レミリア提督   作:さいふぁ

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レミリア提督38 DESRON117

 

「こちらマーライオン2。目標貨物船を視認。周囲に、一、ニ、三……三隻の小型船を発見! 小型船の船上に武器を構えた人物多数。海賊と思量」

「こちら基地司令部、了解マーライオン2。貴機は貨物船に接近し、海賊船のアプローチを牽制出来るか?」

「海賊船には武装した船員が銃を振り上げて威嚇しており、接近は困難!」

「了解。では第百十七駆逐隊を展開し滞空待機に入れ。百十七駆逐隊は海賊船を牽制せよ」

「『江風』、了解ッ!」

 

 降下準備だ。嚮導艦の張りのある声をヘッドセットから聞きながら、駆逐艦「嵐」は少し尻を動かして位置を調整する。頭の数十センチ上で激しく回転するローターがある状態では、肉声ではどんなに怒鳴ってもまともに会話は図れない。口元のマイクにありったけの音量で声を吹き込んで、ようやく何を言っているかが判別出来る程度にうるさいのだ。

 

 小型汎用ヘリコプター、MH-6「リトルバード」は卵型の小さな機体に尻尾を生やしたような形をしている。卵型の前面は大きな窓となっており、そこに二名のパイロットが座る。その後ろは機体をくり抜くように空けられた大きなスペースがあって左右が見通せるようになっていた。操縦席のすぐ後ろにあるそのスペースは荷室で、機体の両脇には荷室の床面と段差なく水平になるように板が張り出されている。機体が小さいのでヘリの中にパイロット以外の人間を座らせる余裕が無いのため、ここが座席になるのだ。定員は左右に二人づつ、合計四人。

 嵐と僚艦の「萩風」の二人は機体の右舷に、嚮導艦の江風だけが左舷に座っていた。艦娘三人と二人のパイロットを乗せた小型ヘリは、江風の威勢の良い応答を聞くと一気に機体を前のめりにして高度を下げる。心臓が浮くような不快な感覚に嵐は顔をしかめ、メインローターと頭の間、機体から水平に飛び出した支柱を握る手に力を込めた。水に足をつけて浮くことが艦娘の本分と考えている嵐には、何度経験しても三次元の機動は慣れない。高度が変わる度に内臓が上下に引っ張られる感触が特に嫌いだ。

 とはいえ、こうしてヘリに乗って出撃するのはもう何十回と経験しているから要領は分かったもので、ヘリを降りていよいよ海上に展開するタイミングも近付いているので、さっさと準備に取り掛かった。準備と言っても、荷室の奥から延びる命綱の先端に取り付けられたカラビナを、腰のベルトから外すだけである。手を後ろに回し、カラビナを外して奥に放り投げると、ちょうど隣で萩風も同じ動作をしているところだった。

 萩風と顔を見合わせてうなずき合い、互いにいつでも飛び降りれる準備が整ったことを確認する。嵐は支柱を掴んでいない方の手を前に伸ばし、操縦席の副操縦士に親指を立てて見せた。

 高度を下げたリトルバード――マーライオン2が海面スレスレを飛ぶ。足のすぐ下には群青色の海。風が強いので波が荒い。嵐は掴んでいた支柱を離し、躊躇なくヘリから飛び降りた。

 

 

 

 一般に、艦娘と言えば戦闘海域の近くまで母艦に乗って向かい、ある程度の近付いたら母艦のドックから出撃、“自分の足”で戦場へ赴くイメージを抱かれている。事実としてそれは間違いないし、深海棲艦の脅威の大きい海域に近付く場合は主にその方法で出撃する。母艦ないし母港を出発して警戒しながら敵地最深部を目指すのが、多くの場合でのやり方だ。

