ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.15「ぼやけた眼の見るもの」

***

 

 

 

 冬の中頃のとある一日。北風のよく吹く寒い、さっぱりと晴れた日。

 

 わたしは、海辺のベンチにひとり、ぼんやり座っていた。周りには誰もいなかった。夕暮れ時だった。

 

 今日は寒い。全身が微かにふるえているのが分かる。息を吐くと、喉までふるえているのが分かる。

 

 だが、帰ろうとは思わなかった。もうちょっと、こうしてここに座っていようと思った。

 

 見上げると、小さなあかりの点滅しているのが見えた。宇宙船の信号灯だ。サン・マルコ広場のドックより出て、マン・ホームに向かうのだろう。

 

 信号灯の点滅としてのみ見えるその旅の船を、わたしはずうっと目で追った。切れ切れの雲が浮かぶ夕空を、そのあかりはゆっくりと飛行していく。

 

 そしてやがて、雲の濃いところにまぎれて、見えなくなる。

 

「藍華、こんなところで、一体何してるんだ?」

 

 ふと声がして、首を曲げてわきを見ると、あぁ、と納得する。

 

「晃さん」

 

 姫屋の先輩だ。腕組みして、何だか気難しそうな雰囲気だが、まぁ、いつものことだ。

 

「たまには、こういうのもいいかなぁって」

 

「こういうの?」

 

 晃さんは小首を傾げ、怪訝そうにする。

 

 わたしは「えへへ」と晃さんに向かって照れくさそうに笑むと、また空に目をやる。

 

「こうしてぼうっと空を見るのも、何かね、気がまぎれるというか、自分を忘れられるというか……」

 

「要するに、何かすっきりしないことがあるというわけか」

 

「え?」

 

「そうだろう?」

 

 すっきりしないこと――何だろう。自分でもよく分からない。

 

 海の水音が聞こえる。じゃぶじゃぶと。海には満々と水が漲っている。

 

 しかしこの時期に海水浴というのは、恐ろしいことだろう。凍える寒気。心臓が止まるほどの冷水。そうだ。冬の海は、余りにも厳しいのだ。

 

 すっきりしないこと――わたしは、自分でも把握出来ないような深いところに、わだかまりを負っているのだろうか。

 

「まぁいろいろあるだろう、生きてりゃ」

 

 両肩にポンと手がのる。晃さんだ。晃さんは、わたしの背後にいつの間にかいて、わたしとほとんど密着する距離にいる。それが、何だかわたしを安心させる。

 

「かんたんに始末出来ることがあれば、反対に、始末の悪いこともある。そういうものだ」

 

「そうですね」

 

 紫っぽい夕空にある雲の内、ある断片的な雲が、輪郭がぼやけていて、まるで乱雑な絵筆の跡のようだ。

 

 日の暮れていく空。とても名残惜しい思いにさせる空。待ってと懇願しても、甲斐のない、寂しい空。

 

 晃さんの手は、とても温かい。その温もりが、手の重みと共に、肩より伝わってくる。

 

 だが、その温もりも消える。空は暗くなる。

 

 晃さんはもういない。わたしはまだベンチに座って、ぼんやりしている。

 

 気ままに随想を、指で夜空に描き出す。すると、白いもやもやが軌跡となって現れる。鳥を描けば鳥が現れ、翼を開いて羽ばたき、飛んだり、餌をついばんだりする。そして消失する。

 

 わたしは晃さんを描いてみる。すると、晃さんはわたしに、風邪を引くぞ、とか、明日朝起きられないぞ、とか、甲斐甲斐しい注意を言ってくれる。

 

『要するに、何かすっきりしないことがあるというわけか』

 

「――と、思います」

 

 耳鳴りのように響くまぼろしの声に、わたしはうなずいて返す。

 

「選択肢がいくつかあって、ううん、いくつも、数え切れないくらいあって、わたしは、選択肢は、たったひとつでいいのに、そんなにあるから、選べなくって、迷って、それで……」

 

 どうすればいいんだろう、わたしはそう、自問するように、晃さんに問いかけた。ひしと切ない思いを抱いて、頼れる先輩を頼った。

 

 ――だが、晃さんはもう跡形もなかった。

 

 きっと姫屋に帰ったのだろう。そうに違いない。

 

 わたしは自身をぎゅっと抱く。寂しいという気持ちで。寒いというつらさで。

 

 わたしの肩にもうあの手はない。あの温もりはない。そしてわたしの指は、もう何も描くことは出来ない。

 

 夜空には星がいくつもあった。いくつも瞬いていた。ひとつでいいのに。たったひとつで……。

 

 わたしはフラフラとめまいがする感じを覚えた。

 

 そしてその、空に星がいくつもあるということが、わたしにとって、苦しい重圧であった。

 

 

 

(終)

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