「まさか、あそこから負けるなんて……」
㈱間宮製菓謹製『今夏限定プレミアロイヤルショコラアイス』(6個入り税別3880円)を買わされた加賀が恨めしそうに呟いた。相当機嫌が悪いのか、その声にも赤城をねめつける目にも陰気さが普段の五割増しくらいになっている。演習前に、負けた方が勝った方に『今夏限定プレミアロイヤルショコラアイス』(6個入り税別3880円)を奢るという約束をしていたのだから恨まれる節はないはずだ。
「油断するからよ」
対して、赤城はこの上なく上機嫌だった。前々から欲しいと思いつつ、財布の中身とカロリーを計算して躊躇していたこの『今夏限定プレミアロイヤルショコラアイス』(6個入り税別3880円)を他人の奢りで手に入れられたのだ。機嫌が良くならないわけがなかった。
もちろん、注文はアマゾンで。秘書艦特権発動だ。
「艦戦で攻撃なんて信じられないわ。それに背後から雷撃させるなんて卑怯よ」
「別に艦戦での攻撃が禁止されているわけじゃないし、後ろから撃たれるのが戦場でしょう。気を抜いていた加賀さんが悪いのよ」
「……卑怯よ」
加賀はよっぽど根に持ったらしい。ぶちぶちと恨みごとを漏らす同僚を赤城は「はいはい」と軽くあしらった。まともに相手しても意味がないのは長い付き合いの中でよく学んでいる。
鎮守府内演習後の食堂は活気に溢れていた。昼食に集まった艦娘たちは皆、久しぶりに思い切り戦えたのが良かったのか、約一名を除いてどの娘の表情も晴れ晴れとしている。食事が出来上がるまでの待ち時間に、暇を持て余した彼女たちによって食堂の真ん中では本日のヒーローインタビュー(という名のいじり倒し)が行われていた。受けているのは無論、敵の大将首を取った野分である。
「さあさあ! 恐縮です!! 本日のMVPの野分さんにお話しを伺いましょう! いかがでしたか? 本日の演習内容は!」
漣がどこかの重巡の真似をしつつ、どこからかマイクを持ち出して野分の口元に差し出した。お立ち台(?)代わりの椅子に立たされた野分が目を白黒させながら「あ、危ないところもあったけど、勝てて良かったです」と若干ずれた感想を述べた。
演習や出撃の後ではおなじみの光景である。お調子者の漣を中心に舞風や川内が囃し立て、その日最も活躍した艦娘にインタビューが行われる。赤城や加賀などもう何回受けたか分からないが、野分は初めてだった。
「いや~。でも驚きましたねえ。まさか、あの加賀大先輩のケツにあんなでっかい魚雷をぶち込むなんて! 野分さん、大人しい顔してやるときゃやるんですねえ~」
と、とんでもない爆弾発言が漣の口から飛び出した。それを聞いた野分は目どころか顔面を白黒させているし、木曾や川内は腹を抱えて笑い出す。いささか下品に過ぎる冗談だが、赤城も思わず笑いそうになった。
「漣」
当然、調子に乗り過ぎた駆逐艦には制裁が下る。ゾッとするほど温度の低い声が、少女たちの喧騒を一言で止めてしまった。
「後で……」
漣を据わった目で見つめながら、加賀は人差し指を立てて軽く内側に曲げる。
凍てつくような声色も相まって、見る者が見ればおっかない光景である。案の定、何も悪くないのに野分は震え上がってしまったようだ。
だが、
「おー、怖ッ! 加賀さん怖すぎッスよぉ」
漣はまるで動じていない。それどころかさらに加賀を茶化すあたり、この駆逐艦の肝の据わりようも相当である。逆に、そうでなければ一航戦の随伴など出来はしないのだが。
まあ、漣が加賀をいじり過ぎて怒られるのはいつものことなので誰も本気にはしていない。ただ、野分は加賀が怒っているのは自分がきっかけだと考えたのだろう。
「申し訳ありませんでした! 背後から雷撃するような卑怯な真似をしてしまって……」
野分は椅子から降りて、深々と頭を下げた。ひょっとしたら、先程の赤城と加賀の会話を耳にしたのかもしれない。あれは単なる負け惜しみなのだが。
「頭を上げなさい」
一方の加賀は打って変わって怒ったそぶりを見せなかった。そもそも、本気で怒っているわけではない。彼女も冗談だと分かっているのだから。
「貴女が謝るようなことは何もないわ。むしろ、あの一瞬のチャンスをうまく物に出来たのは褒められるべきこと。貴女がMVPを取るのは当然よ。胸を張りなさい」
「は、はい!」
野分の顔がぱっと明るくなる。「かわいいなあ」と赤城は心の中でほほ笑んだ。
