レミリア提督   作:さいふぁ

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今回はいつもと逆。


レミリア提督9 A Mad Tea-Party

 

 

 

 カンカン、と鉄の扉がノックされた。木製の物とは違う音の響き方に加賀は最初それがノックだとは気付かず何の反応もしないままでいると、もう一度カンカンと音がしたので、ようやく扉の向こうで誰かが合図を出しているのだと理解した。

 

「はい」

 

 ノックの音が分からないほど呆けていたのかと自覚しながら返事をすると、扉が重そうに開く。開けたのは提督だった。

 

 艦娘母艦「硫黄島」の士官室の広さは四畳程で、その内の四半を二段ベッドが占めている上、天井や壁には細いパイプが何本も這い回っているので思った以上に狭い。ましてやその空間に三人も入るとなると息が詰まりそうになるが、幸いにして一人はベッドに横たわったままで、新たに入って来た一人はとても背が低い。そのせいか、加賀は提督が入室してもそれほど窮屈になったとは感じなかった。

 

「お疲れ様ね」

 

 レミリアはそんな挨拶をした。寝ている赤城に気を遣って優しく囁くように発音された言葉に、加賀は彼女が本当に労わってくれているのだと悟った。

 

「お疲れ様です」

 

 加賀は赤城が眠る下の段のベッドに腰掛けていたのを立ち上がり、深く頭を下げた。それでもレミリア相手では加賀の頭は彼女の頭より低い位置には下がらない。

 

「具合はどうかしら?」

 

「少し、良くはなっているみたいです。先程よりも寝息は安定しています」

 

「そう。貴女はどう?」

 

「問題ありません」

 

 それは良かったわ。レミリアは微笑んだ。

 

 先の海戦で、加賀は中破し、赤城は艦載機の展開し過ぎで気絶した。母艦に戻った彼女たちは直ぐに修復材で損傷を癒せたのだが、赤城は目を覚まさなかった。海上で気を失って以来、未だに昏々と眠り続けている。

 

「脳に深刻なダメージを負っているおそれがあると聞いたけど」

 

「十分考えられることです。私たち空母は艦載機と意識が繋がっていますから、あまりに多くを展開し過ぎると脳が焼き切れてしまってもおかしくありません」

 

 レミリアの問い掛けに、加賀は淡々とした口調で応える。それはいつも通りの加賀に見えたかもしれない。少なくとも、表情を含め外見はいつも通りだから。

 

 赤城は、加賀にとって唯一心の底まで打ち明けられる相手だ。誰よりも気を許せる相手だ。「信頼」という言葉では語り尽くせず、「絆」という言葉でも物足りない。自分と赤城の関係というのはそういう言葉では言い尽くせないものだと加賀は捉えていたし、だからといってあえて言語化するつもりもなかった。

 

 その唯一無二の戦友が目を覚まさないのだ。鎮守府に戻ったら「脳死」という残酷な診断を下されるかもしれない状態なのだ。気が狂いそうだった。

 

 それでも加賀が落ち着いて見えるのは単に感情の発露が苦手なだけで、いつもはそのせいで誤解を受けることが多々あるものの、今日ばかりは自分のその性質に感謝した。そうでなければ、今頃叫び、泣き狂ってみっともない姿を晒していたかもしれない。

 

 不安で不安で仕方がなかった。恐ろしくて堪らない。だから、レミリアが来てくれた時、加賀は心底安堵した。

 

 一人で居るのは怖かったし、けれども赤城を看ていなければならない。一緒に居てくれる誰かが居るだけで加賀の心はずいぶんと和らいだ。

 

「難儀ね」

 

 レミリアは小さく頷き、ベッドに腰を掛けた。そして、ゆっくりとした手つきで眠る赤城の髪を撫でる。何度も何度も手を往復させ、レミリアはしばらくその動作を繰り返す。

 

 加賀は立ったままその様子を見下ろしていた。上官が部下をこんな風に慈しむという光景は殺伐とした軍隊の中では見られない珍しいものだったし、何よりも見とれていた。

 

 母親が我が子を愛でるような、あるいは天使が赤子を祝福するような、そこには慈愛と祈りが込められているような、そんな気がしたのだ。

 

 

 自分の体から、何かが剥がれ落ちていく。錆ついて、冷え切った物がボロボロと毀れていく。

 

 それは長く軍隊に身を置いてきた加賀がいつの間にか身に纏った物。

 

 戦場に慈悲はなく、肩を並べる戦友との間にあるのは生死を共にすることへの一体感であって、鎮守府で仲間と共に騒いで癒されることはあっても、どこかで加賀はずっと緊張の中に身を置いてきた。敵はいつ襲ってくるか分からず、故に多少は許されても、完全に弛緩しきることはない。そうやっていつも気を張っていたからか、いつの間にか加賀は心に装甲を張り付けるようになっていた。

 

 ましてや、今は唯一無二の赤城が目を覚まさない。言い知れぬ不安と孤独感に、加賀はますます身を強張らせていたのだ。

 

 それが今、剥がれ落ちていく。レミリアの見せる母性に、優しさに、心が洗われるようだった。冷え切った硬い装甲を剥がした後に姿を見せるのは、柔らかく温かな加賀そのもの。いつも暗い中に押し込められていた感情が、抑えが外れて溢れ出す。

 

 

 気付けば頬を伝う感触。嗚咽を上げることなく、加賀は静かに泣いた。

 

 このまま、赤城が目を覚ましてくれればいいと、切に祈る。

 

 祈る相手は、果たして八百万の神か、あるいは目の前の小さな背中なのか、どっちかは分からなかったけれども。

 

 

 

 

****

 

 

 

 赤。赤。赤。

 

 周囲は全て赤だった。目に映る何もかもが赤色、あるいは紅色をしている。

 

 床も、天井も、壁も、壁際に置かれた小さなテーブルも、その上に花瓶も、花瓶に活けられたバラも、バラの茎さえも。すべてが赤もしくは紅色だった。

 

 頭が痛くなる。これほど同じ色ばかり見つめていては、あまりの異常性に脳の認識が追いつかなくなって頭痛が生まれるらしい。そういうこともあるんだと赤城は初めて知った。そんな知識を得るなんて思いも寄らなかったし、得たいとも思わなかった。ついでに、そう言えば自分も名前に「赤」という字が付くと、どうでもいいことに気付いた。

