まず、副砲という選択肢が思い浮かんだので、「赤城」は瓦礫の上の少女に砲を向けた。
装填済み。一拍子も置く間もなく引き金を引けば相手は瓦礫ごと吹き飛んで夜空に消えるはずだった。“はずだった”というのは、実際にそうはならなかったという意味で、気付けば「赤城」の目の前に白い帽子があった。
認知することさえ不可能な速度。もちろん、防御の構えも何もあったものじゃない。腹に衝撃があったかと思えば、すっかり霧で紅くなった夜空を飛んでいる。不気味な浮遊感と衝撃に胃がひっくり返そうになった。遥か後方に突き飛ばされる格好で「赤城」の身体は放物線を描き、そして地面に叩き付けられて転がる。
墜落した衝撃で全身を打ち付けたせいで激痛に呻くことになった。手足にまったく力が入らず、芋虫のようにその場でのそのそともがくしかない。
当然それだけで済むはずがなく、すぐ近くに着弾があったような地響きがして「赤城」の身体がわずかに跳ねた。
あり得ないことの連続と、急転直下に目まぐるしく変化する状況に頭がついていかない。たった今まで自分は第一庁舎前の庭に居たはずなのに、ここはそこから数百メートルは離れている「硫黄島」用の桟橋だった。周辺は桟橋らしく一面にコンクリートを分厚く張ってあり、それが墜落時の衝撃を余計に強める方向に働いたらしく、相当数の骨が折れたと思われる。身体が言うことを聞かない。
意志の力でやっとこさ顔を上げて地響きのした方を見ると、足をコンクリートにのめり込ませている少女の姿があった。彼女は大業そうに片足ずつコンクリートから引き抜くと、パンパンと軽くスカートを叩いた。
この場にも、直前の圧倒的な暴力にも似合わわない、可愛らしい動作だ。整った顔立ちは「赤城」の見知ったものだったが、その背中から左右に自然なしなやかさで広げられた黒い蝙蝠のような翼を見るのは初めてだった。それが彼女が愛らしい容姿をしていながら人とはかけ離れた存在であることを如実に示している。
化け物め!!
口の中だけ悪態を吐き、「赤城」は身体の修復に専念する。不思議なことに今のこの体内には修復機能が備わっているらしく、本能的に治癒を意識するだけで全身の痛みが引いていき、砕けた骨が癒着するのが分かった。前者はともかく、後者は何となく頭の中でそんなイメージが思い浮かんだだけのことなのだが、全く根拠もない妄想というわけでもないだろう。
ただ、肝心なのは回復しつつあるという事実を目の前の少女に悟られてはならないということ。幸いにして、信じられないほど油断や慢心にまみれた様子で彼女は気持ち良さそうに、声高らかに喋り出した。
「私の住処でのルールでは、技に名前をつけて繰り出す時に宣言しなければならないわ。『命名決闘法』。今宵はその遊びにしましょう」
見た目相応の、幼い女児が友達を遊戯に誘う時のような舌足らずな声と屈託のない笑顔。彼女はこれからのことが楽しみで仕方がないといった様子で、心中の感情がそのまま一切手を加えられることなく顔に出ている。
遊びか。と呟いて、「赤城」は艶やかな唇を歪める。
いくら何でも「赤城」を舐め過ぎだ。一航戦がどういうものか、その身を以って少女は思い知ることになるだろう。膨大な数の艦載機を同時にコントロールする力というのが、どれほどの暴力であるかを彼女は知らない。街の攻撃に専念していた「赤城」と、そしてこの深海棲艦たちの親玉の“子供たち”は今頃次から次へと翼を翻して鎮守府に戻って来ていることだろう。その上、あの賢い旗艦ならさらに増援も発艦させているかもしれない。圧倒的な物量を以って一気に総てを叩き潰す。それこそが空母の力だ。
ただそれまで少女をこの場に釘付けにしておかなければならない。なんなら、ある程度攻撃して力を削いでおくべきだろう。
故に、回復の終わった「赤城」は立ち上がる。立ち上がりながら艤装の副砲を全て少女に向け、躊躇することなく全力で砲撃を叩き込んだ。
激しい砲爆音が鳴り響き、少女の立っていたその場所を砲弾が抉る。コンクリートの破片が飛び散り、その内の幾つかは「赤城」まで飛んで来て顔や艤装に当たっては弾かれていた。「赤城」はそんなものなど気にも留めず、三回ほど連続射撃を同じ場所に撃ち続けてから砲門を一旦閉じた。
辺りには濛々と土煙が立ち込め、遥か空中に舞い上げられた破片がパラパラと音を立てて降って来る。
「赤城」はあくまで空母であるから、戦艦のような強力な砲火力を投射することは出来ない。現に今携えている副砲だって、それは副砲とカテゴライズされる類の中口径砲で、威力も大口径の戦艦主砲とは比べるべくもない。しかし、そうは言っても全六門の中口径砲が一斉に、それも三度火を噴いたのだ。合計十八発の砲弾があの少女をコンクリートの地面諸共耕しただろう。
艦載機を呼び戻すまでもなかった。自衛用のサブ兵装でも何とかなった。破壊の化身となった今の「赤城」には立ち塞がる総てを打ち砕く力があるのだ。
乾いた笑い声が乾いた空気と共に口から漏れる。背後から重そうな物を引き摺る音と金属同士がぶつかり合う音がしたので振り返ると、先程の砲撃を聞きつけたのか、深海棲艦たちが集まって来ていた。どいつもこいつも黄色や赤のオーラを纏い、それが薄暗い中でぼんやりと光っている。中には青色のものを纏っている者も居た。深海棲艦たちはもちろん「赤城」に敵意を見せることなく、立ち込める土煙と空母を遠巻きに眺めているだけだった。大方、鎮守府内の抵抗勢力を排除して手持無沙汰になったのだろう。
そう言えば、と「赤城」は空を見上げる。
日が沈んでだいぶ経つが、夜中にしては辺りは明るかった。普通ならシルエットしか見えないだろう、崩れた建物や倒れた埠頭沿いのガントリークレーンの姿がはっきりと見える。異様に巨大な月を除いても空は明るすぎて、その原因というのが見上げて分かった。霧が、空を覆う霧それ自体が、薄ぼんやりと発光しているのだ。
そう。霧はまだそこにあった。消えてなどいなかった。
ハッとする。
油断も慢心も、「赤城」が何より気を付けていたことじゃないか。
副砲に再装填し、土煙の向こうに照準を合わせる。「赤城」の目の前で視界を遮っていたそれがどこからともなく吹いて来た風によって飛ばされ、視界が晴れていく。そこに白いドレス姿の少女が再び姿を見せたなら、もう一度、今度は弾が尽きるまで撃ち込んでやろう。
だが、「赤城」の予想に反して土煙の向こうには何もなかった。いや、正確には何もなくなってしまったと言うべきか。もちろんそれは砲撃の結果としては妥当なもので、あれだけの砲弾の嵐を生き延びられる存在などありはしないのは当然。死体が残らなくても何もおかしいことではない。実際、硬いコンクリートの地面には幾つもの破孔が穿たれている。
気にし過ぎだ。「赤城」は過敏に反応した自分を諫める。風が吹いたのも偶然。というか自然。夜に海から風が吹くことなんて毎日のことじゃないか。
別に何もおかしいことなどありはしない。いくらあの少女が強大な力を持っていようとも、あれだけの砲撃を避けたりあるいは耐えたりすることが出来るはずがない。ましてや、“蝙蝠”が生き延びたりするだろうか?
