レミリア提督   作:さいふぁ

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ご無沙汰しておりますが、今回から鈴熊編です。


レミリア提督 裏 Marine Snow1

 最近、横須賀の街を不審者が騒がせているらしい。鎮守府からの公式な通達こそないものの、艦娘や軍人たちの間で噂として囁かれていた。いや、噂どころか事実の伝聞として鈴谷も何度も耳にした。すでに、不審者騒ぎは立派な刑事事件として扱われ、地元新聞で小さいながらも記事が書かれたという。

 

 曰く、連続無差別暴行傷害事件。

 事件の内容はこうだ。大体月に一度の頻度で発生し、夕方から宵の口にかけての時間帯、人気のない暗がりに引きずり込まれて被害を受ける人が出る。被害者は皆、首筋に二つの傷跡を付けられ、気絶させられていた。年齢や性別には共通点はなく、総じて二十代から五十代の男女が関係なく襲われているそうだ。今まで被害者全員、軽症を負うものの命に別状はなく、発見された時はむしろ丁重に扱われているのではないかと思えるくらい優しく寝かされているという。持ち物がなくなったということもない。

 彼らが特に乱暴を受けた様子もない。しかし、全員犯人の顔は覚えていないと言う。気付けば病院や救急車の中であったり、あるいは自力で覚醒して見覚えのない暗がりに居ることに戸惑ったりと様々だが、共通しているのは犯行が行われたと思われる前後の時間帯での記憶が無いか、もしくは非常に曖昧であることだ。だから、犯人の人相はおろか、どうやって被害者を気絶させたのかさえ不明である。

 当然、目撃者も居ない。犯行は被害者が一人になるタイミングを見計らい、人目につかない場所に引きずり込んで短時間に行われている。犯人は極めて慎重で狡猾、そして手際も良い。

 また、明らかな有形力の行使を行っている人物を指してこう評するのはおかしなことかもしれないが、犯人は“紳士的”でもある。

 何らかの強い目的を持っているのだろうか。被害者に対して犯人が行うのは謎の傷跡を付けることだけ。それに何の理由があるのかは分からないが、その他金品を奪ったり、性的暴行を加えたり等は一切なされていない。犯行後は被害者を汚れにくいような場所に安置し、時に被害者の携帯電話のアラームを設定して立ち去っている。アラームは被害者の覚醒を促したり、第三者が気付きやすくするためのものと思われる。そして、狙われる年齢層も老人や子供はおらず、被害者の全員が健康に異常のない成人男女であった。

 警察も目下、目撃証言の収集や警備体制の強化など、捜査や対策を推し進めているが、今のところ何の手掛かりも得られていないのが現状だ。何よりもまず、傷跡を付けることの目的が不明。警察は、自分の存在を誇示したいためか、ストレス発散か、あるいは単なるイタズラの延長にある愉快犯かと考えている。

 

 しかし、だ。

 記事を読んだ鈴谷が思うに、そんなふざけた理由で人を襲う人間が、しかも襲いやすい老人や子供を避け、石橋を叩いて渡るように慎重に犯行を実行し、“紳士的”に被害者を扱うだろうか。鈴谷も現場を見た捜査官ではないから憶測しか言えないのだが、どうも犯人の行動には犯行に対する罪悪感が見え隠れする気がするのだ。その上で、明らかな弱者である老人や子供、加えて病人や障碍者を避けている。どちらかと言えば襲いにくい、反撃も予想される成人男性を襲っている辺り、そういう「意図」があるのではないだろうか。

 

 では、犯人の目的は何か。

 警察発表でも報道でも言及されていないが、まことしやかに囁かれている噂がある。

 被害者は皆、犯行直後に貧血症状を訴えたのだそうだ。

 それが本当かどうかは分からない。何せ発表も報道もされていないのだから。

 ただ、もしそれが事実だとして、そこから首筋の二つの傷跡というものを考えた時、思わずにはいられない。まるで“吸血鬼だ”と。

 

 馬鹿げた話だ。週刊誌の読み過ぎかもしれない。暇な時に基地内の売店で女性週刊誌を立ち読みするのはそろそろやめた方がいいと同僚にも指摘されている。

 ただし、鈴谷だけでなく噂をする全員が口を揃えて「まるで吸血鬼の仕業だ」と言うのだ。別に鈴谷個人の考えでもない。

 人によっては「現代の吸血鬼」とか「例の吸血事件」とか言ったりする。貧血症状の有無も定かではないし、首筋の傷跡というのも思っているのとは違ったりして、真実ではないのかもしれない。実は人に優しい愉快犯が本当の犯人像かもしれない。

 所詮、噂は噂である。鈴谷とて真に受けているわけではない。ちょっとした空き時間に、同僚と暇を潰すのに口にする与太話の域を出ないものだ。

 それに、噂をする艦娘も軍人も、誰も自分が襲われるとは思っていない。何故なら、もうすでに犯行は半年くらい繰り返されているが、被害者の中には軍人や軍属の者が居ないのだ。この横須賀の街には腐るほど居るにも関わらず。

 また被害者の傾向を考えるなら、少女の成りをしている艦娘はターゲット外だ。仮に襲われても、普段から深海棲艦と戦っている屈強な自分たちが簡単にやられるわけがないと思っている。それどころか、襲って来たら逆に捕まえて、銃後の安寧にひとつ貢献してやろう、と宣う艦娘まで出て来る始末。実際、鈴谷も警戒こそすれど、恐怖も不安も抱いてはいなかった。深海戦艦ル級の方が余程恐ろしい相手である。

 だから、数少ない非番の日に街に出ることに鈴谷は何の抵抗感も抱いていなかった。

 

 

 

 

 それは駅前の商店街から基地への帰り道でのことだった。珍しく鈴谷は一人で街を歩いていた

 非番の日はほとんど同僚にして寮も同室の熊野と被るので、大抵は二人で「デート」をする。それでなくとも所属部隊まで一緒なので、鈴谷と熊野は公私問わず常に二人で行動しているのだが、今日は生憎熊野とは別行動になっていた。例によって非番も被っていて、鈴谷は先週公開されたばかりの映画を見に行こうと誘ったのだが、何やら「用事がありますの」と言われて断られてしまったのだ。

 もっとも、別にそれ自体はおかしいことではない。寮室まで一緒なのだから、下手をすると二十四時間常に顔を合わせている日も珍しくないとはいえ、お互い個人的な時間というのも持っている。むしろ、いつも一緒に居るからこそ一人の時間もちゃんと確保しようと話し合って決めたのだ。そうでないと、いつか相手にうんざりしてストレスが溜まってしまうだろうから。

 今までも非番が被ったのに別行動を取ったことは何度もある。鈴谷にだって一人でしたいことはあるし、熊野だって同じだろう。映画はまだ公開されたばかりでしばらくやっているだろうから、また今度見に行くことにした。ちゃんとそこで「行きますわ」と約束してくれるのが熊野のエライところである。

 

 かくして、特に用事もないけれど鈴谷は駅前の商店街をぶらつき、何か自分の心をくすぐるような物が売られていないかひと通り見て回り、別段欲しい物が出来なかったので手ぶらで帰るところだった。

 昼前に基地を出たので、半日歩き回ることになり、結構足が疲れている。これは帰ってすぐ風呂に入ってマッサージしなきゃなとか、埋め合わせに熊野にやらせようかなどと考えながら繁華街をゆっくり進んでいた。

 日曜日の夕方だ。行き交う人は多い。艦娘と言えど私服を着てその中に紛れてしまえばそこらの少女たちと変わりなくなる。

 実際、実年齢で言っても、艦娘としての経験が浅い方になる鈴谷はすれ違う少女たちからいくらも年が離れているわけではない。艦娘が老けないというのは有名な話で、いつまでも(見た目は)若さを保っていられるのは悪くない気分だが、一方で実年齢不相応な扱いを受ける場合もあるので、「一長一短かな」と思っている。自分より年下と思われる男共に子供扱いされるのは腹が立つ、ということだ。

 今日も暇そうにぶらついていたからか、昼間に暇そうな男に声を掛けられた。ちょうどいいやと思って飯をたかり、見た目相応の“頭の軽そうな女子高生”っぽく適当に中身のない話をして、最後に艦娘であることを打ち明けると、相手の男はひどく驚いた顔でバツ悪そうに去って行った。

 鈴谷流ナンパ男撃退術である。大抵の艦娘はよくよく見ればそこらの女と違い、何となく無骨さというか、ピリピリとした気配を纏っているものだが、自他ともに認める「ユルい」性格の鈴谷はその例外にあたるらしい。久しぶりに高校時代の同級生と会ったりすると、「昔と変わらない」と言われる。言葉の意味はそのままだ。

 だからか、チャラチャラした男がよく声を掛けてくる。その度に楽しく会話に乗ったふりをして、あるいは“その気”になった演技でラブホの前まで行って、さらりと「艦娘だけどダイジョーブ?」みたいなことを打ち明けると、誰もが慌てて逃げるのだ。それもそのはず。護国奉仕する艦娘に手を出したとなれば、刑事罰こそないものの、世間の糾弾は免れ得ない。世間体を気にするような連中ではないが、やはり艦娘というのは社会からどこか特別扱いを受けているフシがあるから手を出しづらいのだろう。

 熊野にはそういうところが「性格が悪い」と言われるのだが、それは自覚の上。逆に彼女の場合はまったくナンパなど受けないらしい。見た目で言えば彼女も“女子高生”っぽいはずなのだが、どうにもあちらには生来の頑固さがあって、それが表に出て来ているのかもしれない。しかも、頭がカタい上にお胸も硬いので、これはどうしようもない。

