ARIA The Extension 作:Yuki_Mar12
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――あまりぐっすりとは寝られなかった。
鈍く、重い目覚めだった。
からだを横たえた状態ですぐそばのカーテンのすそに指をかけ、少しめくり上げ、窓を通して空模様を窺う。
昨日は雨だった。だが、すでに上がったようだ。
まだ深夜といっていい時分だったが、雨雲の去った空は白みだしていて、薄暗いその青さを目にすると、二度寝しようという気が起きなかった。
だいたい、最早眠たくなかった。睡眠時間はたったの三、四時間程度ばかりだったけど。
未明のARIAカンパニーは、ひっそりと静かだった。カーテンのすっかり閉じた屋根裏部屋は、だが今も深夜の暗さだ。
決して悩んでいるとか、落ち込んでいるとか、そういう事情があるがために、眠れなかったのではない。むしろ今のわたしは、前向きで、楽天的で、眠ることに関しては――胸を張って言えることではないかも知れないけど――特別自信があった。
一度布団に入れば、すぐに安心して、落ち着いて、知らない内に昏々と寝息を立てているのだけど、ゆうべは何だか、違った。
――いったい何だったのだろう?
夜ごはんを自分で作った。ボロネーゼのパスタと、生ハムと豆苗とトマトのサラダと、白身魚のソテー。
じょうずに作れて、我ながら楽しみに口を付けたのだけど、なぜか食べきれなくて、でもお腹はいっぱいだから、残飯はラップをかけて冷蔵庫にしまった。
歯を磨いて、就床して明かりを消す。
――思い返して、寝返りを打つ。ARIAカンパニーの浮かぶ海の声が絶えず響く。夢の世界へいざなうように、やさしく、神秘的に、耳元へささやきかけてくる。
だが、わたしはそのいざないに応えられない。そのことが、なぜか、ちょっぴり残念に感じられてくる。
目を瞑ったが、なかなか寝付けなかった。三十分ほどの間、姿勢を変えるなどしてみたが、効果は出ず、妙に覚醒していたわたしは、床を出、机に向かい、デスクランプを付けると、読みかけの本を開いた。
眠り薬にと文字の羅列を目でゆっくりと追った。だが、内容が入ってこず、だんだんイライラしてくるのだった。
ひとつのチャプターだけ済ませてしまうと、わたしはさっさと本は閉じて、屋根裏部屋を出て、階段を下りていった。
二階のリビングで、ダイニングのキッチンだけ明かりを付けると、一杯の水道水をグビッと勢いよく飲んだ。
雨の夜だった。雨脚は穏やかで、雨だれの音はそれほどうるさくなかった。耳をすませばかろうじて聞こえる程度で、だが、冷たい雨で、初夏だというのに、防寒具が必要だった。わたしは夜ごはんの時、グレーのパーカーを上に着ていた。
そのパーカーは今は、床の上にクシャッとなっている。寝る時はさすがに不要だからと脱いで放ったのだった、
ボーッと無為に過ごす内に、時間は過ぎる。夜が終わり、朝が訪れ、着々と進行する。
陰気だった昨日とは打って変わって明るい澄んだ空を、カーテンの隙間より見上げると、なぜか、おはよう、と、独り言を言いたい気分になるのだった。
☆
「おはよう、灯里ちゃん」
「おはようございます、アリシアさん」
朝の挨拶を交わす。
ダイニングでテーブルに付いているところに、自宅から来たアリシアさんが顔を出したのだ。
すっかり朝だった。
目蓋が重かった。顔は洗ったが、さっぱり感はあまりなかった。
寝覚めが悪そうに見えたのだろう、アリシアさんが言う。
「あらあら、何だかまだ夢見心地って感じね」
「ハハ、やっぱりそうですか」
わたしは苦笑いをこぼす。
「眠れなかったの?」
「はひ。夜更かししちゃいました」
「そう」
アリシアさんはわたしとのやりとりを続け、同時に、ダイニングのカーテンレールにかけておいたエプロン――わたしが洗濯したエプロンを付け、朝の支度を始めた。
「何か興奮しなきゃいけないわけがあったのかしら」
「エェー! ないですよ、全然」
アリシアさんのジョーク(か本気か分からないが)に、すかさず突っ込みを入れる。
わたしは、朝食を作ってくれているその後ろ姿に――ブロンドのサラサラのロングヘア―や、均整の取れたプロポーションに、何となく見惚れてしまう。
「フフッ」
アリシアさんはいたずらっぽく笑う。
「否定しなくたっていいのよ。わたしにだってあったもの。何か想像しちゃってね。何とは明言しないけど」
「そう言われると、すごい意味深です。アリシアさん」
「あらあら、悪いわね。興が乗っちゃって」
こういう風に、アリシアさんには時々、変にサディスティックというか、意地悪――といっても、可愛げのあるものなのだけど――になることがある。
「さぁ、そろそろ出来るわよ」
――朝なので、それほど凝ったものは作らない。今朝作ってくれたのは、切ったパンに、ほんのり甘いドライトマトと、酸味のある羊乳チーズを乗せ、その上にバジルを添えたもの。
わたしはかすみのように、わたしの内に隠れる睡魔をぼんやりと感じて、アリシアさんといっしょに朝食を食べた。
たしかに、幾分か短すぎる健康によくない睡眠時間に、再び寝るべきだという強迫的気分が、あるにはあった。しかし、明るい空と海の景色を、海鳴りと海鳥の鳴き声と共に、レースのカーテン越しに、開け放った窓の向こうに眺めていると、何となく、すでに対面しているその日一日に対して、顔を背けたくないという義務感じみた感情が頭をもたげ、ずっと起きていよう、起きていなきゃという、強いられた律義さが、その小さい胸を気丈に張るのだった。
(終)