それからまた食堂は騒がしくなった。ワイワイと駆逐艦たちが喋り出し、木曾や川内が囃し立てる。静かなのは赤城の着いているテーブル周りくらいだった。
隣の加賀はともかく、普段ならこういう騒ぎに嬉々として加わるはずの金剛も静かにしている。テーブルに両肘をついて手を組み、その上に顎を乗せて騒ぐ後輩たちを見る目は年長者のそれであり、金剛にはひどく珍しいものである。
「大人しいんですね」
赤城は軽い冗談のつもりで金剛に訊いた。すると彼女はちらりと視線だけ赤城に振って口元を微かに緩める。
「見ているだけでVery amusing! デショ?」
「そうですね。みんな元気があって。今日は演習をやって良かったです」
「うん。そうネー」
おや、と赤城は思った。金剛の目は後輩たちに向けられているものの、どこか遠くを見つめているような気がしたのだ。赤城との会話にもどことなく心ここにあらずという感じで応じている。
「何か、考えごとですか?」
問い掛けると金剛は微かに頷いた。
「ちょっとネ。今日の演習のことで……」
「何かありましたか?」
金剛がこうして考え込んでいるというのはあまり見ない光景である。普段の彼女は頭より口を先に動かすタイプで、こうして大人しくしていることはあまりない。だからと言って金剛は浅慮であるわけでもなく、年長者だけあってむしろ物をよく察して状況に応じた的確な発言をする人であり、つまりは頭の回転が早いのだ。それ故、彼女が考えに没頭しているというのは、それだけじっくりと考えるべき何らかの事柄があることを示している。金剛はつまらないことや下らないことに思考を割いたりはしない。
だから赤城は気になって問いを重ねたのだが、金剛はそれには答えずしばし無言を貫いた。
逡巡しているような間。眉間に皺を寄せ、小難しい顔をして見せてから金剛はようやく口を開いた。
「赤城。烈風で七駆を攻撃したのは、“誰の”発案?」
返って来たのは返事ではなく質問。一瞬、赤城にはその意味が分からなかった。
“誰の”とはどういうことか。その言い方ではまるで、赤城自身が烈風で駆逐艦を攻撃するというアイデアを思いついたわけではないと言っているようなものだ。いや、実際にそうなのだが。
通常、艦戦で艦娘や深海棲艦を攻撃することはない。何故なら、艦娘の艦載機というのは手の平サイズしかなく、必然搭載している機銃が小さく威力も弱い。艦娘や敵の艦載機を撃墜するには十分な威力を持っているものの、機銃で艦船には有効打を与えられないため、機銃しか持たない戦闘機が艦船攻撃に用いられることはない。そもそも、艦戦は制空用と割り切っている赤城を含めた空母娘に、そのようなアイデアを思いつく頭がないからだ。
だから、“誰の”と訊いたのか。
赤城は金剛の質問の意図を悟った。ついでに言えば、金剛はもう答えも予想しているだろう。
「提督です。提督にアドバイスを頂いたのです」
「機銃で七駆を攻撃して注意を引きつけ、その隙に野分に雷撃させる。奇抜だけど、あのSituationでは有効な手ネ」
「状況をよく見てらっしゃったと思います。決して、単なる思い付きではないのでしょう」
「そうネ。それにしては、ちょっと目が良過ぎジャナイ?」
「というと?」
金剛の言いたいことが分からない。何が「目が良過ぎ」なのか。
そんな赤城の疑問は顔に出ていたのだろう。金剛は説明し出した。
「アナタたち空母にはあまり実感がないでしょうけど、航空戦ってネ、飛行機が小さ過ぎて下から見てるとどっちが勝っているのか判別付かないものヨ。水偵が弾着観測出来るようになって、初めて航空優勢が取れたんだって分かるの。空戦を見るだけで敵味方の勝敗が分かるのはせいぜい相手が深海棲艦の時くらい。それですらかろうじてなのに、艦娘同士の演習だったら判別はまずムリ。こっちには飛行機の区別すらつかないのヨ」
確かに、金剛の言うとおり、航空戦の趨勢は空母以外にはかなり分かりづらい。空母は自分の艦載機と意識が繋がっているから艦載機を通して空戦の状況を知ることが出来るし、撃墜・被撃墜の量から優性と劣性が分かる。だが、空母以外は金剛の言葉の通りの有様だ。
「だからあの時、“赤城隊が艦戦ばかりで、加賀隊に対して航空優勢を取っている”というSituationを把握するためにはアナタたちからの報告がなければ、フツーは分からないはず」
――さて、ではアナタたちは提督にそういう報告をしたのかしら?
