ARIA The Extension 作:Yuki_Mar12
***
また今年も、この時期がやってきた。
時の流れというのは、早いものだ。頭の中で記憶を遡っても、大した隔たりが感じられない。だが、時そのものにおいては、早いも遅いもなく、わたしたち、人間の感じ方次第で変わるだけに過ぎない。
盛夏。太陽は激しく燃え、日の出ている時間が長く、空に浮かぶ雲は巨大だ。スイカがおいしく、うんざりするほどの暑さでは、冷たい飲み物やアイスクリームが癒しである。
「灯里ちゃん」、と、名が呼ばれ、わたしはハッと我に返った。
呼んだのはアリシアさんだ。ARIAカンパニーの、わたしの先輩。お出かけの予定があり、アリシアさんはすでに支度を済ましたようで、玄関でわたしを待っている。
わたしたちは、予め、行き合わせる時間を決めていた。アリシアさんは外での公用があり、わたしはARIAカンパニーでの雑務があった。
わたしは雑務でちょっと疲れたせいでうたた寝をしてしまい、アリシアさんの呼び声で目覚め、瞬時に今晩の約束を思い出し、にわかに焦ったというわけだ。
「はひ」、とわたしは外れた声調で返事した。「今行きます」
わたしがテーブルに突っ伏し、机上を涎で汚していた部屋はすっかり薄暗く、気味が悪いくらいだった。
日がようやく水平線の下へ落ち、バラ色の夕焼けが翳りを見せだした頃。うだるほどの暑気は和らぎ、吹いてくるそよ風には涼感がまじっている。
洗面所で軽く顔を洗うと同時に意識をさっぱりとさせ、タオルでゴシゴシと拭く。コップ一杯の水を飲み干し、折り畳みの財布をセーラー服のポケットにねじ込んで速足で玄関へと向かう。
「まぁまぁ」、という口癖と共に、アリシアさんが柔らかい表情で迎えてくれる。「こんばんは。灯里ちゃん」
「こんばんは。アリシアさん」
挨拶を交わした後、アリシアさんは、わたしの顔をまじまじと見、人差し指をそっと、わたしの額へと近付ける。
「前髪」、とアリシアさん。「濡れてるけど」
「あぁ」、とわたしは隠蔽し切れないと思い、苦笑をまじえて白状する。「ちょっと、居眠りしちゃいまして。アハハ」
「あらあら、そうだったのね。ご苦労様」、とアリシアさんは、わたしの疲れをねぎらってくれ、不安そうに眉を下げ、人差し指を口元に添える。「ひょっとして、起こしちゃったかしら?」
「いえいえ!」、と、アリシアさんの不安に対して、わたしは慌てて両手を振って否定する。「約束の時間まで眠りこけてたわたしが悪いんです。ごめんなさい」
――藍華ちゃんがこの場面に立ち会っていたとしたら、わたしはきっと、こっぴどく責め付けられているに違いない。藍華ちゃんは、アリシアさんの大ファンなのだ。
「やっぱり面白い子ね、灯里ちゃんは」
「それって、褒められてんでしょうか」
「褒めてるのよ」
アリシアさんはそう言い、ポーチよりハンカチを取り出して、わたしの前髪をポンポンとやさしく叩き、水気を取ってくれる。
わたしはその間、照れ臭く、間の悪い気持ちでじっと、アリシアさんに身を委ねていた。
「さぁ」、とアリシアさんがハンカチをポーチに戻し、言う。「行きましょう。あんまり遅くなると、『お店』が閉まっちゃうわ」
「そうですね。はひ」
わたしもアリシアさんも、水先案内人のセーラー服を着ているものの、帽子を被っておらず、軽装だ。それぞれの持ち物といえば、わたしは財布だけだし、アリシアさんも、小さい赤色のポーチだけのようだった。
わたしたちは、ARIAカンパニーの戸締りをし、出かけた。
海に浮かぶARIAカンパニーの彼方には、海原と夕焼け空が見える。逆行で社屋は真っ暗であり、空は橙色で、海は残照でかろうじて明るい。目を凝らせば、夕焼け色の片雲に、星々の煌めきがうっすらと見えるのだった。
◇
盛夏の、夕方のネオ・ヴェネツィア。肌ざわりの柔らかい風が通り、日中の熱気がウソに思えるほど、涼しく、爽快で、過ごしよかった。
わたしとアリシアさんは、夕べの道を並んで歩いた。
わたしたちの目的とするのは、ある市場だった。その市場は、年中通して開かれているものではなく、この盛夏の時期の内、一週間ほどだけに限り、開かれるのだった。取り扱われるものは、夏の風物詩で、アクアでしか採れない特産品だった。
