レミリア提督   作:さいふぁ

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硫黄島(いおうとう)は島の名前。
Iwo Jima は古戦場の名称。


レミリア提督8 Engagement

 

 

 

 季節も九月に入れば多少は暑さも和らぐ。日中の気温こそ真夏日一歩手前だが、朝夕は太陽が地上を温めるのを放棄したかのように涼しくなる。半袖だと少し肌寒いくらいだ。殊、海上ならなおさらで、それどころかある程度着込まないと海の上は地上とは段違いに寒く、下手をすると体調を崩しかねない。命を取った取られたをする戦場で、「風邪をひいて戦えません」は通用しない。

 

 しかも、今日のように空一面を鈍色の雲が覆い、太陽の見えない日などは冬かと思うくらい冷え込む。赤城は身動きを妨げない程度に長袖の上着を着込んで、やや荒れ気味の波の上に足を浮かべた。

 

 後ろには赤城に倣い防寒した加賀もいる。二人とも似通った格好をしていて、手には体よりも大きい長弓を携えている。見分けがつくのは、袴の色と髪の長さくらいだ。

 

 しかし、一航戦と今日の行動を共にする木曾と七駆の三人はなんと半袖だった。寒くないのかと疑うが、そもそも艦娘の艤装にはある程度の保温機能が付加されている。中には、それさえ有れば冬でも半袖で大丈夫という元気な者もいたりするくらいだから、彼女たちにとっては晩夏の肌寒さなどものの内にも入らないのだろう。

 

 

 さて、赤城たちは本日、任務のため出撃しているのである。演習よりもさらに久しい外洋での作戦行動だった。

 

 提督不在の期間は高度な戦略的・戦術的活動は出来ず、精々が近海を哨戒して時折はぐれの敵と小競り合いをするのが関の山だった。レミリアがやって来てからも、彼女が慣れるまである程度時間を要したし(それでもレミリアの飲み込みが早くて短縮出来た方だ)、だから夏も終わりのこの時期になってようやく本格的な作戦が出来るようになったわけだ。

 

 だからといって、この間の演習の時のように気楽に盛り上がれるものではない。これは実戦である。自然と、赤城たちの身にも力が入る。

 

 艦隊は単縦陣を組み、一路東を目指して進んでいた。頭上には赤城たちを見張るように一機の長い翼が飛んでいる。

 

 低視認性を高めるネイビーブルーの機体色に特徴的なアスペクト比の大きい主翼。機体から真っ直ぐ左右に突き出したそれは、下から見上げると大きな十字架が飛んでいるようにも思える。

 

 遠い海の向こうの国で開発された洋上無人偵察機――トライトンの役目は艦隊と母艦を繋ぐことである。テレビカメラやレーダーを始めとした各種センサーを搭載したこの無人機は、元々空軍用のグローバルホーク無人偵察機として開発されていたもの。トライトンはその海軍仕様にあたり、ここで運用されているのはさらに航空甲板からの発着艦可能なよう短距離離陸機に改良した機体だ。高性能な電子機器を駆使して戦場の様子を余すことなく母艦に乗り込む提督の元へと伝達する。

 

 そもそも外洋で活動するなら、艦娘には海上拠点となる母艦が必須である。艦娘の艤装ではあまり長い距離を航行出来ず、作戦海域近辺まで彼女たちを運ぶ船の存在がなくてはならないのだ。港の桟橋から飛び出して出来る任務は、精々が近海の警らくらいなものである。

 

 この母艦は基本的に艦娘を輸送するために特別な改造を受けた揚陸艦が専従することになっている。鎮守府を代表する軍艦と言えばこの艦娘母艦であり、作戦時には提督や多くの海兵を乗せて出港し、作戦海域に近づくと船体後部のドックから艦娘を出撃させ戦闘の指揮を行う。

 

 故に、艦隊にとっては母艦というのは母港と戦場を行き来するための欠かせない足であり、その存在の喪失は艤装の燃料欠乏による沈没を意味している。だからこそ、どんな艦娘も母艦の防衛には必死であり、母艦の方も護衛の艦娘を乗せてくるのが常であった。今回のその任に就いているのは川内と四駆の二人である。

 

 一方で、母艦は艦娘を出撃させた後は速やかに作戦海域からはなれなければならず、必然的に戦場を見ることが叶わなくなる。さりとて指揮を行うために戦場に近付くわけにもいかず、この矛盾を解くために導入されたのが艦娘装着の視点カメラと無人偵察機である。

 

 前者は戦場に立つ艦娘の視点からその様子をありのままに伝えられるし、後者はより安定した状況から俯瞰的な情報を手に入れられる。その無人偵察機の発着艦のために、艦娘母艦「硫黄島」には空母のような全通甲板がある。艦載用に改修されたトライトンはこの長い飛行甲板から飛び立つのだ。

 

 

 

 

「間も無く作戦海域に進入します」

 

 手首に巻き付けられた腕時計型携帯端末の画面が表示するGPS位置情報を見ながら赤城はインカムに声を吹き込んだ。旗艦は赤城であり、隊列の先頭を行く。後には加賀、木曾、曙、漣、潮の順で続く。

 

 

「了解。敵影なし。そのまま作戦海域に進入して下さい」

 

 母艦の男性オペレーターが応答した。彼もまた、無人機や視点カメラ、母艦のレーダーや赤外線センサーなどで戦場の状況を逐一観測し、状況を知らせてくれる。

 

