異世界食堂another またはエル君の異世界食堂メニュー制覇記 作:渋川雅史
笑える物語を目指しますので御贔屓の程を。
「洋食のねこや?」
そもそもの始まりはエルが見つけた扉である。
幻晶甲冑で「魔導噴流推進器」の試験運転ができそうな場所を求めて周りを物色していた彼が森の中にぽつねんと立つそれに近づいてみればそう書いてあったのだ。
もう既に「エルネスティ・エチェバルリア」としての人格を異常なまでの幻晶騎士への執着もろとも確立し、前世の倉田翼としての記憶は思い出すこともなくなりつつある彼の前にいきなり現れた「日本語」。彼は幻晶甲冑から降りると腕組みをして考えこんでしまった。
「うーん……つまりこの扉の中は洋食屋だという事ですか? しかし……」
扉の裏には何もない。
「非常ーにデタラメで常識外れですが、そもそもこれはそういうものなのかもしれません。……一つ開けてみますか……」
色々な意味でデタラメで常識外れの権化は相変わらず自分を棚に上げて行動を起こすのだった。
Menu-X1:カツカレー
チリンチリン……
「いらっしゃいませ!」
「わ!?」
「いらっしゃい。おや、新顔さんだね? ようこそ、異世界食堂へ」
満面の笑顔のウエイトレス――変わった髪飾りを着けている――の出迎えにエルは思わず半歩後退ってしまったが、奥から顔を出した男性の姿にすぐ我に返る。
その人物はそれだけの存在感があった。「コックさん」以外に形容の仕様がない服装の、がっしりとした中年の男性である。素早くその部屋――清掃の行き届いた椅子とテーブルが並び、厨房であろう奥からはいい匂いが流れて来る――を見渡したエルは、ここが紛れもなく「洋食屋」であり、目の前の男性が店主――オーナーである事を理解した。
「は、初めまして! 僕はエルネスティ・エチェバルリアと言います、フレメヴィーラ王国の……」
お辞儀の後の自己紹介を店主は笑いながら掌を突き出して静止した。
「ここでは自己紹介はいらないよ。ここは料理屋で君はお客さん、それで十分だからね。
アレッタさん、お客さんを席にご案内して」
「はい! こちらへどうぞ……すぐレモン水とおしぼりをお持ちします」
「どうも……。あの、異世界食堂って? ここは日本のどこかの『ねこや』っていう洋食屋ですよね?」
「そう、あのドアベルがマジックアイテムでね。7日に一回土曜の日に異世界と繋がって君も入ってきたのと同じ扉がいろいろな所にできるんだそうだ……が……」
新しく来店したお客への定番の説明をしていた店主は、目の前のエルの言葉に奇妙な違和感を覚えて珍しくその説明が途切れる。そしてエルのキラキラと輝く目がその違和感を倍増させる。
「凄い! 凄いです! 僕の世界にも魔法はありますし僕自身使えますけど、異なる世界を繋ぐ『どこでもドア』みたいな魔法は見たことも聞いたこともありません!」
「はあ!? 『どこでもドア』って、なんで君そんなものを知ってるんだ!? ……そういえば最初から店の名前を……君は日本語が読めるのか!?」
あちゃー……驚愕する店主の様子にエルは自分の失敗を悟った。
「童(わらし)よ、そのあたりを詳しく話してもらおうかの?」
どう説明したものかと考えていたエルの背後からいきなり声がかけられた。尊大で威厳があり、それでいてどこか聞き覚えのある女性の声。店主がさらに驚く。
「赤の女王様? ……あの、ビーフシチューはまだ……」
振り向いたエルの前には、確かに女王様がいた。燃える炎のような真っ赤なドレスと髪に、褐色の肌の大柄な美女。だが頭部の角と黄金色の瞳が異形の者であることを如実に示していた。彼女は店主の言葉に鷹揚に頷いた。
「承知しておるぞ店主。そちらはまた後刻もらうとしよう。
だが今は妾はこの童に用があるのだ。またぞろ『白』が妙な者を送り込んできたやもしれぬからな」
ずい! と見下ろされたエルの背筋に戦慄が走った。目の前の女性は陸皇亀(ベヘモス)などとは圧倒的にレベルの違う『何か』である事を全ての感覚が告げていた。
「ここは妾の領域。この店も店主もそこな娘もわが財宝の一員。これに仇為すものはわが名にかけて許さぬ。童よ、おぬしの素性をあらいざらい白状せい」
「は、はいっ!」
エルは完全に気圧されるまま自分の素性――前世と今生をあらいざらい、必死にプレゼンテーションしたのだった。
「……つまり君は日本人で、交通事故で死亡したプログラマー『倉田翼』の記憶と知識を持ったまま『エルネスティ・エチェバルリア』として転生したと?」
