①
一面に広がった菜の花畑の真ん中に立ち、黄色のさざ波に埋もれていた。
春草の香りに混じって風が油と鉄の匂いを運ぶ。
二郎は裾に纏わり付いた葉を払い、眼鏡越しの潤んだ瞳で土手の先を見詰めた。
恋い焦がれたゾイドは蒼天を背負ってやって来た。爪先立ちで道の果てを探ったが、近視と乱視が入り交じった視力では鋼鉄の猛牛の影を捉えるにも覚束ない。目を細め眼鏡を前後させたが陽炎に揺れる機体の輪郭が浮かび上がるまでかなりの時間を費やした。
ディバイソンの牽くトレーラーに搭載された「狂戦士」の異名を持つ灰白色のゾイドは、敷設された作業所専用道路を静かに横切っていく。
装甲の下からは覆い隠せない獰猛な本能が零れる。間近に見るバーサークフューラーの感触は新鮮であった。
「良いゾイドだ」
技師として抑えきれない歓喜と興奮を覚えながらも、徹夜作業で雑魚寝する事務所のリノリウムの床の冷たさを思い出し肩をすくめる。
トレーラーの履帯に踏まれた轍から、草の匂いが漂っていた。
2104年。遠く暗黒大陸よりアンダー海、エウロペ大陸、ゼロス海を経由して東方大陸南部の工業市ノヴァヤゼムリャにバーサークフューラーが到着した。譲渡計画は早々に立案されていたが、アイゼンドラグーンの電撃侵攻により共和国首都ヘリックシティーが陥落。三軍の長にして元首である大統領ルイーズ・エレナ・キャムフォードは生死不明となり行政組織もズタズタに寸断され、ヘリック共和国残存部隊が東方大陸に臨時政府を樹立させるまで計画は長く宙に浮いてしまっていたのだ。
東方大陸北端のロングケープに臨時政府を樹立したヘリック共和国残存部隊は脱出したR・B・ウッドワード少将を臨時大統領に就任させ、そこを反抗拠点としてゲリラ戦を展開し、同時にジャミングウェーブを放つ仇敵ダークスパイナーを撃ち破る新型ゾイド開発に着手する。時間も資金も限られる共和国軍技術者にとって惑星の反対側から齎された「狂戦士」は設計者の負担を軽減する何よりの僥倖であった。
「機体コンセプトはライガーゼロと同じだが、拡張性を犠牲にしても荷電粒子砲の搭載に拘ったわけか」
広大な空間を持つ切妻様式の木造家屋の内部に、裏面に番号が書かれ取り外された装甲が床に整然と並べられている。仮設研究施設として利用されていた嘗て巨大な偶像を祀っていた神殿は、素体となったバーサークフューラーが潜むにはひどく場違いに見えた。
高所作業車を兼ねたザットンが素体上部に作業員を乗せるため気忙しく移動し、屋外では移送を終えたディバイソンが四肢を折り身体を休める長閑な姿がある。そこに勤務する誰もが戦場で鹵獲した機体と異なり一切の損傷のないバーサークフューラーを扱えることに興奮気味であった。
「ライガーゼロのチェンジングアーマーシステムを応用すれば構造解析は容易だろう。これで共和国軍仕様バーサークフューラーの量産も可能となったわけだな」
「ネフスキー所長のお考えは企業として手堅い選択だと思います。しかし折角手に入れた貴重な素材です。我々は我々の手で、新たなコンセプトでの機体開発に挑みたいのです」
「できるのか」
「できます」
ネフスキーと呼ばれた男性は、二郎の自信に満ちた言葉に口許を弛める。互いに首から提げた社員証には『ZOITEC』の社名が記されていた。
東方大陸は、地球より飛来した宇宙移民船グローバリーⅢ世号乗員のなかで漢字を使用する住民グループがコロニーを建設し中央大陸とは異なった文化圏を形成した地域である。温暖な気候の東方大陸にはベルグマンの法則に従いゴジュラスを筆頭とする固有種の大型ゾイド類が棲息せず、代わって棲息したのがブロックス群であった。
惑星大異変によって個体数を大幅に減らしたゾイドはごく限られた種のみしか生き延びる事ができなかった。その後中央大陸では古代ゾイド文明のオーガノイドシステムを利用し様々な戦闘ゾイドの繁殖を行ったが、対して東方大陸ではコアブロックスシステムによるゾイドの大量生産を行っていた。
コアブロックス開発を担ったのが東方大陸のコングロマリット、ゾイテック(=ZOITEC Industory)社である。小型農作業用ゾイド開発より発足した民間企業だが、やがて中央大陸技術を一部導入し東方大陸でのゾイド市場を独占、次々と他業種を併呑し巨大企業に成長していく。基幹産業となるゾイド開発では進化のボトルネック効果により多様性を失った種を様々な作業状況に適応させる人為的な遺伝因子操作を行い、結果として生み出されたのがコアブロックスによるチェンジマイズシステムであった。
