悪の魔法使い   作:アルパカ度数38%

5 / 6
6もほぼ書き上がってるんですが、評価つく前に完結してしまいそうだ……。あ、6はエピローグなので短めです。


5

 

 

1.

 

 

 

「修羅の噂を知っているかい?」

「何?」

 

 陽光の届かない、淀んだ空気が流れる路地裏。

幻術を用い大人の姿をした上で、更に目深にフードを被ったエヴァンジェリンは、思わず聞き返した。

薄汚れた扮装をした、これまた目深にフードを被った男が答える。

 

「修羅の噂を知っているかい、と聞いたのさ。糸を繰り殺人人形を操る、立派な魔法使いを殺して回る殺人悪魔」

「…………知らんな」

 

 言いつつもエヴァンジェリンの脳裏に浮かぶのは、茶々の姿であった。

とは言え彼は、立派な魔法使いの事を善と認めてはいなかったが、必要悪だとは考えているようだった。

加えてその優しげな風貌から、殺人悪魔などという二つ名を付けられるとは思えないというのもある。

言ってエヴァンジェリンが踵を返そうとするのを、何か知っていると見たのか、追いすがるように情報屋の男。

 

「ゼロ」

「…………」

「奴の操る最強の殺人人形の名さ」

 

 懐かしい名に思わずエヴァンジェリンが足を止めるのに、矢継ぎ早に情報屋が続ける。

 

「奴の名を知る者は居ない。昔人形劇をやって旅をしていたのを見た事があるという奴は居たが、すぐに追ってきた殺人悪魔に殺されてな、詳しい事は分からない。だが少なくとも、AAAクラスの超一流の立派な魔法使いでさえ殺されたという事は確かだ。お陰で懸賞金もうなぎ登りさ」

「……ほう」

 

 短く告げ、エヴァンジェリンは眼を細めた。

AAAクラスの魔法使いと言えば、油断をすればエヴァンジェリンでさえ殺されて復活した所を捕縛される可能性がある相手だ。

久しく使っていない奥義を用いれば別だが、あれは派手過ぎて使うと暫くの間追っ手に困らなくなるので、あまり積極的に使いたい物でもなかった。

そこまでしなければならないAAAクラスを殺しうる、人形使い。

エヴァンジェリンの知る限り、その領域に居る人形使いは茶々一人である。

 

 エヴァンジェリンは、暫時空を見上げた。

路地裏から見える空は雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうな灰色であった。

重々しく、見ているだけで押しつぶされそうな光景を目に、エヴァンジェリンは思う。

殺人悪魔が茶々であったとして、茶々に一体何があったのか。

あの時逃げ出したエヴァンジェリンが、果たして茶々に何か出来るのか。

 

 いや、とエヴァンジェリンは思った。

そも、本当に殺人悪魔が茶々なのかも分からず、ゼロという人形の名も被っているだけの可能性だって十分にある、

故に恐らくエヴァンジェリンは、己を慰めたいだけなのだろう。

恐らくもう二度と会えはしない茶々の幻影を追い、思い出に浸って。

それもいいか、と半ば気まぐれに思い、エヴァンジェリンは視線を情報屋へ。

幾ばくかの金銭を無言で渡す。

口元を緩める情報屋。

 

「ふっ、確かに。……西門を出て暫く行ったあとの北方に、古い墓地があるだろう。奴はここ数日、そこに寝泊まりしてるそうだ」

「感謝しよう」

 

 言ってエヴァンジェリンは急ぎ足でその場を去る。

何も情報屋がエヴァンジェリンにのみ情報を売っている訳ではないので、別の賞金稼ぎの襲撃者の可能性は十分にあるのだ。

茶々が負ける可能性は低いが、鬱陶しく思って逃げ出す可能性はある。

最も、数日寝泊まりしているという事から、既に何人か襲撃者は行っている可能性は高い。

なのでむしろ、実力者が全員殺された後なので一対一で話し合える可能性の方が高いのだが。

 

 足早にエヴァンジェリンは西門を出ると、近くの林を使って視線を遮り幻術を解き、元の姿で古い墓地を目指す。

というのも、幻術はここ数ヶ月で身につけた魔法であり、茶々と居た頃に使った事は無い為だ。

せっかく大人の姿で会いに行っても、気づかれないのでは意味があるまい。

本気で茶々が居ると信じている部分のある自分に失笑を漏らしつつも、靴裏で土を蹴り、エヴァンジェリンは草原を抜けていった。

次第に背の高い木々が増えてゆき、道の両脇が狭まってゆく。

ついに人一人分ほどの横幅となった辺りで、急に開けた土地へ出た。

 

 情報屋の言う通り、古い墓地であった。

管理はされておらず、雑草がぼうぼうに生えた土に、苔の生えた墓標が所々にそびえ立っている。

古ぼけた柵で区分けされている一番奥の端に、薄汚れた外套を羽織った男が一人立っていた。

顔はフードを目深に被っているので分からないが、彼の名はその傍らで立っている人形が彼の名を示している。

人形はあの一年の旅で共に過ごしてきたゼロと、同一の姿であった。

ならば、彼の名は。

高鳴る心臓と期待のままに、エヴァンジェリンは問うた。

 

