ARIA The Extension 作:Yuki_Mar12
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ネオ・ヴェネツィアの特産品に、こういうものがあることをご存知だろうか。
夜光鈴という名前で、夜光石を内に宿し、夜になると、その名の通り、光を発するのである。
夜光鈴は、とても人気のある品物で、その季節である夏になると、市場が開かれ、買い求めようとする人々でごった返す。
さて、その夜光鈴の、夜光石であるが、ARIAカンパニーの一室に、鈴の外れた状態で、一個だけあった。残っていたと言うべきかも知れない。灯里の暮らすギャレットである。本来季節が過ぎれば海に還されるのだが、どういうわけか、残っていた。冬の、それも、年を越そうという時期になるまで。
「あれっ」
引き出しを開け、整理していた灯里がきょとんとして見つける。頭に布を巻き、エプロンを付け、暮れの大掃除中だった。
アリシアはすでに帰宅していて、ARIAカンパニーには灯里一人だった。ウンディーネの仕事も既にすっかり片付いており、後は年始の事始めを待つばかりであった。ゴンドラはカバーをかけてあり、オールも所定の場所に仕舞われている。制服はアイロンがけをして畳んで、綺麗に衣装棚に収まっている。
手を伸ばし、小さな石ころを掴み取る。ちょうど夜になろうとする頃で、照明を付けていた部屋では、その幻想的な光はよく見えなかった。灯里も、最初その石が夜光石だと気が付かなかったほどである。
「あぁ、そういえば」
灯里は思い出す。その夏、彼女は例年のように友達である藍華とアリスと連れ立って、夜光鈴の市場へと出かけた。そして一個気に入ったものを買い、その光で毎夜茶会を開き、存分に楽しんだ後、寿命の尽きようとする夜光石を海へと投げたのだった。
その帰り道のことだった。
「ばいばぁい」
藍華とアリスに大振りに手を振る灯里。二人はやや呆れたように挨拶を返す。
岐路に来ていた。藍華は姫屋へ、アリスはオレンジ・ぷらねっとへ、それぞれ帰るため、灯里と別れた。
そして一人になった灯里。
帰り道の続き、足元に光を発する、丸みを帯びたものを発見した。
手に取ってみると、夜光石であることが分かった。
いささか困惑した灯里。どうして落ちているのだろう。誰かが置いていったのだろうか、それとも落としていったのだろうか。考えた。
置いていったとは考えにくかった。地面に、無造作にあったのだ。持ち主が意図して置くのであれば、他にもっと適当な場所がある。従って、落としていったに違いない。灯里はそう推断した。
夜光石は妙なくらい強く発光し続けていて、海に還すのは勿体ないと、灯里は思った。
「まぁ、珍しいわね」
ARIAカンパニーへと帰着した灯里。テーブルに付いてアリシアに事情を話した。アリシアはキッチンで食器をピカピカに磨いていた。
「いちばん最後の夜光石だったのかも知れないわね」
「それで、今でもこんなに強く発光しているんでしょうか」
「うん。そう思うわ」
アリシアの答えの後、テーブルの、ハンカチを敷いた上に置いた夜光石を見つめる灯里。石はターコイズの色で光っている。美しいと思った。
灯里は、ぐうぜん拾った夜光石を、しばらくの間自室の、テーブルの隅に置いて、夜消灯した後その光を楽しんだ。
夏が過ぎ、秋になり、灯里は、掃除しようと思って部屋を巡った。その時、テーブルの上の石に注意が行く。灯里は、別に必要ないと思った。依然発光し続けるその寿命に驚嘆することはなかった。毎夜毎夜見続けて、結局飽きが来てしまったのである。
灯里は夜光石を手に取ると、適当なスペースに突っ込んだ。そのスペースが、引き出しだったというわけである。
その後、月日が経ち、お月見が、ハロウィンが、クリスマスが、続々と終わった。コスモスが咲き、そして枯れ、窓に冷たい結露が出、雪がどっさりと降るようになった。人々は薄着ったのが厚着に変わり、白い息を吐くようになった。
藍華やアリスとは、もう十分楽しんだ。後はその年最後の夜を超すだけであった。新しいカレンダーは用意した。新年を祝うご馳走は翌日アリシアが万端整えてくれる予定だ。
大掃除がんばろうと、灯里は意気込んで臨んだ――
***
とけない雪がしんしんと降っていた。
夜の海辺は途轍もなく冷える。手袋をはめ、マフラーを巻いてきたが、それでも足りないほどだった。目がしょぼ付き、骨身を切るほどの寒気。緯度が高いネオ・ヴェネツィアでは仕方のないことだった。
持ってきた夜光石は、とうとうその光を弱めていた。まるでこの一年と寿命を共にしてきたようだった。
手のひらにちょこんと載る、ターコイズの淡い光。美しい微光。
自然と、あの夏が思い返される。子供じみて何度も無節操に繰り返した夜の茶会。藍華も、アリスも、よく付き合ってくれた。アリシアが淹れてくれた茶は美味しかった。時にはアリシアや、晃や、アテナも参加してくれた。暁も、ウッディも。更に言えば、グランマが参加してくれたこともあった。わいわいとした賑やかな喧騒が、響き渡ったものだ。
灯里は、何だか不思議な心持ちになってくる。今は一年の最果て冬の真っ只中。その冬の真っ只中で、じぶんは、夏を回顧し、そしてリアルに感じている。降雪に燦々と照る太陽の照射を見、雪雲が垂れ込める夜空に入道雲のそびえる蒼天を見る。
今じぶんは、ゴンドラでちょっと離れたところに来ている。積雪したカバーを外して、眠っていたゴンドラで。
厳しい寒さ。夜の、恐ろしい極寒の海で、灯里はすっかり参ってしまいそうだった。
が、たった一つのともしびが、打ち萎れることのないよう支えてくれていた――あの夜光石だ。
しかし、その夜光石も、最早夜陰に溶け込んでほとんど見えなくなっている。温かい光の感触を感じていた手のひらは、味気ない石の質素な感触しか感じないようになっている。
その時が来たのだ。
灯里は手のひらの夜光石を、そっと、お供えでもするように、海へと下ろした。
穏やかな飛沫を上げ、波紋を広げ、夜光石は、大いなる海への帰路へと付いた。その落ちていく軌跡を、灯里はずっと、いつまでも、ゴンドラのへりより首を伸ばして見下ろしていた。何だか、夏の思い出も、夜光石と共に落ち込んでいき、遠ざかっていくように思った。
「ばいばい」
藍華とアリスにしたのよりは、ずいぶんとしんみりした、憂いを帯びた別れの挨拶。手は振らなかった。
――ギャレットの大掃除はもう完了していた。ギャレット以外のスペースも抜かりはなかった。
静かな年越し。確かに寒いけど、寒いばかりじゃない。人間は、温もりを持っているし、求めてもいる。もし人間が冬、寒さしか感じることの出来ない憂鬱なだけの生き物であれば、我々は決して厳しい季節を乗り越えることが出来ないであろう。
夜光石の光の温もり、そして夜光石にまつわる思い出の温もり。
それ等の温もりが、凍える寒さに晒される灯里を、やさしく守ってくれていた。
(終)