 彼女は鈴谷とは真逆のタイプで、本当にびっくりするくらい性格が好対照なのだ。生来の気質もあって小言は多いし、部屋を散らかしているとすぐに片付けるし、細かいところも多々ある。鈴谷の方は何から何までアバウトなので、よく「凹凸コンビ」と揶揄される。それ故の仲の良さかもしれないけれど。

 

 

 閑話休題。

 駅前から横鎮に向かうには繁華街を通りぬけて国道16号線を渡らなければならない。繁華街は碁盤の目状に区画整理された町並みで、人通りも多い。高層マンションも何棟か建っていて、それらが夕日を浴びて朱色に染まっていた。

 なんてことのない休日の夕方だ。過ぎ行く人の足には「明日が月曜日だ」という憂鬱がちらほら見えるとはいえ、総じて平和な一日が過ぎようとしている。

 だから、鈴谷も特に思うことはなかった。完全に暇潰しのためだけに費やされた一日に少しのもったいなさを感じはするものの、それ以上の感傷はない。そうした日常の有難味にさえ感謝しようと思わない平凡そのものの時間が過ぎていた。

 

 

 

 だが、街を歩いていた鈴谷はふと足を止める。

 何かの間隙だろうか、偶然人通りが少なくなった一瞬。歩いているのは、スマホに夢中になっている若い女性が一人、連れ立って喋っている中年男性の二人組、うつむき加減でゆっくりと歩を進めている老人。

 誰もこちらを見ていない。意識も向けていない。周囲は店もあるが、この時間はまだ開店していない居酒屋や、休日は休みの銀行、あるいは潰れてシャッターが閉まった空き店舗ばかり。

 

 

 右を見る。

 

 

 建物と建物の隙間。ビルとビルの谷間。

 暗がりになっているそこ。奥は見通せない。不思議と、光を遮る何かがそこに横たわっているように、時間帯の割に暗い場所だ。

 

 音がしたわけでも気配がしたわけでもない。なのに、気付けば鈴谷は暗がりに足を一歩踏み出していた。

 どうして自分がそんなことをしているのか分からない内に、鈴谷の姿はふっとビルとビルの合間に飲み込まれてしまう。通行人は誰もそのことに気付かなかった。

 

 

 

 

 人が一人通るのもやっとの狭い狭い路地裏。室外機か換気扇か、何かの低い機械の唸り声が響くだけで、街の喧騒は路地に入った途端に遠のいた。

 鈴谷は両隣に迫るビルの外壁に据え付けられた室外機に躓かないように注意して進む。人の手さえ滅多に入っていないのだろう、靴越しでも足元にザラザラとした砂や埃が散っているのが分かる。頭上は細く切り取られた夕焼け空が見えるだけで、路地は暗い。この先にはまた入って来た通りとは別の通りがあるはずだが、暗幕に覆われているかのように向こう側が見通せない。

 何故だろうか。目を凝らしてみると、路地には塞ぐように何かがあるからだと分かった。

 

 シルエットだ。それが光を遮り、路地の向こうを見通せないようにしてしまっているらしい。

 不意にシルエットが動く。小さくなった。いや、“しゃがみ込んだ”のか。

 人が居る。鈴谷はようやく気付いた。自分の前の路地を塞いでいるのは人間だ。誰かがそこで何かをしているらしい。

 

 

 こんなところで何を?

 

 

 声を掛けようとして、自分の行動も説明が難しいことに気付いた。どうしてこんなところに足を踏み入れたのか訊かれたら、逆に自分が答えられない。何しろ、自分自身にさえその理由が分からないからだ。ただ、何かに誘われるようにふらっと入って来てしまった。

 こんなところで隠れてコソコソと何をやっているのかという好奇心が湧き出す。ひょっとしたら目の前の人物は何か良からぬことをしているんじゃないかと思い、首を伸ばして様子を伺う。

 

 

 

 

 鈴谷は気配を殺した。息も止めた。

 

 その人物はしゃがみ込み、地面にある何かをいじっている。

 

 鈴谷は目を瞬かせ、何をしているのかよく見ようと腰を曲げる。

 

 

 

 彼か、彼女か、怪しい人物は地面にある何かを抱え上げた。

 

 だらんと、抱え上げられた物から細長い物が垂れる。力なく、重力に引っ張られるままに。

 

 

 

 

 シルエットだけでも分かった。見慣れた造形だ。見間違うはずもない。

 

 

 じゅるり。湿っぽい音が響く。ちょうど、男女がねっとりとしたキスをしたらそんな音がする。

 ただ、直感的に思ったのは、「食べているな」ということだった。

 目の前の人物はこんな汚い路地裏で食事中だ。

 

 

 

 何を食べているのだろうか?

 

 

 抱え上げられた物から垂れたのは何だろうか?

 

 

 

 

 

 

 それは、人間の手じゃなかったのか?

 

 

 

 

 ゾワリと、背筋を悍ましいものが貫く。何か恐ろしいものを前にしている。

 深海棲艦を相手にした時とは違う。得体の知れないモノに対する恐怖。

 

 身体が強張っていく。全身に力が入って思うように動かない。

 今の鈴谷は丸腰だ。当然、艤装すら身に着けていない。

 艤装の加護はない。ある例外を除くが、基本的には艦娘が超人的な力を発揮出来るのは、あくまで艤装を装着している間だけでしかない。

 逃げろ、と頭の中で発せられる警告。抵抗する理由もないので、本能の命じるままに鈴谷は足を一歩引いた。

 

 

 

 ざり。

 

 

 

 心臓が縮み上がった。全身の血流が一瞬にして凍結した。

 不用意に動かした足が、地面に散らばる砂を鳴らす。低い機械音だけの路地では、小さな足音もよく響く。

 

 目の前の人物の肩が跳ねる。弾かれたようにそいつは振り返った。

 暗闇にちらりと光が反射する。目を見てはならないと思った。

 視線を下げる鈴谷。それが致命的な判断だというのに気付いた時にはもう遅い。

 反射的に腕で急所を守る。咄嗟にそういう反応が出来るのは、鈴谷がやはり戦闘要員であるからだろう。艦娘は一通り白兵戦の手解きを受けているから、素人の暴漢程度なら簡単に撃退してしまえる。

 

 

 

 だが、予想した衝撃も暴力もなかった。

 伏せていた目を上げて前を見ると、不思議なことに先程までそこに居た人物の姿はなかった。

 まるで、そこには最初から誰も居なかったかのように、忽然と消えてしまった。

 

 あれは何だったのだろうか。見間違い、ではないだろう。

 頭上を見上げてみても、相変わらず細長い夕空が見えるだけ。当然、路地の先にも誰もいない。

 念の為に振り返っても、やはり入って来た通りを行き過ぎる人の姿がちらちらと見えるのみだ。この路地の向こうは、何気ない日常が繰り返されている。

 

 

 ようやく、怪しい人物が居なくなった実感が湧いてきて鈴谷は溜まった息を吐き出した。それから、ハッと思い出す。この場所にはまだもう一人居るはずなのだ。

 案の定、見下ろすと路地の汚い地面に誰かが倒れている。先程、抱え上げられていたのはその人だ。

 

「大丈夫ですか!」

 

 思ったよりすんなりと足は動き出し、鈴谷は慌てて横たわっている人を抱え起こす。

 薄暗い中なのではっきりとは分からないが、三十代くらいの壮健な男性だ。何かスポーツをやっているのか、体付きはがっしりとしていて体重も重い。女の細腕では上半身すら抱え起こすのに一苦労だった。ましてや当人が完全に意識をなくしてぐったりしているとなれば、普段から身体を鍛えている鈴谷でも手古摺った。

 ただ、幸いにして彼は生きているようだった。首筋を触ると、指先にはっきりとした脈動が伝わる。

 兎にも角にもまずは救急車だ。生憎、個人的な情報通信機器の携帯を制限されている艦娘は往々にして携帯電話を持っていない。鈴谷のその例に漏れず、持ち合わせがあるのは基地との緊急連絡用のPHSのみだ。最近はめっきり見なくなった代物だが軍では未だに現役だし、119番通報するのはこれで十分である。

 電話を掛けながら、彼を起こそうと試みた。肩を掴んで軽く揺すろうとし、指が何か生温かいものに触れる。

 粘り気のあるそれ。ゆっくりと手を離して指先を見るがよく見えない。ただ気持ち悪い感触だけが感じられる。

 「119」と数字を押しただけでまだ発信していないPHSの画面を指に近づけてみる。そこから発せられる光が指先を白く照らし出した。

 光を反射する液体がわずかに付着しているようだ。かすかに赤みを帯びているのは光の加減ではない。

 続けざまにPHSの光を男性の首筋に向ける。

 ドンピシャリだ。どうやら鈴谷は思ったより厄介な事態に遭遇してしまったようだった。

 

 彼の首筋には二つの傷跡が付いていた。小さく赤い傷跡だ。まだ血が止まっていないのか、ぷっくりと血玉が膨らんでいる。そして、傷の周辺は透明な液体によって濡れていた。

 

「マジ、かよ……」

 

 無意識に溢れた呟きは路地の闇の中に消えた。

 

 例の連続暴行傷害事件。目撃者が居ないとされたこの事件の、鈴谷は最初の目撃者となってしまったらしい。

 しかもどうやら事件に関して囁かれている噂が現実味を帯びていることまで見てしまった。

 どう考えても、今目の前に横たわっている被害者の首筋にある傷跡は、昔どこかで見た古い吸血鬼映画にあったものだ。ちょうど、人間の犬歯とこの二つの傷の間隔は一緒くらいだろう。

