ちゅんちゅんとスズメの鳴く音が聞こえ、カーテンの隙間から陽が差し込んでくる。
今日の春人は、すぐにでも布団から出れそうだった。時計を見ると朝の9時である。日曜日としては、いつより1時間は起床が早い。
なぜか昨夜は寝つきが悪かった。1時間おきぐらいに目が覚めるのだ。
やることもないので、惰眠を貪ろうと目を閉じてみる。だが、どうにも眠気がやってこない。なんだか子供の頃の遠足前日みたいに、気持ちが高ぶっていた。理由はすぐに思い当たった。
昨日、久しぶりにテニスを1セットやったからだろう。
部屋の隅にあるラケットが、ふと目に付く。昨日まで1年以上放っておかれ、色がくすんでいるように見えた。だが、ナツを助けるために埃を払ってもらい、心なしか機嫌が良さそうな色を取り戻した気がする。
昨日気づいたが、ガットのテンションが少し緩んでいた。そんな状態で使ったら、ラケットが可哀想だ。ガットを張り替えてやらなきゃな。
春人はラケットへ手を伸ばしかけ、ハッと気づいた。
「俺はテニスを辞めたんだっての……」
もう使わないラケットの手入れをしても意味がない。春人はラケットを視界の外へと追いやった。
水を求めてリビングへ向かうと、包丁がまな板の上で踊る軽快な音が聞こえてくる。キッチンには妹がいて、ごはんの準備をしていた。
金山雪乃。うさぎの絵が描かれたエプロンがよく似合っている。肩にかかる髪が料理の邪魔にならないよう、白いシュシュでまとめていた。
「あ、ハル兄さん。おはようございます」
「おはよーさん。御袋はいないみたいだな。今日は仕事だったか?」
壁に掛けられた小さなホワイトボード。家族の予定がそれぞれ書いてある。親父と御袋は仕事、雪乃は友達と遊びに行くようだ。
「そうですね。先程、遅刻しそうだからってパンをくわえながら、走っていかれました。喉に詰まらせないか心配です」
「まあ、大丈夫だろ。気にすんな」
「そうだといいのですけど……。はい、お水です」
キッチンから出てきた雪乃が、ダイニングテーブルにコップを置いてくれる。
「サンキューな」
椅子に腰をかけて、水をゆっくりとすする。コップには氷を1つだけ入れてある。冷たすぎず温すぎず、春人が好む温度の水だった。
「ハル兄さん、朝ごはんはちょっと待ってて貰っても大丈夫ですか?」
「あ~、もちろんだ」
「ありがとうございます。お母さんのお弁当をすぐに作り終えますので。そしたらすぐに朝ごはんの準備をしますね」
ぱたぱたとスリッパを鳴らして、雪乃がキッチンへ戻っていく。
なるほど。今日の御袋は少なくとも、弁当を作れないぐらい寝坊したらしい。つまり雪乃が弁当をつくり、それを届けるという流れになる。
やがて出来上がったスクランブルエッグと食パン、サラダを雪乃がテーブルに並べてくれる。焼いたばかりのパン。その香ばしい匂いが、春人の食欲を刺激する。
「このパン、ずいぶんと美味しいな。どこのメーカーだ?」
かぶりついた瞬間に口の中へ広がっていく深い味わい。あまりの美味しさに、飲み込むのがもったいないほどだ。
「そんなに美味しいですか? 良かったです。作ったかいがありましたっ」
「え……? まさかユキが作ったのか?」
照れ笑いをしながら、こくりと頷く雪乃がいる。
「マジか……。アンパン野郎を大量に製造しているジャムオヤジでも、ビックリするレベルなんじゃね?」
「ありがとうございます。嬉しいです。でも、もっともっと美味しく作れると思うので、次も頑張りますっ」
うちの親父も御袋も仕事があり、家のあれこれをやるのは妹が主だった。それで鍛え上げられた家事スキル。今となっては、金山家で一番家事が上手いのは雪乃だ。行きつけの商店街に荷物持ちとして春人がついていくと、買い物をするたびに「ユキちゃん、オマケだよ。持って行きな」と声を掛けてくれる人も多い。
本当によく出来た妹だった。今すぐに嫁に出しても恥ずかしくないレベルだ。もちろん、そこいらの害虫には、指1本たりとも触れさせはしないが。
