開いたドアから中に入る。同時に複数の視線が自分に向く。それを気にせず、まっすぐ八神二佐のデスクの前に歩く。
「退院おめでとう、ハンク君」
「どうもありがとうございます」
極めて事務的な言葉だけをかわす。わざわざ退院祝いを言うためだけに呼び出したわけではないだろう。次の言葉を待つ。
「……」
「……」
……待っているのだが、いつまで待っても何も言わない。そろそろ居心地が悪くなってきた。用事がないわけではないだろうが、いつまでも黙っているのなら訓練場へ直行してもいいだろうか。
「用がないのなら、職務に戻ってもよろしいでしょうか」
「あ~……ちょっと待ち。皆、外に出とってもらえんかな。ハンク君と二人で話がしたいんや」
「わかった。ハンク! はやてに何かしたらただじゃ置かねえからな!!」
「わかりました、何かあったら呼んでください」
あの叫んでいる小さいのは、ヴィータ三尉か。心配しなくても私は何もしない。何かする理由ももうない。嫌がらせを受けた仕返しをするにも、裁判の手回しという大きな借りで相殺されている。
「……さて。今日呼び出したのは、多分予想がついとると思うけど、前の模擬戦についてや」
「賭けは私の負けですね」
「そうやない。私がなのはから頼まれて模擬戦の場を設けたせいで、あんたは危うく死にかけた。私が殺しかけたも同然や。その……ごめんな」
罪悪感からか、こちらを直視せずに顔を背けてつぶやくように謝罪された。が、状況がよく掴めない。
少し整理しよう。あの模擬戦は高町なのはの要望であり、それを受け入れ模擬戦を行った結果、私が瀕死の重傷を負った。そして彼女はその事について責任を感じていると。
「二佐に責任はありません。謝罪は不要です」
どうして責任を感じるのか。今回の件の大本の原因は私に有り、言い方は悪いが実行犯は高町なのは。場を提供しただけの二佐が責任を感じるところなどどこにもない。
「怒ってへん?」
「全く」
「……良かった。これで嫌われとったら、どうしようかと」
「怒ってはいませんが、あなたの事は六課の誰よりも嫌いです」
それでもあの糞野郎どもよりは遥かにマシだが。裁判の件で大きな借りを作ることになったが、貸し借りと個人的な感情はまた別。勝手に経歴を調べられ、復讐を諦めさせられ今までの半生を棒に振り。やっていることは正しくとも、さすがに嫌わずには居られない。
「あ、やっぱり?」
さっきの罪悪感に満ち溢れた表情から一変。いつものよくわからない顔に戻った。さっきまでの言葉や表情は全て演技か、すっかり騙された。中将がこいつのことを雌狸と呼ぶ理由が改めてよくわかった。一個人にしては強力すぎるバックも、この演技力があってこそ獲得できたのか。
もちろんそれだけではないのだろうが。演技力だけでこんな部隊が得られるのなら、私も同じようなバックを得ている。ただ実力、演技力、使用術式、レアスキルだけではなく、他にも何かがあるはずだ。私の持たない何かが。興味はあるが、調べるつもりにはならない。藪をつついて蛇が出たら困る。
「まあ、とりあえず賭けは無し。あれは模擬戦やなかった」
「そうですか」
よく言う。どのみち私が負けることは確定していたのだ、模擬戦はともかく賭けと呼べるものでは無かった。
「で、病み上がりで悪いんやけど。あんたと模擬戦したいゆう子が居るんや……受けてるかどうかは、好きにしてくれてええ」
「……一体誰ですか」
ついこの前模擬戦で死にかけたのに、さして時間もおかずにまた模擬戦をしたいとは思わない。どうしても受けれないというわけではないが、またケガでもして病院に担ぎ込まれたら、診てもらえるかどうか……仕事だから診てはもらえるだろうが、いい顔はされないだろう。あの病院の医師から散々無茶はやめろと言われてる。
「ティアナ・ランスターとスバル・ナカジマ。知っとるやろ? あんたの本気を見たいらしいわ」
「あの二人組ですか……」
なんとなくだが、納得した。以前私の部隊と模擬戦して負け。その後に高町なのはに負けで負け続きだから、私と二対一で勝って自信を取り戻したい。大方そんなところだろう。私はさすがに自分の部下(一名除く)よりは強いが、限定された状況以外では六課最底辺の実力だ。叩き潰すには丁度いい的に見えたのだろう。
「でも、あんたが本気を出す=殺しにかかるわけやし……」
「全力で戦っているのが見たいというのなら、以前の高町一尉との模擬戦が私の全力となります。そのビデオを見せればどうでしょう」
ただし、あの時は殺すつもりが欠片もなかった。というよりも、殺せる気がまったくしなかったというのが正しいか。とりあえず死ぬには早かったから全力で抵抗していただけだが、それでもある意味全力には違いない。
「多分、本気のアンタと戦ってみたいゆうのが本音やと思うわ。せやから、ビデオを見せたところでなぁ……でもまあ、模擬戦はなしやな」
「要件はそれだけでしょうか」
それだけなら、速く訓練場へ行って仕事をさせてもらいたい。ここ一週間ほどまともに仕事をできていない。仕事をせずに給料をもらうのはあまりいい気分がしないものだ。
「もう一つ、最後の要件。前入院しとる時にした質問の答えは?」
……家族にならないか、という質問のことか。
「ちょっと待てよはやて! あたしは認めねえぞ!!」
ドアの外で聞いていたのか、ヴィータ三尉が叫びながら入ってきた。彼女が反対するからではないが、私も提案されたからといって一緒に住むつもりなど全くない。強制でなければずっと一人で居るつもりだ。
「答えは変わりません。お断りします」
「……やっぱりかぁ」
「二佐はなぜ私に気をかけるのです?」
仮に外見が好みの相手であっても、自分を撃った相手に良い感情を抱くものだろうか。普通はないだろう。彼女の頭がおかしい……というのは言いすぎだが、ややズレているところはある。しかし、ある程度まともな相手であることは確かだ。よってその線は除外するとして、一体なぜ私にこうも気をかけるのか。
「あんたの話を聞いとると、車道に突っ込んでいく子犬を見とる気分になるんや」
「私は犬と同じですか」
愉快ではないが不愉快でもない。実に微妙だ。主人の命令に従うというあり方については、まさに犬だ。今までにしてきた仕事からして、獲物を追い込んで食らいつくのは猟「犬」そのものだろう。だが実際に犬と言われて喜べはしない。
「そういう意味じゃ無いんやけど」
「どういう意味かはさておき……私は命令には従います」
要するに、言うことを聞かせたければ命令しろということ。悔しいが、嫌悪を上回るだけの借りもある。それに上司という立場を追加すれば、命令を聞かない訳にはいかない。
「命令はできんな。家族は命令されてなるもんやないやろ」
「私の家族は妹のみ。それ以外には居ません。今も、これからも」
「孤独が好きなんか? ……人間らしゅうないな」
「自分が本当に人間かどうか。私も最近わからなくなっているんですよ」
体の変化に伴ってもう一つ心配事がある。巨大な蛇に足から少しずつ飲み込まれてしまい、食われた分だけ自分が変わってきているような。そんな錯覚がある。
「冗談を……」
「ええ、冗談です。それでは、失礼します」
冗談だと思ってくれるなら、それでいい。結局私の事をあまり理解できていない証拠だ。そんな相手を仮初でも家族と認められるはずがない。
結局、私はずっと一人なのだろう。今も、これからも。