1.
初夏の明るい青空に、場違いな程悲壮感に溢れた悲鳴が響き渡った。
「あぁぁぁああぁっ!」
絶叫と共に、エヴァンジェリンは断罪の剣を振るう。
が、目前の人形はケケケと笑いながら容易く回避、虚空瞬動を連発しエヴァンジェリンの肢体を切り裂いていった。
全身から血飛沫を飛ばしながらも、エヴァンジェリンは叫ぶ。
叫び続ける。
「何故だ、何故茶々を殺したっ!」
「オレは、悪をコロスだけの存在。そう思って作られたからだ」
「茶々が悪だと言うのかっ!」
「悪をコロスと言いつつ殺せない。それは悪ダ」
生まれたての魂をしか持たぬゼロは、硬直した論理をしか展開できない。
加えてその生まれ持った理論は、茶々がゼロを用いた用途による物である。
何も言い返せず、しかしエヴァンジェリンは憎悪を込めてゼロを睨んだ。
「何にせよ、貴様は私が殺す。必ずだ!」
言ってエヴァンジェリンは、魔法の射手を発動。
近接戦闘しかできないゼロには対処不能と思わしき、千を超える矢がゼロへと迫る。
ゼロは必死で魔法の射手を両手のナイフ――茶々が持っていた分も取られてしまった――で弾くも、その判断力は茶々に比べると流石に劣っていた。
超絶技巧と凄絶な気量を持ち、ゼロを含めた複数の人形を操る茶々ですら、エヴァンジェリンに辛勝であったのだ。
弱点の本体が無く、己の身体の操作にだけ集中していれば良いとはいえ、ゼロは先ほどまでの茶々に劣る戦闘能力しか持っていなかった。
が。
「……ぐ、魔力が……」
続けて追い打ちの魔法を放とうとして、放てないエヴァンジェリン。
先ほどまでより弱いのは、エヴァンジェリンもまた同じであった。
茶々という超弩級の戦闘者を相手に出し惜しみなどできる筈もなく、エヴァンジェリンは最大限に魔力を発揮しながら戦っていたのだ。
当然凄まじい勢いで魔力を消費しており、最早魔力は2割残っているかどうか。
このまま闇の魔法を展開していれば、倒しきる前にガス欠になる。
その判断から、エヴァンジェリンは闇の魔法を解除。
急激に衰える自身に舌打ちしつつ、詠唱、氷神の戦槌を発動する。
「オセェ!」
が、魔法の射手が残る場所には追いつけず、氷球はゼロの斬撃であっさりと割れた。
続く虚空瞬動でゼロがエヴァに接近、しようとする所に氷爆が連発。
ゼロの進路を狙って距離を稼ぎ、後退する。
今のエヴァンジェリンでは接近されれば殺されてしまう故であった。
だが、ゼロも次第に進路に氷爆を置かれるのに慣れ始めてきた。
これ以上距離を稼げそうも無いと、舌打ちしつつエヴァンジェリンは再び魔法の射手を放つ。
しかしその数は百程度と、闇の魔法発動中ほどの量は無い。
「オイオイ、もうネタ切れかぁ!」
叫びながらゼロが矢を切り捨てるが、その殆どはゼロを素通りしていく。
すぐに気づいたのだろう、ゼロは無理矢理魔法の射手の壁に突っ込んでその場から逃れようとするが、遅い。
続けて長氷槍が投擲され、一瞬ではあるがゼロとエヴァンジェリンを結ぶトンネルができあがった。
当然、高威力魔法を放たれればゼロとて避けきれない。
悪態をつきながら、唯一の脱出の術である発動前にエヴァンジェリンを切る為、虚空瞬動を発動。
ナイフを振りかざすも、エヴァンジェリンの魔法の発動の方が早い。
「闇の吹雪っ!」
暗い氷雪の竜巻が、ゼロを襲った。
ゼロの小さな体躯は一瞬で巻き込まれ、見えなくなってしまう。
やったか、とエヴァンジェリンが胸をなで下ろした、その瞬間である。
とす、と。
エヴァンジェリンの胸にナイフが突き刺さっていた。
吹雪の中には、つい数分前と同じく風に乗り、ナイフを投擲したゼロの姿が。
「あ……」
死の呪いが、エヴァンジェリンの生命を犯した。
激痛の余り視界が真っ赤になり、人の物とは思えぬ絶叫がエヴァンジェリンの喉から迸る。
「あぎゃあぁぁあぁぁあぁっ!」
絶叫しつつエヴァンジェリンは、胸からナイフを抜き捨てるも、その痛みは全く治まる様子を見せない。
深紅の視界に身を捩らせているうち、ズドン、と全身を衝撃が襲う。
何事か、と少しだけ冷静さを取り戻した頭が、自分は墜落したのだと理解。