「そーいえば、ユキは遊びに行くんだろ?」時刻は9時30分を回るところ。「何時にどこで待ち合わせなんだ? 後片付けはやるから、時間がないなら行ってこいよ」
「ええと11時30分に辻堂駅って約束なので……」
雪乃が携帯電話のメールをチェックする。
辻堂駅か。雪乃はこの後、御袋の職場まで自転車で弁当を届けに行くつもりだろう。それから辻堂駅に向かっても、時間的に余裕がありそうだ。
パンの上にスクランブルエッグを乗せて、春人はもぐもぐと食べる。コーヒーを飲むと、適度な甘みがあって美味かった。
「あああああっ!」
「ぶふっ!」
雪乃の悲鳴に驚いて、コーヒーを吹き出しそうになる。ささやかに開けた小さな唇を、困惑の形にとどめている雪乃。なにやら穏やかじゃない出来事が起きたようだ。
「メールが来てたの気づきませんでした……。11時30分だと思ってたら、10時30分に変更になったみたいです……」
雪乃はあわあわした表情で、時計を確認していた。
御袋の職場まで自転車で往復40分。それから電車に乗って行くとなると、時が止まらない限り完全に間に合わない。
「御袋に弁当を届けるのを諦めるってのはどうだ?」
「だ、ダメですよう。お昼ご飯なかったら、お母さん倒れちゃいますよう」
「そんなにやわじゃないと思うが……。でもまあ、せっかくユキが作ったしなあ」
うぬぬぬと頭を抱えて悩んでしまう。雪乃を間に合わせるには、春人が職場に弁当を届ければいい。だけれども、その職場が問題なのだ。
御袋は STCのコーチをやっている。つまり弁当を届ければ、 STCであれこれお世話になってた三浦コーチに会う可能性もあるわけで。
「ハル兄さん。無理しなくていいです。わたしが届けますから」
任せてください。そう言いたげに雪乃が胸をとんっと叩いた。
雪乃は春人の迷いを汲み取ってくれたのだろう。だけれど、せっかく雪乃が遊びにいこうとしてるのに、すんなりと叶えてあげられないのは兄としてどうなのか。
「いや、俺に任せておけ。ユキは楽しんでこい」
☆ ☆ ☆
雪乃の愛情弁当を持った春人は、 STCの駐輪場に自転車を置いてから、少しだけ重い足取りで室内コートを目指していた。
「おりゃあ」
「宮田さん、ナイスサーブっ」
STCの室外コートで年配の男性らが声を張り上げている。コートの周りをラケットを持ったまま走り回る子供たち。コーチの球出しに合わせて、打ち返す練習をする奥様方もいたりして。
一見、老若男女が趣味でテニスを楽しんでいる光景である。だけど、それは STCの一面に過ぎない。名門南テニスクラブ―― STCにはテニス選手として強くなろうとしている人も、たくさんいる。実際に多くのプロを輩出していることでも有名だ。
11時だと御袋はどこにいるだろうか? コーチの詰所にいれば、あんまり色んな奴に会わずにすむのだが。でもこの時間だと、どう考えても室内コートで指導しているはず。
室内コートの建物入口が見えてきて、足が重くなっていく。
「いや、待てよ……。詰所に弁当をあずけて帰れば、ミッション完了じゃないか?」
我ながらナイスアイデアだった。あともう少しで室内コートというところで、ぐるりと向きを替えて、コーチ詰所を目指そうとする。
「おーい、ハルちゃーん!」
「こ、この声はっ! まさか……」
背後から弾んだ声が飛んできた。振り返れば、見慣れた姿が手を大きく振っている。
「げっ!? やっぱりナツかよっ」
室内コートで練習していたらしいナツが、神懸かったタイミングで現れたのだ。ラケットを胸元に抱えたナツは、飼い主を見つけた犬よろしく一直線に駆け寄ってくる。
「な、なんでここにいるんだ?」
「ん? だって、練習してたんだもん」
「ちっげーよ! なんでここしかないってタイミングで、外に出てきたんだよ?」
ちょっとでもズレてたら出会わなかったというのに。
「少し休憩してたんだけど、なんか外に出たい気分になってね。そしたらハルちゃんの後ろ姿が見えたんだ」
