春人side
「さてと、そろそろ行ってくるかな」
上がり框に腰を下ろして、靴をしっかりと履いてからテニスバッグを担ぐ。振り返れば紅葉と雪乃がそこにいた。
「すみません、兄さん。本当は私も応援に行きたかったんですけど」
エプロンをみにつけた雪乃が、肩を落としている。なんだか怒られた子犬がしょぼんとしてるみたいで可愛らしかった。
「先約があったんだから、仕方ないだろ。気にせず思いっきり楽しんでこいよ」
「でも、明日は行けますっ。頑張って応援するので、任せてください」
細いすらっとした指を握り締め、小さくガッツポーズをとる雪乃。
「ほほう、そりゃ俺に明日まで負けるなっていうことだな?」
意地悪っぽく笑いかけると、雪乃がほえっと間の抜けた顔をした。やがて、自分の発言の意味に気づいたようだった。
「あ、あう……、ごめんなさい」
「ちょっとからかっただけだ」春人は雪乃の頭に優しく手を乗せる。「任せておけよ。絶対に明日、雪乃に応援させてやるからさ」
雪乃の表情がほんわかとほぐれる
雪乃は始めっから春人が勝つと信じてくれていたのだろう。その気持ちがむしろ嬉しかった。
「おふくろ、そろそろ行くぞっ」
紅葉も STCのコーチとして、試合会場まで一緒に行くことになっている。
あとは玄関を出るだけの紅葉は雪乃をきゅっと抱きしめた。
「じゃあ、行ってくるかんねっ」
「はいっ、いってらっしゃいですっ」
「遅くても19時までには帰るからさ」
「わかりました。それまでには御飯を作っておきますね」
「今日は唐揚げ食べたいから、任せたよっ」
「任されましたっ」
親馬鹿な紅葉の襟首を掴まえて、春人は玄関の外まで引っ張っていく。
「はいはいっ、もう行くぞ。じゃーなー、ユキ。家の戸締りはよろしくなっ」
玄関の外まで見送りに来てくれたユキは、春人の姿が見えなくなるまで手を振り続けてくれた。
☆ ☆ ☆
ナツside
神奈川ジュニアテニスサーキットの試合会場を、ナツはSTCの女子仲間と歩いていた。試合開始を控えた選手たちの姿がちらほらとある。
「この炎天下で試合するなんて想像するだけで疲れるよね……」
「純ちゃんてば、今からそんなに飲んでたらお腹がタポタポになって、試合で動けなくなるんじゃない?」
ナツは左隣にいる槇原真純に忠告する。だが、真純は見せつけるようにコンビニで買ったペットボトルに口をつける。
「そんなこといわれても、暑くてさ~」
いつも明るい真純だが、燦々とする太陽を前に輝きがかすんでいた。元気印のポニーテールも、今日は心なしか力無くみえてしまう。
「なっちゃんはいいよね~。名前のとおり夏に愛されてるから、暑くないもんね~」
「夏は好きだけど……。私だって暑いことには変わらないよ?」
「でも、それ以上に羨ましいのは花ちゃんだけど」
ナツの右隣にいる横山花に向かって、真純はビシッと指をさす。少し間を置いてから花は、少しだけ首をかしげた。
「わたしが、どうかした?」
「こんなに暑いのに、涼しそーな顔してるっ! どうやったらこの状況で、そんな余裕にしてられるのっ」
真純が口を尖らせる。
ナツは花をよくよく観察してみた。少し大人びた雰囲気の顔立ちは、いつもながら表情の変化が乏しい。しかし、無愛想というわけではない。うっすらとだが優しい笑みをたずさえている。
「純は少し落ち着いたほうがいい。興奮すると体温があがるから」
「そりゃそーだよね。でも、どうにもジッとしてると身体が落ち着かなくてね~」
対照的な真純と花を眺めていると、どうにも心が和んでくる。試合前だからこそ、この2人の慣れ親しんだ会話が緊張をほぐしてくれる。
試合前というのはいつになっても不安がつきまとってくる。ナツは第1シードで1番強いんだから勝って当然という雰囲気が、重くのしかかってくるのだ。
テニスをしていればいきなり調子が悪くなることもあるし、相手との相性もある。絶対に勝てる保証なんてどこにもない。
そんなプレッシャーのせいで、特に1回戦前は色々と余計なことを考え込んでしまうナツなのだが……。
どういうわけか、今日は心に圧し掛かってくるものがほとんどなかった。
自分のことよりも、春人が久々に公式試合に出るということで、頭がいっぱいなせいかもしれない。
彼の中学時代のことを思い出せば、大丈夫かなと過るものはある。だがそれ以上に、春人がテニスの世界に戻ってきてくれた嬉しさで、心が弾んでしょうがなかった。
もうハルちゃんは来てるのかな? ふと考えて、周囲を見渡してしまう。何かにピンときたらしい真純が、口元に手を添えて悪戯っぽく笑った。