遅れて自分は森に落ちたのだとわかり、とがった木の枝に腹を貫かれているのが見える。
再びエヴァンジェリンは絶叫した。
「あぁぁああぁっ、ぎゃああぁあっ!」
死の呪いが数倍にした痛みが、エヴァンジェリンの全身をむしばむ。
エヴァンジェリンは必死で短い断罪の剣を発動、枝を切り落とすと同時、エヴァンジェリンは地面へと落ちた。
短い浮遊感。
ぼき、という生々しい音と共に、肩に生まれる灼熱。
「ぁ……ぁあああ!」
加えて襲いかかってきた増幅された骨折の激痛に、エヴァンジェリンは呻いた。
喉奥からこみ上げてくる物があり、げほ、と咳をする。
すると鮮やかな血が口から吐き出され、地面を赤く染めあげた。
「く……くそ……」
死の呪いは、今やエヴァンジェリンの再生能力を押さえ込んでいる。
このまま戦おうにも激痛で魔法など発動できない。
逃げねば、と思い立ち上がろうとするエヴァンジェリン。
不幸中の幸いか、近くに落ちていた手頃な枝を杖代わりにし自身を持ち上げ、どうにか腰を上げる。
老人より尚遅い動作で、エヴァンジェリンはようやく立ち上がった。
「ダガ、もう一回寝てもらうぜ」
無機質な声。
足を刈る脚撃に、エヴァンジェリンはバランスを崩し倒れ込む。
咄嗟に必死で転がり距離をとり、それから気力で面を上げ、声の主を睨み付けた。
ゼロもまた闇の吹雪をくらい無傷ではなく、ぼろぼろになっているが、四肢は健在でナイフも一本は持っている。
「は、やいな、よっぽど急いだのか? 必死すぎ、て、間抜け臭く、みえるぞ」
「そうか、シネ」
言うゼロもゆっくりとしかナイフを振り上げられないようだが、エヴァンジェリンに比べればマシな負傷である。
まともに立ち上がることすらできず、魔力はまだ多少残っているが、発動する集中力が足りない。
足は生まれたての子鹿のようで、辛うじて動くのは両手と首から上だけである。
それだけで一体何が、と思った瞬間である。
エヴァンジェリンの脳裏に、雷鳴の如き閃きがあった。
「おおぉぉっ!」
あった。
一個だけ、エヴァンジェリンには動けなくても使える秘技があった。
魔法を詠唱できない今だからこそ、役に立つ秘技があったのだ。
――人形繰り。
茶々からエヴァンジェリンへと受け継がれた、二人の絆そのものと言っていい、秘技が。
「な、シマッタ!」
叫ぶゼロではあるが、ぼろぼろになったゼロではエヴァンジェリンの練度の人形繰りからすら逃れる事はできない。
抵抗するゼロを、しかしエヴァンジェリンの十指から伸び、周りの木々を利用し多角的に張られた糸は逃さない。
「終わりだぁぁぁっ!」
絶叫。
エヴァンジェリンは両手を交差させるように振り払う。
耳が痛くなるような静謐の後、遅れてゼロがその場に倒れ伏した。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
荒い息をつきながら、エヴァンジェリンは暫くそのまま糸を構えていたが、ゼロは動く気配を見せない。
ようやく勝ったのだと言う実感が沸いてきたエヴァンジェリン。
しかし、生き残った筈なのに、エヴァンジェリンは全く心躍らなかった。
むしろ胸の奥を、つんざくような痛みだけが残っている。
暫く経ち、呪いが弱まり再生が始まってから、エヴァンジェリンはゼロに近づき、手に取った。
半壊したゼロは、意思無き硝子玉の瞳を中空に向けるのみである。
エヴァンジェリンと茶々の、二人の共通の夢。
茶々の息子の如き存在にして、茶々を殺した仇。
そしてエヴァンジェリンは、茶々との絆である人形繰りでゼロを殺したのだ。
「うぐ……」
エヴァンジェリンは、己の内柄から沸き上がってくる物を感じた。
すぐさま顔面に熱が集まり、両目からこぼれ落ちる。
涙と化した温度が、ぽつり、とゼロへと落ちた。
「――――――――!」
声なきエヴァンジェリンの慟哭が、森の中に響く。
空気を振動させたそれは他の音波と干渉しながら進んでいき、いずれ意味を持たぬ僅かな波となり、そして消えた。
当然ながら、それに答える者は誰一人居なかった。
2.