 ただし、迅速さが求められる状況下で且つ深海棲艦の脅威度が低い場合、ゆっくりと大型の艦娘母艦を動かしている暇はないし、費用対効果の面でも賢い手段とは言えない。そのような場合、小回りが利いて船や艦娘よりよほど移動速度の速いヘリコプターに乗り、さながらヘリボーンのように目的地近辺に展開する。特に、第百十七駆逐隊(DESRON117)が所属するシンガポール・チャンギ租借基地は、周囲を大陸と大きな島に囲まれているという地理的要因から深海棲艦の脅威を受けることがほぼなく、また基地自体が小規模で大きな輸送船や艦娘母艦を運用するには少々狭いという事情もあって、展開方法は大概ヘリコプターとなる。

 基地には小型の汎用ヘリMH-6が三機と、近接火力支援用に「リトルバード」を武装させた改造型のAH-6「キラーエッグ」一機、より大型の汎用ヘリコプターSH-60 「オーシャンホーク」一機が配備され、通常はこれらのヘリコプターが艦娘の足となり、時に火力支援も担っている。

 

 また、そもそもシンガポールでの任務自体、深海棲艦とまともにやりあうような高強度な戦闘がほとんどない。嵐たちシンガポール所属艦娘の主たる任務は、至近の難所、マラッカ海峡を通過する民間船を、沿岸部から襲って来る海賊の脅威から守ることであり、戦闘の強度としてはずっと低いものとなる。例えば、現況のように貨物船を乗っ取ろうとする海賊共を追い払ったりするのが仕事なのだ。

 だから、支援する兵器が輸送ヘリでも十分だし、これにミニガンを搭載した「キラーエッグ」や「オーシャンホーク」が居ればほぼそれで火力が足りてしまう。求められるのは迅速さであって、たった三隻とは言え駆逐隊の火力は想定任務には過剰だった。事実、嵐たちは全員魚雷は置いて来ていて、それぞれ主砲塔も一基づつしか持っていない。後は索敵用の電探やソーナーだけである。

 この主砲も、用途は威嚇射撃かあるいは見せびらかして脅すことだけだ。これで狙う敵は居ないし、交戦規定や国際法の関係から、海賊と言えどおいそれと艦砲射撃で吹き飛ばすのは禁じられているので、正直なところなくても困らない。ただ、持っていた方が威圧感が出るというだけの話である。

 

 

「嵐は左舷へ。萩風は右舷に付け。江風は後ろで追随する海賊船を牽制するぜ!」

 

 嚮導艦からの鋭い指示が飛ぶ。次々に着水した三人はそれぞれの位置に向かった。

 シンガポールを目指すパナマ船籍の中型コンテナ船が今回の護衛対象だ。一時間ほど前にマラッカ海峡を航行中の同船から救難要請が入った。海賊船に追跡されていると言う。

 マラッカ海峡と言えば、スマトラ島とマレー半島に挟まれた北西ー南東方向に細長く延びる海運の一大要衝だ。カレー洋と太平洋の中間にあり、中継拠点シンガポールも間近にある。特に、南西諸島海域で深海棲艦の活動が活発な現在、より南のズンダ海峡やロンボク海峡経由のルートが危険であるために、貿易船のほとんどすべてがこの海峡を通過するようになっていた。

  もともとマラッカ海峡は航海の難所として有名で、浅瀬、岩礁、強い潮流、頻発するスコール、スマトラ島の山火事によって発生する煙など、ありとあらゆる危険な要素が詰め込まれた場所である。水深が浅い場所もあるために超大型のタンカーや貨物船は航行出来ずマラッカマックスという制限を受けるため、一隻の輸送量は必然的に低下してしまう。当然、それを補うには隻数を増やすしかない上、深海棲艦の脅威をほぼ受けないという必要条件を満たせる東南アジアの重要な海峡はマラッカ海峡を除いて他にないので、どうしてもこの海峡に船が集中してしまうのだ。

 航路の過密化は船舶の「渋滞」を招き、特にカレー洋方面からシンガポールを目指す輸送船は海峡入り口で、「交通整理」を受けて停滞を強いられる場合が多い。これは輸送コストを跳ね上げさせる要因であると共に、船会社たちの長年の悩みの種である海賊にまたとないチャンスを与えるものだった。

 

