の実力を見定め、江風の体は自然と反応するように飛び出した。
顎先が波で洗われるくらいの前傾姿勢で急加速する。主機の回転は限界値を振り切っていた。絞り出すような雄叫びを上げながらスクリューが回り、闇色の水面が絹を裂くように割れる。
「挟み込むぜ、時雨姉貴!」
「うん!」
江風と時雨は左右に分かれ、「萩風」に挟撃を仕掛ける。ただし、二対一ではなく三対一。駆逐艦に気を取られる「萩風」の晒す隙をついて矢矧が砲撃する。
狙いは腰元の艤装。そこを破壊さえすれば、とにかく駆逐水鬼の動きは止まるはずだ。普通なら深海棲艦は艤装を潰されると浮力を失って沈む。いわば撃沈だが、この例外中の例外のような存在である駆逐水鬼に同じことが言えるかは未知数だ。
ただ、戦闘中に難しいことを考えるのは江風の得意なことではなかった。艤装を破壊して、それでどうなるかなんて悠長に予想している暇はない。「萩風」が沈んでしまったら、それは四駆には悪いが仕方ないと諦めてもらうしかない。
主砲の12cmB型砲塔を二刀流のように構え、連撃を叩き込む。至近距離からの間髪入れぬ砲撃。綺麗に全弾命中し、派手な爆音と共に「萩風」の艤装が盛大に飛び散った。
「……ッ!!」
最早その口から飛び出すのは言葉ではなく獣のような雄叫びで、溢れかえる憎悪に「萩風」は身を焦がしているようだった。だが、追い込んでいるのは何も江風だけではない。「萩風」が江風に気を取られている隙に、背後で時雨が魚雷を数発まとめて放った。
それに気付かぬ「萩風」に避ける暇などあるはずもなく、今度は後ろからの衝撃にその青白い体躯が吹き飛ばされて海面を飛び石のように跳ねた。
ガコンと両方の主砲がほぼ同時に小さく振動し、艤装内の揚弾装置が砲弾を再装填したことを教えてくれる。体を内側に投げ倒しながら江風は萩風の周囲を円弧を描いて疾風のように海面を駆け抜けた。
「今よ! 畳み掛けて!!」
矢矧の命令が飛ぶ。それを聞く前に、江風は海に倒れ込んだ「萩風」を追撃せんと接近し、自分の身に迫った危機が頭に中で映し出されるのを認識する。
だが、分かったところで既に加速のついていた江風にはどうしようもなかった。
「クッ!!」
防御姿勢を取る間もなく、突然襲ってきた足元からの衝撃を殺すことも出来ず、まともに食らってしまう。
足が砕けるかと思った。気が付けば江風の身体は高々と放り上げられていて、夜空へと吸い込まれるように飛んでいたのだ。
衝撃で砕けて顔から吹き飛ぶ暗視装置。代わって、目に映るのは雲一つない快晴の夜。
闇色の天幕には砂金のように輝く星星が散りばめられ、その中で紅く燃える半月が異様な存在感を主張している。そのどこまでも深い紅色はまるで、この戦闘の中で誰かに代わって月が血を流しているかのようだった。
ふわりと、江風は空中で一旦制止し、それから急速に重力に引っ張られて海面へと落下を始める。
夜空が遠のいていく。
「江風!!」
誰かの悲鳴と共に、江風は海面に叩きつけられた。
目の前で火花が飛び、意識が明滅する。視界が黒く染まったのは、夜の海に浸かったせいだけではないだろう。
全身を巨大なハンマーで叩かれたかのような衝撃が突き抜け、呼吸することもままならず江風は最早為すがままになる。
しかし、それで沈まないのが艦娘であり、江風本人より余程頑丈と思われる艤装の浮上装置が再度作動し、打ち上げられるように頭が海面から飛び出した。そこでようやく、江風は自分の身に何が起こったのかを理解することが出来た。