やがて、市場に到着する。その内に、夕が夜となり、まだ残照が微かにあったが、街路灯がポッと点灯する。
露店の並ぶ市場は、すでに人々でごった返し、にぎわっていた。盛況だった。
ネオ・ヴェネツィアが水上の都市であるという地理的事情より、市場には基本的に地元の住民が訪れるのだが、市場の認知度が高いことがあり、観光目的のネオ・ヴェネツィア外の者が、その中にまじっているのだった。
「まぁ!」、とアリシアさんが、両手を合わせ、感激の声を上げる。彼女はある露店の前で、商品棚の品物をうっとりと眺めている。
商品棚に吊り下がる形で陳列されているのは、あるこぶしくらいのサイズのものだった。飾りであり、釣鐘に似た形状で、中が空洞となっており、風が吹くと、『
最大の特徴は、蛍光カラーの微光を放っていることだった。
その名を、『夜光鈴』といい、アクアの海で採れる夜光石を加工して作られるのだった。
市場の街路灯は、夜光鈴の微光がよく見えるようにするため、あえて消灯した状態にされており、代わりに、小さいスタンドライトが各所で、迷子や、押し合いへし合いなどによって人混みがカオスにならない程度に、明るく照っている。
「やっぱり綺麗ね」、とアリシアさんが、水色の微光を見つめ、呟く。
「はひ」、とわたしは共感して言う。「音も、耳触りがよくて、すてきです」
「この光が、夏の間だけなんて、とっても儚いわね」
「そうですね。でも、だからこそ、こうやって皆に尊ばれているのではないでしょうか」
「そうね」、とアリシアさん。「わたしも、そう思う」
わたしたちは、しばらく沈黙し、お互いに、目の前の色とりどりの夜光鈴に見惚れた。
――一定の期間だけ見ることの出来る、有限の美しい光。確かにそれは、夜光鈴が人気であり、尊ばれることのひとつの理由ではあった。
だが、理由は他にもあり、それは、夜光鈴の有する宗教にまつわる役目にあった。
夜光鈴は、ただのお飾りではなく、霊の依り代とされていた。この話は、語り継がれる言い伝えであり、ネオ・ヴェネツィアの文化、伝統であって、それ以上の意味合いはないことに、注意されたい。
伝承では、この夜光鈴の微光と音色を
アリシアさんが、ひとつの夜光鈴を手に取って見つめる。白く淡く光っている。
「神々しいですね」、とわたし。
「そうね」、とアリシアさんは微笑と共に共鳴する。「白は、純粋、清潔、神聖を意味する」
わたしはわたしで、ひとつ選りすぐって取り、見つめる。甘酸っぱい柑橘類のフルーツと同じ色。
「あらあら」、とアリシアさん。「可愛らしいオレンジ色ね」
「この色は、どういう意味があるんですか」、とわたしはアリシアさんの方を向いて尋ねる。
「オレンジは暖かさ、元気、可愛さ……そういう感じね」
「成るほど」
わたしは正面に目を戻し、自身が選んだ夜光鈴をまた見つめる。
「それに決める? 灯里ちゃん」
アリシアさんに訊かれ、わたしは「ううん」、と唸り、ちょっと迷う。
「確かに、オレンジ色って綺麗だし、いいなぁ、って思うんですけど、ひょっとすると、帰ってくる精霊さんたちがこの色を見て、お腹を空かせちゃうかもって考えると、悩んじゃいます」
「まぁ」、と言って、アリシアさんは噴き出し、夜光鈴を持っていない方の手の人差し指を、鼻の下にやる。
わたしの口走ったことは、滑稽だったに違いない。
「灯里ちゃんらしい発想で楽しいわ」
「ちょっと恥ずかしいです」、とわたしは、にわかに間が悪くなって言う。
「気にしないで、オレンジ色になさい」、とアリシアさんが、笑い顔で勧める。「そうして、精霊さんたちのために、たくさんフルーツを用意してあげるの」
軽い笑い声が、周囲でこぞって起きた。近くにいる人たちが、わたしたちの会話を聞いていたようだ。
わたしは、引っ込みが付かなくなり、オレンジ色を購入することに決める。アリシアさんは、白色。
でも、後悔などなかった。ちょっぴり恥ずかしかったけれど、オレンジ色は綺麗だし、おいしそうだ。
また今年も、この時期がやってきた。
市場で夜光鈴を買うのは、夏の恒例行事。
今年も、夜光鈴を飾って、精霊たちを迎え入れ、送り出す。
そして、夜光鈴の光が消える頃、わたしは、夏の終わりと、秋の始まりを察し、時の流れを想い、しみじみとした感傷に浸るのだ。
残照が消え、辺りはすっかり、暗くなっていた。
***