レミリア提督   作:さいふぁ

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レミリア提督44 Isolated Island

 

 

 途中まで、状況はすべてレミリアの考えた通りに進行していた。深海棲艦化した赤城だが、完全な変質には至らず、その実態は伽藍洞のハリボテそのものである。変わろうにも変わるだけの“材料”がないのでは、変わりようがない。それを象徴するように、赤城は弾薬を持っていない。本来、深海棲艦ならそれは自製出来るはずだが、見た目がそれっぽくなっただけの今の赤城に、深海棲艦の能力を持ち合わせているはずもなかった。それでも、数機の艦載機を生み出したのは驚異的である。もっとも、その艦載機に撃つための弾がなかったので、何の脅威にもならなかったのだが。

 邪魔な現地警察のヘリは艦載機に追い払われた。そのまま向かって来る巫女たちも追い払ってくれることを望んだが、さすがにそれは無理だったようだ。敢無く霊夢に一蹴されてしまった。

 

 その後は、舞台となるブラニ島を隔離する結界を展開する。この役目を負ったのは美鈴だ。本来、この手の魔術的な仕掛けの作成と発動は大親友の魔女の専売特許なのだが、残念ながら彼女は今シンガポールに居ない。その代わり、魔女は自分が居なくても結界を展開出来るように手を打ってくれていた。

 それが、魔女の魔力を込めたカードである。このカード自体は、幻想郷の決闘法、スペルカードルールからヒントを得て作った物だ。スペルカードルールでは、決闘者が互いに使用するスペルの名前を書いたカードを持ち、適度なタイミングでそのカードを提示、技名を宣告し、自身の魔力や妖力を消費して弾幕を張る。ここにおいて、スペルカードとは突き詰めて言えば単なる紙であり、「技名」という情報を伝達するだけの媒体でしかない。徹頭徹尾、儀礼的な意味合いしか持たない物体なのである。

 だが、どんな物にも魂が宿る幻想郷で、単なる紙と言えど、繰り返し何かしらの意味を込めて使用していれば、特にそれが魔力や妖力と密接に触れ合うのであれば、そのカード自体に少しずつ力が移っていく。このような現象は散見されており、そのため幻想郷ではスペルカードが呪物と化して無用な混乱を引き起こす前に、力が移り始めたカードを処分することが不文律として共有されていた。これにヒントを得たのが、魔女の新しい魔術だった。

 すなわち、魔力を込めたカードを自ら作るのである。このカードは魔女本人に代わって彼女の魔法を展開するために使用される。さながらスペルカードのように掲げて技名を宣告すれば、誰でも魔法が使えるようになる優れものだった。実際は、スペルカードと言うものの、例の決闘法とは真逆のプロセスを経るのだが、形式上は類似している。

 手軽に魔法が使えるようになる分、実現出来る魔法は比較的簡易で単一のものしかない。状況に即した柔軟な魔法や、大規模な魔術を展開するにはやはり魔女本人にご登場いただかなければならないが、そこまでの魔法が必要でないならこのカードは極めて便利な代物であった。

 今回はブラニ島全体を隔離する結界を展開する魔法が設定されている。カードの使用法は簡単で、使用者のわずかな魔力ないし妖力を発動キーとして、定型句の短い呪文を唱えることで魔法が発動するようになっていた。結界の範囲を広げたり、持続時間を延ばしたりは出来ないが、レミリアにとっては必要十分なので、汎用性の高い魔女という人材をシンガポールとは別の場所に配置することが出来た。

 ただし、手軽さ相応に本質的には弱い魔法である。はっきり言って人間としては規格外の力を持つ博麗の巫女や、現人神である守谷の風祝に外部から攻撃された場合、耐えられないだろう。結界を展開する第一義は赤城を逃がさないためであるので、壊されてしまうのは非常に都合が悪い。加えて言うなら、この結界は内側からの衝撃に強いように調整されている。ならば、結界内に二人を招き入れ、レミリアが直接相手をした方が良い。例え中で“弾幕ごっこの範疇を越えた戦い”をしようとも、その余波で破られるようなことを心配する必要がない程度の強度は保証されている。

 

 予定通り巫女たちが結界内に入ってくると、レミリアの相手は紅白の方になった。山の神に仕える方は、同時に連れ込んだ艦娘と共に赤城の捜索に動いている。

 問題はその赤城だった。彼女はレミリアが加賀の一時安置所として使っていた偽装コンテナを破壊すると姿を消してしまったのだ。もちろん、赤城が限定的な深海棲艦化に陥った場合、このような行動は予想されていたので、魔女から貰った簡易魔術を発動出来るカードを持ち込んだのである。範囲を区切れば後は虱潰しに探すだけ。結界内の大部分を占めるのはコンテナヤードの島だが、陸地の上なら探しやすい。レミリアが霊夢の相手をして動けない間に、咲夜か美鈴、どちらかあるいは両方が捜索してくれるだろう。優秀な彼女たちなら主人の意図を察してそれくらいの行動は出来る。厄介なのは海に出られた場合で、種族的な問題により、乗り物などがなければレミリアは海上に出ることが出来ない。厳密に言えば自力で海に出られるのだが、そこは「種族的な問題」というところの難儀な点である。無論、海上を滑るように動ける深海棲艦化した赤城では、どんなに泳ぎが得意であっても部下二人では探し切れないだろう。だから、赤城が海に出た場合に対応出来る人物を用意してあって、現状その人物の力を頼らざるを得ないようである。

 とは言え、厄介なことは他にもあった。初めは思い通りになっていたのだが、途中からはそうではなくなってしまったのだ。つまり、イレギュラーが発生したということ。

 

 結界内に、招かれざる客が侵入したことを感知する。といっても、超感覚的なものではなく、単に視界に映っただけだ。空ではレミリアの本気の攻撃と、博麗の弾幕や結界の応酬が繰り広げられており、周辺はそこそこ明るい。黒々としている海面の上を滑る三つの影を空から見付けるのは容易かった。

 それはどう考えても艦娘だった。予めシンガポールの戦力配置は確認してある。それによれば、日本海軍シンガポール租借基地に配置されている艦娘戦力は、二個駆逐隊のみ。ただし、今日は一方が近隣のリンガ基地に滞在しており、実質一個駆逐隊しか居ない。第百十七駆逐隊というのがそれだ。この駆逐隊の面子を、レミリアはある程度知っていた。

 もっとも、それは関係がない。誰がおろうとも一緒だった。そのはずだった。

 しかし、今やその三人の姿が結界内にある。自力では入れないのだから、誰かの手引きがあってそこに居る。誰か? レミリアが思い付く限り、そんなことが可能なのはたった一人しか居ない。

 

 隙間妖怪め!

