尚、それでも性格の改変が起こってしまうのはご愛嬌。
そのような作品ですが、よろしければどうぞ。
「ようやく目を覚ましたか」
目を開いた一夏の目には保健室の天井が映り、耳は自身の親友の声を聞いた。
起きたばかりで未だ回らない頭のまま、声がした方へと目をやれば、そこには秋月照彦が椅子に座ったまま彼の方を見ていた。
文庫本を手に持っていることから、自身が目を覚ますのを待っていたのだろう。
そんな彼に、一夏は言葉を返す。
「ああ、おはよう」
一夏の挨拶を聞いた照彦は「今は夕方だぞ」と呆れたような表情を浮かべて言葉を返す。しかし、彼の表情はすぐに笑みを浮かべたものに変わった。
その表情は、まるで「こいつはこういう奴だったな」と言っているかのようなものであった。一夏としては、少々心外である。
「どうだ、気分は」
そんな表情を浮かべた照彦の言葉に、一瞬だけ考える。困ったことに、一夏が目覚めるまでに見ていたあの夢の内容は、まるで脳に焼き付いているかのように、少し意識しただけでありありと思い出すことができてしまった。
自分ではない自分。彼らが辿った道筋と末路。そんなものを思い出した彼の気分は、最悪としか言えないものだった。
だが、それを他人に言うほど、一夏は弱ってはいない。
自身の状態を目の前の親友に悟られぬよう、すぐに笑顔を浮かべ、口を開く。
「まあ、今まで寝ていたから、気分はいいよ」
「――全く、いきなり倒れたというのにマイペースな奴だ」
一夏の答えに、照彦は苦笑を浮かべて言葉を紡ぎ、椅子から立ち上がった。
現在の自分の状況を見て、彼が何をしようとしているのか、一夏にはわかっていた。
「織斑先生と、後は養護教諭の人を呼んでくる」
それは定められたルールに基づいた行動だ。気絶した人間が目を覚ましたら、すぐに担当の人を呼ぶ。このIS学園の場合は、その生徒が所属しているクラスの担任か副担任と養護教諭を呼ばなくてはならない。呼ぶ人間に指定はないが、大抵の場合は養護教諭が保健室につめているので、養護教諭がクラスの担当に内線電話で伝えて終わりだ。
しかし、放課後になると、養護教諭も会議等に出席する為に保健室を空けるケースが出てくる。その場合は、他の人間が様子を見て、適時対応するということになっており、今回はその役目が照彦であったというだけだ。これがいつも自分の周りにいる専用機持ち達であれば、ちょっとした説教や嫌味を言われていたかもしれない。そういった点では、今回は助かったと一夏は思っていた。
そして、そう思うついでに、彼は保健室を出ようとしている照彦に向けて声をかけた。
「なあ、テル、わかっていると思うけど――」
「あいつらには伝えるな、ということだろ? 大丈夫だ」
そう言って一夏の方を向かず、言わなくてもわかっていると言わんばかりに右手だけを小さく挙げて答えた照彦は保健室から出ていった。
その姿を見届け、一夏は小さくため息を吐いた。彼が照彦に伝えたかったこと――すなわち、自身の現在の状況を専用機持ち達に伝えるなということを、詳しく言わなくてもわかってくれた。
一夏がその願いを頼もうとした理由は二つ。
まず一つ目は、病み上がりである現在の状態で彼女達の相手をするのは、少々辛いからだ。それは単純なバイタリティの問題であり、模擬戦をするにしてもなんにしても、今はただしっかりと調子を整えたいという考えがあるからだ。
照彦も、そこらの事情がわかっていたからこそ、何も言わずに専用機持ち達を呼ぶという選択肢を却下してくれたのだろう。
そして、二つ目。こちらの方が、ある意味で一つ目の理由よりも重要なもので、照彦が全く関知していない理由である。
――それは、
