異世界食堂another またはエル君の異世界食堂メニュー制覇記 作:渋川雅史
そしてその日はやって来た。
「へぇ~、これが異世界への扉か?確かに凄いな。」
「だろ、父ちゃん?」
「作った職人に会ってみてぇな~」
「ホントだね。」
とはテルモネン夫妻。
「…本当に大丈夫なの?」
「大丈夫!マスターも女給のアレッタさんも凄くいい人だし、変わったお客さんもいるけど問題ないわ!」
「みんなマスターの料理に夢中な人ばかりだから、店に入れなくなるような騒ぎを起こす人なんていないよ。」
とはオルター家
「いよいよじゃなセレスティナ、婿殿?」
「一応覚悟は決めております…が…」
「討ち入りですわよ父上、あなた。」
「…母様、できれば杖は…絶対に危険はありませんから!」
「駄目です。」
「…はい、では参りましょう、異世界食堂へ…」
とはエチェバルリア家、エルは半ば観念して扉を開けた。
Menue X6:パーティセット&シーフードクリームシチュー
チリンチリン…
「こんにちわアレッタさん、マスター。」
「いらっしゃいませ!洋食のねこやへようこそ。」
「いらっしゃませ、どうぞ予約席へ」
エルとオルター兄妹とバトソン以外の面々は人外のお客に内心は驚きつつも6テーブルをまとめた『予約席(日本語)』に着いた。そこへ店主が挨拶の口上を述べる。
「この度は、『洋食のねこや』にご来店いただきありがとうございます。お楽しみいただけるよう勤めさせていただきますのでよろしくお願いいたします。」
「お招きありがとうございます。皆を代表してご挨拶させていただきます、私はエルの祖父ラウリ・エチェバルリア、これは娘のセレスティナと婿のマティアス、あちらはイルマタル・オルター夫人とテルモネンご夫妻です」
紹介された面々がそれぞれ店主に会釈し、店主も返礼する。そこへアレッタとクロが料理を運んできた。
「予約のパーティセットでございます、エルネスティ君のご依頼によりシーフードフライをメインとして盛り合わせております。」
期待のニコニコ顔のエル&オルター兄妹&バトソン以外の面々に緊張が走った、綺麗に配膳された料理一つ一つに店主の解説が入る。
「こちらの皿が海産系のフライ、エビ・ホタテ・タラ・サーモン・イカです、タルタルソースでお召し上がり下さい。次がコロッケとクリームコロッケ、ハムカツ、ソースでお召し上がりください。こちらが鳥の唐揚げとフライドポテト、特に何もかける必要はありませんがお好みで塩をおかけください。中央はポテトサラダとナポリタンスパゲティです、パンとライス、みそ汁はおかわり自由ですのでお申し付けください。ではこれよりワインをお注ぎいたしますので…」
「!?お待ちください、それは本当に葡萄酒なのですか!?」
注がれた透明な、それでいて芳醇な香りの紛れもない酒に驚愕する大人全員を代表する形でセレスティナが叫んだが、店主は平然と答えた。
「ああ、そちらには白ワインはないんですね?海産物のフライには赤よりも白が合います。おそらくお国の葡萄酒よりボディが強くて辛いのでフライのどれかを食べた上で一口飲んでみて下さい」
「さあさあおじいさまも父様も母様も、マスターの言う通りにしてみて下さい。アディもキッドもバトソンも勧めて勧めて…最初はやはり王道、エビフライがいいでしょう」
オルター兄妹やバトソンと共にせっせとフライ類にタルタルソース、ウスターソース、トンカツソースをかけていたエルがけしかける。眼前の料理と酒の香りに誘われるままエビフライにフォークを突き刺して口へ…その結果は言うまでもない。
サクサクの衣に包まれ、絶妙の過熱により最適化されたエビの甘さと旨味がタルタルソースと一体となって口の中に広がり、続いて含む白ワインがその味を引き立てつつ一気に洗い流す!後に残るのは白ワインの香りと鮮烈な辛味と一体となったエビフライの旨味!