目の前に、先程まで木曾たちと戦っていたはずの「嵐」が立っていたのだ。江風は彼女が海中から飛び出て来た時の突き上げを食らって宙に放り投げられたのだろう。
その艤装の腕が江風に向けられている。駆逐水鬼は、艤装の右腕に主砲が据え付けられていて、一方左腕は指先が魚雷になっていた。生体と機械が融合している典型的な深海棲艦の艤装であり、無論それは“見た目通り”の破壊力を有している。
すなわち、今貫手のように構えられている左腕は、いわば五発の魚雷を装備した発射管と同義。そして、江風と指先の距離は腕一本分も離れてはいない。
まずいと思った。江風は落下のダメージから復帰出来ておらず、艤装の装甲も既に中破状態を上回ってだいぶ弱っているだろう。まともに貫手を食らえば、どうなるかは想像する必要すらなかった。
今更油断したのを悔やんでも仕方がない。木曾と四駆の二人がどうなったかは知らないが、この双子の駆逐水鬼は互いを助け合うように行動しているようで、恐らく「萩風」の危機に「嵐」は駆け付けたのだろう。その奇襲を、そんなことを全く想定していなかった江風はまともに受けてしまった。
よく考えれば分かったことだ。矢矧の分断作戦に対し、知能が高くおまけに潜航も出来る駆逐水鬼たちがどういう対処をするのか。江風が敵の立場だったとしても同じ方法を考え付いただろう。一旦海に潜って姿をくらまし、仲間を助けに行くなんていう単純な方法は……。
つまり、もう少し慎重にしていれば回避出来た事態だった。が、すべては遅きに失している。
「避けて! 江風ッ!!」
時雨の叫びを耳にする。
悲痛極まりない、姉の叫び声。その言葉通りに従うのはどうやっても無理だというのは直感的に理解したし、だから呼応するように江風は声なき言葉を呟いた。
「ごめん、時雨姉貴……」
誰にも伝わらない遺言は闇に紛れてしまった。
振りかぶる「嵐」。
轟く爆音。
開かれるまなこ。
――目の前で、駆逐水鬼の身体が真横に薙ぎ倒されたのを江風ははっきりと見た。
誰かの砲撃が直撃したのだ。
矢矧か。時雨か。
しかし、次に無線から聞こえて来たその声に、江風は心底驚嘆することになる。
「いい夜だね。みんな、夜戦楽しんでる?」
嘘だと断じた。
あり得ないと思った。
そこに現れたのは、居るはずのない、来るはずのない艦娘。
夜闇に紛れ、近くを誰かが通過する。その波が、茫然と浮かぶだけの江風を揺らした。
腹に響く砲音が連続する。ちかちかと発射炎が闇を瞬間的に照らすが、そこに砲撃の主の姿は映らない。
誰が撃っているのかは分からない。
けれど、江風は夜中にこんな風に戦える艦娘を一人だけ知っていた。普通なら発射炎から位置が特定されてしまうが、彼女の場合移動速度が速過ぎて、光を捉えた時にはもうそこには居ない。だから、「忍者」とさえ称された。
「川内、さん……」
彼女は誰よりも夜戦を得意としていたけれど、不幸にも夜戦にトラウマを植え付けられてしまった。そして、もう二度と夜の海には立てなくなっていたはずだ。
克服したのか。いや、そうであるなら最初からこの部隊に参加していただろう。
ならば……。
「いいねえ。やっぱり、夜戦はいいよ」
彼女は楽しげに笑う。
血で血を洗う鋼鉄の殴り合いの中で、彼女は一際愉快な色を声に乗せ、歌うように「夜戦」と呟く。
その射撃は、まるで昼間に撃っているかのように正確無比だ。
合流した駆逐水鬼は、どこからともなく、周囲を回りながら撃ってくる川内に、完全に翻弄されてしまっていた。実際、川内はこのわずかな月と星の光だけで駆逐水鬼の姿を捉えきれており、外れることのない砲弾を放ち、当たることのない軌跡を描いている。