「茶々……」

「……あぁ」

 

 エヴァンジェリンの人形繰りの師匠が、墓石の前に立っていた。

エヴァンジェリンが無言で歩んでいくと、一瞬、茶々はエヴァンジェリンに視線をやる。

しかしすぐに視線を墓石に戻し、代わりに奥に寄り、エヴァンジェリンが立てる場所を空けた。

そこに立て、という事だろうか。

何も言わない茶々に疑問詞を浮かべつつも、従いエヴァンジェリンも半ば夢心地でその場に立つ。

視線を墓標へやると、墓標にはアドルフとダニエル、アリアの名が刻まれていた。

 

「…………あ」

 

 エヴァンジェリンは、全身の血が引いていくのを感じる。

立っていられなくなり、思わず膝を突いてしまった。

荒い息と共に両手を土につけ、どうにか倒れないよう自身を支える。

全身から力という力が抜け落ちてゆくかのようだった。

何かしてしまったという猛烈な罪悪感がエヴァンジェリンの体の奥から膨らみ、弾けんばかりに全身へと広がる。

底冷えする悪寒に、エヴァンジェリンは震えた。

 

 助けて、茶々。

思わずエヴァンジェリンが視線を茶々にやると、彼もまたエヴァンジェリンに視線をやっていた。

何時か立派な魔法使いを殺した時のような、絶対零度の視線。

殺意と憎悪に充ち満ちた、悪魔のような瞳。

 

「……この街は、アドルフの故郷だったと聞く。ダニエルとアリアもここで生まれたそうだ。それを突き止めるまで、随分時間がかかってしまった」

 

 乾いた、触れれば裂けてしまいそうな言葉であった。

震えながらエヴァンジェリンが立ち上がろうとするのに、今にも殺しにかからんばかりの気配を醸しつつ、踵を返す茶々。

 

「エヴァ、君を滅ぼす為とは言え、ここを荒らしたくは無い。それはお互い様だろう。場所を移そう」

「……待て、一体何があったんだ!? 何故私を殺そうとする!?」

 

 叫ぶエヴァンジェリンに、茶々は足を止めた。

振り返る。

ひっ、とエヴァンジェリンは小さな悲鳴を上げた。

剛力で限界まで表情筋を緊張させた茶々の表情は、悪鬼羅刹の如く。

殺人悪魔の名に相応しい、邪悪の権化の表情であった。

 

「何故だと? いいだろう、君にも知る権利はある。草原までの道すがら、語るとしよう」

 

 凍てついた殺意と共に、茶々は吐き捨て、歩み始めた。

遅れてエヴァンジェリンは、ふらつきながら慌て茶々を追う。

季節は初夏。

生命がその瑞々しさを咲き誇る、命の輝く季節であった。

 

 

 

2.

 

 

 

 エヴァンジェリンが火刑に処されたその日、夜明けを待って茶々は動き出した。

気の糸と首のスナップだけで手錠と足枷を破壊し、鉄格子を切り捨て独房を脱出。

地平線から顔を出さぬ朝日が、それでも押さえきれずに光を漏らす。

漏れた光が作る影の合間を流れるように動き、目的の場所へと向かった。

その足に迷いは無い。

何故なら気の糸による念写で、既にこの町の地図は茶々の頭の中に入っている。

魔法を使わないのであれば十分な広さが必要だし、使うにしても人目に付かず朝日をたっぷりと受ける場所と予想できていた。

茶々はすぐさま魔力探知の気の糸を展開、魔力封印魔法の気配を感じ取り、その場へと急ぐ。

アドルフ達行商人一家は、後回しだ。

エヴァンジェリンを処刑するまでは念のため生かしておくだろうと予想はしていたし、それでなくとも茶々にとって、妹と同一視するエヴァンジェリンは優先度が上であった。

 

 曲がり角を背に、広場へと進む直前に茶々は意識を集中させ、この町の魔法使いの位置を全て把握する。

予想通り、その殆どは広場におり、エヴァンジェリンを逃さぬ事を意識した配置となっていた。

茶々の実力は知られていなかったようで、独房に見張りすら居なかったぐらいだ、それも当然と言えよう。

アドルフ達の見張りに一人魔法使いが居るのは、奇妙だが。

好都合過ぎる事態に、同時に予想外の事が無い故の不安が沸き立つ茶々。

だがそれを特定する時間があるまい、と己を律し、茶々は広場へと突っ込んでいった。

広場には俯いたまま微動だにしないエヴァンジェリンと、動揺する魔法使い達。

 

「な、貴様は……」

「遅い」

 