明るい日差しが、宿の中へと差し込んでいた。
太陽の匂いでいっぱいの部屋の中、レースをふんだんにあしらった黒いワンピースを着た金髪の少女が一人。
彼女、エヴァンジェリンはベッドの上に座り、針と糸を手に人形を作っていた。
人形は、かつて茶々が作ったゼロという名の殺戮人形に、よく似た形をしている。
当然と言えば当然と言えよう。
何せ人形は、ぼろぼろになって死んだゼロを元に作り直した、いわばゼロの生まれ変わりなのだから。
「よし、完成っ」
言ってエヴァンジェリンは、膝の上の人形を、ぽん、と叩いた。
それから裁縫道具を影の中にしまい、人形をベッドの上に横たわらせる。
枕の上に座った人形を前に、エヴァンジェリンはベッドに寝そべりながら人形を眺めていた。
あれからエヴァンジェリンは、茶々を近くのあの古ぼけた墓地に埋葬してやり、ゼロを回収して旅を続けた。
何度もゼロを破棄しようと悩んだのだが、結局エヴァンジェリンはゼロを捨てきれなかった。
かといって茶々を殺したゼロを、死体同然とは言え直してやる事もできず、結局エヴァンジェリンはゼロを使って新しい人形を作る事にしたのであった。
元がゼロなので、戦闘用人形である事は確定。
ならばゼロを超える勢いで、と言いたい所であったが、流石に純粋な人形作りの腕において、エヴァンジェリンの腕で茶々の腕を超える事は叶わない。
よってエヴァンジェリンは、魔法を付与するなどして、人形を限界まで強靱に作り上げるのであった。
そして、人形は完成した。
恐らくこいつは魂を持っているだろう、とエヴァンジェリンは予想する。
そしてその魂はゼロの持っていた物とはまた違う物なのだと。
何故かと言われても、予感としか言えなかったが、しかし確かにエヴァンジェリンはそう確信じみた考えを持っていた。
だからだろうか、完成が目に見えた頃から、ずっと考えてきた事がある。
否、もっと前、茶々が死んだあの日からずっと。
エヴァンジェリンが知る限り、残酷な事実だが、この世に正義も悪も無い。
だが、この世にはまるでその存在を見て来た者が居るかのように、正義や悪を語る人間達が居た。
茶々もまた、その一人だったのだろう。
彼は正義や悪が存在する事に救いを求めていた。
悪が存在し、倒せば何かが救われるのだと信じる事で、自分を慰める事ができていた。
そして、そうしてしまうのが人間なのだと。
人間であるが故の愚かさが、そうさせてしまうのだと。
ならば、悪を名乗る存在は必要とされているのだ。
少なくとも、人間社会に悪は必要なのだ。
悪が無ければ、正義も救いも、また存在し得ないのだから。
だから、己は――。
そこまでエヴァンジェリンが考えた所で、ぴくり、とエヴァンジェリンの目の前の人形が動いた。
どきどきと高鳴る心臓に、エヴァンジェリンは緊張に僅かに頬を紅潮させる。
人形に名付ける予定の名、そしてあげる名乗りを脳内で数回唱え、準備する。
そんなエヴァンジェリンの目前で、ぴくり、と人形は瞼を動かした。
ゆっくりと瞼が開き、眠そうにしながら立ち上がる。
辺りを見回し、エヴァンジェリンへと視線を。
「アンタガオレノゴシュジンサマ……ナノカ?」
「あぁ」
言って、エヴァンジェリンは身体を起こした。
ベッドの上に座り、にこりと微笑み告げる。
彼女の名を。
魂が巡る、2人の名を合わせた名を。
「お前の名は、”チャチャゼロ”……。”チャチャゼロ”だ。覚えておけ」
「チャチャゼロ……」
言って、自身の手を見つめるチャチャゼロ。
そんな彼女に、微笑みながらエヴァンジェリンは名乗りを上げる。
「私の名前は、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。お前の主にして……」
もし自分が悪を名乗っていれば、茶々がもう少し責任転嫁をして背を軽くし、救われてくれたのであれば。
悪を名乗る存在が、悪を求める人々の救いにほんの少しでもなれるのであれば。
自分からそう名乗ってみるのも悪くないと、そう思えてしまったから。
だから。
「……悪の魔法使いさ!」
色々と不満の残る出来ではありましたが、一応完結です。
まぁ私的には学べた事も多かったので、これはこれで良かったかな、と。
ただ、流石に評価が表に出ない(5人以下)のまま完結したのには、笑うしかなかったですw
<追記>
と思ったら即評価がついた件について。
ありがとうございます。
催促したみたいで申し訳ない……。