 面倒なことになったと思った。けれど、意識のない彼をこのままここに寝かせておくわけにもいかないし、警察に通報しないという選択肢もない。救急と警察を呼ぶのは最低限の義務と言える。

 被害者は幸いにして大した怪我をしているわけではなさそうなので、問題は警察の取り調べの方だろう。目下巷を騒がせている事件の目撃者ということで、おそらく根掘り葉掘り聞かれるに違いない。警察と関わった時の面倒臭さというのは、艦娘になる前は人に言えないような荒んだ生活をしていた鈴谷にとって身に滲みて理解していることだった。補導された経験は一回や二回で済まないし、取り調べに何時間も拘束されてうんざりしたのだって忘れてはいない。

 それでも、悪さをしていたのは昔の話で、今は仮にも国防を担う立派な艦娘だ。それが犯罪を目にして捜査に協力しないなど、果たして許される行為であろうか。何より、あの正義感溢れる同僚の熊野が許しはしないだろう。

 遅くなれば彼女にまた小言の十や二十を頂戴するかもしれない。まあ、事情が事情だけにそんなにうるさくは言わないだろうが。

 帰りが遅くなるのは避けられないだろう。

 辟易しながらも、まずは119番に電話を掛けた。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 

 案の定、帰ったのは日が変わってからであった。これでもまだ早い方で、鈴谷が横鎮の秘書艦にPHSで「助け」を呼ばなければきっと一晩警察署で泊まることになっていたに違いない。基地からの迎えが警察署に来て、さんざん圧力を掛けてもらった結果、取り調べ途中ながら鈴谷は解放されたのである。話を聞いていた刑事はまだ聞き足りないことがある様子だったが、鈴谷としては誠心誠意話せることはすべて話したつもりである。

 取り調べは嫌に執拗だった。ただの目撃者にすぎないのに、まるで「お前がやったんだろ」と言われているような気さえした。生まれも育ちも横須賀の鈴谷は、かつての素行不良が地元の警察官たちの間でも知れ渡っていて、そのせいで色眼鏡を掛けて見られてしまっていたのだろう。現に連れて来られた警察署も、かつて何度もお世話になった見知った場所である。

 

 ただそうは言ってもだ。チラホラと知った顔の警官と目が合う度に「また何かやらかしたのか」という呆れ顔までされる謂れはない。仮にも同じ公務員なのだから、こちらの立場というものも尊重して欲しいものだ。

 もっとも、全部予想の範疇だ。むしろ、通報直後にはもっと面倒なことになると身構えていたものだから、これでもマシな方と言える。艦娘という立場を最初に明かしたことが奏功したのだろう。普段は偉そうにしている警察といえど、さすがに艦娘を邪険には扱えなかったらしい。それでも失礼をいくらか受けたが。

 当然、予想出来ることには対策を講じる必要がある。鈴谷は早々にPHSで秘書艦に事件に遭遇して警察に行くという連絡を入れ、迎えをお願いしていた。その結果、日を跨いだとは言え、比較的早く解放される結果になったのである。

 警察は古い組織で権力も強いが、軍も同じくらい(あるいはそれ以上に)古くてもっと権力の強い組織である。権力を権力でねじ伏せるのはなかなかに気分が良かった。増してや、ねじ伏せられる相手があの警察とあれば、取り調べで溜まった鬱憤も勢い良く吹き飛んで消える。

 ところが、基地に帰ってからも大変だった。

 鎮守府司令官からは直々に労いの言葉を頂いたものの、それとなくMP(海軍憲兵)からの聴取が控えていることを示唆された。まだあれが続くのかと思うと、がっくりと肩が下がる。

 先に帰っていた熊野は寮室で迎えてくれていたが、案の定お小言をいただいた。曰く「先に助けを呼びなさい」とか「傷付けられる危険があったのですわ。もっと我が身を省みることも重要です」とか。心配を掛けたのだから言わせておこうと思った。どうも、鈴谷が例の事件の目撃者となったという情報は早速鎮守府内を飛び回っていて、あっと言う間に熊野の耳にも入ってしまったらしい。

 

 

 

 翌日は示唆された通りMPからの聴取があり、それだけで半日潰れてしまった。やはりというか、警察と同じく鈴谷に疑いの目が向けられているようだ。

 鈴谷からすれば納得出来ない話だが、確かに犯行を目撃したものの、目を逸らした隙に逃げられて、しかも見ていなかったからどこに逃げたのかも分からないというのはいささか不自然だろうか。犯行現場から鈴谷が立っていた方とは反対側の路地入り口は十数メートルほどしかなかったとは言え、あっさり逃しているのである。別に捕まえる義務も責任もなかったのだし、むしろ挑んだとしても相手は大の男を気絶させられる技術を持っているのだから、いくら艦娘とは言え鈴谷が返り討ちにされていた可能性は高かった。

 勝てなかっただろう、というのが鈴谷の見解。恐怖で足がすくんだなどとは一言も言っていないし言うわけもないが、それによって鈴谷が動かなかったことと相手が不必要に傷つけるような行動に出なかったことは運が良かっただろう。いくら艦娘として戦闘技術には自信があるとは言え、あの犯人にはまず勝ち目がないはずだ。それは鈴谷だけの見解だけでなく、鈴谷の話を聞いた捜査官や憲兵も同意していることだった。

 

 犯人はどのような手段を用いているのかは分からないが、成人男性さえ圧倒する技術を持っている。それは所謂体術の類で、薬品などを用いたものではないと考えられていた。

 何故そうなるのか。何故、技術と言い切れるのか。

 それもそのはず。女に大男を倒すのは普通は無理だからだ。鈴谷とて、屈強な水兵を相手にするとしたら、体術を駆使しなければ勝負にもならない。しかも、体格差は体術を持ってしても埋めがたい差である。あの犯人は容易にそのハンデを超えて見せたのだ。

 軍人、格闘家。そうした犯人像が浮かび上がりつつある。

 鈴谷があの時目撃した犯人。振り返った一瞬、妙に身体のラインがほっそりしていた。完全にシルエットだけだったから性別までは断言出来ないが、鈴谷個人としてはあの肩の華奢な感じは女性のそれであると確信している。

 だからこそ、犯人は余程戦い慣れていて、かつ戦闘技術も卓越している人物に限られる。今回の被害者は、そうでなければ簡単に打倒されるような人ではなかっただろう。あのガタイの良さから相当身体を鍛えていると見られ、一般人と言えど鈴谷でも昏倒させるには苦労するはずだ。

 ただ、それはあくまで「常識的な」方法論に限った話。犯人が体術で被害者を圧倒し、犯行に及んだという前提でのこと。

 どんなに強くても、犯人は人間だ。撃てば死ぬ、人間だ。

 

 だがもし犯人が人間ではなかったとしたら? それこそ、本当に“血を吸う鬼”であったとしたら?

 

 人外の化け物には人間を襲うことなんて簡単なのかもしれない。

 それもあながち荒唐無稽な妄言というわけでもない。現実の脅威として、正体不明の怪物である深海棲艦は出現して未だに海を跳梁跋扈している。艦娘を護る「女神の護り」というのもオカルトの類としか言いようがない。

 そうした科学では解明出来ない存在や事象を日頃から相手にしているからこそ、鎮守府の中でまことしやかに「吸血鬼」の噂などがささやかれるのだ。誰もが「居てもおかしくない」と思っているからこそ、好奇心半分だとしても、そんな不確かな噂が流れる。

 しかも、犯人が吸血鬼っぽいことをしていたという目撃証言まで出て来てしまった。他ならぬ鈴谷が目にしたために。

 これから噂はさらに補強されて、それどころかほとんど真実としてささやかれるようになるだろう。鈴谷の下にも真意を確かめに来る連中が押し寄せることだろう。

 

 まったく面倒なことになったと思う。取り調べは取り敢えずのところ落ち着いたけれど、警察のしつこさは骨の髄まで理解している鈴谷である。これで終わりとは思えない。

 

 

 それに、懸念はもう一つあった。

 鈴谷は犯人の顔を見ていないが、犯人は鈴谷の顔を見たのだろうかということ。逆光になっていたあの路地の中では、おそらく分からなかったとは思うが、それも自信を持って言えるようなものではない。

 もしただの人間なら、厳重に警備された鎮守府の中に侵入するのは不可能なので心配する必要もないのだが、人智を超えた化物となれば話は別。

 警備を突破してやって来るかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「眠れていないの?」

 

 事件に遭遇して二日後、寝不足気味でズキズキと痛む頭を抱えながら食堂でちまちまと定食ランチを突いていた鈴谷に声を掛ける者が居た。

 頭上から降って来た聞き慣れた声に顔を上げると、鈴谷と同じ定食ランチが乗ったトレーを持つ同僚の姿。彼女は午前中、鈴谷とは別れて研修を受けていたはずだ。上官からの評価の高い熊野は、一部の優秀な艦娘だけが選任される「艦娘幕僚」、いわゆる秘書艦の候補生に見事指定され、最近は研修漬けの日々を送っていた。

 鈴谷には、いつも忙しそうで司令官の使いっ走りみたいになっている秘書艦の何がいいのかまるで分からないが、真面目な熊野は熱心に研修を受けているようだ。元より責任感の強い彼女にはお似合いだと思うけれども。

 

 

