異世界食堂another またはエル君の異世界食堂メニュー制覇記   作:渋川雅史

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6#偉い人を連れて行こう 前編

 事の始まりは藍鷹騎士団のノーラがクヌート・ディクスゴード公爵に持ち込んだ報告である。

「…お主…この報告…正気で上げてきたのか!?」

「見たままを報告しております。」

ノーラを絞め殺さんばかりの公爵の剣幕に対し、何の表情もない顔と何の抑揚もない声とは裏腹に困惑しきった彼女が答える。うがーっ!と奇声を上げた後、クヌートは頑丈な執務机にゴン!と額を叩きつけた。そのままピクリとも動かないクヌートの様子に流石に青くなったノーラが人を呼ぼうとした時、クヌートがようやく顔を上げた。

「よい!まだ生きておるわ!」

今なお脳の血管が無事である事自体が疑わしいクヌートはノーラに指示を出す。

「あれの所業の詮索などやるだけ無駄!直接本人に問い質す!ノーラ、すぐライヒアラに走りエルネスティを此処へ呼…いや此処に引っ張ってこいッ!直ちにだ!…セラーティ候の庶子2人もだぞ!候にはわしが直に話す!」

「ハッ!」

 

翌日早々、カンカネンの王城内・高位貴族の執務室区画への通路にエル・キッド・アディの姿があった。

「残念だな~、今日は『ドヨウの日』なのに。」

「仕方がありません、ディクスゴード公爵閣下至急の呼び出しですから。」

「エル君は分かるけど…父さんの呼び出しって何だろうね?」

「さあな…あ、ここだ。じゃあエル、またあとで。」

「エル君頑張ってね。」

「はい、また後で。キッドもアディも頑張ってくださいね?」

 

「あの~公爵閣下、お体の具合は大丈夫ですか?」

「誰のせいだと思っておるかっ!」

既に沸騰寸前のクヌートがエルの余計な一言で爆発した。その噛みつかんばかりの怒声に流石のエルも首を竦める。

「やっぱり僕のせいですか?」

話を振られたノーラが無表情に頷くが、思い当る節がないらしい『はて?』という表情に切れたクヌートが怒りのままにストレートを叩きつける!

「貴様7日ごとにいったい『何処』へ雲隠れしておるっ!きりきり白状せいッ!」

クヌートとノーラにそれぞれ視線を送った後、エルはポンと拳を打った。

「ああ、ノーラさんが報告されたんですね?」

ノーラの頷きを確認したエルはクヌートに満面の笑みと共に向き直り、そしてこう言った

「実は友人達と食事に行っておりました!」

ゴン!クヌートが再び執務卓に額をぶつけ、ノーラが顎が外れんばかりの大口を開けて固まった…

「…き、貴様…貴様というヤツはァーッ!!」

「いやいや落ち着き下さい公爵閣下、全てご説明いたしますので…」

ほとんど発狂寸前のクヌートにエルはあくまでにこやか且つ冷静にプレゼンする、『異世界食堂』を…

 

およそ『常識人』ならば信じるどころか語る人間を狂人扱いして然るべき内容―その異世界にある食堂の『この世界に存在しない』料理がどれほど美味いか、その料理を求めてどんな人々が常連として通って来ているか―を嬉々として語る様に、クヌートは改めて、目の前の一見人畜無害な美少年が、その根っこから、完全に、どうしようもなく狂っている事を戦慄とともに思い知った。そんなクヌートの内面を一顧だにせずエルは執務卓に手を突いてずい!と顔を突き出した後、いきなり頭を下げた。

「申し訳ありません公爵閣下、僕は大事な事を忘れていました!」

「なんだ!?」

引くクヌートへのエルの台詞は以下の通りである。

「公爵閣下やノーラさん他藍鷹騎士団の方々にもさんざんお世話になった件を失念していたとは、なんという失礼!母様に叱られてしまう処でした。又、論より証拠と申します。閣下もノーラさん達も僕の招待を受けていただきたくお願いいたします!」

「…その『異世界食堂』へか?…」

「はい!実は今日が扉の現れる日でした。ですから7日後に××においでください!…そういえばセラーティ候のキッドとアディへの用事もこの件ですよね?侯爵閣下もどうかご一緒にお越しくださるようお伝え下さい!」

「わかった、わかったから顔を近づけるなぁーっ!」

 