全員(セレスティナ含む)の目の色が変わった。ホタテ貝の甘味が、タラのほくほく感が、サーモンの濃厚な味が、イカのコリコリとした食感とにじみ出る味が白ワインと絡み合って味覚と思考に激震を喰らわせた。
…その有様を見たエルが心の中でサムアップする『マスター、Good job!』
「…頃合いだな。」
あっという間になくなった海産系フライとワインの瓶、肩で息をしているラウリ・マティアス・セレスティナ・イルマタル・テルモネン夫妻の様子を見て取った店主は特別メニューを予約席へ持っていく。アレッタとクロが配膳している中、向かったのはオルター一家の席である。
「奥様、改めてご挨拶いたします。持ち帰りの品々は楽しんでいただけましたか?」
「は、はい、それはもう!…あのようなものは初めていただきました!」
「…そ、その件についてお話が…」
慌てて頭を下げるイルマタル、その声と様子に我に帰ったセレスティナがこれまた慌てて口を挿もうとするが、店主の語りを遮るだけの勢いがない…
「ここで特別メニューをお出しします。シーフードクリームシチューです。」
「こ、この上海産物なのですか!?」
イルマタルが半分悲鳴を上げるが店主はにっこりと笑って続ける。
「いささか仕掛けがありまして。特に奥様方、それからキッド君とアディさんに食べていただきたいのです。」
「…そこまでおっしゃるのでしたら…」
「仕掛けって…」
「どんなのが?」
イルマタル・アディ・キッドは聞き直すが店主の表情は動かない。暖かく信頼を感じさせるその笑顔に3人はシチューをしげしげと見つめた後スプーンで口に運んだ…
「!?」
「こ…これは…同じエビとホタテ…という貝なのですか!?」
「食感も味も全然違う!?」
「何ですって!?」
セレスティナが3人の言葉にシチューを食べて絶句した、カラン…膝の上の杖が床に落ちる…今回はエルもバトソンも含む全員がストレートを喰らった!エビもホタテも噛むとほろりと崩れ、先程のフライを上回る濃厚な味が口に広がる。その味はシチュー全体に広がっていてほくほくと、あるいは柔らかく煮あがった野菜にも染み入っており…全員すさまじい勢いで食べ続け、あっという間にシチュー皿は空となった。
「お召し上がりいただきありがとうございます」
呆然とする10名に一礼する店主。最初に我に返ったイルマタルが恐る恐る質問する。
「ご亭主…おっしゃっていた『仕掛け』というのは一体?」
「はい、このシチューは乾物、干しエビと干し貝柱を使っています」
「え、え、えええーーっ!?」×2
キッドとアディが完全に腰を抜かした。他の者は声も出ないがエルだけはポンと拳を打った。
「成程、乾物を戻したものですか?これは一本取られました。」
「ご名答。」
エルに笑いかけた店主は穏やかな表情で語った
「キッド君、アディさん、分かってもらえたかな?乾物は決して不味いものじゃないという事が。手順を踏んで戻せば、物によっては生ものより美味くなるんだ。
初めて来店してくれた時エビフライとカキフライを喜んでくれたのは嬉しかったが「干し物や燻製は不味い物」だと君たちが考えていたのがどうにも申し訳なくてね。」
「え、誰にかって?君たちやそちらのイルマタルさんはもちろんだが、そちらの世界とこっちの乾物や燻製を作っている職人さんたちにもだ。およそ『職人』てやつが好き好んで不味い食材を作る訳がない…ああテルモネンさん達もそう思われますか?…それが不味いとしたらそれは調理する人間がその扱いを知らないからだ。そのことをどうしてもわかってもらいたくてこのシチューを食べてもらったんだよ。
燻製についてだが、以前みそ汁を美味しいって言ってくれただろう?あれの出汁は鰹という魚の燻製を乾した鰹節…ほら以前お好み焼きにかけてあったのを食べてくれた…がベースなんだ。俺達の国の料理には乾物と燻製、どちらも不可欠のもの。これを作る事に誇りを持っているであろう職人達の名誉のために二つを嫌わないでくれないだろうか?」