 一言。

茶々は魔法使い達を即座に、念のため殺戮ではなく捕縛する。

アドルフ達を見張っている魔法使いに死に際の念話でも送られれば厄介だからだ。

人質を握るなら互いにがいい。

そして即座にエヴァンジェリンの元へとたどり着き、声をかける。

 

「エヴァ、大丈夫……あれ?」

 

 目前のそれは、エヴァンジェリンに似ているが、何かが違う。

茶々が判断した瞬間、茶々の全身が総毛立った。

魔力封印魔法が解放、目前のエヴァンジェリンのような何かが面を上げ、その眼窩の無い目を茶々へ向ける。

 

「けけけけけ」

 

 哄笑。

即座の判断で飛び退こうとした茶々を、拘束を解除し目前の何かは抱きしめる。

背骨が折れんばかりの痛痒に悲鳴を上げる茶々を尻目に、魔法使い達。

 

「よし、結界魔法を発動しろっ!」

「はいっ!」

 

 リーダー格の声に従い、余裕を無くした茶々の拘束が消えた魔法使い達は、結界魔法で茶々とエヴァンジェリンのような何かを閉じ込める。

次の瞬間、超絶の光量と耳が聞こえなくなる程の音量。

エヴァンジェリンのような何かは、爆発したのだ。

人の死体に無辜の魂を利用した、外道の術であった。

 

「ぐ、あ……」

 

 咄嗟の気で生命力を強化し、どうにか生き残った茶々ではあるが、何故で埋め尽くされた脳内は混乱しきっていた。

そこにリーダー格の声。

 

「残念ながら、真祖の吸血鬼には逃れられたが……。見捨てられた貴様らを、”悪”に染まった貴様らを、惨たらしく処刑するのは”正義”の義務だよなぁ?」

「エヴァが、逃げた……? 何を……」

「事実だ。他に現状にどんな理由がある?」

 

 確かに、エヴァンジェリンはこと戦闘能力に関すれば茶々を超える存在である。

魔力が無くとも判断力は茶々に迫る物があり、そのエヴァンジェリンであればこの程度の輩に殺される事などありえない。

少なくとも、エヴァンジェリンが今まで真に殺されると恐怖した事が殆ど無い事を知らない茶々の理性は、そう断じた。

故に、茶々の理性は答えを出す。

目前の男が唱えたのは、事実であるのだと。

 

「嘘だ……嘘だ!」

 

 叫ぶ瀕死の茶々を、魔法使い達は容易く捕縛してみせた。

独房に入れた茶々を外から吹っ飛ばそうとしてさえ数人の犠牲は要っただろう彼らは、一人も欠けずに茶々を捕縛してみせたのだ。

つまり彼らの行動は合理性の内にあると、茶々は判断した。

その事実がエヴァンジェリンが茶々達を見捨て逃げたという言葉を重くする。

エヴァンジェリンが逃げ出す理由は不明だが、他の可能性が無い以上、茶々はそれを信じる他無かった。

実際は茶々達に憎悪を滾らせ、醜い感情を弄ぶ為だったのだが、茶々はそれと知らず彼らの言葉を信じてしまう。

それでも、と茶々はせめて思った。

それでもエヴァンジェリンが逃げたのには、何か理由があるのだ。

そして必ず茶々達が死ぬまでには助けに来てくれるだろう、と。

 

 意識を強制覚醒する魔法下での拷問は、ダニエル相手から始まった。

ダニエルは、回復魔法をかけられながら全身の皮膚をはぎ取られる。

絶叫に絶叫を重ねる彼は喉がつぶれるまで叫び続け、ついに魔法使い達が筋繊維をはぎ取り始めた辺りで完全に命を落とした。

アリアは矢張り回復魔法をかけられながら、股から木の杭でゆっくりと串刺しにされる。

子宮を貫き、心臓を貫く間、アリアは涙を溢れんばかりに零して泣き続け、ついに脳に達した辺りで死んだ。

アドルフはエヴァンジェリンと茶々に呪詛の言葉をかけながら、血の涙をこぼしつつそれを見ている事しかできなかった。

そして3人目はアドルフ。

彼は腹を引き裂かれ、自身の黄色い脂肪をスプーンですくい取られ、口内に突っ込まれた。

意地でも飲まぬと耐えていたが、ついに飲み込んでしまい、吐き出そうとしても魔法使い達に阻害される。

ついに胃まで到達した脂肪を、今度は胃を切り裂かれ、再び取り出され口に突っ込まれた。

喉を自身の脂肪が通る感覚を十回も繰り返した頃、アドルフは発狂し、舌を噛んで自害した。

茶々はそれを見ている事しかできなかった。

完全拘束を目的とした魔方陣に捕らえられた茶々は、攻撃意思を肉体に通じさせる事ができず、何もできなかった。

解くには異教で神と呼ばれるレベルの魔力か気が必要である、ただでさえ不可能だと言うのに、傷ついた茶々には到底叶わない。

加えて茶々は、舌を噛んでの自殺すら封じられていた。

 