そう。そこに居たのは紛れもない「夜戦の鬼」。
かつて、江風や時雨を始めとする精鋭駆逐艦を率いた督戦部隊の隊長の姿があった。
「い、今よ! 時雨、照明弾もう一発! 光ったら全艦飽和攻撃を仕掛けて!!」
好機を見た矢矧が指示する。
時雨の主砲から照明弾が発射され、打ち上げられたそれがマグネシウムを燃やしながらまばゆい光を放って落ちて来る。
照らし出される夜戦。
追い込まれた双子の駆逐水鬼。それを取り囲む艦娘たち。
「撃てぇーッ!!」
重なる砲音。中口径・小口径主砲ばかりと言えど、数を揃えて撃てばかなりの破壊力を持つ。加えて、至近距離の、それも照明弾の明かりの下では外す方が難しいだろう。
誰もがそう考えた。そう考えて、しっかりと狙って撃った。
だが、放たれた砲弾はすべて外れ、空しく海面に水柱を作るだけ。
発射炎が輝く中で、江風は駆逐水鬼「萩風」と「嵐」が共に水に潜っていくのをはっきりと捉えた。海面に倒れ込み、水しぶきを上げて水の中に消えてしまう。
「敵艦潜航! 備えて!!」
矢矧の怒号。
先程の江風への奇襲を想定しての命令であり、全員がその場に留まらず、武器を構えたまま不規則な動きをする。江風も少し身を捻るだけで激しく体を苛む激痛に歯を食いしばり、海面から立ち上がってふらふらと移動し始めた。が、テルミットに照らされる海面には特段の変化もなく、また何かの音も聞こえなかった。
緊張が、少し緩められる。
この場にソーナーを装備している艦娘がいないのが悔やまれた。一人でもいれば海中の様子を聞き分けられたのだが。
だからしばらく無言で動き回り、ようやく全員が何の気配もなくなっていることに気付いたのである。そう、駆逐水鬼は戦線を離脱してしまっていた。
「まさか、逃げられた!?」
「今更かよ!」
矢矧と木曾が吐き捨てた。
先程までの激戦は収まり、何事もなかったかのような静かな海に戻っている。
それまでバラけていた艦隊は集合し、各々が照明弾の下に姿を現す。
主機までダメージが入り、全くスピードの出せない江風は時雨に肩を貸してもらい、半ば引き摺られるようにしてやっとまともに動けるようになっていた。
被害が特に酷いのは江風であり、次いで先に中破した矢矧だ。旗艦の主砲は片方が潰されて一門だけになってしまっていたが、彼女はその状態で「萩風」に至近弾を与えていたのだ。
「はぎっち? あらっち?」
舞風の呼び掛けが空しく響いた。もちろん、答える者はおらず、ただ波と艤装の唸る音だけが静けさを強調している。
「クソッ!! ここまで来て取り逃がすの!? 冗談じゃないわ。探して! まだ近くに居るはずよ!」
「どうやって探すんだよ!」
焦って喚く矢矧に、木曾が突っかかった。
言い分は木曾の方が正しく、夜間に潜航している艦娘や深海棲艦を探し出すことはほぼ不可能に近かった。夜戦における潜水艦が水上艦に対して無類の強さを誇るのは、ただその存在の察知が極めて困難であるためだ。
だが、往生際が悪い性格なのか、単に負けず嫌いなのか、矢矧は尚も諦めようとはしない。痛みと悔しさにその貌は元の端正な顔立ちが分からないほど歪んでいる。まるで深海棲艦だ。
「まだよ! 提督! スカーレット少将!! 敵艦の位置は分かりますか!!?」
必死で矢矧は提督に呼び掛ける。手段は不明だが、あの外人提督は海中から襲って来た駆逐水鬼の攻撃を的確に言い当ててていた。それがどうやって探知されたのか、江風には想像もつかないが、レミリアには潜航している駆逐水鬼を追跡する手段があるようだった。