一礼する店主…キッドもアディもイルマタルも言葉が出なかった。ただ胸が熱く涙があふれて来る…そして3人は頷き合った
「分かりましたマスター!」
「あたし達、もう二度と干し物や燻製をけなしたりしません!ね、母様!?」
「ええ…ええ…お願いです、その戻し方を教えていただけませんか!?」
「基本的には簡単です。およそ1日水につけて、その水ごと弱火でゆっくり煮る、柔らかくなったら取り出して冷ます。煮汁は出汁に使います。
そちらの干し物が具体的にどんなものか分かりませんから煮る時間は試していただかなくてはいけませんが。」
「わかりました、いつか必ずやってみます!」
「マスター、あんたは本物の職人だ!」
「その通り!」
テルモネン夫妻が感嘆の声を上げ、ガルドとギレムが呼応する。店主は再び一礼した。
「ご店主。」
ここでセレスティナが声をかけた。エルは止めようとしたが、憑き物が落ちたように穏やかなその表情に口をつぐむ。
「実は私はつい先ほどまで貴方に意見しようと思っていました。」
セレスティナの語るイルマタルの件…店主は少し驚いた表情でこれを聞いた
「そんなことになっていたんですか?」
「ごめんなさいマスター!僕のせいなんです」
店主は深々と頭を下げるエルにやれやれという表情をする
「お母さんの言う通り『過ぎたるは及ばざるがごとし』だな、反省する事だ…
しかし確かに責任の一端は俺にもありそうだ。未成年のお客の持ち帰りは問題が起きる可能性がありと…今後注意しますのでご勘弁下さい。」
「そんな、どうか顔をお上げください。」
イルマタルに再度店主は頭を下げた。下げられたイルマタルの方が恐縮してしまう。
その光景を見たセレスティナが続けた
「先ほどまではあなたが配慮に欠ける傲慢な方ではないかと考えていたのですが、それは私の誤解でした。
でも疑問があります。エルネスティに聞きましたがこの店はこちらではありふれた料理屋だそうですね?しかし私達にすれば驚愕の塊です。何故このような営業を続けておられるのです?それに恐らくこの店の料理は異世界の食に影響を与えずにはおられない筈。そのことをどう考えていらっしゃいますか?」
穏やかだが真剣なセレスティアの問いだが、店主の態度と口調はいつもと変わらない。
「そうですね。この異世界食堂はもう30年続く先代 爺さんの遺産でして、その頃からのお客さんもいますし皆さんのような新しいお客も来てくれます。料理人としては俺の料理を「美味い」と言ってくれるお客さんが来てくれる上に俺自身そのことが嬉しいんですよ。…言ってしまえばこの異世界食堂は俺の『趣味』ですかね…」
…エルがテーブルに突っ伏した…
「どうしたんだエルネスティ?」
「い…いえその…ここでその言葉を聞くとは思ってなかったので…」
マティアスの問いに引きつった笑顔で答えるエルだった。
「異世界の食への影響についてはある意味当然だと思ってますよ。そうだろうシリウス君?ギレムさん?」
話を振られた二人は「来たか!」という顔になった、そしてセレスティアに向いて語り始める…
「ええ、僕達アルフェイド商会は祖父の代からの客ですが、ずっとこの店のパスタソースを学んで商品にして来ました。おかげで多くの利益を得ているのは確かです。」
「おれもこの店の火酒を造ろうとして長年試してきて、最近ようやく人に出せるものができたところでさぁ…まだまだこちらのモノには及ばんがね」
「…あ、あなたはそれでよろしいんですか!?」
心底驚愕したセレスティナに対し店主は肩を竦めて見せた。
「『洋食』てのは海を越えてやってきた料理って意味がありましてね、俺たちの国はもう千年以上も海を越えたいろんな料理を学んで、作って、食って来ました。美味いものは放っておいても広がっていくものです。
