ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.111「雪の降らない、とても寒い夜に」

***

 

 

 

 吐息の白く凍て付く、厳寒の真冬の夜のこと。

 

 わたしは姫屋の屋上にいて、手すりの上に両腕を組んで、いささか前屈み気味に、夜空をぼんやりと見上げていた。

 

 仕事が終わった後で、わたしは勿論、セーラー服は着ておらず、裏側がボアになっているベージュのパンツと、黒のパーカという出で立ちだ。どちらもゆったり目のサイズで、着ているとかなり楽なのだが、随分だらしない風貌になる。

 

 絶えず流れてくる洟を、ハンカチで拭う。

 

 今冬いちばんの寒気が来るということで、成るほど、確かに寒い。洗濯物が中々乾かないのが頷ける。

 

 この寒さのせいで、外を出歩くひとはまばらだし、わたしのいる屋上も、わたしを除いて誰もいない。

 

 夜空は冴え渡っており、大小の星がたくさん広い夜空の一面に、キラキラと瞬いている。

 

 まん丸の満月(※)が、薄い片雲に覆われ、淡い虹色の輪が、片雲に浮かびあがる。

 

 目線を下げると、夜においては空恐ろしい暗色の広がりでしかないが、海が見える。姫屋の正面の通りを隔てた海岸線に打ち寄せる波音が、耳を澄ますと、微かに聞こえてくる。

 

 姫屋の屋上の照明は、たったひとつ、屋上に突き出した塔屋の電球だけだ。扉を明々と照らす塔屋の付近を除くと、他は完全に真っ暗である。

 

 どうしてわたしは、寒い――それも今冬いちばんという寒さの夜に、わざわざ風のよく通るビルの屋上なんかに、ひとりでいるのかって?

 

 その理由は、特にこれといってない。ただ、わたしにも、ちょっと物思いに耽りたい時があるのだ。そういう時は、孤独になれるところを探すものだ。ひと気のあるところでは、集中が乱されて、中々自分の心と向き合うことが出来ない。うっとりさせる想像が浮かんだ時や、シュンとさせる悩みに悩んだ時など、そういう時に、わたしはこの場所へと足を運ぶ。

 

 将来のこととか、気になる異性のこととか、友達のこととか、物思いの種は、色々ある。

 

 だけど、この場所に来てそういった悩みとかが解決するかというと、解決しない場合の方が、より多いと思う。ここに来ることでわたしがどうなるかというと、屋上の景色に目を奪われて時間を忘れ、無我になり、心が空っぽになるという程度だ。

 

 だけど、そうなるだけで不思議と気分が安らぐもので、満足出来るのだ。

 

 

 

 ギィ……と塔屋のいくぶん古びた扉が軋みと共に開く音がし、わたしはギョッとして、扉の方に振り向く。

 

 まさかこの夜寒に、わたしみたいに物思いに耽りに屋上へと来るひとがいるのだろうか?

 

 わたしは電球のある扉の方にじっと目を遣り、現れた人影を見定めようとする。

 

「――?」

 

 相手はひとり。女性。わたしのように軽装の部屋着で、何かを探すようにキョロキョロしている。

 

 暗闇越しに、目が合った気がすると、相手が手摺の方へと近付いてくる。

 

 わたしは、妙にドキドキする。

 

 

 

「――藍華?」

 

「――晃さん?」

 

 

 

 相手の持っている電気式の手提げランプがパッと灯り、辺りがほんのり照らされると、互いが相手を視認する。

 

 高い鼻。凛とした目付き。ツヤのある長い黒髪。紅色の耳飾り。

 

 誰かと思えば、わたしの先輩の水先案内人だった。

 

「お前、屋上で何してるんだ?」

 

「わたしは……特に何も」

 

「今夜はとても寒いんだ。風邪ひくぞ」

 

「大丈夫ですよ。着込んできてますから」

 

 ふたりの白く凍る吐息が、互いにぶつかって混じり合い、暗闇に消える。

 

「お前、意外と陰気臭い趣味があるんだなぁ」

 

「放っといてください。乙女の純情が傷付きます」

 

「何が乙女だ。ただのおてんば娘だろう」

 

「わたしは晃さんとは違います」

 

「何ぃ?」

 

 売り言葉に買い言葉の応酬。わたしと晃さんは睨み合い、プイとそっぽを向き合うと、堪え切れなくなって、ほとんど同じタイミングで笑いだす。

 

「……はぁ」

 

 と、笑い終わってため息を吐くと、わたしは、色を正し、「何か御用ですか」、と訊く。

 

「お前、飯はもう食ったのか?」

 

「いえ、まだですけど」

 

「なら、よかった。ARIAカンパニーの灯里が、御裾分けにって、直接持ってきたんだ。コレ」

 

 そう言って、晃さんは小さめの紙袋を持ち上げて、見せ付ける。

 

「灯里が……へぇ、何だろう」

 

「ちょっと冷めてるぞ」

 

 わたしは受け取り、中身を確認する。

 