超能力者もビックリのとんでもない直感娘がここにいて、春人は乾いた笑いも漏らした。
「よくもまあ、後ろ姿で俺ってわかったな? 人違いだったらどうすんだよ」
「私がハルちゃんの後ろ姿を間違える? それはないかなあ」
自信たっぷりにそう言ってのけるナツがいる。
「ハルちゃんこそ、ここで何をしてるの? ……あ、もしかして紅葉コーチのお昼ご飯を持ってきてくれた? さっき弁当忘れたーって騒いでたし。その持ってるのが、お弁当でしょ?」
「ち、違うっての。こ、これは辞書なんだっ! ほら、これがあれば攻撃も防御もできるからさっ」
「はいはい。じゃあ、ちゃんと紅葉先生に渡してあげてね」
ナツに背中を押されて室内コートまで、否応なしに連行されてしまう。
あちらこちらに見知った顔がいて、すれ違う際に一瞬目が合うと「あれ?」という表情を浮かべる。春人は咄嗟に弁当で顔を隠しながら、通路を歩いていく。
「紅葉コーチっ! お弁当を届けに来てくれましたよー」
突き飛ばすようにして春人は Dコートへ放り込まれた。たたらを踏みながらも、どうにか倒れずに姿勢を立て直す。
ナツは手をひらひらと振って、 Aコートの方へ戻っていった。
Dコートでボール出しをしている女性がいる。緩いパーマの掛かった髪を、彼女はかきあげた。野生の動物のような雰囲気を漂わせる彼女の瞳。しかし、その奥には優しい色が詰まっていると春人は知っている。
「よーし、ラスト1球! ユウキっ、バシっと決めちゃいな」
「そりゃっ!」
帽子をかぶった小学生がボールを叩き込む。勢いのある、良いボレーだった。
「おっけー! ナイスボールっ! 今日もいい調子じゃん」
お日様みたいな笑顔を浮かべた御袋――金山紅葉がユウキとハイタッチしている。 Dコートは9割が小学生である。我がままも多い年頃だが、なんとなく紅葉を中心にまとまっている雰囲気があった。相変わらずだなあと春人は思った。昔から紅葉は子供心を掴むのが上手いのである。
「ありゃ、ハルじゃん? 弁当を持ってくるのがあんたとは珍しい。 Dコートのみんなー、ちょっとだけ自分らで出来る練習をしててねー」
「ほら、雪乃が作った弁当だ。愛情たっぷりだから、味わって食えよ」
「どれどれ、これが可愛い我が娘が作った昼ご飯だね? これがなかったら、お腹と背中がくっつくとこだよ。さんきゅー」
「1食ぐらいで大げさだっての」
弁当を両手で掲げて喜ぶ紅葉を前にして、春人はやれやれと軽くため息をついた。なんにせよ、これで役目は終わったので、立ち去ろうとすると、
「せっかくだから、ちょっと打ってく?」
「あんたはまた、突拍子もないことをいうなあ! つーか、 STCを辞めた俺がどの面下げてここにいるか察してくれよ」
「また入会すればいいじゃん」
しれっとさらっと言う紅葉には悪気の欠片もないようで。
「そういう問題じゃないだろ……」春人は頭をぽりぽりとかいた。「ほら、給料ドロボーになるぞ。俺に構ってないで、馬車馬のごとく働け」
春人は Dコートから出ていこうとする。しかし、通路の前に立ちふさがる影が1つ。ブルドック顔の男がいた。 Aコートを中心に指導している三浦コーチである。
「ハル、久しぶりだな。元気にしていたか?」
「……三浦コーチ。見ての通りっすよ。めっちゃ元気ですっ」
春人はどうにか笑顔を浮かべて、問題ないと右膝を力強く叩いてみせた。
顔を合わせるのは実に1年ぶりぐらいである。三浦コーチには STCへ通っている時に、かなりお世話になった。技術面での指導だけでなく、怪我をした時も膝に響かなくて効果的なメニューを一緒に考えてくれた。
「それは良かったな。どうだ? STCに戻ってこないか? お前がその気なら私も全力でフォローするぞ」
「そう言って貰えるのは嬉しいっすけど、やっぱりもうテニスやる気がおきなくて。燃え尽きたあとの消し炭というか、くすぶる炎もないというか」
「そうか……。無理にとはいわない。だが、やりたくなったらいつでも良い。声を掛けてくれ」
「うっす。ありがとうございます」