 彼の言葉通り、見渡す限りの大海原には――雲を映して鉛のように重い色をしているし、波も少し荒いが――脅威となるような姿は見当たらない。だが、油断は出来なかった。ここはもう戦場なのだ。何も脅威は海の上に浮かんでいるだけではない。赤城は七駆に手早く対潜警戒の指示を出し、自身は端末の電探情報を注視する。

 

 ここ二週間ばかりの戦線は、はっきり言って軍の方が押され気味だった。敵はまるでボウフラのように無尽蔵に湧き出すし、それと比例するかのように航空戦力の脅威も増大していた。

 

 一方で全鎮守府の中で最大最強の航空戦力を持つ一航戦がしばらく戦線に出られなかったために、その代替として二航戦や五航戦が出っ張っていたが、いかんせん二航戦は搭載機数が不足しており、五航戦は新参で練度が十分ではない。

 

 無論、彼女たちの努力は無駄ではなく、なんとか戦線を押し留めるには十分に活躍している。ただ、それを維持出来るのも時間の問題で、これ以上増え続ける敵航空戦力を食い止めることは叶いそうもなかった。だからこその一航戦であり、赤城と加賀が弓を引いたなら、たちまちの内に敵空母を没せしめるだろう。

 

 本日の標的はまさにその敵空母である。敵戦力から、複数の正規空母“ヲ級”――それもグレードの高いエリートクラスないしフラグシップクラスが存在すると予想されていた。

 

「“金ぴかヲ級”が一杯なんて胸が熱くなるな」

 

 不意に無線に私語が乗せられて飛んで来た。声の主は木曾か。いつも強気で勇敢な彼女らしい軽口である。

 

「赤かろうが金ぴかだろうが、色無しだろうが、やることは変わんないわよ」

 

 木曾の軽口に不機嫌そうに返したのは曙だ。物事を難しく考え過ぎるきらいのある彼女だが、こういう時は単純明快な論理で行動するものだから、普段の姿はともかくとして、七駆の嚮導艦としてはこれ以上なく頼りになる。経験の浅い四駆ではこうはいかない。

 

「二人とも、私語を慎んで」

 

 曙より更に機嫌の悪そうな低い声が二人を窘めた。腹の虫が盲腸で悪さをしているかのようにむっつりとしているのは、言わずと知れた鎮守府の大御所様。加賀と呼ばれている。機嫌が悪いのは、昨日関係代名詞“what”の使い方が最後まで理解出来なかったからだ。

 

「加賀さんの言う通り。気を引き締めていきましょう」

 

 放っておいたら漣が乗り出して来てまた騒がしいことになる。そうなる前に赤城も釘を刺した。戦意が旺盛なのは結構なことだが、緊張感を欠いてはならない。「あー」と直後に聞こえた溜息は、乗り損ねた駆逐艦のものだった。

 

 作戦には大きな危険が伴う。それはいつもそうだが、今日のは殊更であった。

 

 まず、別の鎮守府から来た別働隊が敵空母の集結地点へ威力偵察を行う。接敵したら敵の戦力を計りつつ後方に退避し、一方別働隊の追撃に意識を割かれる敵空母部隊を一航戦が背後から奇襲するという手筈になっていた。

 

 この作戦を立てたのは上層部の連中で、赤城たちの提督レミリアはそれを二つ返事で了承したわけだが、果たしてそんなうまくいくだろうか? 戦場で計画通りに行く事柄など皆無に等しいのだ。

 

 嫌な予感はするものの、赤城は作戦通りに行動する。そろそろ艦載機を発艦させるタイミングだろう。

 

「別働隊が敵と交戦を開始した。一航戦は発艦準備を」

 

 オペレーターが状況を伝える。始まった。

 

「了解‼︎」

 

 赤城は鋭く返事をして、背負った矢筒から一本矢を取り出し、長弓に番えた。膝を軽く曲げ、重心を落として姿勢を安定させながら、四十五度の角度をつけて上空へ狙いを澄ました。

 

 全身の力を持って弓を引き絞る。ぎりぎりと弦がなり、弓全体が力を溜め入れてわずかに振動した。しかし、矢先は空のある一点を見据えたまま、まるでそれだけ固定されているかのように動かない。

 

 ふっ、と赤城は小さく息を吐き出した。同時に指を離す。

 

 空気が切り裂かれ、赤城の矢は一筋の閃光となり、弧を描いて鈍色の空へと放たれた。そして、コンマ数秒を置いて矢は光を放ち、何の魔法か、一瞬にして三機の飛行機に成る。

 

 大きな機体に特徴的な逆ガルウイング。流星改は赤城に背を向け飛び立った。その後ろ姿を見送らない内に赤城は次の矢を構え、再び空へと放つ。背後では加賀も同様の動作を繰り返していた。

 

 二人で合算六十機ほど空に打ち上げて弓を下ろした。

 

「第一次攻撃隊発艦完了。敵空母の位置情報を下さい」

 

 赤城がそう言うと、オペレーターが応答し、間も無く手元の端末に別働隊が探知した敵空母部隊の座標が転送されて来た。赤城は素早く、上空で円を描きながら待機していた自分の子供たちに指示を飛ばす。艦載機はひらりひらりと翼を返し、高度を上げて東の空へと舞い上がっていった。

 

 敵の座標を赤城は今一度確認する。現在地より東北東方向に数海里離れた場所だった。

 

 

 

 艦娘と深海棲艦の交戦距離は、主体が小さいので、実艦のそれとくらべて必然的に大幅に短くなっている。艦砲の射程距離は最大の46cm砲でも精々が五キロメートル程であるし、艦載機で空爆を仕掛けるにしても十キロが限度になる。海上なら空母同士の航空戦でも下手をしたら相手を見ながら戦えることになるわけで、今日の敵も互いに視認できる程度の距離に居ることだろう。赤城は水平線に目を凝らしたが、それらしい影は見当たらなかった。

