〈惑星ラグナ〉は地表の半分以上が海で覆われている海洋惑星だ。
先住民のラグナ人は水中生活に適応した種族で、首のえら、肘のひれや指のあいだの水掻き、浅黒い肌と縮れた頭髪が身体的特徴だと、ついさっきチャックから教わった
パイロットスーツを着ていたのでわからないが、チャックにも同じようについているんだろう。
そして、ケイオス・ラグナ支部があるバレッタシティはラグナにある港湾都市の1つで、バレッタクラゲのスルメなるものが名産品だそうだ。
もしかしたらレイナや隊長が食べている干物もそれなのかもしれない。
デフォールド後、特に何かが起こるということもなくバレッタシティへ帰投した〈アイテール〉は丘の上に佇む〈SDF/C-108マクロス・エリシオン〉の左腕部へ収まる。
マクロス・ツーサード級のこの戦艦は両腕部が分離・単独行動を可能としており、フロンティアにいた頃にも、マクロス・クォーターが分離できると聞いたことがある。
まあ、見たことはないのだが。
オレが展望スペースから談話室に戻ると、 チャックとミラージュがいたので、〈アイテール〉が〈マクロス・エリシオン〉と合体するまで、そこでこの惑星やケイオスのことをふたりから教わった。
するとミラージュに——
「レディMから資料とか貰わなかったんですか?」
——と言われたが、いかんせんオレはマニュアルとか説明書とか書類が苦手なもので、それをミラージュに話したら、なぜか呆れられた。
「お、いたいた」
圧縮空気の抜ける音と共に扉が開き、我らがデルタ小隊隊長のアラド・メルダースが談話室へやってくる。
「隊長?何か用ですか」
「そこまで大事な用じゃないんだがな。とりあえずブリーフィングルームに来てくれ」
そう言い残し、隊長はそそくさと去っていく。一体なんの用だろうか。
「……と言うわけらしい。ちょっと行ってくるわ」
そう言って振り返るとチャックとミラージュは2人して何か含みを持たせた笑顔でこちらを見ていた。
「……?何かあるのか?」
「い、いえ……何も」
「いや……別に?早く行ったらどうだ?」
怪しい。非常に怪しい。
問い詰めたいのは山々だが、呼び出されている手前、あまりのんびりもしてられない。
仕方なく、オレはブリーフィングルームに向かうことにした。
(後でチャックを問い詰めてやる)
静かに、それだけ決心して、談話室を後にした。
◆
「…………」
絶句。ただただ絶句していた。
目の前にはタブレットが置いてある。
いや、タブレットは別にいいんだ。問題はそこじゃない。
タブレットの中身には紙換算で600枚前後のデータが入っているのだ。
「……あの、アラド隊長?」
「なんだ?」
「このデータの山は?」
「ケイオスとの契約に関する書類だ」
契約って……こんなにたくさん書くものあったか?
新統合軍に入った時なんか数枚分の署名にID発行の手続きくらいだったと記憶しているぞ。
「ウチは傭兵稼業に近いところがあるからな。軍と違って必要な物が多いんだ」
「大変だと思うけどお願いね」
カナメさんにお願いされては仕方ない。
というか職にありつくには仕方ない。
「うへぇ……」
(こりゃ手が腱鞘炎になっちまうかな)
そんなことを考えながら、ペンを取り黙々と署名を始める。
すると、ブリーフィングルームに1人の男が入って来た。
3メートルはゆうに越える巨躯、緑色の肌、筋骨隆々とした肉体は、そこらの人間ならペチャンコにできそうなほど鍛えられている。
着ている服はデルタ小隊の制服とも違うところから察するに役職持ちだろうか。
「おう艦長、新入りに会いに来たのか?」
「まあ、そんなところだ」
隊長が入って来た男と親しそうに会話する。
どうやら彼が〈マクロス・エリシオン〉の艦長らしい。
艦長はこちらへ向き直ると、大股でずいっと近づいてくる。
「君がレディMから紹介のあった星那スバルか」
「あ、はい。そうです」
書類への署名を一旦やめ、立ち上がり敬礼をするが、艦長はそれを手で制する。