真剣に話してくれる三浦コーチが、少しだけ肩を落とした。その姿を前にして、春人の心の奥底で、ぎゅっと締め付けられる何かがあった。
「失礼しますっ」
春人は逃げるようにその場をあとにした。
☆ ☆ ☆
帰宅するために STC の駐輪場にゆっくりと歩いて向かう途中。屋外コートからぽーんぽーんとラリーを続ける音が聞こえてくる。足を止めて、ふと見てしまう。楽しそうに打ち返すプレイヤーをみて、春人は拳を握り締めた。
「いてっ!」
近くのコートで何かが倒れた音が聞こえて、なんだなんだと覗き見る。そこは打ちっぱなしのコート。大の字になって男性が一人倒れていた。
テニスをやっていて怪我でもしたか? ふと、自分が昔、膝をやってしまい悔しいやら悲しいやらで膝を抱えて動けなかったことを思い出す。いてもたってもいられず、コート内に飛び込む。
「おい、あんたっ! 大丈夫か?」
「え……?」
天をあおいでいた男に、きょとんとした顔をされる。
「いや、倒れたまま動かないから怪我でもしたのかと……」春人は頬をかきながら、「その感じだと俺の勘違いだったか」
「いえ、ちょっとひっくり返ってしまって。ご心配おかけしました」
男は立ち上がってから、45°ぐらいのお辞儀をした。なんだかすごくキッチリした雰囲気がある。
彼は不思議な髪型をしていた。頭頂部から前髪にかけて、トサカのように立つクセ毛が特徴的だ。優しそうな顔立ちに、真面目さがにじみ出ている。そんな彼の右頬は少し赤くなっていた。少し離れたところにボールが寂しそうに転がっている。
「ボールがあたったのか?」
「ええ、あの気持ちいい感覚……、嬉しかったなあ」
何かを思い出して、トサカ男は目を輝かせた。
……ボールが顔にあたったのに嬉しい?
「ボールが頬に直撃して喜ぶとは……。ずいぶんと偏った性癖の持ち主だな。たけど昼間からそういうプレイをするのは、どうかと思うぞ。それじゃあな」
関わらないでおこうと離れようとするも、
「ちちち、違いますよっ」ぐいっと服を掴まれて制止される。「倒れる前にボールがラケットにあたった感触が完璧だったんですよ。だから嬉しくて!」
「あ、そういうことか……」
その感触がやみつきになるのは、わかる気がする。
「そうだっ! 今のをノートにメモしておかないとっ」
飛び上がるように起き上がったトサカ男は、コート隅にあるパイプ椅子に駆け寄った。ブツブツ言いながら、ノートにペンを走らせる。しばらくすると「よしっ」と呟いて、ラケットを持って壁打ちを始める。
春人は壁打ちの邪魔にならないように隅へ移動して、彼のことを観察した。
確実にテニスを初めて日が浅い。1球ごとのフォームのバラつきが大きいし、スイングスピードもゆっくりだ。ただ、一定のリズムを意識して行うことにズレは少ない。10回のうちに数回は綺麗にハマったフォームになることがある。
テニスは打点や体重移動やスイング軌道を一定に保つことが、まず大切だ。でも、ただ近づいて打つだけでは、ボールだけに意識が裂かれすぎる。そうなると大体、ラケットを振るテンポが早くなって崩れるのだ。
ゆえにリズムへ意識を向ける必要がある。
グッと構えて、サッと引いて、スパーンとか。
そうすることで、動作が安定するのである。
「おかしな奴……」
トサカ男は春人の存在も忘れて、ノートに書くのと壁打ちを繰り返す。そして綺麗にボールを捉えると、瞳に少年のような輝きを宿すのだ。
「でも、なんかおもしろい奴だな」
そんな彼を見て、春人はふと思い出すのだった。たった1球だけど上手く打てた瞬間。紅葉や三浦コーチに教えてもらったことが上手く出来て、どうしようもなく嬉しかったあの時。
「あれ? おかしいなあ……。どうして今のが変なところに飛んでいっちゃうんだろ」
悩んでいるトサカ男が、小さかった頃の自分と重なって思えて。
「今のはポジション取りが悪いな。壁から戻ってきたボールに対して、間に合ってない状況なのにスイングしてた。結果、腕だけで無理やり距離を合わせて打つことになる。それじゃリズムが良くても、スイングがあわない。ちょっと貸してみろ」