だいたいこの店の料理自体はその気になれば家で作れるし、スーパ…惣菜を売っている店に出来合いのものもあるような代物ですよ。そいつを御馳走としてお客を呼ぶのがプロの矜持ってヤツですから、真似をされたところで文句をつける筋合いはないしそのつもりもありませんよ。正直異世界にうちの料理が広まっていくってのは結構痛快だと思ってますがね。」
「…おみそれしましたわ…」
セレスティアが白旗を上げた。フレメヴィーラに異世界のロボット文化を持ち込んでいるメカオタクは内心でガッツポーズをした。更に娘&妻が論破された光景を目の当たりにした父&夫は考えた「この店主恐るべし!」
「…しかしよくここまで海産物を…島国とは聞いておりますがどれほど海が近いのです?」
「それについては、アレを見ていただければ分かっていただけるでしょう…おやクロさん持ってきてくれたのか?ありがとう」
『どういたしまして』
マティアスの問いに店主は店の片隅を指そうとしたが、その意識を読んだクロがソレを持ってきてくれていた、『地球儀』を…
「うわあ地図じゃなくてこれを用意して下さったんですか!?ありがとうございます、手間が省けます!」
「なに、子供の頃買ってもらってそのまま置きっぱなしにしてたのを思い出しただけだよ。」
「父様もおじいさまも母様も見てください、ここがこの店がある国なんですよ…っておじいさまも父様もどうなさいました?」
エルが地球儀上に日本の位置を指さすが、ラウリとマティアスの真っ青な顔色に?となった後自分の失敗を悟った!
「ご、ご店主…これが地図ですとっ!?この球体がっ!?」
「…はい、全世界の陸地と海洋ですが…」
「この世界は全ての大陸と海が分かっているのですかッ!?」
「ええまあ…そうか、確かそちらでは大陸の西半分しか把握しておられないのでしたね?海についてもその先がどうなっているかはご存知ないと…」
ラウリ・マティアス・セレスティナが完全に腰を抜かした。
「ご店主…これらの料理の意味する事が今分かり申した…この世界の文明は我々とはかけ離れて進んでおられる…参りました。」
「全く…」
「本当に…」
「いやいや、こちらの世界には魔法も身の丈10mの巨人兵器もありませんから…まあこの件はここまでにしましょう。どうもキリがなさそうだ。…さて、次の飲み物は何にいたしましょうか?」
「…そうですな、ではあのビールという酒をいただきましょうか」
ラウリが仕切り直しの注文を出す
「承知しました。アレッタさんはジョッキの用意を、クロさんは空瓶とグラスを回収して。」
「はい!」
『わかった』
そして始まる歓談、一部を覗くと…
「家業を継いでくれると思っていたら、こいつ騎士鍛冶士になんぞなりやがって…」
「子供はそういうもんなんだろうねぇ…」
「そういうもんじゃよ。」
「うむうむ…」
グラス片手に語り合うテルモネン夫妻とギレム&ガルドのドワーフ4人。
「『揚げる』のに用いる油はどうやって…」
「油を多く含む「菜種」「紅花」とかの種をゆっくり絞るらしいんですが、詳しい事は…」
セレスティナの問いに答える店主…既にしっかり影響を受けている。
「この『コロッケ』のほくほくしたものはいったい?…」
「あ、それは私がお答えできます。ダンシャクの実…こちらではジャガイモという土の中に埋まっている『芋』という作物の一種で…」
イルマタルの問いに答えるアレッタ…影響その2である。
「うーん、エビや貝は形が分かるし。タラやサーモンって魚の切り身で…でもイカってどんなものなんだろう?」
首をひねるアディにすたすたとクロが近づいて来た、そして…
『これ』
「ひぇーっ!!」
「ほ、本当なのかおい!?」
『そう』
いつの間に書いたのか、伝票用紙の裏に書かれていたのは紛れもなくイカの絵だった。それを見たアディが瞬時に卒倒し、キッドが腰を抜かした!その絵をひょいと見たアルフォンスが少し驚いて呟く
「なんと、イカとはクラーケンの小さいものだったのか!?」
