ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.75「秋に歌えば」

***

 

 

 

 フラッとゴンドラを漕いで出かけたら――

 

「すっかり秋ですね。先輩」

 

「えぇ」

 

 色付いた葉が、木の枝から外れ、ヒラヒラと舞って落ちる。

 

 並木道に挟まれたわたしたち――わたしとアテナ先輩がゴンドラに乗ってゆっくり進んでいる水路は、お陰でほとんど一面が赤と黄に埋め尽くされ、一種のランダムパターンを描いている。

 

「やっぱり人気ね」

 

 と、客席に座っているアテナ先輩が、辺りの活況を見て言う。

 

「大賑わいです」

 

 と、わたしは――オールを持ってゴンドラを漕いでいるわたしは、同様に辺りを見回して答える。

 

 ゴンドラを駆る水先案内人ばかりではない。水上タクシーに水上バス。カモなどの鳥までいる始末だ。

 

 それほど狭い水路ではなく、むしろ太いくらいで、ズラリと並ぶ木々に挟まれて、ネオ・ヴェネツィアではけっこう知られた水路だ。

 

 この水路のエリアにだけ集中して木々があるので、『森』という通称で呼ばれている。植生の貧しい古都にあって、園丁たちによって栽培された木々の風景はやはり物珍しく、『森』は年中、人を呼んで活気付いている。

 

「アテナ先輩、寒くはないですか?」

 

 ――わたしたちは、揃って冬用のセーラー服を着ていた。ハイネックで、長袖で、ポンチョコ―トを上に纏う。

 

「ちょっと寒い」

 

 と、アテナ先輩は自身を寒がるように抱いて見せる。

 

「最近、風がでっかい冷たくなりましたね」

 

「うん。水辺にいると身震いしちゃうわ」

 

「今日は、歌いますか?」

 

「そうねぇ」

 

 そう言って、アテナ先輩は片手を口元に添え、そっぽを向いて考え込む。

 

 ……。

 

 そしてウン、と頷くと、わたしを見上げた。

 

「アリスちゃん」

 

「はい」

 

「ちょっと、端っこに寄ってくれる?」

 

「端っこ?」

 

「どこだっていいの。とりあえず、ゴンドラを停めて欲しくて」

 

 わたしは諒解し、オールを使って舟の向きを変えると、水路の際の壁まで行き、そこで停止した。

 

「ちょっと休憩~」

 

 そう言って、アテナ先輩はにっこりする。

 

 ――笑って応じるのがいいのだろうか。

 

 あまりピンと来ないわたしは、「ハァ」、とはっきりしない返事で返す。

 

 ゴンドラを停めたわたしは、オールをオール留めに引っかけて、波に動かされたりしないよう、出来るだけ水路の深くまで沈めると、漕ぐ時に乗る舟端のステップのへりから足を下ろし、客席のアテナ先輩と対面する形で座った。

 

 風が絶えず吹いていて、それほど強勢ではないけれど、その力はしっかりと、秋の木に対して働きかけ、木の葉を一枚一枚、無情に、また放恣に、摘み取った。

 

 その木の葉の中には、並木のすぐそばにいるわたしたちのそばに散ってくるものがあって、真っ赤に染まったモミジがゴンドラの底板に落ちてくると、さまよう子猫が目の前に現れたように、思わず笑みがこぼれてしまうのだった。

 

「こうしていると、落ち着くわね」

 

「ちょっと寒いですけどね」

 

「まだ日差しがある内は、大丈夫よ。日差しがなくなってくると、本格的に厳しくなる」

 

「そうですね」

 

 わたしがそう答えて、しばらくすると、遠くの方より、誰かの歌声が聞こえてくる気がした。

 

 わたしはハッとして探そうとすると、無意識の内にアテナ先輩の方を見るのだった。そしてやっぱりと、合点が行くのだった。

 

 先輩は、ブーツを脱いだ両足を客席にのせ、脚部を折り曲げて倒し、両腕をソファの上部に伸ばして、その上に首を寝かせて――そういう、猫が丸くなって眠るのに似た、すっかりくつろいだ恰好で、声を細めて、ささやくように歌っていた。

 

 目を閉じて妖艶なる表情で歌うその美声に、わたしの目の前の世界は瞬く間にその広がりを失い、彼女の身辺まで狭まった。奏でられる旋律が何であれ、その音色が洗練されていれば、そのよさを味解し、享受する受容力のある者には、麗しく響く。時間と共に旋律は流れ、ある終端へと、一本道を進んで向かい、そして到達したところで、ひとつの運命が成就する。

 

 音楽とは、ひょっとすると、そういうものなのかも知れない。

 

「――そろそろ行こう。アリスちゃん。日が暮れてきたわ」

 

 そう呼びかけられて、わたしは我に返った。ちょうど今、歌が終わったのだろうか。秋空の青は褪めて、その上をうっすらとかげりが覆っていた。

 

 周りの人は、見渡してみると、特に変わった様子はなかった。多分、小声だったから、アテナ先輩の歌が聞こえなかったのだろう。

 

 アテナ先輩は、脱いでいたブーツを履いて、今は崩した姿勢を正している。

 

「そうしましょう」

 

 そう答え、立ち眩みでもしたようにヨロヨロと立ち上がると、わたしは、ステップに乗って、下のオールを引っ張り上げ、ゴンドラを漕ぎ出した。

 

『森』を離れる。

 

「――すっかり夕暮れですね。先輩」

 

「えぇ」

 

 家路を急がせる風情のある空模様と、寒さだった。心細くさせる薄暗さ――息の長い闇。じっとしていると微かに震えてしまう寒気――体が縛られる感覚。

 

「今日は喉の具合がよかったみたい」

 

 アテナ先輩は喉に片手を当てて言う。

 

「でっかいマーベラスでした。歌」

 

「そう?」

 

「はい。聴いていて、気持ちよかったです」

 

「よかった。嬉しいわ」

 

 アテナ先輩は、安心したように、胸の辺りで両手を合わせると、目を細めて感謝してくれた。

 

 アテナ先輩が嬉しそうにしていると、わたしまで、何だか嬉しくなってくる。彼女の喜びに呼応し、共鳴しているのだろう。

 

 こういう感情は、すごくいいものだと思う。なぜかと言うと、今みたいに秋の日暮れの、空気のひんやりした中にあって、何とはなしに、体がポカポカしてくるから――。

 

 

 

(終)

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