 それはもう、熊野は自他ともに認める優秀で模範的な艦娘だ。何をやらせてもそつなくこなし、平均以上の出来に仕上げる。書類を作れと言われれば指示した本人が求める以上の質で作って返すし、艦隊を統率しろと言われれば見事作戦目標を達成した後、堂々と帰還する。作戦中の戦闘も時に定石通りに、時に型破りな方法で、最も状況に即した合理的な戦術をもって敵を撃破する。艦隊旗艦として指揮下の艦娘を有効に動かし、滞りなく戦闘を進めて勝利をもぎ取るのは並大抵のことではない。その姿を最も近くで見ている鈴谷からしても、純粋に彼女の手腕には脱帽する。

 絵に描いたように優秀な艦娘だ。これで艦娘でなければ順調に軍政畑を出世して中央に入ったかもしれない。いや、艦娘であってもノンキャリのエリートとして出世するだろう。今の海軍はかつて程キャリア・ノンキャリアの差を付けなくなっているから、艦娘出身と言えどいいところまで行ける可能性は十分ある。

 そんな将来バラ色が約束されているエリート艦娘は、大業そうに鈴谷の前の席に腰を下ろす。

 

「研修でお疲れ?」

 

 海に出て走り回っていることより座学ばかりの研修が疲れるものだろうかという皮肉交じりに尋ねる。すると熊野はどう受け取ったのか、素直に頷いた。

 

「まったくですわ。自分で選んだ道とは言え、こうも退屈なお勉強が続くのかと思うとうんざりします」

 

 肩でも凝っているのか、熊野はしんどそうに首を回す。それから「体力を費やすより気力を費やす方が疲れますの」としっかり皮肉を返してきた。

「鈴谷には無理だわぁ」と適当に答えて受け流す。

 

 二人の馴れ初めは、偶然艦級が同じだったことだ。最上型重巡洋艦の三番艦が鈴谷で、四番艦が熊野だっただけのこと。つまり姉妹艦の関係である。出会ったのも横須賀教育隊で、書類上のカテゴリーがたまたま同じ括りだっただけの赤の他人同士だった。とは言え用兵の都合上姉妹艦同士で部隊を編成した方が合理的だし、管理の都合上寮室を一緒にしたり行動を共にさせた方がやりやすい。

 ただし、姉妹艦同士でも本人らの人間関係というのは当然生じてくるものだから、中には姉妹艦と折り合いがうまくつかなくて編成が変えられたという例もあるらしい。幸いにして鈴谷と熊野においては今のところ関係は非常に良好であり、その必要性は一切生じていない。今のところ、だが。

 

 まだ養成所でしごかれている見習い艦娘だったころから、よく周囲から「凹凸コンビ」と揶揄されていた。鈴谷自身、それは的を得た指摘だと思っている。

 とにかく几帳面な熊野と大雑把が服を着て歩いているような鈴谷では揶揄もされよう。そもそもの生い立ちからして真反対のようで、貧しい家庭に生まれて学生時代は「不良少女」やら「非行少女」やら呼ばれて、そのまんま艦娘になったら今度は「不良艦娘」と後ろ指さされているような鈴谷と、(あまり詳しくは本人が語りたがらないので知らないものの)それなりに裕福な家庭に生まれ育ち、厳しい教育を受けて、艦娘になったらなったで「ノブレス・オブリージュ」や「スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂」を地で行く模範的艦娘の熊野である。それはもう、見事なまでに真逆であった。

 何しろ熊野の唯一の欠点は「鈴谷」だと言われるくらいである。さすがにそれはあんまりなので耳にした時にはむかっ腹も立ったけれど、一歩引いて考えてみれば一理あるとも思った。付き合う人種もその人の品格の一部とみなされるので、例えばの話、高学歴高収入で医師や弁護士といった立派な職業に就いている人間が、暴力団関係者と仲良くしていたらあんまり尊敬はされないだろう。当人の考えは別として、鈴谷の存在が熊野の評価にとってマイナスであるのは否めない。

 しかし、だからと言って鈴谷にも熊野にも、お互い別れるつもりは毛頭ない。性格というより相性が非常に気持ち良く合致しているので、お互い隣り合っていて居心地がいいのだ。鈴谷はしっかり者の熊野に甘えられるし、熊野も普段の模範的艦娘という像を捨てて愚痴を言える相手は鈴谷に限られる。どちらも他人には見せられない姿だ。凹凸はしっかりと組み合わさっているのである。

 ただ、最近においてはその限りではなくなってきている。というのも、秘書艦研修ばかりでめっきり海に出られなくなった、あるいは出られたとしても完全に鈴谷とは別行動になる熊野との間に、何となく距離が出来てしまっているような気がしてならない。経験の浅い鈴谷にとって、ベテラン艦娘が選ばれる秘書艦という立場はとても遠く、自分たちが関わるようなものではないと思っていた。元より鈴谷にはそんな可能性はないし、熊野にとっても当分先の話だと、二人してそう思っていた。

 

 ところが、ひと月ほど前に熊野に対して秘書艦候補生の話が来たと聞いた時、直感的に熊野が離れていってしまうと感じたのだ。そして、それは事実となった。

 置いて行かれているような寂しさ、あるいはこれまで一緒だった道が分岐点に到達し、これから別々の先を行かなくてはならなくなったような気分。最近鈴谷の胸の内を支配するのはそんな感情ばかりである。

 

「眠れていないの?」と彼女は言った。

 

 その理由を、熊野は先日遭遇したばかりの事件の目撃と考えるだろう。そう思って声を掛けて来たのだろう。

 確かにそれもある。目撃者だから、口封じに狙われない可能性もないとは言えない。しかも、あの事件の犯人はひょっとしたら化物かもしれないと思うと、恐怖を感じないわけではない。脅威の数を勘定したりもした。

 だが、それらはすべて憶測の上だ。

 現実は、常識的な思考が優先される。すなわち、犯人はさして害のある人物ではなく、必要以上に他者を傷つけることを忌避するタイプで、鈴谷はがっちりと守られた基地の中で過ごし、海に出る時は無敵な艤装を装着している。万に一つも攻撃を受けることはない。受けたとしても傷一つ付かない。傷付いたとしても鈴谷は問題ない。

 だから、眠れていない理由の大部分を占めるのはまったく別の問題、つまりは熊野のことだった。

 でも、当人に面と向かってそれを言うわけにはいかない。特に熊野の性格なら真に受けてしまい、悩みに悩んでド壷にはまるのは目に見えている。多忙な彼女を下らないことで悩ませたくない。

 だから、鈴谷は適当に話を合わせて誤魔化す。

 

「少し肌が荒れてますし、目元の色も悪いですわ」

「目付きが悪いってよく言われるよ」

「そういうことじゃありません。例の事件のことが尾を引いているんですわね?」

「確認のための質問だよね。ま、その通りなんだけどさあ」

「あまり、気にしてはダメよ。辛かったらカウンセラーもいらっしゃるわけだから、一度相談に行って来られてはいかが?」

「考えとく」

 

 カウンセリングなど受けるつもりはまったくないからそう答えておいた。仮に受けるとしても、相談するのは別のことになるだろう。

 それで解決するなら誰も苦労はしない。子供の頃はさんざんカウンセリングの類は受けたけれど、それが役に立った試しは一度たりとて有りはしなかった。だから、鈴谷はカウンセリングやカウンセラーという存在を一切信用していない。

 カウンセラーというのは話を聞いてくれる。当たり前だ。それが仕事なのだから。

 そして、こちらの言うこと、悩み、想い、その他諸々を一応は理解してくれる。そこから、「人を思い遣って」とか「君の自由に、けれど少しだけでもいいから相手の気持ちも考えてみよう」とか、誰も彼もが同じようなところに話を持って行く。理解はしてくれても、決して受け入れてはくれない。少なくとも、幾度とないカウンセリング経験の中で鈴谷はそう感じた。だから毒にも薬にもならないカウンセラーより、「不良艦娘」と呼ばれている鈴谷であっても、小言を言いつつも受け入れて友人をやってくれている熊野の方が余程重要な存在なのだ。

 

 彼女は唯一無二である。彼女が居なくなれば鈴谷は孤立する。

 多少面倒臭い性格をしていても、きっと熊野は多くの人に気に入られるだろう。秘書艦候補生に選ばれたのも、上からの受けが良かった証拠だ。

 対して鈴谷は、仕事上のものを除いて熊野以外に人付き合いがない。上官の受けも悪いし、他の艦娘たちは「不良」である鈴谷に近付きたがらない。

 

 

 

 故に、鈴谷は熊野が離れていくことに恐怖する。

 

 故に、彼女を突き放すようなことは決して口にしない。

 

 

 だけど、熊野には熊野の道があって、その道の先が鈴谷の道とは違う方向にあることも理解している。彼女がその道を進むことを止められないし、鈴谷の道に引き込むことも有り得ない。彼女には彼女の夢があり、鈴谷は当人からそれを聞かされていたし、彼女がその夢に向かってひたむきに努力しているのも知っている。熊野が目指すのは組織の中でも高見に位置していて、そこは鈴谷のような「不良」には到底望むべくもないような場所。きっと熊野はいつかその場所に到達するだろう。そして、その時自分は彼女のそばには居ないだろう。何故なら、鈴谷には熊野と並び立てるほどの頭脳もなければ、人望もないのだから。

 別れは必然であり、それも遠くない未来の話だ。次期秘書艦に内定したのも、彼女が夢へ向かって着実に歩んでいる証拠だった。少なくとも、鈴谷はそう考えていた。

 もう頭ではとうに理解している。後は心がそれを受け入れるだけ。自分の我がままで、この愛すべき同僚の行く末を変えてしまうわけにはいかない。

 けれど、理性の判断に感情がなかなかついていけないのも事実だ。毎晩、消灯された寮室の中でベッドに潜り込み、熊野が穏やかな寝息を立て始めるのを耳にしてから目を閉じると、途端に矛盾した理性と感情が押し寄せて来てしまい、せっかくの眠気を何処かに蹴飛ばすのだ。だからいつも眠気が限界になるまで意味のない葛藤を繰り返し、結果寝不足になってしまっている。