そして7日後、エル&キッド&アディは大いに困惑していた。

「えーと…」

「…どうしてステファニア姉様が?…」

「あら、このメンバーをお送りするのに滅多な御者は使えなくてよ。」

「それは分かります…しかしどうして『陛下』まで?…」

「ふっふっふっ…エルネスティよ、まだまだ甘いの?クヌートに指揮を任せているとはいえ藍鷹は元来王室直轄の騎士団、国王への報告ラインは維持されておる。まさかリオタムスが来るわけにもいかぬゆえわしが来たのよ」

腕組みで宣言するのは言わずと知れた先王アンブロシウス陛下である。その表情が『そんな面白そうな所にわしを置いていくとはどういう了見だ?』という本音を如実に伝えていた、クヌートが後ろで頭を抱えているのはいうまでもない。

『エルネスティ様、我らはここで結界を張ります、秘密保持と馬車はお任せください』

「お願いしますノーラさん、藍鷹の方々。お土産を買ってきますので楽しみにしていてくださいね?…では参りましょう、異世界食堂へ!」

『…お気遣いなく』

茂みの中のノーラに答えたエルが、仕切り直しの宣言と共にドアノブに手をかけたのだった

 

Menue X6:さんまの塩焼き&肉の日

 

チリンチリン…

「いらっしゃいませ!洋食のねこやへようこそ。」

「こんにちわアレッタさん。」

「おう銀髪坊主。ん、今日はずいぶん偉そうなメンツを連れて来たんだな?」

「あ、ライオネルさん ガガンポさん。今日はもうお帰りですか?」

「おうよ、あいにくヤボ用があってな!」

「オムレツ、デキタ。ミナ マッテル。」

「そうですか、ではまた7日後に。」

「おう、時間がうまく合えばな!…おいそこの新顔ども、何固まってやがる!?」

「ジャマ、ドケ。」

入るなりライオネル&ガガンポに鉢合わせして固まっていた4名だが、ライオネルの威嚇するような声に真っ先に我に返ったのはアンブロシウスであった、流石である。

「…これは失礼した。道を開けよクヌート。」

「は、はい…」

「父さまもステファニア姉様も…」

「わ、わかった…」

「…え、ええ。」

フレメヴィーラの面々は2人に道を譲った上でアレッタの案内する席に着くと大きく安堵の息をついた。そこへクロを伴った店主がやって来る。

「ようこそいらっしゃいました、当店『洋食のねこや』店主でございます。」

「うむ、世話になる。」

店主の一礼に頷くアンブロシウス、エルが皆を紹介する。

「先ずこちらがフレメヴィーラ先代国王のアンブロシウス・タヴァフォ・フレメヴィーラ陛下、クヌート・ディクスゴード公爵閣下。それからヨアキム・セラーティ侯爵閣下にステファニア・セラーティ嬢…キッドとアディの父上と異母姉妹でもあります。」

ざわ…ヨアキムとステファニアが紹介された時、店内の温度が少し下がった。

「…どうやら私はあまり歓迎されていないらしいな。」

「アーキッド!アデルトルート!」

「よい、二人は間違ったことは言っておらんからな。」

事情は聴いているステファニアがいささかバツ悪げなキッドとアディを問い詰めるが、ヨアキム本人は苦笑いしただけ。そして仕切り直しとばかりにあえてエルが明るい声を出した。

「陛下、注文は任せていただけますか?」

「それは頼むぞ。なにしろこの世界の言葉など読めぬしどんな料理があるのかもわからぬのだからな。」

「はい、マスター メニューをお願いします。」

「ではこれを…お決まりになりましたら声をおかけください。」

メニューをエルに渡してくるりと踵を返して厨房に向かう店主。だがその姿にクヌートが色をなして立ち上がった!