 

 心中で悪態を吐き、方針を変える。海に出たであろう赤城が艦娘部隊と先に接触してしまうと面倒なことになる。さりとて、彼女たちを直接攻撃することは出来ない。故に、少々回りくどい手段を選ぶ必要がある。

 巫女の攻撃がひと段落した瞬間を見計らい、右手に妖力を集中させる。今搔き集められる分だけをとにかくつぎ込み、一つの形を作り上げた。といっても、普段よりレミリアの力は強化されているから、今まで巫女に見せたことのある同じ技とは桁違いの威力を持っているだろう。気配だけでそれが途方もなく危険なものと察知した霊夢は、早々に二重の結界を張って衝撃に備える。賢いのは、結界の力だけでは受け止めきれないと判断して攻撃の射線に対し、結界を斜めに張ったことだ。

 丁度良いので合わせさせてもらおう。右手の妖力の塊を巫女の結界、斜め上に向いた面に向かって投擲する。すると、大音響を立てて妖力の塊は結界に衝突し、大部分のエネルギーを上方向に反射されて上空へ飛んで行った。もちろん、そのままでは島を囲う結界に刺さってしまうのでそうなる前に自爆させる。

 その際に起きた激しい爆発は、赤城たちの鎮守府を襲撃した空母水鬼と隷下の艦隊を消滅させる時に起こしたものとほぼ同等の威力を持っていた。ただし、エネルギーの配分は大部分を光として出力、音や熱になる割合を抑えてある。大量の妖力を任意のエネルギーとして放出させるのは言うほど簡単なものではないが、その手の精緻な操作は得意である。

 言ってしまえば、超特大の勘尺玉だ。威力は大きいが、爆発自体は大きい花火と変わらないので、地上への被害は極小化されるだろう。艦娘部隊と山の巫女への牽制には十分だった。

 

「レミリアァァァァッ!!」

 

 夜空に罵声が木霊する。年頃の少女にあるまじき汚い発音で人の名前を呼んでくれるのは、博麗の巫女だ。強固な結界によって身を守った彼女は無傷のようである。というか、無傷で居てもらわなければ困る。彼女を不用意に傷付けるようなことがあっては、後々面倒なことになってしまうからだ。

 だからこそ見た目だけ派手な、手加減した攻撃を放ったのだが、どうやらそれだけでも巫女の脳みそを沸騰させるのには十分だったようだ。

 本気で怒ったのか、猛然と弾幕を張りながら突っ込んでくる。それを、自身も弾幕を張って捌きながら、仲間に指示を与えた。

 

“島の南側の水路に回って! 北側には赤城の姿は見えないわ”

 

 どこに隠していたのか、複数の陰陽玉を衛星のように周回させながら、そこから霊力満タンの光弾を撃ち出す霊夢。先程よりも激しいそれを、レミリアは妖力弾を放って相殺する。時に血のクナイ弾で、時に矢で、時に槍で、すべての霊夢の攻撃を打ち消す。その間に本人への牽制を投げるのも忘れない。今のレミリアなら、本来妖怪が苦手とする霊力で出来た弾幕を、力づくで打ち破ってしまえる。

 霊夢もそれを分かっているはずだ。端正な彼女の顔が、怒りと苛立ちで醜く歪んでいる。寂れた神社の縁側で茶を飲んでいるだけで絵になる柳眉の持ち主なのに、今や山姥もかくやというおどろおどろしい表情だ。

 頭に血が上りすぎているのだろうか。だが、霊夢に限ってそれはないと断じる。彼女はいつもどこか冷めているところがある。今回に限って怒りに我を忘れるようなことはないだろう。

 

 ならば、どうしてそんながむしゃらに攻撃してくる? 

 

「なるほど、そういうことか」

 

 考え得るのは、そういう戦術であること。例えば、レミリアの秘蔵っ子のメイドがよく使う手、とか。

 

 ミスディレクションか。

 

 悪魔は振り向いた。紅白巫女への牽制に大玉を投げ付け、振り向きざまに背後から襲って来た人物に心槍を叩き付ける。相手はギリギリで御幣を振り、上段から振り下ろされた槍の軌道を反らして間一髪で躱した。彼女の長い緑髪が数本宙を舞う。

 

「案外こすい手を使うのねぇ!!」

 

 面白くなってきた、と紅魔は嗤う。先程の大爆発で、霊夢一人では手に余ると判断されたらしい。もう一人の巫女、東風谷早苗まで加勢してきた。

 とすれば、早苗が背負っていた艦娘は地上に降りたのだろう。あの様子では艤装を持っていないようだったので、そうすると艦娘もただの人間と同じであり、地べたを這うしかない。何の障害にもならないだろう。

 少々計算外だが、巫女が二人ともレミリアの相手をしてくれるのは結構なことであった。これで、早苗が赤城と先に接触する可能性がなくなったわけである。

 

「あんた、そろそろ大人しくなりなさいよ!」

 

 そう言って背後から霊夢が飛び掛かって来る。

 レミリアはもう一つ心槍を生み出すと、背中側の霊夢に向かって振るう。槍は最後まで握らない。遠心力によって柄が掌から離れると同時に爆発させる。背中を押す爆風によって加速をつけ、狙いを早苗に絞った。

 弾幕を巻き散らしながら残った心槍で突くと、早苗は結界で攻撃を防ごうとする。その意図は半分達成されて、半分そうではなかった。早苗の結界は弾幕を阻止することは出来たが、突き出された槍には無力だった。無残にも半透明な障壁が赤黒い、人の胴体ほどもある大きな穂先に食い破られる。結界の強度は博麗のそれよりも弱いようだ。最近異変解決に赴くようになったとは言え、幼少の頃から大妖怪と渡り合っていた霊夢とは踏んできた場数が違う。霊夢ならここで槍を結界で受けようとは考えなかっただろう。隙の大きな「突き」をしたのだ。単純に避けて、反撃に転じる方が賢明だ。

 それでも、早苗は若いだけあって小さなその判断ミスを取り返すに十分なくらい反射神経が良かった。結界を突き破ってきた槍を身を屈めることで回避する。同時に、自らの力を解放することも忘れない。経験こそ少ないものの、ある程度異変解決を行ってきたことで戦いの中での動き方を覚えてきたのだろう。ただし、容易に反撃を許すほどレミリアは甘い存在ではない。

 

 柄を握る右手を支点にして、槍を回転させる。穂先ではなく石突の側で殴打を仕掛ける。軽く回しているように見えるが、これは妖力の塊。触れれば人体など簡単に弾け飛んでしまう。

 もちろん、それだけでは避けられるので、空いた左手からクナイ弾を射出する。

 早苗は対応出来なかった。槍が結界を突き破ってから二秒も経っていない。それだけの短い時間で、複数の攻撃を捌ききれるほど彼女はまだ実戦慣れしていないのだ。何よりも、これは今まで彼女が興じてきた弾幕ごっこという「お遊戯」ではない。彼女が今までどれ程妖怪退治――つまり「お遊戯」ではない本気の殺し合い――に勤しんできたかは分からないが、レミリアほどの大妖を相手にしたことはなかっただろう。