「俺はアーネスト・ジョンソン。見ての通りゼントラーディだ。〈マクロス・エリシオン〉の艦長を務めている」
見ての通りって……ゼントラーディは確かに大きいけど、マイクローン化してもこれだけ大きい
むしろ普通のマイクローンより小さくなる人ならフロンティアで会ったことはある。
その人と同じで、遺伝子が不器用ってやつなんだろうか。
「君の制服とIDは明日改めて支給させてもらう。これからよろしく頼むぞ」
そう言うと艦長は、身を翻し部屋を後にした。
艦長がいなくなるのを確認してから、オレは再びペンを握りなおし、署名を再開する。
この後は特に何もなく事が進んだのだが、全てに署名が終わって解放されたのは、ラグナに到着してから実に4時間後のことだった。
◆
「て……手が、腱鞘炎になる……」
机に突っ伏して、震える利き手をさする。
「ご苦労さん、今日はこれで終いだ。帰ってゆっくり休んでくれ」
隊長がすべて署名を終えたタブレットを確認しながらそう言う。
そこでオレは1つの疑問が出た。
「帰ってって……どこにですかね」
「ん?あぁ、そういやまだ宿舎を案内してなかったな。ちょっと待ってろ」
そう言うと隊長は端末を取り出し、どこかへ電話をかけ始める。
会話自体は簡単なものだったらしく、1分かからずに終わった。
「今チャックを呼んだ。すぐに来るだろうから案内してもらえ」
それから程なくして、隊長の言葉通りチャックがブリーフィングルームへやってきた。
オレはそのままチャックに連れられ、ブリーフィングルームを、続いて〈マクロス・エリシオン〉を後にした。
◆
〈マクロス・エリシオン〉の足元には様々な施設が併設されている。
ケイオスへの依頼の窓口、来週あるというワルキューレ新メンバーオーディションの窓口、その他諸々。
後は麓のバレッタシティへ向かうロープウェイだ。
そしてデルタ小隊の宿舎——というより男子寮——はバレッタシティの海岸にあるそうだ。
チャック曰く——
「宇宙船の中は息が詰まって仕方ない、ストレスもかかる、いいことなんて何1つない!」
——だそうだ。
でもって、デルタに限らず他の航空隊もバレッタシティのあちこちで下宿しているので、街でばったり会うこともあるらしい。
そんなことを聞きながら歩いていると、いつの間にか目的地に着いたようだ。
目の前には〈
「ようこそ、ここが俺の家であり、我がデルタ小隊男子寮の〈裸喰娘娘〉だ」
「〈裸喰娘娘〉……」
どこかで聞いたことのあるフレーズだな。
まあ言わぬが花かもしれないから、とりあえず黙っとこう。
〈裸喰娘娘〉はここからでもわかるほど繁盛しているらしく、飲食店特有の喧騒が聞こえて来る。
すると、ドアが開け放たれ、3人の子供が飛び出してきた。
「「「兄ちゃん!おっかえりー!!」」」
「お、帰ったぞー!」
「兄ちゃん?」
「ああ、俺の弟妹たちだ」
手をブンブンと勢いよく振りながら、こちらへ向かって来る3人は確かにどことなくチャックに似ていた。
「今日からウチに下宿することになったスバルだ。ほれ、自己紹介しろ」
「ハックだよ!よろしくスバル!」
一番右の身長が大きい男の子が名乗りを上げる。
「俺はザック!よろしくー!」
今度は真ん中の男の子が名乗る。
2人は男の子なだけあって、やはりチャックによく似ている。
「エリザベスだよ!きらっ!」
末妹だろうか、3人の中で一番小さな女の子が名乗る。
彼女がとったポーズは、ランカさんがライブの時にやっていた振り付けの1つだった。
それを見て懐かしくなり、柄にもなく感慨に耽ってしまう。
(考えてみれば……だいぶ遠くへ来たな)
空を見上げれば、満天の星空が広がり、まるでオレを歓迎するかのように星々が煌めいていた。
どこへ行っても星空は変わらない。どこで見ても、いつ見ても綺麗だ。素直にそう思う。
「後はもう1人妹がいるんだが、まあ中に入ればいるだろう。さあこっちだぜ」
チャックと三兄弟に引き連れられ、店内へと入る。
三兄弟は戻るやいなや、そのままお店の手伝いをしに厨房へ行ってしまった。