赤城は隣で黙って話を聞いていた加賀に顔を向ける。加賀も同じく赤城の方を向いて、二人は顔を見合わせた。その目は「私はしていない」と語っている。むしろ、加賀にそれが出来なかったのは赤城がよく知っている。
赤城は再び金剛に目を向けた。
「いいえ。私もしていないですし、加賀さんもしていないです」
「……そう。じゃあ、事前にどういう作戦を採るかも言ってなかった?」
「ええ。全く。今回提督は完全に見物されるという話になっていたので」
「無線では聞こえなかった? アナタたちはそんな話をしていたケド」
金剛の指摘通り、赤城と加賀は演習中、赤城隊の艦戦について言葉を交わした。それは当然無線を介して行われたもので、無線機を持っていたレミリアにも聞くことは出来ただろう。彼女に無線の周波数を調整することが可能だったなら。
だが、パソコンの使い方すら分からないほど機械に疎い彼女が、無線の仕組みを知っているとは考えられなかった。だからこそ、赤城はちょっとしたズルが出来たのだ。提督の無線の周波数を、自分との専用回線にするというズルを。
それを説明すると加賀の目に剣呑な光が宿ったが赤城は無視した。戦力的に不利だったのだからそれくらいは許されるだろう、というのが言い分である。片や、金剛の方はそんな瑣末なことは気にも留めない。彼女の関心事は無線ではない。
「なら、提督は赤城が烈風しか積んでないのも知らなかったノネ」
「恐らくは……」
ふう、と金剛は息を吐き出した。
答えは出た。信じ難い答えだが、消去法でそれしかなかった。
「提督には、飛行機の区別が付くの?」
「それは分かりませんが、私は提督に一通りの艦載機をお見せしました」
赤城が言うのは、数日前にレミリアに赤城の艦載機を見せたことだった。その中には今日赤城が使った烈風や、加賀が用いた流星改、彗星十二型等の最新鋭の艦載機が含まれている。その時のレミリアは「こんなものが空を飛ぶのね」と機体を手に持ち、しげしげと観察していた。
それからレミリアは艦載機に興味を持ったのか、昨日も熱心に航空機識別表を見ていた。だから、短期間である程度の艦載機の区別がつくようになってもおかしくはない。赤城はそのような考えを金剛に対して述べた。
「赤城と加賀の艦載機の区別は?」
「機体後部の赤い帯の数で識別出来ます、とその時の説明した覚えがあります」
赤城隊の艦載機は帯が一本。加賀隊は二本になる。戦闘中に一航戦が同時に艦載機の収容を行うと、毎回のように間違った方に降りて来る機体がある。機体の色は軍指定なのでその際は帯の数で見分けるのだが、赤城と加賀でさえ着艦してからでないと分からないものだ。余程近くを飛んで貰わない限り、飛行中の艦載機の所属識別をすることは叶わない。
「……やっぱり、さっきの演習で赤城に指示を出すには空戦のSituationを“目で見分け”なければならないわ」
不可能だ、と断じることは出来なかった。演習は岸壁から数百メートルは離れた場所で行われていて、さらにその上空で行われていた空戦を見るのに、一体どれほどの視力が必要なのか。単純計算でレミリアと飛行機の距離は一キロ以上あったのだ。一キロ先の手の平サイズの物のわずかな塗装の違いを見分けるには一体どれほどの視力が要るのだろうか?