 

 赤色以外の認識をしよう。赤城が今立っているのは、赤い床にさらに赤いカーペットが敷かれた大きな廊下で、奥はずーと続いている。正直、周り全てが赤色なので廊下がどこまで続いているのか遠近が分からなかった。

 

 廊下の材質は、どうやら石のようだが、ペンキで塗った感じではなく、どうやって着色したのか分からないが、とにかく赤かった。試しにしゃがんでカーペットに覆われていない床に触れてみれば、冷たく硬い感触が指を押し返した。やっぱり石のようだ。綺麗に研磨されていて、若干の光沢を有している。

 

 明りは壁の上の方に取り付けられて一定間隔で並んでいる蝋燭の灯で、その蝋燭はこの建物の空間全体が洋風(色を除けば)の造りに反して、これまた赤い和蝋燭だった。それらを支える燭台は銅で出来ているようで、当然の如く赤みを帯びている。

 

 異様な赤一色を除けば、確かにここは西洋の城や宮殿の中のように思えたが、壁に額縁が飾られているわけでもなく、申し訳程度に生け花があるだけで、酷く殺風景だった。それにもう一つおかしなところがある。

 

 この廊下には、窓がない。

 

 廊下の片面の壁には一定間隔で扉が並んでいるのだが(木製のもちろん赤色である)、一方で窓は全くなかった。あまりにも赤色に空間が覆い尽くされていて赤城の目はいい加減疲れてきたので、外でも見て目を休めようと思ったのだが、窓がないことには外を見れない。あるいは、ここは地下なのだろうか。

 

 取り敢えずいつまでも同じところに留まっていてもしょうがないので、赤城は近くにあった扉を開ける。

 

 中は、廊下と同じく赤一色の部屋で、何も置かれていないがらんどうの空間だった。無論、窓もない。

 

 息が詰まりそうだった。赤城は隣の扉を開ける。そこもまた、先程と同じく、というよりそっくりそのままな部屋だった。

 

 

 何なんだ、ここは。

 

 背後を振り返っても延々と赤い廊下が続いている。異様な空間に一人放り出されて怖くなった赤城は走り出した。 

 

 とにかく外に出たい。どこかに窓でもあればそこから飛び出せるのに。けれど、どれほど走ってもまるで進んだ気がしなかった。

 

 一様に並ぶ扉。一様に据え付けられている燭台。一様に置かれている生け花。その全てが赤い。血のような、底なしの赤色。どろりとしてまとわりついてくるような色合い。

 

 しかも、走っても走っても響くのは自分の足音ばかり。誰もいない。気配もしない。

 

 何でもいい。赤以外の色が見たかった。黒でも、白でも、青でも。

 

 

 と、初めて赤城の視界に変化が現れる。彼女は足に力を込めて加速した。

 

 飛び出たのは巨大な空間。それは、大ホールだった。

 

 相も変わらず赤色ばかりだったが、造りはそれまでの廊下とは違っている。天井は廊下のそれより数倍高く、恐らくは吹き抜けになっているのだろう。その中心には山のように巨大なシャンデリア。

 

 ホールは円形であり、壁は優雅に弧を描いている。その壁に沿うように左右対称の階段が上っていて、その先は二階への廊下へと繋がっている。西洋建築によく見られるエントランスホールだった。

 

 ならば、と赤城は階段とは逆の方向を見る。

 

 そこには一際大きな扉。床との間に僅かな隙間が出来ているのか、そこから白い光が漏れ出していた。

 

 この巨大な館のような建物の中に来て初めて目にした赤以外の色。しかもその先はどうやら陽光降り注ぐ外のようなのだ。赤城は喜び狂って扉を思いきり開放した。

 

 

 

 それは、重厚そうな見た目とは裏腹にすんなりと開いた。

 

 刹那、白い光の洪水が溢れて来る。あまりの眩しさに思わず腕で目を覆った。同時にその光は多量の熱を帯びていて、ほんの僅かな間であるが、赤城は自分の身がその光に焼かれているような錯覚を覚えた。

 

 もちろん、錯覚は錯覚だ。目も、薄暗い空間から突然飛び出したから光量の調整が間に合わなかっただけだ。光に慣れると、まず視界に入ったのは赤茶けた煉瓦の道。やはりここでも赤色がある。けれど、他の色も存在していた。

 

 煉瓦の道の両脇には人の背丈より高い生垣が並んでいる。濃い緑色の生け垣はきちんと枝が整えられていて四角くそびえていた。そのせいであまり視界は広くないが、生垣の下から僅かに覗く地面もちゃんと土色をしていた。頭上を見上げれば、透き通るような青空。さあっと暑さの和らいだ風が吹き抜け、赤城の黒い長髪を揺らす。

 

 明らかに人の手で造られた庭園。このまま進めば誰かに会えるだろうか。少なくとも水場が近くにあるようで、どこからともなく水の音が聞こえて来る。

 

 赤城は歩き始めた。日の光を堪能するように。もう何年も太陽の下に出ていないかのような気がして、久々の日光浴に歓喜する。

 

 

 煉瓦の道は真っ直ぐではなく、緩いカーブを描いていた。少し進むと噴水に突き当たる。そこは左右から道が接続する交差点で、やはり視界を制限するように高い生垣が並んでいる。

 

 少し疲れを感じた赤城は噴水の淵に腰を掛け、しばし水音に耳を休ませた。

 

 爽やかな音を浴びていると心が安らいだ。思考に余裕が出来て、赤城は今の自分の境遇について考え始める。

 

 

 ここはどこだろうか。生垣の間からは、先程まで自分が居た真っ赤な館の威容が覗く。中から見ると窓がなかったが、外からは外壁に窓枠が付いているのが見えた。恐らくは飾り窓だろう。日の光の中でも、尚赤より紅いその館は異様そのものだった。

 

 不思議な空間である。高い生垣の続いているこの庭もそうだ。何もかもが縮尺を間違えたかのように大きい。あるいは自分が小さくなったのか。不思議の国に迷い込んで、大きくなったり小さくなったりしたのは誰だっただろう?