「はい……」
エルは店主の唖然とした呟きに相槌を打ったあと女王様に頭を下げた。
「あの女王様、信じていただけるかどうかわかりませんが今申し上げたことは嘘ではありません!」
「なるほどのう」
「は!?」
顔を上げたエルの前には先程とは打って変わって面白そうな表情の女王様がいた。
「道理で魂に妙なゆらぎがあるはずじゃ。得心したわ。店主、今日はビーフシチューができるまで待たせてもらう。
それまでは……そうさな、この店で一番強い酒を瓶ごともらおうかの」
「はい、承知しました」
一番奥のテーブルに座り、コニャックをストレートで飲み始めた赤の女王を眺めて、エルも店主もアレッタも、カウンターにいた常連2人も安堵のため息をついた。
「一時はどうなるかと思いました……あの方はどういう方なんです?」
「赤の魔竜じゃよ」
『ロースカツ』が声を潜めて教えてくれた。
「……竜――ドラゴンですか? ……僕の世界でも最強レベル『超師団級』の魔獣ですよ!?」
「『師団』というのは軍勢の『備』と同じようなものと考えてよいのか?」
『テリヤキ』の古風な表現に少しまごついたが即座に再起動する。
「はい、幻晶騎士約300騎で1個師団です。幻晶騎士というのは・・マスターは『ガ〇ダム』はご存知ですよね?」
「ああ。学生の頃、友人にファンが何人かいてビデオやら話やらで……」
「言うなれば『モビ〇スーツ』が剣と魔法で戦うんです! ……て、マスター以外の方にはわかりませんよね? まあ魔法で騎士が動かす巨大な鎧と考えてください!」
「「「ふーむ……」」」
「へぇ~」
その場の全員が分かったような分からないような微妙な相槌を打ったところで、店主がポン! と手を打った。
「まあ事情も分かった事だし、この話はここまでにしよう。エルネスティ君、注文はどうする?」
明らかに深入りを避けたいらしい店主の言葉に、エルもさすがにこれ以上は必要ないかと見て取る。
「そ、そうですね。メニューを見せてください。それから僕の事は『エル』と呼んでください」
「わかった。東大陸語……じゃなくて平日用のメニューを持ってくるよ。当然日本語で書いてある」
「ありがとうございます!」
ウエイトレスのアレッタさんによると、もう少ししたらカウンターの2人以外の食事の常連さんが、その後はお菓子類の常連さんが、さらにその後はお酒好きの常連さんが来店するとの事だった。
「ランチタイムには少し早い時間帯、という事ですか……ご迷惑を掛けずに済んでよかったです。さて、何を注文しましょうか?」
赤の女王がこの時間から居座っているというのは十分迷惑なのだが、そこまではエルには分からない。うきうきわくわくとメニューを開くエル。
「おおやはり定番のロースカツにメンチカツにコロッケがトップページに! ……いや待て、十数年ぶりの洋食店です、ここはレアメニューを選ぶべきでしょう。フレメヴィーラが完全無欠の内陸国であるからして全くご無沙汰の海産物はどうですかね……エビフライにシーフードフライ盛り合わせ! いいかもしれない!
……いやいや待て待て、ご無沙汰と言えば絶対にあちらでは手に入らない醤油味という手もありますよ! ……テリヤキチキンに豚の生姜焼き! いいですね! 次のページは……
ッ!?」
次のページを開いた瞬間、エルの頭が真っ白になった。すなわちメンチカツもシーフードフライも豚の生姜焼きも全て吹っ飛んだ。
「アレッタさんッ!!」
「はいっ!?」
いきなりの大声にアレッタが飛び上がって振り向いき、エルの『憑かれた』眼光にたたらを踏んで後退る。
「カレーをお願いしますっ! カツカレーでっ!!」
「はいっ! マスター、カツカレーを!」
「了解!」
「そうです、そうですよ! なぜ気が付かなかったのでしょう! レア中のレアであるアレを! 10年以上ご無沙汰のアレを! またアレが食べられるとは……フレメヴィーラ王国に転生したのと同様何処の誰に感謝すればよいのでしょうね。……ふふ、うふふ、うふふふふふふふふふ……」
「あいつ大丈夫なのか?」
「うーむ……」
おそらくキッドやアディでも「引いて」しまうようなエルのあり様である。初対面の「テリヤキ」&「ロースカツ」の頭を「触らぬ神に祟りなし」の言葉がよぎったのだった。
「お待たせいたしました、カツカレーです……」
完全に目がイッてしまっているエルに恐る恐るカツカレーを差し出すアレッタ。
「どうも。……カレーです……本物です……それもカツカレーです……うふふふふふふ……」
