惑星ヴォルドールは陸地の約62%が湿原で覆われており水と緑に溢れた、人が居住可能な地球型惑星である。
主な資源は木材、果物、天然水であり、戦略的観点から見れば価値は無いに等しい星であるが、兵站や補給線の維持ということに関してこの上なく貴重な星である。
先住民であるヴォルドール人はプロトカルチャーが猫型哺乳類の遺伝子を操作して生み出された種族であり、人間以上に人種の差が激しい種族でもある。
大半を占める主要人種はジャガー系だが、その他パンサー系、ライオン系、リンクス系など確認されているだけで亜種と呼べる種族が36種族、少数人種を含めればその数は500を超えるとまで言われている。
さらに外見も多種多様であり、スバルやハヤテ、ミラージュたちのように地球人やゼントランに猫耳が生えたような者もいれば、人型ではあるが肌が明らかに猫系動物であったり、ほとんど直立した猫という顔もある。
「……頭が痛くなってきた」
そんな大量のデータを見せつけられたスバルはウンザリしたような顔でホログラム・スクリーンを消した。
レディMの指令でヴォルドールへの潜入が決定してからはトントン拍子で事が運び、ブリーフィングの翌日には〈アイテール〉でヴォルドールへ向け出発、ヴォルドール近海に到着後はレイナのハッキングでウィンダミア及びヴァール化した新統合軍の防衛網を突破して潜入し、現在に至っている。
ほんの数日前まで怪我で戦線離脱し、鈍った体も感覚も取り戻してないままの強行軍は流石に応えたらしい。
実際は、スバル本人の資料嫌いが大半の理由を占めているのだが。
そして現在スバルたちはヴォルドール首都至近の森林地帯に降下し、潜入のための準備を行っていた。
選抜されたメンバーはワルキューレ一同、その護衛として、スバル、メッサー、ミラージュ、ハヤテの4名が同行、チャックとアラドは衛星軌道上で〈アイテール〉の護衛となった。
「ホントにこんなんで誤魔化せるのか?」
スバルが頭の上に新しく生えた耳を引っ張りながら訝しむ。
潜入のためにヴォルドール人の扮装をしたスバルだが、頭に偽物の猫耳をつけて本来の耳を隠すだけの簡単なもので、その手軽さが逆に不安だった。
資料には、多種多様な人種がいるので、猫耳をつけて本来の耳を隠せば大体何とかなるらしい、と書かれていたが。
「まったく……ブリーフィングで説明しましたし、今資料も見たでしょう?」
「聞くのとやるでは大違いってことだよ。あと資料は半分くらい読み飛ばした」
「あなたという人は……」
呆れ顔だったミラージュの額に青筋が浮かび、わなわなと拳を震わせる。
「はいはい、ふたりともそこまで。作戦概要の説明をするわよ」
詰め寄ろうとするミラージュを制するようにカナメが間に割って入り、二度三度手を叩いて場を仕切り直した。
「今回はあくまで調査が目的だから二手に別れて行動します。私とマキナ、レイナはメッサー中尉と首都の南側から潜入。美雲とフレイアはスバル少尉、ミラージュ少尉、ハヤテ准尉と北側から潜入します」
カナメはタブレットに書かれているであろう作戦概要をテキパキと説明していき、一同がそれに頷く。
「了解だにゃん!」
ただひとりフレイアだけは声にして、しかも語尾を変えて返事をしていた。
「にゃんはいりません、にゃんは」
「ミラージュさんも一緒にやるにゃん!」
「やりません」
「うにゃ!?」
即答だった。
生真面目なミラージュのことなので誰もやらないとはわかっていたが、動作確認を行なっていた拳銃のスライドを引きながら言ったおかげでフレイアが蛇に睨まれた蛙みたいに怯えて固まっていた。
「俺、猫アレルギーなんだけど……」
ハヤテはまだ扮装をする決心がつかないのか、猫耳のついた被り物を摘んだまま辟易とした面持ちでそれを見ている。
「そういや、お前アレルギー持ちだったな」
「こんなことなら俺も〈アイテール〉の護衛に回してもらえばよかったぜ……」
「文句があるなら来るな」
そう答えるメッサーは被り物だけでなくフェイスペイントまでしっかりと利用して、どこからどう見てもヴォルドール人と化していた。
「……意外とノリノリだな、メッサー」
「何か言ったか、星那少尉」
「いや、何も」
「……そもそもハヤテ准尉をこちらに回したのはブランシェット博士のオーダーだ」
淡々と説明するメッサーの言葉から僅かにだが苛立ちを感じた。
作戦遂行を第一優先するメッサーにとって、やはり猫アレルギー持ちの男を同行させることにリスクを感じているらしい。