 

――アリス。そう、アリスだ。昔に読んだことがある。

 

 赤城は特別読書家といわけではないのでさほど小説など読んだことはないのだが、「不思議な国のアリス」は記憶に残っている数少ない話の一つだった。まだ姉が居た頃、赤城とは対照的に本読みだった彼女に勧められたのである。

 

 いかせん月日が経ち過ぎていてあまり詳細までは覚えていないが、こんな広くて大きい庭園ではトランプたちがクリケットに興じていそうだった。どこからともなく歓声が聞こえて来て……。ほら、人の声が聞こえる。

 

おや、と赤城は首を上げた。

 

 間近の噴水の音にまぎれて気付かなかったが、確かに誰かが話す声が聞こえて来る。それも複数あるようだ。時折笑ったように話し声が盛り上がる。

 

 どこから聞こえて来るのだろうか。辺りを見回しても生垣に阻まれて遠くを見通せない。ただ、赤城は艦娘らしく海上で的確に音を聞き分ける鋭い聴覚を持っていたので、慎重に音源を探って、おもむろに歩き出した。

 

 噴水のある交差点を、今まで歩いて来た道から右に折れ、同じように生け垣と煉瓦の続く庭の中を進む。すると、生垣の中に唐突に白いアーチが現れた。アーチは生垣を分断しており、そこには深い緑色の葉を茂らした蔦植物が絡みついている。ここまで来ると、話し声は明瞭に聞こえた。

 

 甲高い、少女の声だ。赤城はアーチを潜った。

 

 

 目の前では茶会が催されていた。生垣の向こうは芝生が広がり、芝生は生垣に囲まれていてこのアーチしか出入り口がないようだ。芝生の真ん中にテーブルがあって、その上に紅茶やお菓子を広げた幾人もの少女たちが楽しげに会話している。

 

 まるで、帽子屋とウサギの茶会だ。一番手前に背を向けて座っているのは、シルクハットではないが自分の頭より大きな山高帽を椅子の背もたれに引っ掛けた少女で、癖のある金髪が目を引いた。その隣には赤いヘアバンドを付けた、西洋人形のように整った横顔を見せる美少女。彼女から帽子の少女を挟んで反対側には紅白の、何故か脇を露出した黒髪の少女。さらにその隣には、黒髪の少女とは色違いのような青と白を基調とした(そして同じく脇を出した)少女が座っている。ただ、椅子はもう一つあり、どうやら茶会に参加しているのは五人のようだったが、もう一人の姿は見当たらなかった。

 

 その珍妙な組み合わせに、やっぱり帽子屋とウサギの茶会のようだと赤城は思った。

 

 少女たちの内、ふとこちらに目を向けた青と白の子が赤城に気付く。「あ、誰か来ましたよ!」

 

 全員が赤城の方を振り見た。その拍子に、帽子の少女が背もたれから帽子を落とす。彼女はすぐにそれを拾って軽く振って埃を払い、それから「おーい! サクヤー! 椅子もう一つ!」とどこへともなく叫んだ。

 

 赤城が戸惑ってその場に立ち尽くしていると、帽子の少女が手招きをして、

 

「そんなとこに立ってないでこっちに来いよ。もうすぐ椅子持って来るから」

 

「あ、はい……」

 

 唐突に茶会の招待を受けて、現状の認識もよく分からないまま赤城はテーブルまで移動する。帽子の隣のヘアバンドの少女が椅子を少しずらして場所を開けてくれる。彼女の反対は空いている椅子で、その目の前には食べ掛けのケーキが皿に乗せられていた。

 

 テーブルの上には、白いクロスが敷かれ、きっかり五人分のティーカップにティーポット、真ん中にはスコーンや切り分けられたケーキ、ガラス瓶にたっぷり詰められている蜂蜜やジャムが所狭しと並べられている。赤城に対しては興味なさそうにしていた紅白の少女がおもむろに手を伸ばし、スコーンを一つ取ってべったりとジャムを塗りつけ、口に運ぶ。それは大変甘そうで、美味しそうだった。事実、頬張った紅白の少女の顔がほころぶ。

 

「おーい! メイド長ー!」

 

 帽子が口に手を当てて、もう一度誰かを呼んだ。ふと赤城が目線を落とすと、今までなかったはずのティーカップと小皿がいつの間にか自分の前に置かれ、さらに背後にはどこからともなく椅子も現れていた。

 

 驚きのあまり声の出ない赤城に、横合いから言葉が掛けられる。

 

「どうぞ、お座りになって下さい」

 

 見ると、今の今まで空席だったところに青色の服を着た少女が座っている。目立つ銀髪に白いカチューシャを付けた彼女は、この奇妙な茶会の参加者の中で唯一その役割を、服装を以って明確に示していた。帽子が「メイド長」と呼んだのは彼女のことだろう。だが、いつの間にやって来たのか。気配は全くしなかった。

 

「あ、はい」

 

 恐る恐る椅子に腰を下ろそうとした。

 

「あ! ブーブークッ」

 

 青と白の少女が何かを叫び掛ける。が、その言葉はメイド長の手で口を封じられたせいで遮られてしまう。ただ、メイド長が空いている方の手でゴムの袋のようなものをさっと隠すのを赤城は見逃さなかった。それが何かまでは判別付かなかったが。

 

「紅茶を淹れて差し上げますわ」

 

 赤城が座ると、メイド長はティーポットを持って赤城の目の前でカップに並々と注いだ。途端に鼻孔を芳香な香りが満たす。カップの底が見える透き通った上品な褐色に、赤城の喉が鳴る。そういえば長い間飲まず食わずだった気がして、今更のように体の奥がざわざわと騒ぎ出した。

 

「ずいぶんと手厚いおもてなしだな。私にはそんなこと、滅多にしないくせに」

 

「お嬢様が貴女を客人扱いしたら考えないでもないわ。今までの行いをよく顧みることね」

 

「冷たい奴だな。親友だろう」

 

「そんなことは初めて聞いたわ」

 

 帽子とメイド長の辛辣な掛け合いを聞きながら、赤城はゆっくりと熱い液体を口に含む。何かのハーブが入っているのだろうか、香りが一気に口と鼻を占領してしまう。

 

 喉がもう一度鳴った。まだ幾分も冷えていない液体を、赤城は徐々に食道へと流し込んでいく。

 