すーはーと深呼吸を一回、スプーンを取るとルーとご飯を混ぜて一口――
「!?!?」
カレーである。スパイシーさを優先させた専門店のカレーではなく、ブイヨンのコクを重視した洋食屋のカレーである。
『はっ! いけませんいけません、一口だけで真っ白になるところでした。……次は』
ルーとご飯。その上に切り分けられた、まだ油が爆ぜているアツアツのロースカツ。それらを一緒に口へ――
「……」
言葉が出なかった。エルはそのままカツカレーをかっ食らう! ガツガツガツガツ……
……「三つ子の魂百までも」とは言うが、味覚や嗅覚は過去の記憶にダイレクトに訴えかけて来る。エルの頭に浮かぶのはまさしく走馬燈だった……。
少年時代。家族の食卓に並ぶカレーライス、おかわりは2杯までだった。
青年時代。一人で食べるレトルトカレー、どこか寂しい。
社会人時代。行きつけのカレーショップ、納期に追われる中の同僚とのワーキングランチ。
……倉田翼の人生にはカレーが紛れもなくあった。……そしてあっという間に皿はカラッポになる。肩で荒い息をつくエル。そして彼は叫んだ。
「僕は今! モーレツに感動しているーッ!!!」
「「ワハハハハッ!!」」
左右からの大笑にエルは驚く。待っていた時からカツカレーに集中していたため、両側に客が座っていたことすら気づかなかったのだ。左右を見回して更に腰を抜かさんばかりに驚いた。
左側にはカレーを食している身なりの良い高位の、将官とも見える武人。それでも十分に驚く事ではあったが、右側にはそれを上回る衝撃があった。傍らに巨大な剣を携えた、カツドンの2杯目に取り掛かっている筋骨隆々の獅子の頭を持つ獣人の戦士だ。
「少年、実によい食いっぷりだったぞ! 惚れ惚れしたわい!」
「全くだ! こちらも負けずに食うぞ! カツドンおかわり!」
「は、ははは……」
更に店内を見回したエルは、「異世界食堂」の看板に偽りがないことを思い知った。が、ここで再び我に返った。
『危ない危ない、店の雰囲気に飲まれる処でした。こんな幸運を逃してはいけません。僕が今為すべき事は!』
「あのアレッタさん、ボールペンを貸してもらえませんか?」
「え? ボールペンって……マスター?」
「ああ、レジのところにあるペン立てにあるから持って行ってあげて」
アレッタから受け取ったボールペンでなにやら手持ちのノートに記入しているエルを「カレーライス」が不思議そうに眺める。
「少年、お主何を書いておるのだ?」
「はい、この店のメニューです!」
「何の為に?」
「無論この店のメニューを全て制覇する、その計画の為です!」
エルの宣言に一瞬店内が凍り付いた。その後大爆笑が起きる。 ……それは明らかに嘲笑だった。男性陣のみならず、パフェを食べていた上品そうな少女はくすくすと笑い、プリンを食べていた知的な美人は冷ややかな笑みを浮かべている。
「なにかおかしいでしょうか?」
「ええ」
プリンを食べていた美人が、すいと立ち上がりエルの処までやってきた。
「少年、ここの東大陸語メニューの一部は私が書いた。だから知っている、ここのお菓子を含む品数の多さを」
「それはわかります。しかし僕の場合あくまでも食事のメニューが対象で、お菓子や飲み物やお酒は数に入れていませんから……」
「メニューにあるのが全てじゃないわ。日替わりや裏のメニュー……ここの店の引き出しは底なしよ」
「それに先程のカツカレーの食べっぷりからして、おそらくは早晩君も何かのメニューの虜になるだろう。ここにいる全員のようにね。そうなれば制覇など不可能だ」
「僕もそう思うよ」
トーフステーキを食べている耳の長い女性と、ミートソーススパゲティを前にした商家のご隠居的な恰幅の良い初老の男性、ナポリタンを前にしているその孫であろう青年が実感の籠った言葉でさらに追い打ちをかける。しかし、
「なるほど、正規のメニューをベースにしつつイベントメニューにも臨機応変に対応する必要ありと……参考情報ありがとうございます!」
「プリンアラモード」「トーフステーキ」「ミートソース」「ナポリタン」…」全員全く動じないエルの言動に返す言葉がない。
「まことに面白い童じゃ。何故制覇など目指す、ん?」
奥のテーブルでコニャックを一瓶空にして、ウオッカに取り掛かっている赤の女王の言葉に再び店内が凍り付いたが――
「何をおっしゃいます! 行きつけの店の全メニュー制覇はランチタイム最大の贅沢であり楽しみ! その上で僕も自分自身の一番を見つけて皆さんのような『常連』になりたいのです!」