そう考えて、一夏はため息をついた。我ながら、なんと未熟なのだろう。感情一つしっかりと抑えることができないとは、情けない。
そう思いながらも、何故自分の精神状態がこんなことになっているのか、もう一度しっかりと考えてみることにした。
原因は分かりきっていた。それは先ほどまで見ていたあの
だが、それはあくまで表層的な原因に過ぎない。一夏が知らなければならないのは、もっと根幹にあるものだ。それはすなわち、何故その夢を見て現在の状態になってしまったのかという、全体的に見た場合の
それを知るために、一夏はもう一度夢の内容を思い出してみる。
まずは■■■■に救われた。
次は■■■■の前で自ら命を絶った。
その次は■■■■の目の前で
最後に■■■■に看取られた。
簡潔に夢の内容をまとめると、そうなる。ただ、自分ではない自分の存在を加味すると、もう少し内容を細分化することができる。
――救われ、救ったのは“織斑一夏”で、命を絶ち、看取られたのは〈織斑一夏〉だ。
「……結局
そんな自嘲にも近い呟きを口にした一夏だが、それだけで考えを中断はしなかった。胸の内から湧き出てくる苛立ちを抑えながら、もう一度自分ではない織斑一夏に意識を向ける。
救いと死、正反対の
安心と決意、慈愛と執着。心にあったであろう感情も全く違う。
その部分だけを聞けば、夢に出てきた彼らは正反対の人生を歩んだ赤の他人と言うことができてしまう。
――だが、織斑一夏にとっては
その答えに行き着いた瞬間、一夏は癇癪を起こしそうになったが、すんでのところで自制することができた。
知らないのに知っているという事実が、こんなにも心に負担を掛けているということを、この時初めて知った。
――気に入らない。何故だかわからないが、夢の中の二人の自分に対して一夏はそう思い続けていた。
同じ自分のはずなのに、何故ああも違うのか。自分はああなっていないのに、何故ああなる自分を知っているのか。
自分なのに、自分なのに、自分なのに!
自分になくて彼らにあるものは何だ?
何故彼らはあのような感情を抱くに至ったのか?
その答えを、一夏は知らない。
――そこまで考えた一夏は、ふと夢で見た唯一の自分ではない人物のことを思い出した。
名前は――わからない。聞き取れなかった。ただ、どこかで見たことがある、綺麗な
何故そんな女性が自分の夢に出てきたかはわからないが、少なくとも夢の中ではどちらの自分も彼女と関わりがあったのだろう。そう考えた一夏はその部分を中心に、考えを巡らす。
一方の“織斑一夏”はその女性に救われ、もう一方の〈織斑一夏〉はその女性を食事に誘ったのだろう。それだけの情報だけでも、夢の女性は二人の自分と並々ならぬ関係だったことが伺える。
恋人にしては、少々よそよそしかった。だが普通の友人というには、些か近すぎる気がする。ただ夢の自分と夢の彼女が敵同士であったということはないだろう。直感ではあるが、それは自信を持って言える。
では、そんな彼女は何者なのか?
少なくとも、現在の交友関係の中にあのような女性はいない。過去に会ったことのある人物なのか、それとも
そのことを、一夏は考えようとした。
その矢先、保健室のドアがノックされた。
ノックの音を聞いた一夏は肩がはねる程驚いた。そしてその拍子に、今まで思考に沈んでいた意識が現実に引き戻される。
考え事に没頭して周囲のことが見えなくなるのは、悪い癖だ。そう思いながら、一夏は小さくため息をつき、頭を切り替える。反省は後で出来る。今はしっかりと目の前のことを処理しよう。
一夏は今まで考えていたことを頭の隅に追いやり、一度深呼吸をして心を整えた後に、
口を開く
「どうぞ」
そう呼びかけた瞬間、一夏の頭に、一つの疑問が生まれる。
――テルの奴、帰ってくるのが早すぎやしないか?