「は……?」
蝙蝠?
疑念が生まれる。何故そこに、と思う前に、その蝙蝠が笑ったのを見た。少なくとも、「赤城」の目には蝙蝠は笑ったように見えた。
黒い塊が、クレーターの上に集まる。キーキーと甲高く耳障りな鳴き声と、鳥肌が立つような気味の悪い無数の羽ばたき音が木霊し、どこからともなく現れた無数の蝙蝠たちがその場でとぐろを巻くように集まり、すぐに一つに戻っていく。
「『うちーかた、はじめっ!』って言わなきゃだめでしょ!」
そこに現れたのは、先程と何一つ変わらぬ白いドレス姿の少女。楽し気に嗤う仕草も、愉悦に浸った声音も、何一つ砲撃前と変わらない。
あれだけの砲撃を食らって、どうして傷一つないのだろう。まさか、あの蝙蝠たちに化けていたとでも言うのか。
なんで? という問いが胸の内で爆発する。引き金を引こうと指に力を込めたところで、まったくそれが為せないことに気付いた。
少女から目を逸らせない。指が、否、指だけでなく全身が震えてまるで言うことを聞かないことを認識する。不随意運動のように「赤城」の意思とは関係なく、小刻みに震えているだけだ。
少女は大きく口を開けた。唇を釣り上げて上下の歯を見せつけるような変わった口の開け方。意図は明白で、人間で言えば犬歯に当たる鋭く尖った三角形の歯を見せびらかしたのだ。犬歯と言うには他の歯に比して大き過ぎ、どちらかと言えば牙のようなそれ。
それで、彼女が何者かということを再認識する。
あの戦艦はロザリオを掲げながら叫んだ。英国の古い伝承には人の喉笛を掻っ切ったと書いてあった。
少女は人ではなく、少女の形をした化け物――吸血鬼だ。首筋に噛み付いて人間の生き血を啜るという。病人のように白い肌と、大の男の犬歯より大きい牙を持つ。岩をも砕く膂力と、大陸を一晩で駆け抜ける速力。ひと声吠えれば悪魔の軍勢が傅く化け物の中の化け物。悪魔中の悪魔。それ則ち怪異の王。
だが一方で、有名な存在である分その弱点も広く知れ渡っていた。現に「赤城」もすぐに思い出せたくらいだ。
まず、日光に弱い。しかし今は夜であり、日の出はまだまだ先。
白い杭で心臓を貫かれれば死ぬ。死ぬかは分からないが、杭の代わりになる物ならいくらでも見繕える。
さらに、大蒜を嫌い、聖水を浴びせられると体が溶けるという。
これだけ弱点があるのだし、圧倒的な攻撃をぶつければ正面からの力押しで勝てるかもしれない。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。相手は人外の化け物だが、こちらにはまだまだ味方となる深海棲艦が後ろに控えているし、「赤城」と艦隊旗艦の主戦力たる艦載機隊だって向かって来ている最中だ。何も手が打てなくなったわけではないし、やりようはいくらでもあるはず。
吸血鬼が蝙蝠に化けて攻撃をやり過ごそうというなら、それすら許さぬ大火力と飽和攻撃で制圧してしまえばいい。物量はこちらが圧倒的に上なのだ。数に物を言わせて力づくで押し潰してしまえば如何に強大な存在であろうとも灰燼に成り果てるしかないだろう。
ただ、「赤城」が次の一手を打つ前に、背後に控え兵装を構える深海棲艦たちに号令を下す前に、吸血鬼はおもむろに右手の親指を自分の口元に持って行くと、空気に晒していた犬歯もとい牙に指の腹を押し付け、一気に引いた。
突然の奇行に「赤城」が目を瞬かせていると、彼女は切った親指の第一関節を人差し指で押す。すると指の腹にぷっくりとした血の球が浮かんだ。少女が指の腹を下に向けると、少しずつ溢れ出ていた血が重力を支えきれずに雫となって地面に落ちる。
「宣言することが大事。こうやってね」
血の雫が地面に落ちた瞬間、少女の足元を中心に幾何学図形が回転しながら展開される。地上絵のように地面に描かれたそれは何かの規則性に支配された同心円状の複雑な模様で、線が赤く発光している。巨大な魔法陣のようだ。魔法陣は少女と「赤城」の周囲だけではなく、建物や瓦礫の下に潜り込むように広がっていて、障害物より先にも展開されているようだった。
あまりに常軌を逸脱した光景に目を剥く。またもや何か恐ろしいことが始まろうとしているのではないか。頭の中でけたたましく警報が鳴り響くが、最早何をするにも手遅れであることは明白で、「赤城」にはただ見ていることしか出来なかった。
自分が無力であることを感じ始めた空母を前にして、幼い吸血鬼は酷く嗜虐的な笑みを浮かべつつ技名を宣言する。
「必殺『ハートブレイク』」
****
木曾たちが最終的に行き着いたのは警備隊の事務所がある建物だった。既に警備隊の姿はなく、彼らは退却したか逃げたのだろう。そうでなければどこかで死体になっているはずだった。ここを過ぎればすぐ後ろには裏門があり、裏門の外は住宅街である。すなわち、ここを突破されればもう後がないという場所だった。そんな場所に陣取って、しかも押され気味で突破されそうになっているというのが、木曾たちの置かれている状況だった。
弾薬庫からここまで来るまでに二人死んだ。五人が負傷し、その内の一人に木曾自身が含まれている。至近弾となって着弾した砲弾の破片が左腕に突き刺さったのだ。幸いにして艦娘である木曾は簡単な応急処置だけですぐに動けるようになったが、同じ攻撃で二人がバラバラに吹き飛ばされて他に四人が身体が欠損するような酷い怪我を負った。
