ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.115「夕焼けの光跡」

***

 

 

 

 時は流れる。

 

 一分が、一時間が、一日が、過ぎる。時計の針は、過ぎた時間の分、確実に、断固として、きっちり進む。

 

 日輪が昇って落ち、草花が陽気に芽吹き、枯れ枝に冷たい白雪が積もる。

 

 子供の頃は、時間が無尽蔵にあったように思うけど、大人になり、こなさないといけないルーティンが目白押しになると、時間が限られたものであると痛感する機会が多くなる気がする。桜の花が見たいと思っても、ピックアップ出来るチャンスは、子供の頃と比べると、大人においては少ない。意気込んで観桜に行ってみても、すでに葉桜になっていたり、まだ蕾のところが多かったりして、なかなかうまく行かないし、いざ実際に見頃の桜が見られたとしても、なぜか期待したほどの感激がなく、怏々とする。

 

 

 

 ふと振り返って顧みてみると、小さい後悔が点々と並んでいる。わたしは元々ものぐさだったし、致し方のない部分はあるのだけど。

 

 

 

 1DKのわたしの部屋。洋室のベッドのそばにラックがあり、その上に、ガラスのフォトフレームに入った一枚の写真がある。

 

 夏の夕べ、日中暑かったのが涼しくなり、快い風が、開放した窓より部屋にサラサラと流れ込んでくる。夏の大きい夕日が、紅色に雄大に燃えている。

 

 わたしはフォトフレームを手に取ってみる。置きっ放しにしていて、埃まみれになっているのがよく目立つので、クロスで軽く拭く。

 

 写真には、二人映っている。オレンジ・ぷらねっとにいた頃の、制服姿のわたしと、アテナ先輩。大運河の岸の、石製の飾り気のないベンチに、肩が触れ合うほどの距離で並んで座り、スマイルしている。ライラックのショートヘアと、小麦色の肌が懐かしい。先輩は天然で、後輩というのによく突っ込まされたものだった。

 

 

 

 十年が経った。歳月の流れは驚くほど早く、その速さはしばしば残酷にさえ思える。過ぎた時間において、得たものに対して、失ったものの方が多く感じる。今が不幸というわけではないけれど、昔というのは、わたしにとって、いつも甘い香りがしてくるもので、その相は、いつもそよ風のように優しい。

 

 アリスちゃんと呼びかけたり、きょとんと小首を傾げたりしていたアテナ先輩は、もういない。

 

 寂しさに、少し泣きそうになる。

 

 ふと、ベッドの上のスマートフォンが、メッセージの来たことを通知する。

 

 そういえば、今は八月。この時期には、”皆”で集まることにしている。あの頃よくツルんだ三人で。

 

 通知を確認してみれば、やっぱりその通り。藍華先輩のお誘いだった。

 

『やっほー後輩ちゃん。元気してる? また皆で集まって話しようよ。時間は、×月×日でどう? 場所はバー・ダンダロで。返事よろしく!』

 

 文面に彼女の面影が強く浮かび上がっている感じがし、わたしはほっこりして、思わず口角が上がる。

 

 即時、『OK』と返信。手に持ったライムグリーンのシリコンカバーのスマホをベッドに放ると、わたしはカーテンをめくり、手のフォトフレームを夕焼けに向かってかざす。眩い夕日が、ガラスの中で放射状に燦々と照り、逆光の中で、写真に写る笑顔のわたしとアテナ先輩は、何だかいきいきして見えてくる気がした。

 

 

 

◇

 

 

「はい、チーズ」

 

 パシャリとシャッター音がする。

 

 わたしと灯里先輩は、いい感じにピースして、同じくピースしている藍華先輩の持つカメラに一枚撮影される。後ほどわたしたちの模様がSNSにアップされるのだろう。

 

 バー・ダンダロ。サン・マルコ広場より少し外れた、ラグーナ・ヴェーネタ潟に面する通りの居酒屋だ。寺院などの神聖なる建築の近所に位置するせいか、内装は宗教的様式のもので、絢爛で、居酒屋と言うと違和感がある。入口の両開きの扉の上には、中世っぽい絵画がかかっていて、シャンデリアが天井の各所に煌びやかに吊り下がっている。柱は宮殿にあるもののように太く、窓はアーチになっている。ちょっとお高い居酒屋と言えばいいだろうか。

 