 元より沿岸部の貧困問題に端を発して海賊が頻出する海峡だったのだが、深海棲艦の登場後、過密化する航路とそれに伴う「交通整理」で多数の輸送船が停滞するようになると一気にその被害が増加した。海賊たちにとって、順番待ちのために速度を落として航行する輸送船はネギを背負ったカモに等しく、海峡沿岸部で身代金ビジネスが成長するのに時間は掛からなかった。

 狙いやすい輸送船は数え切れないほど居て、手軽にそれなりの額の身代金が手に入るのである。海賊の数と身代金を含む輸送費は指数関数的に増大し、深刻な問題となっている。この種の犯罪に対しては、通常沿岸国の海上警察が取締を行うものだが、それでは圧倒的に人手が足りなかった。必然的に利害関係のある各国も“自主的に”輸送船の護衛を送り込むようになる。日本もその一つで、シンガポールの租借基地はまさにそうした輸送船護衛の拠点として同国より借り上げて設置されたという経緯があった。シンガポールには海上保安庁も駐留しているが、海保だけでは到底数が足りないので、海軍も厳しい法的制限の中で護衛任務に就いている。

 ただし、ここまでなら何も艦娘を動員する必要性があるわけではない。艦娘自体が動かす分にはローコストで汎用性や機動力の高い“使いやすい兵器”であるのは間違いないし、ヘリに乗れて高速で移動しつつ軍艦並みの火力を投射できるのは非常に魅力的である。だが、やはり本来的には艦娘の敵は深海棲艦だ。シンガポール基地にはDESRON117を含めて二個の駆逐隊が置かれているが、彼女たちの存在意義は決してゼロにはならない深海棲艦の脅威への対抗手段である。

 

 マラッカ海峡やシンガポール周辺に深海棲艦が姿を見せることはほとんどない。これらの海域は完全に人類の勢力圏であり、深海棲艦とて容易には近付けない。だが、それでも半年に一回程度の頻度で「迷い込ん」だり、浸透を計ってきたりと、どうしても出現することがある。多くの場合は潜水艦だが、たまにはぐれ艦の駆逐艦級が現れるので、そういった敵を掃除するのがそもそもの任務であるのだ。

 しかし、シンガポールに駐留している以上、海軍力の一端である艦娘も、船舶護衛の必要性からは決して逃れられない。だから、嵐も「こんなことは艦娘の仕事じゃないよな」と思いながらも、海賊を追い払うのに駆り出される他ないのだった。しかも駆り出されるのは、つまり事件が起こるのは大抵シンガポールから間近な場所であり、下手をしたら発生場所から高層ビル街のシルエットが望めるような距離だ。

 

 多くの場合、艦娘が海賊船を臨検や拿捕をすることはない。艦娘個人にはそれだけの能力がないと見なされて、法的権限が与えられていないからだ。当然、撃沈も許可されないので精々出来るのが威嚇射撃であり、大抵は追い払うことに終始する。ここに海上保安官や海兵を乗せたロクマル――SH60-F“オーシャンホーク”が応援に来ると臨検や拿捕も可能になるのだが、それは稀な場合であり、本格的な取締を行うのはやはり海上警察や軍艦なのである。

 すると、一回の出動時間は短くなり、一日の中で出動してはすぐに海賊を追い払って戻り、また出動して、ということを繰り返すようになる。場合によっては朝に追い払った海賊船を、午後の出動でまた相手しなければならなくなったこともあり、完全にイタチごっこの様相を呈していた。海賊を捕まえられるわけではないが、海賊もまた艦娘に対して有効な攻撃手段がないので、大概は艦娘が来ると向こうの方が撤退していくのだが、だからこそいつまで経っても連中の数は減らないのである。

 

 海賊が生まれる原因が貧困であるのは誰もが知っている。不作の年に爆発的に数が増えるのもよく知られたことで、食い扶持のない男たちは好むと好まざると海賊になるしかない。そして、海賊の数に比して海賊を取り締まる公権力の頭数は圧倒的に少ない。