弾薬庫で合流した時にはまだ十人以上居た陸戦隊も、まともに戦えるのはもう四、五人だけになっている。それに木曾と曙、潮を加えた人数が実質的な戦力だった。
艦娘と同じく深海棲艦の一撃は艦砲のそれと同程度の破壊力を持つ。いつ建物ごと吹き飛ばされるか分からない状況で、かろうじて残っている曙と潮の主砲を頼りに、近付く深海棲艦を一隻一隻狙撃して撃破しているのが精一杯だ。対戦車ロケット砲や重機関銃、迫撃砲など、使えそうな物はひと通り弾薬庫から持ち出して来たが、こうした対人間用の兵器というのは深海棲艦に対して非常に限定的な効果しか発揮しない。何しろ連中は“軍艦”なのだ。巨大な鋼鉄の船が人間大に小さくなり、手足が生えて動き回れるようになったのが深海棲艦であり、艦娘である。小さくなったからと言って別に装甲が脆くなったわけでもない。
ましてやここは沈むことのない陸の上。完全撃破以外に止める手段はない。
木曾は陸戦隊の隊長と曙を引き連れ、警備隊の建物から少し離れた木立に身を隠していた。建物と木立からの射線が交差する点、裏門へと続く道の上がキルゾーンだ。のこのこと進んで来た深海棲艦を正面と側面から挟撃し、手早く撃破する。
隊長は指揮を、曙が主たる火力である10㎝高角砲を持ち、木曾が火炎瓶や通常兵器でそれを支援する。特に火炎瓶はよく効いて、深海棲艦は存外火に弱く、着火するとあたふたと逃げ回り始める。そこを曙の主砲で的確に撃ち抜いていくのだ。交戦距離が海上より遥かに短くなる陸上では、普段から数キロ先の豆粒みたいな大きさの的に弾を撃ち込んでいる艦娘にとって、命中弾を与えるのは非常に楽な仕事だった。地面は波打たないし、敵も海の上を航行するのに比べれば止まっているようなものだ。ましてや深海棲艦を狩るのに慣れた曙にとっては、陸の上を這いまわるだけの敵を撃つのは造作もないことだろう。
撃っては移動を繰り返す。上陸した深海棲艦は鎮守府全体に拡散しているようで、裏門に来るのはそれ程多くない。だからと言って正門やあるいは他の場所へ向かった敵を追撃するだけの戦力はなく、最も住宅街と中心街に近い裏門だけは死守せんと戦っているのだ。時折遠くで戦艦の大口径主砲が砲火を噴く轟音が聞こえて来たので、敵かあるいは金剛が戦っているのだろう。
もちろんすべての敵を撃破することは不可能だ。死体に出来たのは軽巡や駆逐艦ばかりであり、より頑強な重巡や戦艦とは戦っていなかった。今来ているのは恐らく先遣として上陸した部隊だろう。この後本隊である主力艦が来ることは目に見えていた。しかし、木曾たちには戦艦の装甲を撃ち抜くすべがない。
せめて金剛が居ればと歯噛みするが、ないものねだりをしても仕方がなかった。それどころか彼女は生きているのかすら怪しく、時折聞こえる大口径砲の砲音が彼女のものであることを祈るばかりである。
「漣! 漣!」
木曾は持って来たトランシーバーに呼び掛けた。陸戦隊から借りた物で、警備隊の建物の傍に居る漣たちとの連絡用だ。
「救援部隊はどうだ?」
幸いにして警備隊の事務所の中には長距離無線があり、それはまだ健在だった。鎮守府自体の通信所は爆撃で破壊されてしまったが、警備隊が独立した無線を持っていたのでそれを使って中央と連絡を取ろうと負傷した陸戦隊員が動いてくれたのだ。彼らは銃を持って戦えなくなったが、動ける者はこうして支援に回ってくれている。
鎮守府への敵襲の一報はあっただろうが、海軍本部もその後の状況は把握していなかったはず。何しろ早々に通信所が潰されてしまったのだから。
「さっき連絡取れたよ。こっちに向かってるけどまだ時間が掛かりそうだって」
「どれくらいだ? あとどれくらいで来てくれるんだ!?」
「……二時間は見積もった方がいいかも」
ふざけんな! という罵声が口をついて出そうになった。漣相手に怒鳴り散らしても彼女が悪いわけではないので気分を悪くさせるだけだと思い止まる。それでも胸の内に一度沸き上がった感情を出さずにはいられず、木曾はその場に唾を吐き捨てた。
二時間! とても持ちこたえられるはずがない。そんな悠長なことを言っていたら、救援が来た時には木曾たちはとっくに肉塊に変わり果てているだろう。
中央の反応が思ったより鈍い。状況が混迷しているのを含めても、対応が遅いと思わずにはいられなかった。しかし、彼らを批判してもどうにもならないのも現実。気を取り直して木曾は考えをまとめる。
今優先すべきことは生存だ。生き残ることだ。
どうせ玉砕したところで敵には大して打撃を与えられないだろう。それならば、嫌らしくしぶとく粘って少しでも敵の注意を街から自分たちに引き付けておくべき。そのためには生き延びていることが大前提だ。
「どれくらいだって?」
木曾が無線交信を終えたのを見計らって隊長が尋ねて来た。「二時間だそうだ」と正直に言うと、彼も顔を顰めた。
「そんなに保てない」
「言っても仕方がねえ。出来るだけ粘るしかないだろう」
吐き捨てるように言ってから、すぐに木曾は人差し指を口元に当てた。