「あの、そこまで来店してくださったら立派な常連さんだと思いますけど?」
アレッタのごく真っ当なツッコミは再びの大爆笑――明らかに感嘆の――にかき消された。今回は拍手が混じっている。
「いやはや恐れ入った! なあ皆の衆!?」
拍手をしながらの「カレーライス」の言葉に、店内の全員が頷いたのだった。
「面白い! お前のような面白い者に会ったのはここの店主を除けば何百年ぶりかのう? ……じゃが一つだけ警告しておこう。ビーフシチューにだけは手を出すでないぞ! この店のビーフシチューはソース一滴に至るまで妾の獲物故な」
「は、はい分かりました女王様!」
「さて、すっかり長居してしまいました。向こうに帰ってやりかけの仕事を済ませてしまわないと。あの、お勘定をお願いします。
……って日本円じゃなくてこちらのお金でいいんですよね? どのくらいお支払いすれば?」
「大体銀貨一枚が千円、銅貨一枚が百円相当でね。一品料理は銀貨一枚、日替わりは銅貨8枚が目安だよ」
「そ、そんな金額でいいんですか!? なんだか申し訳ないような気がします」
「うちは値引きもぼったくりもしないのが先代――俺のじいさんからの方針でね」
「店主、ちょっと待ってくれ。少年、その銀貨と君の持っているほかの金を見せてくれんかね?」
「あ、はいどうぞ」
エルの質問に穏やかな笑みで答えて銀貨を受け取ろうとした店主だが、「ミートソース」がテーブルにやってきてこれを制した。そしてしげしげとフレメヴィーラの銀貨と銅貨を調べる。
「確かにこれは見たことのない貨幣だ……なるほど、君は私達の知らない国から来たのだね?」
「ミートソース殿がそう言うからには間違いないのでしょうな?」
どことなくエドガーとディートリヒに雰囲気の似た青年『エビフライ』が頷いた。そこへ軽装の鎧姿の女性が割って入る。
「私が量ってみましょうか?」
「そうか、『冒険者』のあんたなら天秤を……よろしく頼むよ」
「任せて!」
『メンチカツ』がポーチから携帯式の天秤を取り出してたちまち組み上げ銀貨を量り始める。ああ銀の含有率を調べてるんだなと納得したエルだったが、彼女の顔色がみるみる変わっていくのを見て不安にかられてしまった。
「あの、もしかして含有率に問題が?」
「大ありよ!なにこの含有率!?王国・公国・帝国、どこの銀貨よりも高いわ!おそらく貨幣の硬さを保つ為にギリギリの混ぜ物しか入ってないわよ!」
「凄いな! 君の国はとても豊かなんだね?」
「そうなんですか?」
ナポリタンの感嘆にエルはきょとんとした。もともと良質の貴金属鉱山が多い事に加えて、幻晶騎士開発の副産物として錬金技術も高度に発展したフレメヴィーラである。金銀銅の採掘、精錬、貨幣鋳造の技術は西方諸国を凌いでいるのだ。
「なるほど、銀銅の含有率で換算すると……銅貨8枚で千円相当か。銅貨はあるかい?」
「えーと、5枚しかありません。……わかりました! 銀貨1枚お渡ししますので次の来店時の精算にしてください!」
「いや、そういうわけにはいかないよ」
店主はエルの是非という申し出に頑として頷かない。結局、次回来店にエルの側が追加支払いするという約束で銅貨5枚を渡して店を出たのだった。
扉を出たエルの背中で、すぅ、と扉が消えた。その有様を見送った後、エルは幻晶甲冑に乗り込んで走る。
『さてどうしましょうか……。洋食屋としては当然ですが1品でお腹いっぱいになるようにメニューを作られているでしょうから、1回に1品が限界です。毎日ならともかく7日……1週間に1回では――
……待て待て、そうです! 1回に複数注文すればいいんです! みんなに対するこれまでのお礼にもなります! 一石二鳥とはまさにこの事ですね!?
さあ、そうと決まれば早速スケジュールの検討です! 忙しくなりますよー!』
笑顔のエルは走る! その笑顔は言わずと知れた『趣味人』のそれだった。アディ、キッド、バトソンが、その時得体のしれない悪寒を感じたかどうかは定かではない……。
さてそんなエルを他所に、閉店後の『ねこや』。まかないを囲む店主とアレッタの会話の中心は、強烈な印象を残したエルだった。
「……マスター、あのエル君の話本当なんでしょうか?」
「ああ間違いないよ。ほら彼がアレッタさんにボールペンを頼んだろう? あれは間違いなく常々使っているものを取ってくれっていう口振りだったからね」
「異世界の人がそんな風に言う訳はないですもんね?」
「そういう事。世界ってのは広いもんだ… …」