「待て!仮にも一国の先王に対し無礼な!注文が決まるまで待つのが当然であろうが!?」

「申し訳ありませんが厨房は一人で切り盛りしておりまして…そういう訳にはいきませんので。」

「な!?」

「まあ待たれよ公爵殿。これがこの店のルールでしてな。」

平然と答える店主に激昂するクヌートをアルトリウスが窘めた。エルが補足説明を入れる

「こちらはアルトリウスさん―ここではロースカツで通っておられる方です。この店最古参の常連さんですが、あちらの世界では知らぬ者がない魔術師なんです。…なんでも何十年か前、3人の仲間と邪神を滅せられたんだそうで…」

「!?」

クヌートはもとより、アンブロシウスもヨアキムもステファニアも流石に絶句したが、本人のにこやかな表情は動かない。

「なに、昔の事じゃよ。先王陛下と両閣下に申し上げるがここではだれしも一介の客。地位や身分、あちらでの事情を持ち込んでのいざこざはご法度でしてな…それに貴顕はさしてめずらしくありませんぞ。もう10年程前に逝ってしもうたが、わが東大陸3国の一国である『帝国』の皇帝が来ておりました…そちらがその孫であるアーデルハイド嬢、それに西大陸『砂国』の王太子であるシャーリフ殿と異母妹のラナー殿、あちらがワシの不肖の弟子でもある東大陸3国の一国『公国』の公女ヴィクトリア。それにそろそろ光の高司祭や現役の女王陛下が来店する頃合い…おや噂をすれば…」

チリンチリン…紹介されたアーデルハイド・シャリーフ・ラナー・ヴィクトリアが一礼したところで扉が開いて来店したのは…

「いらっしゃいませ女王様。」

「うむ女給よ、今日も国民たちとクレープを馳走になる…おや、新顔がきておるようだが、あれはエルネスティ団長関わりの者か?」

「はい、エルさんの国の先王陛下と公爵様と侯爵様だそうです。」

「ほお…」

完全に固まったヨアヒムとクヌートを無視してティアナがすい、とアンブロシウスの眼前の空中で正対する。

「よく来られた異界の先王よ。私は花の国の女王ティアナ・シルバリオ16世。見知りおかれい。」

「…ご挨拶痛み入る。フレメヴィーラ王国先王アンブロシウス・タヴァフォ・フレメヴィーラと申す。先だって息子に王位を譲った身軽な隠居の身故、このような面白い所へやって来これた次第。」

「か、か、可愛いぃーッ!!」

「でしょうステファニア姉様!」

ティアナとアンブロシウスが挨拶を交わす一方で、フェアリーの群れに感動した変態姉妹ががっしりと手を握り合って感涙にむせんでいたのはご愛敬である。

 

「…もう何が来ても驚かんぞ…」

「…全くですな…」

「二人とも何を言っておる?まだなにも食しておらんのだ。今からそれでは先が思いやられるわ。のうエルネスティよ…エルネスティ?」

もう既に腹いっぱいというクヌートとヨアキムに対し、アンブロシウスはまだ食い足りないという体で笑っているが…ここでメニューに喰い付いているエルの尋常ではない様子に気が付いた。

「すいませんっ!」

『はい』

やって来たのはクロだった、エルは誰も見たことがない取り乱し様でまくし立てる!

「今日の日替わりはこれで間違いありませんねっ!?」

『間違いない』

「なんという幸運!…そうか、もうこちらは秋なんですね?…日替わり8人前!それと陛下と両閣下には清酒をお願いしますッ!」

『了解』

「幸運…か、確かにな…」

アンブロシウスすら声をかけるのがためらわれる程、感動のガッツポーズを決めているエルに向かってタツゴロウが含み笑いと共に突っ込んだ内容は…

「方々は誠に幸運、初めての来店が『肉の日』とは。」

「?」

新顔4名がそれぞれ眼前の既来店者に目で問うが無論分からない、全員の視線がタツゴロウに向く。

「団長殿、定食や一品についている汁を見られい。」

エルが見たのはテリヤキに、メンチカツに、カレーに、エビフライに、共にテーブルに乗っている汁はすべて…

「豚汁!?」

「そういう呼び方もあるのか?そう、とん汁だよ。こちらの暦で毎29日=2(ニ)9(ク)の日のこの店のサービス。みそ汁&スープはすべてとん汁でおかわり自由なのだ!ドヨウの日と肉の日が重なるのは1年に1度あるかないか、われら常連でもめったにお目にかかれぬという日よ!」

「僕は…僕は…僕は今、モーレツに感動していまーすッ!!」

「エ、エルーッ!」

ほとんど失神状態で椅子ごと仰け反るエル、横のバトソンが支えねばそのままひっくり返っていたろう。そして…ぜいぜいと息をつくエルの呼吸が整うのを待っていたアンブロシウスがいささか引きぎみに質問する。