その疑問について、何か言葉を投げ掛けようと一夏は再び口を開くが、彼の口から言葉が出てくる前に、保健室のドアが開かれてしまった。
「はぁい、元気?」
入ってきたのは、林檎と果物ナイフが乗った皿を右手に持った、気絶する前に出会った女子だった。
女性の鼻歌とともに、小気味のいい音が一夏の耳に聞こえてくる。ちらりと音の方を見てみれば、少し前まで照彦が座っていた椅子に、入ってきた女子が座り、てきぱきと林檎を切り分けて皿に盛り付けていた。
恐らくお見舞いに来たであろう女子は、椅子に座るなり林檎の皮をむき始めたのだ。
こちらから何か話しかけようと思ったが、彼女はどことなく真剣な表情で作業を行っていたので、話しかけるタイミングを逸してしまった。
そのような形で、出鼻をくじかれた一夏は、黙って女子の行動を見守ることにした。重苦しい空気というわけではないが、話しかけづらい。そんな状況だったからだ。
ただそれも、林檎の盛りつけが終われば解消されるだろうと一夏は確信していた。
「はい、できた」
その言葉とともに、一夏の目の前に切り分けられた林檎が乗った皿が差し出された。ご丁寧に、果物用の小さなフォークも添えられていた。
「……ありがとうございます」
そう言って皿を受け取った一夏は、フォークを使って林檎をゆっくりと食べ始めた。
小さく切られたそれを口の中に入れる度、果物特有の爽やかな甘酸っぱさが広がる。
林檎を食べたのはいつ以来だっただろうか――そんな些細なことを、一夏はゆっくりと食べ進めながら思った。
「さて、織斑一夏君」
そうして林檎に舌鼓を打っている一夏に、女子は声を掛ける。
その声に反応するように、一夏は女子の方に顔を向ける。
「なんでしょうか」
そう言って、改めて彼女の姿を確認した。
まず目に付いたのは、外側にはねている水色の髪。そして、どこか悪戯が好きそうな印象を持ってしまう赤色の目。自信ありげな笑みを浮かべているその顔立ちは、可愛さと綺麗さを両立しており、一言で言えば整っている。
そうして今度は制服の方へ目を移し――
「――先輩でしたか」
リボンの色で、一夏はそのことに気がついた。
ほとんど呟くように口から出たその言葉を聞き、女子は笑みを深めた。
「物事を冷静に観察する。それは私から見たら好ましいことだわ」
そう言った彼女は、いつの間にか持っていた扇子を勢いよく開く。開かれた扇子には、でかでかと“見事”と書かれていた。
しかし一夏は、そのようなことを言われても「はあ」という気の抜けた返事しかできなかった。それでも、彼の口から出てきた言葉には、慌てた様子は微塵もなかった。
「それで、貴女がここに来た用件はなんでしょうか」
目の前の女子は、どこか掴みどころがなく、やりづらい雰囲気であるが、こちらのことを小馬鹿にしていないことは、少ない会話の中で理解することができた。その証拠に、
そんな落ち着いた風な一夏の言葉を聞いた女子は、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの笑みを浮かべながら、口を開いた。
「いきなりで悪いのだけれど、あの時の答えを聞きましょうか」
その言葉に、一夏はすぐに彼女が言わんとしていることを察した。
「あなたが誰か、ということでしょうか」
「そうよ」
女子は、一夏の質問に肯定の意を示した。そんな彼女への答えは、既に一夏の頭の中では決まっていた。
「存じ上げません」
そもそも、彼女と一夏の接点は更衣室での出来事だけだ。一夏の交友関係の中に上級生はいないし、今までこの学園で生活していて、彼女の姿を見たことは一度もない。知らない者は知らない、ただそれだけだ。
ただ、その答えを聞いた女子は満足そうに頷き、口を開く。
「じゃあ、
そんな女子の問い掛けに、今度は一夏が頷いた。
「――貴女は誰ですか?」
「私の名は
一夏の問いに、更識楯無は間髪入れずに答えた。
「この学園の生徒会長よ」
そのような彼女の名乗りを聞いてもなお、一夏が驚くことはなかった。しかし更識楯無もまた、彼のその反応が想定の範囲内であると言わんばかりに、言葉を続ける。
「まあ時間も押していることだし、早速本題に入ろうかしら」
再び開かれた扇子にも、彼女の言葉と同じく“本題”と書かれていた。
いつの間にか書かれている文字が変わっている現象については、スルーしておくことにした。
「さて、織斑君――」
そう前置いた更識楯無は、表情を真剣なものに変え、口を開いた。
「――貴方は弱い」
今回苦労したのは地の文です。
一人称と三人称を組み合わせた文をうまく作れる人は本当にすごい。
そんなことを、書きながら思っていました。
そのような作品ですが、感想をお待ちしています。