警備隊から南東の、教育隊の兵舎があった場所。兵舎自体はとっくに瓦礫の山だが、身を隠し伏撃するにはもってこいの場所だった。警備隊の事務所との間に深海棲艦が現れたのだ。ヘ級と見られる軽巡とロ級の後期型らしき足の生えた駆逐艦。歪な黒い塊に人の上半身と両腕が合体したような軽巡と、大きなイタチザメに人間の両足がそのまま付け足されたような気味の悪い外観の駆逐艦のツーペアだ。どちらも海の上ではすばしっこい厄介な敵だが、陸の上ではびっくりするくらい動きが鈍い。見た目は悪いが処理は楽な相手。深海棲艦は人型に近付くほど強くなる傾向があるので、異形の連中と言うのはすなわち雑魚連中である。
隊長が無反動砲を担いで瓦礫の山を下っていく。武器は海外の特殊部隊でも隊員たちが「誰が撃つか」で喧嘩するという一物。みんな大好きカールグスタフさんだ。
彼が瓦礫の山の影でポジションに着くのを確認すると、木曾は手を振って隊長に合図を送り、火炎瓶に着火する。カールグスタフ無反動砲が爆音を立て、ロケットと言うより小型の大砲と呼ぶにふさわしい威力で軽巡と駆逐艦の間に着弾した。派手な土煙が立ち上がるが、二隻がよろめく程度の被害しか受けていないのを木曾はその目で確認した。だからこそ、これは足止めにしかならないし、そしてそれで十分だった。
軽巡と駆逐艦の目が(あるならば、の話だが)隊長の隠れていた瓦礫の影を向く。彼はその前に走って逃げ出していた。
気を取られた一瞬。木曾が投擲した火炎瓶が縦に回転しながら放物線を描き、駆逐艦の頭に当たる。刹那、ロ級は火に包まれ、悍ましい雄叫びを上げた。同時に軽巡の頭を10㎝砲弾が撃ち抜き、瞬く間に二隻が無力化される。
「一丁上がり」
木曾は僚艦に笑い掛けて親指を立てる。だが、曙は踵を返すとひどく慌てた表情で瓦礫の山から飛び降りた。
「逃げて!!」
その叫びに何かを思う前に身体が動く。直後、背後から爆圧を受けて木曾は綺麗に宙を舞って地面に叩き付けられた。受け身を取りつつ身体を転がして衝撃を和らげられたのは日ごろの訓練の賜物だろう。それでも、全身を芯まで貫いた痛みに呻き声が漏れた。
仲間が居たのだ。
偶々か、あるいは罠だったのか。深海棲艦は他にも居たのだ。
「畜生!」
悪態を吐きながら立ち上がる。周りを見ると着弾の衝撃で木曾と同じく吹き飛ばされた曙と隊長が同じく立ち上がり掛けているところだった。二人ともさほどダメージは受けていないのだろう。だが、先程まで自分たちが居た瓦礫の山の上に現れた存在を見て、また木曾は「畜生!」と吐き捨てた。
重巡だ。ネ級だ。
強力な人型深海棲艦。見た目は人間の女性と大差なく、片側だけ伸ばしたアシンメトリーな白い髪の毛に片目が隠され、露出したもう片方には青白い光が灯っている。最大の特徴は、全身を覆う衣服のような装甲から尻尾のように生えた艤装で、先端が二股に分かれ、それぞれに三連装の中口径砲が備えられている。首の付け根から口元までを覆うマスクのような装甲板と長い前髪に隠れ、その表情はほとんど伺えない。ただ覗く左目だけが冷淡な光を宿したまま三人を見下ろしていた。
“色なし”のノーマルクラスのネ級だが、完全な人間体であることが示す通り、艦娘の間ではとりわけ危険な深海棲艦として認知されている。
中口径砲ではなかなか貫けない堅牢な装甲に、戦艦に比肩する強力な主砲、何より快速な小型艦に匹敵する機動力とそれに起因する回避力の高さ。走攻守にバランス良く優れた手ごわい相手である。その足の速さは陸地の上と言うこともあって多少削がれるだろうが、攻撃力と防御力は何ら変わることはない。駆逐艦主砲だけではまず撃破など望むべくもない相手だった。
ここまでか。
自慢の魚雷があれば沈めるのはそんなに難しい相手ではないが、陸地の上では雷撃不可能だし、そもそも魚雷はもう手元にない。艦娘の武器と言えば曙の10㎝高角砲が一基のみ。徹甲弾もないのではネ級には勝つ手段がない。
それは相手も分かっているようで、蛇が獲物を狙うように尻尾の主砲がゆっくりと鎌首をもたげ、合計六門の砲口を三人に向ける。
「くたばれ×××!!」
大声で口汚く罵りながら中指を立てた。ネ級は表情一つ変えない。
が、突然響いた轟音にその体が瓦礫の上になぎ倒される。
連続する砲音。ネ級の周囲の瓦礫が爆発し、高々と空に舞い上がる。「撃ち込め!」と木曾が叫んだ時にはもう曙の主砲も火を噴いていた。
初めにネ級を撃ったのは、しかし曙ではない。明らかに別の方向からの砲撃だった。
「まだ生きてる!!」
後ろの方から聞き慣れた叫び声が聞こえて、木曾は思わず笑みを零してしまった。そして振り返らずに、立ち込めた土煙に身を隠しながらネ級の立っていた瓦礫の山に肉薄する。
果たして叫び声の言う通り、煙の向こうに薄っすらと映る敵の影を認めた。そこに向かって残っていた火炎瓶を全力で投げつける。これが手持ちでは最後の一本だったが、外した感触はなかった。実際、火炎瓶は見事煙の向こうのネ級に直撃する。
だが相手は駆逐艦のように簡単にはやられてくれない。火に包まれながらもネ級は瓦礫を駆け下って来た。木曾は慌てて逃げるが、不思議と艤装を背負ったままのネ級の方が足が速い。
主砲にダメージがあったのか発砲されなかったのは運が良かった。その上木曾はさらにツイていて、丁度なりふり構わず煙の中から姿を晒した格好になったネ級は自ら狙いやすい的になった。
