レミリア提督   作:さいふぁ

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レミリア提督30 Into the Dusk Horizon 1

 

 

 備えあれば憂いなしと言うが、それは備えることでどうにかなるという前提の下で成り立つ言葉である。十分な武器弾薬、潤沢な燃料、倉庫に山積みになった修復剤、綿密な哨戒網、円滑な連絡体制。いずれも戦闘においては欠かすことの出来ない資源である。これらを満足に取り揃えられるなら、戦争というものは実に楽々と推し進められるであろう。それが出来れば苦労しない、という話だ。

 だが何よりも重要なのは、何はなくとも味方の数である。寡兵で大軍を撃退したというのは古今東西しばしば耳にする話だが、それは相手が余程弱い、数だけの集団であるか、味方に卓越した戦術家が居ること、何より地形や天候に恵まれていることが条件だ。真っ平らな海の上では地形も糞もない。

 港を見回すと、誰もが慌てふためき忙しなく行き交っている。まだ接岸したままの「硫黄島」甲板から、行先を急ぐ輸送ヘリが二機、爆音を轟かせながら飛び出していった。おそらくは市民の輸送に駆り出されたのだろう。鎮守府背後の市への避難警告は何時間も前に出されて、今頃は大勢が街を出ようと押し合い圧し合いしているに違いない。

 鎮守府でも、非戦闘要員の軍属の職員らはもう避難をし始めている。今ここに残っているのは、戦うために命を賭ける軍人だけ。その中でも、艦娘は特に真っ先に敵の懐に飛び込まなければならない。

 

 先程、鎮守府司令官からありがたい激励の言葉を頂戴した。軍人というのは、「死ね」という一言を素晴らしく機知と教養に富んだ美辞麗句で婉曲に表現して下さるものだ。おまけに、お国から細やかなるプレゼントまで戴いた。

 カリコリと口の中で砂糖の塊を噛み砕きながら、川内は慌ただしい港を眺めていた。食べているのは金平糖だが、そこらの駄菓子屋で売っている安物とは違う。何と、菊の御紋入りなのだ。「恩賜の金平糖」と言うらしいが、今日までこんな代物があること自体、川内はまったく知らなかった。少し前まで金平糖ではなく煙草だったそうで、そっちの方が良かったなと思う。あまり甘いばかりの砂糖菓子は好きではないのだ。

 とはいえ、のんびりと菓子を食べてばかりもいられない。本来なら一刻も早く敵を迎え撃たなければならないのだが、出撃前に一つすることがあるために川内たちは港で待機しているのだった。

 

 

 突然、大きな船笛を鳴り響かせ、「硫黄島」がゆっくりと動き出す。タグボートに引っ張られながら、いよいよ出港だ。行き先は首都近郊の横須賀鎮守府。平たく言うと、貴重な艦娘母艦を失うわけには行かないので逃げるのである。間に合うかどうかはさておき、だが。

 それなら、置いていかれる艦娘の命はどうなんだと思わないこともないのだが、「硫黄島」一隻を維持する金で、一体何十人の艦娘の維持費が賄えるかということを考えれば、組織として合理的な判断をせざるを得ないのだということは理解出来る。そして、「硫黄島」の護衛として“逃される”のが、最も年若い者であるのも納得出来ない話ではない。

 離岸する「硫黄島」の巨躯を背後に、二人の艦娘が近付いて来る。準備が整ったのだろう、「硫黄島」直掩である第四駆逐隊の「舞風」と「野分」は、別れを告げにやって来た。

 

 

 敬礼する二人を川内たちは穏やかに迎える。

 実は、二人を先に逃がそうと提案したのは加藤だった。二人が鎮守府の艦娘の中では最も若く、将来有望であるから、少しでも生存率の高い任務を充てがうべきだと彼は言ったのだ。艦娘の中に反対意見を言う者は居なかった。当の二人以外には。

 国家に忠実で勤勉で有能な兵士である舞風と野分は、最後の一発を射ち尽くすまで奮戦する覚悟だと強弁した。まして、他の艦娘を残して自分たちだけ戦場を離れるわけにはいかないと懇願した。

 けれど、誰かが「硫黄島」を守らねばならないのもまた事実であり、最終的に二人は折れることになる。悔しそうに握りしめられた拳を見ると胸が苦しくなったが、それが一番なのだと川内は自分に言い聞かせた。

 

「皆さん!」

 

 威勢よく野分が声を張る。すでに目は赤く充血して、鼻頭も腫れていた。

 これじゃあまるで、今生の別れのようじゃないか。

 

「御武運を!」

 

 彼女にしては珍しい、短く歯切れの悪い言葉だった。溢れる想いを言葉に出来る語彙がなくて、それしか言えないような言い方だ。

 

「お待ちしていますから!」

 

 野分でさえ感情を抑え切れていないのだから、より素直な舞風に至っては堪え切れなかった涙を流している有様だ。

 

「必ず、生きて、また会いましょう!!」

 

 それでも素直な分、舞風の言葉は想いに正直だった。川内たちには言えぬ一言を、“生きて”という言葉を、舞風なら口に出して言える。

 彼女への批判的な意味合いではなく、それは彼女にしか言えぬ言葉なのだ。舞風も、そして野分も、まだ十分生きていける余地がある。片や、あの世に片足を突っ込んでいる川内たちは、眩しい二人を憧憬の眼差しを持って眺めるしかなかった。

 

「金平糖、もらった?」

 

 半死人の川内が何も言えぬ内に、金剛が優しく問い掛ける。

 

「はい」

 

 と、野分が硬い表情で頷いた。

 

「そう。ソレ食べて元気出しなさい。こっちのことは心配しなくてもダイジョーブだから」

「……でも」

「ワタシたちは二人よりずっとかベテランなの! 深海棲艦なんか海の底に蹴落としてやるからネー!」

 

 金剛はウィンクしながら親指を立てる。さすがにネイティブらしく、わざとらしさのない自然な動作だった。

 それがハッタリであることはこの場の誰にも分かっている。けれど、そんな言葉一つで舞風が笑みを浮かべるくらい励まされたのもまた事実。金剛の言葉には不思議と説得力があって、これから死地に向かう川内にとってさえ、彼女にそう言われれば生きて帰って来れそうな気がした。

 

「必ず、約束ですからね!」

「もちろんヨ。アナタたちも絶対に沈まないコト! 暁の水平線に勝利を刻みつけるまでネ」

「はいッ!」

 

 二人はそろって敬礼し、背を向ける。

 

 

 戦場は分かたれた。彼女たちは彼女たちの、自分たちは自分たちの、戦いを制さなければならない。例え弾が尽き、舵も折れようとも、この身をすり減らしてでも守るべきものがあるのだから。

 去ってゆく二人の背中を見つめながら、誰もが思っただろう。

 これが、今生の別れにならぬようにと。

 

 

「さて」

 

 金剛が軽く艤装を鳴らして百八十度転回する。

 

「そろそろ時間ネ。ワタシたちも出撃しましょう!」

 