 中に入っているのは、食べ物だった。触ってみると、確かに、温もりがない。

 

「わぁ、焼き芋だ」

 

「部屋を訪ねてもいなかったから、探し回ったんだぞ」

 

「すいません」

 

「電子レンジで温め直すなりして、食べるといい。まぁ、冷めてもうまいだろうが」

 

「そうします。晃さんも、貰ったんですか?」

 

「あぁ。食べてしまったが」

 

「そうですか」

 

「さて、用は済んだ。わたしは中に戻るぞ」

 

 晃さんが、クルリと後ろを向き、首だけで振り返って言う。

 

「……」

 

 紙袋を胸に抱いて、わたしは、ちょっと勿体ぶって意味深に沈黙する。

 

「藍華?」

 

 洟が流れて来、わたしはまた、パーカのポケットのハンカチを取り出して、拭う。

 

「雪、降りませんね。すごく寒いのに」

 

「そうだなぁ」

 と、晃さんはきょとんとした顔で空を見上げて返す。

「冷たい空気だけ来て、雪雲が来てないんだろう。まぁ、そういう時もあるさ」

 

 わたしは納得した。

 

「考えごとは大いに結構だが、体を壊すんじゃないぞ」

 

そういう風に軽く注意すると、晃さんは、去っていった。

 

 わたしはしばらくの間、晃さんの出入りした塔屋の電球に照らされた扉をじっと見つめていた。

 

 寂しいんだか、寂しくないんだか、ハァ、と気持ち強めにため息を吐くと、大きめの白い塊が上がり、消えていった。

 

 わたしはまた手摺の方を向いて、夜空を見上げる。無数の星の瞬きと、半透明の千切れ雲の眠くなるほどゆっくりとした流れ。耳を澄ますと聞こえる落ち着いた波音。

 

 紙袋の中の焼き芋を取り出して一口、齧ってみる。――冷たい。完全に冷めてしまっている。

 

 しっかりした甘味があって、食べられなくはないけど、やはり暖かい方がよりおいしいに違いない。

 

 また、わたしは、息を吐いて、白く凍って昇っていく様をぼんやり見届ける。

 

 ふと、我に返ると、そろそろ帰ろうと思っている自分のいることに気付く。さすがに、どれだけ厚着していても、長々と寒さに身を晒していると、芯まで冷え込んでくる。

 

 こうして見上げる夜空。無数の星、たなびく薄雲、満月。

 

 晃さんのいた方に振り向き、暗闇をじっと見つめ、ぼんやりと、さっきの情景を思い浮かべる。

 

 何となく儚さを感じ、わたしは切なくなったが、その感傷は刹那のもので、すぐに過ぎ去っていった。

 

 わたしは塔屋へと歩いていき、扉を開けて中に入り、階段を下りると、自室へと一直線に向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 夜ご飯もお風呂も済ませ、後は寝るだけとなった後、パジャマ姿のわたしは、暖房の効いた室内で、ベッドの上で壁にもたれて座り、ぬいぐるみを胸に抱いて、ARIAカンパニーの灯里と電話していた。

 

「焼き芋、受け取ったよ。わざわざ届けてくれて、ありがとう」

 

「どういたしまして。おいしかった?」

 

「うん。晃さんから受け取った時には冷めちゃってたけど、温め直して食べた」

 

「そう。よかった。最近かなり寒いから、焼き芋とか温かい食べ物がおいしいね」

 

「うん。そうだね」

 

 そう答えた後、洟が流れて来、わたしは手近にあるティッシュ箱より一枚出して、鼻をかんだ。

 

「あれ、藍華ちゃん、風邪?」

 

「ううん。ちょっと外に出てて、体が冷えちゃったみたい」

 

「そう。今夜は暖かくして寝るんだよ。明日の合同練習、アリスちゃんと一緒に待ってるからね」

 

「うん。大丈夫。ちゃんと行く」

 

「お大事に。じゃあね、藍華ちゃん。おやすみ」

 

「うん。おやすみ。灯里」

 

 そう挨拶し合い、わたしは電話を置く。

 

 

 

 ハァ、とため息を吐いてみても、今は白い塊とはならない。

 

 わたしは、ぬいぐるみを脇にやって、窓より外の様子を窺ってみる。

 

 雪は降らないけど、とても寒い真冬の夜。星がキラキラと瞬き、満月がやさしく微笑んでいる。流れる雲が、夢のように霞んでいる。

 

 照明を消し、部屋を真っ暗にする。

 

 掛布団を被って見上げる天井に、今夜見上げた夜空の模様が、ぼんやりと滲んで見える。

 

 海の波が海岸線に打ち寄せるように、眠気が穏やかに押し寄せて来、やがてわたしは、遠い彼方のまどろみの方へ、夜の暗闇をぷかぷか浮かんで、漂っていく。

 

 

 

***




(※)ARIAの公式設定では、アクアは火星であるため、位置の関係で月は見えないことになっています。作者は創作の流れでうっかりその設定を無視してしまいました。お詫びして追記いたします。
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