「…その『とん汁』というのは特別なものなのか?」

「それはもう!本来ならそれだけで1品になるという料理-豚肉とたっぷりの野菜を煮込んだ『みそ汁』なのです!それが付く上に食べ放題!幸運です!最上級です!ベストです!」

「…それは楽しみだ、期待してよいのだなエルネスティよ?」

「はい陛下、ご期待ください!」

ふっふっふっふっふっ…すっかり調子を取り戻したアンブロシウスとエルネスティが交わす笑い…当然突っ込めるものなど誰もいなかった。

 

『お待たせいたしました、本日の日替り定食『さんまの塩焼き』と清酒です。』

クロが配膳した眼前の皿、じゅうじゅうと音を立てている尾頭付きさんまにエル以外全員は真っ白になった…

「アーキッド!アデルトルート!これは一体いくらなのだッ!?」

「えーと、その…日替わりだから銅貨7枚…」

「馬鹿を申すなッ!」

「落ち着ついてくださいお父様!」

最初に切れたのは意外にもヨアキムだった、激昂する父親などというものを初めて見る令嬢&庶子二人は完全に引いてしまっている。

「おちついてください侯爵閣下。キッドの言っている事は本当です、僕が保証いたしますから…」

「信じられるかッ!」

見かねたエルが宥めにかかるがヨアキムは止まらない。そのままエルの襟首につかみかかる!…がその時、

「ヒャーッハッハッハァーッ!」×3

けたたましい笑いが響いた。笑っているのは女傭兵・チーズケーキ3人組のヒルダ・アリシア・ラニージャである。明らかな嘲笑にヨアキムの怒りの向きが変わる!

「何がおかしい!?」

「何がおかしいかって?これが笑わずにいられるかってんだ。ええ侯爵さんよ!?」

「本妻のイジメから愛妾の一人も守ってやれねえ甲斐性なしが、さんま一匹でその体たらくかよ?ご立派なお貴族様だぜ!」

「あたしらはしがない傭兵だが、オンナとしちゃあそんな野郎に礼を払ってやる理由はこれっぽっちもないね!」

「ぬ…」

戦場で、あるいは刺客として幾多の死を振りまいてきた魔族の戦士の凄みに加え、痛い所を突かれたヨアキムが言葉につまる。だがそこへ店主が割って入った。

「お三方、そのあたりにしておいてくださいよ。」

「ま、あんたならそう言うと思ってたぜ。」

「人様の事情には立ち入らないのがこの店のルールだよな?」

「それに言うだけ言ったらせいせいしたよ。」

一夫多妻は常連達の世界でも珍しくないとはいえ、正妻と愛妾のトラブルを捌けない『甲斐性なし』が女性陣にとって唾棄すべき存在であるのも又当然の事である。そんな来店女性陣の代弁者となった3人は肩を竦め、アディとキッドにそれぞれニヤリと笑いかけた後自席に戻っていった。

事は一応収まったと見て厨房に戻ろうとした店主。だがステファニアそれを呼び止めた。

「待って下さいご店主!…アーキッドとアデルトルートから聞きましたが『日替わり』というのは普通の料理より銅貨1~2枚は安いとの事…何故こんな大きな海の魚が出せるのですかっ!?」

「ああその件なら簡単です、今すごく安いからですよ。」

「な!?」

ステファニアが、ヨアキムが、クヌートが、アンブロシウスすら店主の返事に絶句した。

「このさんまは旬…一番脂がのった美味いこの時期にこの国へ大群で近づいて来る魚でして、当然大量に水揚げされます。うまくて安い、俺達みたいな商売の人間には実にありがたい食材です。だからこの時期週に2~3回は日替わりに使うんです。

 又エルネスティ君が一緒に頼んだ清酒は俺達の国独特の酒ですがこういう塩焼きとの相性がこの世界一といっていい酒ですからこちらも是非ご一緒にどうぞ。ああそうそうエル君、醤油の件は?」

「はい、それはこれからです!…皆さん、このさんまの塩焼きと横についている白い『大根おろし』には必ずこの『醤油』と、このスダ…果物を絞ってかけて下さい。そして魚肉と大根おろしを共に口に入れるのが最もさんまを美味く食べるやり方です!ほらキッドもアディもバトソンもかけてかけて…」

