「ハンク……ハンク。准尉! 起きろ!!」
耳元で怒鳴られて、やっと昼寝から覚醒する。目を開けて窓の外を見れば、もう六課の隊舎が目の前にあった。
「降りたら真っ直ぐ主に会いに行け。待たせるなよ」
「わかりました」
助手席のドアを開いて、車から降りる。振り向いて、ドアを閉める前に一言。
「わざわざありがとうございました」
一言だけ言ってドアを閉める。少し驚いたような顔をしていたが、二佐の命令の真意を考えればこういう細かい行動も面倒だがしておいた方がいいだろう。親しくならなかったのは私なりの配慮だったのだが、そういう命令なら配慮はやめるべきだ。
「……礼はいらない」
すぐに無愛想な顔に戻り、車を発進させる。概ね予想通りの反応だ。今はまだ嫌われているようだが、多分一週間か一ヶ月そこらもすれば態度もいくらか変わってくるだろう。
駐車場へ向かう車を見送り、正面玄関から堂々と帰還する。出迎えは居ない。今の時間帯なら多分訓練中か、仕事中なのだろう。
「あ、こんにちはハンクさん。もう退院されたんですか?」
と思ったらいきなり声をかけられた。しかも名前で。声をかけてきたのは、メガネをかけた茶髪の女性……何度か忙しい中廊下ですれ違ったりはしているので顔は覚えているが、会話はしたことがない。名前は……書類で見た記憶はあるが思い出せない。前衛として出ているメンバー以外の名前は興味がなかったからか。
「ええ、まあ。皆さん忙しい中で、一人病院で寝てもいられませんから」
「あれだけの重傷なら、何ヶ月か入院すると思ってたんですけどねえ。あ、別にもっと入院してて欲しかったとか、そういうわけじゃないですよ!? 予想以上に速く退院されたから、ちょっと驚いただけです」
一度も話したことがない初対面同然の相手なのに、よく喋る女だ。こういう相手は少し苦手。
「……ところで、急で悪いんですがちょっと、お腹を見せてもらえませんか?」
「なぜです?」
「傷が治ってもないのに戻ってきてたのなら、もう一度病院に戻ってもらおうと思って。って、そうは見えませんけど一応」
……ここは見せておくべきだろうか。他人から見ればセクハラの現場に捉えられてもおかしくないが、見せずに言葉を並べるよりは見せたほうが手っ取り早い。さっさと八神二佐のところへ行くようにと言われていたし、時間をかけるのはよくないな。
「どうぞ」
特に考えることもなく服の裾を捲り上げて、腹を見せる。
「……全然傷がないですね。すごい重傷だって聞いてたんですけど」
「戻ったらすぐ八神二佐のところへ顔を出すよう言われているので、もう行ってもいいでしょうか」
医者の腕云々とお決まりのセリフを言おうと思ったが、わざわざ説明することもないだろう。話がしたいならついてくればいい。置いていくつもりで歩くが、ついてくるなら話をしながら行こう。
「あ、はい。あと私なんかに敬語は使わなくていいですよ、私のほうが階級下なのに」
私よりも、そっちが上官相手の話し方を学んだほうがいいと思う。というのは、胸の内に入れておく。私は気にしないし、他所の上官相手に同じように話して怒られても、別に私は困らない。
「癖なんですよ。気にしないでください」
隊長室への道を思い出しつつ廊下を進む。それにしても六課の施設は広い。小隊の最初の隊舎がプレハブ小屋だったことを差し引いても、ここの大きさは本当に異常だ。
「そうですかー、さすが地上本部のエリート。態度も違いますね」
「私がエリートなんて、冗談はよしてください」
振り切るつもりで早歩きしているのに全く遅れずついてくるこの女。馴れ馴れしいというかなんというか。こいつも八神はやてがけしかけたのだろうか。悪意の欠片でもあれば遠慮無く振り払えるのに、悪意を全く感じない分たちが悪い。
そして、私がエリートなど馬鹿馬鹿しい話はやめてほしい。私は色々と割り切っているだけの凡人だ。