 今日もただ追い払うだけになりそうだった。護衛対象は少し錆の浮いた水色の船体にでかでかと「MURASA LINE」と書かれたコンテナ船だ。船の正面から接近した嵐たち三人は、それぞれ指示通りの配置につく。嵐は左舷に、萩風は反対側の右舷に、嚮導艦の江風は貨物船とすれ違い、背後から迫る海賊の漁船に真っ直ぐ向かっていく。

 最近の貨物船は海賊に襲われたらただ逃げるだけではない。救援の部隊が到着するまで海賊を寄せ付けないよう、最低限の武器を装備するようになっていた。現に嵐たちの護衛対象になった貨物船も、船体の後部から機関銃を漁船に向かって撃っている。激しい銃撃音がして、漁船の前の海面に小さな水柱がいくつも乱立した。射程の長さから、どうやら重機関銃のようだ。退役軍人でも雇って撃たせているのだろう。

 左舷から嵐を大きく躱そうと弧を描きながら漁船の一隻が近付いて来た。相当な速度を出しているのか、船体は波の間を飛ぶように跳ね、白い水飛沫が盛大に舞い上げられていた。速度で振り切り、出遅れた隙に貨物船に張り付いて乗り移ろうという魂胆なのだろう。その漁船の上では何人かの男たちが銃を振り上げていた。

 もちろん、それを見過ごす嵐ではない。速力と俊敏さなら、艦娘は漁船程度に負けることはない。特に、陽炎型の航行艤装はそれまでの駆逐艦と比べて非常にパワフルだ。

 

 加速する。水の抵抗を切り裂きながら良好な馬力を誇る主機が嵐を速やかに最大戦速まで到達させた。漁船との距離は見る間に縮まっていく。

 大きく迂回する漁船に対し、嵐は円弧の内側から接近。漁船上の海賊たちが一斉に銃を構え、軽快な射撃音が水面に木霊し始める。お約束のようなAKの掃射。走る嵐の足元の海面に砂粒を撒いたように小さな水柱が現れる。しかし、実際には人間の扱う小火器程度は艦娘にとっては砂よりも軽い物で、直撃を受けたところで装甲が一発残らず弾き返して傷一つ付かない。

 深海棲艦にはある程度銃撃が効くが、艦娘にはまったく無効であるというのは常識。それなりに経験を積んだ海賊ならその程度のことは知っていて当然なのだが、意味もないのに必死で嵐に銃弾を浴びせかけている彼らは、恐らく海賊としては初心者なのだろう。銃撃は無意味で、速力や機動力も漁船程度では比べ物にならない艦娘を攻撃し、振り切って貨物船に取り付こうという考え自体が浅はかだ。普通の海賊なら、救援に艦娘がやって来た時点でどうしようもないのを理解しているからさっさと撤退する。艦娘は法的制限によって海賊を攻撃出来ないのを彼らは知っているし、下手に時間を掛けると臨検や拿捕の危険性が高くなるのも分かっているのだ。

 それをしないということは、今日の海賊たちは海賊の中でも常識知らずの素人なのだろう。嵐は威嚇射撃もせずにただ漁船に寄っていった。もちろん銃撃を浴びせかけられるが、傷一つ付かないことを保証されているのだから何も怖くない。

 海賊たちもようやく嵐が“無敵”であることに気付いたらしい。その内に船上の一人がしゃがみ込み、何かを拾い上げた。

 細長いそれを、彼は肩に担いで嵐の方へと向ける。先端が膨らんだ子供の身長くらいの長さの筒状の物体。トリガー付きのハンドクリップを握って、彼は引き金に指を掛けた。

 

「RPG!」

 

 上空から様子をうかがっていたマーライオン2のパイロットが叫んだ。同時に、派手な破裂音が鳴り響く。

 

 旧ソ連製の高名な対戦車ロケット砲。いわゆる「バズーカ砲」の一種なので、本来は戦車や装甲車両などに向けられる兵器だが、テロリストや犯罪者はとにかく何にでもこれを撃ち込めばいいと思っているのか、ありとあらゆる物が狙われる。海賊たちの中にはしばしばこの種の兵器をどこからか調達してくる輩がおり、嵐もRPGを向けられた経験はこれが初めてではない。盛大な発射音がして、白い煙の尾を残し、弾頭は嵐の眼前を通り抜けてはるか向こうの海面に着弾して水柱に変わり果てた。

