神尾源一郎が彼女と出会ったのは、バイオセルによる艦娘プロジェクトを開始してからしばらくたった時だった。
第一期艦娘として金剛、加賀、雪風、龍田、那珂、島風という六人が揃ってはいたが、鎮守府という組織の拡大化や仮に欠員が出た場合等を考慮すると鎮守府の創設者としてはまだまだ艦娘になれる人材を集めたい所だった。
艦娘になる人材を探すのは骨が折れる。
知名度が低い鎮守府では公募を出すことはできない。その上、学術機関と銘打っているため戦闘職種である事を公にできない。さらに、消えても誰も気にしない人間や、体のどこかに不調を抱えている人間である方が好ましい。
一つ目と二つ目の理由は言わずもがなだが、三つ目の理由を詳しく述べるとこうなる。
子宮と卵巣を改造して子供を産めなくなるというリスクを承知で艦娘になり、海にいる『深海棲艦』という未知の生物と戦う事を受け入れる人間か、戦って死んでも悲しむ人間が居ない人間である必要というものが出てくる。
一期の艦娘は全員が全員体に不調を抱えていた。藁にもすがる思いで艦娘化の手術を受けた人間たちだ。探すのには苦労しなかったが途中何度か断られたこともあった。
今、神尾は歓楽街に来ている。独立行政法人として監査が入らないように、己のポケットマネーで役員の『接待』を終えた所だった。今生まれたての組織に監査が入って無駄遣いだ、非人道的だ、等と茶々を入れられたら組織が萎縮して何もできなくなってしまう。柏木率いる本庁舎の連中は別として、明石率いる若い研究員が多い技術開発部は発想力を潰すきっかけになる可能性もある。
若い可能性を、生まれたての組織を守るために数百万程度の身銭は神尾にとって安いものだった。
そのついで、というわけでも無いが神尾は艦娘になれる少女を探して居た。いればいい。居なかったらまた次の機会のしよう、程度の考えでいた。ターゲットとしてちょうどいいのは家出少女という連中だ。親元を離れて一人大都会に出てくる。その手の連中は金を持たない。家を持たない。生存のためには体を売って金を得るしかない。
「おとうさーん。このあとお暇ですか?」
髪を金色に染めた土気色をした肌の少女が神尾に寄ってくる。無駄に小綺麗で慣れている口の連中はダメだ、と神尾は思っていた。既に背後に組織が付いている可能性がある。下手なトラブルは避けるべきだ。
「結構」
繁華街は夜に咲く華だ。夜が更けるに連れて人の欲望を食った華は美しく輝く。その輝きの恩恵を受けれる人間は地元の人間だ。輝きの恩恵を受けることなく、影でひっそりと生きている存在こそが神尾が求めるものだ。
「あの」
ビルとビルの間にあるゴミ捨て場のような場所に踏み入った時、その少女は現れた。水色のポリバケツに捨てられたゴミが動き出したような錯覚すら覚えた。おそらく、座り混んでいたのだろう。赤い蝶ネクタイとブラウス。それにチェックのミニスカートという安っぽい女子高生を体現したような姿をしていた。だがそれでも闇色をした長い黒髪は美しく整えられていた。
「おじさん、よかったらどうですか? ゴム付きで大きいの一枚、生だったら二枚。フェラだけだったら小さいの五枚でどうですか?」
だが、目は死んでいた。顔はこちらを向けているが目は下を見ている。視点が定まっていない。緊張からか瞳孔が開ききっている。
「君、名前は?」
「えっと、遥香といいます」
「遥香か。いい名前だ。良ければ月二十万円ほどで僕の組織で働く気はないかい?」
遥香は目を見開きギョッとした。
「い、いえ。その、私、これを生涯の仕事にはしたくないな、って思っていて」
「でも体を売っている。素晴らしい矛盾だな。汚れた身体で無い純潔を守ろうというのかね?」
「いえ、あの、その……」
目が回遊魚のように泳ぎ始めたところで神尾は優しく告げた。
「人生を変えようと思った事はないかい?」
「え?」
「何故この仕事を始めたんだい?」
「えっとそれは、生きるため……お金がないから」
「でもこの仕事は辞めたいんだね?」
遥香は少し黙った後に小さく頷いた。
「……君は、家出少女という奴だろう」
「あの、お願いします。サービスするから、警察だけは辞めてください!」
あまりに大きい声で訴えるものだから神尾の方が少したじろぎかけてしまった。それほどまでに彼女にとって家に通報されるのは嫌な事なのだろう。