「謙遜はよしてください。あなたの戦績は見事なものだと思います。12歳で入局し、その後現場で様々な戦果を上げ准尉の階級まで一気に昇格。これをエリートと呼ばずになんと言えばいいんですか?」
様々な戦果って……公表できるような戦果は、テロリストの拠点破壊、犯罪者の殺処分以外それほどないはず。それだけならまだしも、質量兵器ばかり扱っているから、民間にも管理局にもあまり受け入れられないはずだが。
「私はただの兵士です。そこまで優秀じゃありません。命を捨てる覚悟さえあれば、きっと誰でも私と同じ事ができます」
命を簡単にチップにできて、絶対に生き残らなければならない理由を持つ。あとは、生き残るため、任務達成のために手段を選ばない。それさえだけで案外なんでもできるものだ。
ただ、生き残る理由ばかり並べて命を捨てる覚悟があるかどうかわからない奴も居るが。主に私の部下三名。四号はまだよくわからない。言葉を交わす機会があまりなかったからな。今度もう少し話し合ってみるか。
「私の思うただの兵士と、ハンクさんの思うただの兵士は随分と違うような……普通は怖くてそう簡単に命を掛けられません」
「任務のために命を捧げるのが兵士です。そういう人たちは兵士じゃないでしょう」
「あはは……でも、ハンクさんと似たようなことを言ってる子が居ましたよ。能力は優秀なのに、自分は凡人だって」
誰のことだろうか。言ってる「子」という表現からして、年下なのは間違いない。となると新人の内の誰かか……誰だろうか。まあいいか。
「この機動六課って、すっごく優秀な人が多いじゃないですか。だから、自分が小さく見えちゃうんですよ」
「そうですね」
そう思う気持ちもわかる。ここは施設の規模だけじゃなく、保有する戦力も異常だ。そんな中にいきなり放り込まれれば、自分がちっぽけな蟻にでもなった気分を味わうだろう。自信を持っていれば、それも失う。
「優秀な人って、あなたも入ってますよ?」
……何も言うまい。私は優秀じゃない。そう言っても信じてもらえないなら、いっそ勝手に言わせておく方が面倒が少ない。
「海や空の人たちでも手こずっていた立てこもりの魔導師を無力化して。その後非魔導師と部下と共同して戦闘機人を捕獲。戦闘ヘリに乗って多くのガジェットを撃墜。なのはさんと戦って痛み分け」
確かに言われてみれば、中身を見ない限りは非常に優秀に見える。
中身を付け足せば、立てこもりの魔導師を「人質の命を無視して」無力化。部下と共同して戦闘機人を「死にかけながら」捕獲。戦闘ヘリに乗って「魔法を使わずに」多くのガジェットを撃墜。高町なのはと戦って……いや、あれは戦いじゃなくて一方的な蹂躙だな。なんとか立ち向かって、「自分は瀕死、相手は腕の骨一本と肋数本の」痛み分け。身の程をわきまえず働き過ぎとも思える。まあ、あれだけの無茶をして、生き残っているだけ優秀か。
隊長室前についたので、足を止める。
「どこが優秀じゃないっていうんですか? その子が聞いたら泣きますよ」
「これ以上は、また今度にしましょう。目的の場所についたので」
自分に対する評価など、私にとっては無益でくだらない話だ。親しくなるという目的で話すならまた空いている時間にでもゆっくり話すべき。私はあまり話したくないが。
「そうですね。じゃあ、また今度」
さっきと同じくらいの早歩きで去っていく後ろ姿を見て、一息つく。戻って早々妙なのに絡まれて疲れてしまった。そしてこの後また疲れる事になるのだろう、ああ嫌だ嫌だ。はやく裁判の日にならないだろうか。裁判が終わればさっさと死ぬために出撃できるのに。
そういう事を考える自分を一度思考の隅に追いやり、仕事用に頭を切り替える。気を引き締め、一度深呼吸をし、服装の乱れがないかチェック。
「ハンク・オズワルド准尉です。入ってもよろしいでしょうか」
「ああ、入ってええで」
「失礼します」
ドアを開き、隊長室へと入る。さて、何を言われるのやら。