 もちろんレミリアとて、酒飲み仲間の愛娘を本気で殺すつもりはない。だが、本気で攻撃しなければ“彼女”は来なかった。

 

 振るった槍が手から弾き飛ばされ、クナイ弾も弾かれる。立ちふさがったのは、怒りに燃える楽園の巫女。これで、二人を同時に視界に収めることが出来た。目的は達成したので一旦攻撃の手を止める。

 

「いい夜ね」

 

 機嫌の良いレミリアは二人に語り掛けた。すっかり頭に血が上ってしまっている霊夢がすぐさま飛び掛かろうとするが、早苗が服を引っ張って留める。

 

「楽しんでいるかしら? 私は楽しいわよ」

「ふざけんな! 早くこの結界を解きなさいよ」

 

 霊夢は完全に話を聞いてくれそうにない。肩をすくめて、こちらの様子から何かしら読み取れるものを探そうとしている早苗に目を向ける。まだこちらの方が話は出来るだろう。

 

「先程、艦娘さんが居るのを見ました。あれは、レミリアさんが呼んだわけじゃないですよね? 想定外だったんじゃないですか? 彼女たちがこの結界に入ってくることは」

「あら、鋭いわね。その通りよ」

 

 答えながらもレミリアは余裕の笑みを浮かべる。相対する少女たちの視線は鋭いが、すぐに飛び掛かってくる気配はなさそうだ。霊夢だけならどうかは分からなかったが、早苗がうまい具合に抑えになってくれている。

 

「目論見が上手くいくとは限りませんよ」

「どうかしらね? あの程度は想定外の内にも入らないわ」

「深海棲艦を使って何をしようとしているか知りませんけど、人々に危害を加えるなら、いくらレミリアさんでも許しません」

「赤城のこと? 違うわよ。あの子は完全に深海棲艦になったわけじゃない。むしろ、そうはなれない。今は中途半端な状態になってしまってるだけ。だから、戻してあげなきゃいけないでしょう?」

 

 早苗の眉間に深い皺が刻まれる。霊夢に至っては完全に疑っている眼だ。

 そんなに信じられないものかしら? と少し傷付く。レミリアとしては真実を言っているつもりなのだが、どうやら二人には通じないらしい。

 

 まあ、これだけ大掛かりなことをして暴れ倒せばそうなるか。

 

 溜息を吐き、首を捻って凝りを解す。会話での時間稼ぎはあまり効果がないようだ。二人ともレミリアへの不信感が頂点に達しているようなので、何を言っても信用してもらえなさそうであるし、それならこれ以上は話にならないだろう。

 

 致し方ない、と紅魔は片手を上げる。その先の空間に浮かぶ五つの魔方陣。攻撃させぬようにと弾幕を撃ち出した二人の巫女。

 レミリアは上げた手を振り下ろす。それを合図に魔方陣から姿を現すのは心槍。

 戦いが再び始まる。夜空の舞踏会はもうそろそろクライマックスだ。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 博麗の分が悪いと言って、東風谷は鈴谷を地上に置いて空に上がってしまった。先の大爆発により、東風谷が背負っていた鈴谷諸共墜落してしまい、鈴谷が負傷したことが原因だった。彼女は呪文を唱え、何やら秘術めいたもので鈴谷に対して簡単な治療を施すと、その場で休むように言い付けてから博麗に加勢していった。

 常識を逸脱した現象が起こることに慣れ始めた鈴谷は、言われた通りにその場に腰を下ろして休んでいた。といっても、考え事をしているだけなのだが、逆を言えばそれくらいしかすることがない。深海棲艦を探すにしろ、艤装がない状態では何も出来ないからだ。仮に相手が陸上型だとしても、艤装もなしに相対するのは単なる自殺と変わらない。よって、今鈴谷に出来ることは、荒れたコンテナヤードの一画で腰を下ろして状況を見守ることくらいだった。

 

 下手な考え休むに似たり、ってねえ。

 

 自虐を思い浮かべながら、コンテナに背を預けて空を見上げる。二人の巫女と吸血鬼が戦っていた。下から遠目に見ても、吸血鬼が二人より一枚も二枚も上手なのが分かる。巫女たちの攻撃は全て吸血鬼が張る弾幕に阻止される一方、吸血鬼は長い槍を振り回しつつ弾幕をばらまき、対応困難な攻撃を繰り広げているように見えた。

 すると、見ている内に両者が攻撃の手を止めた。何か話しているようだが、決裂したのかまたすぐにぶつかり合う。今度は吸血鬼が中空から槍を射出し始めた。

 スカーレットは数的不利をものともしていないようだ。むしろ戦況は吸血鬼に有利であり、二人がかりでも巫女たちは苦戦を強いられていた。

 二人が弱いのか。あるいは吸血鬼が強すぎるのか。理由としては後者だろうか。スカーレットは矢鱈目鱈強くなっていると、東風谷は言っていた。

 この状況の中で鈴谷はまったく無力だった。東風谷もそれを分かって、大人しく待っているように言ったのだろう。だが、することがなくなっても、疑問がなくなったわけではない。

 

 こんな感覚は久しぶり、と言うべきなのだろうか。

 いつだったか、熊野と共に任務で海に出た時、帰りが遅れてすっかり夜が更けてから帰港したことがあった。ちょうど、八月の頭の頃だったと思う。その日、その時間帯に、たまたま横須賀で花火大会が開かれていた。鎮守府の敷地の少し南側だった。空に、色とりどりの大輪の花が、いくつもいくつも絶えることなく咲き散っていて、偶然鈴谷たちはそれを何の障害物もない特等席から眺めることが出来たのだ。その時の旗艦が気を利かせて航行を少し止めてくれたので、熊野と二人してしばし花火を見上げた。

 鈴谷が覚えているのは、花火が半分だけで、残り半分はそれを見上げて口を半開きにしながら夢中になっている親友の顔だ。炎色反応が引き起こす極彩色を瑞々しい瞳が反射し、それを傍らで鈴谷が注視していることなど気付きもせずにひたすらに見入っている無邪気な顔。心に残っているのは、口が裂けても言えなかった、花火よりもそれを見上げている熊野の方が綺麗だという感想。

 

 そう。あの時の花火のように。

 

 色とりどりの花が夜空に咲いている。とっくに色を喪った世界で、死んだ雪の降る世界で、この世にないはずの幻想の花火だけが、残酷なまでに色鮮やかに咲き乱れている。紅く、白く、青く。乱れ散り、混ざり合い、降り注いで、また花開く。

 