 

 敵影を探すのを諦め、赤城はインカムから入って来る無線と情報端末が表示する戦況に神経を集中した。耳には戦場の緊迫した音声――別働隊の艦娘が少女にあるまじき口汚い言葉で敵を罵る声など――が次々と飛び込んで来ていた。どうやら彼女たちは相当苛烈な空襲に遭っているようで、轟沈艦こそ出ていないものの、開始数分で中・大破が続出し、早々に戦力を失ってしまったようであった。それを示すように、端末の画面は忙しなく更新され、電探が探知する敵味方の状況は目まぐるしく点が動いたり消えたりしていた。

 

「敵艦隊の情報は?」

 

 加賀がオペレーターに通信する。

 

「ヲ級フラグシップクラス1、同エリートクラス2、リ級エリート1、イ級2だ。戦艦はいないな」

 

「その程度の戦力なら楽勝だな。俺たちが出る幕もなさそうだ」

 

「慢心はいけませんよ」

 

 情報を聞いて笑う木曾を赤城は窘める。そう、慢心はいけない。何も敵がこれだけの戦力なはずがなかった。

 

「そうね。ここ最近の味方の被害を鑑みても、フラヲが一隻だけとは思えないわ。これは前哨戦に過ぎない」

 

「なら、さっさと捻り潰して次に行くとするか」

 

 加賀の言葉にも木曾は強気だ。彼女の良さはそこにあるのだが、時折こうした慢心とも油断ともとれる発言をするものだから、なるべく戦場では慎重に行動したい赤城の胸中をひやひやさせる。こういう時、金剛がいれば木曾もあまり調子に乗ったことを言わないのだが。

 

 生憎さま、その戦艦は本日非番であった。

 

 寄りにも寄って出撃の日に、というのは思わないでもないが、元より彼女は今日の非番を申請していたのだ。出撃が決定する前からである。その申請は受理されているし、だから今日彼女が休めるのは当然の権利であるし、むしろそうしなさいと金剛に言ったのはレミリアだった。

 

 金剛は自身の非番と出撃が重なったと知った時、非番の取り下げを口にしたのだがレミリアがそれを一蹴したのだ。金剛からすれば状況を見て起こした行動も、レミリアからすれば権利の侵害に映ったらしい。曰く、「貴女には休む権利がある」と。

 

 とにかく一悶着あった末、今日は金剛抜きでの出撃となった。もっとも、今回の主たる敵は空母であり、殴り合いを主任務とする戦艦が出る幕はあまりないだろう。赤城としても、金剛が居ないなら居ないで、その前提で作戦を立てればいいだけの話である。

 

 

「第一次攻撃隊が敵艦隊上空に到達。攻撃を開始します」

 

 攻撃隊を発艦させて守りが手薄になったところで、横合いからの空襲。防御の間に合わない敵艦隊に被害が続出する。赤城が見ている内に、端末画面から幾つかの敵反応が消失した。第一波の攻撃としてはまずまずの戦果だ。母艦をやられて慌てた敵の攻撃隊が、別働隊の上空から引き揚げていく。

 

「ありがとうございます! 助かりました!」

 

 別働隊の旗艦の声が聞こえて来て、赤城は口元に笑みを浮かべた。別働隊が釣り上げられたのは敵の哨戒部隊だけのようだが、轟沈艦が出なかったのならそれでいい。

 

「上々ね。敵の被害は甚大。もう一回行って止めを刺しましょう」

 

「ええ。第二次攻撃隊の発艦準備を開始します」

 

 加賀の提案に、赤城は応じ、再び弓を構えて矢を番えた。しかし、その矢が放たれることはなかった。

 

 

 

「待ちなさい」

 

 と、レミリアの制止があったからだ。彼女は母艦に乗って、トライトンやその他の手段によって情報を得て戦況を見ているわけである。

 

「提督、何でしょう」

 

「第二次攻撃隊は出さなくていいわ。あの敵はあのままに。空母も中破して戦闘力を失っているし、脅威にはならない」

 

 そう言うレミリアの言葉に、赤城は頭を捻った。

 

 確かに彼女に言うとおり敵艦隊はフラヲ中破、エリヲ二隻が轟沈していて航空戦力を失っているのだから、残して行っても背後を取られることはないだろう。ただし、それは今日だけの話で、損傷を受けた空母は海の底にあるという深海棲艦のねぐらに帰って傷を癒し、いずれ前線へ復帰するに違いない。事実、損傷を受けただけで沈まなかった同一個体が復帰するのは確認されていることであるし、だから今ここで叩いておけば後々の敵戦力を一つ削れるはずだった。

 

 けれど、レミリアは第二次攻撃を許可しない。戦力を出来るだけ温存しろと言っているのだ。

 

「確かに敵の本隊はまだですが、あれを潰せるくらいの余裕はありますよ」

 

「要らないわ」

 

 頑ななレミリアに若干の苛立ちを覚えるも、司令官の決定である。渋々弓矢を下げた。もしかしたら、彼女はもう何か掴んでいるのかもしれない。赤城は次の指示を彼女に仰いだ。

 

「では提督。このまま進撃でいいですね?」

 

「その前に。赤城、もっと下を警戒しなさい」

 

 下?