トサカ男の手からひょいっと、ラケットとボールをかすめ取る。
「ボールまでの距離感は腕で調整しちゃいけない。必ず足を動かすんだ。戻ってきたボールの軌道を読み、ボールとの距離が一定のとこまで距離を詰める。これなら手打ちにはならない。もっとも、こうするには相応の脚力が必要になるけどな」
春人は喋ったことを実演してみせた。壁を相手にあえて左右にボールをふって、走り込んでリターンする。10回の連続を苦もなくこなしていく。
「こんな感じだ」
春人はラケットの面でボールの勢いを上手く乗せた。トサカ男は狐につままれたような表情をしていた。
「お、おおおっ! すごいっ上手じゃないですかっ!」
トサカ男が手をパチパチと叩いて感動している。
そこでハッとする。いつのまにか身体が自然に動いて、あれこれ説明してしまった。余計なことをしたなあと反省し、すぐにこの場から離れようとするも、
「テニスは、どれくらいされてるんですか?」
「あ、いや……、俺はもうテニスを……」
……爽児を裏切った自分にテニスをやる資格はないんだ。
いったいどのくらい、そうやって自分に言い聞かせてきただろう。何度もその言葉を噛み締めれば、テニスがない日常にいつか慣れると信じていた。
だけれどもダメだった。昨日、ナツを助けるために行ったゲーム。全身の力がラケットを通じてボールに伝わる感覚を、思い出してしまった。今だって、子供みたいに喜ぶ彼をみてワクワクしてしまった。
改めてわかってしまう。
自分はテニスが好きなのだと。
そう気づきながら、三浦コーチに嘘をついてしまった。本当に申し訳ないと思う。だけど、一方で爽児を裏切ったという負い目が楔となっている。
相反する思いの板挟みで、自分の気持ちをどこへ向ければいいのかわからない。
そんな時、急に声を掛けられた。
「おう、見かけことのある奴がいると思えば」フェンス越しに長身の男が立っていた。「ハルじゃねえか」
「タクマ……」
ただでさえ身長が高いのに髪型が刺々しく立ててあるので、より大きく見える。中2以降も成長期が続いていたのか、さらに背の高さが伸びていた。
テニスバックを持ったタクマが、コート内に入ってくる。私服なところを見ると、これから練習場に向かうところか。こんな昼前の重役出勤とは、タクマも相変わらずだ。
「こんなとこでなにやってんだ? テニス辞めた奴がいる場所じゃねえだろ」
「うっせえよ……。そんなことはわかってる」
春人は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「まあいいや。ちょうどそっちのトサカ頭に用があったんだわ」
「タクマ先輩が、……オレに?」
トサカ男の背筋が緊張でピンっと伸びる。タクマは春人なんて眼中にないと押し退けて、トサカ男と対峙した。
「お前さあ、なんのためにテニスやってんの?」
「それは……、最初はただ運動しようと思って……、でもいざやってみたら楽しくて……」
「楽しくて、ねえ」
タクマはあからさまなため息をついた。
「それだったらさあ、ジュニア育成アカデミーやめてくんね?」
「や、やめるって、入ったばっかりなのに……」
タクマの威圧にさらされながらも、トサカ男はどうにか言葉を絞り出していた。
「あそこはさあ、プロを目指せるぐらいの奴らが、テニス強くなりたくて練習してるとこなんだわ。今からテニスやるんじゃ、絶対敵わない奴がごろごろいるわけ。そんなとこでやってても、お前もつまんないだろ? 楽しいテニスだっけ? そーいうのやりたきゃ、もっと適した場所があるだろ。そっちでやりゃいいじゃん」
なんとなく刺のある言葉を前に、トサカ男は殴られ続けたボクサーみたいに項垂れた。
「わかったのか、わからないのか。どっちだ?」
「でも……」
「ものわかりの悪い奴だなあ……」タクマが呟く。「楽しいだけでテニスやられちゃ、はっきりいってこっちは迷惑だってことだよ」