 彼女もまた自らの戦場へと舳先を向ける。後には木曾、川内、曙、漣、潮と続き、六人は単縦陣にて港の外へ、迫り来る敵の前へと舵を切った。

 軍港を奥に仕舞い込んでいる入り江は南を向いている。右からは赤い西日が差してきて、海を進む艦娘を赤く染め上げていた。右後ろを振り返ってみると、後を付いてくるように「硫黄島」の巨体があり、その巨体の周りを一生懸命踏み潰されないように寄り添っている二つの小さな影がある。

 入り江を出れば川内たちは東へと向かい、「硫黄島」はそのまま南進する。取舵を切りながら大きく円弧を海面に刻みつけ、六つの航跡が夕日に背を向けて自らの影を追う。

 

 

 

「これより我らは敵侵攻艦隊の要撃に向かう」

 

 先頭を行く金剛が、何時になく硬い声を無線に吹き込んだ。

 

「我らの背後には無辜の民が居る。我らの勇壮無比なる味方が向かっている。

国民の逃げる時間を、友軍が駆けつける時間を、稼ぐのが我らの目的。

残弾尽くすまで奮戦し、一隻でも多くを葬り、一分でも長く戦線を維持せよ。

ここで退いても我らに未来はない。しからば、勝利こそが我らの道。

皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ!!」

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 

 

 鎮守府内にけたたましくサイレンが鳴り響いている。避難を促す放送音声が軽いエコーがかかって聞こえた。

 ようやく腕のギブスが取れてリハビリを始められたという頃なのにこれだ。大規模な深海棲艦艦隊の接近があり、基地はおろか、背後の街にも避難勧告が出されたという。本土を未だ襲ったことのない未曾有の規模だということで、鎮守府では大急ぎでの防御態勢の構築が進められている。だが、時間的にはどう考えても間に合わないし、気休めがせいぜいだろう。

 こうした状況だから、逃げられる者は逃げよ、という指示が下ったらしい。普段赤城の看病をしている医官がそう言って連れ出そうとしたのを、固辞した。

 仲間たちは皆海に出ただろう。航空戦力のない彼女たちだけで敵の艦隊に突っ込むのは最早帰還を考えていない無謀な特攻としか言いようがないが、それでも彼女たちは艦娘だから戦いに背を向けることは許されないのだ。それに、数名がしつこく「諦めるな」とか「希望を持って」とか言うので、いっそその通りにしてやろうかという気も起きた。

 

 戦いの場に赴けない自分が情けないというのもある。もし自分がいれば、赤城は空母だから、彼女たちの頭上を護り、少しでも戦いを有利に導けたに違いない。

 けれども、今の赤城に許されているのは陸地で芋虫のように這いつくばって動くことしかない。足のギブスは未だに取れず、移動には車椅子を要する。それでもただ指を加えて何もしないで居ることは耐えられなかったから、赤城は避難を勧める医官を制し、逆に彼に逃げるように諭した。自分は工廠に行き、艤装を身に着けて出来るだけ戦うとも宣言した。少なくとも赤城は艦娘であるから、艤装を身に着ければ「女神の護り」を受けられるし、今から着の身着のままで逃げ出すよりはそちらの方が余程生存率が高いように思われたから、とも付け加えた。

 頑なさを見せる赤城を説得するだけの言葉を、医官は持ち合わせていなかった。最終的に彼は折れ、医務室には赤城一人だけが取り残された。彼は去り際にベッドの傍に車椅子を用意し、それから敬礼して「健闘を祈ります」と言って辞した。

 結果、赤城はじたばたと一人で身体を車椅子に腕力だけで収めるという慣れぬ作業に奮闘する羽目になった。足の感覚は相変わらずなく、下半身は鉄でも引いているかのように重い。苦労して車椅子に座ると、赤城はさっさと医務室を後にした。

 幸いにして医務室は一階にあったから玄関に行くのに苦労はしなかった。その一方で、腕だけで車輪を回して動かさなければならない車椅子というのは、とても腕の筋肉に負荷がかかるものだとも学んだ。何しろ赤城と言えば、こうして車椅子に座って、しかもそれを自力で動かすという経験をしたことは初めてなのだ。英国にはウォースパイトという戦艦が居るが、彼女の艤装は椅子型となっているので、彼女は座したまま戦うことが出来ると聞いたことがある。自分の艤装もそうだったなら良かったのにと思う。

 

 

 医務室のある第二庁舎の玄関から外に出る。視界には誰もいない。

 この鎮守府を含め、軍事基地というのは常に軍人が居るものだし、軍人だけでは組織を動かしきれないからそれを補佐する軍属の人間も居るから、常に一定数の人数が動いているはずなのだが、今日はまるでもぬけの殻である。大方は避難し終えたのだろう。そして戦える者たちの内、艦娘は海へ行き、陸兵たちはどこかに陣地を構築してそこに篭ったのかもしれない。鎮守府それ自体を盾にした水際防衛戦を展開するつもりなのだろう。

 敵は思ったより早く接近して来ているのかもしれない。赤城は車椅子を急いで転がした。

 第二庁舎から工廠はすぐ近くにあって、玄関先にいる赤城の目の前には工廠の、赤錆で覆われた大きな建物がいくつも並んでいた。ただ、第二庁舎は工廠より一段高い所に建っているので、そこから下りて向かわなければならない。段差は玄関前の階段を下るか、階段脇のスロープで越えられるようになっている。車椅子の赤城は無論、スロープを使うしかない。スロープは踊り場で二つ折りになっていて、二段の手摺が付いていた。赤城は自分の手が届きやすい下の段の手摺を掴みながらゆっくりと下りていく。途中、踊り場での反転に苦労しながら、さらにスロープを下っていると、頭上で聞き慣れた不気味な音がした。

 低いモーター音に風切り音がプラスミックスされた奇妙な音だ。それが深海艦載機の発する独特な飛行音であるというのに気付くのにコンマ一秒もかからなかった。何しろ、嫌というほど聞き慣れた音であるが、さりとて受け入れられる音でもない。しかもそれがこんなところで聞こえたということに、赤城は歯噛みした。

 ついに始まったのだ。爆音は少し離れたところで轟いた。爆発地点は赤城の位置からは第二庁舎の建物が壁となって見えなかったが、レーダー施設の方だったのは間違いない。

 

 それから、次から次へと空に黒い機体が飛来して、所構わず爆弾を落としていくようになった。赤城は必死で車椅子の車輪を回して第二庁舎から工廠までの短い道のりを出来る限り急いで突破した。工廠前の広場を横切ると、そこが艦娘用の工廠第三号棟であり、普段の艤装の保管場所である。

 内部はがらんどうで、既に工員たちは避難しきった後だった。それでも修復剤が取り出しやすいように入り口脇に並べて置かれていたのは、逃げ出す時に彼らが最大限気遣ってくれた結果だろう。万一負傷した艦娘が戻って来ることを想定してのことなのだ。規則の観点から言えば、貴重な高速修復材を出しっ放しにしておくのは明確な違反だが、今はその機転がありがたかった。

 工廠の入り口から少し入った右手に艤装の保管庫がある。保管庫は後から工廠の建物の中に別で設けられた構造物で、他と異なり、そこだけコンクリートの頑丈なトーチカのような造りになっていた。

 保管庫の前に来ると、赤城は電子端末にパスコードを入力しようとして、自分の手がそこに届かないことを認識する。微妙に高い位置にあって、車椅子に座った状態からでは指先まで伸ばしてもボタンを押せないのだ。片手で車椅子の肘掛けに体重を掛けて体を持ち上げ、ようやくパスコードを入力、指紋認証も済ませると鋼鉄製の重いドアが滑らかに動いた。