 

 赤城は視線を落とした。そこには、波打つ海面。空の色を映してか、いやに薄暗い色になっている。

 

 潜水艦ですか? 尋ねようとした赤城の言葉は潮の悲鳴のような、絶叫のような声に掻き消されてしまった。

 

 

「海中に異音です!! 魚雷じゃありませんッ!!」

 

 

 彼女がそう言い終わらないうちに、海面を突き破って赤い何かが飛び出して来た。バスケットボール大の赤黒く丸い物体。その一部は裂けるように口を開けていて、口の中には黄ばんだ人間のそれに似た前歯が並んでいた。

 

 物体には二つの目。赤い残光が尾を引く。

 

 敵の艦載機、それも新型の強力な奴だった。それが、赤城たちの足元の海中から湧き立つ泡ように無数に飛び出して来ていた。

 

 

 

 

****

 

 

 

 艦娘には月に四日、非番の日が与えられている。その日は出撃もなく、訓練もなく、どこで何をしていようと基本的に自由となっている。普段は特別な事情でもない限り鎮守府の門を出ることは出来ないが、非番の時は届け出さえ出しておけば外出も制限なしである。無論、門限はあるのだが、近場をうろつくにはさしたる問題ではなかった。

 

 大きな軍港である鎮守府の外は、軍都として栄えた港町がある。この街は陸地の三方を山に囲まれている天然の要衝であり、軍港の発展と共に栄えてきた街である。もっとも、現在では国の内情が安定しており陸側の防御は無意味なものとなっていて、かつては要塞が築かれていた街を囲う山の斜面も宅地開発で造成され、今では無数の住宅が軒を連ねている。

 

 本日非番の金剛は、適当に私服を合わせ、髪を結ってサングラスをかけた上で鎮守府を裏門からこっそりと出た。正門の方はやたら仰々しく、私服でそこから出るのは憚られるし、大通りに面しているので通行人も多く、あまり人に見られたくない金剛を始めとした艦娘たちは人通りの少ない裏門を好んで使っていた。

 

 ゆったりとした薄い生地のカットソーにくるぶし丈のデニムを合わせ、ショルダーバッグを提げて颯爽とヒールを鳴らしながら歩く金剛はどこから見てもお洒落で都会的な若い女性である。本当なら今日という日も海に出て巨砲を撃ち鳴らす戦艦娘であるとは、彼女とすれ違う通行人たちは想像すらしないだろう。服装を抜きにしても、派手な見た目の金剛は街を歩けば同性・異性問わず周囲の目を集めた。

 

 通りを歩いていても声を掛けられる頻度は明らかに並より多い。芋臭く地味な一航戦とは違い、衣服に金をかける金剛は一見すると若いセレブにも思えるからか、洋服屋で店員がすぐに高い商品を勧めてくる。その度に彼女は爽やかに店員を追い払い、じっくりと自分のセンスに任せて服を選ぶのが常だった。

 

 金剛のファッションセンスが洗練されているのは有名で、年下の艦娘たちがしばしば服選びの相談に来たりもする。お洒落な艦娘として名を馳せる金剛の元にはファッション誌の取材の申し入れもあったが、さすがに露出を控えたかったのでそれは断った。が、その話はどうやら他の鎮守府にまで伝わってしまったようで、先日なんか舞風が他所にいる姉妹艦の頼みで服選びの意見を聞きに来たくらいだった。

 

 必然、金剛は持っている私服の数も種類も多い。狭い寮室の小さなクローゼットは一杯だし、それでも間に合わないからベッドの下など、空いているスペースに衣装ケースを買って仕舞っているありさまだ。幸いにして一人部屋の彼女は誰にも気を使うことなく自室を占領することが出来ていた。

 

 そんな金剛だから非番の日は専ら給料を洋服屋で落とすばかりであったが、今日は行く先が駅前の商業ビルではなかった。鎮守府を出てから適当なところでタクシーを捕まえた金剛は、郊外の国道のバイパスへ向かうように運転手に指示した。

 

 この街には、地方都市の例に漏れず、郊外を片側二車線の大きなバイパスが走っている。道沿いにロードサイド型の様々な店舗が並ぶ街の大動脈で、比較的市街地の面積が狭いこの街では港からでも10分と掛らずに到達することが出来た。タクシーから降りた金剛は、立ち並ぶ店舗の内の一つに入って行く。

 

 そこは漫画喫茶である。中に入って席を取ると、ドリンクバーでコップに並々とコーラを注ぎ、漫画の棚には見向きもせずに指定のブースに入ってパソコンを立ち上げる。目的はそう、インターネットだった。

 

 基本的に、艦娘に私物でのインターネット利用は認められていない。パソコンや携帯で気軽にネットに接続出来るようになったところで、軍としては情報漏えいのリスクが高まるばかりであるから、防諜の観点から、艦娘は携帯の所持禁止・パソコンはオフラインの物のみ、という厳しい規制がかけられていた。携帯の代わりとしてPHSが支給されているから緊急連絡はそれで事足りる。オフラインのパソコンなど持っていてもしょうがないので、必然的に艦娘の私物に情報端末はないことが多い。

 

 そこで艦娘たちがインターネットを使うには、赤城のように仕事上必要である以外には、こうした外部の端末を利用するしかない。特に、こっそりと調べ物をするには、プライバシーの守られた個室で時間を気にせずパソコンを動かせ、履歴も残らないこの漫画喫茶はまさに最適の選択であった。

 

 早速インターネットで検索エンジンにいくつかの単語を放り込む。そして、結果ページに出てきたサイトを片っ端からクリックして中身をチェックしていった。

 

 金剛は眉を顰める。どうにも、思ったようなサイトが出て来ない。ほとんどが根拠の定かではない陰謀論や都市伝説の類を取り扱ったサイトで、金剛の求めるような情報は書かれていない。さらに単語を投入し、検索範囲を絞っていくが、結果は満足いくものではなかった。

