ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.80「遠いこの街で」

***

 

 

 

 朝起きると――たいていの場合は何とも思わないんだけど――時々、奇異の念に打たれることがある。そして今朝は、たいていの場合の朝ではなく、時々ある方の朝だったのだ。

 

 水無灯里(わたし)の住む、このARIAカンパニーの屋根裏部屋のことだ。

 

 今のところ仮寓で、取りあえず置いて貰っているだけで、永続的にいられるわけではない。

 

 ただ、はっきりした期限があるということもないので、ひょっとすると、わたしが出ていくなどと宣言しない限りは、ずっと居座ってもいいという気がする。あくまで気がする、という手前勝手の楽観に過ぎないけど。

 

 窓から見える明るい青空は、初夏に相応しいものだった。流れる雲は、かき混ぜたようにぼんやりと淡い。

 

 ――わたしがアクアを訪れた時も、こういう空だった。

 

 胸がすくほど明るくて、爽やかだけど、わたしの心は、途方もない不安にドキドキしていた。

 

 星間連絡船での長旅を終えて、大きいリュックサックを背負い、同じく大きいキャリーケースを引いて、エアポートを出たわたしは、マン・ホームから持ってきた地図を頼りに、ひとの出入りが激しく活況のサン・マルコ広場を通り抜け、取りあえず宿泊する予定のホテルへと向かった。

 

 下調べした通りに船着場の案内板を見、ホテルの最寄りの停留所の名があることを確かめると、水上バスに乗り込んだ。――荷物が大きくまた多いので、乗船中、座席には遠慮して座らず、端っこに立っていた。

 

 ――ホテルに着きさえすれば、ひとまず人心地付くと踏んでいたが、あいにくそうは行かなかった。すっかり安んじるには、まだやらないといけないことがあった。何よりまずは、勤め先を確保することが須要だった。

 

『水先案内人』

 

 わたしの心はすでに決まっていた。

 

 しかし、勤め先を得ると同時に、自分の生活拠点を築かないといけなかった。屋根があり、台所、トイレ、お風呂があり……要するに家か集合住宅の部屋だった。

 

 八百屋さんだの郵便局だのは行ったことのある十代そこそこのわたしだったが、不動産屋を訪問したことはなく、当惑した。

 

 通りすがりのひとを捕まえて、店舗の場所を教えて貰い、来店したが、わたしの若すぎる年齢や仕事の有無を理由に商談を断られた。

 

 

 

「――そうだったのね」

 

「はひ」

 

 朝食の並んだ食卓を挟んで、わたしとアリシアさんは昔話に花を咲かせていた。朝食はハムとチーズとレタスを挟んだサンドイッチと、アイスティーだった。

 

「まぁ、無理もないわね。向こうも商売だから」

 

「そうですね。わたしにしたって、一方的に部屋を貸して欲しいなんて申し出たのは無謀でした」

 

「わたしは、その時の灯里ちゃんは、割に賢明だったと思うけどね」

 

「ハハ、確かに《懸命》ではありました。けど、知識がなければ、お金もありませんでしたからね。ホントに向こう見ずだったと思います。はひ」

 

 ――しおしおと微笑んで、わたしはサンドイッチを齧った。口の中に含んで、また、回想に耽った。

 

 

 

 不動産屋にほとんど門前払いを食らった後、わたしは、ショックの余り、茫然自失といった状態だったが、勤め口を探そうと少ない気力で行動した。

 

 調べてみると、ネオ・ヴェネツィアに水先案内人を抱えるゴンドラの運航会社は三社あるようだった。

 

 ARIAカンパニー、姫屋、オレンジ・ぷらねっと。

 

 事業規模で言えば、オレンジ・ぷらねっとが最大で、継続期間の長さで言えば老舗の姫屋が最長だった。

 

 ARIAカンパニーには、これといった特徴がなかったが、リーフレットの写真を見て、一番関心を持った。

 

 

 

「へぇ、どうしてかしら?」

 

 アリシアさんがキラキラと好奇の目を向ける。わたしは何だか照れ臭いのか、間が悪い気持ちになる。

 

「わけは単純です。会社の建物が、海の上に建っているのが、ステキだったんです」

 

 

 

 ここにしよう――そう意を決すると、動くのは早かった。ショックからすっかり立ち直った感じだった。

 

 地図を調べ、ARIAカンパニーの住所を探す。ネオ・アドリア海のそば。分かりよい位置だった。 

 

店まで来て、心の準備を整えている内、目の前にフラッと、女性が現れた。高齢で、小柄の、ふんわりした雰囲気の女性だった。

 

 彼女はわたしを見ると、ニコッと笑い、わたしは、相手の素性がよく分からなかったが、取りあえず愛想よくしておこうと、同じく、ちょっとぎこちなかっただろうけど、笑って返した。

 

 

 

「あらあら」

 アリシアさんが、瞠目して、まさかという表情になる。

「その女のひとって、ひょっとして……」

 

「ご明察です」

 

「まぁ、グランマだったのね」

 

 アリシアさんは、納得したように一人、頷いた。

 

「だんだん思い出してきたわ。灯里ちゃんが初めてARIAカンパニーに来た時のこと」

 

「何か恥ずかしいですね」

 

「その時わたしは多分、船着場で色々とやってて、他のことにはあんまり注意が行かなかったけど、可愛らしい女の子が来たのは、確かに見たのよね」

 

「人違いですよ」

 

「あらあら」

 

 アリシアさんはウフフと笑う。

 

 わたしはアイスティーの残りを飲み干す。そして窓から青空を見、過去を思い起こす。

 

 グランマと出会い、後でその正体を明かされ、あたふたしてかしこまって挨拶し、ARIAカンパニーの応接室で面談して、わたしの意気を買って貰い、採用される――

 

 

 

 屋根裏部屋を軽く掃除して、ベッドの上に腰かける。お尻が高反発のクッションを打ち、軽く上下に(ゆら)ぐ。

 

 フゥ、と上向きにため息し、リラックスした気分になる。

 

 あの時は、本当に不安でどうしようもなかったけど――

 

 視界いっぱいの部屋を見渡す。わたしの部屋。わたしの物がたくさん置いてあるし、収納してあるし、飾ってある。

 

 すると、そこはかとない嬉しさが込み上げて来、思わず笑みがこぼれてしまうのだった。

 

 

 

(終)

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