 反動で車椅子に沈み込み、支えにしていた左腕を軽く振る。身体は同年代の女性より鍛えてあって筋力にも自信があるが、さすがに車椅子で移動するのに腕を酷使しすぎた。上腕筋が軽い不随意運動を起こしており、このまま休ませずに使い続ければすぐにこむら返りを起こしそうだった。

 だが連続する地響きが聞こえて来て悠長にする時間はないことを改めて悟り、保管庫に入室する。

 中には予備まで含め、所属艦娘全員分の艤装が保管されている。といっても、今出撃中の艦娘の艤装は予備しかない。一方で、一人分だけ予備艤装と普段使いの本艤装の二つがある。その艤装が置かれている棚には荷札があって、「赤城」と楷書体で簡素に記されていた。他方、隣の「加賀」の場所には予備艤装しかない。

 赤城は自分の艤装を棚から引っ張り下ろす。前掛けの形をした装着部、籠手、胸当て、機関と一体化された航行艤装、煙突型の制御ユニット、サブ兵装の20cm単装砲、矢筒、長弓、そして正規空母の象徴でもある飛行甲板。まず前掛けと胸当てを着けて艦娘としての力が発揮出来るようにすると、足のギブスを力づくで割る。

 中から出て来たのは、深海棲艦の黒い艤装に覆われ醜く変形した己の体の一部……ではなく、やせ細って白蝋のように不健康な肌の色をしてしまっているが、ちゃんとした自分の足である。懸念されていたことはまるで杞憂だったのだろうか。歩くのに不安を覚えるくらい細くなっているが、どの道艤装を着ければ関係ない。感覚もなく、触っているのに足からはその感触がないというのに違和感を覚えるが、気にしていたところでどうなるものでもない。その内感覚が戻るだろうと根拠もない楽観で不安を片付けた。

 

 航行艤装を強引に履かせると、赤城はそのまま車椅子から立ち上がろうとして、足に力が入らず真正面の棚に体を預けることになった。

 感覚がないだけではない。まるで言うことを聞かない。膝を曲げろと命じても、足はピクリとも動かなかった。

 だがこれも織り込み済み。赤城は再び車椅子に腰掛けると、飛行甲板を装着し、矢筒の紐を肩に通す。制御ユニットも籠手も、と一通り身に着けて、単装砲を膝に置いてから最後に長弓を取る。長すぎる和弓の取り回しに苦戦しながらも車椅子で建物の入口まで戻ろうとする。

 動けるまでに回復した今ならば、そこにある修復剤で足を治せるかもしれない。入口に戻った赤城は修復剤の一つを手に取り、蓋を開け、中身を足にそのままぶっかけた。これが修復剤の使い方であり、ただ損傷箇所に浴びせるだけで不思議なことに傷を癒やしてしまう。案の定、足の感覚が一瞬で戻った。

 自然回復に任せれば艦娘のそれというのは非常に長い時間が掛かる。骨が折れて二三日で完治する人間が居ないように、何もしなければだらだらと怪我を引き摺ることになり、場合によっては深刻な後遺症が残ることもある。損傷はすぐに修復してしかるべし、である。

 赤城は立ち上がった。今度はバランスを崩すようなことはなかったが、久しぶりの立位に一気に頭から血流が下がって目の前がくらくらする。艤装の姿勢制御機能に任せて倒れるのを防ぐと、力強く血液を押し出した心臓によって頭に血が戻り、意識がはっきりした赤城は一歩踏み出した。カツン、と硬い音がして航行ユニットと工廠のコンクリートの床がぶつかる。

 

 外は既に激しい爆撃にさらされていた。すぐ近くで巨大な爆音がして工廠の建物が揺れる。赤城は動じずに工廠から出た。

 

 

 

「――ギ」

 

 遠くに声が聞こえた。よく耳を澄まさないとこの騒乱の中では聞こえないくらい小さな声なのに、耳にこびり付いて離れないようなしつこさがある。

 

「――ギ。アカギ」

 

 声は、名前を呼んでいた。

 

 

 

 

 

「迎エニ来タゾ。赤城!」

 

 

 

 

 心臓が跳ねた。不整脈のように跳ねた。

 一瞬で全身の力を奪われた赤城は呻きすら上げられずにその場に崩れ落ちる。取り落とされた長弓が軽い音を立ててアスファルトの地面に落ちた。胸の谷間に手を突っ込んで、肋骨の上から激しく動悸する心臓を抑えようとする。

 幸いにして動悸はすぐに収まったが、だからといって赤城は一息つくことすら出来なかった。

 今度は足だ。燃えるような猛烈な激痛が足から神経を伝い、赤城の脳の機能の大部分を麻痺させてしまった。苦しげに悲鳴を上げ、反射的に身体を丸める。

 足を見てもそこに変化はない。ただひたすらの激痛がある。

 続いて、再び心臓が脈打ち、赤城は声にならない声を上げた。足と胸と、激痛と動悸に意識を保っていられなくなり、ついにはそれを手放した。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 空は数えるのも億劫になるくらいの敵機に覆われていた。薄雲の張った夕空を歪な黒い塊が幾つもの集団となって通り過ぎ、どんどんと鎮守府に襲い掛かっていくのを金剛たちはただ見上げているしかない。対空砲の届かない高度だし、撃ったところで撃墜も期待は出来ない。

 ただ、幸いと言って良いのかはさておき、その艦載機が眼下の金剛たちを襲うことはほとんどなかった。たまに思い出したように数機が爆撃や雷撃を試みるが、対空砲で迎撃しつつ回避すれば撃ち落とされるか引き下がっていくかのどちらかの結果になった。

 航空戦力のない金剛たちに空襲を止める手段は空母の無力化以外にない。だが、当然敵空母は幾重もの防御線に守られた奥に居るだろう。この艦隊の旗艦にして主力は、先程不気味な声を発していた空母水鬼で間違いない。先の海戦で、「迎エニ行クゾ」と宣言していた通りになった。空を飛ぶ艦載機の多くが、膨大な機数を扱えるという空母水鬼の手駒だと思われた。つまり、空襲を止めるためには敵艦隊の最深部まで、何重もの護衛を突破し、岩のような装甲を持つかの敵を少なくとも中破状態まで追い込まなければならない。

 それはどう考えても無理そうだった。現状の戦力を無視しても考え得る手段は二つで、大規模な航空部隊によって、先の海戦で赤城がしてみせたように、敵機を低高度におびき寄せてからがら空きになった頭上から急降下爆撃を敢行する陽動作戦か、潜水艦の浸透による海中からの奇襲かのどちらかだ。ただし、前者は既に実行された手で、後者も魚雷ごときであの堅牢極まりない空母水鬼を崩すことが出来るとは思えなかった。金剛は戦艦だから、それこそ徹甲弾でもお見舞いしてやれば何とかなると思いたいが、問題はどうやっても現状の戦力で空母水鬼を主砲の射程圏内に捉えられるまで接近する手段がないことだった。