「双眼鏡を使ったのでは?」
加賀が疑問を挟む。だが、金剛は首を振った。
「単に飛んでいる艦載機をLook upするだけならそれでもオーケー。でも、Watchはムズカシイ。まあ、その方が現実的なんだケド……」
「恐らく、今日提督は双眼鏡を持って来ていません。ひょっとしたらどこかに隠されていたのかもしれないけど」
赤城は金剛の言葉を否定した。隠したかもしれないと言いつつ、赤城自身その可能性はないと考えている。というのも、今日は朝からレミリアと一緒だったが、彼女が双眼鏡を持っているところなど見ていないからだ。そんな物をわざわざ隠したりもしないだろう。
「きっとそうよ。空戦を肉眼で見たなんて幾ら何でもあり得ないわ。双眼鏡かオペラグラスでも持って来ていたのよ」
ただ、加賀は決めつけるように言う。これでこの話は終わりだという響きを込めて。
そうかもね。と赤城も頷く。これ以上こんな話をしても益はない。金剛は考え過ぎているのだろう。そろそろ食事が出てくるのだから与太話はさっさと終わらせて腹を満たしたい。
ただ、金剛は腑に落ちないようで、黙ったままだった。それが妙に気になった。
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昼過ぎのレミリアは夢の中にいた。
普段はぱっちり開いている大きな目が、今は眠気に負けたのか瞼に覆われてしまっている。すっかり定位置になったソファに腰掛けたままぐっすりだ。
赤城がノックをしても返事がないので司令室の中を覗き込んだら、レミリアが寝ていたのだ。音を立てないようにそっと中に入り、顔を伺う。思いの外、レミリアはあどけない寝顔をしていた。その様は完全に幼い少女で、あの独特の雰囲気もなりを潜めていた。
正直言ってかなり庇護欲を誘う。思わず座ったままのレミリアを優しく横たわらせソファに寝かせてしまった。かすかに彼女は身じろぎをしたが起きる気配はない。居眠りどころか完全に熟睡している。
いろいろと報告があったのだが、それは後回しにした方が良さそうだ。今は寝かせてあげよう。
そう思って秘書室に入ってから、改めて自分がレミリアに好意的な感情を抱いていることに気付いた。
レミリアを寝かせてあげることも、寝顔を見て微笑ましい気持ちになることも、昨日までならしなかったに違いない。何故なのかと考えて、それからきっかけは午前中の演習だったのかもしれないと思った。
彼女のアドバイスがなければ赤城は悔しい思いをしてたわけで、欲しかったアイスクリームも手に入れられなかっただろう。
過程はどうあれ、レミリアの言葉が赤城の勝利のきっかけになったのだから、感謝しているし、何より純粋に嬉しかった。
まだ完全に信頼出来るわけではないけれど、レミリアの目は確かなものかもしれない。仕事を押し付けられて大変なのだが、それでも彼女は付いて行ってもいい司令官ではないか。赤城はそう思い始めていた。
それがレミリアに対する感情変化のきっかけだろう。決め手は先程の寝顔に違いないが。
赤城とて若い娘であり、可愛いものには目がない。別段子供好きというわけではないのだか、レミリアの寝顔は赤城の琴線に触れるのには十分な愛らしさを持っていた。
それを自覚すると、不思議と心が軽くなる。仕事は殺人的な量があるけれど、頑張ろうというポジティブな気持ちが湧いてくる。
案外単純なものね、と赤城は自らに苦笑して午後の仕事に取り掛かった。レミリアが起きたら、まずは演習の時のお礼を言おう。