「お、おう…」

「うん。」

いそいそと自分のみならず、目の前…エルはアンブロシウスの、バトソンはクヌートの、キッドはヨアキムの、アディはステファニアのさんまに醤油をかけ、スダチを絞る…

「…アデルトルート…アーキッド…お前たちはこれを食べたことはあるのか?」

ヨアキムの恐る恐るという体での問い掛けに二人は確信を持った笑顔で答えた

「シーフードフライなら何度も食べたけれど、流石にこれは初めてです。」

「でも大丈夫、エル君の言う通りにすれば間違いありません!」

「…何故そう言い切れるのだ?」

「だってこの店の、あのマスターの作った料理です。不味いワケがない!」

「うん!」

…焼きあがったさんまと醤油の香ばしい匂いとスダチの酸味の香り…さんまの頭の目と新顔4人の目が合った、物言わぬ筈のその口がこう言っているのが聞こえて来るのだ…

『オイデ、オイデ…ワタシハ旨イヨ…』

…恐ろしい沈黙を破ったのはアンブロシウスだった。

「全員覚悟を決めて食せ…食ったら最後おそらく後戻りはできんぞ!」

そのまま身をほぐして大根おろしと共に口へ!

「なんだこれは…こんなに脂の強い魚があるのかッ!?」

脂の乗り切った旬のさんまとそれに一歩も引けを取らない醤油の味、これらを引き締めるスダチと大根おろしの味の衝撃に耐えかねて清酒を口にするアンブロシウス&クヌート&ヨアキム!…結果など言うまでもない。余計な脂を流してそれらの味を何倍にも膨らませる清酒が全員をノックアウトした。未成年達の状況も言わずもがな、エルですら十数年ぶりの味に感涙にむせんでいる。15分も経たずして骨離れの良いさんまは8尾すべて骨と頭を残して跡形もなくなった…

「これが…これが海の…海の魚かぁッ!」

「馬鹿者、泣く奴があるかクヌートよ…よい歳をしてみっともないぞ…」

顔を覆ってオイオイと泣き崩れるクヌートを窘めるアンブロシウスの目からも滂沱の涙が溢れている…

「完敗です、お父様…」

「お前の言う通りだステファニア。…あれがここにいなくて幸いだ、もしこれを食べておれば間違いなく発狂しておろう…我が家では以後2度と海産物を食卓には出させぬ!これに比べればあんなものは…」

「駄目です!」

「それは違います!」

驚いて顔を上げたヨアキムとステファニアの前にあるのは今まで見たことのない強い意志のこもったキッドとアディの表情、そして決意を込めたその声に釘付けになってしまう。

「話した筈です、干し物や燻製が悪いんじゃなくて俺達フレメヴィーラの人間がその扱い方を知らないのが悪いんだって!」

「ここのマスターは本当に凄い人です!私達や母様に干し物を使ったものすごく美味しい料理を出してくれました。だから私達は約束したんです、もう二度と干し物や燻製をけなしたりしないって!」

「…本当にあるの…そんな方法が…?」

半ば呆然としたステファニアの問いにオルター兄妹は強く頷く。

「母様がマスターから基本の方法を教えてもらいました!いずれきっと干し物を使った美味しい料理を作ってくれます!」

「イルマが…か?」

「はい!」×2

アディとキッドの満面の笑みにヨアキムは『そうか』の一言の後がっくりとうなだれてしまった…だがそんな父親に二人は勢いに任せてさらに追い打ちをかけてしまう。

「それに、そこのとん汁にだって干し物と燻製は使われています。」

「…まさか…」

「本当です!ここ独特の海産物の干し物である『コンブ』と燻製の『カツオブシ』…どんなものなのかは流石に分からないけど…が一番ベースの出汁で、これなしにはどんなみそ汁もあり得ないというくらいのものだそうです!」

アディとキッドの説明はクヌートとアンブロシウスの耳にも入っていた。恐ろしい物を見る目でとん汁を眺めていた二人だったが、意を決したアンブロシウスが椀を持ち上げる。

「もはや前進あるのみよクヌート!」

「ええいままよ!」

一噛みすれば崩れる程柔らかく煮あがった豚肉・大根・人参・玉ねぎ・白菜の旨味と甘味、その味を吸い込んだ豆腐・油揚げ・蒟蒻、全ての味を溶かし込んで支える出汁と味噌の味に抗する事ができるものなどこの場に存在しない。あとは清酒と白飯とともにおかわりを重ねて行くだけである…