 これは何を意味しているのだろう。先程のカーチェイスの最後でも、スカーレットの手下がカラフルな何かを放ち、それが鈴谷の車を持ち上げて川に落としたのだ。

 魔法。あるいはそれに類するもの。ならば、色が見えるのか。この世にないものが、ないもの“だけが”、色を持って見えるのなら、きっと鈴谷はもう……、

 

 

 

 

 

 パンッ。

 

 軽い音が聞こえ、視界の中に光りながら尾を引いて天に昇る流れ星が現れた。

 夜空がぱっと明るくなる。見紛うことがなければ、それは間違いなく信号弾だ。艤装の装備ではなく、ハンドガン型の小さな装備品である。主に夜戦に赴く水雷戦隊や発着艦時の風向き確認のために空母艦隊が使用するもので、周囲を照らし出すことに焦点を当てた照明弾と違い、コミュニケーションのための道具である。色や種類によって意味が異なる。夜空を飾る幻想の花火と違い、こちらの色は識別出来ないが、そうであってもその信号弾の意味は明確だった。つまり、仲間の到着を告げるものだ。

 

 仲間?

 

 鈴谷は首を傾げる。仲間とは艦娘のことだろうか? 何しろ、ここは隔離された結界の中。侵入するには、巫女たちのように初めから結界が展開される内側に居なければならないのではないだろうか。

 しかし、記憶を探っても先に艦娘が居たとは思えない。

 疑問が次から次へと湧き出てくるが、いずれにしろ会ってみれば分かることだ。鈴谷は立ち上がり、海へ向かって走り出した。

 傾いだガントリークレーンの向こう。暗い海の上を駆ける影が一つ。鈴谷は手を振りながら追い掛ける。

 

「おーい‼︎」

 

 声を張り上げたのが聞こえたのか、艦娘らしき影は鈴谷に気付いたようだ。陸に向かって舵を切り、二人は岸壁で落ち合った。

 小柄な体躯と小口径砲は駆逐艦の証。主砲の取り付け方や制服から、陽炎型と思われる。やはり、シンガポール基地の駐屯駆逐隊の一人であるようだ。

 

「本土から来た艦娘ですか?」

 

 駆逐艦は固い声で問うた。

 

「そうだよ」

「先に所属と名前を教えてください」

「情報保全隊付、最上型三番艦の『鈴谷』」

「ああ」

 

 すると、駆逐艦は一瞬ホッとしたような表情を浮かべた。緊張が幾分解除され、少し頰が緩む。

 

「第百十七駆逐隊、陽炎型の『嵐』です。よろしくです」

 

 嵐という名前には覚えがある。かつて深海棲艦「駆逐水鬼」だった二人の内の片方。そして、海軍の知る限り、完全な深海棲艦から完全な艦娘に戻った唯一の事例の当事者である。

 何の巡り合わせだろうか。彼女たちが深海棲艦から戻った時の作戦を指揮していたのが、今上空で暴れている吸血鬼だった。

 そういう因果があったから? と、勘ぐってしまうくらい、よく出来た偶然だった。スカーレットがシンガポールで行動を起こしたのも、そこに関係があるのだろうか?   

  とすると、嵐が味方とは言い切れなくなってしまう。実際、駆逐水鬼“救助”作戦に参加していた「川内」は現在所在不明となっており、これは脱走したと考えられている。つまり、鈴谷の追跡対象であり、嵐が何か関係しているなら、込み入った話になってくる。

 さて、どうしようかと苦笑を浮かべると、嵐は強張った表情をさらに緩めた。鈴谷の笑みを友愛の表れと勘違いしたらしい。

 

「嵐は鈴谷に会いに来たの?」

「あ、そうっす」

 

 いきなり、嵐の口調が砕けたものになった。これで彼女がスカーレットの差し金で来たのなら、女優顔負けの演技力の持ち主ということになるだろう。出会ってまだ五分と経っていないが、なんとなく嵐にはスパイの真似事など無理なような気がする。腹に一物を持つのではなく、良く言えば裏表のない明朗闊達さがこの艦娘の人間性ではないだろうか。

 

「鈴谷さんの艤装持って来たんです」

 

 そう言って、彼女は袈裟懸けしたベルトの先、大きな金属製のボックスを身体の前に出した。言葉通り、艤装運搬専用の鋼鉄製ケースだ。鈴谷にとっても見慣れた物で、だからこそ何故それを今ここで嵐が持っているのかが分からない。これではまるで、嵐が鈴谷と落ち合うことつもりで艤装をわざわざ持って来てくれたことになる。しかし、カーチェイス中に村井と話して以来、スマホをなくしたのもあって、連絡は取ってなかった。鈴谷がブラ二島に現れるのをどうやって知り得たというのだ?

 

「司令からの指示だったんです。鈴谷さんは現場に現れるから持ってけって」

 

 司令、つまりシンガポール基地の責任者である柳本中将。

 経験豊富な大ベテランとのことだが、まさか鈴谷がブラ二島に来ることまで読んだのだろうか? いや、読んだのだろう。そして確信したからこそ、負担になるのを分かって嵐に鈴谷の艤装を持たせたのだ。

 ずば抜けたその読みの的確さに、遥か後輩たる鈴谷は戦慄する。一体どうしてこれほどの傑物が辺境の小規模基地の司令官などという閑職に甘んじているのだろうか? いずれにせよ、柳本中将の読みは当たった。彼としても、この状況では少しでも戦力が欲しいところだろう。鈴谷も、艤装を装着して初めて動けるようになる。

 これは嵐がスカーレットの回し者である可能性はほぼなくなったな、と考えつつ、駆逐艦から艤装を受け取る。

 

「あれ? あんま驚かないんすね。俺なんか、ホントに鈴谷さんと会えてびっくりしてるんですけど」

「いやいや。驚いてるよ! ってか、嵐は鈴谷にどんなリアクション求めてるわけよ?」

「あー。いや、なんか平然としてるんで」

 

 そこで鈴谷はある可能性に思い至った。岸壁の縁に腰掛け、艤装を装着しながら尋ねる。

 

「話変わるけどさ、嵐はどこ出身?」

「え⁉︎ 出身っすか? 俺は加古川です」

「どこそれ」

「兵庫ですよ! ちょうど、神戸と姫路の間なんすけど。あ、重巡に加古さんって居ますよね。その艦名の由来になった川が加古川って言うんですけど、街の名前もそこからとられてるんです」

 

 やっぱりそうか、と一人納得する。兵庫県なんて神戸以外、後は田舎のイメージだったが嵐の出身地もそうだったようだ。道理で喋り方が田舎臭い気がしたのである。しかも、リアクション芸を求めるあたり、関西の出ではないかと疑ったが、こちらも当たりだったようだ。

 