 故に、金剛は早々に主戦力の撃破を諦めた。遅滞戦闘により敵の先鋒を足止めし、味方が到達するまでの可能な限りの時間稼ぎをする。生存を優先にし、真正面からぶつからず敵の警戒レベルを最大限に引き上げた上で進撃に時間を浪費させる。

 後に続く艦娘にはその命令を出す。だが、言っている自分が、言葉で言うほど簡単なことではないと自覚していた。

 それでもやらねばならない。やらねば、あるのは絶望的な敗北のみだ。

 

 敵艦隊の押し寄せている東へ進むと、先行進出している潜水艦部隊を発見した。

 戦艦である金剛は何も出来ないので随伴の木曾と七駆に任せてさっさと処理する。幾つもの爆雷が海中で炸裂し、海面に大きな盛り上がりを作るのを後ろにしながら、さらに東へ。

 水雷戦隊は正面火力で吹き飛ばした。前衛を務めていた軽空母旗艦の小さな機動部隊も、第一撃の空襲を軽くいなし、主砲の射程圏内に捉えれば簡単に海の藻屑と化す。36cm主砲が火を噴く度、海面には桂林の如き水柱が立ち、その間に巻き込まれた敵艦は弾け飛び、四散し、無数の破片がくるくると回転しながら宙を舞って海面に落ちていく。それは巨人の振るう鉄槌だ。それは火山の噴火だ。鋼鉄の砲弾が立ち塞がる全てをなぎ払い、六百kgを超える怒りが深海の魔物に地獄への道を与えた。

 

 

 海軍最先任。他の総ての艦娘よりも長く海に戦い、幾度もの勝利と敗北を積み重ね、今日まで生き延びてきた。それこそが金剛という戦艦の矜持だ。その矜持を持ってして、金剛は「今日負けぬ」という決意を胸に秘める。だが、秘めただけでは終わらぬその決意は、砲門から竜の息吹のように噴き出す砲炎となって、亜音速で打ち出される鉄塊となって、時に金剛自身の口から飛び出す咆哮となって、世に示されるのだった。

 

 

 

 決意の奥底にあるのは、悔恨の感情。

 助けられなかった加賀。守れなかった赤城。

 何が最先任だ。何が最古参だ。

 自分より年若い者が血を流し、海に沈むのを許すならば、そのような称号などいらない。金剛石の名を背負い、護法善神の名を借りるならば、今ここで汚名返上出来なくてはならない。

 

「前方敵影! 十一時の方向!」

 

 電探が新たな敵の出現を告げる。金剛は叫び、水平線に現れたその影を見る。

 敵制空権下での反航戦。

 

「木曾は甲標的の発進を!」

「もう出してる!」

「早いネー!!」

 

 仲間を賞賛し、金剛は遠くの敵影を見つめる。

 繰り返すが敵の制空権下だ。空には味方の飛行機が一機も飛んでいない。それは金剛の弾着観測用の水上偵察機も含めて、だ。もちろん不用意に発艦させればあっという間に敵戦闘機の餌食となるだろう。対して敵は逆に偵察機を飛ばしたい放題だ。現にこうして対峙する金剛たちの頭上に敵の水偵が舞っている。

 何もかも不利な要素しかない。敵は弾着観測射撃を好きなだけ撃てる。なんなら近接航空支援だって難しいことじゃない。物量は圧倒的に相手が上で、しかもこの度の敵艦隊は難敵と言って差し支えがない。

 遠目でも分かる。六隻編成の単縦陣。先頭の二隻の陰が他よりも大きい。身長くらいの大きさの物を抱えているように見えたが、それこそが戦艦ル級の最大の特徴である主砲と一体化した巨大な防盾である。しかも、先頭のル級にはチラチラと黄色い火種のように輝く光が見えた。すぐ後ろを走るもう一隻には赤色のそれ。上位クラスのフラグシップとエリートの戦艦。それに重巡以下小型の随伴艦が続く。空母は居ないようだった。

 

「目標! 敵旗艦! Tallyho!!」

 

 金剛は叫ぶ。最大戦速で海面を走り、長い茶髪が激しくかき乱されながら頭皮を引っ張った。海風を浴びても未だ冷めやらぬ熱い砲身がゆっくりと転回し、仰角を取って敵影を睨む。砲塔の中で揚弾機構が薬室に徹甲弾を放り込む音がした。

 突如として敵艦隊の三番手を走る重巡に水柱が立つ。それが晴れた時、そこに重巡の姿はない。

 Nice kill! 心の中だけで雷巡を賞賛した。先に発進させた甲標的より放たれた先制の魚雷が見事命中したのだ。それは敵にとって完全な不意打ちとなり、仲間をいきなり沈められた艦隊の中に動揺が走る。

 何か大きな動きがあったわけではないが、少なくとも金剛の目にはそう映った。経験上、先制雷撃を成功させた場合、残った敵艦にも心理的動揺を与え得ることを金剛は知っていたのだ。だから、その隙を逃さぬようにトリガーを引く。

 

「Fireeeeeeee!!!」

 

 絶叫。轟音。

 反動を腰で柔らかく吸収するが、しきれない分は金剛の速度を削る方向に働いた。自分の体の両側を巨大な爆炎が取り囲み、一瞬戦艦は紅蓮の花弁に飲み込まれる。

 敵艦隊は既に金剛の射程圏内だった。そしてそれは、金剛もまた相手の射程圏内にあることの証でもあった。金剛の主砲発射に遅れること数秒、敵艦隊の先頭二隻からチカチカと光るものがほとばしる。

 すぐに敵の周囲に無数の水柱が彷彿する。それだけでなく爆炎も見えた。

 

「初弾命中!」

 

 叫んだのも束の間、耳がおかしくなる轟音に金剛は囲まれた。至近弾を示す水柱は自分の左右に立つ。夾叉だ。敵の散布界に収められたのだ。弾着観測が出来るなら、これはある意味当然の結果だった。では、それが出来ない金剛が初弾で命中を出したのは何故か。練度の差だ。

 ガコンと重い音がして次弾装填が完了する。

 まだ巡洋艦の主砲では届かない距離。金剛だけが第二射を放つ。敵も続くように撃った。

 再び敵の先頭を36cm砲弾が襲う。爆炎が噴き上がり、旗艦のフラグシップ戦艦が痛ましい黒煙を上げた。その結果に満足する前に、金剛に敵弾が到達する。

 今度は水柱だけではなかった。身体が分裂しそうになるような巨大な衝撃。轟音と振動。重い金剛の身体が海面からわずかに、しかし確かに浮いた。

 

「Damm!!」

 

 反射的に悪態が口から飛び出す。郷里の後輩とは違い、お世辞にも育ちは良いとは言えないのだ。衝撃の出処、右の装甲を確認する。確かにそこは惨たらしく抉られて、鋼鉄の装甲板が無残にもめくれ上がっていた。しかし、被害はその程度。せいぜい砲弾が掠っただけで、損害判定は小破と言ったところだ。

 

「金剛さん!」

 

 心配した後ろの木曾が叫ぶ。金剛は背中越しに親指を立てて見せた。

 

「戦闘に支障なしネー!」

 

 ダメージは敵の方が大きい。旗艦のフラグシップ戦艦は濛々と黒煙を上げて艦隊から落伍しつつあった。だが、その戦艦がまだ闘志を失っていないのは、こちらに向けられた砲口からも明らかである。ル級にとどめを刺すべく、金剛は第三射を放つ。