 

「貴女がそう言う時はまったくするつもりがない時ですわ」

 

 そんな鈴谷の悩みなど露知らず、心配を無碍にされたと思ったのか熊野は少しむくれ顔になった。

 いつものことだ。熊野は人の機微を敏感に察知出来るくせに、鈴谷が悩んでいることを言い当てられたためしがない。このお嬢様は意外とそういうところが鈍かったりする。

 それはもちろん、鈴谷が自分のことを隠すのが上手だということもあるのだろうけれど。

 

「分かる?」

 

 と、笑って隠せばほらこの通り。熊野はむくれ顔のまま的はずれな心配をしているだけ。

 

 何も気付かない。何も気付かせない。

 

「『分かる?』じゃありません。まったく、貴女は……」

 

 この辺りで追求は打ち切られる。熊野はあまりしつこいタイプではない。彼女も鈴谷の性格はよく分かっている。鈴谷が何か相談するべきことを抱えているならまずは熊野に話をするということを。そしてそれがないなら必要以上に踏み込むようなことでもないということを。

 十年来の友人同士というわけではないが、熊野は鈴谷との付き合い方は心得ている。絶妙な距離感を保つのが非常にうまい。だから、鈴谷にとっても熊野の隣は居心地がいい。

 だけど、世の中には熊野に相談出来ないことなんていくらでもあって、その内の幾つかを鈴谷が抱え込んでしまう可能性は決して低くないのだ。熊野はそれをまだ分かっていない。そういうところが“鈍い”のだ。

 

「ダイジョーブ。なんかあれば言うからさ」

 

 微笑みと共にそう言ってあげれば、心配症な熊野も落ち着く。

 扱い方はよく心得ているもので、こう言っておけば大丈夫だ、という言い方というのが幾つかあるのだ。熊野も案外単純なもので、言葉一つで不安になったり安心したりする。

 けれど、そうやって鈴谷を、等身大の鈴谷を、「不良」というレッテルを貼らずに鈴谷を見てくれるのは彼女しか居ない。鈴谷のことで不安になったり安心したりするのは、それだけ熊野はしっかり見てくれているという証左である。熊野にとって鈴谷はとても大切な存在で、それはそっくりそのままひっくり返して鈴谷にも同じことが言える。

 だからこそ、鈴谷もまた熊野を不安がらせられない。彼女が恐れること自体を鈴谷は恐れている。

 例え仮初めの、何にもならない空虚な言葉だったとしても、それで熊野を安心させられるなら鈴谷はいくらでも言葉を弄そう。

 鈴谷は、自分が熊野の道に転がる岩になることを望んでいない。

 

 

「ま、いいですけれど」と投げ捨てられたような言葉を最後に彼女はようやっと食事に手を付け始める。

 彼女はまだ食べ始めだが、鈴谷はもう食べ終わりそうである。もっとも、昼休みはまだ時間があるのでゆっくり熊野を待ってやっているのもいい。どの道、一人になったところですることなんて喫煙所でだらけるくらいしかないのだ。鈴谷は喫煙者であった。

 

 煙草について言えば、これは入隊する前からの習慣だ。十七歳の時に艦娘としての適性があるのが分かり、拒否権なく艦娘にさせられたので、立派な未成年喫煙者だったことになる。年齢的なことを言えば今現在は既に成人しているので吸っていても問題はないのだが、たまに街中で吸っていると警察官に咎められたりする。その度に艦娘だからと説明しなければならない。何しろ見てくれが入隊直後から変わっていないのだから。

 ただし、最近はあまり吸うことがなくなった。入隊し、正式配属されてからも日に十本は吸っていたのだが、ここ何年かは一週間経ってもひと箱空にならないこともよくあるようになった。理由は、煙草の値上げが著しいのと、目の前の彼女が大変な嫌煙家だからだ。

 どちらかと言うと後者の方が大きい。臭いに敏感な熊野は、ちょっとでも鈴谷が煙草臭いとすぐに、やれ「健康が」とか「副流煙が」とか「部屋に臭いが」とか細々と言い出すのだ。うるさくてかなわないから隠れて吸うようにしたり、海に出る前に吸って潮の匂いで誤魔化そうとしたり、吸った後に全身ファブリーズしたりと鈴谷もあの手この手で臭い対策をしていたのだが、その内にすべて面倒臭くなり、結果吸う頻度自体が落ちていった。

 

「煙草を吸いたそうですわね」

 

 ところがどっこい、熊野は見事に鈴谷の思っていることを言い当ててきた。

 

「いや? そんなことないよ」

「いいえ。顔に書いてあります。私ほど鈴谷を見慣れていれば、その程度すぐに分かりますわ」

 

 なんだそりゃ。

 眉が波打つのを自覚する鈴谷に対して、熊野は得意顔だ。澄ましたふうにしてお上品にご飯を口に運んでいる。

 彼女にしては珍しい物言いだ。普段はこんな風に自分で自分を持ち上げるような言い方をしたりはしない。

 

「吸わないから。熊野が嫌がるの知ってるし、吸うとしても気付かれないようにこっそりやるよ」

「そうやって私に気を遣っているからあんまり吸わないようになったのでしょう?」

 

 その言葉に鈴谷は素直に驚いた。まさか熊野がそんなことを言うとは思いも寄らなかったからだ。

 今までの熊野といえば、どちらかというと鈴谷が禁煙することには諸手を挙げて賛成するようなタイプだった。臭いについて口喧しかったのも、二人の共有スペースである寮室にタバコの臭いが付くのを嫌がったというのもあるが、純粋に鈴谷の健康を慮ってのことだったはずだ。だから、鈴谷も少しばかり健康を気にかけて熊野の言うことに従ってみようなんて殊勝な気持ちが湧いて、意図的に喫煙の頻度を下げたところもある。決して「面倒臭い」だけが理由ではなかった。

 

 それが「私に気を遣って」ときた。

 

 

「まあ、そういうところもないことはないけど」

 

 咄嗟に誤魔化そうと思ったけれど、もうすでに色々と見抜かれているようなので、鈴谷は正直に言うことにした。

 

「やっぱり、私のために我慢なさってるのね」

「……それだけじゃないけど」

「そうですわ。鈴谷のことですもの。ああ、だけどあんまり無理はなさらないで。吸いたくなったらお好きな時に吸われていいのよ。臭いのこともうるさく言いません」

 

 うん?

 

 鈴谷は目を見開いた。何か信じられないものにでも直面したように。

 いやはや、実際信じがたい。自他ともに認める嫌煙家から、喫煙の容認発言が飛び出したのだ。これで驚かないほど鈴谷は図太くない。

 

「どうしたの、熊野? 何か変な物でも食べた?」

 

 と、思わず聞き返してしまったのも仕方がない。それほどまでに熊野の発言は鈴谷に衝撃をもたらしたのだ。

 

「失礼ですわね」

 

 片や、熊野と言えば言われたことに素直に反応して頬をふくらませる。よくある反応の一つだ。

 

「私、これでも鈴谷のことを考えて言ったのですよ。今まで、私の我儘で貴女を縛り付けてしまっていたから」

 

 人生史上類を見ないほど驚愕している鈴谷に対して、あくまで熊野はいつもとそれほど変わらない様子である。鈴谷が驚いていることに対してもあんまり気が向いていないようだ。本当に、鈍いんだか鋭いんだかよく分からない。

 

 それはそれとして、どうも熊野の様子がおかしい。

 

「ホント、どうしたの?」

「どうも、ありませんわ。ただ、最近ちょっと自分を省みる機会があったものだから」

 

 熊野はふと箸を止める。それまでバランス良く主食主菜副菜を満遍なく食べていたのを、ぴったりとやめてしまう。

 

 目を伏せる熊野。何か言い出しそうなので、鈴谷も黙っていた。

 

 

 

「鈴谷は」

 

 それから、彼女は顔を上げることなく切り出した。

 

「私の、傍に居てくれますか?」

 

 まるで訊くこと自体を恥じるような訊き方だった。それを口にすることさえ憚られることをそれでもあえて決心して口にしているような、そんな口調だった。

 恥ずかしいなら訊かなければいいのに、けれど熊野の中では何か重大な決心があってそれ故に表に出された問い掛けなのだろう。そんなこと、訊くまでもないのに。

いつだって、鈴谷の答えはただ一つだ。熊野が居なければ孤独になるのに、どうして自ら離れるというのだろう。夢より自分を選んでくれればと、何度都合のいい妄想をしたことだろう。

 でも、きっと鈍い熊野には分からないのだ。そんな鈴谷の内心なんて、これっぽっちも気付いてやがらないのだ。だから、ちゃんと言葉にして言ってあげる必要がある。

 

「当たり前じゃん。鈴谷は熊野とずっと一緒だよ」

 

 何故なら、現在進行形で鈴谷は熊野と共に居られる残り時間の短さを嘆いているくらいなのだ。それが延びるならば何を差し出してもいいと思えるくらい、熊野との時間を大切にしている。

 「当たり前」と言ったのはそれを確かめるため。こうして二人の意志が共通であることを確認すれば、別れられずに済むと思えたから。

 分岐する道がまた一緒に戻るんじゃないかと思えたから。

 