 

 危険なほど速度を出して激しく揺れる漁船の上から、文字通り人間大の標的に無誘導のロケット弾を命中させる技術を、そこら辺のチンピラ崩れが持っているわけがない。だから、RPGが外れても当然だし、そもそも直撃を食らったところで嵐が受ける影響は精々バランスを崩す程度だ。

 浅薄な海賊たちの抵抗にいい加減鼻白んできたところで、いよいよ対抗手段がなくなった(元より有りはしないが)船上では、軽いパニックが起こっていた。ある者は狂ったように銃を乱射し、ある者はその場にうずくまり、ある者は操縦席にしがみついている。

 試しに脅しのつもりで主砲を漁船に向けてみると、漁船は泡を食ったように急旋回して、何人かの海賊が振り落とされそうになっていた。それから、船を軽くするつもりなのか銃やら何やらを海に捨てて、仲間の漁船に脇目も振らず、一目散に水平線へと駆け出した。

 

「くっだらねえ」

 

 逃げる漁船を目で追いながら、嵐は吐き捨てる。他の二隻も貨物船から離れていくので、どうやらひと仕事片付いたようだ。

 これ以上は艦娘の仕事ではないし、艦娘に出来ることもない。無線で海賊の逃げた方向をインドネシアの海上警察に連絡するマーライオン2のパイロットの声を聞きながら、艦娘三人は貨物船を離れて合流する。後はヘリに回収してもらえば任務終了。

 これが今の嵐たちの仕事だった。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 艦娘というのは事細かに管理されている。多くの場合、大規模な拠点には艦娘を管理する艦娘、いわゆる「秘書艦」が置かれ、各拠点の長は秘書艦を通じて所属する全ての艦娘を管理することになっているが、そこまで規模の大きくない拠点では艦娘ではない軍人が直接管理するようになっていた。

 ただ、艦娘の管理と一口に言ってもその仕事の内容は多岐に渡り、基本的な労務管理、消費する燃料や弾薬の管理、艤装の整備・修繕の依頼、制服の調達、メンタルケアなどなど、書き出していけばそれこそ切りがない。当然、さばかなければいけない作業や仕事の量は膨大になるので、例え秘書艦を置かずとも艦娘を管理するには専門の担当者を配置する必要がある。秘書艦制度のないシンガポール基地において、艦娘管理の担当を務めるのは黒檜という名前の軍人だった。

 階級は大尉。実年齢を嵐は聞いたことがなかったが、見た目はまだ若く二十代である。濡烏の艶やかな髪を肩口で切り揃えた美人で、温厚な性格を表すように顔付きも丸みを帯びている。 艦娘担当者は秘書艦制度に準じ、管理対象がすべて女性個体であることもあって、皆女性軍人が充てがわれる。彼女もその内の一人だった。

 

 海賊を追い払うだけの簡単な仕事から基地に戻って来た第百十七駆逐隊の三人は会議室でデブリーフィングに入っていた。室内に居るのは四人だけで、三人と一人が向かい合わせにテーブルに着いている。百十七駆逐隊の前に座るのが黒檜大尉で、彼女はあの後追跡を受けた海賊が特に追い掛けて来ていたヘリを撒こうともせず、一目散にアジトらしき島に逃げ帰ったという報告を簡単に述べた。相手が頭のいい海賊なら、そういう場合には偽のアジトを予め設けておいてヘリに追い掛けられたらそちらに逃げ込み、夜の内に本当のアジトに移動しているという可能性があるが、今回は本当にあの海賊たちが拠点に使っている場所らしい。桟橋やら整備工場のような施設やらが上空から確認出来たとのこと。

 所詮はおつむがその程度の連中だった。あと数日以内にはもれなく警察に御用となるだろうし、艦娘の関知する必要のあることでもない。興味もないので嵐はろくに黒檜の話を聞いていなかったが、おもむろに話題を変えた彼女の次の言葉には顔を上げざるを得なかった。