「そんな事はしないよ。家から逃げたい。今の状況を変えたい。ここにもう一つ。人知を超える力を手に入れたくないかい?」
「えっと、おじさんは何を言いたいんですか?」
「……僕は独立行政法人鎮守府の会長を務める神尾源一郎という者だ。今、そこで働く職員を募集中でね。君のような『人生を変えたい』という強い意志を持っている子を探しているんだ」
きょとんとしている遥香に対して、神尾はニヤリと微笑んだ。
「住所を用意しよう。身分証明書も発行しよう。新しい名前も用意できる。興味はないかな? 遥香くん」
「名前も、身分も?」
遥香が食いついたのを見て神尾は口の端を吊り上げた。
「お金は一時間で一万円、とはいかないが安定した収入を得ることができる。どうだい? 鎮守府で働く気はあるかな?」
もじもじしながら答えを出し渋っていた遥香はなんとか言葉を絞り出してか細い声で「どういうお仕事をするんですか?」と訊ねた。
「難しいことじゃない上に、君と同じ年代の子達もいる。今みたいな汚れ仕事ではない」
戦う事をこの精神が疲弊した少女に告げることは避けて、それでいて嘘をつかないように神尾は慎重に言葉を選んだ。
「詳しい事は機密情報でね。今の段階では教えてあげる事はできないんだ」
しゅん、と頭を下げて判断しかねている遥香に対して、最後の一押しを告げた。
「なるほど。つまり君は今のままでいいと言うのだね。それでは結構。また別の人間を探すよ」
ゆっくりと踵を返して路地をと後にしようとする。神尾はほくそ笑んでいた。道端に落ちていたゴミがリサイクル可能な資源か、それともどうしようもない廃棄物か。それが今わかる。
光り輝く夜の街へ向けて一歩を踏み出した時だった。
「待ってください!」
ゴミはリサイクル可能だったらしい。
「あの、行きます。鎮守府で働かせてください」
「結構。素晴らしい。その判断に敬意を表しよう。そういえばお名前がまだだったね、遥香くん」
「……前園遥香、といいます」
神尾はズボンのポケットに入れていたスマートフォンをいじり、横のボタンを押して車を呼んだ。善は急げ。チャンスは逃さない。逃がした魚がどれほど大きいのかは、後ほど痛みを伴って知ることになるのを神尾はよく知っている。
「よろしい。前園遥香くん」
右足のかかとを軸にくるりと回転して遥香に向き合い、神尾は右手を差し出した。
「では行こうか」
「は、はい?」
いきなりすぎて思考が止まっている遥香の手をそっと握り、神尾は路地から大通りへと向かった。
「チャンスは今しかない。こんな話を知っているかな遥香くん。幸運の神様というのはつるっ禿げで前髪しか生えていないそうだ。つまり通り過ぎた後にはチャンスを掴むことができない、という例え話だ。今、君の目の前に通り過ぎようとしているチャンスがある!」
大通りへ出てすぐ目の前。街路樹の間に鏡のような光沢を持つ黒い車が停まっていた。加えて扉をあけて待っているスキンヘッドのドライバーもいて、その車の周囲だけ高級感を通り越して貴族とはこういうものだ、という事を通りすがりの庶民に見せつけているようだった。
見せつけられた庶民の中には当然遥香も含まれていたわけで、目の前に昂然と現れた次元違いの気品の高さを前に脳が完全にフリーズして足はどうしようもないほど逃げ腰になっていた。
「あああああの大変申し訳ないんですけどまだ荷物とか取ってきていなくて……」
「それは」
神尾は少し焦っていた。ここで取り逃がすわけにはいかないと。そのためか、振り返り遥香を捉えた神尾の目は言い訳を黙らせ、反論を押しつぶし、反抗心すら食い尽くすほどの威圧感を放っていた。
「重要な物なのかね。衣類程度ならば僕もお金で買い戻すが」
「い、いえ。大丈夫です……」
その言葉を聞き届けると神尾はピエロのようにニンマリと微笑んだ。
「ならばよろしい。さあ、早く入りなさい」
先に遥香を車内に入れ、その後蓋をするように神尾が続く。二人が後部座席に収まりきった事を確認するとスキンヘッドの運転手は車を発車させた。
「ようこそ鎮守府へ。君の輝かしい成果に期待しているよ」
前園遥香。彼女が戦艦級榛名という新しい名前を名乗るのは、もう少し先の話である。
プロローグは(内容の)加筆・修正終了です。