「熊野が秘書艦になっても、運用は変わらないだろうし、どっちかだけが他のとこに飛ばされることもないでしょ?」

 

 けれど、鈴谷は思っていることを上手に笑顔の下に隠してしまえる。暗いことなんて何にも考えていない様に装う。

 

「……そう、ですわね」

 

 つられたように、熊野も笑う。けれど、いつもの自信たっぷりなそれとは違い、ひどく弱々しかった。

 

「ごめんなさい。変なことを訊いてしまいましたわ。気にしないでください」

「うん。聞かなかったことにしておくから」

「そうしてくださいな」

 

 再び熊野は箸を動かし始めた。つまらない話はもう終わりだ。

 

 

 ああ、まったく。本当に、つまらないことだ。あんな訊き方、まるで熊野は“その時”を予感しているみたいじゃないか。不吉ったらありゃあしない。そういうことを言うと、いわゆる「フラグが立つ」ことになるというのを、この鈍ちん重巡娘は理解しているのだろうか。

 いや、きっと分かっていないのだろうな。子供っぽい熊野は、思ったことをそのまま口にしてしまったのだろうな。

 きっと、ナーバスになっているのだ。以前は非番の度によく「デート」していたのに、最近は熊野が「用事がある」とかで全然一緒に出掛けられていない。そのことが他ならぬ熊野自身に悪影響を及ぼして、だからこんなふうにいきなり訳の分からないことを言い出したりしたのだろう。

 案外世間知らずの箱入り娘だから、こんな頓珍漢なことを口にする。そういうことが良くないことを引き付けるのだと、知らないのだろう。オカルトかもしれないが、世の中には変なジンクスが転がっていたりするものだ。

 熊野が深刻な顔で、いかにもなことを口にしたら、妙に切迫した感が醸し出されて、本当に悪いことが起きそうな気がしてしまう。

 ああ、不吉極まりない。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 

 今日の蠍座の運勢はどんビリです。

 

 今朝の占いでそんなことを言っていただろうか? 

 やかましく電子音を鳴り響かせるPHSを懐から取り出して、画面に表示された電話の発信者を見た瞬間、鈴谷の脳裏に浮かんだことである。今日はとにかく不吉な「フラグ」が立つ日らしい。まったく嘆かわしいことだ。

 鈴谷をうんざりさせている電話の発信者は、「秘書室」となっていた。PHSの液晶に表示されているのはそれだけで、つまり鈴谷が電話帳に発信番号を「秘書室」とだけでしか登録していないからだ。

 この短い三文字の、普通名詞と言える単語は、ここでは一人の人物を表す固有名詞となる。

 横須賀鎮守府に三人居る秘書艦の内、二人はまず鈴谷に電話を掛けてくることはない。何となく煙たがられているのは知っているし、こちらから話す用事もない。だから、秘書艦の仕事部屋である秘書室から電話を掛けてくるのは消去法で一人に限られる。

 コールが五回鳴ったところで、鈴谷は観念して通話ボタンを押しながら端末を耳に当てた。

 

「はい、鈴谷です」

「こんにちわ。榛名です」

 

 お世辞にも音質がいいとは言えないPHSのスピーカー越しでも、尚、綺麗な発声と賛辞出来る明朗で心地良い声が名を名乗る。

 

 横須賀鎮守府筆頭秘書艦、金剛型高速戦艦三番艦「榛名」。

 仰々しい肩書とは裏腹に、電話の主は女優顔負けの美貌の持ち主で、かつ美声の持ち主でもある。ただ仕事の話をしているだけなのに、発声の良さに男が惚れてしまったという伝説でさえ生み出されるくらいだ。もしそんな阿呆な男がこの世に実在するとして、そいつが実物を見たらどうなるのだろうと想像するのは少し面白いかもしれないが。

 ただし、見た目や声に騙されてはいけない。

 この「榛名」という艦娘はとんでもない食わせ者なのだ。正直に言って、鈴谷は彼女のことを苦手としていた。

 

「ご用件は何でしょうか?」

 

 不良、不良と言われる鈴谷でさえ、彼女との話では畏まった言葉遣いをする。仮にタメ口を利いても榛名は怒りもしなければ咎めもしないだろうが、そのせいで“何か”あったらと思うと恐ろしくてとてもする気になれない。その“何か”が何なのかが分からないというのが、一番怖いのだ。

 

「少しお話したいことがありまして、今からでも秘書室にお越しいただけませんか?」

「はい。ですが、私、これから演習が入っているのですが」

「それについてですが、演習は十五時まで延期になりました。なので、鈴谷さんのお時間が少しばかり空いてしまっていると思います。それを少しばかり頂戴出来ないでしょうか」

 

 相手は格下の鈴谷にも下手に出ているが、だからと言って拒否権があるわけではない。提示されている選択肢は「はい」か「Yes」しかない。

 

「了解致しました」

 

 質問は許されるだろうか。

 今日の鈴谷の午後の予定は、十四時から海に出て演習するという素晴らしいものだったはずだ。六対六の基地内演習だが、なまじ人数が多いので上手にサボれば楽を出来る時間でもある。

 ところが、たった今その予定は変更されてしまった。演習は急遽一時間延期になったらしいのだが、果たしてそれを榛名に尋ねる権利は与えられているだろうか。

 

「演習判定システムのサーバーがダウンしてしまったんです。現在再起動させているところですので、そんなに時間は掛からないでしょう。しかし、十四時半までにサーバーの復旧が出来なければ本日の演習はキャンセルです」

 

 だが、相手は鈴谷がそういう疑問を持ったことに対してもちゃんと答えを用意していた。聞かれる前に教えてくれるのだから、榛名は非常に要領がいい。逆に、そうでなければ筆頭秘書艦など務まりはしないのだろうけれど。

 

「ありがとうございます。直ちに向かいます」

「お待ちしておりますね」

 

 内容は簡潔にして明確。話の内容というのが非常に、非常に、気になるが、優秀な秘書艦というのは電話一つとっても無駄がなく洗練されている。さすがにあの熊野でもこうはいかないだろう。慣れれば出来るようになるかもしれないが。

 

 それにしても、やはり話の内容というのが気になる。榛名からわざわざ電話を掛けてきて、しかもすぐに来いである。余程の用事であるのは想像に難くなく、よしんばそうじゃなくともろくでもない話なのは間違いない。

 昼食後に食堂を出て午後の座学に向かう熊野と別れた鈴谷は、時間も押しているので艤装を持ち出すために工廠へ向かっているところだった。位置関係で言えば榛名の居る鎮守府司令部庁舎はやや内陸の手、丘陵地を切り開いた中にあり、海際の工廠からは離れている。だが、当然のことながら行動は早いに越したことはなく、鈴谷は大急ぎで庁舎まで走った。

 庁舎に飛び込んで一気に最上階まで駆け上がる。横須賀程の大規模基地の司令部となればそれ相応に大きい。東西に長い庁舎の正面左、西側の端が司令官室であり、その手前にあるのが秘書室だ。

 秘書室の扉の前にたどり着くと、鈴谷はあまり音がしないようにゆっくりと深呼吸をする。そうして息を整え、心構えを持ってからノックした。

 

「どうぞ」と間髪入れず返事が響く。

 

「失礼します」

 

 中に居たのは一人だけだった。

 入り口から見て正面の大きいデスクに着いているのが筆頭秘書艦榛名である。

 やや灰色がかった長い黒髪に、目鼻立ちの整った小顔。正統派美女として名高いのもうなずける話で、その美貌は海軍全体はおろか、世間にさえ知れ渡っている。巷では西洋一の美人艦娘がウォースパイトなら、東洋一の美人艦娘は榛名だ、などと下らない噂もささやかれているくらいだ。実際に面と向かい合っても、同性の鈴谷でさえ惚れ惚れしてしまうような魅力を放っている。

 しかも、これで秘書艦の筆頭を務めるのである。他に二人居るとは言え、この巨大な横須賀鎮守府をまとめ上げ、円滑に業務を回していくのは並大抵の手腕で行えるものではない。

 加えて、年功序列で言えば彼女より上にある艦娘は日本には二人しか居ない。同型艦で着任が先だった「金剛」と「比叡」の二人だけ。この二人は現在横須賀とは別の基地にそれぞれ配属されている。さらに、最古参の彼女はその経歴の長さに見合った戦果も積み上げており、今でこそデスクワークが主で海戦に赴くことは少ないものの、実績の数字だけなら全艦娘の中でも確実にトップテンに入るだろう。さすがにここまでくれば、海軍広しと言えど逆らう艦娘は一人も居ない。

 天は二物も三物も与えるらしい。密かに熊野が憧れを抱いているのもうなずける話というわけだ。

 

「どうぞお掛けになって」

 

 そう言って榛名は自分のデスクの前にあるパイプ椅子を指し示す。わざわざ用意してくれていたらしい。鈴谷は恐縮しつつ、ひと言断ってから腰を下ろした。

 幸いにしてなのか、後の二人の秘書艦は席を外していた。榛名のデスクの正面には向かい合った二つのデスクが合わさった島があり、そこが彼女の部下の席である。

 つまり、さして広くない秘書室の中で鈴谷は榛名と二人きりだ。

 

「さて、お呼びした用件は二つあります。一つは、先日の件で警察から連絡がありまして、もう一度鈴谷さんにお話を伺いたいとのことです」

 

 ああ、これは本題ではないなと感じた。

 正直なところ、鈴谷にとってはどっちでもいいことだ。どう答えようが、こうして榛名が尋ねてきた時点ではもう軍としての警察への回答は確定しているのだから。つまり、この話は単に間をもたせるだけの、鈴谷に“次の話に備え”させ、少しだけでも場の空気を“温めて”おくためのもの。