 

「ところで、話は変わりますが、萩風さんと嵐さんの改装命令が正式に下されました」

「おお!」

 

 即座に声を上げた者が居る。それは改装を受ける当人の萩風でも嵐でもなく、横で聞いていただけの江風だった。

 あっけに取られる二人に代わって、江風は熱烈な拍手を送る。

 

「やったなぁ! お前ら、頑張ってきた甲斐あンじゃン!」

「江風さん、落ち着いて」

 

 一人はしゃぎ回る江風に黒檜も苦笑気味だ。

 しかし、江風は言っても聞かない性格だし、何より嵐たちの改装を本人たちよりも楽しみにしていたのだ。彼女は、自分が鍛えた教え子たちが立派に成長していくのを日々喜び、艦娘として一皮剥けることになる改装を誰よりも心待ちにしていた。それを知っているからこそ嵐は改装を受けるという事実自体より、江風を喜ばせられたことを嬉しく思う。

 江風には感謝してもしきれない。二人をここまで育ててくれたのは彼女だし、何より彼女が居なければ嵐も萩風も、今この場に座っていることはあり得なかったのだから。

 

「江風さん、いいですか?」

 

 黒檜が重ねて窘めると、嵐の手を握ってぶんぶんと振り回していた江風がようやく元のように椅子に収まった。それでも興奮冷めやらぬ彼女の声は、場違いなほど大きい。

 

「いいよ! 続けてくれ」

「ここからが重要ですからね。まず日程ですが、来月の23日に本土の呉海軍工廠にてお二人の艤装改装が実施されます。最低、その三日前には本土入りしていなければいけませんので、19日の日曜日にはこちらを発つようにします」

「へえ。いよいよこの二人も本土の土を踏めるようになったのか」

「ええ。それも偏に皆さんの努力の賜物です」

 

 まるで自分のことのように黒檜は誇らしげに言った。彼女もまた二人の“理解者”であり、他に類を見ない異色の経歴を持つ駆逐艦二人に対して寛容であった。

 それは、嵐と萩風の二人が過去に深海棲艦であったこと、人類の敵として振る舞い今の仲間たちを撃ったこと、それによって少なくない数の犠牲者が出たことを、ようやく海軍が受け入れ始めたことを示していた。本来であればそれが許されざる罪であることを嵐も萩風も否定をするつもりはないが、だからと言って辞退するのは喜んでくれる江風や黒檜の顔に泥を塗ることになるだろうし、それは誰にも望まれぬ選択肢だ。

 とは言え嵐には江風ほど手放しに改装を歓迎することは出来なかった。むしろ、自分たちの罪を誰よりも深く理解しているからこそ、こういう形で「ご褒美」を頂戴出来ることに戸惑いと良くない疑念を抱かずにはいられない。ふと横を見るとタイミングよく萩風もこちらを見ていたので視線が合った。どうやら彼女も同じ心持ちらしい。

 単純に「ご褒美」と考えていいものではない。嵐も萩風も、主力駆逐艦と名高い「陽炎型駆逐艦」の艤装を背負う艦娘であり、従来とは一線を画した艦隊型駆逐艦として、ネームシップ以下最前線への配属が多い艦型だ。それが二隻も、しかもめきめきと練度を上げている。となれば、慢性的な戦力不足を嘆く海軍の上層部が諸々の事情に目を瞑って“元深海棲艦”に改装を許可したのは想像に難くない話であろう。必ずしも各拠点の現場ではそうではないのだが、軍内では広く小型艦の数的不足が知られていて、少なくとも最新鋭の「陽炎型駆逐艦」十九隻では物足りず、改良型で準姉妹艦と言える「夕雲型駆逐艦」の建造が始まったのだが、これが実戦運用可能になるにはまだ時間がかかる。その辺の事情というのは、情報通でもない嵐でさえ知っているようなことなので、改装命令の背景は誰にだって容易に想像出来るだろう。