 何故か茶々は生かされた。

糞便を立ったまま垂れ流しながらではあったが、得体の知れない肉とは言え、食べ物さえ口にする事ができた。

肉はどんな想像をしても最悪の物――行商人一家の死肉など――しか思い浮かばなかったが、茶々は耐えてそれを口にする。

何故なら、茶々は未だにエヴァンジェリンが必ず助けに戻ってくると信じていたからだ。

互いに互いを代わりとして見るというあの約束、自身がエヴァンジェリンの父でもあるという自覚。

それが茶々を辛うじて生き残らせていた。

 

 数日が経ち、リーダー格の男が鉄格子越しに袋を持って現れる。

何事かと茶々が眼を細めると、リーダー格の男は笑いながら言った。

 

「いやぁ、呆れるほどの生命力だな。そんなお前に、今日は良い知らせを持ってきてやった」

「良い知らせなら今あったさ。君の糞以下の顔を見て、私の気分は最悪になった。どうだ、最高の知らせだろう? 今すぐ下痢になってこの場で糞でも漏らしてくれれば、もっと最高の知らせになりそうだ」

「そう言うな、こいつ、こいつだよ」

 

 言ってリーダー格の男は、持ってきた袋を持ち上げた。

紐を解き、中身を出す。

ぼとり、と中身は床に落ち、転がって茶々の足下までたどり着いた。

中身は金髪蒼眼の女の生首であった。

見開いたその瞳を、女はちょうど茶々の目に向ける形となる。

エヴァかと一瞬思った茶々であったが、違った。

ちょうど彼女が年齢を重ねる事ができたとすれば、10年もすればそんな顔になるかと言う――。

 

「君のご飯の素にして、君の――」

「エリゼ……」

 

 茶々は、妹の名を口にした。

くく、と忍び笑いするリーダー格の男。

 

「もしかしたら人形繰りで興行をしている兄と会えるかもしれないから、と最近商隊について、隣の町であるこの町に来ていたそうだよ。最近出来た恋人を紹介したかったとか何とか。いやぁ、幸せそうな表情だったなぁ。まさか君を捕まえた翌日にやってくるとは思わなかったよ。これぞ神の思し召しだね! 君の食卓に並んだ事からしても、正に!」

 

 哄笑するリーダー格の男は、ずかずかと茶々へ近づいてくる。

魔方陣が薄く明滅し、その光を減じてゆくのに気づかないで。

 

「さぁ、”悪”に染まった罰はどうだい? 真祖の吸血鬼という名の”悪”に対する、”正義”の執行は! さぁ、絶望のままに、君には真実と最後を……」

「……ねよ」

 

 目を瞬くリーダー格の男。

首を傾げ、一言。

 

「何だい?」

「死ねよ」

 

 刹那。

気の糸は、その街全土に張り巡らされた。

その街に存在するあらゆる生命を捉え、次の瞬間微塵に引き裂いた。

元血袋と化した生命が残した血さえも微塵に切断、血液すら残さず微塵に切り裂き、灰の粒子の如く細かく切断する。

空気分子に混ざる灰と化した生命は、そのまま風に吹かれ何処かへ消えていった。

瞬くより短い刹那、その街の生命全ては消えて無くなったのであった。

 

 茶々は、自身が狂気のあまり圧倒的な気を有した事に気づいた。

同時、己の狂気が無関係の街の人々をも殺してしまった事をも。

しかし最早茶々は、その事実に罪悪感を感じられる程の精神の平衡を保てていなかった。

狂気は茶々へと悪夢や幻覚を運び、過度な攻撃性や被害妄想をもたらしたのだ。

それでも茶々は残った正気を費やして、隠れて故郷に戻り妹を埋葬し、そしてアドルフ達一家を埋葬すべく世界を放浪する。

 

 その間、最早立派な魔法使い達への憎悪は消す事ができず、相まみえた彼らは皆殺しにしてきた。

そこで役だったのが、狂気に墜ちた茶々が完成させた殺戮人形、ゼロである。

魂を持つという最終目標を忘れ去られたゼロは、戦闘用というその用途に十分過ぎる程働いた。

機能的には人型の頑丈な人形というだけのゼロだったが、その強さは無類を誇る。

立派な魔法使い達を殺し続け、ついに茶々はアドルフ達の故郷へとたどり着いた。

アドルフ達を埋葬した茶々に残る目的は、残り一つ。

 

 ――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの殺害であった。

 

 

 

3.

