ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.1 「憧れ」

 盛夏のある日、入道雲がそびえ立つ旱天の下には、一軒のカフェテラスが、汀に二艘のゴンドラが浮かぶ海のすぐそばに開店していた。

 広大な海原は緩やかに波打っていて、そこでは、大小の船が緩慢な速度で行き交っていた。店舗が手入れしている花壇には、真紅色のハイビスカスが、自分の季節を謳歌するように鮮麗に咲いていた。

 ビニールの屋根が夏の猛烈な日射を遮っているテラス席のまるいテーブルに、二人の女が、向い合わせで付いている。両方ともロングヘアーだが、一人は黒色に近い褐色でストレートであり、もう一人は薄緑色で、前髪を除く毛先がくるんとカールしている。それぞれが着ているセーラー服に似た制服は、彼女等がここネオ・ヴェネツィアで花形とされる水先案内人であることを示している。

 晃とアリスのいるテーブルには、カフェのメニューと彼女等が脱いだ制帽の他に何もない。周りには、二人分の空席がある。

 晃が半ば驚いたように、半ば呆れたように目を瞠って言った。

 

「何、灯里が流されたぁ?」

 

 その反応に、アリスは困ったように眉を下げ、「はい」と答えた。

 

「それで藍華先輩は、灯里先輩を助けるために追いかけていって、わたしは、事故のことを晃先輩に伝えるよう言付けられました」

 

 そして俯いた。

 

「まぁ、こういう事故が起きるのは、わたし達の合同練習ではそんな珍しいことじゃないんです」

 

 晃は不機嫌そうに眉をひそめると、目を瞑り、「なるほど」、と納得した。

 

 アリスは頷いた。

 

「お二人が遅刻してるのは、そういうわけなんです」

 

 そして晃を見つめた。

 

「どうしましょう、四人で軽食を取る予定だったんですが」

 

 ――今日晃は、時間に余裕があるため、途中よりアリス達の合同練習――その練習で彼女等は、水先案内人に必須なゴンドラ漕ぎの技術を磨く――に参加することになっていた。

 晃は瞑っている目を開いた。

 

「アイツ等の来るまで、じっと待ってなどいられんだろう――暑いし、それにわたしはそんなに辛抱強いタチではないんだ。構わず先に食ってよう」

 

 アリスは、上目遣いで晃を見上げた。

 

「いいんですか」

 

「あぁ。アイツ等を仲間外れにするつもりはないしな」

 

 不慮の事故で合流が遅れている彼女等より先に、予定を行うことにし、晃とアリスはテーブル上のメニューを手に取って開いた。メニューには色々な品物が記されていたが、その中で主立っているのはデザート類だった。

 いくらか吟味した後、それぞれは好きな品物を決め、注文した。発生するお代は、アリスのみならず、後に来ることになっている二人の遅刻者の分も加え、晃持ちだった。晃は四人の内で最年長の水先案内人であり、また、最長のキャリアとそれ相応の実績、実力を持っていた。

 ウェイトレスにオーダーを伝えてしばらくした後、円筒形が下の方で細くくびれており、底が円形であるグラスの乗ったプレートが運ばれてきた。グラスの中には、アイスクリームや生クリームやフルーツなどが盛られている。パフェだった。

 アリスは目の前に置かれた甘く冷たそうなお菓子を見つめ、きっと彼女の好物なのだろう、嬉しそうに目を輝かせた。晃も同じなのか、妙齢の女らしからぬ普段の、雄のライオンのようにきりっとした顔を、目の前のスイーツに向かってほころばせた。

 だが、晃はすぐに自分の表情が柔らかになっていることを自覚したようで、拳を口元に持っていくと、間が悪そうに、目を瞑って咳ばらいした。

 その後彼女は目を開いて言った。

 

「さぁ、食べよう」

 

 晃の発言を切っ掛けに、二人は手元の小さいスプーンを持つと、それで程よく固いアイスを削り、賞味し始めた。冷たく甘いアイスの味は、暑さにばてそうだった二人の華奢な体に染み渡り、彼女等は大いに気分がくつろいだ。

 ふと、アリスはパフェに近付けようとしているスプーンを止め、首を曲げて顔を上げ、屋根越しに青空を見た。そこに太陽の姿は見えなかったが、遠くの石で成る白っぽい街路が照り返す日射の眩しさを見ると、太陽が燦々と照っていることがおのずと察された。

 アリスはいくぶん茫然とすると、正面に向き直った。

 

「今日は本当、暑いですね」

 

 その時、晃はちょうどパフェの一部をスプーンで口に運び入れた直後で、アリスの言葉に対しては、「うん」と喉で答えることしか出来なかった。

 

 だがすぐに晃は、口の中のものを飲み込み、スプーンを口より出すと、人差し指を立てるようにそれを立てて見せ、微笑んだ。

 

「だから、こういうのが飛びっ切りうまいんだろう?」

 

 アリスは、目を瞑って微笑み返した。

 

「そうですね」

 

 夏日は中々沈もうとせず、暑気が猛威を振るう中、時間は刻々と過ぎていった。グラス一杯に詰まっていたパフェは、やがてスイーツに目のない者等においしく食べつくされ、今グラスの底あたりには、ごく微かに残っている液状のアイスが溜まっていた。