 けれども形式的なやり取りというのは必要だ。

 

「それは、任意ですか?」

「“任意です”」

 

 榛名は微笑んだ。不気味な笑いだった。

 

「分かりました。お断りしたいと思います」

 

 どの道そう言うしかない。警察がどういう言い方をしたのかは知らないが、榛名が“任意”と言ったのだから、それは絶対に辞書的な意味での“任意”なのだろう。ならば、断ることが正解だ。

 

「はい。実は鈴谷さんがそうおっしゃるだろうと思って先にお断りさせていただいております。今のはあくまで鈴谷さん個人の意思を確認するためのものでした」

「やっぱり、そうですか」

「やっぱりそうです。何しろ、警察の狙いは貴女の勾留だったんですからね」

「疑われてるんですね、私」

「ええ。警察は疑っておりますね。ですが、腹の立つ話だとは思いませんか? 暗がりの中で見た相手の人相がまったく分からなくても、別におかしなことじゃありません。なのにそれを『おかしい。何か隠しているんだ』と疑ってかかっている。馬鹿にしていると思いませんか?」

 

 いつも冷静で、愛想はいいものの感情を見せることの少ない榛名にしては珍しく、いたく気持ちの篭った言葉だった。ひょっとしたら警察と直接話したのだろうか。向こうは相手が榛名だとも知らずに偉そうに物を言ったのかもしれない。電話を掛けた警察官がコテンパンにやり込められたのは想像に難くない。何せ、榛名だ。

 

「まあ、私は有名ですし」

「そのようですね。お噂はかねがね耳にしております」

「アハハ。恥ずかしい話です」

「でも、それも昔の話ではありませんか。それは確かに以前は色々されていたかもしれませんけど、今の鈴谷さんは国民国家を防衛し、大義のために粉骨砕身する立派な防人。誰にも後ろ指さされるようなことはありません。昔がどうであれ、色眼鏡を掛けて見るのはどう考えても偏見というもの。鈴谷さんは被害者の保護に努め、然るべき機関に事件後直ちに通報されているのですから、その時点で義務は十分果たされている。むしろ警察にとっては謝辞を述べるべき相手でしょう」

 

 どうやら榛名は相当頭にきているらしい。こんなに怒っている彼女を見るのは初めてだ。その怒りの矛先が自分に向いていなくて鈴谷は心底安堵した。

 火山が噴火したような激しい怒り方ではないが、怒ったら報復や制裁は確実に実行するタイプだ。おっかないことこの上ない。榛名の持つ権力でそんなことをされたら、抗う術などほとんどないのだから。

 それから榛名は居住まいを正すように一つ咳払いをすると、話を続けた。

 

「失礼しました。少し感情的になってしまいましたね」

「いえ、そう言っていただけるだけで恐縮です」

「当然のことです。それと今後ですが、もし仮に警察が鈴谷さんに直接接触してきても、すべて鎮守府を通すように言って断ってくださいね。貴女はプライベートであっても国家の軍人であるわけですし、軍としても無関係ではいられないことです」

「もし、無理に連れて行かれたとしたら?」

「……大したものではありませんが、榛名は個人的に少しばかり霞が関にコネがあります。警察に、筋を通すようにと諭すことも出来ますので」

 

 さらりととんでもないことを言う榛名に、鈴谷はもう呆れるしかない。

 深海棲艦や吸血鬼より、榛名のほうがよっぽど化け物じみていそうな気がする。味方と思えば心強いが、敵にしないようにするのは本当に気を遣う。

 

「だから、鈴谷さんがご心配なさるようなことは何もありません。その内真犯人も捕まるでしょう」

「そう、願います」

「ええ。それで話は変わりまして、もう一つの用件ですけれども」

 

 こちらの方が重要なことなのですが、と榛名は分かりきった前置きをして、

 

「最上型重巡洋艦三番艦鈴谷。貴女に改装命令が出されました」

「……改、装?」

 

 意外過ぎる話に、思わずオウム返しに聞き返してしまった。

 まさか、自分にそんな話が降りてくるとは夢にも思っていなかったからだ。

 

 改装というのは、書いて字の如く艦娘を、正確には艤装を改装することである。主な狙いは総合的な能力向上。火力、耐久力、装甲防御、機関出力、操舵力、凌波性、安定性、俊敏性、その他諸々の要素を艤装に手を加えて改良することだ。部品の取り替えから始まる単純な改良もあれば、艤装をある程度分解した上で作動機構そのものをいじるような大掛かりなものまで様々だ。改装を受ける艦娘の短所を補い、長所を伸ばし、あるいは期待される役割に沿うように改造する。

 ただ、改装というのは軍にとってもそれなりの資金と資源を費やすものであるから、必然的に対象となる艦娘は選ばれる。基本的には単純な撃破数、すなわち戦果が多い者や、戦闘任務には従事していないものの護衛などの後方任務で著しく長い経験を積んだ者など、選定基準は複数あるようだが、いずれにしてもそれなりの練度に達しているとみなされ、かつ今後の活躍も期待され、艦娘を管理する秘書艦等(秘書艦自身の場合は直属の司令官)からの推薦があって初めて改装の栄誉を頂戴出来る。大抵改装は一人につき一度のみだが、古い者の中には二度目の改装を受ける者もいる。そういう艦娘はよっぽどの戦果を挙げた本物の英雄であり、例えば今目の前にいる榛名がそうだ。

 しかし、鈴谷はまさか自分がその栄誉に与れるとは想像だにしていなかった。

 確かに戦果という点では、他者よりは優れた成績を残せているという自負はある。それは客観的に数字として現れているから嘘偽りのないもので、毎度艦娘ごとの戦果一覧表を見る度、自分の成績に気を良くしている。だが、逆を言えば「不良」である鈴谷には戦果くらいしか他人に誇るものがない。戦うこと以外のあらゆることが平均値以下であるという自覚はあるし、実際周りからもそう思われているだろう。

 だからこそ、今まで面倒な仕事を押し付けられたりはしなかった。誰もが、「お前は海に出て戦っていてくれればいい」と考えているだけのようだったから。そして、鈴谷にとってもそうである方が都合が良かった。

 もちろん、上官受けの悪い自分が戦果だけで改装を受ける資格をもらえるわけがない。軍はそんなに甘いところではない。

 とすれば、鈴谷を推薦した者が居る。それも評判の悪い艦娘をゴリ押し出来るような力を持った人物。必然的に一人に絞られる。

 

「しかも、ただの改装ではありません」

 

 疑問が解消せぬ内に、さらに榛名から衝撃的な事実を告げられて鈴谷の思考は硬直することになった。

 

「艦種変更を含む改装になります」

「え……?」

 

 衝撃的なひと言に、鈴谷は絶句する。まさかの、さらにまさかの通告。これで驚くなと言うのが無理な話だ。

 

 

 艦種変更とは、改装に際して艦娘の艦種を変えることだ。艦種変更を伴う改装というのは二度目の改装を受けることより珍しい。理由は単純に艦種が変われば運用が変わり、艦娘本人を中心に一から訓練し直さなければならなくなるからである。その間、艦娘本人は戦線を離脱しなければならないので、通常の改装における習熟訓練より長期の不戦力化となってしまうわけだ。加えて、当然のことながら艤装も大きくいじることになり改装に掛かる時間自体も伸びてしまうし、コストも飛躍的にアップする。だから、艦種変更をするにはそれ相応の大きなメリットがなければならない。

 

 最初の衝撃から復帰した鈴谷は次に、そのメリットが何かと考えた。現在の自分の艦種は重巡洋艦であり、比較的数は揃っている部類だから同艦種の中では最も年次の若い鈴谷は“余裕”とみなされているのかもしれない。現状の戦況も逼迫しているわけではないし、そもそも大所帯の横鎮であるから戦力には困っていない。鈴谷が抜けても痛手にはならないのだろう。

 その点で時間の問題はクリアしたとして、残るは金だ。鈴谷にそこまで「投資」する意義があるのかということだ。例えばの話、水上機母艦を、強い戦力で頭数の少ない軽空母に転換したり、人数の足りている軽巡を他の追随を許さない雷撃力を誇る重雷装巡洋艦にしたり、水上打撃部隊に補助航空戦力を与えるために戦艦を航空戦艦にしたりと、今まで実行された艦種変更にはそれぞれ大きなメリットがある。

 

 

「その、変更っていうのは、どうなるんですか?」

 

 こればかりは聞かないことには分からない。

 果たして榛名は快く答えてくれた。

 

「航空巡洋艦です」

「航空……?」

 

 聞き慣れない、というか聞いたことのない言葉だった。航空母艦でもなく、なんちゃら艦でもなく、“航空巡洋艦”という艦種。

 

「はい。文字通り飛行機を扱う巡洋艦です」

「はあ……」

 

 鈴谷の返事は今ひとつ要領を得ない。そもそも、重巡自体が艦隊の目として水上偵察機を日常的に扱う艦種であるから、今更“飛行機を扱う巡洋艦”などと言われてもピンと来ないのである。言葉の響きから航空戦艦に近い感じだが、どうなのだろう。

 

「ええっと、そうですね」

 

 話が分からない鈴谷に、榛名は説明を重ねる。逡巡してから、彼女は少しばかり話を変えた。

 

「呉鎮に、利根型って居ますよね」

「居ますね」

「彼女たちの艦種は重巡ですけれど、俗に“偵察巡洋艦”なんて呼ばれたりもしています。ご存知ですか?」

「なんか、聞いたことはありますけど」

「なら、話は早い。彼女たちがそう呼ばれるのは、普通の重巡より水偵の搭載数を増やし、索敵能力を強化しているからです。重巡の役割の一つである『艦隊の目』としての機能を増強したわけですね。

