ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.68「新しい日々よ、来たれ」

***

 

 

 

 ある風景――今、わたしが眺めている、手摺のある海岸線の道路からの、海の彼方までずっと続く一帖の風景

 

 

 広い風景だ。凪いだ水面に、港湾の街並み。晴れた空には綿雲。そして、星間連絡船と、浮島。

 

 

 何となく、その風景ははっとさせる色合いだった。全てが調和して、そしてそれぞれ際立っていた

 

 

 日光を受けてまばゆいほど皓々と光る白壁の建物。グラデーションを帯びた海原と空

 

 

 沖合には風力発電の風車が、無風の今はただ佇んでいるばかり

 

 

 秋の深まりに葉の色付いた草木を所々に茂らせている岩塊の浮島。その様は、いわば墜落しない隕石が――墜落しない隕石などないけど――低い空で惑星になって、アクアと仲良しになったみたいだ。

 

 

 サラマンダーの居場所。天候を制御する巨大炉の冷却のための水が、排出され、滝となって、浮島より流れ落ちている

 

 

 ふと、それまで凪いでいたところに、風が立つ。フワッと、強めに

 

 

 風車のはねが、目覚めたように、ゆっくり回り出す

 

 

 すると、わたしが今見ている風景が、風の手によって起き上がってくる。にわかに立体感を帯びてくる

 

 

 浮島のそばをかすめるように飛行する連絡船。それぞれ左右に付いている、空力を意識した魚の腹ひれに似た大きいフィンと、ラジエターファンを覗かせるエンジン。まるで連絡船は、空を泳ぐ機械の魚のようだ

 

 

 浮島の滝の、流水の帯が、風に煽られてうねる。静かだった海原に、波が細かく立ってざわめき、浮島の『しぐれ』に波紋がポツポツと浮かぶ

 

 

 冬服のセーラー服――ウンディーネの制服のポンチョ・コートと、スカートの裾が、風にフワッと捲られそうになり、わたしは慌ててサッとスカートの裾を手で押さえる。制帽は――そばに置いてある

 

 

 だが、風がやめば、元通りになる。風景は奥へと退き、平面的になる

 

 

 頭上を厚い雲が、「どうしたの」、と、わたしの顔色を窺うように覆い、辺りの陰翳が濃くなる

 

 

 心にポッカリと空いた穴。木のうろみたいに、誰にえぐり取られたのかてんで分からない、災禍と不幸の穴

 

 

 風が吹き込めば、寒いし、また痛い。亡者の声かと思ってしまうほど空恐ろしい音が、責め付けるように、また慨嘆するように鳴る

 

 

 一片の紅色のカエデの葉が、わたしのもとまで漂ってくる。浮島の木より落葉したのが波に乗って漂着したようだ

 

 

 わたしは前かがみになって、手を伸ばして拾う。真紅に色付いたカエデ……綺麗と思い、そばの制帽に飾り付けるようにして添えてみると、しっくり納得が行くようだった

 

 

 純白の制帽に、アクセントとなる紅い飾り……大人びた紅。わたしがまた付けたことのない、いずれ付けたいと願っているルージュと同じ色

 

 

 大人になったら――プリマになったら――アリシアさんと同じところまで行けたら、その時に、ルージュを付けようと思っている

 

 

 思い返せば、長いブロンドの髪の、そのかぐわしい薫香が香ってくる。アリシアさんの香りだ

 

 

 それまでは、子どもとして、子どもらしく、ナチュラルに

 

 

 パッと指を離すと、カエデはヒラヒラと翻って舞い、落ちていった

 

 

 陰を差していた頭上の雲が遠のき、日の光が復活する。海原の照り返しで、わたしは思わず目がチカチカする

 

 

 アリシアさんのところまでは、いったいどれだけの試練と苦難があるのだろう? 考えて、わたしは気が遠くなりそうだった

 

 

 いつまでわたしは子どもで、未熟なのだろう。半人前(ペア)の手袋はいつ外せるのだろう。

 

 

 心に空いたうろが闇を抱いて冷え込む。憂いが起き上がる。恐れ、不安。気後れと自罵、自嘲。尻込みし、後退しようとする意志

 

 

 風車のはねが、今は止まっている。やんでしまった風。次はいつだろう?

 

 

 連絡船は彼方へ飛び去り、浮島より四方へ張り巡らされた空中のロープ・ウェーの鋼索は、まるで傷付いた空のひび割れのようだ

 

 

 だが、この風景。わたしが今眺める、この海岸線から水平線までの、冴えた色合いの風景が、わたしを支えてくれていた

 

 

 薄いヴェールがかかったように、朧気にかすんだこの風景が恵んでくれる目の喜びが、わたしを完全に落ち込んでしまうことから守ってくれていた

 

 

 失ってしまったものを惜しむのは、決して悪いことではない。だが、固執するのはよくない。失ったということは、古くなってしまったからなのだ

 

 

 幼虫が蛹となってやがて羽化した時、蛹は、ただの殻に過ぎない

 

 

 何かが古くなること、失うことは、新しい日々へ向かうことへの啓示なのだ。重力に這っていた幼虫は、やがてはねを得て宙に羽ばたいていく

 

 

 風が立つ

 

 

 風景が起き上がる

 

 

 白壁の街並み。雲の流れ。鳥たちが群れて飛んでいく

 

 

 風車が再び回り出す。さざ波がざわめく。落差の大きい浮島の滝が、直線から弧線に変形する

 

 

 わたしの目は喜びを味わう。ポッカリと空いた心の穴は鳴りを潜め、今はポカポカ温かい幸福感に満たされる

 

 

 こういう具合でいいのだ。わたしは安んじて肯定する

 

 

 悩んでもいい。憂えてもいい

 

 

 新しい日々への啓示が、わたしを導いていってくれる

 

 

 

(終)

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