店内は中華テイストで統一されており、やはり〈
その店内を走り回る女性が1人いる、彼女がもう1人の妹だろうか。
「あ、チャック兄ちゃんおかえり!」
女性はこちらに気づくと声だけかけて、また厨房へと引っ込む。どうやらかなり忙しいらしい。
「こりゃ落ち着いて話できそうにないな。スバル、先に荷物置いてこいよ」
そう言って、厨房の脇にある階段を指差す。
「あそこから2階に上がれるから適当な空き部屋を選んで使ってくれ」
言うやいなやチャックも厨房へと駆け込んで行く。
残されたオレは、ここに突っ立ってても仕方ないので、チャックの言う通り部屋に荷物を置きに行くことにした。
◆
〈裸喰娘娘〉の2階は寮の名に違わず、いくつかの部屋が用意されているようだった。
チャック一家の部屋を抜いても2、3部屋は余っているように見受けられる。
オレは2階のなるべく奥の部屋を選んで入った。
部屋の中はシンプルな作りとなっており、ベッドと机だけが置かれていた。
部屋の奥には大きな窓があり、その先には小さいがバルコニーもある。
1人部屋としては上等な方だろう。そもそも荷物って言っても、そんなにごちゃごちゃ持つタイプではないからな。
机に私物が入った鞄を置き、ベッドに腰掛ける。
下からはチャックや三弟妹の声がよく聴こえてくる。お店はまだ忙しいようだ。
「……疲れた」
倒れるように横になると、長旅の疲れと、戦闘、書類署名の疲労が一斉に襲いかかってきた。
その睡魔に身を任せ、目を閉じる。
ほどなくしてオレの意識は眠りの底に落ちて行った。
◆
——夢を見ていた。
紅蓮の炎に焼かれた街並み、鉛のように黒く、夜よりも暗い空、肌が焼け付くほどの熱量。
いつもの悪夢だと気づくのに、時間はかからなかった。
だが、いつもと違う点があるとすれば、それはオレが少年の頃の姿ではなく、今の姿のままだということだ。
おそらく、アル・シャハルでの戦闘が、この夢を想起させたのだろう。
生者は存在すら許されない地獄の真っ只中に、オレはひとりで立ち尽くしていた。
見上げる先には、黒い巨人がこちらを見下ろすように佇んでいる。
足元には血溜まりに倒れている3つの人だったもの。
そう、オレの家族は6年前のあの日、あの黒い巨人に殺されたのだ。
そして、今ならわかる、あの機体は、あのシルエットは〈VF-171〉だった、と。
次の獲物を見つけたとカメラアイを光らせた〈VF-171〉がガンポッドを構え、そのまま睨み合うこと数十秒。
やがて〈VF-171〉はオレへの興味を失ったのか、踵を返して去っていく。
ああ、結局いつもの夢なんだな。
地獄の中で死ぬことすら許されず、家族を失った絶望に打ちひしがれ、救助が来るまでの間苦しめと、そう言っている気がした。
そろそろ目覚めよう。
そう決めたオレの視界に、もうひとつ、いつもと違うモノが目に入った。
「……!」
それは去っていく〈VF-171〉の背中にあった。
黒地の装甲に反するかのように描かれたエンブレムは、上から煤を被ってなお、存在感を放っている。
「白百合の……エンブレム」
——ポツリと言葉がこぼれた。
今まで夢の中であやふやだった家族の仇が今になってなぜ鮮明に夢に出てきたのか。
その理由はわからなかったが、ニヤリと、口角が上がるのを感じた。
ずっと、夢を見るたびに思い出していた、両親と妹を殺した機体が、仇がついに判明したのだ。
憎くて憎くて仕方ない因縁の相手の情報がようやく手に入ったのだ。
6年前のオレとは違い、戦う力も、その技術もある。
ならばやることは決まっている。
「……スバルくん」
黒い機体の元へ一歩踏み出そうとした。
だが、それを引き止めるように誰かの声が踏み出そうとした足を止める。
振り返れば、フロンティアにいるはずのランカさんが見たこともない悲しそうな表情でオレを見つめていた。
「ランカ……さん?」
立ち尽くすオレに、ランカさんが何かを言おうと口を開くが、その言葉を聞くことなく、意識は急速に目覚めていった。