 その頃には彼我の距離はかなり近付いていた。中口径砲の射程圏内に入っている。

 殴り合いはいつもそうだ。巡洋艦が参加してきてからが本番である。戦艦の主砲は温まり、それまでの幾度かの射撃によって狙いは定まっており、しかも距離が縮まっているのである。命中弾が双方ともに出やすい状況であり、この上射線が増えるのだから、砲戦は混沌となり、鉄で鉄を穿つ激しい殴り合いとなる。

 主砲はもちろんのこと、副砲から電探まで、あらゆる武器を駆使して敵を制圧しなければならない。敵が撃つ。味方が撃つ。双方に水柱が乱立する。

 フラグシップ戦艦は三発目の徹甲弾までは耐えきれなかったようで、轟音と悲鳴を上げて海中に没した。随伴の駆逐艦も木曾や川内の主砲に吹き飛ばされた。その一方で、敵の攻撃は先頭を行く金剛に集中し、瞬く間に金剛は被弾し、身体を幾度も鉄槌で叩かれたかのような衝撃に耐えなければならなかった。

 耐久は一気に削られる。既に大破と呼べる値にまで下がっていた。四基の主砲塔の内二つは割れ、装甲板は丸く抉られ、直撃を受けた肩は脱臼と骨折を起こして左腕が使い物にならなくなっていた。

 それでも金剛の闘志は微塵も揺るぐことはない。好き放題に砲弾を浴びせかける深海棲艦に向け、激昂の雄叫びを上げ、さらに残った主砲を打ち鳴らす。至近距離からの水平射撃がエリート戦艦の防盾を叩き割った。そこに魚雷が命中し、足元から崩された戦艦は天に手を伸ばしながら海中へと飲み込まれていった。

 

「敵部隊……全滅!」

 

 やっと一つ、おそらく先鋒の打撃部隊だっただろうル級二隻の部隊を下した。これで、敵は出鼻をくじかれた形になったはずだ。しかし、代償は大きかった。

 無線に戦果報告を入れながらも、金剛は状況のさらなる悪化に焦燥を抱いていた。

 

「金剛さん、退避してくれ!」

 

 二番艦の木曾が寄り添う。情けないことに金剛は彼女の手を借りなければ立つこともやっとの状態だった。左肩は焼け付くように痛み、その他何度も被弾した衝撃が金剛の身体の至る所に目に見えない損傷を与え、体力を削り取っていた。ただ立っているだけでも膝が笑い始めるのだから、これは重傷だと自分自身でも認めざるを得なかった。

 木曾が退避を勧めるのも無理はない。だが、金剛にはそのつもりは一切なかった。もしその結果死ぬことになったとしても、それが運命というものならば受け入れる覚悟もあった。

 

 

 

「ちょっと! 何よあれ!」

 

 金剛と木曾が問答している内に、周囲を双眼鏡で観察していた曙が声を上げる。彼女は双眼鏡で北を見たまま、指をさした。

 全員がそちらを向く。遠くの水平線上に幾つかの陰があった。

 

「補給艦だわ! 随伴の駆逐艦も見える! 真っ直ぐ西に向かってる。あいつら、揚陸部隊よ!!」

 

 遠すぎて肉眼では確認不能だが、双眼鏡を覗く曙がそう言うのだから間違いないだろう。

 

「おいおい、マジかよ」

 

 木曾が呆れ混じれに呟いて、艦隊のメンバーを見回す。金剛以外は全員無傷だ。だが肝心の戦艦は大破してまともに戦えない。

 幸いにして、前衛の主力を撃破しているから敵の打撃力には多少なりとも隙間が出来たはずである。鎮守府に接近する揚陸部隊は無防備同然だから、金剛の主砲がなくとも撃滅することは難しいことじゃない。金剛には木曾がそう考えたように思えた。何しろ、自分が木曾の立場であっても同じように考えるだろうから。

 

「行くワ。ワタシも行く」

 

 自分だけが離脱するなんて考えられなかった。主砲はまだ二基残っている。残弾も尽きてはいない。副砲だってある。敵は柔らかい駆逐艦と補給艦だ。目を瞑っていたって沈められる敵だ。恐れるに足りない。

 

「そうも言ってられないよ」

 

 だが金剛を止めたのは意外な人物の意外な言葉だった。

 川内は、こういう場で真っ先に発言するタイプではないと思っていた。他の誰もが言わないなら必要なことを発言する、というのが川内の基本的な議論のスタンスで、口数の多くない彼女らしいものだ。だから、そんな川内がわざわざ金剛の意思を棄却するような発言を真っ先にするということは、何か余程のことがあるのだ。

 果たして彼女は自身の左手首に巻き付けられた携帯端末の画面を右の人差し指で軽く叩く。

 

「基地の中から敵性反応だ。これは、何かな?」

 

 全員が自分の端末を見る。既に壊れてしまっていた金剛は木曾の物を見せてもらった。

 川内の言う通り、画面の端の方(鎮守府の方だ)に深海棲艦を表す白い光点がポツリとあった。

 

「提督! 加藤少将!!」

 

 木曾が無線に向かって叫ぶ。だが、応答はなかった。何度彼女が呼ぼうとも、司令部に繋がっているはずの周波数からは耳障りなノイズが聞こえるだけだ。

 そこでようやく金剛は悟る。鎮守府には激しい爆撃が浴びせられたのだ。彼は、それに巻き込まれてしまった。

 地下シェルターに逃げる前だったのか、あるいはシェルターごと押し潰されたのか。ひょっとしたら無線施設だけがやられて彼は無事なのかもしれないが、その可能性は低そうだと直感した。

 となると、もう一人心配なのは赤城のことだ。出撃前に加藤は必ず避難させると言っていたが、あの赤城の性格を考えれば、彼女が大人しく避難民に紛れて運ばれる姿が思い浮かばない。それは金剛だけでなく、この場に居る全員が共通して考えたことだった。

 

「なら、戻るべきだな」

 

 最初にそれを口にしたのは木曾だった。

 

「金剛さん、今から旗艦は俺が引き継ぐ」

「What!? 勝手に……」

「ああ、勝手だからな。俺は。んで、勝手ついでに旗艦命令としてあんたに退避を命じる。一人じゃなんだから、護衛には川内を着けて、二人で鎮守府内の敵性反応の確認もしてきてほしい」

「先任のワタシに命令?」

「旗艦だからな。司令部と連絡がつかない以上、部隊を指揮・統制する責任は俺にあるし、大破した金剛さんにはその責任を全う出来ないのは誰の目にも明らか。あんたを除けば、この中で最先任は俺だ。俺が旗艦を引き継ぐのに異論はないな」

 

 筋の通った木曾の言葉に金剛も反論の術を持たなかった。だが、だからといって落ち着いていられたかと言えばそうではない。

 大破して旗艦の任を捨て、後輩に部隊を預けて自分は後方に下る羽目になるという屈辱に、握った拳が震えた。何よりもそのような醜態を重ねる自分に腹が立ち、情けなかった。

 それでも金剛は最先任であり、彼女たちを支える唯一の大型艦であるから、弱気なところを見せるわけにはいかない。

 

 