 もっとも、真実が何にせよ、貰える物は貰っておくべきだ。改装自体はデメリットのないものだし、何よりこういう形で支えてくれた人々に恩返し出来るのは嵐としても本望である。彼女たちの喜ぶ顔を見られるのは悪い気はしない。改装を受けられること自体よりも、むしろそちらの方が嵐にとっては良いことのように思える。ああ良かった、ここまで来れたんだ、と。

 ようやく、あの二人に追い付いている自覚を持てたんだ、と。それが何よりも嬉しかった。自分たちの遙か先を行く姉妹艦。今日もどこかの最前線で戦っているであろう小さな英雄たち。いつの日か、あの二人と並んでまた元の第四駆逐隊に戻るために、すべてはそのために、嵐も萩風もがむしゃらにやって来たのだから。

 

 

 

 

 

「もう一つ、連絡事項があります。嵐さん、いいですか?」

 

 黒檜はおもむろに話題を変えた。敬礼しながら整列する軍人たちの作った花道を歩きながら、手を振る(自分も含めた)四人の駆逐艦娘の姿を思い浮かべていた嵐は呼び掛けられてようやく空想の世界から現実に引き戻された。そのような空想が実現し得るかはさておき、まずは目の前の現実と少々頭の固い艦娘担当者を相手にしなければならない。黒檜は温厚な人柄なので多少のことなら優しく咎めるくらいで済ましてくれるが、だからと言って調子に乗っているとさすがに怒られるだろう。

 普段穏やかな人ほど怒った時は怖いと聞くが、黒檜はまさにその例えに当てはまる人物だ。嵐は彼女が本気で怒ったところを一度だけ見たことあるのだが、普段の温厚さからは想像出来ないような激しい怒り方だった。しかもそれがほぼ初対面と言える時期のことだったので、第一印象として黒檜は恐ろしい人と嵐の脳にはインプットされてしまっているし、今後彼女の怒りをまた目にする機会がなければ幸福だろうと考えている。ついでに言うと、どことなく黒檜は仮面を付けて振る舞っているように見えるので、その下の素顔というのが想像つかない。そういう底知れなさが彼女にはある。

 

「何だい? 江風の二回目の改装かい?」

 

 と、ちっとも黒檜の機嫌なんか考えていない嚮導艦が余計な茶々を入れる。彼女は大抵の相手に対して、性別も年齢も、そして階級さえも気にすることなく同じようにフランクな態度で接し、しかもそれがどうしてかあっさり受け入れられてしまう。生まれついてのキャラクター性が不躾とも言える態度を許してしまうのだ。ある意味ではすごい才能だが、黒檜も江風のことはよく知っているもので、多少本気で目を輝かせた彼女を「いいえ、違います」とにこやかに切り捨てた。

 続いて、黒檜は柔らかな営業スマイルをさっと顔から消し、一転神妙な面持ちでこう言った。

 

「本省からの連絡がありました」

「へえ」

 

 フザケていた江風の目付きが変わる。お調子者の軽薄な駆逐艦から、最前線で叩き上げられた歴戦の兵士への顔になる。本省とは、言わずもがな。市ヶ谷の海軍省のことである。

 

「なンて?」

「明日の夜、シンガポールであるパーティが開催されます。その際に、シンガポール基地として周辺警備にあたるようにという命令です」

「パーティだと?」

 

 黒檜の口から発せられたこの場にそぐわぬ単語は当惑を持って受け止められた。訝しむ三人の駆逐艦娘を代表して、江風がオウム返しに問い質す。

 一方の黒檜は相も変わらず淡々と淀みなく解説を加えた。

 

「場所はザ・フラトン・ホテル・シンガポール。名前は聞かれたことがあると思いますが、シンガポールで最高級のホテルの一つに数えられています」

 

 シンガポールの都心を穏やかに貫く川がマリーナ湾に注ぎ込む河口を見下ろす位置に荘厳な建物がある。それがザ・フラトン・ホテル・シンガポール。すぐ傍はシンガポールの金融街であり、壁のような高層ビルが立ち並ぶダウンタウンだ。現在、ホテルとして利用されている建物は元々郵便局として建てられたもので、だから中心街に隣接した立地となっている。また、シンガポールを象徴する“水を吐く”マーライオンの像も至近にあり、湾側からビル群を背景にマーライオンの写真を撮った時に、その中にこのホテルも映り込むような近さである。 