 

 

 

「初めて出会った時、私は君を殺しておくべきだったんだ」

 

 涙をこぼしながら、茶々は言った。

果てなき青空の下、柔らかな太陽の日差しの元。

萌える草原に立ち、2人は向かい合っていた。

エヴァンジェリンは半ば呆然としながら。

茶々は漆黒の憎悪をその瞳に映しながら。

 

「エヴァ、君は悪だ。人間社会に混乱と死をしかもたらせぬ、悪なんだ」

「違う、そんな筈が……」

「ある。かつての私は、間違っていた」

 

 糸が震える微かな音。

立ち上がり、ゼロがナイフを構えた。

その刃先には恐るべき量の死の呪いがこびり付いており、エヴァンジェリンでさえこれで致命傷を負えばしばらくは動けまい。

当然そうなれば何度でも切り刻まれる未来が待っており、流石のエヴァンジェリンでも死を覚悟せねばならないだろう。

恐怖に身を震わせながらも、しかし一度乗り越えた状況に、エヴァンジェリンは気丈にも一歩足を進める。

 

 伝えねば、とエヴァンジェリンは反射的に思った。

自分は逃げ出したのではなく、愚かにも捕まって火刑に処されてしまったのだと。

……しかしそれは、本当に言っていい事なのだろうか。

茶々がエヴァンジェリンを待っていたのはただの徒労で、決して来ることの無い助けを待ち、その間に茶々の妹が殺されたのだと。

もしも茶々がエヴァンジェリンの死に気づいていれば、彼の妹が捕まる前に逃げられ、追う魔法使い達も街から離れ、エリゼは無事だったのかもしれない、と。

 

 駄目だ、とエヴァンジェリンは断じた。

今の茶々は精一杯に正気を保とうとしており、狂気との危うい境に居る。

今そんな事を伝えてしまえば、二度と正気に戻れなくなるかも知れない。

何も言えず、俯くエヴァンジェリン。

それに応じ、形相を更に凄まじくする茶々。

 

「悪は、悪だ。殺さねばならないのだ。でなければ、でなければエリゼの死に何の意味がある!?」

「…………」

 

 茶々は、エリゼの死に意味を求めているようであった。

大切だった筈の人が凄惨に殺され、その魂の尊厳すら辱められた事に、理由を求めているのだ。

理由があり、それ故にエリゼは死んだ。

ならばその理由を排除できるようになれば、少なくとも次からは同じ事態を防げる。

エリゼの死に何もできなかったという無力感から、解放される。

そのためには、理由となる何かが必要だった。

 

 そして彼は立派な魔法使いを必要悪として認めていた。

対しエヴァンジェリンを不必要な悪として考えており、個人的感情でそこから目をそらしていると考えていた。

もし彼が立派な魔法使いを社会に必要だと認めていなければ、茶々は復讐の対象に魔法使いを求めたのかもしれない。

しかし現実はそうならなかった。

茶々はエヴァンジェリンという名の悪を、エリゼの死の理由に決めたのだ。

それでも押さえきれぬ憎悪から、向かってきた魔法使いは殺しているようだったが。

 

 だが、それでもエヴァンジェリンは殺されてやる訳にはいかなかった。

復讐は既に果たし生きる理由も無く、ただただ生きて生きて生き抜くだけの永い人生。

それでもエヴァンジェリンは生きたかった。

行商人一家の死の責任を投げ捨ててでも。

エリゼを殺した一因でありながらも。

我ながら生き汚いな、と眼を細めつつ、エヴァンジェリンは茶々を見つめる。

それでも、エヴァンジェリンに茶々を殺せるかは分からなかったが。

 

 それに、人の死に、悪なんて大それた理由があるのか、とエヴァンジェリンは思った。

エヴァンジェリンの人生経験は少ない。

茶々の倍どころか3倍程生きているが、10歳までは城から出たことが無く、それ以降はここ数年以外は殺し合いばかりだ。

だが、その殺し合いの中、エヴァンジェリンは人の命の無情さを感じ取っていた。

 

「私がエリゼさんの死の一因であった事は、確かだろう」

「…………」

「でも、人の死に悪なんて巨大な物は関わっていない。もっと小さな、その時その時に生まれる何かだけが理由だ」

「黙れ……」

「殺されるのは怖いが、仕方が無いとは思っている。抵抗はするがな。でも覚悟して置けよ、茶々。多分、私を殺しても何も変わらない。この世はずっとこの世のままさ」

「黙れ……!」

「いや、そもそも正義や悪なんて物は本当にあるのか? 70年以上生きてきて、正義を名乗る奴らも悪を名乗る奴らも山ほど殺してきたが、未だにどちらも感じた事が無い。ただ人間は、自らの行いを自分の責任にしたくなくて、そういう大きな物に責任転嫁しているだけなんじゃないのか?」

「黙れぇぇえええっ!」

 

 絶叫。

涙をこぼしながら、茶々は悪鬼羅刹の如き形相で叫ぶ。

 

「分かってる、分かってるんだ。でも私たちはそうせざるを得ないんだ」

 

 気の糸が張り巡らされ、ゼロの四肢に恐るべき気が宿る。

硝子玉の瞳には、エヴァンジェリンの気のせいだろうか、殺意すら宿っているかのようであった。

対しエヴァンジェリンもまた、その手に氷の魔法を詠唱し始める。

 

「それが人間なんだよ、化け物っ!」

 

 咆哮と共に、茶々は糸を繰った。

戦いの始まりだった。

 