燃えていたのだ。照準を着けるのに苦労はなかっただろう。間もなく集中砲火を浴び、しかしそれでも堅牢な装甲を撃ち抜くことは叶わない。ただし、足止めにはなったし、致命的な時間の浪費を強いることには成功した。
突然、爆音がしてネ級の身体が四散、バラバラに吹き飛んだ胴体や艤装の破片が辺りに飛び散った。古今東西、火の手が弾薬庫に回り、爆沈した船の例は枚挙にいとまがない。小さくなって燃えるネ級の残骸を見下ろし、木曾はほっと息を吐いてからやって来た軽巡に振り返った。
「助かった」
「後でタスポ貸して。どっかで落としちゃった」
「持ってねーっつうの! もうとっくに返却済みだわ!」
そうなのだ。木曾もかつては喫煙者だったが、一昨年禁煙に成功して以来一本も吸っていない。言葉通りタスポも返却済みだった。
顔を見ると、彼女は酷い有様で全身血まみれだ。最早自分の容姿に気を払う余裕すらないのか、口の端から血が混じった唾液が糸を引いて垂れている。鼻血は出ているし、足からの出血も酷い。というより今の彼女の表皮で血に濡れていない場所を探す方が難しい。髪も山姥みたいにぼさぼさだ。
満身創痍になりながらも、しかし軽巡は元気そうな様子で、自分の要求が一蹴されると唇を尖らせた。戦闘の緊張感にそぐわない態度。今がどういう状況か分からぬ川内ではないから、いたく余裕のある様子に木曾は眉を顰めた。
「コンビニやってないでしょ? 街の人はみんな避難しちゃってるでしょ」
「自販機動かす電気だって通ってるか怪しいぞ。っていうか、余裕綽々だな」
「ん。まあね」
川内は得意気に笑う。彼女は上機嫌で、そしてとても興奮しているようだ。あまりにも過酷な状況に、脳内麻薬が垂れ流しになって理性の回路がショートしてしまっているらしい。
「そんなことは後さ。他の子たちは?」
「警備隊のところに。手持ちがなくなったし、一旦退却する」
「オーケー」
鼻歌でも歌い出しそうな川内は口の悪い曙に「気味悪い」と罵られようが気にしていない様子だった。
四人は走って警備隊の建物まで戻り、そこで建物に隠れていた潮と再会した。隣には漣と残っていた陸戦隊員たちが控えていた。
「川内さん!!」
潮が強張っていた表情を崩して目を潤ませる。
「みんな元気……そうじゃないね」
そこには負傷した兵士も居る。さすがに川内も察して声のトーンを落とした。
「取り合えず、情報交換しよう」
と切り出してから、彼女は手短に別れてから見聞きしたことを語った。
それによると、深海棲艦化した赤城に襲われ、金剛と別れた川内は艦娘寮に一旦避難し、そこから敵の合間を縫って弾薬庫までたどり着いたのだという。すると、どこからどう先回りして来たのか、ばったり金剛と出くわしたらしい。金剛が持って来た高速修復材の残りを浴びた川内は、急いで補給を行い、また彼女と別れたのだという。金剛は水際で上陸を阻止するために海の方に向かったとのことだ。先程から時折響いていた大口径主砲の轟音はやはり彼女のものであったらしい。
一方の川内も隠れつつ戦闘音がした裏門に向かい、そこで丁度ネ級に襲われていた木曾たちを見つけることになったようだった。軽巡によれば、鎮守府の中に散らばった深海棲艦の数はそれ程多くないようで、その内のほとんどが正門に向かうか埠頭の方に向かっていたという。
「案外、もう連中は街まで到達しているかもしれないな」
海岸線沿いに伸びた鎮守府は正門と裏門の間の距離はそこそこあって、正門はどちらかと言えば郊外に近い場所に位置していた。だからこそ、木曾たちは中心街に近接する裏門の守備に回ったのであり、必然正門には防御線が張られることはなくなったのだった。
「こっちの方はあんまり来てないみたいだね。正門か、後は大体金剛さんが引き付けてくれているよ」
「それよ! 金剛さん一人にするわけにいかないでしょ」
曙が半分非難の混じった声で川内を問い詰めると、軽巡は相変わらずの飄々とした様子でそれを受け流した。
「大丈夫じゃないかな? あの人、変にテンション高かったし」
「はあ? ナニソレ」
「うるさいくらいだったよ。早口で英語を捲し立てるから何言ってるか分かんなかったし。言うだけ言って補給したら工廠の方に走って行った。だからもう好きにさせとくことにしたんだ」
そう言って川内は肩をすくめる。何一つ要領の得ない説明だった。
「よく分からんが」
これ以上詳しく聞いても、川内自身が金剛の様子についてあまり理解しているようではないので埒が明かないと判断した木曾は、話を取りまとめに掛かった。
「金剛さんはとりあえず後回しだ。こちらから伝えられることと言えば、中央からの救援があと二時間もしないと来ないことくらいだ」
すると川内はまた不敵な笑みを浮かべる。謎と言えば、彼女の妙な自信も謎だった。
「必要ないね。それまでには片が付くよ」
「あ? どういう意味だ?」
「空を見なよ。ほら」
と言って川内は指を立てた。つられて木曾も空を見上げて、ようやく異様な光景が広がっていることに気付いた。
空が紅い。赤潮が浮いているかのように紅い。よくよく見ると、夜空がそういう色に変化しているのではなく、天幕と地上の間に紅の霧のようなものが広がっているのだと分かった。
こんな現象は見たことがない。ただ、一つだけ心当たりと言うか、予想出来ることがあった。それが正しいなら、川内の様子も説明がつく。
