視界に映るのはどこまでも続く海の青と、空の青。海面スレスレを飛んでいるせいで、時々風に飛ばされた波の飛沫が頬を打って不愉快だ。しかしこれ以上の高度になるとレーダーに探知される可能性があるので、面倒ながら高度を上げる訳にはいかない。自分で提案しておきながら少し後悔している真っ最中だ。
「止まって」
ボードの後ろに乗っているディエチの声に従い、ボードに手動ブレーキをかけて徐々に速度を落とし、完全に停止させる。何事かと思い後ろを向くと、ディエチがある一方に視線を固定させていた。私もそちらを向くが、空の青と雲の白。あとは海鳥達だけ。
「管理局のヘリだ。これ以上進んだら多分見つかる」
見えないし音もしないが、ディエチはナンバーズで最も索敵能力が高いという話だ。信用できる。やはり無理やり説得して連れてきて正解だった。しかし、先を越されたとなるとどうするべきか。
「距離と方向は」
「10時の方向に6000。高度は200でこっちに向かってる。相手の探知範囲に入るまで、一分もない。砲撃は射程外でしかも護衛に高町なのはが付いてる……あとデバイスからのものらしい信号が前方800、深度120から発信中」
「どうする。蹴散らすか」
トーレの提案について少しだけ考えてみる。出てくるなら首都航空隊と思っていたのだが、まさか機動六課直々に出てくるとは。ボードに搭載してある対空ミサイルでヘリを狙ったとしても、アレの防御力は桁違いだから撃墜は不可能。高町なのははトーレが引き受けてくれるとしても、護衛が一人だけということはないだろう。新たに出てきた護衛の攻撃を避けながら、ボードに載せている機銃でヘリを落とせるほどの技量はない。
結論、交戦は避けるべき。
「今回の目的は戦闘じゃない。デバイスの回収だ。見つかっても逃げ切ればそれでいい」
「拾える?」
「交戦開始までには無理だな」
防水仕様のインカムを頭につけてからデバイスを起動し、潜水服をイメージしたバリアジャケットを展開する。昔はこれだけで少し疲れが出るほど魔力量が低かったのだが、今では全く何も感じない。蛇の恩恵の一つを今あらためて感じた。
重たい酸素ボンベを背負ってベルトで止め、手首に深度計とコンパスを。足首にダイバーナイフを装着。信号遮断用の箱を持って準備は完了。ボードの上に立ち、海を見る。
「ディエチは相手の探知範囲外までボードを移動させて待機。トーレは私をデバイスの反応のある場所まで運んで、その後は私が浮上するまで上空で待機。交戦の判断は任せるが、私が浮上したらすぐに回収してくれ。あとディエチは合図があるまで絶対に手を出すな」
「わかった」
「まあ、いいが」
ボードの上に降りてきたトーレに正面から抱きかかえられ、そのまま浮き上がり、目標地点まで運ばれる。バリアジャケットのおかげで風圧は全く感じないが、海に映る波からかなりの速度で飛んでいることがわかる。
こうも他人に身体を密着させるのは初めてなので非情に落ち着かないが、相手に敵意はないと自分に言い聞かせて落ち着かせる。しかし、トーレも同じ気分なのだろうか。不自然に顔が赤いし、密着しているせいで心臓の動きもわかる。さっきから心拍数が上がりっぱなしだ。
「顔が赤いし、心拍も増大してる。肩の力を抜け、緊張し過ぎると落とされるぞ」
「大丈夫だ……クソ、誰のせいだと思ってる」
「私のせいだ。しかし、別にこの運び方じゃなくても良かったんだが」
「この方が運びやすいだろう! それよりもう目標地点だ。落とすぞ!」
「感謝する。幸運を」
手を離された直後に蛇を起こしてパラシュートのような形で出して急減速し、速度を落とした状態で着水。ヘリの来るであろう方向を見ると、羽の生えた何かがこちらに飛んでくるのが見えたので、すぐに真っ暗な海中へと身を沈めた。潜りながら蛇を再度変形させて、先端を銛のように尖らせて見えない海の底へと伸ばす。蛇は水の抵抗などありはしないかのように急速に伸び、数秒で伸びが止まった。
