ただ、何もない時間を二人で静かに過ごす。何の感情も感じられない、眠っている愛しい妹の枯れ細った体の収められたカプセルに背を預け、目を閉じて再会の時を待ちわびる。途中で新たにできた理想には届かないが、それでも。それでも待ち望んでいた結果が、もう目の前に迫っている。その瞬間が、どうしようもなく待ち遠しい。
楽しみとも、憧れとも違う。よくわからない感情が沸き上がってくる。これは少なくともマイナスの感情ではない。まるで宙に浮いているかのような、奇妙な浮遊感。心地よい。今しばらくは、これに浸っていたい。
「……家族の団欒も、許してくれないか」
爆発音と共に、知覚範囲に侵入してきた少数の敵意。どうにも私の楽しみの時間には必ずと言っていいほど邪魔が入るようだ。感情の質からして機動六課の人間ではなさそうだが、それでも戦闘機人とガジェットの群れで構成された防衛線を突破したとなると結構な実力者なのだろう。
戦闘機人の能力は確かに素晴らしい。だが、やはりベースが人間である以上は疲労が蓄積し、そこへ親しい者の死が訪れればミスも起こり得るか。
情報を纏める。クアットロとウーノ以外の戦闘機人は外で戦闘中。その二人も今は手が離せない状況。スカリエッティは、戦力としてカウントするのは無理。トーレは死亡。名無しは出せない。施設内の戦闘可能な戦力は、ガジェットとテスタロッサと私のみ。が、テスタロッサは魔力切れからまだ回復しきっていない可能性もある。
一瞬で導き出された答えに、解きほぐされていた意識が戦場へと引き戻され、糸が切れる寸前までピンと張り詰められ、思考が戦闘関連の情報でうめつくされる。
拳銃を抜き、安全装置を外して初弾装填。長年愛用し続けてきた大砲はもう破壊され、こんな頼りない豆鉄砲一つと己の身だけで魔導師と戦わなければならない。正気の沙汰ではない。が、たかが魔導師。たかが管理局。そんな程度のモノ共に、私の人生の邪魔はさせはしない。させてなるものか。
ゆっくりと立ち上がり、一度だけ振り向いて、愛しい最後の家族が入った生体ポットの表面を撫でる。
「ちょっとだけ離れるから。必ず戻ってくる……待っててくれよ。じゃあ、行ってくる」
別れの挨拶を済ませ、そのままドアから出て行く。通路を走り、敵の居る方へと進みながら、スカリエッティに無線をつなげる。
「敵が施設内部に侵入した。迎撃する。隔壁を下ろして時間を稼いでくれ」
『君は働かなくていい。そう言ったはずだが。そんなに私達が信用できないのかね?』
「信用してないわけじゃないが、ウーノとクアットロはゆりかごを空に挙げるための準備をしてるんだろう。私が出る以外に無い」
降りてくる隔壁の隙間を通って、ガジェットが破壊される音が聞こえてくる上のフロアへ進む。幸い、侵入した敵意の数は増えてない。一部隊撃破すれば、少し間が空くだろう。その間に、警備システムの再構築か、防衛線をいよいよ下げるか……最悪投降するか。いや、それは駄目だな。ここまでやってしまえば、投降しても待っているのは処刑台。エリーは治らないし、私は無駄死に。今まで殺してきた人間も無駄死。今までしてきたことの全てが無意味になる。
「強化」
それはとても許せることではない。だからこそ、ここでさらに殺しておく。ガジェットを一体呼び寄せてその背に捕まり、爆発音のする現場へ飛び込む。
動いている感情を数えて、相手の数は三人と判明。少しだけ顔を出して覗けば、近接型の魔導師と判明。無謀とはわかっているが、殺るしかない。ガジェットの動きを少しだけ操作して、全機を一度に突っ込ませて、撃破させる。決して広くはない廊下に爆炎が舞い上がり、視界がほぼ潰された中を、バリアジャケットあるいは騎士甲冑に包まれた魔導師が前進する。
捕まっているガジェットを足場にして空中で飛び上がり、天井に着地。まずは列の一番後ろに居る魔導師を、感情の位置で索敵。真上から跳びかかり、その肩に刃となった腕を叩きつけるように突き刺す。一瞬だけバリアジャケットに阻まれたが、無事貫通。関節を砕き、脇まで刃が通り抜ける。そのまま前へ転がるようにして地面へ着地。同時に、切り落とした腕が地面に落ちる。まずは一人無力化。