で、航空巡洋艦――長いので航巡と略しますが――、航巡は利根型の延長線上にあるものと考えて下さい。すなわち、索敵能力を大幅に強化した重巡です」

 

 なるほど、と納得。

 索敵というのは増やしたところで増やしすぎるものではない。純粋に索敵能力を伸ばす方向への進化は至極妥当なものだ。艦隊における巡洋艦の役割が「目」であるならば、それに特化した巡洋艦というのはかなり需要が高い。

 しかし、だ。その対象が寄りにも寄って鈴谷なのか。飛行機を飛ばすより砲弾を飛ばす方が得意な鈴谷なのか。

 航空巡洋艦の意義は理解出来るが、適材適所で考えると果たして自分が適任なのかとは思わずにはいられない。

 だが、聡明な榛名にはそんな鈴谷の疑問さえもお見通しなのだろう。

 

「航巡は何も鈴谷さんが初めての例ではありません。先行して、最上型の一番艦と二番艦、最上さんと三隈さんが既に改装を終え、習熟訓練も完了して実戦投入されています。そこでの運用成績は今のところ用兵側の要求水準を満たすものでありますから、三番艦の改装も決定されたんですよ」

「え、そうなんだ……」

 

 思わず素の口調が出てしまった。

 すぐに気付いて慌てて頭を下げると、榛名は優しく微笑みを返してくれた。どうやら許されたらしい。

 それはともかくとして、最上と三隈は鈴谷と同じ最上型のネームシップと二番艦、いわゆる“長女”と“次女”だ。無論、血縁関係はない。ついでに言えば人間関係も薄く、二人とは一度か二度顔を合わせただけで、正直なところ人相もあやふやになっている。そんな程度の繋がりしかない姉妹艦なので、二人のことはほとんど何も知らなかった。精々が南方の戦線でよろしくやっているくらいしか聞かないし、興味もないからそれ以上知ろうとも思わない。だから、二人が新しい艦種に改装されていたというのも今初めて知ったことだ。

 

「元々、最上型の四人の選定基準は航巡改装を見越して、艦載機扱いの適性、いわゆる空母適性も考慮されていました。航空巡洋艦の構想は鈴谷さんが思っておられるより以前からあったもので、その試験運用型としての利根型、目標としての“改”最上型が設定されたのです。最上型の改装が完了次第、おそらく改良版となりますが利根型も本格的に航巡に艦種変更されることになっています。そこまでが計画です」

 

 そう言いながら、榛名はおもむろにデスクの上に手を伸ばしていた。正確には、きちんと整理された机上の端に置かれた冊子に。

 几帳面に角が揃えられ、ホッチキスで止められた折り目一つない冊子。鈴谷は受け取りながら拍子の文字に目を向けた。「航空巡洋艦運用計画」とある。

 

「私、そんなに空母適性があるとは実感が無いんですけど」

 

 腑に落ちないのはそこで、鈴谷は別段水上機の扱いが上手なわけではない。もちろん、仮にも重巡なのだから一通り出来るし、実戦でも役に立つ程度には扱えるが、空母のように多数を自在に統制することなど到底無理だと思えた。艦娘になる時に検査で出たいろいろな適性のデータを表でもらったが、確かにそこには空母適性が「乙(甲乙丙丁戊の五段階評価の上から二番目)」と書いてあったので、データ上はそうなるのかもしれない。鈴谷の場合はその他の適性、例えば砲撃や雷撃、航行の適性も良かったから巡洋艦に選ばれたものだと思っていたのだが。

 実感が薄いので、榛名の言うことや適性データの結果はどうにもしっくりこないのである。

 ところが、鈴谷の疑問に対して榛名は上品に笑う。

 

「でも鈴谷さん、水偵の扱い、上手ですよね」

「そうですか? 普通だと思いますけど」

「ええ。見ていて思いますよ。あれ、苦手な人は本当に苦手で扱い方がぎこちなかったりするものですけれど、鈴谷さんは無駄なく的確に操作出来ています。これは空母適性が高い証拠で、かく言う榛名なんかは『丁』でしたから未だに飛行機を飛ばすのがうまくいかなくて苦労します。というか、空母適性が『乙』まで出たら十分空母になれますよ。適性『甲』じゃないと無理な正規空母はともかく、軽空母としてなら十分活躍が可能なレベルです」

 

 自分が空母、というのは想像しづらい。離れたところから敵を爆撃して、何機もの飛行機を飛ばして、空戦に勝った負けたをするのはどうにも性分に合わない気がした。やっぱり自分は主砲で殴り合うのがしっくりくる。

 しかし、航巡はどうだろうか。巡洋艦というくらいなのだから、殴り合いには参加するのだろう。艦載機を飛ばしつつ、砲戦や雷撃戦をこなすとなると、それはそれでややこしそうだなと思う。

 

「実際の運用では使ってもらうのは水上爆撃機が主となります。限定的とは言え航空戦力を取り扱うことになるので、その点は空母と変わりがなくなるでしょう。

水上機による哨戒・索敵活動と敵勢力への先制航空攻撃、もしくは近接航空支援、さらに制空権確保に向けた航空優勢の確立。この辺りが主たる役割となるでしょう。もちろん、航空戦艦という前例はありますが、あちらは低速艦ですし、戦艦の火力と航空戦力のバランスを取るのが難しくて扱いづらいところがあります。その点、航巡は重巡の代用として水上打撃部隊に無理なく組み込めて、且つ火力を落とさずに航空戦力を持たせられるのです。これは大きいことです。

それに、水上機を運用する関係で対潜哨戒も可能となりますから、軽巡や駆逐艦といった小型艦を打撃部隊に編入する必要性もなくなる。むしろ、火力を増強させることさえ可能なのです。その代わり、航巡は大変忙しくなるでしょうけどね」

 

 榛名は機嫌良さそうに饒舌に語った。まるで航巡という艦種を誇りに思っているように、自分がそうであるかのように航巡の良さを披露する。

 ひょっとしたら、この計画に彼女が一枚噛んでいるのかもしれない。やたら航巡について詳しいところを見るに、その可能性はかなり濃厚だった。

 

「すごい、ですね。でもこれ、私一人だけなんですか?」

 

 榛名は小首をかしげた。彼女の長い前髪がはらりと垂れる。

 あらわになった目尻に、笑い皺が小さくついているのが見えた。

 

「ええ。そうですよ? 熊野さんは今回改装が見送られています」

「その理由、聞いてもいいですか?」

「もちろん。隠すようなことでもないですし。

単純なことですよ。彼女は改装を受けている暇などないからです」

「……と言うと?」

「熊野さんが秘書艦研修を受けておられるのはご存知ですよね。彼女は来月には晴れて横須賀鎮守府の秘書艦の仲間入りを果たすわけです。そんな多忙な彼女に、さらに艦種変更による改装と習熟訓練を受けさせるのはさすがに酷というものでしょう。でもご安心を。落ち着けば彼女も航巡に改装されますからね」

「ってことは、秘書艦が一人増えるということなんですか?」

「いえ? 人数は据え置きです。一人抜けますから」

「抜けるって、それは」

「これはまだ内示しか出てないので秘密ですよ」

 

 榛名はそう言いながら長くほっそりとした指を口元に当てる。

 

「榛名、呉に行くんです」

「え、マジ?」

「マジです。大マジです。再来月からですけどね」

 

 もはや体裁を整えるのさえ忘れて鈴谷は素の反応で驚いた。対して、榛名はいたずらがバレてしまった子供のように無邪気な表情を浮かべている。

 大規模鎮守府から大規模鎮守府への横移動だからそんなに驚くことでもないが、横須賀から彼女の姿がなくなるのが意外なのだ。

 何しろ、横須賀鎮守府筆頭秘書艦と言えば、全艦娘がたどり着ける最高ポジションとさえ呼ばれることもある地位だ。そこから外れることは降格のような気もしないでもない。だが、榛名が降格されるようなへまをするだろうか。

 どうにもこの人事には裏がありそうだが、純朴そうに笑う秘書艦はきっと口にはしないだろうし、鈴谷には知る権限もない。

 

「がんばってください。榛名が居なくなったら鈴谷さんへの風当たりは強くなってしまうかもしれませんけれど、航巡という貴重な地位が貴女を守ってくれます。それに、熊野さんも秘書艦になるので悪いことにはならないとは思いますけどね」

「……はい」

「榛名はこれでも鈴谷さんのことを気に入っているんですよ。みんな偏見を持って貴女を悪く言いますけど、貴女はすごく私たちの力になってくれています。それを、榛名は正当に評価しています。だから、めげずにがんばってください。勝手なお願いかもしれませんけどね」

「……はい。ありがとう、ございます」

 

 

 この人への評価を改めないといけないのかもしれない。

 ただ絶大な権勢を振るう恐ろしい権力者ではなかった。残念なことに、榛名にはそういう一面もあるのだろうけれど、それだけが榛名の姿ではなかったのだ。

 だがまさか、庇ってもらえているとは思っていなかった。鈴谷の一体どこが彼女に評価されているのか見当もつかないのだか。

 しかし、思わぬところで思わぬ味方を得ていたのは悪くない気分だ。運用が変わるわけでもなさそうで、熊野も将来的に航巡改装すると言うのだから、鈴谷と別れないんじゃないだろうか。

 であるならば、気分は高揚すれど落胆はしない。

 

 今晩はよく眠れそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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