ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.31「星流」

                    『星流(せいりゅう)

 

 

 

***

 

 

 

 涼しい風の吹く夜だった。その仕事を終え、他の細々とした雑事も終え、後は床に就くだけという段になって、わたしは、寝衣に着替え、ARIAカンパニーのバルコニーにスリッパを履いて出、夜空を眺めていた。

 

 夏の盛りだというのに、とても過ごしやすい一夜だった。たまたまなのだと思う。また近く、もう明日からでも、猛々しい暑さが威力を振るい、わたし達は、消耗し、夏という季節の過激さに改めて感心することになるだろう。

 

 だとすれば、今夜、この涼しい夜というのは、かなり貴重だ。汗のないすべすべの額。寝苦しい夜には汗でべたべたになる。

 

 星の流れは非常に遅々として、眺めているにはややもすれば退屈になりがちだった。だが、星辰の光を涼感に落ち着いたまなこで見つめていると、センチメンタルにでもなるのか、何とはなしにうっとりとして、時間を忘れて見入ってしまうのである。

 

 アリシアさんは帰ってしまった。社にはわたしを除き、誰もいない。静まり返った街は乱されることのない眠りに入っているようだった。穏やかにさざめく海は聞く者の耳に何かささやきかけているようだ。濃紺の海原と宝石のような青の夜空の対照は美しい。

 

 この夜が、海も、空も、星も、ぜんぶ込み込みで、わたしは好きだった。どういう形の好き、だったのか、うまく言えないけど、恋人や友達と一緒になりたいという欲求と特に変わらず、相手と同一化したいという気持ちが漠然としてあった。

 

 わたしはこの夜と添い遂げたかった。この夜と抱擁し合いたかった。この夜そのものになりたかった。

 

 それは、わたしの心の中に渦巻いていた思念たちの、比較的分かりやすい断片であった。他には眠りたいとか、小腹が空いたから冷蔵庫のスイーツを一口でも食べたいとか、そういう思念もあったと思う。

 

 センチメンタルになりがちな人間の心は、とかく様々な思念のめぐる渦があるものだ。わたしもその一人だった。幸せを喜び、諧謔や滑稽や皮肉に笑うよりは、悲哀に嘆き、切なさに涙する方が得意だった。少なくとも自分にはそういう自覚があった。

 

 イメージの中に、わたしはこの闇、濃紺、星辰の夜という存在と合一する様を思い描いた。わたしは海川に落ちる雨しずくや、火山の溶岩に転がっていく石ころのように、わたしは夜という広大な面にどっぷりと浸かり、夜と同様に闇を抱き、彼方に遠のいた太陽の光を借りて濃紺に染まって、星々をもてあそぶのだった。

 

 陶然とした気分で、目をつむって果てしのない空想をしていると、次第と現実感覚が薄れて足元さえ覚束なくなるのはわたしのような性状の人間にはよくあることだった。

 

 目をつむりながら睡眠欲が高じていたわたしは突如ぐらッとからだの傾くのを感じてびっくりし、目を開いた。現実が空想へと離れた人間を自身へと引き戻すその力は圧倒的で、また暴力的だ。わたしはいくぶん息を乱してしまった。わたしは愛しい夜と物別れになった。だが哀しくはなかった。空しかったし、バカバカしいと悟りさえした。

 

 ぐらっとして驚きに目をぎょっと開けたその刹那、わたしはわたしの視界で、星辰の残影がびゅうっと伸びて尾を引くのを見た。白い線のうねりが夜空に流れた。

 

 もう寝てしまおうと思った。頭が重かった。決して不快だったり、愁訴があるわけではなかった。我に返った、ただそれだけだった。

 

 バルコニーより屋内に戻り、ガラス戸を閉め、施錠し、カーテンをかける。

 

 自室に行き、ベッドに潜る。寝たと思ったら、起きて、わたしは目前に何匹かの白うさぎを見て不思議に思う。どうしてわたしの部屋にうさぎがいるのだろう。だが、白うさぎたちはわたしのきょとんとした顔をそのルビーのような瞳で見ると、そっぽを向いてぴょんと跳ね飛び、円窓を通り抜けて空に向かい、そしてその軌跡は、あのわたしが目まいした時とそっくりそのままの、白光りする残影の流れとして、刹那、残ったのだった。

 

 

 

(終)

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