「みんな、武運長久を。健闘を……祈りマス」

 

 木曾は黙って拳を掲げた。それに川内と曙が続き、漣と潮も同じく拳で天を衝く。

 金剛も右腕を突き上げた。

 

「また、会おう。あんたが居ないと火力不足だからな。工廠で修復剤を浴びたら戻って来てくれ」

「ええ。すぐに、ネ」

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 

 身体重い。足が熱い。

 たった一歩踏み出すことさえ筋肉が張り裂けそうになる。足の中に熱した石炭を埋め込まれたかのように猛烈な熱さが収まる気配もなく神経を刺激し続けている。

 爆音と振動に叩き起こされ、赤城は自分が未だ整備工廠の入口前で倒れていることを再認識した。ぼんやりと意識を半覚醒させている猶予などなく、直ちに激痛とも取れる熱さに叩き起こされる。足が異様に熱いのだ。外見は何もなっていない、少しばかりやせ細った自分の足なのに、触ってみると電撃を浴びたような刺激が痛覚を走った。そのくせ、指に触れた足の皮膚はまるで体温のようなものを感じない。これ程までに熱を発していると知覚しているにも関わらずだ。

 そして何も熱さを感じたのは足からだけではない。顔や腕も熱気を感じていた。顔を見上げると、整備工廠から建物二つほど離れた工廠の別の建物から赤々と炎が噴き出していたのだ。炎上したその熱気が海風に乗って赤城の肌を撫でていた。

 

 それで状況を思い出す。そうだ、この鎮守府は現在敵の空襲下にあるのだ。

 いつまでも倒れているわけにはいかなかった。艤装は確保したから次は弾薬である。それを補給するにはもちろん弾薬庫に行かなければならなかったが、弾薬庫は鎮守府の敷地の端、地形の高低差を利用しした地下構造物の中に収められている。工廠からの距離は普通に歩いても十分は必要な程度だ。

 とにかくそちらに向かわなければならない。歯を食いしばって身体を起こす。それからゆっくりと膝を立てて足を地面に。

 最早熱いのか痛いのか冷たいのか痒いのか痺れているのか、判別付かないぐちゃぐちゃの感触がした。あまりにも同時に伝えられる情報が多すぎて神経が“詰まって”しまったらしい。

 

 つまり、痛く感じないってことね。

 

 赤城はそう自分に言い聞かせて立ち上がる。両足は生まれたての子鹿のように震えたが、それだけだった。自分が立てることを認識すると、次に一歩踏み出した。

 いや、踏み出したなどと言うほどのものでもない。足がまともに上がらず、航行艤装の底をアスファルトで擦るような動きだった。耳障りな金属音が響く。

 

 これが、天下の一航戦の末路か。

 

 自分で思って、情けなくなる。世界最強の機動部隊と持て囃されたのも今は昔。相棒は海中に没し、残された赤城は最早まともに立って歩くことすらままならない。上空から見れば格好の餌だろうが、不思議なことに敵の艦載機は赤城に見向きもせずに鎮守府の他の場所に爆弾を雨あられと降らせている。それが、まるでお前など狙う価値もない、と嘲られているように思えた。

 もちろんそんなものは気のせいだ。艦載機が狙って来ないのは、単に赤城に気付いていないだけか、あるいは他にもっと価値の高い目標があるから。けれど、僻んだようなその考えは一度心に思い浮かぶと消そうとしてもこびり付いた染みのように消えなかった。

 

 

 無様な転落だった。

 栄光の中に居た赤城と加賀。出撃し、戦果を上げる度に拍手喝采を持って出迎えられた。後輩の空母たちは皆々目を輝かせて二人に教えを請うた。随伴の艦娘たちはお供に抜擢されたことにさえ誇りを見い出していた。司令官や参謀は困難な目的を達成するのに一航戦にその任を与え、赤城と加賀もまた結果を持って期待に答えた。メディアは二人が出れば制空権の確保は容易いと派手に書き立て、政治家は手放しで二人の活躍を賞賛した。大衆は一航戦を持て囃し、企業は赤城と加賀、どちらかの名前を使って宣伝合戦を始めた。ここ数年、女の子の将来の夢で一番人気は「空母」であり、あこがれの有名人には頻繁に赤城か加賀の名前が挙がる。

 それが今やどうだ。加賀は深い海の底に眠り、赤城は足を引きずるようにして歩くしかない。

 敗北し、堕落し、蹂躙され、屈服して、地を這う蛆虫の如き。高く弦を鳴らして矢を飛ばすこともなく、「第一航空戦隊」の御名を朗々と名乗ることすらない。矢を飛ばしても敵を撃つ弾はなく、海に出ようにも機関に焚べる油もない。

 無二の戦友を失い、誇りを失い、弾も油もなく、背負うのは空っぽの艤装のみ。天を見上げれば己以外の艦載機が我が物顔で飛び回り、仲間たちを、見慣れた基地を、守るべき街を、好き勝手に蹂躙していく。赤城はそれをただ指を咥えて眺めているだけしか出来ない。ああ、我が矢が飛ぶなら、この無粋な異形共をたちまちの内に頭上から駆逐出来たのに!!

 

 

 

 どうしてこうなったのだろう。何が間違っていたのだろう。

 

 一航戦は何故負けた? どこに綻びがあった?

 

 思い浮かぶのは悲しげな顔の戦友。

 優しかった彼女。誰よりも慈悲に溢れていて、誰よりも赤城を見ていた。加賀はいつも赤城の傍に居てくれて、必要な時に必要な言葉をくれた。

 今、彼女がここに居れば支えてくれていただろうか。この絶望的な光景の中でも励ましてくれていただろうか。

 きっと、強い彼女は諦めなかったに違いない。彼女が人前で動揺を見せたところを赤城は知らないし、どんなに悪い状況であっても決して弱音を吐くことはなかった。だから、一航戦は戦い続けられた。勝ち続けられたのだ。

 その彼女を失った今、一人残された赤城には歩くことさえ満足に出来ない。

 

 加賀はどうして沈んだ?

 

 あの海戦で雷撃を食らわなければ、いやもっと前に敵の囮作戦を見抜けていれば。慎重に行動していれば。対潜警戒を最大限にしていれば。加賀にバルジを装備させていれば。乙字運動をしていれば。

 するべきことをしていれば出なかった犠牲だ。赤城の采配が間違っていなければ避けられた喪失だ。

 加賀が沈んだのは、赤城のせいなのだ。

 

 

 油断。慢心。過小評価。

 持て囃されすぎていた。いくつもの成功と、長い経験から自分たちを見誤っていたのかもしれない。

 あるいは、彼女が居たらこうはならなかっただろうか。海中からの奇襲を見破り、何もかもを把握して戦場に君臨したあの小さな悪魔の少女が居たならば。彼女の持つ人智を超えた力があれば、加賀を失わずに済んだのか。

 サイズの合わない白い軍服。波打つ青紫の髪。宝石のような透き通った紅い瞳。

 暗い部屋の中で抱き寄せられた。その時に鼻腔をくすぐった彼女の匂い。どんな匂いだったか忘れたけれど、その時心を包んだ暖かな安心感は鮮明に覚えている。柔らかく小さな腰に手を回すと、柔らかさが心地良く感じられた。

 

 

 

 

 

 