 

「ご満足いただけましたでしょうか?」

頃合いを見て取って一礼する店主にアンブロシウス(トン汁のおかわり4杯)はやっとの事で口を開いた。

「店主、お主に聞きたい事がある」

「なんでしょう?」

「5日間この世界の者達を客とするのが本来の仕事で、この『異世界食堂』は『趣味』でやっているそうだな?」

「はい。」

質問の意図を量りかねている店主と睨み合っていたアンブロシウスだったが、やがて破顔すると店中に響くほどに呵々大笑した!そしてエルに向き直るとその頭をグシャグシャにかき回す。

「よかったではないかエルネスティ、住む世界も依って立つ世界―料理と幻晶騎士―も違うとは言え同輩がここに居ったぞ!?」

「…はい、光栄です!」

目を輝かせた心からの笑顔でエルが首肯する!笑うアンブロシウスは更に店主に向き直って続けた。

「知っているとは思うがこやつはな、『趣味』で新たな幻晶騎士-我らが世界の中核兵器―を建造してくれる傾奇者よ!こやつの趣味のお陰で回りの人間が、そしてわがフレメヴィーラがどれほど振り回され、右往左往している事やら!…店主、お主も同じだろう?その料理でどれほどの異世界の者の人生をかき回してきた、ん?」

顔は笑っているが目は笑っていないアンブロシウスの問いだが、店主は肩を竦めただけだった。

「さあて、一介の料理人はただ来てくれるお客に美味い料理を出すだけの事ですよ。

…この世界この国に昔、『人をもてなす』って事を芸術に高めた聖人がいましてね、その人が言ったそうです『一期一会』…俺みたいな凡人には生涯届かないだろう境地ですが、客商売をやっている人間が常に思い知らなきゃならない言葉ですわ。」

「…その心は?」

「『人をもてなすのであれば、その人をもてなすのはこのただ一度と思い定めてもてなすべし!明日自分が、あるいはその人が死んだとしても悔いのないまでに!』ですか…」

「…ううむ、これは参ったわ…」

「…この世界の文明は奥が深い…」

「…確かに…」

アンブロシウスもクヌートもヨアキムも納得せざるをえなかった。そんな中エルが店主に歩み寄り一礼する。

「マスター、僕はとても嬉しいです。以前あなたから『趣味』って言葉を聞いた時は正直驚きましたが、今はとても光栄です!趣味に全身全霊を傾ける同好の士として僕を認めて下さいますか?」

店主がエルの背中をポン!と叩く、顔を上げたエルに不敵な笑いと共にサムアップをした。エルも不敵な笑顔でサムアップを返す。

「お互い趣味人は趣味人らしく人生を生きようや?」

「はい!」

「クヌート、ヨアヒム、それに銀鳳の者たちよ、我らはこれからも暴走する趣味人に付き合っていかねばなるまいよ…」

「…」

アンブロシウスの宣言にそれぞれがそれぞれの思いを胸に頷く…頷かざるをえなかったのだった、合掌…。

 

エルたち一行の後ろで異世界食堂の扉が閉じて消える。そこには馬車を守るノーラがいた。

「お疲れ様ですノーラさん、これお土産です。…藍鷹の方々の人数が分からないのでとりあえず3缶買ってきました、皆さんで召し上がって下さいね。」

「…ありがとうございます。」

結構かさばるクッキーアソート大3缶を渡されて目を白黒させるノーラだった。

 

帰りの馬車での一幕は以下の通り。

「ふふふふふ…」

「…陛下ぁ…、何を企んでおいでですかぁ?…」

「なあに、お主に累が及んだりはせんから安心せいクヌート。」

クッキーアソート中缶を抱え、お馴染みのろくでもない悪戯を企んでいるに違いないアンブロシウスの表情に頭を抱えるクヌートであった。

 

カンカネンのセラーティ家別宅での親娘のやりとりは以下の通り。

「なあステファニア、私はアーキッドとアデルトルートにとって良い父親でなかったのは確かだ。だがあの二人の私への態度は…初めて見る…」

「お父様…きっと二人はもうお父様も私も、このセラーティ家も必要としていない…必要としなくなったという事ではないでしょうか?」

「…親は無くとも子は育つ、か…」

「はい…」

 




次回中編、アンブロシウス陛下の悪戯爆発です(^;

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