矢矧もそれは分かっているから、藁でも縋る思いでレミリアに詰め寄る。
「そうね。まだ近くに居るわ」
だが、熱くなっている矢矧とは対照的に、レミリアの声は落ち着いていて、いっそ平坦と言ってしまってもいいくらい冷めていた。まるで他人事のようなその言葉に、想像するまでもなく矢矧の苛立ちが爆発しそうになっているのが感じ取れる。
ただ、それは捉えようによっては余裕とも言えなくもない。位置を掴んでいるからこその余裕なのだろうか。
「逃げられる前に位置を教えて下さい! 大至急!!」
「いえ。その前に部隊の再編を行うわ」
「……は?」
意外な提督の言葉に、矢矧が気の抜けた声を出す。
いや、矢矧だけでなくその場にいた誰もが口には出さないものの驚愕していた。
「まず、大破寸前の江風は下げるわね。時雨が護衛について、『硫黄島』まで帰って来て」
「何を……」
「矢矧、貴女もよ。貴女も中破しているでしょう。木曾を護衛に付けるから、一緒に戻って来ること」
「で、ですが!」
強引に部隊の再編成を行うレミリアに矢矧が食ってかかる。しかし、そこで別のところから制止が入った。
「しょうがねえ。中破が二人も出てるのは事実だ」
「木曾!?」
「残る三人で追撃。お前が言いたいのはそういうことだろう?」
「よく分かってるじゃない」
提督は満悦な様子で、くすくすと無線の向こうで笑いを零す。この状況で笑えるなど、途方もない胆力の持ち主か、あるいは途方もないうつけ者のどちらかだろう。江風には、この提督は前者に思えた。無論、ただ三人で追っていくだけでは、手負いとはいえ、あの強敵である駆逐水鬼を倒せはしない。彼女には恐らく何か、一発逆転とはいかなくても確実性の高い勝算があるのだろう。
「川内、舞風、野分の三人で追撃部隊を編成。駆逐水鬼を仕留めるのよ」
あまりにも予想通り過ぎて、何よりもこの状況が誰かの意図の下で完全に用意されたもののような気がして、気付けば江風も喉の奥を鳴らしていた。隣で、江風の身体を支えている時雨が何事かという顔をして振り向いた。
「いいンじゃねーの?」
愉快で仕方がなかった。
共に戦えないのは残念だが、あの「夜戦の鬼」が再び夜の海に舞い戻って来てくれたことに、江風は自分でも意外なほど機嫌を良くしているようだった。その上、この面妖な提督が作り上げた追撃部隊の、あまりに因縁めいた人選にも、そこに意味深なものを感じて、また笑いが止まらない。
ああ、そうだ。これを運命と言わずして何と呼ぶのか。
ターゲットである駆逐水鬼「萩風」「嵐」の元同僚である舞風と野分。その駆逐水鬼に傷を負わされ、一度は前線から退き、夜戦にトラウマを植え付けられてしまった川内。
三人が三人とも、いや五人と言うべきか。それぞれが互いに持つ因縁が、今まさに結実しようとしている。それを最後まで見届けられないのは残念極まりないが、むしろここまで見られたことに江風は自分の幸運を感じざるを得なかった。
面白い。最高に、面白い状況だ。
「江風は賛成だね」
「ちょっと!」
尚も矢矧は楯つくが、しかしそれも木曾がその肩に手を置いたことで、いよいよ彼女も諦めざるを得なくなったようだ。悔しさあふれるあまり唇を噛み締め、「分かりました。撤退します」と言葉を震わせる。
「じゃあ、決まりね。追撃部隊は進路を170に採って。残りは西へ」
レミリアの指示で、先程から無言を貫く川内と尚も戸惑い顔の舞風と強張った表情の野分は背を向けて走り出した。
かくて部隊は二つに分かれ、戦いはいよいよ最終幕へと突入したのである。