「あの、でもそれが何か?」

「何でもないよ。関西出身かなって気がしただけだから。それより、外部との連絡は取れる?」

「いや、無理です。何て言うか、信じられないかもしれないっすけど、ここはどうも他とは隔離されてしまってるみたいで、外とは連絡が取れないし行き来することも出来ないみたいなんです」

「やっぱりそうなんだ」

 

 すると、嵐は隠すこともなく驚きの表情を見せた。どうやら演技などというものからは一番遠くに位置する類の人物らしい。彼女はきっと、鈴谷が今までずっと島の中に居たと勘違いしているのだろう。実際には不思議なことが出来る少女と行動を共にし、嵐以上に現状の正確な把握が出来ているのだが、それをあえて打ち明ける理由はない。言えば、何故そんなことを知り得たのかという問いが返ってくるのは目に見えていたし、嵐に無用な不信感を植え付けるだけだ。それに、東風谷たちのことを鈴谷は秘密にしておきたいと考えたのである。少なくとも、必要と判断した場合以外に安易に彼女たちとの繋がりを明らかにするべきではない。

 

「何となくそんな気はしてたんだ。街灯りは見えないし、おかしいとは思ってたよ」

 

 だから適当に誤魔化して、さっさと本題に繋げる。

 

「でも、外と行き来出来ないんなら、嵐たちはどうやってここまで来たの?」

「あ、それは、何て言うか……」

 

 駆逐艦の言葉が急に歯切れ悪くなる。

 隠そうとしているのではない。むしろ、彼女は鈴谷に訊かれたことに対して懸命に答えようとしている。だが、思うように言葉が出て来ないみたいだ。言いあぐねている、という状態だろうか。言葉を探しているが彼女にとって腑に落ちる表現が出て来ず、それが歯切れ悪さに繋がっているようだった。

 

「言い辛いんすけど、何か……ワープしたみたいで」

「ワープ?」

「そうなんです。まさにそうとしか言いようのないことが起こって。さっきまで俺たちは外に居たんです。で、ブラニ島が見えず、近付けないから何が起こっているんだってなってました。それで、本来ブラニ島があるはずの周辺を探し回っていたんですけど、その途中でいきなりこっちに移動して来て。それが、まるでワープしたみたいでした」

 

 これも、不思議の一つだろう。現在、ブラニ島は周囲とは結界によって隔離されている。それは、この世界には存在しないはずの幻想世界の技術によって為されたものである。ならば、その結界を貫くのか、あるいは回避するのかして中と外を繋ぐトンネルを作ることが出来る者が存在するとしたら、それもまた幻想の使い手であるに違いなかった。その使い手がスカーレットの側に居るのか、あるいはスカーレットと対立する側に居るのかは定かではない。だが、普通に考えればスカーレット側に嵐たちを招き入れる理由は何もないはずで、東風谷たちの側ならばその理由は十分あり得るだろう。とするなら、秘密裏に支援をする何者かが居ることになる。

 それが、巫女たちの言っていた「賢者」、つまり二人をこちらの世界に送り込んだ幻想郷の上層部連中であるならば、第百十七駆逐隊の身に起こったことは説明を付けられそうだった。

 重要なのは、その「賢者」が出来ることの限界である。今のところ、巫女二人を派遣し、現地艦娘を結界内に誘い込むしかしていない。スカーレット一味に対する直接的行動に出ていないところを見ると、間接的な関与が限度なのかもしれない。まあ、こうして嵐が艤装を持って来てくれただけでも鈴谷としては大助かりなので、これ以上の支援を求めるのは贅沢というものだろうか。

 

 艤装は装着部や航行ユニット、バックパック式の背部艤装といった基本的な部分の他に、兵装は主砲、対空電探、対空機銃、三式弾である。本来的に艦娘としての装備はこれでほぼ一式そろっていることになるのだが、鈴谷の艤装は他とは多分に異なり、特殊な装備が多い。そうした装備の必要性についての認識は、艤装を用意してくれた柳本中将や工廠の整備員にはなかったと見られ、嵐が持って来てくれた物の中には含まれていなかった。もっとも、今のこの状況でそれらの装備があったところで役に立つかは分からないが。

 何はともあれ、これで鈴谷は本来の戦闘力を取り戻した。大きな力に翻弄されて逃げ回るしか出来ないだけの小娘ではない。不死身の戦士に戻ったのである。

 すべての艤装を装着し、主砲を装填する。砲弾が薬室に送り込まれる聞き慣れた音が耳に心地良い。航行艤装を始動し、腰掛けていた岸壁から海面に飛び降りる。

 

「嵐は、鈴谷と合流した後どうするの?」

「深海棲艦を探します。僚艦は先に探しに行ってます」

「オッケー。取り敢えず島の北側には居なさそうだから、南に回ろうっか」

「あ、はい」

 

 いきなり航行艤装を最大出力にして加速すると、艤装に過負荷がかかって故障を招くことになるので、ゆっくりと回転数を上昇させていく。急加速すればその分余分に燃料を食って燃費にも悪い。もっとも、鈴谷は生まれてこの方、“燃費”などという概念を重要視したことなどなかったし、それどころか行動を選択する際の判断材料としてこの概念を持ち出すことさえなかった。つまり、全く考えたことがなかった。

 鈴谷が速度に乗るまでの間、嵐は「情報保全隊付の鈴谷さんと合流しました」と無線に吹き込んでいた。相手は恐らく彼女の駆逐隊の僚艦だろう。

 

「そういやさ」

 

 そんな嵐の姿を見ていて、鈴谷はある物が足りないことが気になっていた。

 

「暗視ゴーグルは?」

「あ、すみません。持って来てないです。忘れてました」

「そっか。しゃーないね。……じゃなくて、嵐はゴーグル着けないの?」

「あー」

 

 と、言い辛そうに駆逐艦は声を伸ばす。艦娘同士、隠すようなことでもないだろうに、と思う。嵐がなぜ暗視ゴーグルを着けていないかは何となく分かっているが、これは一応の確認のためである。

 

「えっと、俺たちは……。って、俺と、あと、僚艦の萩風っていうのが居るんですけど、俺たち二人はゴーグルがなくても見える目を持ってるんっすね。だから、要らないっていうか。持って来てないです」

「やっぱそうか。じゃあ、前に行ってもらっていい? それなら嵐の方が探しやすいでしょ」

「了解!」

 

 駆逐艦が少し加速し、鈴谷の前を行く。彼女が夜行動物のような目を持っているならそちらを頼った方が捜索はしやすいし、鈴谷の場合“視界が悪い”ので尚のことである。

 

 ブラニ島は上から見ると、鈍角の角を一つ欠いた東西方向に長い菱餅のような形をしている。島の北岸はすべて貨物船専用の岸壁となっているが、南岸は場所によって用途が違い、浮桟橋やPCGのボートのふ頭、あるいは単なる護岸などだ。さほど探す範囲は広くないが、見落としのないように嵐はゆっくりと進んでいく。