 香りと味。茶葉が本来持つそれらと、添付されたハーブの持つそれらが、緻密に計算された上で掛け合わされ、徹底的に飲む者の感情を揺さぶるように調合された紅茶。美味しくなるべくして美味しくなった飲み物。

 

 かつて金剛に紅茶を淹れて貰ったことがあって、それも大変美味しくいただけたのだが、彼女には悪いがこれはその時の比ではない。赤城は一口で病み付きになった。

 

 どちらかと言えば猫舌気味の赤城だったが、喉が、舌が、胃袋が、紅茶を求めて仕方がなかった。気が付けばあっという間にカップは空になっており、もう一杯という意味を込めてメイド長を見ると、彼女は微笑んでポットを持ち上げた。

 

「紅茶もいいが、お菓子も絶品だぜ」

 

 と言いつつ、帽子が残っていたケーキを切り出し、自分の小皿に運ぶ。この五人の中で一番口数が多いのは彼女で、先程からよく喋っている。次には青と白の少女もお喋りなタイプなようだ。打って変わって、ヘアバンドの少女と紅白の少女は先程から一言も発していない。前者は香りを楽しむように静かの紅茶を啜り、後者はとにかくお菓子を詰め込んでいた。

 

 

 最初の紅茶の衝撃から立ち直った赤城には周囲を観察する余裕が生まれていた。見れば、この五人は仲良しなのだろう。全員十代半ばに見えるが、年頃の娘が集まって茶会をするというのはなかなか優雅な趣味をお持ちではないだろうか。その中に、武骨な軍人たる自分が入るというのも場違いな気がするが、不思議と居心地の悪さは感じなかった。

 

 ただ、それにしては五人とも奇妙な出で立ちをしている。恐らくだが、メイド長はこの館の使用人なのだろう。そこはまあいい。

 

 隣のヘアバンドの少女は、白いケープに青いブラウスとロングスカートというトリコロールカラーの格好で、なるほどどこかの貴族の娘と言われてもおかしくはない。顔立ちも、西洋人形そのもののようだ。

 

 一方で、帽子の少女は黒い服に白いエプロンと、さながら魔女っ子のような見てくれだった。箒こそ持っていないが、と思ったところで彼女の後ろの生け垣に箒が一本立て掛けられているのに気付いた。あれに乗って空を飛ぶのかしら、と想像する。箒に跨った帽子の姿は実にしっくりきた。

 

 他方、紅白の少女と青白の少女はどう見ても日本人だ。ただ、二人とも脇の出た、というより袖が脇のところだけ切り取られたような奇妙な上着を着ている。どちらかと言うと、ノースリーブと独立した袖という組み合わせだ。

 

 メイド長は使用人、帽子は魔女っ子、ヘアバンドの少女はどこかの令嬢としよう。この二人の立場というのはどういうものなのだろうか。まるで見当が付かなかった。

 

 そうやって思考を巡らす内、二杯目を飲み終えた赤城は、そろそろ食べ物が欲しくなってきたのでメイド長を見る。彼女が「どうぞお好きなのを」と答えたので、ゆっくりとスコーンに手を伸ばし、一つ取ってジャムを塗りつけ、一口齧った。

 

 甘いイチゴの香りと柔らかいパンの感触が広がる。これまた帽子の言うとおり、絶品のお菓子だった。先程から紅白の少女が脇目も振らず黙々と食するのも気持ちが分かる。

 

「美味しいでしょう。手が止まりませんよ」

 

 青白の少女が話し掛けてくる。赤城は頷くのが精一杯だった。

 

「あんまり食べ過ぎると太っちゃいますけどね」

 

 彼女は赤城の淡白な反応を気にも留めず続けた。

 

「それがサクヤの計画なんだよ。こうして、私たちを餌付けするのさ」

 

 帽子がケーキを口に運びながら間の手を入れる。彼女はちらりとメイド長に視線を流すが、言われた本人は涼しい顔をしていた。どうやらメイド長は「サクヤ」という名前で、この紅茶とお菓子を作った本人らしい。そういえば帽子は先程も「サクヤ」と呼んでいた。

 

「それでもいいですよ。ただ、自制をしないと……。はあ、食べても太らないレイムさんが羨ましい」

 

 やたら体重を気にする現代っ子のような青白の少女の発言。以前、潮がそんなようなことを言っていたというのを赤城は思い出した。

 

「その代わり、そいつは普段ペンペン草しか食ってないのさ。何せ貧乏だから……イテッ」

 

 ガタンと机が揺れる。紅白の少女が帽子の足を蹴ったらしく、帽子は顔を歪めた。

 

「太ったの痩せたの、馬鹿馬鹿しいわ。よくまあ体重でそんな悩めるわね」

 

 ここに至って初めて紅白が口を開く。

 

 潮が体重を過剰に気にして全然食べなくなったことがあったが、その時は鎮守府を上から下まで揺らせる大きな騒動に発展した。潮に今の発言を聞かせたら、どんな反応をするだろうかと赤城は考えて、そして多分あの時の騒動のように碌なことにならないだろうと思い至った。

 

 赤城としては、紅白の意見に全面的に賛成である。どの道、普段海上を動き回っている自分はあまり太らないのだ。もっとも、デスクワークが増えてきた最近においてはその限りではないが。

 

 

「ところで、あんた誰よ」

 

 ようやく赤城に興味を持ったのか、紅白の少女が真っ直ぐな視線を寄越す。鳶色の瞳。鋭く、深みを湛えたその色合いに、赤城は彼女が只者ではないことを悟る。他方、彼女のその瞳にはデジャブがあって、どこで見たのだろうかと一瞬逡巡してから、その目が金剛の持つそれとよく似ているのだと気付いた。

 

「あー。『自己紹介しましょう』って意味だぜ。多分……」

 

 どことなく剣呑な雰囲気になった茶会の場を誤魔化すように、帽子がそう言った。紅白の意図を赤城は察していたが、帽子は彼女なりに気を遣ってフォローを入れてくれたのだろう。それに感謝しつつ、帽子のメンツを立てるためにも赤城は努めて穏やかに名乗った。

 

「『赤城』と申します」

 

「何者よ」

 

 間髪入れず紅白が尋ねる。尋ねるというより、問い詰めるといった感じだが。

 