「赤城」

 

 とレミリアが呼ぶ。

 

「赤城さん」

 

 と加賀が呼ぶ。

 

「赤城」

 

 そして最後に、姉が呼んだ。地震で死ぬ前の、いつもと変わらない姉だ。

 

 懐かしい姿。また会いたかった最愛の姉。

 赤城なんかよりずっと綺麗で、背が高くて、気高い人だった。艦娘には珍しい血を分けた実の姉妹で、姉は「天城」の名を授かり、改装空母の先鋭を担うはずだった。誰よりも弓が得意で、国体での優勝経験も買われ、弓を扱う空母の基礎を築き上げる使命を背負っていた。赤城が艦娘になったのはそのついで。たまたま同じように適性が出たからで、でもその時は姉も喜んでくれた。赤城も大好きな姉と共に一緒に居られることが嬉しかった。

 覚悟なんてない。自分がこれから向かおうとしている先が、一歩間違えれば深い海の底に引きずり込まれる戦場だなんて想像すらしていなかった。ただ、姉と同じことが出来ることに無邪気にはしゃいでいただけなのだ。

 けれど優劣の差は決定的に現れ、姉は元からの弓道経験もあってめきめきと頭角を見せた。一方の赤城は弓道初心者で、矢をまともに飛ばすことさえ覚束なかった。周囲は誰もが姉に期待し、妹にはお世辞のような励ましの言葉しか掛けなかった。それでも最初は自分も期待されているんだと頑張っていたけれど、その内に自分を見る目と姉を見る目が異なることに気付いた。

 

 なんでも一番は「天城」。「赤城」は二番艦で二番手。

 就役してからもそれは変わらず、戦果を挙げたのも、表彰されたのもいつも姉であり、姉だけだった。

 それでも赤城は姉を裏切ることも、嫉妬に狂って愚行に走ることもなかった。その理由はただ一つ。姉がいつも赤城の弓を見て、悪い射を放ったなら適切な助言を与え、良い射を放ったなら褒めてくれていたからに他ならない。それこそが、姉からの褒め言葉こそが、赤城の誇りであり矜持であった。

 

 

 彼女があの忌まわしい地震で死ぬまでは。

 

 

 

 

 姉は突然に逝ってしまった。赤城を一人残して。未熟な弓しか持たぬ赤城を残して。

 もう彼女が赤城を褒めることはなかった。艶やかな唇が開いて赤城の名前を呼ぶこともなかった。女性にしてはやや大きく、弦を握り続けていたからか少し硬い手が撫でてくれることもなかった。

 大きな喪失感が胸を支配し、ひとしきり泣いた後には耐えがたい空虚が襲って来た。しばらく赤城は休養を取り、周囲もそれを認めた。しかしそれがひと月を数え、ふた月になる頃には不信と非難の対象になった。赤城はいつまでも自室にこもって動かず、誰からの接触も避けていたのだ。

 ある日突然、寮室の鍵を開けて加賀が入って来るまで、赤城はほとんど飲まず食わず風呂にも入らず睡眠も摂らずだった。

 

 加賀は言った。今日から同じ第一航空戦隊に編入されました。だから、空き部屋もない関係で相部屋になるからこれからよろしく。あなた、とっても臭うからお風呂に入ってきてちょうだい。

 

 

 

 

 

 赤城は激しく抗弁した。第一航空戦隊はかつて姉と赤城によって構成されていた、二人だけの部隊だったはずだ。自分たち姉妹を表す代名詞だったはずだ。そこは血の繋がった肉親以外を踏み込ませぬ聖域であり、“家庭”だったはずだ。

 そこに、いきなり部外者が侵入してきた。彼女は自分も同じ改装空母で赤城や天城よりも多くの艦載機を扱えるから、戦術的に現状の戦力ではあなたと私が組むことが最適解なのよ、といったことを赤城の感情などまるきり知らんぷりで淡々と、冷酷に言い放った。少なくともその時の赤城にはそう聞こえた。後で本人の口から聞いたところによると、加賀も加賀で取り乱す赤城に面を食らい、どうにか理屈で説得しようと試みたらしい。だが、感情的になっている相手に理屈を説いても受け入れられないのはよくある話で、そんなことも知らないほどお互い未熟だったのね、と酒の糧にして笑った。

 一方で、加賀もまた弓道の有段者であり、赤城より実年齢が一つ上だった彼女は、姉の次の代の国体優勝者だった。前年も決勝で姉と競い、二位に甘んじたものの確かな実力者だった。

 それが、赤城に火を付けた。自分の弓は姉の弓だ。一度は姉に負けた加賀なぞに負けるわけにはいかない。

 鍛錬に鍛錬を重ね、手の豆が破けて血が出ようとも、打ち過ぎて一日に一回は弦を張替えなければならなくとも、弓を弾く手を休めるつもりはなかった。そうして気付けば赤城は加賀と共に一航戦として、英雄として名を馳せていた。南方敵海域への強行偵察を皮切りに、サーモン海域での一連の決戦、西方海域進出のための橋頭保の構築、北方での遊撃作戦、ピーコック島攻略作戦、そしてMI作戦にて艦隊旗艦を務めて、堂々の凱旋を果たした。第一航空戦隊「赤城」「加賀」の名は天にも昇る勢いで、その快進撃は誰にも止められなかった。

 

 二人は栄光の中に居た。

 赤城は姉の遺した弓を武器に、阿吽の呼吸の相棒を引き連れ、北はベーリングから南は珊瑚海、西はカレー洋から東はMI沖まで縦横無尽に走り尽し、行く先々で尽く深海棲艦を沈め続けた。

 後輩の世代が育ってくると赤城と加賀は今の鎮守府に配属され、そこでレミリアに出会う。

 

 不思議な少女提督は二人の間にするりと入り込んできた。謎めいていた彼女の存在が気になって、そしてそれ以上に惹き付けられた。何でも見通したような目。見た目相応に甲高く舌足らずなのに落ち着いた言葉を紡ぐ声。ちょっとした時に見せる魅惑的な笑み。

 何よりも赤城を彼女に夢中にさせたのは、そこに今は亡き姉の面影を見出したからかもしれない。

 容姿は全く似ていない。声も違う。背丈だってだいぶ差がある。

 それでもレミリアは姉であり、赤城は妹だった。

 

 

 ――でも、今はもう誰もいない。

 

 

 

 

 赤城の本当の姉は墓の中に入って久しい。

 

 赤城の無二の戦友は手の届かない深海の底だ。

 

 赤城の安寧たる提督は自らの手で永久に追い出した。

 

 

 一人残されたのは赤城だけ。大切な人はいつもこの両の手で引き留めようにも指の間からするりと抜けていく。元より最初から手など伸ばしていないのかもしれない。手も伸ばさずに赤城は求めるばかりなのかもしれない。

 

「赤城」と姉が、

 

「赤城さん」と加賀が、

 

「赤城」とレミリアが、

 

 名前を呼ぶのだ。

 

 

 彼女たちは未だ地を這うように進む赤城の前に立ち、皆優しげな微笑みを浮かべている。

 

 姉は懐かしい笑みを。

 

 加賀は引き攣ったような表情を。

 

 レミリアは子供のように無邪気な笑顔を。

 

 