「まさか……」
「そのまさか、さ! お嬢様が戻って来たんだよ!」
「おい、冗談だろ!!」
木曾は笑おうとして、うまく笑えなかった。川内がとても伊達や酔狂で言っているわけじゃないと分かっていたからだ。
周りを見渡せば曙も漣も潮も、隊長や陸戦隊員たちも信じがたいような顔をしている。
「性質が悪いぜ」
木曾は首を振った。
あの少女提督がどうやら“人ではないナニカ”だったらしいというのは聞き知っているところだが、こんな不気味な現象を引き起こしてしまえるような存在なのだろうか。にわかには信じがたく、では戻って来た彼女はどこに居るのだろうかとその姿を探して辺りを見回すとまったく別のものを見付けてしまった。
「おい、冗談だろ……」
もう一度木曾は同じことを口にする。
先程ネ級を撃破した兵舎の瓦礫の影から、のっそりと姿を現した人型を見る。重そうな砲盾を杖のように歩くに合わせて交互に前へ突き出してこちらに向かって来る黒い女。全身に金色のオーラを纏い、左目だけが青い炎を噴き上げている。さらにその後ろから、同じく金色の個体、赤色の個体が続く。
ル級たちはあまり素早く動けないようで、砲盾を引き摺るようにゆっくりと歩み寄って来る。
「川内! おい! 呼べよ! レミリアの奴を呼べよッ!」
木曾は無我夢中で叫んだ。視界の端で潮が漣を引き摺って建物から離れようとしている。
「『助けて』って!! なあッ!!」
先頭を行くル級改が砲盾を地面に突き立て、砲口をはっきりと木曾に向けた。
それが合図。全員がその場から離れようと、ある者は建物の影へ、ある者は建物から離れて。木曾は離れる方を選んだ。
耳をつんざく轟音。衝撃波に薙ぎ払われ、何度も身体を地面に叩き付けられる。視界が激しく明滅し、間近で響いた破裂音に麻痺した耳が痛みを発した。
受け身も取れずにいた木曾は衝撃から復帰出来なかった。ただ、自分が転がった地面が赤く、ぼんやりと光るのを認識する。それが何かだなんて、多分きっと普通の状態でも想像つかなかっただろうし、ましてや砲撃を受けて頭がまともに働いていない状態ではただ視覚情報を脳に仕入れるくらいしか出来ることがなかった。とにかく地面が光っていて、次に迫り来るル級たちの存在を思い出してその様子を伺った時、深海棲艦が立っていた場所に地面と同じ色に光る“柱”が代わりに立っていたことを見ただけだ。
衝撃と、常軌を逸脱した光景に、目の前の現実を受け入れられない。爆圧を受けたせいで網膜がおかしくなってしまったのかと思った。誰かに尋ねようにも近くに誰が居るか分からなかったし、耳が聞こえないので喋れなかった。
ただ、見間違いでなければだが。どうやらさっきまでゆっくりと歩いていたル級三体は、地面から生えた紅く光る槍に串刺しにされているようだ。
おい、冗談だろ!! と言おうとして、口から漏れたのは乾いた空気だけ。
深海棲艦は地面から突き上げられた槍に刺し貫かれ、その死骸が墓標のように立ち並んでいる。
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親友たる大魔女の魔法陣展開法を参考に、瞬時に複数の標的に照準を定めて得意の“妖力の槍”で穿つ魔法。初めての試みで、固有の技名も付けていないから便宜上既存の技名を流用したが、中々上手に決まったようだ。赤城の応援に駆け付けた深海棲艦も、鎮守府の中をうろついていた深海棲艦も、陸に足を着けた者は全て照準し、一匹残らず槍で貫いた。一発で成功させられるとは、我ながら戦闘センスはずば抜けていると自賛してみる。おかげで鎮守府の至る所で、かつて串刺し公ヴラド・ツェペシュがオスマン兵の死体を街道沿いに並べた時の光景が再現されていることだろう。
初めての技の出来に満足しつつ、レミリアは目の前で立ったまま震えている空母に目を向ける。大人しそうな顔をして彼女はかなり太い肝っ玉の持ち主だ。これだけの光景を目の当たりにしても腰を抜かしていないなら、十分及第点と言えよう。あるいは、あまりに現実離れし過ぎて受け入れ切れていないだけかもしれない。
だが、いずれにしろ自分から逸らされない視線の中に気丈さを見出すと、吸血鬼は満足気に鼻を鳴らした。彼女の心はまだ折れていないし、手札も残っている。
「夜ノ王」
どこか遠くから、それでいて耳元で囁かれているような奇妙なエコーの掛かった声がレミリアを呼んだ。ああこれは、と思い出してまた鼻を鳴らした。今度は不愉快であることを表して。
「夜ノ王」もう一度深海棲艦が呼ぶ。
「我ラノ目的ハ、ソノ娘ダ。大人シク引キ渡シテクレレバ何モシナイ」
音源の特定出来ない声は思いの外気持ち悪さを残す。実際に話し掛けてきている深海棲艦の居場所はこの鎮守府の港よりもずっと離れた場所だろう。安全な場所から高見の見物を決め込み、「大人しくすれば何もしない」なんて高慢ちきな戯言を嘯く輩は大変気に食わない存在だ。取引を持ち掛けたいならせめて面と向かって話せ、と言いたい。