ブロックスの開発にはゾイドに精通する技能と感性が必須であり机上で得られる知識に加え土着の種族ごとの経験も重視され、ゾイテックは技術者採用に際し幅広い人材確保を実施している。
今回のプロジェクト主任を務める二郎は惑星大異変以降に生まれたいわゆる新世代の青年技師で、彼の名前の由来は遠い昔の地球で優秀な兵器を生み出した技術者にちなんだと父より聞かされていた。そんな父の影響もあり二郎はゾイドに執心する少年時代を過ごし、基礎的なゾイド技術を地元の教育機関で学んだ後により高度なゾイド開発に携わる目標を持って東方大陸ミドルタウンに本社のあるゾイテックに職を求めた。
ゾイテックの企業理念と彼の適性が合致し、めきめきと頭角を顕した二郎は入社後僅かにしてこのヘリック・ガイロスの技術が融合させるゾイド開発主任に異例の抜擢をされる。共和国の勝利のみならず、社運を賭けたプロジェクトを任された状況に身が引き締まる。バーサークフューラーの周囲を二回りしただけで、二郎のなかでの開発の概略は固まっていた。
――バスタークローと集束荷電粒子砲を〈矛〉とすると、共和国側の開発方針は〈盾〉となる装備を選択すべきだろう。攻撃に特化した機体であればこのままバーサークフューラーをライセンス生産すれば済む事だが、既にこの機体がネオゼネバス帝国の侵攻を食い止められなかったという結果が出てしまっている。そのためにも〈盾〉となる装備として新型CAS開発や互換性を捨てた機体特性を最優先にする改良など、抽象的でも構わずに様々な発想を募りたい。
「量産体制確立まで最低一ヶ月、先行試作機の戦線投入による生産ラインの微調整にまた一ヶ月。初期生産版として五機を製造するのに二ヶ月、プロトタイプ一機を生産するのに更に二ヶ月、最終設計図のクリーンアップに二週間。となれば新機体設計のための猶予は二週間程度しか与えられない」
ネフスキーが背後から二郎の考えを見透かしたかのように告げる。
「三日間を期限とします。それまでこの機体を徹底的に調べます。
全員調査を開始してください」
二郎の合図を待ちかねていたと言わんばかりに、作業服姿の所員が機体にわらわらと群がった。
神殿の内部で技術者に囲まれるバーサークフューラーを見上げる二郎の脳裏に頻りとそよ風になびく菜の花の光景が浮かんでいた。
「お前は『狂戦士』を超える輝きに満ちたゾイドになるに違いない。それを僕たちが叶えるんだ」
骨格を思わせる剥き出しのフレームに朧気な輪郭がオーバーラップする。二郎の視界にはまだ見ぬ機体の完成図が浮かんでいた。
西方大陸エウロペに棲息するライガー野生体をベースに機獣化したものがライガーゼロということはよく知られている。同様にバーサークフューラーも野生体の本能を色濃く残して製造されたゾイドと称されているが、実際のところバーサークフューラーに野生体は存在しなかった。デスザウラー復活計画の副産物として生み出されたゾイドがジェノザウラーでその発展形がバーサークフューラーである以上説明は不要であろう。
ガイロス帝国が最新型ゾイドをヘリック共和国に供与した背景には、仮に共和国がバーサークフューラーをベースに強力なゾイドを完成させても素体の供給はガイロス帝国に依存し続けなければならず、開発した新型ゾイドがガイロス帝国にとって脅威となれば供給を停止できるからである。そして共和国側も上記のくびきを理解した上でバーサークフューラーの取得を望んだ。両国の思惑が一致した結果今回の技術提供となっていたのだ。
主任として機体開発全般を取り仕切っている二郎が、純然たる設計士として製図台に向かえるのは毎晩夕刻を回るころであった。バーサークフューラー分析の興奮冷めやらぬまま製図ペンを握ると頭脳は冴え、次々と引かれる直線が形を成していく。床に消しゴムかすが積もり期日が迫り窓の外が白んで来る頃、「狂戦士」とは大きく異なるゾイドの図面が描かれていた。三日を過ぎた最終日前夜、二郎は敷かれたままの事務所の布団に俯せとなって微睡むとリノリウムの固さも気にせず瞬時に深い眠りに落ちていた。
夢を見たが忘れてしまった。
窓の外で囀る鳥の声で目覚め、夜食に差し入れられた冷えた握り飯を頬張り軽く身なりを整え数時間前に居た神殿に向かう。新機体の剥き出しの図面を両手に抱えガラス窓の向こう側に咲き誇る菜の花の海を眺めた。