 

 日本語ではこれが限界か。そう思った金剛は半角キーを押し、アルファベットを打ち込む。世界で最もポピュラーなアメリカ生まれの検索エンジンなら、英語のサイトの方が登録数は多かった。徐々に単語を増やし、先程と同様に結果を絞っていく。

 

 あった。

 

 あるサイトにたどり着いた時、金剛は思わず口元を釣り上げた。世界中から情報を拾い上げられるインターネットならではである。こんなローカルでマイナーな情報が見つかるのは。

 

 金剛は鞄からメモ帳とペンを取り出し、そのサイトに書いてあることを要約する。その内容は、概ね金剛が予想していた通りだった。最後にサイトのURLを写して金剛はメモ帳を仕舞い、それからようやくパソコンの画面右下に表示されている時刻に目をやった。

 

 もう一時過ぎだった。そんなに時間が経っていたのかと驚く。どうやら相当調べ物に没頭していたらしい。時間に気が付くと、思い出したように胃袋が空腹を訴え始めた。

 

 この漫画喫茶のいいところは、ブースのパソコンからちょっとした食事も注文できるところである。味はお世辞にも、といったところだが、胃袋を諫めるにはちょうどいい。軽食を注文した金剛は、待っている間に少しでも空腹を紛らわせようと、行き掛けにコップに注いだまま手を付けていなかったコーラを喉に流し込んだ。もうすっかり炭酸が抜けて温くなってしまっていた。

 

 半分ほど飲んで、再び金剛はキーボードに手をやる。欲しい情報は大体手に入れたが、もう少し調べ物を継続しようと思ったのだ。

 

 代わりに開いたのは、自らの軍のホームページ。軍の関係者が自軍のサイトを見るのにわざわざ基地を出て外部の端末からアクセスしないといけないというのもおかしな話だが、決まりである以上はしょうがない。

 

 軍のサイトからはさらに日本各地にある鎮守府の公式ページに飛べるリンクが張ってあった。適当に軍のページを漁ってから金剛は自分の鎮守府のページに飛んだ。

 

 間もなく、金剛の手が止まる。パソコンの画面にはうっすらと目を見開く自分の顔が反射している。もう一度メモ帳とペンを取り出し、震えの治まらない手で画面に表示されている文字を、文章を、一字一句余すことなく書き写して行く。

 

 

 そう、ちょうど書き終えた時だった。

 

 持ち出してきた緊急連絡用のPHSが震えた。

 

 何事かと、慌てて懐から出せば、簡素なメール――あるいはやや古風な言葉を使って「電報」と表現してもいい――が画面に表示されている。

 

『キンキュウジタイハッセイ。シキュウキチニモドレ』

 

「リョウカイ」と金剛は返信を素早く打つと、書き終えたメモ帳を仕舞い、慌ただしくパソコンを切ってブースを出た。今し方目にした信じ難い情報は頭の奥にとりあえず片付けておく。それどころではなくなったからだ。

 

 

 不吉な予感がした。このメールが来るということは、出撃した部隊に何かが起こったということだ。

 

 仮にもベテラン揃いなのだから大丈夫なはず、などという安直な楽観論を金剛は持たない。戦場ではベテランですらあっけなく死ぬのだから、そうした油断や慢心はご法度である。まして、今日の敵は強力な機動艦隊だと聞いている。あの一航戦ですら万に一つの敗北を喫してもおかしくはない。

 

 何時間で行けるだろうか。鎮守府に戻って艤装を身につけ、それからヘリで出撃。一旦母艦に着艦して、そこで補給し、海に出る。作戦海域までの距離を思い出し、金剛はカウンターで会計を済ませながら交戦開始までの時間を逆算した。

 

 

 

 

****

 

 

 

 敵の呼称は「深海棲艦」というのだから、海に潜れるのは当然の話で、噂では海底の巣から生まれてやって来るのだという。しかし、奴らは普段(潜水艦を除いて)海上に姿を現し、海の上で襲撃を掛けて来るのだから、あまりその噂を気にする者はいない。実際には深海棲艦についての研究というのは日本のみならず世界中で行われているという話だが、耳にするのは話ばかりで肝心の成果の方はまるっきり聞かない。つまりはそういうことで、深海棲艦の生態などほとんど分かっていないのである。

 

 

 だから、百戦錬磨のベテラン揃いであっても、よもや海中から敵の艦載機が飛び出して来るなど予想だにしなかった。

 

 

 

 完全に不意を突かれた形の赤城たちは瞬く間に被弾してしまった。赤城自身は何とか小破の損害で踏み止まることが出来たが、さっと周りに目を走らせれば隊の被害状況は思った以上に深刻だということが分かった。

 

 中破が二人。漣と、加賀だ。不意打ちを避け切れなかった。第一撃で狙われなかった木曾と曙、直前に敵の奇襲を察知した潮とレミリアの警告で足元に注意を向けていた赤城は何とか躱せたが、漣と加賀は無警戒のところをやられてしまったのだ。

 

 まずいことになった。赤城は奥歯を噛みしめる。

 

 海中から飛び出してきた敵機は藪蚊のように艦娘の周りにまとわりつき、執拗にその牙を向けて来る。それを追い払うので赤城は手一杯だった。矢を射る暇などなく、弓を振り回しながら追い立てられるようにその場をぐるぐると回る。艦隊はばらけ、三々五々に分裂してしまう。

 