上空には、レミリアが霧で覆ったその上には無数の艦載機が飛び交っている。姿は紅霧に阻まれて直接は見えないが、プロペラ音とは違う独特の風切り音が幾重にも重なって辺り一帯に響いていた。中には赤城が発艦させたものも含まれているだろうが、音に聞くだけでも相当数が飛んでいると思われるので、これだけの数の艦載機を操れるのは空母系のかなりハイグレードな深海棲艦に限られるだろう。提督“だった”頃、中部太平洋戦線において深海棲艦の脅威の一つの核とみなされていた「空母水鬼」が妥当だろうか。
“姫”を超える“水鬼”クラスの深海棲艦なら、この鎮守府に上陸し、さらに周辺海域にも控えているであろう大艦隊を指揮・統制するのはさほど難しいことではないはずだ。
では空母水鬼は紅霧に隠された地上の情報をどうやって得ているのであろうか。上空の艦載機がレミリアの魔力で生み出された紅霧を透過して地上を見ることは出来ないはずなので、地上に水鬼の目の代わりがあるに違いなかった。そして、その候補というのはさほど数があるわけではないし、一番可能性が考えられるのは、誰がどう見たって目の前に居る深海棲艦化した赤城くらいしかないだろう。
故に、レミリアはわざわざ右手を顔の前に持ち上げ、手の甲を赤城に向け、中指だけ立てた。
「“弾幕ごっこ”をいつ終わらせるか決めるのは私よ」
果たして予想通り、赤城の目を通してレミリアの挑発を見た空母水鬼が反応する。
「ソウカ。ソレハ残念ダ。デハ、終ワリニシヨウ」
上空を飛んでいた艦載機の飛翔音が変わる。具体的に何がどう変わったかと言うと難しいが、一旦音が小さくなり、それからてんでバラバラに聞こえていたものがそろったように思えたのだ。もちろん「気のせい」と言える範疇の変化だが、上空で無秩序に飛び交っていた艦載機が群体を形成し、隊列を整え、レミリアを破砕せんと急降下爆撃の予備動作に入るのがありありと思い浮かんだ。
なるほどこれが空母水鬼の自信の源である。圧倒的な物量と破壊力を持つ艦載機隊があれば怖いものなどないのだろう。手下の深海棲艦が大小関わらず十把一絡げに槍で刺し貫かれて壊滅しようとも、水鬼にとってはさほどの痛みではないのだ。手下より自分の艦載機の方を信頼していそうだった。
ということはつまり、教育してやらねばならないのである。思い上がった空母水鬼に身の程を教えてやる必要がある。
年長者、特に親や兄姉は敬うこと。言葉遣いは丁寧にすること。遊びの最中に無粋なことを言って場を白けさせないこと。あと、自分より強い者にはへりくだってひれ伏すこと。
餓鬼が。と呟いてレミリアは地面を蹴る。
空へ飛び上がり、螺旋を描きながら上昇を始める。比較的低高度に散布していた紅霧はすぐに突き抜けた。その上には空母水鬼や赤城、あるいは水鬼の護衛の空母たちの艦載機が飛び回っている。徐々に隊列を組み上げている最中なのだろう。既に形成された飛行編隊が幾つも黒い蛇のように空に浮かんでいた。
およそ飛行機とは言えぬ形の小さな怪異たち。それが百、二百の数ではない。軽く五百は数えられるだろうと思しき大群だ。所謂「旧型機」と呼ばれる宇宙船のような機体も多数だが、それ以上に「新型機」と呼ばれる丸いバスケットボール大の艦載機が多い。機体は白く、目と口がはっきりと存在していてさらにヒレかあるいはトサカのような突起が見て取れる。凶暴そうな風貌だが、実際凶暴で、その威力は艦娘の間でも恐れる者が多いと聞いた。
第一線で戦い続けた赤城や加賀をして、最大限の警戒と全力を以て迎撃を行わせるものであるのだから、その脅威と言うのは余程のものであるのだろう。巨大な航空爆弾をぶら下げているのは艦攻。そうでないのは既に爆弾を落とした艦攻か艦戦だろう。艦戦はもちろんのこと、爆弾を投下した後の艦攻も機銃で武装しているから制空戦に参加してきて厄介だとは、いつだったか赤城がぼやいていた覚えがある。まさか本人がその機体を扱うことになるとは誰も想像していなかった。
紅霧から飛び出したレミリアを見付けると、艦載機たちは編隊を組むのを中断し、一目散にこちらに向かって来た。周囲は下方向以外すべて深海機に囲まれている。つまり、ほぼ全方向から攻撃を受けることになった。
背中の羽を全力ではばたかせて、レミリアはとにかく加速した。機銃掃射くらいでは頑強な吸血鬼の表皮が傷付くとは思わなかったが、鬱陶しいのは間違いない。大きく螺旋を描きながらどんどん上昇していく。
一部の艦載機が攻撃を仕掛けて来て夜空に曳光弾の筋が引かれたが、加速するレミリアには当たらない。そのまま速度に乗って強引に艦載機の大群を突破する。途中、深海機の大編隊を遠巻きに眺めていた彩雲の機影が見えたので、この場を離れる様に指示を出した。指示と言っても、単に頭の中で「鎮守府の上空から離れなさい」と念じるだけであり、彩雲と意識が繋がっているのでそれで十分だった。命令が通じた彩雲は翼を翻し、大きく旋回しながら宵闇の向こうへと姿を紛れ込ませる。
レミリアは尚も高度を上げ続けた。軍勢の中を突破された深海機はそれを追随する。だが、レミリアには千里を一晩と掛からずに駆け抜ける足がある。これを凌駕出来るのはより以上の速さを誇る烏天狗か、地点から地点への瞬間移動が可能な紅白巫女や隙間の妖怪に限られるだろう。当然、深海機ではどんなに頑張ったところで追い付けるものではない。それも、レミリアは直線的に上昇するのではなく、速度差を少しでも小さくするためにわざわざ螺旋軌道を描いているのだが、深海機はそれでもどんどん引き離されていった。
