ARIA The Extension 作:Yuki_Mar12
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泣きべそをかいた顔を見せると、あの人はにっこりと笑い、わたしの頭をやさしく撫でてくれた。昔の話だ。
「晃さん」
わたしはそう呼びかける。
すると、「うん」、と短く発して、椅子に座っている彼女はわたしを見る。眼鏡をかけている。普段はかけていないのに。どうも目がよくないみたいで、ああして視力を補強しないと、読み物の文字がよく読めないみたいだ。
昔わたしはよく泣いたものだ。本当に、簡単に、あっという間に泣く子供だった。そういう風に、親は、いくぶんの嘲りを込めて語る。わたしはそのことを聞く度にしっくりしない気分になる。というのも、よく覚えていないのだ。確かにひんぱんに激情と落涙とで頬を赤くしていたとは思うが、実際はどうだったのだろう。
わたし達は部屋に一緒だった。わたしは四角いテーブルにカーペットにべったりと座ってぼんやり無為に過ごしており、他方彼女は――晃さんは、デスクに向かっていた。だが、課業に従事しているというわけではなく、雑誌を読んでいるのだった。今日は仕事が休みだった。
短く切った髪の毛に触れ、指で弄ぶ。だが、短いがゆえ、弄びがいがあんまりない。
「何だ呼びかけておいて、何か言うことがあるんじゃないのか」
「……」
わたしはあえて応答しなかった。
すると、彼女はいささか憮然としたように、また呆れたように、スゥと鼻でため息すると、目を再び雑誌に移す。
「悪いが、お前の無聊を慰めることは出来ないぞ。わたしはわたしで、やりたいことがあるんだ」
「そうですか」
「あぁ」
艶やかな褐色の髪が部屋の照明を受けて麗しい光沢を放っている。耳には紅色の飾り。ジュエリーのようで、とても綺麗と思う。多分、あの色にはこだわりがあるんだろう。詳しく聞いたことはないけど。
では、今聞いてみよう。どうせ暇を持て余しているのだ。
「耳飾り」
「うん」
「その赤い耳飾りって、どこで買ったんですか」
「この耳飾りか?」
晃さんは首を傾げて、わたしに見せ付ける恰好になる。紅玉がきらりと煌めく。その煌めきは魔性を帯びているようで、わたしは心なしか胸が高鳴る。
「ずっと綺麗だなぁって、思ってたんですけど」
そう言うと、晃さんは手の雑誌をデスクに置いて腕組みし、天井を仰いでううんと唸り始める。
「忘れた」
「えっ 忘れちゃったんですか」
「あぁ、たびたび買っているんだ。どれがどの店で買ったものなのか、一々覚えてなんていられないよ」
「まぁ、そうですよね」
「何だか釈然としていないようだが」
「別に……」
「この赤は」
、と言って晃さんは耳飾りを指さす。
「薔薇の赤そっくりで、綺麗だろう?」
何とも嬉しそうに、自慢げにそう言う晃さん。
「えぇ」、とわたしは答える。
すると、突然、わたしの瞳の中で、何かが砕け散る。粉々になって、ダメになる。わたしはハッとする。幻(ビジョン)だった。
親はわたしに、昔はよく泣く子だったと言う。老舗姫屋の跡取りが、泣き虫では頼りないと憂慮していたようだ。
砕け散ったのは赤い、丸い玉だった。晃さんの耳飾りにそっくりの、否、最早、その耳飾り自身であったかのように思えるほどの、紅玉だった。
珍しいガラス玉を拾ったと、わたしは友達の皆に見せびらかして回った。わたしがとても、とても幼少だった頃のエピソードだ。
今日のように面白みのない一日のことだった。わたしは散歩するでもなく外に出ると、刺激を求めてブラブラ歩いた。泣き虫でもあれば、活発で快活な子供でもあったらしい。親の語るところだ。わたしはよく覚えていない。
わたしは途中、物陰に、美的感覚に訴える煌めきを発見した。その煌めきが、例のガラス玉だったというわけだ。実際は安いガラス玉であったが、わたしには、宝玉同然の代物であった。無知だったわたしにとってはそうだった。
わたしは本当に凄いものを拾ったと思って有頂天だった。薔薇と同じ色をした宝玉。わたしはポケットのハンカチで丹念にその玉を磨くと、近いところにある友達の家を訪ねて見せびらかした。
皆、異口同音に「すごぉい」と感嘆してくれた。わたしは嬉しかった。とても嬉しくて手の舞い足の踏む所を知らずといった感じだった。殺伐とした一日に鮮やかな彩りを加える一事だった。
太陽の光を透かして眺めると、その玉の光は一層美しく見えた。わたしは一通り見せびらかしてしまうと、今度はより綺麗に見える場所を探して彷徨した。さんざん歩き回ったが、疲れ知らずだった。
ある建物、公に開放されている一軒の、その屋上に上がったわたしに、悲運はやって来た。いいロケーション。いい時分だった。目前に太陽があり、それも夕方で、赤々と照る夕日だった。
わたしは何かの儀式でもやるように、しかつめらしい仕方で、小さなガラス玉を両の手で持ち上げ、夕日に捧げるようにかざした。
その時だった。強風が吹いてわたしは気が逸れ、そして、ガラス玉が落ちた。
愕然として地階まで急いで下りていき、わたしは地に両手を突いてボロボロと涙をこぼした。ガラス玉の破片がその辺に散らばっていた。見るも無残に散らばっていた。
ガラス玉と一緒に、わたしの心までが砕け散ってしまったようにその時思えた。胸が痛かった。後悔が大波のように押し寄せてきた。自責の念もあった。
「大丈夫か」
と、ふと、声がかかった。わたしはべそをかいた顔を上げた。すると、長い褐色の髪の、すらりと背の高い女性が見えた。彼女が誰なのかは、その当時あんまり知らなかった。親から素晴らしい水先案内人がいるとは聞いていたが、所詮その限りで、疎かった。晃という名前は、ちゃんと知っていたけど。
「やれやれ」
彼女の隣には、ブロンドの女性がいた。今となっては、よく知っている人物である。
晃さんは薄暗い中地道にガラスの破片を拾い集めると、両手に乗せてわたしに見せてくれた。
「悲しいなぁ、こんなになってしまったなぁ」
わたしはちょっと治まっていた悲しみが、晃さんのその言葉でまた込み上げてきて、涙が噴出した。
「あらあらまぁまぁ」
あやしてくれたのはアリシアさんだった。彼女は小さなわたしの隣にしゃがんで、背中を撫でてくれた。そのお陰で、ずいぶんと落ち着いたものだ。
他方晃さんは、細片となったガラス玉を宙に繰り返し投げて遊んでいた。その細かい破片の、夕日を受けて放たれる光が、綺麗に見えたものだ。
「――わたしは、覚えてますよ」
「?」
晃さんはきょとんとする。
「覚えてる? 何をだ」
わたしはあえて応答しない。
すると晃さんは、やはり憮然として、鼻でため息して雑誌に耽る。
わたしは、じっと、耳飾りの紅色の玉に見入る。そして彼女の横顔を見る。
あの時悲しかった思い出も、今となっては、微笑ましくも懐かしい、いい思い出となったものだ。
(終)