『敵接近。交戦する!』
頭の中に直接響く念話を受け、早めに取ってこなければと少しだけ焦りが生まれる。蛇を腕に巻きつけて、何度か引っ張っても抜けないことを確認し、一気に縮める。身体が蛇に引っ張られて暗い水の底へと猛スピードで沈んでいく。
飲み込まれるような黒い海。水の抵抗は大きく、潜るスピードを早めれば早めるほど水流に身体がかき乱され。深みに潜れば潜るほどバリアジャケットの上からでも身体を包む圧迫感が増加していく。だがまだ持つだろう。持ってもらわなければ困る。
そして、しばらく潜り続けそろそろ限界かというところでようやく底が見えた。蛇を縮める速度を落として、あとは慣性に従って海底に降り、地面に足をつける。
「……」
一息ついて海面を見上げるが、まるで夜の空のように真っ黒だった。空と違うのは星があるかないかだが。
『ディエチ。デバイスの位置は』
デバイスの補助を得つつ念話を送る。初めて送るが、うまく相手に伝わっていてくれれば。
『念話使えたんだ。インカム持っていった必要なかったじゃん。デバイスの位置は……少し流されてる。南に60mほど進んで。修正の必要があれば適宜教える』
ちゃんと伝わったようだ。
『了解』
身体を寝かせ、バタ足で海底を這うように泳ぐ。ライトに惹かれるのか時折魚が前を横切っては、私の姿を見て逃げていく。やはり地上を走るのとは訳が違い、進む速度はとても遅い。空戦魔導士ならば水中でもある程度自由に動けるという話は聞くが。やはり陸戦一辺倒の私にはそううまくはいかない。こうやって地道に動くしか無い。
『一人海に潜った!』
『そうか』
トーレからの緊急の念話にそうとだけ答え、泳ぐスピードを上げる。今の私は蛇以外にろくに武器を持っていない。追いつかれればろくな抵抗もできずに捕まるだろう。そう考えるとのんびりはしていられない。
そして、それからディエチの指示に従い泳ぎ続けた……そして、大した障害もなく。潜ったという魔導師に追いつかれることもなく、ようやく目的の物を見つけた。ライトで照らした先には、海底を転がる金色の宝石……だが、見つけたはいいもののある意味では魔導師よりも厄介そうな物と出くわしたので、驚きに一度泳ぎを止めるほど。
それは、とてつもなく大きなサイズの鮫。それが一匹、私と目的の物との間に割り込んできたと思うと、私を餌と認識したのかグルグルと周りを泳ぎ始めた。その鮫がどれだけ大きいかと言うと、口を開けば直立した大人一人が余裕で入りそうな位。あまりの大きさに息を飲む。しかし目的のものが目の前にある以上は引き下がれないし、のんびりしていては潜ったという魔導師に狩られる。
覚悟を決めて、デバイスに向けて蛇を泳がせる。それと同時に鮫がこちらに頭を向けて、その大きな口を開き凶悪な牙をむき出しにして突進してきた。陸上ならいざしらず、水中ではろくな回避行動が取れるはずもなく。ダイバーナイフを抜いて鮫の弱点と言われる鼻先に突き刺すくらいしか抵抗の手段はなかった。
そして、当然そのくらいの攻撃で巨体が止まるはずがなく。バリアジャケットごと突っ込んだ腕を食いちぎられ、さらに巨体による体当たりをまともに受けてしまう。水中といえどその衝撃は凄まじく、胴体を庇った左腕がマッチ棒のように折れるほど。
意識を失わなかったのと、食われたのが体ではなく腕だったこと。そして私が痛みを感じない体質であったのが不幸中の幸いだろう。おかげでパニックにならずに、ショック死もせずに済んだ。ひとまず食いちぎられた腕に蛇を巻き、簡単な止血を行う。目的のものであるデバイスを咥えた蛇を縮めて手繰り寄せる。だが鮫は腕一本では満足していなかったのか、また私の周りをぐるぐると泳ぎ始めた。弱るのを待っているのかまた突っ込んでくる今のところ気配はないので、折れた腕をなんとか動かしてデバイスをさっさと箱に放り込む。それからまたじっと鮫と睨み合う。問題は、こいつが逃してくれるかどうかだ。