夜空に薄ぼんやりと掛かっていた雲を突き抜けると、暗幕に砂金をばらまいたような夜空が広がっていた。天高くに星々を従えるように無慈悲に紅い満月が居座り、冷淡な表情で地上を見下ろしている。今宵行われることの全てを、この夜空の女王に見届けてもらうことになるだろう。
紅月は血のように紅く、妖しく、禍々しく。輝いている。
吸血鬼は、月に囚われた悪魔は、おもむろに上昇を止め、空中に留まった。そこはレミリアと見下ろす星月以外存在しない夜空の真っただ中。まだまだ寒い高高度。追い掛けて来た深海機たちは遥か眼下にある。
空中にてレミリアは立位を取り、月と向き合う。
これは、戦いに赴く前の十字軍兵士が教会で神に必勝を誓うようなものだ。かつてこの国で源氏の武士たちが八幡の神前にて杯を掲げたようなものだ。
偉大なる月のしもべたる妖怪の少女は恭しく主人に向かって一礼を捧げると、大げさな口ぶりで宣言した。
「宴もたけなわに。おいたの過ぎるじゃじゃ馬空母にはきつーい仕置きをしてやりましょう。
月よ。我が栄光の守護神よ。
貴方の御前に一つ華麗なる不可能弾幕を捧げてみせます。とくとご覧あれ」
レミリアは技名を呟きながら、後ろに倒れ込んだ。羽を広げ、両手を広げ、首元を冷たい空気が長い髪をかき乱しつつ駆け抜けるをの感じながら、何の支えもない空中にて夜空に身を投げ出す。イカロスが天より落ちた時、彼は眼下に広がる大地と雲に何を思っただろうか。
今の大地は月に照らされて真っ赤だ。鎮守府の上は紅霧に覆われ、街からは幾条もの黒々とした煙が立ち上り、内陸の方へと流れていた。真正面、つまり真下からは深海機が唸りを上げながら登って来ている。
レミリアは両手と羽を目一杯に広げたまま頭を下にして落ちていく。落ちながらレミリアは自らの軌跡を夜空に刻み付けるため、妖力を紅霧という形で少しずつ噴出させた。そして身体をわずかに捻って回転力を加えると、指の先から放出される紅霧が二重螺旋を描いていく。
深海機は真正面に。彼我の距離はぐんぐんと縮まる。
レミリアはナイフの形をした魔弾を妖力で作り出す。それが一つ二つと増えていき、間もなく弾幕と呼べるくらいの密度になった。紅魔は回転しながら夜空に軌跡を残し、全身から撒き散らされる弾幕の密度を徐々に上げていく。
深海棲艦の艦上戦闘機が先頭になって、大群を引っ張り上げるように上昇していた。その先頭の機体は例の「新型機」であり、機体の半分ほどを占める大きな口を全開にして鋭い牙を見せ、その奥から怪物が吹く火のような閃光が迸る。曳光弾がレミリアの髪を掠めていった。
自然の重力落下に身を任せる吸血鬼と、全速力で重力を振り切る深海機。相対速度は亜音速に至るだろう。しかし、艦載機には、その目を通じてこの光景を見ているであろう航空母艦には、はっきりとそれが認識出来たはずだ。紅い尾を引きながら顔面一杯の邪悪な笑顔で落ちて来る悪魔の姿が。
悪魔はその比類なき動体視力でもって目に映る標的の総てを捉えていた。何しろ、音を超える速度で森の中を、葉っぱ一枚掠らず駆け抜けられるのだ。自分から見て、音より遅い速度で突っ込んで来る標的の姿をどうして捉えられないというのだろう。
ヘッド・トゥ・ヘッド。
大群の先頭を飛ぶ最初の一機と交錯する瞬間、レミリアの身体が一瞬白い光に包まれたかと思うと、それを合図にしたように弾幕の密度が一気に増した。
間隙のある「遊戯弾幕」から、一寸の隙間もない「不可能弾幕」へ。それまで適度に隙間のあった弾幕は、閃光を合図に回避不能な壁へと変化する。
同時にカウントダウン開始。レミリアは落下し、弾幕をばら撒きながら秒数を数えた。
一秒。
すれ違う標的に紅いナイフ弾が突き刺さる。
二秒。
刺し貫かれた艦載機は制御を失い、その瞬間にただの歪な塊となった。
三秒。
レミリアと交差する艦載機は、ただ一機の例外もなく、全ての機体が被弾する。避ける隙間などない。
四秒。
撃ち抜かれ、引き裂かれ、弾き飛ばされて、無残な残骸へと変えられて虚空に散る。
五秒。
月と星を覆い隠す真紅の幕が、さながら巨大な顎(アギト)のように艦載機を次々と飲み込んでいく。
六秒。
大群を引き裂きながら悪魔が落ちる。その前には機銃を放つ深海の艦載機。その後ろにはスクラップになった艦載機。
七秒。
レミリアを先端に、不可能弾幕はじょうご型に広がり、重力に引っ張られるまま艦載機の大群に上から襲い掛かる。
八秒。
ようやく危機を察した母艦が指示の変更を行ったのか、突っ込むばかりだった深海機は旋回してレミリアから逃れようとする。
九秒。
だがもう遅い。上空からは弾幕の外、被弾した機体の破片が霧雨のように降り注ぎ始めている。これほど広い大空であっても逃れるところは何処にもなかった。
十秒。
吸血鬼が紅霧を貫いた。霧を抜けると急速に地面が視野一杯に広がっていく。
十一秒。
紅月の視界には、母艦の制御下にある深海機が一機も残らなかった。全てが無残な破片となった。
吸血鬼が地響きを立てて着地。反動で地面が弾け飛ぶ。
Fitfull Nightmare
十二秒間の悪夢。
被弾した艦載機の残骸が雨のように辺りに降り注ぎ、砕け散り、雪のように降り積もっていく。