 さて、何と答えようか。一瞬赤城は迷った。

 

 適当に誤魔化してもいいが、彼女にはすぐ見抜かれそうな気がする。なので、正直に言おうと決めた。

 

「艦娘です。○×鎮守府の所属の者ですが」

 

「艦娘!?」

 

 真っ先に声を上げたのは青白の少女だった。他の四人は怪訝な顔をしている。

 

「え!? ホントに艦娘さんなんですか?」

 

 青白の少女が身を乗り出し、目を輝かせながら興奮して叫んだ。その反応を、赤城は嫌というほど知っている。

 

 片や、帽子は「カンムスってなんだ」とヘアバンドの少女に小声で尋ねた。尋ねられた方は、何で私に聞くのよと顔に書いて肩をすくめる。

 

 あれ? と思った。

 

 赤城からすれば、青白の少女の反応は珍しいものではないのだが、帽子のようにまったく艦娘のことを知らなそうなのはどういうことだろうか。ごく一般の日本国民なら、当然艦娘がどういう存在かは知っているわけで(もちろんここが日本ではない可能性は十分ある)、逆に赤城は驚かされてしまったのだ。

 

普通、一般人と相対した時は皆、青白の少女のように「これが艦娘か」と物珍しそうに反応するものだから、改まって艦娘がどういう存在かを説明するという経験をしたことがなかった。なので、どういう表現が適切なのか、ゆっくり言葉を選びながら赤城は自己紹介を続ける。

 

「私たち艦娘は国連海軍所属の兵士です。海の上で敵と戦う兵士ですね。艦娘の使命は、海に出て襲い来る敵を撃退することにあります」

 

「敵って、何?」

 

 紅白の質問は早い。もう一度彼女は即座に尋ねて来た。あまり考えて口にしているふうではない。心に浮かんだ疑問をそのまま言葉にしているのだろうか。

 

「深海棲艦、そう呼ばれている……怪物でしょうか」

 

 改めて敵対者のことを言葉にするというのは、難しいものであった。それは、普段自分が何と戦っているのかという認識に対する問い掛けであり、ひょっとしたら紅白の少女はそれを含んでそのような質問をしたのかもしれない。単純に思い浮かんだ疑問を訊いたのではなく、その先にある本質を問うたのだ。

 

 ならばこそ、赤城はもう一度よく考える。口にした「怪物」というのは正しい表現か。それは奴らの本質を言い表しているのか。

 

「よく分かんないけど、まあ要するに海の妖怪みたいなもんなのね」

 

 紅白は紅白で、自分なりに赤城の言葉を解釈したらしい。

 

 妖怪。なるほど、そういう言い方もあるのだろう。

 

「何だそれ? でっかいタコか?」

 

 と、頓珍漢な質問をしたのは帽子だった。もしかして、巨大な頭足類の怪物――クラーケンのことを言ったのだろうか。似ても似つかない全く的外れなその例えに、赤城は思わず口元が緩んでしまった。

 

「何だよ。可笑しいか?」

 

「いや……」

 

「可笑しいですよ」

 

 釈明しようとした赤城を青白の少女が遮った。

 

「深海棲艦はタコよりももっと恐ろしい存在なんです。あいつらは突然海の中から現れて船を人間諸共食べちゃうんですよ。こんな風に」

 

 そして彼女は両手をがばっと振り上げ、口を大きく開けて歯を見せた。

 

「ぎゃおー! たーべちゃうぞー!」

 

 噴出したのは帽子と紅白の二人。メイド長は「どうして知っているの」と頭を抱え込んだ。

 

「アヤさんに聞きました」

 

 と悪びれる様子もなくあっけらかんとして答える青白。

 

「お嬢様が聞いていたら、今日のディナーは巫女のもも肉のソテーになってたわね」

 

「あはは。それ、あいつのものまねか」

 

 よく笑う帽子。よっぽど先程の「ぎゃおー」がハマったのか。まあ、箸が転がっても可笑しい年頃なのだから、よく分からないことで笑い続けたりもするのだろう。ノリについていけない赤城は戸惑うばかりだった。

 

 それよりも、艦娘や深海棲艦のことを知らない帽子たちのことの方が気になる。というより、それらを知らない人間がいるこの場所は一体どこなのか。

 

「あの……」

 

 疑問を尋ねようとして声を掛けると、ようやくひとしきり笑い終えた帽子がまだ目の端に溜まっていた涙を拭き取りながら、

 

「ああ、悪い悪い。こっちも自己紹介しなきゃな」

 

 それから彼女は居住まいを正し、胸を張って名乗った。どうやら、名乗りを求められたと勘違いされてしまったらしい。かといって遮るのもそれはそれで失礼なような気がして、赤城は疑問を尋ねるのを後回しにした。

 

 

「私は霧雨魔理沙。普通の魔法使いだぜ」

 

 

 やっぱり帽子は魔女っ子だった。というより、大真面目に「魔法使いだぜ」という名乗られたことに赤城は目を白黒させた。そんな自己紹介があるとは知らなかったからだ。

 

「え……」

 

「あー」

 

 帽子――霧雨魔理沙は少し困ったように眉を寄せた。何と言おうか言いあぐねている。先程の赤城と同じ心持だろうか。もっとも、それ以上に名乗られた赤城の方が困惑しているのだが。

 

「ま、百聞は一見に如かずだな」

 

 そう言って彼女はおもむろに右手を上げ、ぱちんと指を弾く。驚いたことに、その指先から星が生まれた。

 

 そう、それは星だ。といっても、実際に宇宙に浮かぶ球体の恒星ではなく、黄色い五芒星だ。つまりは一般に「スター」として認知されている記号で、それが二次元ではなく三次元で現出したのである。

 

 現れた星は一つ。ふわふわと魔理沙の指の周りを浮いていたが、間もなく別の手に掴み取られてしまった。その手の主は、紅白の少女である。彼女が躊躇なく星を口元に持っていき齧ったのを見て、赤城は肝を抜かした。

 

 というか、食べれるの!?