『そこの貴様! 動くなよ!』
と、念話が入ると同時に鮫が上を向く。私も眼をこらして見ると、赤色の、明確な敵意を持った誰かが降ってきて、鮫のヒレが一つ切り落とされた。何が起きたのかはよくわからないが、とりあえず逃げるチャンスだというのはわかったので蛇の銛を海底に突き刺す。急な水圧の変化なんて関係ない、さっさと浮き上がらないと死んでしまう。
『トーレ、回収準備。浮上する』
『わかった。無事か?』
『生きてはいる』
蛇を突き刺したまま、一気に伸びろと念じる。グン、と体が持ち上げられ、上方へ……海面に向かって加速する。それに追うように鮫のヒレを切り落とした誰かが急浮上しようとしたのが靄の動きでわかったが、もう一つの巨大な殺意の塊……多分傷つけられて興奮した鮫のものだろう……に飲まれて消えた。まあ、数秒としない内にその塊が消え、中から靄が出てきたが、時間は稼げた。
特に何の妨害も受けること無く、派手に水柱を上げながら水面を突破。重力の重みが全身にかかり、棒のようになった蛇にしがみついてはいられなくなり、海面に体を落として、力を抜いて浮かべる。
「バリアジャケット解除」
水圧に耐える必要がなくなったので、ジャケットを解除してしまう。改めて腕を見ると、二の腕から先が完全になくなっている。その分デバイスの演算に余裕ができたので、今度は止血のためにバインドを使用。蛇ではそれほど締められなかったが、バインドと合わせればよりキツく締めることが出来る。
「……よし」
縛った箇所から血が出るほどにキツく締めると、食いちぎられた断面からは一滴も血が出なくなった。それはバインドの効果があったからなのか、それとも血が出すぎたからなのか。どちらにせよ止血は完了した。あとはトーレに回収してもらうだけだが、そちらが早いか私が殺されるのが早いか。すぐとなりで水柱が上がり、先ほど鮫を殺したであろう誰かの姿が水を振り払って現れた。
その誰かとは、機動六課ライトニング分隊副隊長。シグナム二等空尉。彼女は水面に力なく浮かぶ私を見下ろし、一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに剣を構え私に向かってきた。血が足りずに回転の遅くなった頭でも、一瞬でまずいとわかった。しかし蛇は止血に使っているし、デバイスは防御魔法を使うだけの演算能力がない。箱で防ぐには、壊れてしまったら信号が漏れてアジトの位置を特定されてしまう。結果、肉体を強化して体で直接受けるしかなかった。
自分にできる精一杯の抵抗をしても、それをあざ笑うかのように突き出された剣は筋肉の壁を貫通し、内蔵を切り分けて背から突き抜ける。
「ッ!!」
突き刺さった剣を蛇を巻きつかせて固定し、それ以上動かないようにする。これでは腕を止血した意味が無い。
「やはり貴様か、オズワルド!」
「やはり……と言われても何のことだかな」
腹に突き刺さった剣を片腕で抑えながら返事をする。それにしてもいきなり殺傷設定で剣を突き刺してくるとは恐れいった。この短い間に管理局の方針は変わったのだろうか、それとも単に殺したいほど嫌われているだけか。
おそらくは後者だろう。蛇も使っているし、怒りで理性を失っているか。便利だが、こういう時には短所が目立つ。
「とぼけるな! ヴィータを撃ったのも、テスタロッサを拉致したのも、貴様じゃないのか! でなければなぜここに居るか、説明してみせろ!」
「ただのダイビングっ……」
そう答えると顔を殴られた。殴られた顔は痛くもなんともないのだが、腹に剣が刺さったままで殴られたのがマズかった。腹の中で剣が暴れて出血がひどいことになった。これほど痛覚がなかった事をありがたく思ったことはない、あったらきっとこれほど冷静では居られなかっただろう。そして、この状況で希望を見出すこともできなかっただろう。
