ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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古都に冬が訪れる。こごえる季節のはじまり。


Page.7「冬来たる 」

***

 

 

 

 しんと静まり返った夜。すやすやと寝息が聞こえる頃。濃紺を湛えた海の上、水先案内を営む会社が浮かぶようにある。ARIAカンパニーである。

 

 今はずいぶんと遅い。そのため、会社の窓に照明は見えなかった。

 

 海と同じように、広大な空。夜の空。無数の星が瞬き、そして大きく膨張した雲が流れていた。雲はたくさんの水分を含んでいるようだった。そして雲、そのもやもやとしたスモークに、星によく似た光が、それも微かな光が、キラキラと光っているように見える……

 

 

 

 

 

 

 消灯された室内。微弱な光明がARIAカンパニーの屋根裏部屋を、寒気立つような青白さで、夢のように染めていた。星の薄明りだった。

 真っ白な寝衣が、星々が落とすその妖しい青白さの中で、美しい輝きを帯びていた。

 彼女はベッドの上にいた。新米の水先案内人だ。灯里は、布団をコートのようにまとって、ベッドのそばのまるい窓に向かって、外を眺めていたのだ。

 

 窓はよく磨かれていた。ガラスは、新品のような光沢を持っており、そしてあまりにも清いので、その面は、鏡と同様の性質を有していた。

 

 窓を境にして、二人の灯里が対面している。ある方はくっきりとした実像。他方は儚げな透明さを帯びた虚像である。

 

《すっかり、寒くなりました》

 

 灯里は、ハァ、と窓ガラスに息を吐いた。すると、凍り付いたガラスの一部が、淡い結露で白く曇り、灯里の虚像はその分掻き消えた。しかし、程なく結露は失せ、消えていた灯里の一部が元に戻ってくる。面白いような、また面白くないような、自然現象を用いたあどけない戯れだった。

 

《冬になった、ということです》

 

 灯里は憂わしげに目を細め、物思うように俯けた。

 

 ――そんな様子が、ARIAカンパニーの窓より窺われる。目を瞑って、俯いている灯里の姿。寂寞とした闇夜の風景を映し、その物悲しい風情を帯びた小窓の奥で、じっとしている少女の姿は、哀れな囚人のように、見えなくもない。

 

 水中に頑丈な脚によって立っている社屋。海は盛んに波立ったが、揺動する気配は微塵もしなかった。

 

 屋根裏部屋のベッドの上で、果然灯里は、目を閉じている。まるで、眠ってしまったかのように。 

 

 ふと、シャンシャンと、複数重なった鈴の音が、響いてきた。

 

「……!」

 

 その音に、はっとして灯里は顔を上げ、目を開いた。

 

 星空の青白さの中で、寝ずにじっと外を眺めている、布団をまとった灯里。

 

 その瞳には、細かい煌めきが映っていた。目を凝らさなければ見えないほど、その煌めきは細かかった。そして天使の衣のように、純白だった。

 

「雪」

 

 ぽつりと呟く灯里。彼女は、青白さの滲む薄暗い部屋で、ベッドの上で、何かの存在を予期するように、外へと、ぼんやりした視線を投げている。

 

 

 

******************

 

 

 

 こざっぱりとしたダイニング。調理台のところでは、新米ではない熟練の水先案内人が、エプロン姿でいる。アリシアだ。

 

 彼女は、機嫌よさそうに、鼻歌を歌って、前かがみの姿勢でティーポットを傾け、ふたつのカップに茶を淹れているところだった。

 

「さて」

 

 茶を淹れ終わり、ポットを調理台に置くと、アリシアは上半身を立て、窓の方に首をひねって目を向けた。彼女は、青白い朝方の空と、海と、雪の降っている様を見た。

 

「寒そうね」

 

 空に太陽はあるに違いないが、何となく、ないように、その時は思えた。

 

 アリシアは、感慨深げに目を細めた。

 

「とても、寒そう」

 

 その言い様は、べつだん寒いのが嫌というわけではない、というように聞こえた。

 

 シャンシャンと、多重の鈴の音。耳ざわりのよい、可憐な音。

 

 アリシアは、思い人の腕に抱かれる時のように、うっとりした風に目を淑やかに閉じ、「まぁ」、と、感嘆するように言った。

 

「冬の音が――」

 

 

 

 

 

 

 テーブルの上にあるカップの茶が、白い湯気を立てている。カップはふたつ。

 

 アリシアは、灯里と向かい合ってテーブルに着いていた。それぞれ異なる姿勢でおり、アリシアは、両肘を机上に突いて、手を組み合わせているが、灯里は、小心翼々とした感じで、両腕を突っ張ったようにして、手を腿に置いて、目線を落としているのだった。