 岸辺には何人もの人影があった。港湾の労働者や政府職員などであろう。いずれも現状の把握が出来ておらず大わらわといった様子で、その動きに統一感はない。

 島内が未だかつてない異常事態に大混乱となっているのは明らかであったが、しかし不思議なことに深海棲艦の気配は一切しないのである。普通これだけ人間があからさまに動き回っていたら、人間に対して極大の攻撃性を発露する深海棲艦が真っ先に破壊活動に勤しみ始めるはずだ。そのような形跡も兆候も一切発見されないのである。

 

 思えば、先程東風谷と共に襲われた深海機も、機銃掃射出来るタイミングだったのにそれをしなかった。弾薬を搭載していなかった。弾切れかと思ったが、ひょっとしたら真実は違うのかもしれない。現れたのは普通の、鈴谷たちのよく知る深海棲艦ではないのかもしれない。深海機は初めから弾薬を搭載しておらず、故に発砲するのではなく、体当たりのような突撃を仕掛けてきたのだとしたら。ここに居るのが空母ならば、その空母は攻撃能力を初めから持っていないことになる。

 

 

 果たして、鈴谷のその予想は的中した。

 

「あっ!!」と、嵐が声を上げる。彼女はやにわに加速し始め、何かを追い駆けだした。

 

 もちろん、すぐ後ろを航行していた鈴谷にもそのシルエットが見えた。鈴谷より“目の良い”嵐にはもっとはっきり分かっただろう。

 

「見付けたね!」

 

 唸る主機の音と押し退けられる波のざわめきに負けじと声を張ると、駆逐艦は頷いた。何か言ったのかもしれないが、隊内無線さえ持っていない鈴谷には何も聞こえなかった。

 深海棲艦とはちょうど鉢合わせした形になっていた。向こうがこちらに向かって来ていたのである。だが、艦娘の姿を見付けると慌てたように踵を返して来た方向に逃げ始めた。鈴谷の知る限り、艦娘と出会って真っ先に逃げを選ぶような深海棲艦と遭遇するのは、これが初めてのことではないだろうか。後々弾切れなどで“撤退”することになるとしても、艦娘と遭遇すれば連中は、どんな状況であれ、少なくとも一度は襲い掛かってくるはずだった。

 何にせよ、撃ってこないのなら捕まえて確かめればいいことだ。相手はほとんど無抵抗とも言える状態なのだろう。

 

 ただし、もう一つおかしなことが起こった。突然その場に第三者が現れ、状況に介入し出したのだ。第三者は深海棲艦が来た方向、今は深海棲艦が逃げ出そうとした方向から現れた。鈴谷の目には黒いシルエットとしてしか認識出来なかったが、人型で海の上に立っているように見えたから、人型の深海棲艦か艦娘のどちらかであろう。前者なら厄介なことになるが、後者ならば考えられるのは嵐の仲間であることだった。

 

「あいつは!?」

「艦娘です!! でも、うちの隊の人じゃないっ!!」

 

 嵐の隊の艦娘じゃない?

 

 現在シンガポールに存在する艦娘は、鈴谷と第百十七駆逐隊の三人、そしてウォースパイトの五人だ。嵐が自分の艦隊の僚艦ではないと言うのだから、現れたのはウォースパイトということになる。

 王立海軍の旗艦の艦種は戦艦であり、まるで玉座のような巨大な艤装に座して戦うことで有名だった。元より戦艦という艦種自体が重厚な装甲板と大きな主砲塔を装着しているため、かなり威圧感のある見た目となる。だが、鈴谷が思うに新しく現れたシルエットはもっと細身で、艤装も小ぶりな、どう見ても軽巡か大型の駆逐艦サイズだった。少なくとも、あの小ささで戦艦とは言えないだろう。

 そしてその矛盾はシルエットの艦娘が逃げる深海棲艦を俊敏な動きで捕縛したことでより拡大した。砲撃の反動に耐えるために意図的に艤装の重量を重くしてある戦艦にはあのような素早い動きは出来ない。もっと小型軽量な艦娘の動きである。鈴谷たちと新たな乱入者に挟まれた深海棲艦はさらに針路を変えて逃げようとしたところを、乱入者にあえなく捕まってしまった。

 海上航行中に同じく航行中の他艦と接触するのは非常に危険な行為であり、海軍の内規では禁止事項の一つとなっている。艦娘はそれなりに高速で動いているので、接触した場合に衝突エネルギーが非常に大きく、互いに艤装や本人が大きく損傷する危険性が高いためだ。もちろん、これは相手が深海棲艦であっても何ら変わりはない。

 だが、それは航行中の接触が技術的に不可能であることとは同義ではない。特に、一度外洋に出てしまえば上官たちの目が届かないわけで、戦闘中に何かしらの理由によって仲間や深海棲艦と意図的に接触する艦娘は決して居ないわけではない。その理由は例えば負傷した仲間を危険地帯から迅速に離脱させるためであったり、深海棲艦を直接殴打するためであったりする。上手にやればぶつかって互いにダメージを受けることもないから、航行技術に自信のある艦娘ほど、こうした行為に対する抵抗感が少ない傾向にある。

 ただし、難しいのは確かなことだ。それを全力で逃げる相手に対して難なく成し遂げてしまうの艦娘は相当な実力者だろう。

 

 その艦娘は暴れる深海棲艦を羽交い絞めにして島の方に引っ張っていく。手近にあるPCGのボートが横付けされている埠頭に向かっているようだ。そして、その姿は誰かが打ち上げた照明弾によって鈴谷の目にもはっきりと映った。その誰かはきっと百十七駆の誰かだろう。嵐ではなく、彼女の僚艦のどちらかになる。

 

 

 問題はそんなことではなかった。空からゆっくり落ちてくるテルミットの輝きが暴いた新たな艦娘の正体。そして、深海棲艦の正体。

 深海棲艦の左腕には、注射器のような物が刺さっていた。いや、深海棲艦などと呼ぶべきではないだろう。艦娘の腕に抱かれたその人物は、ついさっき鈴谷とホテルで言葉を交わしたシンガポール基地の艦娘担当官なのだから。

 

「うそだろ!」

 

 駆逐艦が喚く。

 彼女の声は、彼女の真横を通り過ぎる時に聞こえた。その時にはもう加速し出していたし、主砲を向けていた。鈴谷の目に映っていたのは、艦娘担当官の大尉ではなく、彼女を抱く艦娘だけだった。ここに居るはずのない、消えたはずの艦娘。

 

 忘れもしない。七年経っても決して忘れない。あの日に起こった忌まわしい出来事。最愛の人を死に追いやった仇敵。

 

 憎悪が膨れ上がる。全身の血液が沸騰する。感情に反比例するように、顔面の筋肉を吊り上げる。

 