 だから、名前だけなら確かに嵐も耳にしたことがあった。自分とは縁もゆかりもない、一部の金持ちたちだけが宿泊することを許されるような別世界のホテルだと思っていたのだが、まさかこんなところでこんなふうにその名を耳にするとは思いも寄らなかった。そもそも、黒檜にホテルの名前を出されてもすぐに思い出せなかったくらい、自分とは程遠いところにあった場所だ。

 しかし、どうやら今回はこの高級ホテルが海軍基地の会議室で話題に上る事態らしい。本省が海外の高級ホテルで開かれるパーティに首を突っ込もうとしているのは不自然だし、その時に艦娘を警備に就かせるというのはもっと不自然なことだった。その理由はすぐに黒檜の口から語られる。

 

「ある、イギリスの企業の代表が主催するパーティーです。その会社の名前は『サルマン社』で、あの緊急修復剤を精製したメーカーです。実は基地司令と私が招待を受けていまして。指示はオペレーターに任せますので、ちゃんと従ってくださいね。特に江風さん」

 

 名指しを受けた駆逐艦は悪戯っぽく舌を出した。黒檜は呆れ半分で江風を睨む。

 

 サルマン社の名前自体は聞いたことがあるし、緊急修復剤も末端のシンガポール基地までは届いていないものの、海軍全体では急速に普及し始めていると有名である。これは、いわゆる「バケツ」の俗称で親しまれる高速修復材をさらに濃縮し、注射という形で艦娘の体内に打ち込むことで応急処置を可能とするダメージコントロールの一種だった。このシンガポールに緊急修復剤(早速「注射」という愛称が付いた)が届くのも時間の問題である。

 その「注射」の開発元がわざわざ南国の島にやって来て、豪奢なホテルで豪奢なパーティーを開くのだという。どう考えても日本海軍へのさらなる売り込みが目的だろう。これなら本省が把握しているのも、艦娘に警備させるのも納得だ。

 

「今までブラックボックスだった妖精の技術の応用に初めて成功した企業です。シンガポール国内のみならず、各国から国際企業の重役たちが集まりますし、我軍からも艦政本部長以下の幹部たち、国連海軍の幹部などの錚々たる面子が一同に会する重要なパーティーとなるでしょう。噂では、ロイヤルネイビーの代表、『ウォースパイト』もやって来るそうですからね。気を引き締めて任務に臨んでください。そこはいつも通りです」

「ン、分かった」

 

 江風はあっさりと頷いて、それからもうその話には興味をなくしたようだった。嵐も萩風も質問を投げなかったので、「それでは解散してください」とだけ言い残して、忙しいのか黒檜は会議室をさっさと出て行った。

 しかし、そんな艦娘担当官とは対照的に、仕事が終われば真っ先に休みたがる江風は立ち上がる素振りすら見せない。この後のスケジュールは自由時間と言う名の休憩時間に、食事と風呂、最後にルーチンの部屋掃除が入っているだけで、実質課業はこれで終わりと言えた。いつもなら伸びをしながらそそくさと自室に戻るであろう嚮導艦は、何やら考え込んでいる様子である。

 萩風と顔を見合わせると、彼女も首を傾げた。恐る恐る背中を丸める江風に声を掛けてみる。

 

「あの、江風さん。何かあるんですか?」

「ン?」

 

 そこでようやく後輩二人も残っていることに気付いたかのように江風は少しだけ顔を横向けた。

 

「ああ。ちょっと、な」

「気になることでも?」

「まあな。あ、そうだ。お前ら、明日のパーティの警備の時、ちゃンと装備を考えて選べよ。何が起こるか分かンないからな」

「え? それって……」

「いい夜になりそうな気がするぜ」

 

 そう言って江風は立ち上がり、質問を受け付けない気配を出して会議室を後にする。残された嵐は再び萩風と顔を見合わせるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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