「あまり私を怒らせるなよ。私は貴様をいつでも殺せる」
「わかった……わかった」
喉元までせり上がってきた血を、そのまま相手の顔面に吐き出して視界を潰す。そしてすぐにバインドをもう一つ展開して互いを縛り付ける。粗末なバインドで、高ランク魔導師の手にかかればあっという間に解除できるだろうが、解除されたらされたで構わない。意表を突くことだけが目的なのだから。それに彼女が私を本気で殺すつもりならば解除されても逃げないだろうし、そうなれば効果範囲からは逃れられず致命傷でなくともなければ相手に少なからずダメージを与えられる。そうでなければ、私は生き残れるかもしれない。
こうして密着していればこれからする事の威力も完全に伝わるし、おまけに剣も刺さったまま動かないという、一石三鳥の策。投げる石は私の命だが、ひょっとしたら助かる可能性もある。そこは蛇の機嫌にかけるしかないが。
「貴様何を……まさか!」
「私は、管理局が嫌いだ。家族を殺して、私と妹の心を壊してもまだ飽きたらず。さらに私に濡れ衣を着せて、殺そうとするなら」
箱を持ったままの左腕をシグナムの背に回し、囁く。
「お前も道連れだ」
これからやるのはこの前こいつにやった事と同じ。切り札だが、そこまで複雑なものではない。魔力さえあれば誰でも使える単純な方法。魔法とも呼べないような、単純な物。私とシグナムの間に魔力の球を作り、そこに前に使った程度の魔力では目眩まし以上の効果は得られないが、今は抑える必要はないのだから、全開で行く。ひょっとしたらAランクの砲撃魔法を使う位の魔力量はあるかもしれない。しかし確実に殺すならまだ足りないので、さらに魔力を注ぎ込む。それを私とシグナムの間に全て集めながら、トーレに念話を送る。
『爆風で目眩ましする。死ぬかもしれないが、回収頼む』
『馬鹿かお前は!』
馬鹿。そう言われても、それしか方法がないのだからそうするしかない。私はいつもそうだ。今も、昔も、先があればこれからも。
「クソッ、付き合ってられるか!」
注ぎ込んだどす黒い色の魔力。それが私の処理能力の限界を超える前にバインドが解かれ、腹に刺さっていた剣も抜かれて、シグナムが私を蹴り飛ばして離れる。肋の数本は折れたかもしれない。
その直後に球形を保っていた魔力球が崩壊し、内部に込められていた魔力が炸裂。暴力的なまでの魔力が全身を爆圧で叩き潰そうと、ゆっくりと迫ってくる……この感覚はあくまでも危機的状況を目前にして、感覚だけが暴走しているからゆっくりに感じているだけというのはわかるが、それに身体が追いつかないのでなんとも歯がゆい。
体を守るために蛇を盾のように展開しようとするが、全身をかばうには少し間に合いそうにないと、焦ることなく理解する。となれば、どこを守るべきか。
胴体を守るべきか。否、既に背に貫通する傷をつけられており、改めて守る必要はない。
心臓や肺のある胸を守るべきか。否、既に大量出血し、血液を送るポンプの役目などそれほど果たしていない。呼吸も、血液が足りず酸素が全身に行き渡っていない以上意味が無い。
頭部。ここを守らなければまず即死する……今回の目的はデバイスの回収だが、命をかけるほどではない。短い時間でそう判断し、蛇を頭の前に展開しようとしたところで、強烈なGが身体に加わり、意識がブラックアウトした。
当初の予定では、ただ潜ってデバイスを拾うだけの話になる予定でした。しかしただ潜るだけでは面白く無い。さてどうしようと悩んだ結果。ふと友人がやっていたCoDゴーストの海中ステージを思い出し、鮫登場。
シグナムは模擬戦時のなのはさんと同じバーサク状態。
ほんで次回は管理局サイドの予定。