 抑えきれない憤怒と生来の凶暴性が化学反応を起こし、爆発的な熱量となって鈴谷の全身を駆け巡った。

 

 

「アッハァッ!! 川内じゃぁぁぁん!!」

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 すぐ傍で放たれたその声に、狂気しか含まれていないのを感じ取って嵐は震え上がった。剥き出しの感情。猛り狂ったそれが何のフィルターに通されることもなくそのまま外に吐き出され、嵐の心を震わせた。

 その声の主を、嵐はたった今まで「フランクで落ち着いた先輩」と認識していた。「情報保全隊付」なんていう特殊な肩書の持ち主だからどんな人物かと身構えていたのだが、実際に会ってみると親しみやすい人だと思ったのである。後輩の嵐に対して偉そうに振舞うこともなく、その立場から特殊な過去については知っているだろうに変な偏見を持って接するようなこともなく、だから嵐は鈴谷のことを「悪い人じゃないな」と考えていたのだ。

 

 だが、今はどうだ? まるで別人に変わったかのような変貌ぶり。

 

 驚いていることなら一杯ある。例えば、深海棲艦だと思って追い駆けていたのがよく知る黒檜だったとか、急に現れたのがかつて四駆の僚艦と共に自分たちを助けに来てくれた軽巡の先輩だとかだ。けれど、鈴谷の狂気には一番驚かされてしまった。人が、あんなふうに狂い切った声を出せるということに、ただただ慄くしかなかった。だから、鈴谷が主砲を撃つのを止める余力などもありはしなかった。

 

 腹に響く砲音。照明弾ではなく、発射炎によって一瞬辺りが照らし出される。ほぼ同時にPCGの桟橋の一画が大音響と共に吹き飛び、そこにあったコンクリートやボートが無数の破片となって空に舞い上がった。何よりも、着弾地点は黒檜から二十メートルほどしか離れていない。

 嵐は何も言えなかった。黒檜に当たったらどうするんだとか、どうして同じ艦娘に砲を向けるんだとか、シンガポールの警察の施設を破壊したらどうなるのかとか、数々の疑問が噴き出てきたが、全く一つも口に出すことが出来なかった。それだけの勇気も度胸も、今の嵐には兼ね備わってなかったのである。

 

「今更どの面下げてあたしの前に出て来てんだよ!」

 

 鈴谷は狂っていた。その狂気を目の当たりにしても、川内は落ち着いていたように思う。残ったPCGのボートの中に黒檜を放り込むと、舵を切ってそこから離れようとした。意図は明確で、躊躇なく砲撃する鈴谷から逃げようとしたのだろう。もちろん、鈴谷は後を追う。追うだけじゃなく、次弾を装填して、また主砲を放った。

 今度は大きな水柱が二つ。重巡の20㎝砲弾だ。軽巡の装甲では耐え切れない破壊力を持っている。直撃すればどうなるかなんて、誰だって想像がつくだろう。しかし、鈴谷に砲撃を止める気配は全くない。嵐はただ黙ってついていくしかなかった。

 

「こんなことして何になるんだよッ!!」

 

 さすがに腹に据えかねたのか、川内は怒鳴った。だが、それで今の鈴谷が止まるように思えない。

 

「何になるかってぇ!? 何にもならねーよッ!! お前が死んだところで熊野が帰って来るわけじゃないんだしさぁ! けど、あの子が海に沈んだのにお前がのうのうと生きていることがあたしは許せねーんだよ!! 熊野を殺したお前が、何の罰も受けずに平気な顔して当たり前に存在してるのがマジで耐えらんないの!! あたしたちにした仕打ちを忘れたとは言わせねーよ!! だから、さっさと沈んでサメの餌にでもなってくんねーかなぁぁぁ!!」

 

 鈴谷は本当に狂っている。支離滅裂な言葉を叫び、再度主砲を装填して川内を撃沈しようとするのだ。砲弾は挟叉して着弾したので、鈴谷は本気で川内を狙っているのだろう。

 ただ、どうしてだろうか。先を行く彼女の背中は、何か大きなものを背負ってくたびれているように思えた。怒りや憎しみといった感情もあるだろう。だが、それ以上にもっと強くて大きな感情があるように思えたのだ。

 

 気のせいだろうか。

 

 そんなことを考えていると、余計に止められなくなる。本来は鈴谷を止めなければならないのに、嵐は先程とは違った理由で口出し出来なくなってしまった。

 

 

 

「嵐! 何が起こってるの?」

 

 無線から僚艦の声が聞こえる。それと同時に、自分の脇を誰かが追い越していった。それは江風に他ならなかった。

 

 赤い長髪と白いマントがはためき、嚮導艦は鈴谷に後ろから取り付いた。その直前に気付いた巡洋艦は身を翻して江風を避けようとする。ただ、機敏さは駆逐艦である江風の方が数段上回っており、避けたにもかかわらず鈴谷は江風に捕まった。それでやっと彼女砲撃は止まり、嵐は胸を撫で下ろした。

 だが、事態はまだ落ち着いたわけではない。航行しながら密着することになった二人は互いの顔に主砲を向け合っている。そのまま息を合わせたように速度を緩めていくが、視線だけで相手を射殺しそうな目で睨み合っているのは変わらない。

 

「邪魔すんなよ」

 

 完全に停止してから鈴谷が威嚇する。江風は一歩も引かなかった。

 

「てめえこそ、誰に向かって撃ってンだ?」

「軍を脱走した裏切り者だよ。沈められて当然でしょ?」

「何様のつもりだよ、お前。仲間を撃つことがどういうことか分かってやってンのか?」

「ハッ。そういや、あんたもそうだったね? 先輩としての助言をしてくれるのかなぁ? どこをどう撃ったらいいかって」

 

 江風が主砲を握っていない左手で鈴谷の胸倉を掴み、自分に引き寄せる。そして、鼻っ柱に噛み付きそうな距離で顔を合わせ、歯を剥き出しにしてこう言った。

 

「次に川内さんに砲を向けてみろ。必ずお前の頭を吹き飛ばして地獄に叩き落してやる。よく覚えておけ、このクズ女!!」

 

 ここまで怒った江風を、嵐は未だかつて見たことがなかった。

 彼女があの軽巡、川内を心底慕っているのは嵐も知っていることだ。何かあればすぐに川内のことを引き合いに出して、彼女が如何に優れた艦娘で、指揮官だったかをつらつらと語ってみせる。そのような話を頻繁に聞かされていたから、川内がどれだけすごい艦娘か、そして江風がどれだけ川内に心酔しているかを嵐はとてもよく知っていた。

 その川内を沈めようとしたのだから、江風の怒りは相当なもののはずだ。嵐ならあれだけの怒りを目の当たりにしたらびびって何も言えなくなってしまうが、鈴谷にはまるで響いていないようだった。こちらもこちらで、狂気が収まったと思ったら白けた目になり、密着している江風の腹を思いっ切り蹴って距離を置くと、「あーもう、川内の奴が逃げちゃったじゃん」と苛立たしそうに喚いた。