残る二人も追撃はせず、一旦煙の中に身を伏せる。
「ッアァ!」
伏せたのは正解。頭の上を大剣が振りぬかれ、その勢いによって生じた気流に煙幕がかき乱される。音は一切立てなかった、というよりもより大きな爆発音でかき消していたが。それを聞き取って反撃に転じられるのは、一体どれほどの力量か。
「一人やられました!」
「慌ててはいけません! 冷静に!」
何度か聞いた覚えのある声。嫌な相手が来たと、内心ため息をつく。元より勝ち目があるとは思っていなかったが、これで完全にゼロになってしまった。
まあ一対一に持ち込めば、時間を稼ぐだけならなんとかなるだろう。こっちは殴られても死なないし、動きは読める。体力が尽きるまで、体が再生できなくなるまで、防御に徹すれば。
間違いなく弱いであろう方へ銃を向け、発砲。徹った感じはしない。即移動。反撃で、煙幕がかき乱される。
やはり銃ではダメか。ならば近接戦闘を仕掛けるしかないだろうが、ベルカ式を相手に正面からの殴り合いでは分が悪い。しかも、二対一となれば尚更。
「大丈夫か!」
「腕が、腕が……!」
だが、そのためにあえて殺さずにおいたのだ。放置すれば出血多量で死ぬ重傷を負った味方を見捨てて、戦闘を続行できるかどうか。おそらく否。最低でも一人は治療か後方への移送のために居なくなる。否でなくとも、こいつは仲間を見捨てた事に何の感情も抱かないほど冷血ではない。
一人相手なら、時間を稼ぐ位はできるだろう。相手の出方を見るために、煙幕の中に伏せる。
「……仕掛けてこないのですか」
相手の出方を伺って数秒。聞きたい言葉が来たので、それに対して返事をしてやる。
「退くか、進むか。選べ」
立ち上がって、煙の中から話しかける。
「やはりあなたでしたか。この状況では、むしろこちらが選択肢を与える側のはずですが。降伏するか、負けて拘束されるか、今なら選ぶ権利を差し上げますよ」
「もう一度聞く。仲間の命を見捨てて前に進むか、仲間の命を助けるために退くか」
「……あなたに抵抗する時間など与えませんよ。あなたを確保し、部下も撤退させます」
なるほど確かに。私をここで捕らえれば、負傷した一人と、私を運ぶ手でもう一人。侵入した三人全員の手を埋めることができる。だが、できればそれは避けるべき。この施設の中に、私以外の戦える戦力はガジェット以外にない。つまりは、私が最終防衛線になるということ。いなくなればその分壁が薄くなり、突破される危険も高まる。それは無しだな。
まあ、会話だけでも十分時間は稼げた。問答無用で殴り倒されていればまた終わっていたかもしれないが、おかげでガジェットの再配置も完了した。
「つまり、こちらの提案には反対ということでいいのか」
「そういう事です。トーマス、あなたは怪我人を連れて下がってください」
「残念だ」
蛇を盾の形で出して、後ろに飛びつつガジェット達に一斉射撃の命令を出す。一瞬遅れで煙の中を一人突っ込んでくるが、あとの二人は爆炎の中に消える。感情も、炎と一緒に散った。おそらく死んだだろう、苦しむ暇もなかったはずだ。
「これで二人死んだ」
猛烈な怒りの感情。元々の素質も相まって、盾を一撃で叩き割る威力の攻撃が恐ろしい精度とスピードで飛んでくる。まるで機関銃のようだ。
だが、正確な分防御もしやすい。相手の狙う場所がわかる私にとって、正確な攻撃というのは捌きやすいものだ。むしろ中途半端な相手で、相手が狙った場所から攻撃がずれるようならやりにくい。
「私の首は、仲間を見捨ててまで取るほどの価値はないぞ」
「っ!」
煽れば煽るほどに、怒りの炎は激しく燃える。その分攻撃も苛烈になる。こちらの強化した腕などまるで砂細工とでも言わんばかりに、一撃で骨を砕かれる。だがその度に新たな腕を生やして防ぎ、元の腕が再生したらまたそれで防ぐ。腕が砕ける痛みというのは実に酷いものだが、最後の家族の為を思えばこの程度どうということはない。