 

 

「甘い……」

 

 紅白は感想を呟く。星は無残にも丸く齧り取られていた。

 

「恋の魔法は砂糖で出来ているからな」

 

「あんたの魔法の原料って、キノコでしょ」

 

「あ、レイムさん。私にもそれ下さい」

 

 今度は青白がとんでもないことを言って、「レイム」と呼ばれた紅白の少女から齧り掛けの星を貰い、自分も躊躇うことなく齧りついた。

 

「美味しいですね、これ」

 

「あら? 私も貰える?」

 

 次はメイド長だ。彼女も一口食べて、「結構甘いのね。砕いて粉砂糖代わりにしようかしら」と呟いた。まともそうに見えるが、メイド長も思った以上に変な子なのかもしれない。彼女は当然の如く原形を留めていない星(型お菓子?)を赤城に回した。

 

 衝撃から抜けきれず、訳も分からないまま、赤城も流されるように星を齧った。

 

 堅さは、煎餅くらい。一度力を込めるとすんなりと歯が通る。強烈な甘さが口の中に広がった。砂糖の塊を食べているかのような、ただひたすらの甘さである。

 

 そして赤城は思った。自分は何をしているのかと。これはどういうことなのかと。

 

 恐らくは、「星」の回し食いという、艦娘史上――否、文明史上初めて行われた奇天烈極まりないイベントに遭遇しており、あまつさえそれに参加しているのだ、と。そう考えると妙に空恐ろしくなった。これはまさにキ印のお茶会だ。

 

 

「私もいい?」

 

 

 鈴の音のような声が愕然とする赤城の耳に入った。まだ聞いたことのなかった声で、赤城がこの場に来てから一言も喋っていなかったのは隣のヘアバンドの少女だった。顔を向けると、彼女は赤城の方を覗きこむように首を傾げて「ちょうだい」と言った。

 

「あ、はい」

 

 見た目もさながら、声も綺麗だ。天は二物を与え過ぎる。

 

 彼女はそれから優雅な仕草で赤城から星のかけらを受け取ると、最後の一切れを口に放り込んだ。思わず同性の赤城も目を止めてしまう洗練された仕草だった。明らかに西洋人の見た目をしている彼女が、流暢な日本語を発したことにも驚いている。そういえば、以前も似たような経験をしたことがあった。

 

「甘過ぎるわね。糖分の取り過ぎになるわ」

 

 ただ、彼女は彼女でなかなかきつい性格をしているのかもしれない。割と好評(?)だった星の甘さに、辛口の評価を与える。言われた方の自称魔法使いは「オーケー。今度は『ほろ苦いビターな大人の恋』味にするぜ」と答えた。

 

「次はレイムだな」

 

 それから魔法使いは隣の紅白の肩を叩く。紅白は鬱陶しそうに眼を流すが、文句は言わずぼそりと名乗った。

 

「博霊霊夢。巫女をやってるわ」

 

「お巫女さん、ですか」

 

「はは! 驚いてるぜ。こんな脇出した巫女が居るもんかって」

 

 魔法使いが余計な茶々を入れる。当然、彼女はまた巫女に足を蹴られた。しかも、もう一人からも抗議を受けるのだった。

 

「酷いですよ魔理沙さん! 脇出しの何がいけないんですか! これはサベツです。ジンケンシンガイです。謝罪とお菓子を要求します!」

 

 青白も青白で、相当変わった個性の持ち主かもしれない。というより、彼女を含め、ここに居る全員が強烈な個性の持ち主で、それぞれマイペースだ。ゴーイングマイウェイを邁進しまくっている。

 

 

「あ、次は私ですね」

 

 痛みに呻く魔法使いが反論しないのを見て、青白の少女が赤城に視線を移した。

 

「私は東風谷早苗と言います。幻想郷を代表する守矢神社の風祝です。赤城さんはこちらにいらっしゃるのが初めてですよね。当社には、五穀豊穣・恋愛成就・学業成就・交通安全・金運向上・無病息災などなどたくさんのご利益がありますので、是非ご参拝下さいね」

 

「あ、はい。よろしくお願いしま……す?」

 

「しかも! しかもですよ。赤城さん、実はあなたに大変お得な情報がありまして」

 

「私に、ですか?」

 

「そうです! ここだけの話なんですが、ただ今我が守矢神社では『秋の初参拝特別キャンペーン』を開催中なんです。キャンペーン中は我が神社に初参拝された方に漏れなく、効力倍加(当社比)の『特性お守り』三セットをプレゼント! 種類は幾つかあって選べるんですが、艦娘の赤城さんには『武運長久』のお守りが特にオススメですね。偶然にも、実は我が神社のご祭神、八坂加奈子様は葦原中国一の戦神として称えられているお方。『武運長久』はまさに十八番なわけで、効力倍になります!

 

しかもです。キャンペーン中に付き、ご神徳100%増量中。つまりは二倍! 二倍ですので、これはもうお守りの効力が倍の倍の倍……ななな、なんとッ!! 八倍にもなるんですッ!!

 

さらに! さらに!! さらにッ!! これで終わりではありません。参拝後、おみくじ(別途料金)を引いていただいた方には無料で豪華景品が当たる抽選に参加するチャンスが! 景品には信州地酒の代表格――『純米吟醸“真澄”』他をご用意しておりますので……ぐえ」

 

 懐から出したチラシを赤城に押し付け、身を乗り出してマシンガンのようなセールストークを畳み掛けていた早苗の口が止まった。襟首を引っ張られて無理矢理元の席に戻される。引っ張ったのはもう一人の“巫女”だ。

 

「ちょっと、煩いわよ。そっちだけ喋り続けないでよ」

 

 霊夢は不機嫌そうに言い、早苗を引き戻してから赤城に向き直った。

 

「こいつの言ってることは大体嘘だから。お守りの効力八倍とかあり得ないから。あんなペテンまみれの神社に行くより、うちの博霊神社に来た方がいいわ。参拝はいつでも大歓迎だし、お賽銭入れてくれたらいいことあるわよ」

 

 息が詰まった早苗が咳き込んでいる間に今度は霊夢の方がセールストークを始めた。ただ、早苗のそれに比べるといかんせん具体性に欠けており、

 

「いいことってなんだよ」

 

 と、魔理沙に突っ込まれるありさまである。

 

 

「それは、あれよ。あれ……」

 

「どれだよ」

 

「あれ……。まあいいじゃない。細かいことは」

 