「クラーケンってカレーライスさんの船を沈めた魔獣ですよね?」
「うむ…そうか、あいつは食えるのか…」
「こちらの世界にも巨大なイカはいますが、肉は臭くて食えたものではないそうですよ」
キッドの問いにずれた感慨を持つアルフォンス、ズッコケるキッドに店主の笑いを含んだツッコミが止めを刺したのだった。
「ちょっといいか、銀髪小僧の爺さんと親父さん。」
ここでライオネルが話に入って来た。
「そっちの魔獣ってのはどんなモノなんだ? いやここ10年ばかりは人間や魔族の剣闘士なんぞ相手にならんので、猛獣とか魔獣ばかり相手にしてるんで気になってな。」
「それは…」
流石にその姿に気おされつつマティアスが魔獣のカテゴリーについて説明する。
「へえ~。親父さん、あんたはそいつらとやりあった事は?」
「決闘級なら何度も…」
「銀髪小僧、お前はどうなんだ?」
「はい、師団級を1匹倒しました!」
以前から知っていたアルトリウスとタツゴロウはともかく、アルフォンス・ハインリヒ・サラ・シリウス&ジョナサンは凍り付いた、今回はアーデルハイドのみならずラナーまで卒倒してシャーリフが慌てる、極めつけにヴィクトリアとファルダニア&クリスティアンがスプーン&フォークを取り落したのだった。
「…本当か?」
こちらも愕然としたライオネルの問いにフレメヴィーラ勢は全員頷く。
「…師団級ってのは幻晶騎士ってヤツ300騎でようやく相手になるって代物だろう?」
「はい、僕が相手にしたのは陸皇亀(ベヘモス)でした、全長80m超 全高50m超、全身を強化魔法で覆った巨大な亀です。」
「…そいつは…このなまくらでぶっ叩いてなんとかなる代物じゃなさそうだな…」
「それ以前に闘技場に入るまい?…どうやって仕留めたのだ?」
ライオネルとアルフォンスの問い掛けにエルは平然と『戦術級魔法・大気衝撃吸収で陸皇亀の突進力を殺して頭にとりつき。少し前に目を貫いた剣を通じて電撃魔法を喰らわせて中枢神経を焼き切った、一歩間違えば死んでましたけど』とのたまった。今度はライオネルが腰を抜かす…
「爺さん、親父さん、お袋さん…こいつはとんでもない野郎だな?」
「正直、わが孫ながら『末』どころか『今』が恐ろしいですわい…」
「それはいささか贅沢な悩みでござるな?」
予想もしない処から声がかかった、山国の老武士:デンエモンが立っている。
「祖父殿、ご父君にご母堂、武勇に優れ頭も切れ、今や騎士団長!誠に良き嫡子殿ではござらんか?」
「…い、いや実のところあまりに良すぎて…」
「そこが贅沢というものですぞ。…わが孫に爪の垢を煎じて飲ませたい位じゃて。」
「…お孫さんがどうされたのですか?」
マティアスの問いにデンエモンは大きく嘆息して語った。
「もともとはあのような者ではなかった…頑健で剣の力量も同年輩の中で抜きんでており、元服後の初陣では一番手柄を立て、これでわが家も安泰と思っておったのです。
ところが何を思ったか剣の鍛錬そっちのけで書物…特に医学書にふけり、あまつさえ家督は弟に譲り自らは医学の道に入りたいなどと言い出しましてな!当主の息子ともども困り果てている次第なのでござるよ…」
セレスティナ・ラウリ・マティアスは少し顔を見合わせた、そしてラウリが口を開く。
「デンエモン殿でしたな?はばかりながら我らは教育者の家系でわしも婿殿も教職の端くれ、娘も元は教師でしてな。そこから言わせていただければ孫殿がそうなったのには何かがあった筈ですぞ、その方の人生感を変えるような何かが…お心当たりはありませぬか?」
「…確かあれが変わったのは、あの籠城戦の後でしたか。
魔物討伐軍に加わった際、予期せぬ大群に遭遇。血路を開いて近くの山城に立て籠もったものの後詰が来援するまでの5日間激戦が行われ、多くの同期や年齢の近い者が討ち死にしたのです…
しかし武士たるものにとってそれは直面して然るべき事、あれがそれで怖気づいたとは信じられませぬ…」