「闇の吹雪、術式固定・掌握! 「氷の闇精」!」

 

 早速エヴァンジェリンは、切り札である闇の魔法を発動。

元々AAAランク前後あった己の基礎能力をブースト、空に浮きながら両手を茶々へと向けた。

中級以下の氷系魔法が無詠唱で放てるという超弩級の切り札により、いきなり空中に巨大な氷球が3つ出現、茶々へと向かってゆく。

が、それは茶々の糸繰りで即座に微塵に。

その際空中に見えない滑車で止められたのだろう、糸で出来た道をゼロが疾走、エヴァンジェリンへと迫る。

そしてその手に持つ二つ振りのナイフのうち一本を、袈裟に振った。

 

「――っ!?」

 

 反射的に身を逸らしたエヴァンジェリンの頬を、飛んできた気の刃が掠める。

舌打ち、両手を突き出し魔法の射手を発動。

千を超える射手が強引にゼロへと迫り、空中に押しとどめる。

それを尻目にエヴァンジェリンは完成度の高まった断罪の剣を発動。

回転しつつ振るうと、背後から迫っていた人形を一刀両断する。

かつて人形劇に使われていた、勇者の人形が真っ二つになり落ちていった。

胸を過ぎる痛みに、エヴァンジェリンは顔を歪める。

 

「まだまだぁ!」

 

 茶々のトランクから、全7体の人形がバラバラに飛び出してくる。

魔法の射手の一部を小人形に振り分け、エヴァンジェリンは追加でゼロへ向け闇の吹雪を放った。

魔法の射手への対処で身動きが取れないゼロを、膨大な魔力の竜巻が襲う。

しかし同時、エヴァンジェリンの背筋に悪寒が走った。

反射的に魔法障壁を全快にするも、ぶつり、とエヴァンジェリンの片腕が千切れ落ちた。

茶々の糸繰りによる罠である。

吹き出す血が切断した糸を赤く染める。

 

「が、ぁぁぁっ!?」

 

 悲鳴を上げながらも、エヴァンジェリンは辛うじて集中を続け魔法を維持。

しかし同時、闇の吹雪の奥からゼロが飛び出してきた。

集中の乱れで風向きが一定になった闇の吹雪の中を、風に乗って通り抜けてきたのだ。

その圧倒的センスに、エヴァンジェリンが戦慄すると同時、ナイフが振るわれる。

 

「お、おぉぉっ!」

 

 即座に魔法を中止、断罪の剣を発動するエヴァンジェリン。

触れれば即破壊の半透明の剣を、しかしゼロは容易く捌いてみせる。

どころかエヴァンジェリンの剣を打ち落とし、そのまま跳ね上がる一手をエヴァンジェリンの喉へ。

辛うじてその場で縦に回転し裂けるエヴァンジェリンであったが、その背に熱湯の如き熱さを感じた。

即座に視線をやると、エヴァンジェリンの幼い体躯を、小人形の銀色の槍と爪が貫いている。

動きの止まったエヴァンジェリンへ、ゼロのナイフが迫り、小人形達の武器はこのままエヴァンジェリンの体を解体しようとした。

目前に迫った死に、エヴァンジェリンは絶叫した。

 

「パージっ!」

 

 直後、闇の魔法が魔力衝撃へと変換。

大爆発を起こしながらエヴァンジェリンごと人形を攻撃した。

全身に大やけどを負うエヴァンジェリンだったが、2秒で回復、ついでに暇が無くて放置していた千切れた腕も再生する。

裸体の上に防御の為に取り急ぎ闇の外套だけ羽織り、急ぎエヴァンジェリンは再び魔法を詠唱、掌握、闇の魔法を再発動した。

殆ど同時、金属音。

 

「ぐ……」

 

 断罪の剣とゼロのナイフとが打ち合う音であった。

所々すすけてはいるものの無事なゼロに、エヴァンジェリンは内心舌打ちする。

ちらりと視線をやれば、小人形達は動けない程度には損傷しており、ゼロの頑丈さを物語っていた。

しかも、再生した筈のエヴァンジェリンの頬は、未だじんわりと血を滲ませている。

つまり、ゼロからの攻撃は再生し辛い。

自然、エヴァンジェリンは防御を優先し断罪の剣を振るう。

 

 状況はエヴァンジェリン不利であった。

小人形は全て葬ったものの、ゼロとの接近戦を強いられている。

自爆技なんて二度も通じる相手ではないし、油断すればまた茶々の糸繰りで腕を引きちぎられてしまうだろう。

と思って、自爆の煙で見えていなかった茶々を探そうとした瞬間、更なる悪寒がエヴァンジェリンの背に。

ゼロが目前から虚空瞬動、距離をとった瞬間、影がエヴァンジェリンを覆った。

見上げると、巨大な木々が何本も、エヴァンジェリンを狙い落ちてきていた。

 

「うおぉっ!?」

 