 テーブルで、晃は腕組みし、不機嫌そうに眉をひそめて俯き気味に、そしてアリスは、両手を腿の辺りにそろえて置いて、暑がっているような無表情で、黙然と座っていた。

 突然、晃が腕組みを解き、片方の手で拳を作ってテーブルを軽く叩いた。

 

「遅い」

 

 アリスは思わずびくっとした。

 

「アイツ等、一体いつまでわたし達を待たせるつもりだ?」

 

 晃は、不機嫌を露骨に表した。彼女は待つことがあまり得意ではないらしい。が、人見知りをする小動物のようにすくんでいる目前のアリスを目にすると、はっとし、申し訳なさそうに眉を下げ、目だけで俯いた。

 

「すまん」

 

 取りあえず謝りはしたものの、晃はまだ不機嫌そうに見える。彼女は俯いている目を上げて細めると、そっぽを向き、テーブルを叩いた手で、そばにあるお冷を、目を瞑り、ぐびっと飲んだ。そしてため息して目を開け、海を眺めた。少し気分が和らいだようだ。結露がびっしり付いた、平凡な形のグラスのお冷には、溶けかけの角の丸い氷が浮かんでいる。

 熱風が吹き、晃の深い褐色の髪をなびかせた。彼女は、宙に浮く髪に手櫛を通した。中ほどに挿れられたその手は、サラサラと滑らかな手触りを思わせる髪の間を、少しの抵抗もなく先端までスムーズに通った。

 アリスは、半ばぼんやり、半ばうっとりし、その様に見惚れた。待つことに飽き飽きして少し眠たくなっている彼女の目には、晃の風に泳ぐ髪と、テーブルより突き出ているしなやかな、色白で、長細いが肉付きのよい脚と、その先のハイヒールが映っていた。

 晃は身の回りに漂う妙な気配に感付いてはっとした。そして彼女は、ぼうっと何かに心を奪われている様子の正面の少女を、きょとんと見た。

 

「ん。どうした、アリス?」

 

 問われた彼女は、焦ったようにさっと俯いた。

 

「いえ、別に……」

 

 俯いているその顔は、陰に隠れてよく見えないが、少し赤くなっているようだった。

 晃は腑に落ちないという様子で、小首を傾げた。

 

「晃さん」、とアリスは呼びかけた。

 

「あぁ」

 

「晃さんって――」

 

 その後を言おうとした瞬間だった。

 

「――ごめんなさぁい!」

 

 突如声が飛び込んでき、彼女は晃と共にはっとした。

 晃は、流し目でそばに走ってくる者の方を見た。

 

「やれやれ、ようやく来たか」

 

 藍華と灯里が、テーブルまでやって来た。晃は、ぎろりと不穏に光る目で、よっぽど急いで来たのだろう、汗だくの藍華を見上げた。

 

「事情はアリスより聞いたが、ずいぶん遅かったじゃないか」

 

 言われた藍華は手をお腹の辺りで組み、しゅんと項垂れ、「すいません」と謝った。

 

「灯里はすぐ助かったんですが、ゴンドラとオールが急流に乗って流されちゃって、それで……」

 

 藍華は悪意のない遅刻のわけを、晃の不機嫌を治めるために色々述べ立てたが、彼女の小言を避けることは叶わなかった。

 アリスは、じっとその様子に――腕組みした晃の凛とした顔に、遠くより見入っていた。晃の両の耳たぶに付けている球形のピアスが、ピカピカと綺麗に輝いている。

 小言のはたで、事故に遭った不注意者が――灯里が、首をそっとアリスの耳元まで伸ばし、困ったように眉を下げ、内緒話するように手を口元に立てて言った。

 

「遅れてごめんね、アリスちゃん」

 

 しかし、アリスは依然ぼんやりとしていて、詫びの言葉をかけられたことに気付かず、まったく反応しなかった。灯里はいぶかしく思ったようにきょとんとした。

 茫然と正面の方だけ見ているアリスは、ぼそっと、うわ言のように呟いた。

 

「……やっぱり、綺麗だなぁ」

 

 それは、灯里にはほとんど聞き取れないくらい微かな声量だった。

 

「――灯里!」

 

 不意にどぎつい声で呼ばれ、彼女はびくっとし、背筋を緊張したように伸ばすと、声の方を向いた。そこでは、晃がいかめしい目付きでおり、その横には、同じような表情で、腕を曲げて手を腰に置いている藍華がいた。二人共、制服が同じな上、互いによく似ていた――二人は、同じ水先案内人の会社に務める、先輩と後輩の間柄なのだ。

 後輩が言った。

 

「何ぼうっと突っ立ってんのよ。遅刻したのは大体、あんたがどじったせいなんだからね!」

 

 その後先輩が、半ばささやくように言った。

 

「灯里。お前は後でわたしが個人的にみっちり訓練してやる。わたしの訓練はアリシアのように生っちょろいものではないからな。覚悟しておけ」

 

 そのいやに優しく抑えられた声には、妙な迫力が響いていた。

 こわもての二人に責められ、脅され、茫然と畏縮している灯里に、アリスは愉快そうに微笑んだ。

 

「でっかい大変ですね。灯里先輩」

 

 厳しい訓練という事故に続く不運をこの後課されることになった水先案内人は、「エ~」と、悲鳴に近い声を上げた。その声は、澄んだ青空中によく響き渡った。

 しかしアリスは、そんな不運な灯里のことを、内心ひっそり羨ましく感じているのだった。

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