「化物め!」
「何とでも言えばいい」
そうして煽れば、さらに回転数が上がり。さらに腕の本数も増やさざるを得なくなる。腕、というよりも蛇が束になったもので触手と呼ぶほうがふさわしい。そのほうが耐久性も増す。芯がなければ折れることもなく、ただ衝撃を受けてしなるだけ。曲がり、絡みつき、それを引く抜くことでさらに体力の消費を加速させる。
だが、こちらもなかなかキツイものがある。腕を8本まで増やしたのはいいが、頭の処理がなかなか厳しい。普通は無いものをある物として動かしているせいで頭痛がしてきた。
「……っ」
相手も同じくらいで疲労してきたのか、ようやく一端離れて一呼吸置いた。離れたのなら、先程までは自分が巻き込まれるのを恐れて使えなかったガジェットのミサイルが使える。これから攻守は逆転。休む暇など与えずに、ガジェットへ命令して撃ち込ませる。そしてまた広がる爆発と煙。相手の視界を潰し、こちらは音を立てずに移動。しかし相手の位置は感情でわかる。
私を無視して先へと進むか。
ガジェットのミサイルをノーロックで射出、それを蛇で絡めとり、進路上に叩きつけると、たまらないといった様子で飛び出てきた。そこに蛇を投げつけるが、叩き落とされる。
それならばと拳で殴りかかるが、防がれる。しかしそれでいい、腕から蛇をはやして、相手の腕を絡めとる。さらに足から杭のようにした蛇を地面に突き刺して、体を固定。
相手も同じ勝負に乗る気なのか、今度はこちらもバインドをかけられる。
「余程、先へ行かせたくないようですね」
「……まあな」
増やした腕を4本まで一度減らし、一本には銃をもたせ、残る3本は槍の穂先のように先を尖らせて、突き刺す。貫通せず。銃を接射しても、貫通せず。
後ろから放たれた誘導弾を、蛇の触手で叩き落として。
「……」
「……」
お互いに攻撃が通らないことを理解し、しばし睨み合う。
「手折るには勿体無い実力ですね」
「……」
唐突に褒められるが、手は緩めない。
「実戦だけで鍛えられたあなたの実力。無才の人間の到達点と称されるだけはあります。ちゃんとした指導を受ければもっと強くなれると思います」
「スカウトなら別の人間にしろ。私に家族以外の物は必要ない」
「そう言うと思っていました。だからこそ、手折るのが勿体無いと言ったのです!」
デバイスが稼働し、空のカートリッジが地面に落ちる。そして目の前で魔力爆発が起きて、蛇の拘束が引きちぎられ、アンカーも抜けて、体が宙に浮く。不味いと思った時には、既に手遅れ。目に見えるほどの魔力をまとったデバイスが、目の前に迫る。
「乾坤一擲!」
六本の腕全てを重ねて防ぐが、それもあっさりと消し飛び。強烈な魔力の奔流に体を吹き飛ばされる。体全てが痛いなどという次元では語れない感覚に包まれ、意識もとびかける。
まるで弾丸のように体がまっすぐ飛び、そして通路の突き当りにぶち当たって、体の中から風船が弾けるような音がして、血反吐を吐き、ようやく止まる。
意識はあるが、体が動かない。手足も気づけば無い。なら生やせばいい。そうやって、また立ち上がった。
「もう一発!!」
強烈な衝撃と共に、視界の右半分が消滅する。デバイスが当たった所が消えているのがわかってしまった。血が足りない。いやそれ以前の問題。体が命令を効かない。いやそれ以前の問題。命令を出す場所が深刻なダメージを受けている左半身が動かない。右半身だけでは動きようもない。左右のバランスを欠いては、動けるはずがない。
手足はただ痙攣するだけで、感覚は消滅した。ああ、動かない。動けない。動かないと。意識はあるのに。
「……道を踏み外さなければ、剣を交える友となれたかもしれませんね」
ダメだ。彼女をこの前へ進ませては。悲願が、私の妹が助からなくなってしまう。大事な、大事な。私の、僕の、妹。
ここで終わるわけには。
「いか、ない……行かせない」