 思わずエヴァンジェリンが闇の吹雪を放って木々を打ち砕くと、その木片が散らばる。

しまった、とエヴァンジェリンが思うのと、瞬動の音が連続して響くのは、殆ど同時であった。

虚空瞬動に比べ瞬動は難易度が低く、連発するのが容易い。

咄嗟に勘で体を動かすエヴァンジェリンであったが、軽い身体を利用して木片を用い瞬動を連続するゼロの攻撃を避けきれない。

全身を引き裂かれつつも、上空に逃れようとしたが、再びの悪寒。

咄嗟にエヴァンジェリンは下方へと抜けると、追うゼロとその先に居る茶々とで挟まれる形になる。

エヴァンジェリンは連続して氷槍の投擲を放ち、茶々の糸繰りを防御結界に割かせると同時、反転。

追いついたゼロと断罪の剣を交えつつ互いの位置を入れ替え、飛び退いた。

夜叉の如き形相で、茶々。

 

「やれやれ、上に抜けていれば肉片になっていてくれただろうに!」

「ち、矢張り糸の罠だったか……」

 

 気による透明滑車による作られた、張り詰めた糸を張り巡らされた結界は、通り抜ければ即肉片となる茶々得意の罠である。

ほぼ視認できない即死罠であるそれに、かつての旅路の敵はまんまと引っかかった物であった。

 

 それにしても、茶々は強かった。

かつてもエヴァンジェリンに迫るレベルだったが、これほどの領域に居るとは、予想外である。

ゼロという超弩級の前衛を用いると同時、触れれば即死の攻撃や罠を用い後衛からサポートをする。

エヴァンジェリンのまだまだ未熟な糸繰りでは即座に無効化されてしまうだろうし、人形繰りにしてもエヴァンジェリンは未だ戦闘用の人形を持っていない。

影の中にはいくつか人形を持っているが、戦闘よりも日常場面で使う事が多い物ばかりだ、焼け石に水もいいところだろう。

逃げも一瞬エヴァンジェリンの脳裏を過ぎったが、即座に否定する。

結果はどうあれ、茶々との決着はつけねばならない。

どうしてだろうか、確信としてエヴァンジェリンはそう思っていた。

 

 エヴァンジェリンが冷気を強めると、足下から円を描いて草原の草が凍り、砕け、ダイアモンド・ダストと化し空中へと消えてゆく。

茶々は羅刹の表情を強め、ゼロが僅かに腰を落とした。

このまま茶々をゼロの操作に集中させていると、間違いなくエヴァンジェリンが負ける。

ならば。

 

 だん、と地面を蹴る音。

エヴァンジェリンが後方へ、ゼロが前方へ瞬動を発動したのだ。

流石に移動量はゼロの方が多いが、距離が無くなるほどではない。

手を向けたエヴァンジェリンの頭上に、氷神の戦槌による氷球が7つ。

茶々へ向かって放たれる。

舌打ち、茶々は即座に7つの氷球を微塵に切り裂くが、即座にエヴァンジェリンのこおる大地が茶々を襲った。

氷片を吸収し効果を倍増した、地面から生える氷柱が茶々へと迫る。

咄嗟に虚空瞬動で空へ身を投げ出す茶々。

 

「やっと空中にやってきたな!」

 

 空中では常に虚空瞬動で動き回るか、糸で立つ面を作らねばならない。

どちらにしろ地上で安穏とゼロを操作するよりも、リソースを食う筈だ。

しかしそれに茶々は、凄絶な笑みを浮かべ答えた。

 

「その程度で、私の糸繰りが滞るとでも?」

 

 言葉の通り、ゼロが再びエヴァンジェリンの元へ。

舌打ち、断罪の剣で防御しつつ、身に纏う冷気を更に強めるエヴァンジェリン。

対しゼロは、徐々に動きが鈍くなる。

先ほどばらまいた氷球の破片が一度水となり、更に再びの冷気で凍り付く。

当然、ゼロの関節もまた凍り付き、動きが鈍くなっていったのだ。

 

「ちっ、ゼロっ!」

 

 叫ぶと同時茶々の気がゼロに送られ、氷をはじき飛ばす。

見る間に動きが戻ったゼロに、再びエヴァンジェリンは防戦を強いられるが、しかし収穫はあった。

一瞬ではあるが、気の動きにより茶々とゼロを結ぶ糸は見えたのだ。

心臓を狙う突きを半身に回避、横に繋がろうとするのを断罪の剣で押しとどめながら身体を回転。

そのままの勢いで、先ほど見た糸を断罪の剣で切断してみせた。

それでも気を送るとき隠した糸は残っているのだろう、止まりこそしなかったものの、ゼロは動きを鈍くする。

気の糸なのだ、再び繋げば元の木阿弥だが、その隙さえつけば勝つのは難しくない。

やった、とエヴァンジェリンが半ば勝利を確信した、その瞬間である。

虚空瞬動。

目前に迫る茶々。

 

「なっ!?」

 