「だがその時に何かがあった筈です、何か聞いておられませんか?」
「変わった事と言えば、ある年長者の介錯を務めたそうですが…」
「介錯…とは?」
マティアスの問いにデンエモンは平然と答えた
「深手を負い、もはや手の施しようがない者にとどめを刺してしんぜるのですよ。」
「な!?」
「あ、いや誤解されるな。これはあくまでも介錯を受ける者の頼みがあって行われるものでしてな、文字通り己の命を委ねるのですからよほど信のおける相手でなくては頼めませぬ。そして頼まれる者にとってもそこまで信を受ける事はこの上ない名誉なのでござるよ。
その者は1歳年長であったがあれが剣でどうしても勝てなかった相手で、いつか打ち負かす事を目指して日々鍛錬を怠らなかったのです。その者もあれのその心根を感じておったがゆえに介錯を頼んだのでしょう。ご両親も遺髪をあれが届けた際『お主の介錯を受けたのは息子の最後の幸福であった』と言って下さったのですから…」
マティアスは暫く考えた後、デンエモンに向けて口を開いた。
「今から申し上げるのはあくまで私の推論であることを御承知の上お聞きください。」
「承知した」
「もしかしてお孫さんが介錯をした方は助かる可能性があったのではないでしょうか?…いや異論がおありでしょうが最後までお聞きください…いかに名誉な事とはいえそのような方の命を絶ったことはお孫さんにとって衝撃であったはずです。悩み思うところがあって医学書を読んでそう考えられた。己に知恵があればその方を助けられたとの自責から医学を志された…私は剣技教官ゆえ剣を振るう方の心と思いを推し量った上での推論です。」
「ううむ…」
デンエモンもこれまでの孫の反応に思うところがあったのか考え込んでしまう。と、そこで『パンッ!』と甲高い音がした。見ればドウシュンが扇子で手を打っている。
「命にもののあわれを感じられるとは、孫殿は山国には珍しいよき方でありますなあ!」
「ふん、お主に褒められてもな!」
「いやいや、このドウシュン感嘆いたしましたぞ。いかがです、その方私に預けて下さいませぬか?ご存知の通り医術ならわが海国が山国より上。それに役目上よき医者なら何人も知っております故…」
「…何を企んで居る?」
「正直、海国としても後背の山国とのツテを増やしたいという意が一部にありましてな、渡りに船というわけでございますよ。」
「ほほほほ」と笑いながら語るドウシュンを見たデンエモンとソウエモンは彼の意図はそれだけではないのは察していたが、あえて問わなかった。山国としても海国と何らかのツテをつけるのは悪い話ではない。
「考えておこう。」
「よろしくお願い申し上げます」
この留学の縁による山国と海国の細々とした医学交流がやがて太い流れとなり、2国の関係改善…和親協定が成立するのはこれよりおよそ100年後の事である。
その後コロッケ・クリームコロッケ・ハムカツ・鳥唐揚げ・フライドポテトを肴にビールを心行くまで楽しみ、フレメヴィーラにはない『麺』とトマトの味をしっかり堪能した10名が異世界食堂を後にしたのはそれから1時間後の事であった。
数日後、ラウリにセレスティナとイルマタルが改まって頼んだのはライヒアラ学園への復学である、学部は農業学部であった。
…多くの協力者と共に二人がフレメヴィーラ中の種子という種子を調べ上げて大麦畑の畔に生える雑草が最も多くの油を含んでいる事を突き止めるのが8年後、家政学科や鍛冶学科と協力して効率的に油を搾る方法を見出すのが更に5年後である
『ナタネ』と名付けられたその作物の栽培が大規模に行われてセットルンド大陸全体で油が大量に生産され、『揚げる』という調理法が普及するには更に10年の歳月が必要となるがこれは余談である。
ミイラ取りがミイラになったセレスティナさんでした。
次回6話は「偉い人を連れて行こう」です、何故そして誰が行くのかはお楽しみに