 

 

 机上には、カップだけでなく、先ほどのティーポットと、シュガーポットと、菓子の詰まった小さなバスケットがあった。用意は万端整っていた。

 

「冬が来ましたね」、と話題を持ち掛ける灯里。

 

「えぇ」 アリシアは無難に応じる。

 

「今年はどれくらい、雪、積もるんでしょうね」

 

 問われたアリシアは、考えるように目を上にやり、「そうねぇ」と言った。

 

「あんまり多く積もると、雪掻きが大変になるわね」

 

 上にやっていた目を戻し、苦笑して見せるアリシア。

 

 その答えと表情に、灯里は顔を上げ、穏やかな微笑みで応じた。

 

「そうですね」

 

 アリシアと灯里が対面して着くテーブルの彼方にある広い窓には、その窓には決して収まることのない無限大の冬の景色が、窓に切り取られて、いわば編集された形で映っている。寒々とする青白い空。絶えず降り続く白の結晶。ひんやりとした風のささやき。

 

 ダイニングの壁に、カレンダーが掛かっている。そしてそのカレンダーは、現在が冬季の真っ只中であることを示しているのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 すっかり積雪して白くなった、水路に沿う道。

水路の反対側には石造りの建物が所狭しと立ち並んでいる。道には人通りがあり、みんな傘を差していて、時折、傘のビニールより、雪の塊が滑り落ちていた。

 

 灯里も例外ではなく、傘を持ってきて、差していた。雨よりはマシだが、それでも雪に塗れて濡れたり、服を汚したりするのは嫌だった。

   

 テクテクと歩いている灯里は、ふと立ち止まると、気分を害したように眉をひそめた。

 

 手を鼻に当て、ぎゅっと目を瞑る。

 

「――ッ!」

 

 くしゃみが出た。あまりひどいものではなく、済んでしまうと、灯里は目を開き、鼻より手を離した。

 

《ホント、すっかり寒くなりました》

 

 くしゃみの後間もなく、突風が一陣吹き荒ぶ。鋭い音と共に、吹雪が巻き起こる。

 

 すると、灯里は再びぎゅっと瞑目し、縮こまるようにして、傘を胸に抱え、冬の轟きを切り抜けようと試みた。そして冬の轟きはあっという間にしずまった。

 

 本当に止んだのか疑るような仕方で、ゆっくりと、灯里は目を開き、辺りを見回した。人通りのあった道。あったはずの道。ところが、今や無人と変わっていた。

 

 シャンシャンという鈴の音。

 

 灯里はきょとんとする。

 

《また……》

 

 謎の音に心当たりでもあるのか、彼女は水路の方に目を向けると、アーチ型の小橋のそばにある細い階段を降り、水路の際まで行った。

 

 水路の水は澄んでいた。

 

 灯里はかがんで俯き、その水を覗き込んだ。

 

《アクアの、冬》

 

 雪の降り込む水路の水面に、灯里が映り込んでいる。夜のしじま、あの部屋で窓ガラスに向かっていた時と同一の感じがした。強い既視感が彼女に萌した。

 

 灯里は、ハァ、と、息を吐いてみた。だが、息は水路に向かうどころか、白く凍った途端、瞬く間に上昇して消え失せた。

 

 何となく面白くない感じを覚えた灯里。だが、彼女は再び、反射的に片手で鼻を抑え、目を瞑った。

 

「――ッ!」

 

 何の変哲もないくしゃみだった。寒さの悪戯だった。灯里は鼻より手を下ろし――鼻が少し赤くなっていた――目を開き、空を仰いだ。

 

 傘のビニールと骨、建物の最上部が見える。そしてその彼方には雪雲が流れているのだった。雪雲は白く発光する微小な粒を無数にはらんでいた。全ては大小様々だった。ある粒は大きく光り、他のある粒は小さく光っている。

 

 灯里は口元を緩ませ、感慨深げに、目を瞑った。

 

《ネオ・ヴェネツィアの、冬》

 

 そして目を開き、雪のじぶんに向かって舞い降りてくる神秘的な様に、拝むような心地で見入った。

 

 ――ダイニング。調理台のそばで、丁寧な手付きで食器を磨くアリシア。

 

 ふと、はっとして首を捻り、窓の方を向くと、驚いたような表情を見せ、そして喜ばしそうに微笑んだ。

 

「まぁ」

 

 窓の外では、青空より、無数の煌めきが、光の欠片が、降っているのが見えた。

 

 ――灯里は歩いていた。辺りには人通り。そしてみんな、傘を差して歩いていた。

 

 

 

(終)

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