 エヴァンジェリン以上に後衛偏重な茶々の接近戦という意外性に、エヴァンジェリンは目を見開いた。

動揺の余り彼の膝蹴りをもろにくらい、地面へとたたき落とされる。

続く茶々の突貫。

ゼロの持っていたナイフをその手に、再びの虚空瞬動と共に茶々はエヴァンジェリンへと突っ込んできた。

 

「うおぉぉぉおおぉっ!」

 

 絶叫。

茶々は莫大な気の量を身体強化に使い、剛力と共にナイフを振り上げる。

対しエヴァンジェリンは咄嗟の氷爆を放つも、爆発を突き抜け茶々はエヴァンジェリンに迫った。

 

「く、パー……!」

「させないっ!」

 

 ナイフを持たない手で、茶々はエヴァンジェリンの細首を掴んだ。

そのまま発音を許さず、2人は地面へと激突。

それでも限界を超えて強化された茶々の肉体はエヴァンジェリンを離さず、ナイフを持つ手に剛力を込め。

 

「おぉぉおぉっ!」

 

 目前に迫る死に、エヴァンジェリンは思わず目を閉じた。

走馬燈。

楽しかった家族の肖像。

吸血鬼化し家族を皆殺しにした日。

放浪と殺し合いの日々。

茶々との出会いと旅路。

殺されるかと思った火刑と別れ。

それからの数ヶ月、喪失感と一人でも茶々との旅の財産で、隠れ潜まずに生きられた事。

茶々との約束。

 

『互いを互いに、代わりとして見よう』。

 

 最早エヴァンジェリンは、茶々を父代わりとして見られなかった。

吸血鬼の迫害されるという宿命に巻き込んでしまった彼を、一体どうして父と見られるだろうか。

茶々は茶々だ。

この世でただ一人、後にも先にも彼自身としか見られないのだ。

それは正しい事なのかもしれないけれど、それでも約束を破ってしまった事が寂しくて。

エヴァンジェリンは、遺言のつもりで言った。

 

「約束、守れなくってごめんね……」

 

 そして私は死ぬのだろう、とエヴァンジェリンは思う。

何故だろうか、火あぶりにされる時はあれほど死ぬのが怖かったのに、茶々相手となると安らかですらあった。

恐怖が無いとは言わないが、仕方ないか、と思えてしまうのだ。

無論厳密な意味で茶々がエヴァンジェリンを殺せるとは限らない。

しかし呪いのナイフで極限まで生命力を削れば、封印する事ぐらいはできるだろう。

それでいい、これでいい。

納得と共に安らかに笑みを作ったエヴァンジェリンは、ただただ最後の一撃を待つ。

 

「…………?」

 

 疑問詞。

いつまで経っても来ない一撃に、思わずエヴァンジェリンは目を開けた。

目前にはナイフの切っ先。

震えるそれを持つ茶々は、両目から涙をこぼしながら、呟いた。

 

「……でき、ない」

 

 からん、と音を立てナイフが落下する。

目を見開くエヴァンジェリンの前で、茶々は膝を落とした。

両手で顔を覆い、がらがらの鳴き声で言う。

 

「何故だ、エリゼは死んだ、君とはもう欠片も重ならない。君が妹の代わりでしかなけば、既に殺せていた筈だ。なのに……なのに!」

「茶々……」

 

 エヴァンジェリンが手を伸ばすと、ぴくりと震えたものの、茶々は抵抗せずその手を受け入れる。

頬をゆっくりと触れるエヴァンジェリンの手。

それに何を思ったのか、顔を少しだけ安らかにして。

 

「私は、君を……」

 

 視線と視線が交錯した。

絡み合った視線が、エヴァンジェリンにも茶々の考えている事を理解させる。

茶々は今初めて、妹の影を映す事無く純粋にエヴァンジェリンを見ていて。

その感情を、吐露しようとした。

 

「…………」

 

 かほ、と。

茶々の口から血が吹き出た。

 

「……え? 茶々?」

 

 見れば茶々の腹から、ゼロの持っていたナイフが突き出ている。

信じられない物を見る目で、茶々もまた視線を己の腹へ。

震えながら、言って見せた。

 

「まさか、魂を持つ人形が……」

 

 それが、茶々の遺言となった。

ナイフはそのまま上方へ抜け、茶々を腹部から頭部まで一直線に切り裂く。

真ん中から二つに分かれた茶々の肉体が、重力に負け左右に開きながら地面へと落ちていった。

噴水のように吹き出す血を浴びながら、エヴァンジェリンの目前に、繰る者の居ない筈の人形、ゼロが立っている。

奇妙に無機質な、ゼロの口から発せられる声。

 

「悪を殺せなかった悪も、また悪ダ。コロス」

 

 その瞬間、エヴァンジェリンは理解した。

魂のある人形。

エヴァンジェリンと茶々の夢の結晶が、今正に目の前で茶々を殺したのであった。

 

 

 

 

 


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