 手には矢筒から抜き出した“艦戦”の矢が三本。せめて、これを番える一瞬の隙さえあれば、それさえ出来れば状況を打開することが出来るのだ。このままでは一方的に嬲られるだけで、その内全滅だろう。敵は至近距離で撃墜のリスクを負って攻撃を仕掛け、一方で奇襲することで艦載機を発艦させずに制空権を握ることに成功した。

 

 もっと頭の悪い連中だと思っていた。まさか、こんな計算された戦術で挑んで来るとは。

 

 己の慢心と油断に赤城の奥歯に力が加わる。長らくデスクワークに偏重しすぎて海に出る機会を減らしていたのが災いしたのかもしれない。奇襲は勘付けさせないからこそ奇襲と言うのだが、それをみすみす許しているようでは栄えある第一航空戦隊の名前に傷が付く。

 

 不名誉は返上しなければならない。

 

 

 一瞬だ。一瞬でも隙さえあれば……。

 

 

「潮! 全力でピンを鳴らしなさい!」

 

 

 その時叫んだのは曙だった。第七駆逐隊は、曙と漣が対空砲と爆雷を装備し、唯一潮だけがソナーと爆雷の対潜装備のみの装備だった。曙の言う「ピン」とはアクティブソーナーの出す音波のこと。これが水中の物体に反射して返って来ることでその物体がどこにあるかを探知する。アクティブソーナーはそのための装置だ。ただし、それにはもう一つ別の使い方があった。

 

「はい!」

 

 瞬時に曙の意図を理解した潮。次にはピイインと甲高い音が海面から空気中に伝わり、赤城の耳にまで届いた。最大出力のエコー。強烈な音波は、未だ水中に居た敵の艦載機の動きを止めるのに十分な威力を発揮した。

 

 水中では可視光線は屈折し、電波は吸収されてしまう。一方で音波は空気中にあるよりも三倍も速く伝達する。もし深海棲艦が海底を住処とするのなら、奴らは音に頼る以外に漆黒の深海で周囲を知る術を持たないはずだ。必然、赤城たちの居場所も音を辿ることで突き止めたのだろう。 

 

 ならば、その聴覚を一時的にでも麻痺させてしまえば隙が出来る。赤城にとって幸運だったのは、敵空母本体も水中に居たようで、本体が音響により怯んだことが海上で飛び交っていた敵機の動きに影響した。

 

 深海の空母と艦載機の繋がりというのは、空母娘と艦載機のそれよりも遥かに強い。基本的に中破状態になれば艦載機の扱いが出来なくなるのは両者共にだが、敵機の機動は母艦が損傷を受けた時にかなりの影響を受ける。ヲ級が轟沈した時、無傷だったその艦載機が瞬時に全滅するなどよく見られる光景で、だからこそたった一回の聴覚への攻撃が反撃への狼煙となる。

 

 一瞬生まれた敵機の隙。狙いが外れ、機動が乱れる。時間にして一秒足らずの短い間だけだったが、赤城にはそれで充分だった。

 

 矢が、空を切る。鋭く打ち出された三機の烈風。赤城の目の前で矢は飛行機に姿を変え、手近にいた球状の敵機に容赦なく弾幕を浴びせ掛ける。赤城はまた三本の矢を番え、弓を引いた。

 

 速射。速射。速射。

 

 後輩の空母から「マシンガンのよう」と評された早打ち。赤城の得意技であり、彼女の全艦載機八十二機をたったの一分で全展開出来る、他者の追随を許さない高速発艦。空戦が始まり艦娘への攻撃がおぼつかなくなった敵機の隙に乗じて、赤城は残っていた艦戦を全て射ち尽くした。

 

 彼女の周囲に居た敵機から撃墜し、徐々に包囲の輪を押し広げるように制空権を奪回していく。敵は完全に浮き足立っていて、強力な新型艦載機といえど一航戦赤城の相手ではなかった。

 

「ピンが効いたわ! やっぱり敵本体も海中に居るわね」

 

 自慢げな曙の声が耳元のインカムから入って来る。

 

「あら。じゃあ、爆雷で挨拶をお返ししましょう」

 

 それに答えるようにのんびりとした、優雅で余裕たっぷりな提督の声が届く。この前代未聞の敵襲の下にあっても悠然と構えていられるというのは、果たして大物なのかうつけ者なのか。

 

「分かってるわよ!!」

 

 レミリアに対し曙は乱暴に怒鳴り返す。ほぼ完璧に決まった敵の奇襲にわずかな綻びが生じた。その綻びに指を引っ掛けて力づくで引き裂くように、赤城は艦載機という名の暴力を振り回す。そうして出来る余裕は味方にわずかながらのチャンスを与えた。

 

「取舵一杯!」

 

 赤城が号令を出すと同時に曙が潮と共に背負った背部艤装の下から爆雷を投下する。小型バッテリーと煙突型の煙幕展開装置が一体となった背部艤装には、爆雷投射機を外付けされており、そこから近接信管によって自動的に敵艦を探知し爆発する爆雷がぼとぼとと海面に落ちていった。デフォルトでも駆逐艦の艤装には爆雷が付いているが、外付け装備なら弾数を増加させることで対潜能力を数倍にも高められる。

 

 艦隊が左へ旋回。爆雷の範囲から急いで離れる。爆雷の大きさは手榴弾よりも小さいが、深海棲艦を撃破するには十分な威力を持っていた。間もなく、くぐもった音が連続して海面がぼこぼこと盛り上がる。その音が響く度、飛び回っていた深海艦載機が動きを鈍くする。頭上を飛び交っていた敵の銃撃が一瞬止んだ。

 