「あっ! 春人くんだっ!」
「えっ、どこどこ?」
「ぷぷっ、嘘だよ~」と言う真純は、してやったりとニヤついている。
「ちょっと、純ちゃん! どうしてそんな嘘をついて、楽しそうにしてるのっ」
抗議するナツに応じたのは、花の淡々とした声だった。
「ナツのそういう反応をみたいから、純は嘘をつくのよ。……本当に可愛い」
花が静々と近づいてきて、右肩に寄り添ってきた。
「ねえねえ、前から聞きたかったんだけど~、なっちゃんって春人くんてどんな関係? 付き合ってるの~?」
「そのあたりのことは、わたしも聞いてみたいわ」
「え……、つ、つきあってないようっ!」
ナツはそんなわけがないと手を振る。
「ホントのホントに~?」
さすが噂好きの真純というべきか、恋愛事情を問い詰める姿は活き活きとしている。
「本当にそんなことないってば……」
「ふーん……。あれだけベタベタしてるのに、彼氏彼女じゃないのかあ」
「そ、そんな風に周りからは見えるの?」
「そうだね~。昔から連れ添ってる感はあるよね~。なっちゃんと春人くんて、一体何歳ぐらいの時から一緒なの?」
「6歳の時だね」
お父さんがきっかけでテニスを始めたのは5歳だった。最初の1年ぐらいはお父さんが休日にテニスコートで相手をしてくれていた。せっかくテニスを習うならしっかりやるべきと言われ、6歳でジュニア育成アカデミーに入り、そこで春人と出会ったのである。
「ということは、もう10年ぐらい一緒ってことかあ~」
「カップルでは生み出せない、味があると思う」
10年という言葉を改めて聞くと、随分長いなあと感じる。脳裏を駆け巡る思い出はたくさんあるけど、一番印象深いのは春人が怪我をする少し前の出来事だ。
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なんで勝てないんだろう。
Dコートでの練習を終えたナツは、鞄を背負ってうつむいたまま更衣室へ向かっていた。
一生懸命に頑張ってみても、最近は試合どころか練習試合でも僅差で負けることが多い。2日前にあった試合も結果は思わしくなくて、これで公式と練習合わせて10連敗となってしまった。
気分が重い理由は他にもあった。
いつも大声で応援してくれるお父さん。いつもは勇気づけられるのに、勝てない自分にイライラしていたのもあって、八つ当たりをしてしまった。
『もう来なくていいよっ!!』
試合終了直後に思わず叫んでしまったものだから、色んな人に聞かれてしまった。
お父さんに謝らなきゃいけないとわかっているのに、まだ上手く言葉にできずにいる。
試合に勝てない自分。
人に当たることしかできない自分。
情けないやら恥ずかしいやらで、涙がこみ上げてきそうになる。
ネガティブな思考が頭の中で、ぐるぐると回り続ける。こんな弱音じゃいけない、と首を振ってみても気分は晴れなかった。
ナツはふらふらと通路を歩いていく。前を見ないで進んでいたものだから、進路上に人がいることに気付かなかった。ぽすん、と身体がぶつかる。
ふと顔を上げると、春人がいた。
不甲斐ない自分を見られるのが嫌で、ナツは顔を背けて春人の横を通り過ぎようとした。
「どこいくんだ?」
「ふえっ?」
春人にがっちりと手首を掴まれて、ナツは思わず春人をまじまじ見つめた。
「ど、どこって……。練習終わったし、帰ろうかなって……」
「今日はお父さんが迎えに来んのか?」
「ば、バスだけど」
「そりゃ良かった。そんじゃ、行くぞ」
有無を言わさず春人が引っ張るものだから、ナツは断るタイミングを逸していた。あまりに急な展開に、頭がついてこないというのもあった。
ずんずんと進んでいく春人に引かれて、今まで歩いてきた通路を逆戻りしていく。コートに戻るとネットの向こう側に琢磨と爽児がいた。
おっせーぞ! とは爽児の声だ。その隣ではそっぽを向いた琢磨が、しかめっ面をしている。
「んじゃ、ナツからのサーブな」
春人にグイグイと背を押されて、コートのデュースサイドへ立たされる。敵陣コートにいる2人も左右に分かれてラケットを構えた。
「どうした?」
眼をぱちくりとさせるナツを前にして、春人が不思議そうに尋ねてくる。
「それはこっちが聞きたいことだよ? どゆこと?」
「見ればわかるだろ。これからダブルスやるんだよ」
テニスは基本的に1対1の孤独なスポーツだけれど、例外がある。それが敵味方のコートにそれぞれ2人が入って行うゲーム――ダブルスだ。