 赤城の知っている三人の笑い。姉は大らかで淑やかだ。加賀は不器用だけど慈悲に溢れている。レミリアは愛らしくも気高い。

 それはもう見ることのない、戻ることのない光景。赤城の脳はそれを幻覚と自覚し、幻覚と知りながらも縋りつくように手を伸ばす。次こそはこの手から逃さないように。もう二度と大切な人と分かたれぬように。

 両腕を広げた。手を開いた拍子に持っていた弓と副砲が落ちて派手な音を立てた。

 三人の胸元に飛び込む。彼女たちの下に行けるなら、他の何をも捨てても構いやしない。そう思って、赤城は身を投げ出した。

 

 

 だが、したたかに顎を打って赤城の視界が激しく明滅する。痛みに悶絶して転がると、ようやく夢見心地から覚めた。

 空は赤黒く変色した宵の口で、見上げている間にも黒い艦載機が飛び交っている。赤城が転がっているのは第二庁舎の前を行く道であり、そこには当然姉も加賀もレミリアも居ない。

 所詮は幻。赤城の脳が見せた刹那の願望。

 結局、赤城は独りぼっちだった。誰も助けず、一人鎮守府のど真ん中で転がっている。敵からも味方からも見向きもされなくなったかつての一航戦なんて、ずいぶん皮肉が聞いているじゃないかと自嘲した。笑わなければ気がおかしくなりそうだった。

 

 赤城は緩慢な動作で立ち上がる。

 自分はどこに向かおうとしていたのだろう。弓や副砲を持って何をしようとしていたのだろう。

 取り合えず地面に落ちているそれを拾い上げ、赤城はまた一歩踏み出した。不思議なことに先程までの激痛のような熱は消えていて、身体はずいぶん楽になっていたし、お陰で足取りも軽かった。走る、という行為には至らないけれど、まともに歩行するには十分なくらい体力が回復していた。

 姉たちの幻影を見たからだろうか。歩けるようになったのは幸いだ。

 

 

 

 と、背後でガチャガチャと金属の擦れる音がして、赤城は振り返る。爆撃音や、それを迎撃する対空砲の射撃音で騒がしい鎮守府だが、人の気配を感じさせる音を耳にしたのは医官と別れてぶりだ。赤城は期待に胸を弾ませて振り返る。

 視界の真ん中。整備工廠に向かう二つの影が見えた。

 一つは巨大な主砲を携えた戦艦。もう一つはそれよりも幾分か小柄で、艤装もこじんまりとしている軽巡クラス。

 

“いけない”

“深海棲艦だわ”

“守備隊を突破してもう上陸して来たのね”

 

 思い立ったら即実行。赤城は副砲を構える。一応射撃訓練は受けているが、弓の射ほど砲の扱いに長けているわけではないし、狙ったところで真っ直ぐ弾が飛んで行くかも怪しい。それでも、今ここで弓を引くより副砲を撃った方が早いと判断した。

 出来るだけ狙いを付けたつもりだ。単装砲一門だけだから、戦艦と軽巡にまともに反撃されたら勝てない。でもここは海の上ではなく陸の上であり、赤城は自分の装甲には自信があった。それに、副砲でダメなら艦載機があるし、艦爆なら大抵の戦艦の装甲を引き裂ける。しかも幸運なことに相手はこちらに気付いておらず一目散に工廠を目指しているし、軽巡はともかく戦艦は守備隊の突破の際に深手を負ったのか、軽巡に支えられて歩くのもやっとの様子だった。

 

 今ならやれる。

 そう思って引き金を引いた。副砲は轟音を立てて火を噴き、弓を引いた時よりずっと強い振動が手首を襲う。砲艦はいつもこんな反動の強い物を撃っているのかと驚いた。

 もちろん、驚いたのは赤城だけではない。突如視野外からの砲撃を受けた敵二人も仰天したことだろう。敵は悪運が強いのか、あるいは単に赤城の射撃が下手糞だったのか、副砲の一撃はまったく的外れな場所に飛んで行き、驚かせる以上の効果を発揮しなかった。しかも、単装砲一門だけだ。次弾装填まで発砲は出来ない。

 だがそれでも十分だった。敵は大いに動揺し、軽巡は戦艦を半ば突き飛ばすようにして離した。

 闘志を見せたのは元気に動ける軽巡の方だ。手負いの戦艦から離れるように動き出し、工廠前から広場を突っ切って第一庁舎へ続く坂のたもとへ駆けていく。その坂には並木があって、軽巡からすれば身を隠せる遮蔽物が欲しかったのだろう、と赤城は予想した。

 反撃は動揺のあまり来ない。好都合だった。

 次弾装填が済むとすぐに赤城は二発目を放った。二発目は軽巡の背後に着弾して地面を派手に吹き飛ばす。衝撃波で後ろから突き飛ばされる格好となった軽巡は地面を転がり、勢いそのままに並木の一つに身を隠す。木々の間にはツツジの茂みもあり、茂みに隠れながら木と木の間を移動することだって可能だ。

 

 逃すつもりはない。赤城は走って軽巡を追い掛ける。

 三発目が装填されると、軽巡が逃げ込んだ杉の木の根元に打ち込む。さすがに距離が近いので外すことはなく、杉の木は派手に吹き飛んで盛大に枝を鳴らしながら地面に倒れてしまった。葉と枝の破片が宙を舞う中、赤城は軽巡が隠れたであろう茂みの向こう側を覗き込んだ。

 果たして軽巡はそこに居た。彼女は先程の着弾の衝撃で地面に叩きつけられ、未だその衝撃から復帰出来ていなかったのだ。

 赤城は軽巡に止めを刺すべく、目の前に立って副砲を構える。それを見た軽巡は後ずさるが、逃げられないのは火を見るよりも明らか。

 

 

 

 

 

「待って! 赤城さん!!」

 

 聞き慣れた声がした。よく見ると、赤城が必死で追っていたのは軽巡の川内だった。

 彼女は慌てたように「待って! 待って!」と叫んでいた。

 

「……川内、さん?」

「そ、そうだよ。川内だよ!」

「どうしてここに? 深海棲艦はどうしたの?」

「待って! まずは落ち着こう。赤城さん、ゆっくり深呼吸して」

「川内さん、私は……」

 

 赤城はゆっくりと自分の手元を見下ろした。

 

 そこには副砲がある。だが、見知った20㎝単装砲ではない。

 

 おかしい。自分はサブ兵装の20㎝単装砲を持ち出して来たはずだ。持っている物は、単装砲であるのは間違いないが、20㎝単装砲とは違う形の、しかしどこか別のところで見たことがあるような形状の武器だった。端的に言えば、深海棲艦がよく持っているような黒い有機的な形をした無機物の砲塔だった。

 それだけではない。副砲を構える左手も上腕の半分までが黒く、ところどころに赤いひび割れが走った装甲に覆われていた。もっと見下ろすと、足にも似たような装甲が張り付いていた。

 

 

「何……これ……」

 

 

 これは。これはまるで!

 

 

 開いた口から音を立てて空気が漏れる。心臓が早鐘のようになり、全身の産毛が総毛立つ。

 

「い、いやああああああああッ!!」

 

 絹を裂くような悲鳴を上げて、赤城は無我夢中で駆け出していた。

 

 

 

 

 

 


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