「気泡の音……敵艦が浮上して来ます!」

 

 潮が叫んだ。どうやらやられた敵空母が姿を現すらしい。水上で決戦する気か。

 

 好都合だ。赤城はほくそ笑み、真上に今度は艦爆を展開する。これで浮き上がった敵を叩くのだ。

 

「全艦、構えて!!」

 

 マイクを叩き割らんほどの声量で怒鳴り、赤城はさらに艦攻の矢を番える。少し離れた目の前の海が泡立っていて、そこから次の瞬間には敵が飛び出してきた。

 

 派手な水しぶきが上がる。白い飛沫が飛び散り赤城たちの視界を遮る中、彼女は確かにそれを見た。間違いなく、それは青い残光だった。

 

「フラグシップ改!!」

 

 金色のオーラを纏うフラグシップクラスの中でも頭一つ飛び抜けて強力な個体。己が持つ別格の強さを示すようにその目は青い光を放っている。現在確認されているフラグシップ改は戦艦と空母。その内、今目の前に現れたのは空母の方だった。

 

 なるほど、これが敵の本隊か。

 

「“青い”ヲ級か!? 注意しろ! 他にも随伴でフラグシップがいるはずだ」

 

 落ち着いていたオペレーターの声に初めて動揺の色が見える。さすがに彼も、フラグシップ改の登場は予見していなかったらしい。しかし、赤城の方はまるで動じていなかった。

 

 水しぶきが重力に引かれて海面に落ちていき、波間に無数の雨粒となって降り注ぐ。敵空母は随分と憎々しげにこちらを睨んでいた。

 

 人間のようでいて、血の気がない青白い肌。海水に濡れているからか、あるいは粘膜のようなもので覆われているのか、てかてかとした光沢があった。それを除けば、目の前の“彼女”の顔立ちは整っていて、なるほどなかなかの美人だと変な感想を抱いた。それが、ありったけの憎悪を持って睨んで来るものだから、気の弱い者が見れば失神してしまうくらい恐ろしい形相になっている。

 

 彼女は触手の生えた黒くてグロテスクな形をした奇妙な帽子を被っている。それがヲ級の特徴であり、頭の数倍の大きさのそれには口が付いていて、その口から艦載機を文字通り吐き出すのだ。それが彼女たちの「発艦」であり、つまるところ帽子は飛行甲板の役割を担っているわけだった。すなわち、その帽子を破壊すればヲ級は戦闘力を失うので、それには頭上から爆撃するのが一番効果的だった。

 

 それ故の艦爆である。彼女が姿を見せた途端、そこに無数の爆弾が降って来た。

 

 水しぶきが収まったと思ったら今度は巨大な水柱がフラグシップ改ヲ級を襲う。

 

「私がフラグシップ改を相手にします。木曾たちは随伴を叩いて!」

 

 フラグシップ改は敵艦隊の旗艦らしい。彼女の背後にももう一隻フラグシップヲ級が姿を見せ、さらに随伴の重巡や駆逐艦も現れる。木曾と曙は赤城が言い終わる前に、とっくに装填していた主砲の引き金を引いていた。彼女たちに艦載機の加護を付けられないが、幸いにして随伴の空母の帽子は大きく抉れていた。

 

 損傷の度合いは中破くらいだろう。先程の爆雷攻撃が功を奏したようだ。空母が無力化されているなら、後はあの三人で始末出来る。だからこそ、目の前の敵の撃破が総てを決するのだ。

 

 彼の姿を視界の端に移し、赤城は新たに艦攻を放つ。水柱が収まれば、未だ健在な彼女が再び姿を見せた。

 

 あれほどの攻撃で、小破の損害に収まったらしい。フラグシップ改はその攻撃力もさながら、耐久力も他とは一線を画する。一撃で中破に追い込むには相当上手く当てないといけない。

 

 ただし、敵だって一方的にやられているばかりではない。ヲ級は手に持った杖を振り上げ、残った艦載機に指示を送る。

 

 やるかやられるかだ。フラグシップ改の攻撃をまともに受ければ、最悪轟沈する。運が良くても大破は確実。今の状況で赤城が倒されるのは、艦隊が全滅するのと同義だった。

 

 敵は左旋回で大きく進路を変えた赤城たちを追いかけて来た。同航戦だ。

 

 番えたままの艦攻を放って牽制を行う。

 

 

 頭を回せ。

 

 敵の数と脅威度。味方の戦闘力。温存している手持ちの残存数。敵機の残存数。先に出した第一次攻撃隊の到着時間。

 

 瞬時の計算の後、赤城は背後を振り返る。

 

 

「加賀さん、貰います!」

 

 

 旗艦の赤城に続く二番艦は中破した僚艦。彼女は飛行甲板と弓、それに片腕に損傷を負って戦闘能力を喪失していた。が、その矢筒は無傷であり、中には相当数の矢がまだ残っていた。

 

 敵と対峙するにあたって、赤城は自分の残りの手持ちでは数が不足することを悟っていた。バチバチと頭の中で何かが弾ける感覚が絶え間なく続いている。それはすなわち、絶え間なく空戦によって赤城の艦載機が撃墜されているということだ。護衛の艦戦の消耗が激しく、さらに艦攻や艦爆にも被害が拡大していて、敵機も相当数撃墜しているであろうが、このままでは赤城の方が数に押されて負けてしまうのは明らかだった。

 

 加えて、第一次攻撃隊が戻って来るのはもうすぐだが、このまままともにフラグシップ改と戦い続ければそれまでの短い間に勝負が付くだろう。無様に焼け焦げて海面に浮かぶ自分の姿が思い浮かんだ。