「迷惑……」
「この前だって、Aコートに入ってきて邪魔になったろ。あと……、ナツも下手くそなお前を気にかけて、集中できないことがあるみたいだしよ」
トサカ男は高校生だろうか。テニスを始めたばかりなら、ジュニア育成アカデミーでこの先やっていくには、遅かった部類だとは思う。プロを目指すタクマにとっては、目障りなのかもしれない。
……だけれども、プロを目指しているのが偉いわけではない。一生懸命にやっている人を馬鹿にしていい道理はない。
「楽しいからテニスをやりたい。それのどこが悪いんだ?」
ただ思ったことを、春人は自然と口に出していた。タクマが「あん?」と威圧感のある低音を響かせ、振り向いた。
「どんな理由だって、どこでテニスをやったって、本人の自由だ。タクマに口を出す権利はないだろ」
「俺にとっちゃ下手な奴がいるのは練習の邪魔――」
「誰だって最初は下手だろ? それに今から始めて、上手くならないって誰が決めたんだ?」
「口うるせえ野郎だな」タクマはふんっと鼻を鳴らす。「あー、なんか、白けたからもういいわ」
踵を返したタクマ。話は終わってないのに、逃げるのか?
こいつは昔からそういうところがある。気分屋でノっている時はいいのだが、自分の思い通りにならないと、さようなら。
小学生時代に何度もテニスで戦ったが、負けがみえてくるとプレイが雑になる。練習でも全力をつくさないところがあって、本人には言わなかったがいつも気になっていた。
どこか本気になりきれないタクマが、一生懸命なトサカ男に文句を言う光景。
春人の内にある何かが煮えたぎってきて、冷静さを失っていく。
「死ぬほど練習したら、タクマを倒せるくらいに上手くなるかもな?」
タクマの背中へ向かって挑発的な言葉を浴びせる。
「……へえ、笑えねえ冗談だな」
「本気だっつーの」
「あんまり、俺をなめんなよ?」
タクマの手がぐんっと伸びてきて、春人の胸ぐらを掴んだ。負けじと春人もタクマを見据えた。
「世の中にはな、どんなにもがいたって届かない領域ってのがあんだよ」
「それがトサカ君がタクマに勝てないって証明にはならないっしょ」
「久しぶりにあっても、相変わらずてめえは俺をイラつかせるな」
「そりゃ、鏡のようにお互い様だろうよ」
2人の間に火花が散る。トサカ男は2人の間をあわあわと右往左往していた。
「じゃあ、お前と俺のどっちが正しいか、勝負しようぜ」
目を血走らせたタクマが提案してくる。
「そうだな……。1ヶ月後、俺がサーブを30球打つ。それを素人のトサカ頭が一発でも綺麗に返せたら、お前の勝ちだ。そのかわり1球も返せなかったら、てめえの負けだ。殴らせろ」
「やったろうじゃんか。でも、いいのか? 1球返せば、なんて余裕かましちゃってさ」
「俺のサーブが、ちょっと練習したくらいで素人に返せるわけがねえだろ?」
こうしてトサカ男の了承もなく、1ヶ月後にタクマとの勝負が組まれたのだった。
読んでくれた皆様、今日もありがとうございます。
更新は1週間に1回できたらなあぐらいです。
遅くて申し訳ない。
今回は金山家の家族と、原作キャラの何人かが登場しました。主人公とのざっくりとした関係は頭の中にあります。展開もなんとなーくは考えてあります。ただ、それらがブレてしまったら申し訳ないです。
とりあえず二話かけてタクマとエーちゃんの一騎討ちに春人を介入させていきます。今回は戦い(前編)って感じですね。後編では想定しているおとしどころまで持っていければいいのですが。
オリキャラの設定を乗せておきます。
金山雪乃。金山家で家のことをすべてやってる妹。父親、母親、兄からは可愛がられている。
金山紅葉。母親。STCでコーチをやってる。当人の子供心を忘れないさっぱりした性格から、子供たちに好かれている。
父親も出てくる予定です。キャラがまだ作者のなかでまだたってませんが。
そんなわけで今日はこのあたりで失礼します。
またお会いできると嬉しいです!
ではではー(^^)/