 結局、霊夢は答えられずに、そんなこと気にしても仕方ないわと打ち切った。やれやれと首を振る魔理沙。そこで、ようやく咳の治まった早苗が猛然と反撃に出た。

 

 

「ご利益が説明出来ない神社には人は来ないと思いますけどね」

 

「ああん?」

 

 そして火蓋が切られる巫女と巫女の争い。間もなく二人はそれぞれ自分の神社がいかに優れているかという自慢合戦を始めた。

 

 ここまで熱心に神社の勧誘を受けたことのない赤城としては、では両方参拝すればいいじゃないかと思うばかりであったが、二人の剣幕にただただ圧倒されて何も言えない。この茶会に参加してから振り回されっぱなしだった。

 

 

 

 

「さあ、金に執着する醜い聖職者どもは放っておきましょう。もう一杯いかが?」

 

 あっけにとられる赤城のカップに、静かに紅茶が注がれる。メイド長は騒ぎ出した二人のことなどまるで気に留めていないようだった。順番で言えば次は彼女が名乗る番になる。

 

「私はこの紅魔館で働いている十六夜咲夜と言います。以後よしなに」

 

「よろしくお願いします……」

 

 今までで一番まともな自己紹介をされたかもしれない。ちょっと言動に天然が入っているが、メイド長と呼ばれるだけあって基本的に物腰は丁寧なようだ。ようやく普通の対応をされて赤城の心中に安堵が広がった。

 

「紅魔館というのは……」

 

「先程までいらした赤い館ですわ」

 

 ただ、職場には問題ありそうだったが。

 

「ああ、そうなんですか」

 

 にっこりと笑顔を浮かべる彼女に赤城は「一体どうして何から何まで赤いのか」という積もり積もった疑問をぶつけられなかった。あんなところで働いていたらそれこそ色彩感覚が狂いそうなのだが、彼女は大丈夫なのだろうかと心配せずにはいられない。

 

 

「素直に言えばいいじゃない。『悪趣味な館』だって」

 

 そんな赤城の心を見透かしたかのような言葉が横合いから飛んで来た。それまでテーブルの周りを静観していたヘアバンドの少女である。

 

「……否定はしないわ」

 

 首を振るメイド長。まあ、普通はそうだろう。

 

「部下にそう言われているようじゃ、あの“お嬢様”の威信も失墜したわね。それはそうと、まだ名乗ってなかったかしら。私はアリス・マーガトロイド。人形師よ」

 

 彼女がそう言うと、その側のテーブルの下から小さな人形が這い上がって来た。人形はテーブルの上に立ち上がると、赤城に向かってぺこりとお辞儀をする。

 

 主人と同じトリコロールカラー。青いワンピースにフリルのあしらった白いエプロン、長めのブロンドヘアーには大きな赤いリボンが結ばれている。その可愛らしい人形の登場に、赤城の目が輝いた。

 

「わあ。可愛いですね」

 

 すると、赤城の感想に礼を言うように人形はもう一度お辞儀をする。ぎこちなさは全くなく、その動作は人間のように滑らかで、人形とは思えないほどだった。

 

「ロボットなんでしょうか。まるで生きているみたいです」

 

「ロボット? いいえ、機械じゃないわ。魔法の糸で操っているからそう見えるだけよ」

 

「魔法……」

 

「私も魔法使いなの」

 

 アリスがそう言うと、人形が自慢げに胸を張った。いちいちその動作が可愛らしい。

 

「こんな素敵な魔法があるんですね」

 

 お菓子の星を作ったり、可愛い人形を操ったり、本当に少女チックな魔法だ。不思議の国。ワンダーランド。“wonder”という単語には「ドキドキさせる」という意味もある。

 

「あら。いいこと言うじゃない」

 

 アリスの方もまんざらではなさそうで、ほんのりとした笑みを口元に浮かべる。

 

「そこの“自称”魔法使いとは違うのよ」

 

 ただ、皮肉屋なところが結構あるらしい。アリスはわずかに魔理沙の方に顔を振る。言われた方は巫女同士の喧嘩の仲裁に入ってそれどころではなさそうだった。

 

「お菓子の魔法も素敵でしたけど」

 

「あはっ。それ、本人が聞いたらどんな顔をするかしらね」

 

 赤城がそう返すと、今度は声を出して笑うアリス。楽しそうにクスクスして、上機嫌になった彼女はその笑いが残ったままの顔で赤城にこう言った。

 

 

 

「いいこと言ってくれたお礼に、一つ私もいいこと教えてあげる」

 

 私は人形を見えない魔法の糸で操っているわ、とアリスは片手を顔の位置まで持ち上げて指を動かした。

 

 

 

 

 

「似たように、貴女にも魔法の糸が付いている」

 

 

 

 

「え?」

 

 どういうことですか?

 

 訊き返そうとした言葉を、赤城はついに発することが出来なかった。自分の身に何が起こったか理解出来なくて、それどころではなくなってしまったからだ。見ている物が全く変わる。まるでドラマの場面転換のように、視覚とその認識の連続性が途切れる。

 

 

 

 

 気付けば、またあの赤い廊下の中に居た。

 

 延々と続く赤。先程までの明るい日差しの中のお茶会が幻想だったかのように思える、暗く、赤い世界。誰もいないがらんどうの空間に、巫女や魔法使いの声が掻き消えていく。

 

 

 

「もうそろそろ、お帰りの時間ですわ」

 

 

 

 突然背後から掛けられた声に赤城は飛び上がった。誰も居ないと思っていたが、真後ろにあのメイド長――十六夜咲夜が立っていたのだ。

 

 赤い廊下に浮かぶ青い衣装とくすんだ銀髪。

 

 果たして、彼女の瞳は白ウサギのような血色をしていただろうか。

 

 

「ずいぶんとお楽しみいただいたようでこちらとしても同慶に至ります。ですが、貴女はもう帰らねばなりません。これ以上こちらに居ては貴女“も”幻想になってしまいますわ」

 

 などと意味不明なことを口走る咲夜。赤い闇の中で彼女の瞳だけが、ぼうっと光を放つ。

 

 

 頭が回らない。

 

 周りはこんなに暗かっただろうか。紅魔館の廊下は多少なりとも蝋燭の光が照らしていたはずだが、今はそれすらも消えたように暗い。そのくせ、網膜はただひたすらの赤一色を認識し続ける。