郷土は戦火に晒されることなく穏やかな風景を保っている。二郎は黄色い花のさざ波に浮かぶ切妻様式の神殿に既視感を覚え、それが未明に見た夢の風景であることに気付いた。紺碧の海を越えた中央大陸ではこの瞬間にも血みどろの激戦が繰り広げられており、前線から戦闘ゾイドの性能向上を求める悲痛な要求が日々技術部に届いている。
ヘリック共和国は二郎にとって縁のない異郷に過ぎず、身を削ってまで作業に勤しむ義理など無いはずだった。
設計者としての誇りが、動機の全てであった。
暗黒大陸ヴァルハラで初代皇帝プロイツェン・ムーロアと共に熟練操縦者の多くを失ったネオゼネバス帝国はコアブロックスシステムの有効性にいち早く着目し非戦闘用に製造されていたブロックスゾイドの生産ラインを強引に改変させた。初期には安価に投入できる兵器として大量に生産し、後にキメラブロックスの開発をゾイテック社に強制した。
東方大陸に強力な国家が存在しなかったことも災いした。歴史的に見て国家体制確立には常に自然環境の厳しさが関わっている。温暖な気候に恵まれた中央大陸東岸地域には民主主義を標榜するヘリック共和国が成立し、大陸西岸の年間通して寒冷で日照時間の少ない地域には旧ゼネバス帝国が建国されている。更に北極圏を含む雪と氷と闇に閉ざされた暗黒大陸にはガイロス帝国が成立した。つまり温暖な東方大陸には緩やかな部族連合程度しか成立しておらず、侵攻してきたネオゼネバス帝国からゾイテック社を守る常備軍など無かったのだ。
ネオゼネバス帝国のゾイテック社への恫喝により已む無く二郎はシェルカーンという不格好なブロックスを設計させられた。汎用性が高く無人ゾイドとしても運用しやすいこのキメラブロックスはネオゼネバス軍によって制式採用され戦場に大量投入された。圧倒的な兵力不足を補うため第二代皇帝ヴォルフの採った軍事政策の一端だったが、ネオゼネバス帝国臣民の権利と生命を最優先させた結果は思わぬところで歪みとなり噴出したのである。
二郎にとって意に沿わぬゾイドを製造させられた屈辱は拭い難かった。誇りを持ってゾイドに取り組んできた彼のキャリアを捻じ曲げられ全否定された悔しさは、企業として今後一切の帝国への協力の拒否と、個人としての帝国への強い反抗心として燃え上がる。もはや感情的にもネオゼネバス帝国を許せなくなったのだ。
社の承認を得た上で、二郎は帝国への対抗策として設計開発したブロックス、ウネンラギアをロングケープに駐留する共和国軍に無償提供する。その際共和国側から譲渡されたシールドライガーのデータを元に開発したのがレオブレイズであり、以降共和国軍に社の防衛を委任する傍らで新ゾイド開発の協力体制を成立させた。
ゾイドを愛する者として絶対にネオゼネバス帝国に勝利を与えてはならない、そのためには共和国に協力し一刻も早く精強なゾイドを完成させなければならない。
改造案の描かれた製図を掴む二郎の掌は汗ばんでいた。
いつになく所員の早い出社により神殿は人波に埋まっている。所長のN・ネフスキーが特に留意している『付和雷同』にバツ印と二重の取り消し線の引かれた文言が提げられた壁面を横切り、製図に折り目が付かないよう注意しながら人混みを掻き分ける。プロジェクターの周囲には二郎と同様に寝癖と目脂のついたまま出社しているプレゼンターが四人待機していた。
「これで全員ですか」
「タケオがまだです」の声に二郎は時計を見た。父から譲られた自動巻きの腕時計はコンペティション開始五分前を示している。気鋭の技師であるK・タケオは不必要な時間的余裕を嫌い正確に刻限を守る人物であった。トレース台に広げられた他のコンセプト図を眺めつつ最後に現れるであろう自分より若い設計士がどのようなコンセプトでバーサークフューラーの改造案を作成したのか興味が湧いた。
中央からネフスキーと同時にタケオが入室したことだけ見え、直後にネフスキーが告げた。
「これよりゾイテック社ノヴァヤゼムリャ製作所における所内コンペティションを開始する。
確認するがこれは競合ではなく様々な発想を集約し、より性能を向上させたバーサークフューラーベースのゾイドを建造するためのものだ。発想は自由なのだから各案の中に有効なものがあれば採用する。
では各々のコンセプトの発表を頼む。まずは二郎主任、君からだ」
スクリーンを見上げるタケオの姿を気に留めつつ、二郎はプロジェクターの台上へ設計図を広げる。広げ終える前にタイミングを誤りプロジェクターの強力なライトが点灯した。寝不足の網膜を刺すような刺激が二郎の眼球を襲う。光の幻惑のなか、再び菜の花畑の輝きが浮かび上がった。龍が輝きを纏う。
脳裏に過ぎった閃光のような心象は後に機体命名の由来となる。