「まーたアイシャの奴が暗躍したのか。ホントに何でもありだな」
「諸々のデータを確認した限り、ハヤテ准尉が最適任だそうだ。アラド隊長も承認している」
目の前の事象に左右されることなく、いつものように冷静に、上層部の戦略的判断を信頼する——歴戦のパイロットらしい合理的な判断の仕方だった。
「そうでなければお前のような半人前にワルキューレの死命を預けることはない」
「一言多いんだよメッサー!」
「まあまあ落ち着けって」
闘争心を剥き出して、今にもメッサーに食ってかかりそうなハヤテをなだめる。
「で、その博士はどこにいるんだ?」
「〈アイテール〉で待機している。ヴァールで支配された土地に耐性値の低い者をスタッフを降下させるのはリスクが大きすぎる」
「アイシャのやつ、嫌がっただろうな。『絶対行く!』とか言って」
「あはは……」
スバルの予測を聞いてカナメが苦笑いで返す。
どうやらホントに言ったらしい。
まあ、そうだろうな。とスバルは森の奥に見える建物に視線を移す。
プロトカルチャーが残した遺跡の中に都市が埋まっているような星なのだ。
超時空〈天才〉考古学者を自称するアイシャにとっては垂涎ものなのだろう。
実際、ヴォルドールの首都は降下する際に上空から少し見た程度だが、その光景は壮観だった。
森の中に近代的な都市と遺跡が点在し、でも自然も遺跡も壊すことなく文字通り調和した星は、銀河でも類を見ないほど、目を見張る美しさだった。
「時間だ。まずは都市に接近して状況を確認する」
メッサーが腕時計を見て、作戦開始の号令を告げた。
◆
「ぶえっくしッ!!」
ハヤテの大きなくしゃみがヴォルドールの街にある市場に盛大に響いた。
ヴァールが支配している都市、というからどれほど荒れているのだろうと思っていたが、そんな気配はなかった。
確かに省庁や軍事施設には小競り合いがあったと言わんばかりに痕跡がこれでもかと残されていたが、市民の営みは平穏無事に維持されて見えた。
しかし平穏無事なおかげで、往来のど真ん中で盛大にくしゃみを響かせたハヤテの周りには世話焼きそうなヴォルドール人が押し寄せて来ることになったのは計算外だった。
「お兄ちゃん大丈夫ね?」
「風邪でも引いたか?」
「いいマタタビあるわよー!」
「えっ、いや、俺は……!」
皆口々にハヤテに言葉を投げかけ、中には商魂たくましく何かを売ろうとするヴォルドール人の姿もある。
それを見かねたミラージュが助けに入っていなければちょっとした騒ぎになっていたかもしれない。
その様子をスバルとフレイアは少し離れた位置から何とも言えない顔で見つめている。
ちなみに、単独行動クイーンこと美雲・ギンヌメールは首都に着いた時にはすでに姿を消していたらしく、その行方は誰も知らない状態だった。
「……何やってんだアイツらは。潜入任務なのに目立ってるし」
「助けに行かなくていいんかね?」
「大丈夫大丈夫。むしろ下手に関わればちょっとした騒動になりかねない」
スバルは心の中で謝罪をしつつ、他人のフリをしてやり過ごすことにした。
果物屋の露店で適当に商品を見ながら物色しつつ辺りの様子を探っていると——
「この匂い……もしかしてウィンダミアのエクスデールリンゴかね!?」
——フレイアが頭のルンをピカピカさせながら店主と会話していた。
「お、いい鼻しとるがね、お嬢ちゃん」
「こらフレイア、お店の人に迷惑かけるなよ」
そう言って、さもフレイアの兄、というような顔をしたスバルがポンとフレイアの頭に手を置く。
「この娘の兄ちゃんかい?アンタもどうだ?」
ずい、と差し出されたリンゴを手にとってじっと見つめる。
「うーんそうだな。ヴォルドール産のリンゴはないの?」
あくまで軽薄に時勢のわからない観光客の体で振る舞う。
もっとも軽薄で飄々としているのはいつもの事なので、ほとんど素ではあるが。
「ヴォルドール産のリンゴは流通が制限されちまっててな」
参った参った、と困ったように頭を抱えて大口で笑う。
「ま、
「うんうん、ウィンダミアのリンゴは甘くて美味しいかんね!」
まるでウィンダミアのリンゴを広めるために来た宣伝大使のように大仰に頷き、ない胸を張ってみせた。
「ところでアンタら田舎モンかい?」
「そう見える?」
「見えるねえ。ここいらじゃあんまり見ない顔だからな。遺跡の観光にでも来たか?」
「ま、そんなところだ」
「じゃあ悪い時に来ちまったな。今じゃヴァールだ戦争だって軍人さんやお偉いさんがピリピリしてんだ。ゆっくり観光なんてできないだろうさ」