 

 視界がぐるりと回った気がした。

 

 メイドの姿は闇に溶け込み、背後の赤と一緒くたになって判別付かない。

 

 世界が暗転する。最後に赤城は「お嬢様によろしく」という声を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

「あ!」

 

 

 色よりも先に、明るさよりも先に、耳がその声を認知することの方が早かった。

 

 続いて脳内に溢れてくる視覚情報。薄暗いと言える程度の明るさ。視界にぬっと現われる小さな顔。

 

 

「お早う」

 

 赤城を覗き込んでいた彼女のこじんまりとした小さな唇が動き、滑らかな言葉が鼓膜を震わせる。

 

 提督、と彼女を呼ぼうとしたけれど、赤城の喉は上手く発音出来ずに掠れた空気の音だけが歯の間から漏れ出た。

 

 赤城は身を起こした。体は不思議と軽い。

 

「大丈夫なの?」

 

 その場に居たもう一人が酷く心配そうに尋ねてくる。提督の後ろに控えていたのは同僚の加賀で、光の加減のせいなのか、ずいぶんとやつれて見えた。

 

 ここはどうやら軍艦の士官室の中らしい。見覚えのある狭い部屋は、恐らく「硫黄島」の中だからだろう。行きも赤城は加賀と二人、この部屋で寝泊まりしたはずだった。

 

 徐々に記憶が蘇ってくる。久しぶりの遠征。おとり艦隊。海中から現れた敵。青い目のフラグシップ改。

 

 

「あ。せ、戦闘はどうなりましたか?」

 

「安心して。私たちの勝利よ。貴女が頑張ったお陰でね」

 

 提督は答えた。彼女は小さく微笑む。

 

 彼女の血色の良い、柔らかな唇が三日月を作る。

 

 瞬間、赤城は錯覚した。まるで彼女が、レミリアが、あの赤一色の廊下に立っている光景が目に浮かんだ。

 

 赤と紅。館と主人。紅魔館とレミリア。

 

 その組み合わせは、とてもしっくりときた。

 

 あれは夢の中の光景で、赤城の脳が描き出した不思議の国だったはずだ。なのに、どうしてかレミリアがその中に居るのはとても自然なことのように思えた。

 

 あのお菓子と紅茶と魔法の世界で、レミリアはメイドを伴い、日傘を差しながら生垣の道を歩む。芝生の上で白い椅子とテーブルに着いて、彼女は午後の茶会を愉しんだ。十九世紀の英国貴族のような優雅な生活。溢るる光の中で、カップを置いたレミリアはふわりと笑うのだ。隣には魔法使いが座り、テーブルの周りには明るい笑い声がこだまする。銀髪のメイドが傍に控えて主人と客人の飲むペースに合わせて紅茶を注ぎ、お菓子を足し、客人たる魔法使いは主人を楽しませるために星の魔法を宙に描く。

 

摩訶不思議な少女たちの午後。レミリアはその中心に居て……。

 

 

 

 

 

「赤城さんはもっと別のことを心配出来ないの」

 

 

 冷や水のように浴びせられた言葉に、赤城の妄想が崩れていく。温かな庭園の光景は霧散し、代わりに冷たく硬い金属の部屋が視界に戻って来る。その真ん中で、眉を寄せて不機嫌顔を作って見せているのは加賀だった。

 

 無論、加賀は本当に不機嫌になったのだが、本気で怒っているわけではない。ただ、こういう顔をしている時は扱いに気をつけないとぷりぷり怒り出してしまうので、なるだけ赤城は気を遣って答えた。

 

「すみません、気になったもので。私はこの通り、元気ですから」

 

 努めて明るく答え、ついでに元気であることを示すために赤城は両手を振り上げてガッツポーズを作った。

 

 レミリアがくすりと笑う。ひょうきんな赤城の仕草に受けたようだが、肝心の加賀の方は眉間にもう一本皺を増やしただけだった。

 

 

 くしゃり。

 

 

 手を上げた拍子に、紙が潰れたような音がした。左手に違和感。何かを掴んでいる。

 

「何かしら?」

 

 加賀の気を反らすため、赤城はわざとそう呟いた。

 

 それが何か、本当は分かっていた。ただ、どうしてここにあるのか理解出来ない。

 

 あれは、夢の中での話ではなかったのか。

 

 三人で、赤城の手の中にあった物を覗き込む。

 

 それは本当に紙――チラシであった。手の中でくしゃくしゃになったチラシには、丸っこい手書きの字で(まるで十代の女の子が書きそうな字だ)、「秋の初参拝特別キャンペーン開催中!!」と大きく題が打たれている。見出しの下には、このチラシを手渡した本人が赤城に語った内容とほぼ同じことが書き連ねてあった。手書きの物を何枚もコピー印刷して配っているのだろう。ざらざらとした紙の質感が指に残った。

 

「神社の宣伝? 初めて見ました」

 

 思惑通り、チラシに気を取られた加賀が呟く。けれど、赤城はそれどころではなかった。

 

 赤城はちらりとレミリアの顔を窺う。彼女は無表情だった。

 

 驚いているわけでも、不思議がっているわけでもない。ただ、その顔からは何の感情も読み取れなかった。

 

 一体全体、どうして夢の中で手渡された物が今ここに存在しているのかという疑問より、赤城の頭を占めたのはレミリアの反応の方で、それもまた不可思議なことだった。

 

 何故? どうして? 尽きない疑問と謎。

 

 私の周りでは何が起こっているのだろう?

 

 初めて気になり始めた。思えば不思議なことばかりで、仕事に忙殺されていたから気に留らなかっただけで、考えれば考えるほど今この状況というのは不可解に過ぎている。

 

 不安が心の中で渦巻く。その種は間違いなく、顔を上げて赤城と目を合わせた少女提督だ。

 

「どうせならお守りを持って帰ってくれば良かったのに」

 

 レミリアはそう言って身を翻す。

 

「あの、どういう……」

 

「元気そうだし、私は戻るわ」

 

 問い掛けは無視された。彼女は背中越しに片手を上げて振る。

 

 その仕草が、人形師のやって見せたそれとよく似ていた。彼女は茶会の最後に何と言っていたか。

 

 

 

 

「またね、『赤城』」

 

 

 

 

 


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