 

 ならば、手持ちを増やせばいい。空母と空母の戦いは数の勝負であり、より多数の艦載機を投入出来た方が勝つ。先程、加賀の矢筒が無傷であることは確認していた。加えて、他の空母の手持ちを扱うことに何の障害も存在しない。艦載機はあくまで艦載機であり、それ自体は空母に従属するユニットではなく独立したものである。空母と艦載機を繋ぐのは「矢を射る」あるいはその他の方法で“発艦”させるというプロセスを経ることであり、他人の艦載機でも、自分が発艦させれば自分の艦載機として扱えるのだ。

 

 ただし、それも無制限に行えるというわけではない。

 

 以心伝心と言うにふさわしい。瞬時に赤城の意図を悟った加賀が矢筒を思いっきり投げて渡した。これが出来るということは、戦況を見て加賀も同じ判断にたどり着いたのだろう。長年行動を共にしてきた故の連携だ。

 

 飛んで来たそれの肩紐に腕を通して引っ掛ける。急いで無造作に矢を引っ張り出し数本まとめて番えて射出した赤城だが、直後に頭の奥で疼くような痛みに襲われた。

 

 そろそろ、限界か……。

 

 既に赤城の展開している艦載機の数は先に出した第一次攻撃隊も含めて七十を超えている。空母が同時に展開出来る艦載機数は最大搭載機数と同じであるが、その値に近付けばこのように頭痛が現れる。それは多数の艦載機と意識を繋ぐことが脳に大きな負担を与えているからだ。ましてや自分の最大搭載機数を、すなわち限度を超えた数を展開すれば、その内頭痛が酷くなって戦いどころではなくなる。下手をすれば脳が焼き切れてしまう。

 

 艦載機を出し過ぎて脳死したなどという話は聞かないが、赤城も自分がどこまで展開出来るのかは分からない。というより、試したこともない。

 

 どの道、頭痛を抱えた状態では判断力も鈍るし長くは戦えない。一気に展開して、一気に叩く。時間との勝負だった。

 

 それでも赤城は手を止めない。さらに矢を放つ。頭痛が酷くなる。頭が割れそうなくらいに悪化する。

 

 

 顔が歪んだのを自覚した。

 

 無茶なのは分かっている。だが、やらねばならない。命が掛っているのだ。

 

 頭痛に襲われる中で、しかしそれでも赤城は状況を見極める。千載一遇のチャンス。これを逃せば勝利どころか生還さえ難しくなる。殺るか殺られるかの瀬戸際だった。

 

「取舵四十度!!」

 

 赤城は絶叫する。同時に舵を切り、白波を立てて左方向へ転回した。

 

 敵艦隊の頭を押さえるように、その進路上へ体を投げ出す。

 

 敵は水中から出て来たのだ。急速浮上で姿を現した潜水艦のようなもの。一方で、赤城たちの艦隊は元より艦載機扱いのために高速航行中だった。敵も機動部隊であるから足は速いが、水中からの奇襲という手を選んだからこそ、その足の速さを自ら殺してしまっている。つまり、現状で彼我の間にはかなりの速度差があった。

 

 ようやく加速し始めた敵艦隊と、最大戦速で同航戦を展開する味方。当然前に出るのは赤城たちであり、だからこそ敵の目の前で旋回し、その頭を押さえるように動くことが出来る。

 

 丁字有利。艦隊決戦においては理想的な交戦形態。逆に不利となる敵艦隊は、旗艦のみが正面に火力を投射出来るが、随伴艦は前が邪魔で撃てなくなる。つまりは、ほぼ一方的に撃ち込める状態だった。

 

 もちろんそれは空母である赤城にはさほど関係ないが、後ろには立派な主砲を携えた随伴艦が続いている。

 

 そして、チャンスをふいにする彼女たちではない。

 

「左砲戦! 魚雷戦! 目標、敵旗艦!!」

 

 曙の怒号が響く。小口径・中口径艦砲では堅牢なフラグシップ改には有効打を与えられないけれど、そうはいっても丁子有利で火力を旗艦に集中出来るのだ。フラグシップ改の集中を乱すには十分であり、そもそも本命はそれではない。

 

 

 

 上空では翼と翼がぶつかり合っていた。見上げた赤城は空戦が自分優位であることを知る。数に押される敵機が次々と海面に小さな水柱を立てていった。お陰で一機もこちらには到達していない。完全に敵の攻撃を食い止めていた。数の劣勢は覆すことが出来ていた。

 

 

 大丈夫、勝てる。そう言い聞かせ、さらなる発艦を行った。

 

 

 それは零戦でも烈風でもない。それまで温存していた赤城が誇る、最高練度のパイロットたち。壁のような弾幕を突き破り、戦艦棲姫の岩の如き装甲すらも打ち砕いて見せた最強の牙。他とは一線を画した小さな猛禽類が大空に翼を広げた。

 

 

 

天山十二型――村田隊。

 

 

 

「う……」

 

 思わず、呻いた。頭蓋骨を何度もハンマーで叩かれているような激烈な痛み。視界は白くなって、平衡感覚が薄まる。自分が立っているのか、一瞬分からなくなった。それでも、赤城は視線を決して逸らさない。

 

 額を手で押さえながら、震えながらも立ち続け、霧が掛ったような視界の中で、その中心に青い光を据え置く。それが、紅蓮の爆炎の中に包まれるまで敵を睨み続けていた。

 

 

「敵旗艦撃沈!」

 

 

 オペレーターの声と同時に赤城は気を失った。それ以上の記憶はなかった。

 

 

 

 


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