「ダブルスって……。私とハルちゃんで、あの2人とゲームをするの?」
相手のコートにいる2人を交互に眺める。琢磨と爽児を相手にして、試合をしようというのか? STCの中でもかなり強い2人を相手に、勝負を挑むなんて随分と無謀ではなかろうか。
しかも、最近は負け続けている自分をパートナーにするなんて……。
「私と組むと絶対に勝てないよ……。ハルちゃんも、わかってるでしょ?」
「なーに、わけわからんことを言ってんだ」春人にこつんと頭を小突かれる。「勝ちたいからやるんじゃなくて、俺がナツと一緒にダブルスしたかったんだよ。だからあいつらにも話して、相手になってもらったんだ」
にししっと春人が笑っている。
「なっ、少しだけでいいから付き合ってくれよ。1セット全部やらなくてもいいからさ」
ちょっと強引な春人を前にして、無下に断るのも気が引けた。ナツはこくりとうなずいた。
少しゲームが進めば、ナツが足でまといにしかならないと、春人にもわかるだろう。そこで上手く抜け出して帰ればいい。
ダブルスでの1セットマッチが始まる。
ナツはボールを宙へと放り投げる。ラケットを振り抜くと、やや芯を外したボールが頼りなく敵陣へと飛んだ。
あっさりと爽児がクロスへとリターンしてきた。コートの深いところへ鋭くバウンドする。
「うっ」
クロスへと打ち返そうとして、球威に押し負けてしまう。ストレート気味に返ったボールは前衛にとってチャンスかと思いきや、ナツのミスから生まれた軌道であったことが幸いして、わずかに琢磨の反応が遅れる。しかし、それでも得意の柔らかなタッチで、ボレーをしてくる。
決められた――。
ナツでは絶対に間に合わないコースに打ち込んでくる。普通ならばポイントを取られただろう。
シングルスならば、である。
春人が風となってボールに飛びついて打ち返す。琢磨の近くを、ボールは嘲笑うようにすり抜けようとする。
「ちっ!」
琢磨の舌打ちが聞こえる。ラケットの切っ先に触れたが、ボールはネットに遮られた。
「よっしゃ! 先取点ゲットだな! こりゃ幸先いいんじゃないかっ」
春人が近づいてきて片手を挙げる。何をしたいのかわからず、ナツがしばらく眺めていると、
「なーにしてんだよう。ハイタッチだって。ほら、手を挙げろよなっ」
「あっ、うん」
言われるがままにナツが片手を挙げると、春人が手を強めに叩きつけてきた。弾けるような音からわずかに遅れて、不思議な感覚が生まれてきた。
琢磨と爽児のペアは、個々の能力が高いこともあり強かった。あっさりとポイントを取られることも多い。それでも春人とナツのチームも奮闘して、徐々にポイントをとっていく。その度に春人はハイタッチを求めてきた。
何度もするものだから、手の平がじんじんと痛くて熱を帯びてくる。だけれど不快ではなくて、手に宿った心地よい熱さが全身に広がっていくのだった。
この感覚はなんだろうか?
劣勢ではあるけれど、ポイントが入るたびに交わすハイタッチが心を躍らせる。1人で戦っている時よりも、辛くはなかった。ポイントが入ると喜びが溢れ出てくる。
何ゲームか進んで、ナツのサーブがまた回ってきた。どこにサーブを入れれば春人が動きやすいか。チームとしてポイントが得られるかと考えると、少しでも早くサーブを打ちたくて身体がうずうずした。
最終的には、その試合は負けてはしまったのだけれど。
試合が終わった後、春人が振り向いて「お疲れさん。楽しかったな」と言い、嬉しそうな顔をしたのが印象的だった。
その時から何かが変わったのだと思う。
たった一度のダブルスに、ナツは救われたのだった。
読んでいただいた皆様、今回もありがとうございます。
投稿が遅くなりました。生存はしています。
先の展開まで考えていると、頭がごちゃっとして上手く書けなかったのと、仕事が忙しくなったために、今後も投稿が遅くなるやもです。
申し訳ありません。
ナツ視点が初めて入ってきた回でした。ほかのキャラの視点も描けるのが三人称のいいところですが、あまりころころ変えると読みにくくなることもあるので、気をつけていきます。でも、ちょっとずつエーちゃんとかなっちゃん視点のハルなども描けたらなあと思ったり。
今回の話を書くにあたって、第一話をわずかに改変させていただきました。終盤のダブルスの件が設定として変わってます。ご了承くださいませ。
次回はエーちゃんの戦いが入ってきます。先を書きためしつつ、適度に更新していきたいと思いますので、今後もよろしくお願いします。
それでは(^^)ノシ