「……なるほど、街中に物騒なもんぶら下げた連中が多いわけだ」
視線だけ動かしてみるが、見える範囲だけでも
こんな状況で騒ぎを起こそうものなら間違いなく蜂の巣にされると断言できる。
「それに噂じゃウィンダミアの宰相殿が訪問してるって話だぜ」
「ウィンダミアの……?」
思い当たる人物はひとりしかいなかった。
惑星ランドールでのワクチンライブで全銀河に向けて宣戦布告した男。
その男がここ惑星ヴォルドールに来ているかもしれない。
街中の警備が多い理由としても納得できるものだ。
「おっと、今話したことは俺が言ったって言わないでくれよ?」
「わかってるよ。オレは何も聞かなかった。フレイアもいいな?」
「え、あ……うん」
フレイアは目の前にあるウィンダミアのリンゴをじっと物欲しそうに見つめながら、心ここに在らずといった感じの生返事を返す。
その横顔を見たスバルは、小さくため息をついて、財布を取り出すのだった。
◆
「ふわぁ〜ゴリ美味〜!!」
「まあ、味は悪くねえな」
買ったばかりのウィンダミアのリンゴを齧りながら、スバルとフレイアは大通りを歩いていた。
ふたりとも両手にはリンゴがこれでもかというくらい詰め込まれた袋を持っている。
「うーん、ハヤテもミラージュさんもどこ行ったんかねえ?」
「そんな遠くには行ってないだろ。ミラージュがいるんだ『別れて行動するなんて許しません!』とか言ってるぞきっと」
「……それ合流したら怒られんかね?」
「……かもな。その時は素直に叱られよう」
半ば諦めに近い顔でスバルはリンゴの最後の一口を齧って、果軸を近くのゴミ箱へ放り込んだ。
「しっかし、ホントにどこに行ったんだか……ん?」
大通りを南に進みながら、辺りをキョロキョロ見回していると、見知った人物らしき影を見た気がした。
街角に消えて行くその後ろ姿と、目深にかぶったフードにはとても収まらず降ろしている菫色の髪で大体誰か見当がつく。
「美雲……?」
「おーいスバルー!」
美雲らしき人物が消えた街角をじっと見つめていると、後方から名前を呼ばれ振り返る。
後ろからはハヤテが手を振りながら小走りで追ってきていた。
さらにその後ろでミラージュが何か小言を言いながらやれやれといった感じで追随している。
どうやら検討違いの方向を探していたらしい。
「……フレイア。悪いけどハヤテたちと調査を続けてくれ。オレは野暮用を思い出した」
「急になんね?ってスバルさん!?」
抱えていたリンゴ袋を半ば押し付けるような形で託すと、スバルは美雲であろう人物が曲がって行った角まで一気に駆け抜ける。
「……いた!」
直線距離で約50m、1ブロック先の角をまた曲がって行く菫色の髪が見えた。
見失うまいと慌ててその後を追い、角を曲がった瞬間、スバルの視界が反転した。
いや、正確には一回転した、だろう。
突然の出来事で何が起こったか理解できず、思考が一瞬止まる。
が、背中から地面に叩きつけられた衝撃が全身を貫き、意識が現実へと引き戻された。
「カハッ!……いってぇ」
「あら、スバルじゃない」
仰向けに倒れ、治ったばかりの腹部を抑えて悶えるスバルを覗き込むのは、やはりというかいつのまにか姿を消していた美雲だった。
「……いきなり投げ飛ばすことないだろ」
「ごめんなさい。盛りのついた猫が追ってきたのかと思ったわ」
「誰が盛りのついた猫だ!」
勢いよく身体を起こして抗議の声を上げるが、受け身に失敗した後遺症でまだ背中が痛み、気持ち悪さから軽く
「フフッ、冗談よ」
「美雲の冗談は冗談に聞こえないんだよ……。というかあんな投げ技どこで覚えたんだ?」
不意打ちであったとはいえ、成人した男性で元軍人であるスバルを華麗に投げ飛ばした、さながら古代日本の合気道の流れを組む一連の鮮やかな動作と、それをやってみせる美雲の技術に素直に感心してしまう。
「どこって、こんなのただの護身術よ?」
「……護身術で成人男性投げ飛ばすアイドルなんていねぇよ」
「じゃあ訓練の賜物かしら」
「ワルキューレってどういう訓練してるかホント謎だよな」
以前チャックと共にワルキューレの訓練やレッスンを覗き見しようとしたことを思い出した。
その時はカナメに発見されてこっぴどく叱られた挙句、2対1でメッサーと半日近く戦闘訓練をさせられ、グロッキー状態になったのをよく覚えている。
「まあいいや。それで美雲、どこに行くつもりだったんだ?」
「もちろん、ヴォルドールの大統領官邸よ」
美雲は、まるで友人の家に遊びに行くような気軽さでそう言った。