 両手を上げて攻撃の意志がないことを示すと、さすがの江風もそれ以上掴み掛るようなことはなかった。それでも狼のように鋭い目で睨んでいるのは変わらない。

 

「ねえ、何があったの?」

 

 と、いつの間にか隣にやって来た萩風が尋ねた。

 嵐は首を振り、「それより、大尉を探しに行かなきゃ。萩も手伝ってくれ」と答える。

 

「大尉? どうして大尉が?」

「分からないけど、大尉が居るんだ。警察のボート置き場のところだ」

 

 取り敢えず江風も鈴谷も落ち着いたようだし、もうこれ以上面倒事に巻き込まれるのは嫌だったので、嵐は萩風を連れて来た方向に戻る。

 

 PCGの桟橋は、砲撃によって破壊された痕跡が生々しく残っていた。そこに職員たちが集まっている。そこともう一つ、桟橋に横づけされているボートの一隻にも人だかりが出来ている。嵐はそこに近付いて行った。

 ボートの中でPCGの職員たちに助け起こされているのは、見慣れた人の姿だった。

 

「大尉!!」

 

 まず、萩風がボートに取り付いて黒檜に手を伸ばす。警察官たちは慌てる萩風を落ち着かせようとした。彼女は黒檜の脈を計り、安堵したような表情を浮かべる。嵐もそうだが、萩風も艦娘担当官には恩義を抱いていたし、心から慕っているのだ。

 

「無事か。萩」

「うん。気を失っているだけみたい」

「そっか。良かった」

「うん。けど、何で大尉がこんなところに」

 

 萩風の疑問は当然だった。ただ、自分の目で見たものが完全に信じ切れない嵐は、それを正直に告げようとは思わなかった。少なくとも、自分一人で判断していいことではないし、直属の上官たる嚮導艦に相談するのが先決だろう。自分たちという先例があるからこそ、安易に行動出来ないのはよく理解している。

 

 だが、そうなると一つの事実が存在することになる。

 黒檜は、深海棲艦になっていた。艤装を持たぬ彼女が海上立位を実行するには深海棲艦となるしかない。そして、ただの人間は深海棲艦になれないはずだった。つまり、黒檜は本当は艦娘だったのだ。

 嵐は彼女が艤装を装着しているところなど見たことがない。泳げないところも見たことがない。艦娘が「艦娘担当官」になることはないし、この役職の名称は秘書艦に相当する役割を果たす非艦娘の人間に与えられるもののはずである。だから、彼女が人間だということに疑いを抱いたこともなかった。実際に今、警察官たちによってボートから引き上げられるその姿はどこからどう見ても普通の人間の女なのだ。

 

「こちら基地司令部。百十七駆、応答せよ。繰り返す、応答せよ」

 

 不意に、それまで通信が途絶していた基地からの無線が聞こえてきた。まだ少しノイズが残っているが、確かに聞き慣れた男性オペレーターの声である。

 

「あ、こちら第百十七駆逐隊。嵐です!」

「やっと繋がったな!! 状況を報告せよ! 貴隊は今どこに居る?」

 

 隣の萩風と顔を見合わせると彼女の顔も喜色ばんでいた。背後を振り向くと、そこにはセントーサ島の大きな島影がある。北側のコンテナヤードにも明かりが着き始め、辺りはどんどん明るくなっていった。

 

「戻って来たのね!」

「そうみたいだな」

 

 ああ良かったぁ、と大きな息を吐き出す萩風の肩を叩き、オペレーターの問い掛けに答える。

 

「現在はブラニ島のPCG本部前です。深海棲艦の脅威は……なくなりました」

「なくなった、というのは、排除したということか」

「詳しいことは後で説明します。それと、すぐに救急車を一台手配してください」

「負傷者が居るのか?」

「ええ。大尉です。黒檜大尉が、現在PCGに保護されています」

「……分かった。手配する」

 

 オペレーターの作ったわずかな間は、彼が驚いたことの証だろう。彼だって、黒檜がなぜここに居るのか分からないはずだ。もちろん、嵐だって過程は分からない。ただ、一度拉致された彼女はブラニ島に連れて来られたらしい。それが、あの紅い悪魔の仕業なのかは知らないが、重要なのは彼女が健在であることだった。念のための救急車だが、もし本当に黒檜が艦娘ならば、彼女の搬送先は病院ではなくシンガポール基地になるだろう。艦娘の負傷を治すには、修復材に漬けるのが最も効率の良い方法だからだ。

 

「ところで、江風はどうした?」

「あー、こちら江風。うちの隊は全員健在だ」

 

 無線を聞いていたらしい嚮導艦が返事をする。その声には疲労の色が色濃く出ていた。

 

「それは結構。例の、『情報保全隊付』とは合流出来たか?」

「……ちっ。そいつなら、横で殴り飛ばしたくなるような面下げながら突っ立ってやがるよ」

 

 嵐の聞き間違いでなければ、江風は舌打ちをした。もう一度喧嘩をし始めたわけではないようなので、放っておいても江風の精神衛生以外に問題は起きないだろう。

 川内がどこに行ったかも知りたかったが、鈴谷の言が本当なら、彼女は脱走した艦娘ということになる。艦娘が軍を脱走すればどうなるかは嵐だって知っているし、だから軽率に彼女の名前を出すわけにはいかなかった。

 

「了解した。ヘリを出す。安全が確認出来次第ピックアップするから、全員その場で待機せよ」

 

 空を見上げてもそこに星はない。月も浮かんでいない。その代わりに存在していた花火の打ち合いのような弾幕も見えず、恐怖の象徴も飛んでいなかった。

 

 やっと終わったのか。

 

 あまりにも長く、あまりにも異常なことが多すぎた夜だった。この数時間だけであちこちに移動したし、頭を使うことばかりで、おまけに目の前で起きる尋常ではない出来事の連続に、嵐は心身ともにすっかり疲弊しきってしまった。江風の声が疲れていたのも同じ理由だろう。今はとにかく早く帰ってベッドに潜り込みたい。萩風と共同部屋の硬いベッドだが、そんな物でも無性に恋しかった。

 難しいことを考えるのも長ったらしい報告をするのも、明日すればいいではないか。

 だが、そうもいかないのが軍人の悲しいところである。基地に帰れば真っ先に何があったか報告を求められるだろう。常人には理解不能なことを、一から説明しなければならない。頭の固い上官たちは信じようとしないだろう。すると、報告は長引く。

 どう考えても、早い内にベッドに潜り込むことは不可能なようだった。それが憂鬱で、嵐は大きなため息を吐き出した。

 

 

 

 

 

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