「乾杯!」、とわたしと灯里先輩と藍華先輩は、それぞれの酒杯を持って軽くかち合わせる。

 

 まっすぐのグラスに入った夕焼け色のオレンジのカクテルが、甘酸っぱくて爽快だった。

 

「アリスちゃんのそれ、美味しそうだね」、と灯里先輩。

 

 あの頃より十年経った彼女は、しっとりして、落ち着いた気風になっている。もみあげのところでヘアリングでまとまっていた髪型は、今は変わり、肩にかかるくらいの長さのレイヤーカットだ。服装は、上は白のブラウスで、下は濃い青のロングスカート。

 

「元いたオレンジ・ぷらねっとにちなんで頼んだんでしょ」

 

 藍華先輩が看破した風に言う。だが、わたしは別にそういったつもりで頼んだのではなかったため、「でっかい誤解です」、と返す。彼女はというと、一度とある不幸で短くなった髪が、思い切り伸びて、今はスーパーロングといった具合だ。センターで分けた前髪はふんわり浮いたアップバングで、毛先は後方に自然に流れている。白と紺の半袖のトップスに、黒いラップ風パンツという出で立ちだ。

 

 腕の辺まで覆う背もたれの湾曲したソファが囲う円卓に、明るい笑い声が上がった。アルコールが入り、それぞれ上気した感じになる。アラサーになったわたしたちは、結婚したいんだかしたくないんだか、各々今なお独身でいる。

 

「学校の先生の方は? 順調?」、と灯里先輩。

 

「どうでしょう」、とわたしは少し悩む。「生徒には色々いますからね。大人しかったり、わんぱくだったり」

 

「後輩ちゃん、仏頂面で怖がられたりしない?」

 

「むしろ、妙に親しまれます。背が低いせいでしょうか」

 

「アハハ」、と灯里先輩が穏やかに笑む。「アリスちゃん、よかったね。先生として、親しみやすいのは長所だよ」

 

 談笑の間に、パスタやサンドイッチやナッツなど、注文した料理が運ばれたり、逆に空になったグラスや皿が下げられたりする。

 

「頭がよかったら、わたしも先生になってたかなぁ」、と藍華先輩。

 

「藍華ちゃんは、あんまり向いてないんじゃない?」、と灯里先輩。

 

「何でよ?」

 

「ほら、『~禁止!』って、藍華ちゃんの口癖でしょ? 何か厳しい先生になりそう」

 

「アハハ、一理あるかも」

 

 藍華先輩は朗らかに笑って、納得するようだった。

 

 

 

 愉しい時間はあっという間に過ぎ、わたしたちは、深酒はせず、料理も腹八分目までで済ませ、やがて雰囲気はお開きという感じになった。

 

 付き合いの長い三人が一年ぶりに再会し、旧交を温め、やっぱり昔話に花が咲き、何だかわたしは、十年前に戻ったようで、ほろ酔いだったことが助け、いい気持ちになった。

 

 わたしたちは店の外の、店の照明でほの明るいところでしばらく名残惜しいようにしゃべり、しかし、その内疲れて何となくダルくなってくると、空気がしめやかになり、藍華先輩が、「それじゃあ」と切り出し、解散になった。

 

 わたし、灯里先輩、藍華先輩の三人は、散り散りになって帰っていった。

 

 すっかり暗くなった夜道、ややふらついているわたしは、ふと立ち止まり、夜空を見上げた。淡く透き通った薄い雲の向こうに、無数の星々が皓々と照っていて綺麗で、思わず陶然と見上げてしまった。

 

 波音がザワザワ聞こえる中で、澄んだ歌声が、遠くより響いてくる気がした。目を瞑ると、ライラック色の短い髪と小麦色の肌の”あの人”の面影が、おぼろげに浮かび上がって来、舟謳の響きは、波音と混ざり合って、あるいは懐かしく、あるいは悲しくて、またわたしは、少し泣きそうになった。

 

 

 さっきまで愉快に騒ぎ、笑っていた旧知の三人の歓声と、

今はすでに過ぎ去った、切ないほど美しい思い出の呼び声が、

交わり、重なり、溶け合い――その響きは、体の隅々まで広がり、深く沁み込むようだった。

 

 

 時は流れていた。わたしは、その流れにたゆたい、流され、けれどたまに気が変わって、流れに逆らって泳いでみようとするのだった。

 

 

 

(終)

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